「お見事ね」
そこに、黒と紫のドレスの女性が佇んでいた。潤いのある美しいアルトの声は、アーチャーには聞き覚えのあるもの。
「それは恐れ入りますね。本日はお招きに預り、感謝していますよ、キャスター」
凛のアーチャーは、悠然とした態度でキャスターに挨拶を始めた。緊張感のないこと夥しいが、凛も腹を括った。ここはキャスターの工房、いや神殿。虎口に飛び込んだのならば、相手が噛み砕けないように堅固であるしかない。
「私は管理者遠坂のアーチャーで、こちらがマスターです」
「はじめまして、キャスター。わたしは冬木の管理者、遠坂凛。
わたしのサーヴァントに、様々に有益な情報を下さったそうね。
それにはお礼を申し上げるわ。ありがとう」
ドレスと同じ色のフードの下で、キャスターの朱唇が薄い笑みを浮かべる。
「あら、礼儀正しいこと」
「でも、管理者として、これ以上の騒ぎは困るの。
停戦に応じていただきたいのよ」
昏倒事件を仄めかしつつ、一昨日以降の発生がないことを酌量して、凛の口調も鋭さはあるが棘はない。
「頼みごとをするのなら、対価が必要なのよ、お嬢ちゃん」
「あなたは凄い魔術師だわ。
聖杯の加護を解析して、手紙を下さるぐらいにね。
そんなあなたに隠し事をしてもうまくいかないでしょうから、率直に言うわ。
あなたの願いは何なの?
アーチャーは、あなたはとても賢いひとだから、
『世界の内側』で叶う範囲の願いのために召喚されただろうって言ってる。
サーヴァントとして、何を望むの?」
唇から、聞くものを陶然とさせるような笑い声が漏れた。
「ふふ、管理者のサーヴァントは、本当に聡いのね。
魔術師ではないと言ったのに、そのからくりに気がついたの?
そうよ、欠片であるこの身が叶えられる望みは、さほどに多くはないわ。
この世界にだけ通用する願い。数多ある世界はそのままよ」
黒紫の魔女に、黒髪の魔術師は静かに尋ねた。
「では、あなたの願いは、この世界で何事かを為すことですか?
時と場所を超越した、サーヴァントでしか出来ないことを」
「貴方なら生前に手にし、与えていたものでしょうけれどね」
黒い目を真ん丸にして、ヤンは自分を指差した。
「私がですか? ……ひょっとして、もしかして、誠実な夫婦生活?」
フードの下の白皙に、季節に早い桜の花が開花した。
「これだから、変にさかしい男は嫌いだわ」
アーチャーの眉宇に緊張が走った。魔力搾取による昏倒事件は、魔力不足の補給だと彼は考えていた。さらに柳洞寺に入り込み、姿を現して陣地を作成し得たことを加味すれば、キャスターのマスター候補はそう多くないのだ。揃って魔術に縁がなく、おそらくは潜在的な魔力も乏しい人物。
時計塔が斡旋した参加者の情報を入手してからも、キャスターのマスターはその二者ではないと思った。参加者の一人は中年の男性、もう一人は妙齢の女性。いずれも経験豊富な魔術師とのことだ。
そうした人物が、ああいうやり口を許すとは考えにくかった。いや、犯罪など起こさずとも、魔力の供給ができるであろう。特に女性の方は、魔術師の犯罪を取り締まる役職に就いていたのだ。彼女の同僚でもある男性だって、余計なリスクは避けるに違いない。
だが、この口ぶりはどうだ。ヤンのほかにも、『変にさかしい男』に心あたりがあるようではないか。
「そいつはすみませんが、私も妻を裏切りたくはないので」
狐と狸の化かしあいに業を煮やした凛が、言葉の剣を抜いた。
「もう、単刀直入に言うわ。
キャスターは受肉して、旦那様とラブラブに暮らしたいってことでいいの?」
「……慎みのない若い娘も苦手よ。いいこと、女の子は淑やかなのが一番なのよ」
凛はアーチャーと顔を見合わせた。
「キャスター、あなたも結婚してたんでしょう……?
今さら照れなくてもって感じだけど、そういうことなら対価も準備できるわ。
協力してくれるなら、戦後に旦那様と結婚できるようにしてあげる」
「な、なんですって!?」
「聖杯の魔力で受肉できるかはわからないけど、
私のサーヴァントとして残るのはどう?」
魔力をかき集めることに長けたキャスターなら、霊地に住む強力な魔術師の凛がマスターになれば、現世に残留することも可能だろう。
「そうだね。アインツベルンの協力を仰げば、
外国人として生きていく書類も準備できるはずだ。
セイバーに、パスポートを用意できた財力や権力がある。
あなたのパスポートや証明書も作れるでしょう。
お望みなら、婚姻届も出せますよ」
「こ、こ婚姻届……」
キャスターの頬が、桃の色へと変化した。
「ええ。証人になってくれそうな人も紹介するし、
新居にうちの所有する物件を格安で提供してもいいわ。
教会に知り合いがいるから、結婚式だって手配する。
どう? 聖杯の調査に協力してくれないかしら」
凛は、これまでの黒髪の魔術師の言動から、考えを巡らせていた。相手を理解しようと努め、肯定的に接すれば、魔女だって凶行には至らないのではないか。
オーロラ姫の呪いは、お皿が足りないのを口実にして、招待状を出さなかったのが悪い。最初から招いていたら、強大な力にふさわしい加護をくれたことだろう。
「……わ、悪い話ではないけれど、アーチャーはどうするつもりかしら。
まさか、私の手にかかる気で来たのではないでしょう」
「いやあ、それなんですが……」
ヤンは髪をかき回しかけ、凛の一睨みで手を止めた。彼女が苦労の末に、今風の髪型に整えたのだ。
「今夜、ランサーと会食なんですよね。
戦いを挑まれたりしたら、正直とても勝てる気がしません。
私のマスターは御三家の一人ですから、私が死んでも令呪は残存します。
あなたが、聖杯戦争を勝ち抜けたら、その後の話ということになりますけどね」
キャスターは優雅に腕を組んだ。
「あら、あの風来坊の痩せ犬と?」
「はあ……その、もうちょっとお手柔らかな表現でお願いします。
一応、私の憧れの英雄だったんですから」
くすりと唇が綻んだ。
「風のように素早く、掴みどころのない男。
マスターは穴熊のように姿を見せない。
だから、僕にするのは諦めていたけれど……、私の好みではないしね」
「数多の美女を魅了した、武勲赫々たる美丈夫ですよ?」
「それが信用できないのよ」
キャスターは、わずかに顎を動かして、白銀の少女を示す。
「あのバーサーカーの行状と同じくね。
裏切りの報いに、ふさわしい死に方をしたでしょう。
でも、ディアネイラは愚かよ。
ネッソスの血は、夫と女の双方に贈るべきだったのに」
「ははあ……」
たじろぎながらも、ヤンは探りを入れてみた。
「では、あなたは不倫をなさる必要はないということですか」
「当然でしょう。自分が許せぬことを行うつもりはなくてよ」
「そして、自分が許せぬ相手には、ふさわしい報いを?」
美しい唇が眉月を形作る。ヤンは三つのことを確信した。彼女はヘラクレスに縁のある、ギリシャ神話の英雄だ。士郎のような素人魔術師に、偶然召喚できる存在ではない。
となると、触媒に便宜を図ってもらえるという、時計塔の魔術師いずれかがマスター。だが、様々な情報の断片から、彼女のマスターは女性でないと判断していい。しかし、男の魔術師は、彼女を妻には迎えない。魔法に至るために血を繋ぐのが魔術師。子を産めぬのがサーヴァント。
――『彼』はどうなった?
黒い瞳に走った緊張を認め、キャスターは口を開いた。
「この国の諺では、撃たれぬのは鳴かぬ雉よ」
「なるほどね。
あなたほどの女性にそう思われるとは、その方は男冥利につきるでしょう。
あなたに見捨てられたら、怖ろしいことになりそうですがね」
会話から取り残された凛の目前で、キャスターとアーチャーが言葉の剣を交えた。探りあい、フェイントを仕掛け、足をすくい、急所を仕留めようとする。
「私は捨てたりはしなくてよ。ゴミはきちんと始末するものでしょう?」
「あなたはいい奥方だったのでしょうね。現代社会にも対応できそうだ。
しかしね、どんなゴミであれ、現代では勝手に処分してはいけないんですよ」
「焼くと灰や煙をまき散らすから? 埋めたら臭いや蛆が出るから?
どちらも出ないならかまわないでしょう。もうゴミはなくなったもの」
アーチャーは小さく息を呑んで、憂愁と共に吐き出した。
「……なるほど。時を戻せぬ以上、この話は終わりにしましょう。
私たちが問題にしているのは、聖杯戦争の今後です。
あなたがたの主従関係に、口を挟むのは本題ではありません。
恋路の邪魔をして、馬に蹴り殺されるのもごめんですからね」
「そういうことね。言霊は尊ぶべきよ。
これから、天を往く馬にも挑まねばならないのだから」
「……よくご存知で。
しかし、あなたの今後の生活のために、
早いところきちんとなさったほうがいいですよ。
我々に与するか、せめて害を与えないよう、去就を明らかにしていただきたい」
アーチャーには珍しい押しの姿勢だった。
「さあ、どうしたものかしら」
「おやおや、今は二月なのにのんびりしている暇はありませんよ」
「それが何だと言うの?」
美女と美少女、二人の魔術師が同時に首を傾げた。黒髪の青年も小首を傾げ、おっとりとした笑みを浮かべた。
「私のマスターもすっかり失念していましたが、
日本ではもうすぐ新年度を迎えるからですよ。
私は役人でしたから忠告しておきますが、ご主人の勤めがなんであれ、
あと一月もすれば年度切替えの時期でしょう」
「……アーチャーのマスター、貴女の僕は何を言ってるのかしら?」
困惑した様子のキャスターに、富豪の令嬢も首を左右に振る。
「ごめんなさい。わたしも意味がわからない」
不意打ちに成功したアーチャーは、不器用に眉を上げた。
「日本では、婚姻届を出して結婚が成立するんですよ。
外国人だと本国の書類が沢山必要になります。
イリヤ君の家がいくら金持ちでも、そういう書類の準備は時間が必要だ。
偽造ではなく、役所に申請するならね」
「え、ええ……?」
現代の魔女は直接に、伝説の魔女はフードの下から、胡乱な眼差しを送った。二人の気持ちは一つだった。
――何言ってるの、この男は!?
「年度の終わりと初めは、役所はとっても忙しいんですよ。
決裁者の私も、書類にサインするだけで一月が過ぎてしまったものです。
でも、ややこしい届出へのチェックが多少は緩むチャンスだ」
凛は、チャコールグレーのコートの袖を引っ張ると、耳元へ囁いた。
「ねえ、アーチャー、すぐに婚姻届なんて出す必要あるの?」
キャスターも頷いているが、ヤンは厳然と言い放った。
「当然です。税金の控除が全く違います。保険やなんかもね。
夫が金を損することになってもいいんですか?」
「なっ……なんですって……?」
給料分の仕事をするが口癖だったヤンだが、被保護者を迎える前は、ごっそりと課税されたものだ。マスターには白き魔女の手法を提唱したが、自分は亭主の黒い魔道士に倣ってみる。新年度のたび、『まだ配偶者控除の申し込みはしないのか? まったく、甲斐性のない奴だ』と言われたものだ。
込められた怨念を察知したかどうか、現代事情に疎いキャスターが怯む。とんでもない発言をするアーチャーに、凛の顎が落ちた。なんて嫌な精神攻撃!
「幸せに暮らしたいなら、先立つものが必要でしょう。
富豪だからといって、幸福とは限りませんが、文無しだと確実に不幸です。
私が保証します」
降り注ぐ言葉の矢は、キャスターの急所を抉った。王位の相続争いに負け、流浪の身となった生前である。
「ふ、ふふふ……。寄る辺なき身の辛さなら、貴方に言われるまでもなくてよ」
ヤンは腕組みして、不機嫌に目を細めた。
「私もそうなんですがね。
孤児になって、衣食住と学業に目が眩んだばかりに、
金と引き替えに人を殺す職業に就いてしまいましてね。
死後に趣味と願いを叶えられると、召喚に飛びついたら殺し合いでしょう。
やっていられませんよ、まったく。人殺しは、嫌ってほどやりました。
給料も出ないのに、もうごめんです」
給料の話から離れようとしないアーチャーから、キャスターは話の舵を取り返そうと試みた。
「では、貴方は聖杯に願うものはないと?」
黒髪の青年の目つきがますます険しくなった。
「そんな胡散臭いものはいりません。
たかだか、六人の人間か、幽霊のコピーを殺したぐらいで、
どれほどの力が得られるというのか」
「『世界の内側』では、おおよその望みが叶うのよ」
「キャスター、あなたは私の話を聞いていたでしょう?
私が未来の存在だということも。改めて自己紹介としましょう。
私はヤン・ウェンリーといいます。今から約千六百年ほど後に、死んだ軍人です」
我に返った凛は、アーチャーの腕を引っ張った。
「ちょっと!」
「今さら隠しても無駄さ。
ライダーとの戦いを監視できて、
その前の我々の話を聞かれていないはずがないじゃないか」
こちらも本来の調子を取り戻したキャスターは、アーチャーに問う。
「遥かな未来には、天上の炎を炉となし、
星空を仰ぐのではなく、船で往くというのは本当なのね」
「ええ。でも、人間の本性は何も変わらない。
五百年近く争い続け、人口を三千億から四百億に減じてなお、戦いを止めなかった。
それほどの犠牲を投じても、ほんの十数年の平和も得られなかったのに、
聖杯とやらに期待を抱けるもんじゃない」
二つの艶やかな唇が、微かな笛の音を立てた。
「三千億が、四百億、ですって?」
「それだって、すごい数でしょう!」
黒い頭が力なく振られた。
「地球の現在人口は六十億を超えていて、そのたった七倍にも満たない。
なのに、宇宙で一回戦闘すれば、数万人単位の死者が出る。
私も大勢の人の命を奪いました。自分の命一つで償えるものではない。
死んで終わりにならなかったのは、やはり報いなんでしょう」
アーチャーが戦闘を拒むのは、戦いの無意味さを知り尽くした者だからだ。 聖杯に願いを抱かないのも、五百年の燔祭に膨大な供犠を投じ、なお夢が叶わないのを見ていたから。
「死は、本人にとっては終わりでも、遺された者を押し流してしまう。
また犠牲者を出せば、新たな遺恨を重ねるだけです。
このお寺を本拠地になさっているならば、気がついていらっしゃるでしょう」
ヤンは、士郎の一行に眼差しを送った。その他にも、黒い装いがちらほらと見える。
「そうね……。黒い衣で来る者が増えたわ。
これが、貴方の言う十年前に遺された者ということね」
「ええ、私のマスターも、セイバーとバーサーカーのマスターも。
そしてきっと、ライダーのマスターもみんな孤児です。
今回は、マスターである人間と、無辜の市民に犠牲を出さないことが、
私の一番の望みです」
「子どもに優しいのね。……それは、貴方が孤児だったから?」
深い夜の底が、静かにキャスターを見つめた。
「子どもを守り育てることは、人間に唯一許された時への対抗手段ですから。
そうして、人間はここまで歩んできた。
そして、千六百年後の私の時代までは歩んでいる。
光の速さで、地球から一万年以上かかる場所まで居を広げてね」
Oの字になった口を隠すには、黒で覆われた指先の動きは遅かった。
「……ところどころ話を聞いてはいたけれど、まさか本当だったとはね。
貴方の申し出は面白いわね、アーチャー」
「と、言いますか、こんな戦争ごっこの魔術大会に興じている場合じゃありませんよ。
私の世界では、今から四半世紀後に全面核戦争が起こりました」
「ちょ、ちょっと、アーチャー! 今それ言うわけ!?」
「な……」
聖杯の知識が、キャスターにもたらされる。唯一の被爆国である、日本を襲った核爆弾。これが世界規模で降り注ぐと、未来を生きた青年は言うのだ。
「人類の九割近くが死滅します。そして、続く内乱で宗教もほとんど滅ぶ。
魔術基盤とやらも失われるんじゃないでしょうかね。
我々は放射線では死ななくても、魔力の素がなくなったら消えちゃいませんかね?」
キャスターは、口を押さえていた右手に、左手も重ね合わせた。動揺した二人の魔女に、魔術師は肩を竦めてみせた。
「この世界の未来そのものではないが、近い未来が訪れる可能性は否定できない。
それどころか、もっと悪い未来だってありうるんだ」
「あんた、全面核戦争は起きないっていっていたじゃないの!」
黒い瞳が瞬いた。
「うん、全面核戦争は起きないと思う。
しかし、ソビエト連邦の崩壊で、発展途上国の核武装がずっと野放図に進んでる。
政治的イデオロギーの対立の代わりに、宗教と民族の紛争が深刻だ。
資本主義体制が勝利したから、領土や資源の奪い合いも激化していくだろうね。
核を使った散発的な戦争やテロの可能性で、
もっと始末に負えないかもしれないなあ」
「え、ええっー!? なによ、それ、どういうことよ!」
凛は声を張り上げ、思わずアーチャーのマフラーを引っ張った。彼が、全面核戦争が起きないと言うから安心していたのに、それ以上に悲観的な未来予測が飛び出してこようとは。
「いや、だって、私の過去の世界の西暦二千年代初頭は、
二大国家のタガがきつくて、この世界みたいに多極化してはいなかった。
吸血鬼もゾンビもいないし、魔術もなかったと思うよ、たぶん」
サーヴァントが通常攻撃無効なことをありがたく思いつつ、ヤンは答えた。生きていたら、マフラーで絞殺されるところだった。危ない、危ない。幽霊でよかった。
そして、彫像と化したキャスターに続きを告げる。
「そのおかげで、南半球は比較的核の被害が少なかった。
ここでは南半球、それもオセアニアへ逃げろと言い切れないのが辛いですが、
今のままだと結局逃げられない。我々は聖杯に縛られている」
冬木の魔術基盤の圏内は、隣町との境界線上のアインツベルンの森までではないだろうか。アインツベルンは、御三家の筆頭ならではのズルで、セイバーやバーサーカーをドイツで召喚しているが、冬木入りはしなければならなかった。他の陣営の殺し合いを、ドイツで高みの見物というわけにはいかないのだろう。
「だから、聖杯のシステムを解析する意味はあるでしょう。
そして未来のためには、先立つものが必須ですよね?」
キャスターは考え込んだ。そして、アーチャーと質問まじりの雑談を交わす。その結果、魔女は魔術師に陥落した。
「……いいでしょう、管理者の話に乗るわ」
「停戦に合意して、聖杯の調査に協力していただけるということでよろしいですか?」
念を押すアーチャーに、キャスターは頷いた。
「ええ、その方が戦うよりも早そうですもの。
でも、どうするつもりなのかしら。
願いを叶えるのに必要なのは、六体のサーヴァント。
貴方が組んでいるセイバーと私、双方を残したら足りなくてよ」
アーチャーは淡々と答えた。
「これまでの聖杯戦争、斃れたサーヴァントはいるのに、
望みを叶えた者がいるか、定かではありません。
持ち越された魔力が、今回の短いインターバルの原因ではないかと思うんですよ。
となれば、より少ない犠牲で魔力が充分になる可能性がある。それがまず一つ」
キャスターの細い指が、形の良い唇をなぞった。
「まず、一つ? では次は何?」
「今はまだ確証がない。しかし、あてがないこともないとだけ言っておきましょう」
キャスターは、黒いフードの下で表情を動かした。黒髪に黒い瞳のアーチャーは、慎重で情報分析に長けた賢者だ。ユニークな仮説は述べても、根も葉もない妄言は吐かない。
「ふふ、それでは今日はこの辺にしましょうか。
セイバーのマスターはともかく、バーサーカーのマスターはそろそろ気づく。
弓の騎士と主よ、今晩も健闘を祈りましょう」
唇に笑みを浮かべ、ほっそりとした肢体がたおやかに一揖する。そのまま色素が薄れ、風に溶けるように姿が消えた。凛は張り詰めていた息を吐いた。
「大丈夫かい?」
「き、緊張したわ……。よかったの、あんなに自分のことばらしたりなんかして」
「いやあ、隠すだけ無駄だよ。ただでさえ女性は敏い。
ましてや、神代の魔術師だ。人間としては、当時最高クラスの頭脳の持ち主だろう」
昏倒事件の手口から予想はしていたが、非常に洗練された魔術と、現代に対応できる知能がある。今のキャスターの幻影は、士郎ら一行にも気づかせないような術のようだ。
これほどの術者が、キリスト教やイスラム教が盛んになった時代に名を成せるはずがない。 さらに古い時代、恐らくはヘラクレスを生前に知っている。
そして、プライドが高く、非常に気性の激しい美女だ。……困ったことに、ヤンには心あたりがあった。ヤンが確信した三つ目。ヘラクレスの死因をあてこすった発言は、意図的なリークだ。
『貴方が私を知っているだろうことを、私も知っているのよ』という極太の釘に他ならず、『私のことを知る貴方は、どうするのかしら?』との恫喝だ。
これはまずい。ヤンは顔には出さず、マスターにも気取られずに、心に冷や汗をかいた。白き魔女にして預言者の祖先、時の流れに漂白される以前の黒き魔女。古いが強いという法則からするに、ヤンの手に負える女性ではない。これ以上の正体の探りあいはごめんである。
ばらしたところで、聖杯の加護を以ってしても調べがつくことはないのだから、正直に言ったほうがいい。
彼女は情報の重要性を知る人間だ。風変わりなアーチャーの正体を、闇雲に他にばらしたりはすまい。そうなるとしたら、彼女にとって、そのほうが得だと判断したときだ。凛たちの陣営からの利益供与が勝っているうちは、こちらにつくだろう。
それより何より、彼女が忌むのは不実な男に違いあるまい。王女メディアの怒りに触れて、切り刻まれるのも釜茹でにされるのもごめんだ。魔女の秘薬で、焼き殺されるのも。キャスターの真名を悟ったヤンの、咄嗟の判断だった。
「これ以上の論評は、今は差し控えようか。
私たちも切嗣氏のお墓を参拝するとしよう。
そして、若住職を紹介していただいて、納骨の記録を調べるんだ」
何事もなかったかのようなアーチャーに、凛はへたりこみそうになった。
「ちょ、ちょっと時間をちょうだい。どうなるかと思ったわよ……」
「何にもならなかったからいいじゃないか。過ぎたことだよ。
これからどうするか考えないと。時は金、いや、ダイヤやエメラルドさ。
さ、行くよ」
サーヴァントのステータスに精神があるなら、アーチャーはこう表示されたはずだ。
メンタルが炭素クリスタルと。