サンドイッチを平らげて、お替りした紅茶の香りに目を細めながら、アーチャーことヤン・ウェンリーは首を捻った。
「それにしても不思議なんだが、サーヴァントって幽霊なんだよね」
「なによ、急に」
「飲み食いした物はどこに行くんだろう。
怪談なんかだと、よく座席がぐっしょりと濡れていたりするものだが、
そういうこともないようだしなあ」
「か、怪談!? まさか、そんなことまで聖杯からの知識が!?」
凛は目を剥いた。ほんとにこの聖杯、余計な知恵をつけすぎではなかろうか。そんなマスターに、ヤンは手を振ってみせた。
「いいや、その手の話は私の時代にだって山ほどあるよ。
船乗りは迷信深いものだし、『宇宙怪談集』って、結構人気のシリーズなんだ。
私もよく読んでたよ」
凛の上半身が椅子の上で傾いだ。
「な、なによ、それ」
「ほら、百五十年も戦争をしてる社会じゃないか。
一回の会戦で戦死者が何十万人と出るんだ。
そういうネタには事欠かないというわけさ」
「……聞くんじゃなかったわ!」
この青年は温厚な頭脳派に見えて、根っこはやっぱり軍人なのだった。
「私が司令官をしていた宇宙要塞でも、幽霊騒ぎがあってね。
若い連中と私の被保護者が幽霊探しをして、捕らえたんだが、なんのことはない。
事件を起こして逃亡していた兵士が、虫垂炎で呻いていただけだった」
「ちょっと待って、何ですって? もう一度言ってちょうだい」
「幽霊を捕らえてみれば脱走兵?」
「違うわよ! なに川柳にしてるのよ。その前よ、前。なんなの、宇宙要塞って!?」
ものすごく聞き捨てならない単語だった。
「ああ、敵国が一種の国境的な宙域に設置した人口惑星でね。
直径六十キロ、収容艦艇数は二万隻、五百万人が暮らせる要塞だったんだ」
アーチャーが口にしたのは、想像を絶する代物であった。
直径六十キロ。水平方向はまだしも、垂直方向はエベレストの七倍ぐらいか。
それを宇宙空間に、人間が建設するのだという。いったい、幾らかかるのだろうか。
「やっぱりそう思うだろう?
なのに、 建設を命じたオトフリート五世という皇帝は締まり屋でね。
予算が大幅にオーバーして、責任者は自殺させられたんだ。ひどい話だよ。
そこで建設を中止してくれれば、わが国もあんなに犠牲を出さなかったのに」
凛の思考に、余計な解説を入れるアーチャーだ。また疑問が増えたのが始末に悪い。
「敵国って、敵の物をどうしてあんたが司令官をやってたのよ」
「その要塞はイゼルローンというんだが、雷神の槌という主砲があってね。
出力は九億二千四百万メガワット、数百隻の艦艇を一瞬で蒸発させる兵器だ。
わが国は六回攻略しようとして、六回とも失敗した」
「……ねえ、アーチャー。その艦艇って、あなたの艦のサイズよね」
「旗艦級はそうゴロゴロしてはいないが、六百メートル級の標準戦艦ならそうだよ」
凛は頭がくらくらしてきた。なんてトンデモ兵器のぶつかりあい。1600年後の戦争は、ものすごいことになっていた。彼がえらく燃費の悪いサーヴァントなのも、そんな無茶苦茶な世界から呼んできたせいかもしれない。
「でも、攻略に成功したからあなたがいたわけよね」
「私が七回目にやれと言われてね。
一芝居打って、ペテンにかけたのさ。私の艦隊からは死者は出なかった」
「すごいじゃない!」
確かに英雄と呼ばれるにふさわしい功績だった。だが、アーチャーは苦く笑うと黒髪をかきまわした。
「で、よせばいいのに調子に乗って、敵国に侵攻したんだ。
わが軍はボロ負けした。三千万人が動員され、二千万人が還らなかった。
一番被害の少なかった私の艦隊が、国境警備の任に就いたというわけさ」
凛は声もなく、線の細い青年を見つめた。
「もうこうなると、いくら戦術を工夫しても駄目だ。
私が戦場で負けなくても、国が負けたら意味がない。
君が勝利をおさめても、冬木が焦土と化しては意味がないように」
「……さっきの役所で見た、平年の倍の死者数になってはいけないってことね」
黒髪の青年は、かすかな笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、そうだとも。
君はとても賢く、自分だけを安全圏に置いて戦いを煽動しない。
私の生前の上司に、遥かに勝る美点だよ。
しかし、もう一つの違いこそが安易に戦ってはいけない理由だ。
ここは兵員だけの被害で済む、宇宙空間じゃないんだからね」
凛のアーチャーは、戦いが大嫌いだという。死んでからまでやりたくないと。
彼は生前、二千万人以上の味方を失いながらも、ただ一個艦隊で数倍する敵を殺した。だが、一人の民間人も犠牲にせず、百三十億の自由惑星同盟の国民を守り抜いた。
千六百年後の世界で、ヤン・ウェンリーが、宇宙一の名将と称されるゆえんであった。