アーチャーが頼んだカクテルに、士郎は琥珀の目を真ん丸にした。
「カシスソーダって……ランサーの分か?」
長身で強面の美青年にはそぐわない。酒に弱い女性が、ジュースの延長で飲むようなカクテルだ。
「外見と味が一番近いんじゃないかと思うんだ。
ワインは貴重品だから、昔は水で割り、蜂蜜などで調味していたんだよ」
ドイツ人の令嬢が首を傾げた。
「アイスヴァインみたいな味になるの?」
「あるいは貴腐ワインとかね。今よりずっと甘味が貴重だから、蜂蜜も高価なものさ。
一般人にはなかなか手が出ない。
だから甘くするために、古代ローマ人は鉛の容器にワインを入れた」
士郎が眉を寄せる。
「鉛って……。なんか、体に悪そうだぞ」
「そのとおり、悪いよ。
ワインの成分で酢酸鉛ができて甘くなるんだが、こいつは神経系に作用する毒物だ。
暴君ネロが、若い頃の英明さから一変した原因だという説もある」
「げっ……」
しかし、日本人に古代ローマ人を嘲笑うことはできないとアーチャーは続けた。日本は日本で、女性のお白粉として使っていたからだ。五代将軍徳川綱吉の、常軌を逸した性格の原因ではないかと言われてる。彼以降も、虚弱で短命な将軍が少なくなかったのも。
「なんでよ?」
「ほら、昔の化粧は胸元までお白粉を塗るじゃないか」
「ああ、舞妓さんみたいにってことね。でも、どういう関係?」
アーチャー以外は怪訝な顔になった。
「乳母もそういう化粧をしてるんだ。乳児のうちから、そんなものが口に入ったら……」
「うっ……」
凛も思わず呻いた。今度はアーチャーが怪訝な顔をした。
「君だって、宝石を魔力の栄養剤代わりにしてるのに」
「ちゃんと種類を選んでるわよ。ダイヤモンドなら炭素でしょうが」
士郎は先日飲んだ石の正体を知って、ふたたび青褪めた。
「ダ、ダイヤぁ!? やっぱ、すぐに浄化槽の汲み取りを頼まなきゃ……」
凛は眦を吊り上げると、弟子を睨みつけた。
「言っとくけど、魔力を放出したら砕けるから。それは不要よ!」
「なるほど、ダイヤか。もったいないけど賢明な選択だね。
他の宝石じゃあ、あんまり体によくなさそうだ」
「そうだぞ。普通、宝石なんて飲まないよなあ」
黒髪の青年は首を振った。
「いやいや、士郎君。
クレオパトラは宴の際に、真珠の耳飾りを酢に溶かして飲んだというよ。
後世の創作かもしれないが、何とも豪奢で優雅だよね。
凛もそっちにしたらどうだい?」
「あのね、強い魔力を流すには、強度のある素材がいいのよ。
真珠は脆いし、宝石みたいに歴史の蓄積がないし。
それに、他者に魔力を流すのが難しいのは一緒よ」
これは、珊瑚や象牙にも同じことが言える。
「そういうものかねえ。ダイヤと違って、ちゃんと薬効もあるんだが」
「薬効って?」
「真珠の成分は炭酸カルシウムだから、骨にもいいし、精神の沈静効果もある」
凛のこめかみが引き攣った。
「……何が言いたいのよ」
「土壌の関係で、この国で不足しがちな栄養素なんだろう。
君も摂ったほうがいいと思うよ。骨や歯も、心と同じく大事なものだ。
いずれは母になるんだし、老後の健康も考えなきゃ」
一般論にくるんで、しゃあしゃあとマスターの短気を揶揄している。凛は言葉を飲み込んで、代わりに拳を握りしめた。後で覚えてらっしゃい……。
「でも、健康法も極端なのはよくないよ。
不老長寿の薬として、辰砂を飲んで死んだ古代中国の皇帝も多いからね」
「ねえ、しんしゃってなに?」
「『あおによし』の『丹』のことだよ。朱色の塗料の原料だ。
イリヤ君たちやランサーの瞳みたいな色の鉱物なんだがね」
凛とセイバーは顔を見合わせた。アーチャーの歴史話に登場するアイテムには、一筋縄ではいかない裏がある。
「……あれでしょ。東方の三博士の贈り物と同じノリなんでしょ」
「香料がミイラに使われていたのと同じ物というあれですか、リン……」
アーチャーは思わず拍手し、残りの者たちは顔を見合わせた。
「すごいなあ! よく覚えてたね」
否定してない。士郎は恐る恐る伺いを立てた。
「それ、なにさ?」
黒い瞳が細められた。
「赤い石、柔らかい石、賢者の石。錬金術ではそうも言われた」
その色の瞳の三人が、一斉に目を瞠る。
「その正体は硫化水銀。加熱するだけで、赤い石が銀色の水になるんだ。
昔の人にとっては、神秘そのものだっただろう。
たしかに防腐作用もあるが、酢酸鉛どころじゃない猛毒さ。
水銀は日本でも公害の原因となったそうだが、知らないとは怖ろしいことだ。
そう思わないか?」
放たれたのは、一般論の姿をした、重く鋭い問いの矢。アインツベルンは、聖杯戦争とその果てに目指すものを、本当に知っているのか。答えられるものは誰もいない