掟の底食い 作:ちわわのちくわ、
ナミはしばらくの間その街に滞在し、彼に常識と生活を送る上での日常的な言葉を叩き込んだ。
それと並行して、彼女が向かったのは港の酒場だ。アルコールは人の口を軽くする。
紫煙で薄暗い喧騒の中、ナミはカウンターに深く腰掛け、わざとらしく脚を組み替えてタイトなスカートから齧りつきたくなるような太ももを覗かせた。
酒の入った男たちの視線が釘付けになる。カウンターで頬杖をつけば、腕が豊かな胸のふくらみがむにゅりと形を変え、谷間が強調された。
あれほど騒がしかった酒場が、生唾を飲み込む音が聞こえそうな程静かになった。
男どもがちょいちょいと前髪や髭を整え、なんとか海の女神の仕留めようと躍起になる。
その気配を感じながら、ナミはジンを一口やる。
(あ~~ほんと単純で助かるわ)
何人もの男が撃沈し、会話が続いたある水夫は優越感とこの後のプランで頭がいっぱいだった。
「あ、ああ! 当然さ! 俺の腕は船長も認めてるんだ。来週出航するあのカネカ丸だって、俺が航路を任されてるようなもんでね」
「えぇ~すごぉい……私、海の上をあんなにおっきぃ船を動かす男の人って、本当に尊敬しちゃうなぁ」
ふっと吐息を漏らすように甘い声を出し、男の顔を覗き込んだ。至近距離で見つめる子猫のような瞳、少し熱っぽい柔肌、手に収まらないほどのたわわな果実がゆさっと存在を主張する。
ナミは持ち前の愛嬌と鋭い観察眼で海の男の警戒心を巧みに溶かしてみせた。
「そういうおっきなお船って、ナニを運んでるの? きっとあなたのような頼もしい人にしか任せられないわよね」
「そりゃそうさ。船積みの話じゃあ──」
辺りを見回し、最低限ナミにだけ聞こえるように小声で囁く。
「──ってなわけよ。どうだい、河岸を変えて落ち着いた店でもっと詳しい海の話を……」
「とっても楽しかったわ! お酒もありがとう! お仕事頑張ってね!」
用が済んだ瞬間、ナミは弾けたような満面の笑みを浮かべて席を立った。
「え? あ、おい、ねえちゃん!?」
男が呆然と伸ばした手を、風がすり抜けるように躱して酒場を後にした。
そうしてナミは、一人では到底手が出せないが能力者の彼となら確実に仕留められる、大きな標的を絞り込んだ。
「はぁ~、疲れたー」
部屋に戻ったナミはシャワーを浴びて、バスタオル一枚でベッドの上に倒れ込んだ。ごろりと仰向けに伸びをするとぴったりとしたタオルが引っ張られ、軽く拭いただけのしっとりとした胸の膨らみがはち切れんばかりに強調される。酒場の男たちが連日声をかけても見れなかかった垂涎の光景だ。
ふう、と息を吐いて、テーブルでナミの作った簡単な宿題と睨めっこする彼を一瞥した。たぶんこっちに気付いていないほど集中している。
すでに出会った時のような瘦せこけた身体ではなく、服は古びているものの身なりは整っていた。
食費や宿泊費は想定外の出費だったが前の仕事で稼いだ分はある。
(それに、こいつを手懐けられると考えれば安いものだわ)
今のところ彼は従順だ。飼い主とペットに似たそれはナミにとって都合が良かった。
金なんて能力を使えばいくらでも稼ぐ方法はある。それに──
(あの能力があればココヤシ村を……)
おそらく救える。が、その前に実戦形式で確実に能力を扱えるか試す必要がある。
まあ単純に能力を使ったデカい仕事をしたいというのもあった。
ナミは頭を切り替え、ベッドから起き上がり計画書に目を通す。酒場で港湾作業員や船乗りから集めた情報が事細かにまとめてあった。どうやって手に入れたのかターゲットの一般配置図や航路計画、海流、予測される天候まで。
あっちこっちと見比べ、計画は練られていく。
よし、とナミは胸の内で呟いた。
とりあえず、準備として女物の服が二着必要だった。
:::
「最後にもう一度おさらいするわよ!」
青空の下、波間に揺れるナミの小舟の上で、彼女は真剣な面持ちだった。
「ターゲットの名前はカネカ。税金逃れに港の倉庫に資産を溜め込んでる。で、今回の航行でその資産の一部を試験的に税率の……まあここは省いて、とにかく移送してる。わたしたちは海の上でそれをいただく」
彼は黙ってうなずく。
「表向きは運送業者だけど実態は海賊旗を隠してるだけの海賊で、わたしみたいに良いヤツじゃやないから、あんたの掟を使う掟には反さない。わたしとの約束はちゃんと覚えてる?」
「掟を立てる時はナミに聞いてから」
「そ。あんたはまだこの世でその判断がつかないから、間違った方向へ向かないようにわたしが管理してあげる。ただし命の危険がある場合は別ね」
「わかった。でもこの顔に塗ってあるやつは嫌だ」
「そお? 私は我ながら最高に似合ってると思うわよ。そのドレスもね」
いたずらっぽくバッチリとウィンクして自画自賛する。
彼の顔の傷跡を隠すため舞台用の濃い化粧を施してみたのだが、出来上がってみればそれほど違和感が無い。
(素材がいいから誤魔化せると思ってたけど、普通に美人に見えるのがなんかムカつくわね……)
内心でそんな釈然としない小言を言っていると、後方から波を割る音が聞こえてきた。
「あ、来たわよ。あのごてごてに装飾された悪趣味な船」
水平線の向こうから現れたのは、成金趣味を絵に描いたような中型の帆船だった。船首には悪趣味な金メッキの胸がデカい女神像が括り付けられており、船体は品のない原色で派手に塗り分けられている。風を受ける帆には、不格好な金貨のマークがこれ見よがしに描かれていた。
ナミはオホンと咳払いをして、先ほどまで彼に見せていた凛とした姿とは打って変わり、いかにもな声色で船に向かって助けを叫んだ。
「誰か~助けて~、助けてください~~っ!」
その隣で、ドレスに身を包んだ彼が、大真面目な顔のまま白いハンカチを懸命にパタパタと振り始めた。
航行中の客船が海賊に襲われ、二人は辛くも逃げ出す事に成功したが操舵できるわけでもなく、海流と風に身を任せている所をカネカ丸に救助された。
という設定をカネカは信じた。
(事前に女好きの成金って事は知ってたけど、まさかここまで上手くいくとは)
カネカの私室に招かれたナミは、成功した喜びと呆れ半分で部屋を観察する。
この規模の船にしては広い個人キャビンにはアンティーク家具が並べられ、奥には無駄に大きな天蓋付きベッドが鎮座している。
事前に愛人が一人同行している事は知っていた。ナミたちを見てもいつもの事なのか特に反応せず、乳首のところにスリットの入った素肌が透けるようなランジェリー姿のまま、シャンパンとクラッカーを楽しんでいる。
恰幅の良いカネカが無遠慮に二人の身体を舐め回すように視線を這わせた。
「ところで
「この子は、海賊に襲われた時のショックで記憶が曖昧になっちゃってて」
「おおーそりゃかわいそうに。後で船医に看てもらいなさい。けどまずは腹ごしらえをしなくちゃね、アルコールはイケるか? うん?」
カネカはそう言うと、ナミではなく横に立つ彼の肩にそっと手を回し、テーブルへと促した。
(え? あたしじゃなくて、そっち?)
彼は作り物の胸なのではだけさせるわけにもいかず、身体の傷跡と男の骨格を隠すようなボリュームのある服にし、対照的にナミは露出が大きい。
万一、いきなり胸を触ってくるような場合に備えてナミが惹き付ける算段だったが……
(なんなのこの敗北感)
鼻の下を伸ばしたカネカにキャビアだのなんだのと甲斐甲斐しく勧められる彼に妙な対抗心を覚えるが、今はそんなくだらない感情に付き合う必要は無い。
アイコンタクトを送る。
「もし記憶が戻らなかったら、どうだね、わしが一生面倒を……あの絵が気になるかね?」
壁に掛けられた絵画、その一点のみを見つめる彼にカネカは気付いた。
「ええ、とても」
中性的な声色に、カネカはますます興味を持った。
「ああ、あれか。アレは西の海の故トーアの初期作でね、買った当時は無名だったが今となっては家が買えるほどの価値がある。この船にはああいった美術的価値のあるものが積まれているんだ、もし興味があるなら」
「では、
隙あらば自慢チャンスを逃さないカネカは「よし、任せなさい」と二つ返事で立ち上がり、ナミを伴って船内倉庫へと案内を始めた。
貴重品専用に造られたそこには複数の見張りと厳重に施錠されている。
やたらとしつこく彼の趣味趣向を訪ねてくるカネカを適当に躱しながら、ナミは内心でほくそ笑んだ。
第三者がいた場合の、不自然な命令を避ける為の会話運びも問題無い。教育の成果だ。
掟を立てる時は可能な限り対象が一人の状況が望ましく、第三者がいる場合は会話に潜伏させる。これはナミが取り決めた原則だ。
掟は一度に複数人を対象に取れないので、次の相手まで一秒程度、文言によっては数秒のタイムラグが生まれる。その場にいたもう一人が能力者や戦闘経験豊富な者なら、その僅かな隙を突かれて危機的状況に陥る可能性が発生しかねない。
そんな手練れと鉢合わせる状況はそう無いと踏んでいるが、念には念を入れるべきだ。
今頃彼はその原則を守り、一対一の状況で愛人相手に仲間になれ、と掟を立てているはず。ナミが考えたシンプルな文言で。
倉庫に入ると、丁寧に梱包された大小さまざまな箱が並んでいた。その内の手ごろな一つをおもむろに開けてみる。深いワインレッドのベロア生地で覆われた重厚なジュエリーケースだった。蓋を開けると、妖しくきらめくサファイアをあしらったバングルや精緻な細工が施された銀の指輪が、薄暗い倉庫の中でも眩い輝きを放っている。
ひと目で本物と分かる一級品だ。
「ねぇ、どれでも選んでいいのよね?」
「構わないが、連れのお嬢さんをあまり待たせない程度にな」
「オッケー、じゃあこれとこれと……これもね!」
おそらくナミが色仕掛けをしても、カネカは願いを聞かなかっただろう。いくら美女とはいえ、出会ったばかりの人間の目の前に大事な財宝を並べるほど愚かではない。
できれば見張りたちの手も借りて大量に運び出したかったが、盗みの鉄則として仕事に関わる人間は少ない方が良い。人間に自由意志が備わっている以上、不確定要素は可能な限り排除しなければふとした事で計画に綻びが生じるものだ。
そうして持ち出された絵画はたった一点だけで、多くは貴金属の類いだった。小さく、持ち運びに困らず、それでいて価値の高い、つまりはまとめて盗み易いものばかり。なんなら札束の詰まったケースまであるが、ナミが選んだのだからカネカはそれに問題があると考えることが出来ない。
「ほら、カネカさんもこれ持って!」
カネカにも持たせて、両手いっぱいの箱を手にキャビンに戻り、ドアの前で固まった。閉ざされた扉の向こうから、何やら熱を帯びた、いかがわしい吐息と艶めかしい声が聞こえてくる。
まさか……と器用に脚でドアを開ける。
「なに盛ってんのよ!!」
ナミの目に飛び込んできたのは、乱れたドレス姿のモアの上に跨がり、妖艶に、かつ激しく腰を揺らしている愛人の姿だった。
箱を持ったまま、愛人の頭に踵を落とす。
「いった~~い。なにすんのよ!? 仲間相手に!」
涙目になりながら、信じられないといった表情で反論する。
「こ、これはどういう……お嬢さんにご立派なアレが……」
状況が飲み込めないカネカが箱をどさどさと落として頭を抱える。
混乱するカネカに、彼は計画どおり掟を立てた。
「夜までおれたちを匿い、資産を持たせて逃がせ。この事は秘密にしろ」
「わかった……うぅ、っ……あんな美女に、しかもわしより立派なアレが生えてるなんて、わしは……わしはぁっ!?」
カネカは血走った目で胸のあたりをぎゅっと押さえつけた。こ、この動悸はいったい!?
「いやッこれはこれでアリだッ! 逆にお得ッ、お嬢さあぁーん!!」
「おまえもどうしたぁ──!!」
彼に駆け寄るカネカにナミの踵が炸裂する。
「で、どういうこと。一から説明しなさい」
不機嫌に腕を組んだナミの前で、カネカと愛人が正座している。
軟らかなソファに座った彼が説明した。
計画通り一対一の状況で掟を立てて仲間にした後、愛人の煽情的な下着姿を見ていたらなんだかチンチンがおっきくなってしまい、それを目ざとく見つけた愛人が食った、という訳だった。
「別にいいじゃない」
正座させられている愛人が、ムスッと不満げに唇を尖らせた。
「あんたの男って訳じゃ無いんでしょ?」
「は!? あのねぇ……」
一蹴したいがなかなか言葉が出てこない。しかし仲間となっているだけに、説明が必要だ。
「あ、あたしたち今、仕事中なんだから! ちょっとは場所と状況を考えなさいよ!」
「でもおれ、あれ好きだ」
横から悪びれなく彼が口を挟む。
「そりゃっ……まあ、そうでしょうけど。ていうかいい加減、その……小さくっていうか、なんとかしなさいよ!」
ナミは顔の赤さを怒りで誤魔化す。
ズボンを履かせたとはいえ、まだいきり立つそれは主張していた。カネカの熱い視線が注がれている。
引き抜かれた時の男根が、まだナミの目に焼き付いて離れない。
風呂場で一度見たはずだが、あの時は救命の為でそんな事を気にしている場合ではなかったし、大きくなっていなかった。髪もぼさぼさで男として認識してなかった。
「一発出さないと苦しいわよねぇ、かわいそー、それでも仲間なの?」
「ぐぅっ、この女……」
ニヤニヤとあからさまに挑発してくる愛人に、鉄拳を食らわせようかと拳を握りしめる。
「ハァハァ、ではワシが」
「あんたは一生黙ってなさい!!」
「ぐぇぉっ」
カネカの横っ面が鉄拳を食べた。
(やっぱ性教育は必要だったか。いつかはやらないとと思っていたけど、同い年か年上の男相手にそれは気まずいから先延ばしにしていたツケね)
愛人にひとまずの性処理を任せる事に作戦上の問題は無い。
ただ、ナミは別の問題を危惧していた。
彼との関係は、たまたま拾って衣食住の面倒を見てやった事に起因する。その事に恩を感じてはいるだろうが、それだけだ。金というビジネスで繋がっているわけでもない。
ペットのような主従関係に近い。そう、ペット。待遇が良ければ飼い主を変える事もありうる。というか、自分なら利益の為に裏切るという指針の下で生きているので、彼が愛人の方になびく危険性は誰よりもわかっていた。
もし性の虜となり、主人を変え愛人の方の言う事を聞くようになったなら……多大な損失だ。
(悪魔の実の能力者よ? それをぽっと出の女に盗られてたまるもんですか!)
「わ、わたしがスるから、あんたは引っ込んでなさい」
「はぁ、まあエッチは諦めるけどさ。それはそれとして……」
愛人はつまらなそうに立ち上がると、カネカが床にぶちまけた煌びやかな財宝の山を、赤いペディキュアを塗った足先でツンと指し示した。
「これを盗むんでしょ? わたしの取り分はちゃんとあるんでしょうね?」
「はぁ? あるわけ」
無い。
ナミは言いさし、ハッとして口元に手をやる。
(そうか! 仲間になったんだから当然こういう報酬の要求も発生しうる……盲点だったわ!!)
ナミの望んだ、組織の為に働く仲間ではなく。仕事に対して対価を要求するという愛人にとっての仲間の認識で、食い違いが起きてしまった。
自他の主観によって定義が違う場合、本人の主観が優先されるのだ。
やはり実戦からしか得られない知見はある。
(今回は新たに掟を立てれば解決するけど、土壇場で状況に合わせた要件定義を決めるのはあいつには難しそうね。起こりうる予測よりも何よりも、まだ知らない言葉が多すぎる)
逡巡していると彼が尋ねた。
「ナミの穴に入れていいって事?」
「言い方……いや知らないか。しばらくこの二人を船の適当な所で時間潰させて」
掟を立たせ、二人きりになる。
「どこから説明したもんかしらね。いい? まずああいった事は、大切な人としかしないの」
「それは……本当?」
彼はナミの事を賢いと思っているが、経験した現実と食い違っている。あの愛人の事は別に大切ではないし、なにより、あの島では……
「そう言われると、場合によるけど」
「ナミの事は大切だけど」
「ああ、まあ、いいか、もう」
シャワーを浴び、あとは消化試合といったところ。一般配置図で確認済みだが、この個人キャビンの窓からでもわかる通り、側面には脱出艇が備え付けられている。部屋から直接乗り込めるようになっており、有事の際は一人だけでもいち早く逃げる為のカネカの自己保身的象徴。
だがその保身の結晶を、今回はナミとモアの二人がそっくりいただくことになる。
脱出艇とはいえ航海中も快適に過ごせるよう内装はしっかりと設えており、ちょっとした小型船と言ってもいい。
後はお宝を積み込み、逃走するのに適した海流のある海域までカネカ丸が航行するのを待つだけ。当然、その時の天気も有利に働く。
「ナミは先の天気がわかるのか?」
ふと、ソファに腰掛けたモアが不思議そうに尋ねてきた。
「そ。だいたい肌に触れる空気の湿気や風のうねりで、これから起こる気候の変化が感じ取れるのよ。あとは、これまで積み重ねてきた経験と勘ね。あたしの天気予報は百発百中よ」
ナミは冷蔵庫からスパークリングを取り出し、グラスを二つ用意した。
「だから、それまで適当に前祝でもして時間を潰しましょ」
もちろん、逃げる時は飲食料を忘れずに。
:::
暗い夜の海を滑るように進む脱出艇の中で、ナミは完全に有頂天になっていた。
信じられないほどの財宝に札束。一度の仕事での儲けとしては、これまでの人生の最高記録を大幅に更新していた。
眩しいほどの大きな宝石が台座に収まるジュエリーの数々を両手の指、腕、首、とにかく着けれるだけ着飾り、鏡の前でポーズとったり彼に見せつける。
「どーお? この輝き、いったいいいくらになるのかしら」
「光ってる」
「こういう時は見たままじゃなくて、似合ってるとか、美しいとか、わたしを褒めるもんよ」
呆れながらも笑みをこぼし、ナミは棚から開けたワインをグラスに注ぎ、一気に煽って祝杯を挙げた。
「ナミ、掟を使う掟について考えてみた」
「ん、言ってみて」
ワインを喉に流し込むナミに、モアがぽつりと言った。
「ナミの事を仲間だと思ってるから使いたくなかったのかも」
「気が合うわね~わたしもあんたの事、大事な仲間だと思ってるわよ」
機嫌よくグラスを呷り、しかし内心その言葉を鼻で笑った
(仲間、ね。勝手にそう思ってくれてるのなら、こっちとしては便利に使えて助かるけど)
今まで何人もの仲間を裏切って来た彼女にとって、その言葉自体は身に染みて薄氷に過ぎた。
「てめえ裏切りやがったな」だとか。「信じたおれがバカだった」だとか。「仲間を置いて逃げやがって」だとか。酒のアテにもならない。
そんな事より、と満足そうに舌なめずりして五指を広げて嵌められた指輪を眺める。ワインが進む。
ナミは、育った村をアーロン海賊団という魚人たちに支配されているが、一億ベリーと引き換えに解放を約束していたのだ。
目標金額まであと何回か仕事をしなければならないと思っていたが、今回の分でおつりが出るだろう。それもたっぷりと。
(これでココヤシ村を買い戻せる)
いやそれどころか。とグラスを掲げ、彼をその曲面越しに見る。おそらく初めてのアルコールに顔を赤くしてソファでダウンしていた。
(……なにもアーロンにバカ正直に一億ベリーなんて大金を払って村を買い取る必要、ないんじゃない?)
いつもの利己的な思考がアルコールで加速する。
(こいつを使ってアーロンを消せば、今まで血の滲むような思いをして集めてきたお金は全部わたしのモノに出来る!)
どんな方法が考えられるだろう。なるべく安全で高い効果が期待でき、失敗してもじぶんには火の粉が掛からない案。
彼とアーロンを対面させて掟で殺させるのは安直だ。
仲間になれと命じても、アーロンの主観で人間の仲間を魚人と対等に扱うとは思えないし、仲間だから絶対に裏切らないという観念の持ち主ではない可能性もある。
それにアーロンの周りには常に仲間がいる。自死を命じてその通りになる事が起きれば、その場で全員を一度に始末しない限り、彼を引き合わせた自分が裏切り者として殺されるかも。
となると海軍を使うのが妥当に思える。失敗してもリスクが無い。
コノミ諸島という僻地ゆえなかなか海軍が来ないが、彼を使えば容易に動かせるだろう。
ただ、アーロンを倒せるほどの戦力を動かさなければ意味が無いので、どこか大きな街で警邏中の下っ端に命令し、上司に引き合わせる。そしてそのまた上司に、といった具合である程度の役職に辿り着き、最後にアーロン討伐を命じさせればよい。
(アイツ一人にやらせれば私の安全も担保されるし、仮に海軍が失敗した時は一億ベリーを払えばいい)
ただ、この計画には一つ問題がある。
いきなり僻地に大軍を動かした不自然さは軍内部で疑問に思う者も出るだろう。命令は必ず遂行されるので問題無いが、事後の調査で彼が不自然な軍事的判断の介入人物として挙げられるに違いない。
水に漬ければ能力者とすぐにバレるだろうし、海軍高官に能力を使ったとあれば犯罪者として重く処罰されるだろう。
(悪事に使ったわけじゃないし、死罪は無いだろうけど)
彼は海賊ではないし、悪人でもない。これまで同じように、裏切ってしかるべき相手ではなかった。
(わたしには夢がある……ココヤシ村を救って、自分の目で見た世界の海図を描く。このお金があればその為の資金として……)
拳を握りしめる。硬い金属の感触が皮膚に突き刺さる。
ナミにとって仲間とは海賊から財宝を盗むために偽る関係性の事で、常に裏切りで終わらせてきた。
しかし初めて彼という海賊ではない存在から仲間と呼ばれた事に、どう終わらせてよいかわからないでいた。
相手が海賊だから裏切る。では海賊ではない相手に対しては?
グラスの残りを一気に干して、小さく息を吐いて呟いた。
「ねえ……あんたに夢はある?」
彼にそんなものは無いだろうという事は、わかりきっていた。せいぜい毎日の食事ていどだろう。
それは免罪符だった。自分には夢を叶える大義があり、その為に犠牲を払うのだという。程度の低い夢なら、踏み台になってよ、という。
今までだって何人も裏切って来た。それと何が違う? 案外、牢屋の生活は彼にとって幸せなのではないか?
食事が出て、適度に清潔で、出会った時のように痩せこける事も無い。
手に入れた大金は、人を惑わせるのに十分過ぎる金額だった。
ウトウトした彼が、うっすらを目を開けてナミを眺める。
「なんでそんな事聞くんだ?」
胸の内を見透かされた気がして、ナミは固唾を飲んだ。
「夢って、寝てる時によく見る苦しいやつだろ? 好きじゃない」
彼には悪夢しかない。
言葉が出なかった。いや、なんとか捻り出す。
「違うわ。生きてる先で、なにかしたい事とか、頑張りたい事とか、願いとかよ。願いってわかる?」
「願いはわからないけど、したい事ならわかる、もう終わった。ナミと会えて、違う場所に行けた。外が違うってわかった……けど」
「けど?」
「今はもっといろんな場所に行きたい、もっともっといろんな人間に会ってみたい。これって新しい夢?」
少しだけ期待を込めるように、ナミを見つめた。
ナミは黙って頷いた。しばらくして、急に興味が薄れたように指輪を外していく。それはもはや、人を惑わす妖しい輝きを失っていた。
「モア」
「?」
「あんたの名前。考えといてって言ってたでしょ? もっと多くの、って意味。モアがもっといろんな場所に行けて、もっと色んな人に会えますようにって」
「もあ、モア……ありがとう。いいと思う」
「嫌って言ったら一億ベリーになってたから」
「意味がわからない」
ナミは、彼をココヤシ村の問題に関わらせるのはやめた。
これはじぶん一人でケリを付けるべきで、わざわざ新しく夢を見つけたばかりの無関係な男を、そんな危険に晒す必要は無いから。
外していった宝飾品を静かに箱へ戻しながら、ナミは心の中で、誰にともなくそう強く誓っていた。