掟の底食い   作:ちわわのちくわ、

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第五話 灯台

 アーロンは拠点で、脅しをかけたチュウが帰るのを楽しみに一杯やっていた。

 

「まったく、あきれた連中だぜ人間ってのはよ。シャハハハ」

「けどおれたちも、まさかそんな方法があるなんて思いつきませんでしたぜ」

「名案だろ? ナミとの約束は守ってココヤシ村からは手を引いた。だが、それ以外の場所はおれたちのもんだから立ち入らせねえ」

「そのうちそのうち飢えに耐えかねた村の連中から泣きついくるって寸法ですか。お願いしますアーロンさん、また支配してください……って具合に」

 

 ドッと、下劣な笑い声が弾けた。

 すでに手下に港の海中と村の周りを見張らせている。いまさらどうにもできない。

 できはなしないが、クロオビとしては懸念点があった。

 

「けどナミは一人で一億ベリーを集めきった執念深い女だ。ひょっとしたらかなり粘るかもしれねえぜ」

「それも問題ねえ。ナミにゃあ一日でも早く海図を描いてもらわなきゃならん。手は打ってある」

 

 アーロンは残った酒を一息に飲み干し、グラスを乱暴にテーブルへ叩きつけた。

 冷酷な瞳が鈍く光る。

 

 

 

 :::

 

 

 

 果たしてココヤシ村は自給自足が可能なのか。

 食料のメインとなる魚が採れない以上、動物性たんぱく質の摂取が課題だった。畜産も鶏卵が主でそれほど家畜が多いわけではない。穀物類を育てているので飼料はなんとかなるが。

 しかし代替不可能な薬が無くなれば、軽い怪我や病気が一気に村の平均寿命を縮ませかねない。

 

 村は陰鬱に沈んでいる。前日のお祭り騒ぎに酷く後悔した。

 こうなるとわかっていれば食料を少しでも蓄えに回していただろうが、それを見越して酒を振舞ったのだろう。

 

「ナミは元気がない」

 

 ナミの家のリビングで、モアが見たままを言った。

 ゲンゾウの肩を借りて帰宅してぐったりと意気消沈したままだ。テーブルにつっぷしている。

 

「なにがあったんだ? 上から見た村も元気無さそうだった、村はどうなってる?」

「モア、今はちょっと」

 

 ノジコが躊躇いがちに遮るが、ん~そうね。とナミは顔を上げて気丈に努めた。

 

「このまま隔絶されると緩やかに衰退して、ある一定数の人間が低い文化レベルで生き永らえる状況に落ち着く感じかしら」

 

 もちろんこれは極論だ。現実的には再びアーロンの支配下に着地するだろう。

 

「言葉が難しい。わからない」

 

 ナミは自嘲気味に笑った。

 

「ごめん。わたしたちはアーロン一味に閉じ込められてて、どこにも行けない。段々と食べるものが少なくなって人が減って、何十年かしたら専門的な道具の使い方や色んなやり方が忘れられ、少ない人数なら貧しく生きていけるかも。それで──」

 

 底が作られる。

 

「──それで、え、なにか言っ……」

 

 ナミはなぜだか喋るのを止めていた。

 いつもぽけーっとしている彼の顔と変わらない。変わらないはずが、彼の中の空洞さとでも言えばいいのか、何かがどこまでも深くて遠く感じられた。確かに目の前に実在しているのに。

 

 モアは底に対する怒りや悲しみを有していなかった。彼にとって底とは掟で、言うなれば世界を動かす規則であり、それを善悪や倫理で咀嚼する事は出来ていない。

 仮にココヤシ村で掟により底が作られ、自身が再び底の任に命じられれば従うだろう。

 

 それとはまた別に、彼の中に一つの不可解な感情が芽生えていた。

 ナミやノジコ、村の人たちが底にされるのは嫌だ。彼にその区別がつくことはなかったが、だからまだ間に合うなら底を作らせたくないと思っていた。

 

 重苦しい沈黙の中、ドアが叩かれる。

 

「はーい、どちらさま」

 

 ノジコが警戒しながら玄関を開ける。そこに立っていたのは、十人ほどの武装した海兵たちだった。

 助けが来たのか? 

 ネズミと名乗った海軍大佐は部下と共に押し入って、細い目をさらに細め、陰湿な笑みを浮かべてナミを眺める。

 

「われわれはアーロン海賊団の討伐に来た」

 

 その言葉に、ナミとノジコは息を呑んだ。信じられない。今までの艱難辛苦が報われた気がした。

 

「さしあたってその一味であるナミ、おまえを拘束する」

 

「なんで!?」

 ノジコが動揺しながらも抗議の声を上げる。

 

「ナミはもうアーロンとは関係ない! だいたい、どうしてこの子を……さっさとアーロンを捕まえに行けばいいでしょ!!」

「……相手は魚人、われわれとしても事を構える前に敵方の内情を知る必要がある。構成員の数、兵器の所持の有無、拠点の造り。海賊と戦う事はわれわれの使命の内の一つではあるが、だからと言って考えなしに部下を危険に晒す事はしたくない。彼らにだって、無事を祈る家族がいるのだ」

 

 ネズミは鼻で笑う。

 

「だから、アーロンの手下であるナミを捕えて尋問する。なんの不思議がある?」

 

「この子はもう海賊を辞めたの!」

 

 ノジコがナミを庇うように前に出ると、海兵の一人が睨みを利かせながら怒鳴る。

 

「おい! 海軍を舐めるなよ? 海賊が捕まりそうになったら、海賊を辞めたので見逃してくださいなんて通用するわけないだろうが! アーロンが同じことを言って、じゃあ仕方が無いで捕まえなくていいのか? 引っ込んでいろッ!! ……小娘が」

 

「おいおい、一般人にそう強く当たるな……とはいえ、わたしも鬼ではない。それなりに譲歩しよう」

 ネズミは自慢の三本髭をしごく。

「自首の機会を与える。そうすれば刑も軽くなるだろう、多少な。しばらく港に停泊するので、出頭するように。くれぐれも……くれぐれもアーロンパークに戻るなよ? われわれも入念な準備がないと、魚人のねぐらに居るやつには、おいそれと手は出せんのだからな……わかるだろ? え? 泥棒猫のナミ」

 

「あんた……アーロンの差し金ね」

 

 ナミの瞳に憎しみが宿る。

 要するに、逮捕されたくなければ一味に戻れと言っているのだ。そうすれば手出しはしないと。

 

「われわれは海軍だぞ、失礼な女だ……尋問ではたっぷりと絞ってやるからな」

 

 ネズミが好色の視線を、ナミの肢体を舐めるように這わせる。

 船の中では、何が行われてもおかしくない。

 ましてや劣情を煽る女の海賊相手とあっては尚の事。

 

「待(・)て(・)」

 それまで沈黙を続けていたモアが、背を向けたネズミを呼び止める。

「あ(・)ん(・)た(・)一(・)人(・)と(・)話(・)し(・)た(・)い(・)」

 

「ふむ? まあ……いいだろう。おまえたちは家の前で待機だ」

「ハッ!」

 

 ぞろぞろと部下たちが家を出る。

 ナミは彼に振り返った。このどこか不自然な行動は。

 

「待って! モア!」

「ア(・)ー(・)ロ(・)ン(・)一(・)味(・)を(・)捕(・)え(・)ろ(・)」

「くくく、当然だ」

 

 酷くあっさりとしたやり取りだった。だが、ナミにはモアが何をしたのか理解できた。

 

「モアッ!! 取り消して!」

 

 ナミは血相を変えてモアの胸倉を掴んで必死に言い寄る。ノジコは何が起きているのか分からず、ただ呆然とするしかない。

 

「いい? 海軍を使うにしてもあいつはダメなの! アーロンと繋がってるのに、急に心変わりして捕縛するなんて明らかにおかしいでしょ!」

 

 仮にネズミがアーロンに捕縛され、なぜ裏切ったのかを問いただされた時にモアの件が露見するとマズいのだ。

 流石に掟の詳細な力に辿り着かれることは無いだろうが、強襲されると太刀打ちできない。

 それにモアの能力は、存在が秘密に包み隠されている時にこそ、最も有効に働くのだ。

 

「モア、あんたがこの件に関わる必要ない。アーロンに目を付けられたら殺されるかもしれないのよ!?」

「別にいい」

「なんでよ!?」

「どのみちアーロンとは戦う事になるから」

 

 ナミは涙声で怒鳴った。

 

「なんであんたが勝手に決めてんのよ! これは私とココヤシ村の問題よ! 死ぬ可能性だって」

「ナミはおれの仲間だから。仲間が苦しんでるなら助けたい」

 

 ナミは胸の奥が締め付けられるようだった。胸倉を掴む手の力が抜け、どうしていいかわからず、下を向く。

 モアの助力があれば事態をコントロールしやすい。無敵の能力ではないが、使い方を選べばココヤシ村は……だが、それにはどうしてもモア自身に危険が伴う。

 

 自分のために、この不器用で世間知らずで、夢を持ったばかりの男を巻き込むわけにはいかない。

 

「ナミはいま、すごく悪い所にいる。悪い所の一番深い……底に近づいている。俺はそれが嫌だ」

「そんなこと、誰もあんたに頼んでない」

 

 モアのこころに、亡骸を海に添えた時の情景が浮かぶ。

 

「ナミは俺の頼みを叶えてくれた。だから今度は俺がナミの頼みを聞く番だ」

 

「頼みを叶えた? わたしが?」

 

 命を懸けるほどの事をした覚えは無かった。

 顔を上げる。モアは少しだけ、ほんの少しだけ笑っているように見えた。今にも泣き崩れそうなナミを安心させる為に、ぎこちない微笑みを無理やり浮かべようとしている。

 

「名前をくれたろ」

 

 ナミはなんだか胸がいっぱいになって、ちょっとだけ泣いて、言った。

 

「……わたしと一緒に、アーロン達を殺して」

 

 

 

 :::

 

 

 

「逆に考えましょう。ネズミはアーロンと繋がってる。だから戦力の規模もある程度知ってる。今頃は支部に戻って、それに相当する戦力を集めているはず。でなければ捕える事は出来ずに玉砕するだけだから」

 

 だからまずはネズミの動きを見てから次を考えるのが上策と判断した。

 数日後、ナミの予想は半分は的中し、もう半分は村人が浜で見つける事となる。

 ネズミの遺体が海を流れていた。

 周囲に海軍の船の残骸らしきものも無くたった一人で。しかも、軍服ではなく普段着のようだった。

 

 ナミは顎に手をやり逡巡する。

 

(なぜ? たった一人で突撃した? 他の海兵を連れずに、軍艦も無く? そんなのただの自殺行為じゃない!?)

 

 部下が怖気づいて着いてこなかった? だとしても軍服を着てないのはおかしい。

 何か、モアの能力以外の力が働いているように考えられる。が、それを確かめる手段はない。

 

(となると、いよいよわたしたち自身が動かなきゃって事ね)

 

 

 

「この村は孤立してる。ごめんなさい、わたしのせい」

 

 その夜。ランプの灯りが揺れる村の集会所で、ナミは集まった村民たちを前に深く頭を下げた。

 

「ナミちゃんのせいじゃねぇよ!」

 

 誰かが大声で叫んだ。それを皮切りに、他の村人たちも次々と声を発し始める。

 

「そうだ! 謝るのはお前じゃない!」

「顔を上げてくれ、ナミ!」

 

 村人は誰一人としてナミを責めなかった。彼女はたった一人で何年も苦しみながら泥を被り、村を救う事だけを考えていたのだ。

 結果としてアーロンの狡猾な罠に嵌められ、事態が最悪の方向へ転がったとしても、彼女の身を切るような献身が真に尊いものであることを、ココヤシ村の人間は誰よりも分かっている。

 

「……ありがとう。それでね、わたし、諦めようと思った。またアーロンの下で働いて、別の機会を待とうと思ったけど……」

 顔を上げ、太陽のようにからりと笑う。

「ムカつくからやり返すわ!」

 

 強がりと持ち前の負けん気が混じったその笑顔に、張り詰めていた村人たちの顔に微かな笑みが浮かぶ。

 

「だけど、もし、また上手くいかなかったら、その時は無責任だけど後はお願いね、ゲンさん」

「断る」

 

 ナミの言葉を、ゲンゾウが低く力強い声で一刀両断した。

 

「え? いやだって」

「わしは、わしらの怒りはアーロンだけではい。それは過去のおまえじゃ、ナミ! どうして今まで一人で戦ってきた、一億ベリーを貯めるのであれば、村の人間だって稼ぎは少ないが、一ベリーでも節約しておまえの助けになりたかったよ……」

 

「そうよナミちゃん水臭い」

 恰幅の良い村の女が身を乗り出す。

「旦那のへそくりだって多少の足しにはなったのに」

 

「おれぁ一日に一本の煙草が楽しみだったが、完全に禁煙して浮いた金をナミに託したかったぜ」

 

「だから今回は、今回こそはわしらも戦う。嫌とは言わせんぞ」

「そうだそうだ。だいたいアーロンの野郎、約束は守るとか言ってるが詐欺みてえなもんじゃねえか」

「ナミを自由にするとか言ってやがったが、全然自由じゃねえや」

「それに、ココヤシ村はもう魚人の指図は受けねえんだ、俺たちのやり方でなんとかしようぜ!」

 

 集会所が熱を帯びた歓声に包まれる。

 血が流れるだろう。死人も出る。だが、それでもたった一人の少女にすべてを担わせるわけにはいかなかった。

 ナミは、じんわりと熱くなる目元を誤魔化すように、ふっと口角を上げた。

 

「わかった。みんなの気持ちを止める事はしない。けど、まずは試したい事がある」

 

 掟は一度に複数を対象に取れない。アーロンだけを自死させても、常にいる大勢の取り巻きに殺される。

 やるなら一撃で、取り巻きごと殺しきる必要がある。

 

 この作戦が上手くいかなかったとしても、モアの力でアーロンだけは殺せる。それを次善策と考えれば賭ける価値はあった。

 

「まずは村中からかき集めてほしいものがある」

 

 

 

 :::

 

 :::

 

 

 

 ココヤシ村を内地から完全に隔絶させるため、村へと続く道のいたるところに魚人の見張りが配置されていた。とはいえ、軍隊が城を包囲するような隙のない陣形というわけではない。なだらかな畑道や他の村への道など、要所にぽつりぽつりと一人か二人が立っているだけだった。

 

 そもそも、魚人と人間とでは生まれ持った膂力が何倍も違う。

 人間が数人襲い掛かってこようが問題はないし、それにアーロン海賊団の頭数にも限りがある。

 受け持つ魚人は暇だった。どうせ誰も来やしない。

 肌寒さに腕をさすりながら大あくびすると、どんよりとした曇り空の下、向かってくる二つの人影が目に留まった。

 

「……ん? ナミじゃねえか。隣の男は見ねえ顔だな」

「おいおい! アーロンパークなら反対方向だぜ。村の孤立を許してくださいって頼みに行くならよぉ」

 

 魚人たちは下劣な笑い声を上げて、退屈の中にやってきたおもちゃで遊ぼうとした。

 だがナミたちはその歩みを止めない。

 

「いいの。ていうか孤立してるのはあんたたちだし、逆に好都合だわ」

 

 ナミは冷めた視線できょろきょろと辺りを見回す。畑ばかりで、他には誰もいない。

 

「はあ?」

「村がダメなったんで、とうとうおかしくなっちまったか? しっかりしてくれよ」

 

 ナミの口角が、不敵に吊り上がる。それは憎いアーロンの下で気丈にも部下でいた顔ではなく、絶望の淵で悲哀に暮れる顔でもなく、標的を罠に嵌めた泥棒猫の顔だった。

 意味が分からず、魚人たちが不快げに眉をひそめる。

 

「やるわよモア」

 

 モアが頷き、魚人の一人に向かって静かに口を開いた。

 

「コ(・)コ(・)ヤ(・)シ(・)村(・)か(・)ら(・)半(・)日(・)泳(・)い(・)だ(・)海(・)の(・)中(・)で(・)死(・)ね(・)」

 

 低く平坦なその声は、魚人の持つ普遍的な規則を捻じ曲げた。

 

「そうするよ」

 

 魚人の一人が、隣にいる仲間にも目の前のナミたちにも一切目もくれず、ただただ人形のように海の方角へと一直線に歩き出した。

 

「お、おい! おまえ急にどうした!? どこ行くんだよ」

 

 残されたもう一人の魚人がギョッとして相棒の背中に怒鳴る。しかし振り返ることは無かった。静けさだけが、どんよりとした空気の中に取り残された。

 得体の知れない事態に、魚人の背筋に嫌な汗が伝う。

 モアは、混乱に目を見開く魚人へと、ゆっくりその暗い瞳を向けた。

 

「動(・)く(・)な(・)。(・)他(・)に(・)魚(・)人(・)が(・)見(・)張(・)っ(・)て(・)る(・)場(・)所(・)を(・)言(・)え(・)。(・)そ(・)の(・)後(・)、(・)コ(・)コ(・)ヤ(・)シ(・)村(・)か(・)ら(・)半(・)日(・)泳(・)い(・)だ(・)海(・)の(・)中(・)で(・)死(・)ね(・)」

 

 不条理が再び静かな畑に響き渡った。

 

 

 妙な胸騒ぎする。

 アーロンパークでふんぞり返るアーロンの胸中に、チリチリとした妙な胸騒ぎが渦巻いていた。

 村に隔離を告げに行ったチュウが数日経っても未だに戻らない。海獣のモームも姿を見せず、定期的に行われるはずの陸地の見張りの交代すら、一向に帰ってくる気配がないのだ。

 

 それに加え、いままで賄賂で良好な関係を築けてきたネズミが急に捕えるだなんだのと錯乱して襲い掛かって来たのも。なにかおかしい。

 

(海中から港を見張っている部下たちは帰ってきた……主に異常が起きているのは陸地だ)

 

 誰かが魚人狩りを行っている。

 だが、どうやって? 魚人と正面から戦えるような人間などそういない。少なくとも東の海では。

 確信こそないが消去法で考えれば、やるとすれば腑抜けた村人どもではなくナミくらいしか思いつかない。なんせ本当に一億ベリーを集めた根性と反骨心のある女だ。

 

 とはいえ、やはりただの小娘に屈強な魚人を倒せるはずがない。ならば、どこからか厄介な協力者を連れ込んだと考えるのが自然だ。

 

「……こりゃ妙だぜ、どうなってんだ」

「チュウさんが人間なんかにやられるわけねェ」

「海の見張りは帰ってきてるんだから、無事だと思うが……だとしたらどうしてチュウとムーモだけが数日姿を見せねえんだ」

 

 広場に集まる同胞たちの間に、薄っすらとした不穏な空気が膨張しているのをアーロンは肌で感じ取っていた。同胞を何よりも愛する彼にとって、そして組織のボスとして、この状況で手をこまねいているわけにはいかない。

 アーロン海賊団の、そして魚人の面子に関わる問題だ。

 

「下等種族の分際で、小賢しい真似を……」

 

 アーロンが鋭い牙を鳴らして歯ぎしりしたその時、見張りに出していた魚人の一人が息を切らしてアーロンパークの門に駆け込んできた。

 

「あ、アーロンさん。ナミと知らねえ男が俺たちの仲間を攫って」

「詳しく説明しな」

「ナミと……見知らねえ男が、同胞を次々と攫ってるんです! たぶん、灯台に俺たち魚人を集めてるみてぇで……ッ! 俺にはもう何が何だか」

 

 容易に魚人を倒しているのなら、能力者の可能性が高い。

 

「何人かはここで守りを固めろ! 残りは俺について来い!」

 

 玉座から立ち上がり、幹部たちを引き連れて重い足取りでアーロンパークを出る。その後、戻ってきた見張りの魚人は仲間の制止も聞かずに海に潜り、半日ほど泳いだところで自死した。

 

 ぽつり、と、 冷たい雨粒がアーロンの鼻先を濡らした。強烈な向かい風が吹いている。

 見上げれば空は分厚い曇天に覆われ、今にもすべてを飲み込みそうな嵐の気配を孕んで、低く黒く淀んでいた。

 

 

 

 吹き荒れる強風が雨粒を弾丸のように変え、島すべてを容赦なく打ち据えている。

 十数人の同胞を引き連れて灯台に到着したアーロンは、嵐の空を突き刺すようにそびえる塔を見上げた。

 

 役割を失って久しいそれは、再び火が灯されていた。暗い空に確かに輝いている。まだ、船旅を導かんと懸命に。

 

 その炎の照り返しの中、灯室を囲む狭いバルコニーから静かにこちらを見下ろすナミと視線がぶつかった。隣に男がいる。報告にあった人間だろう。

 

「……ナミィ! 今すぐ降りてこい!」

「あら? 魚人がココヤシ村に魚人が何の用? わたしとの約束はどうしたの」

「ふざけるな! チュウたちを……俺の同胞たちをどこへやった!」

 

 アーロンの怒号が嵐の音を切り裂く。だがナミは怯えることなく、口元に不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「見た方が早いわ」

 

 それだけ言うと灯室に姿を消した。登って来いという事だろう。

 

「クロオビ、ナミの連れは能力者の前提で考えろ。妙な真似をしやがったら即座に殺せ」

 

 ここに来る途中で見張りの地点に寄ったが、戦った跡も血痕も残っていなかった。物理攻撃以外の特殊な現象を引き起こす超人系の可能性が高い。その場合の能力者自体を殺害すれば現象は解除されうる。

 また、ナミが直近で悪魔の実を食べたというのも考えにくい。もしそうなら、一人でやっている。そういう性格だ。

 アーロンは連れて来た同胞の中でも腕の立つ数人を引き連れて螺旋階段を登った。

 

 灯室でナミとモアは海側の手すりを背に立っていた。ずぶ濡れだったが、身体は緊張と高揚で熱い。

 チャンスは一度しかない。ナミはその身に受ける感覚に神経を研ぎ澄ませた。

 

「わたしの村に勝手に入ってくるなんて、どういうつもり? 約束が違うわ」

 

 大柄な魚人たちが、ゆっくりと現れる。

 

「いまさら知った事か。下等種族が魚人と対等な契約を結べると思うな」

 

 灯器では炎が高く燃え、アーロンの肌をひりつかせた。モアに視線を向ける。

 

「そいつがおまえに手を貸してるってわけか? ナミ。小娘一人に魚人を何とかできる訳がねえ」

「そうね」

 あっさりと同意する。

「わたし一人じゃ出来なかった。こいつがいたから、やろうと思った」

「何をやったんだ……おれの同胞たちに、何をしたぁッ!」

 

 モアはアーロンの剥き出しの殺意にまるで構わず言った。

 

「まだ生きてる」

「てめぇか、やりやがったのは。ここは俺たち魚人の縄張りだ、よそ者が何しにここへ来た!」

「お前を殺しに」

「ハッ! そうかい、じゃあ覚悟は出来てんだろうなぁッ! 同胞がどこにいるか喋ってもらうぜ!」

 

 牙を鳴らし、一歩前へ踏み出す。

 嵐の空が不気味に渦巻く。

 ナミの肌は、その変容を誰よりも早く察知していた。

 

 ──雨粒の色が変わった、落ちる匂い、金属の味がする──

 

 巨大な弓が引き絞られている感覚。

 

(──来る)

 

「モア、今よ!!」

「動(・)く(・)な(・)」

 

 言葉は全てを切り裂いてアーロンの耳の奥深くに滑り込んだ。暴風の音よりも、雨粒が打つ音よりも、自身の鼓動よりも、なによりも優越して。

 掟が立てられる。

 

 ナミがモアを抱いて灯台から断崖へと飛び降りた。

 アーロンは反射的に落下するナミの身体へ手を伸ばそうとした。部下たちの失踪の謎と、優秀な航海士をみすみす死なせたくなかったからだ。

 だが、身体はピクリとも動かない。脳が動けと絶叫しているにもかかわらず、その強靭な身体は鉄で鋳造されたかのように固まっていた。

 

 クロオビは、アーロンが硬直したのを見て思考を巡らせた。それはほんの数秒という僅かな時間だが、アーロンが同胞たちの失踪の謎を突き止めないまま、ナミたちを黙って逃がす訳が無いのだ。

 つまり、妙な事が起きている。

 アーロンに対する忠誠心は、その感覚を頼りに身体を動かしてすぐさま自身も手すりを超えた。ほとんど条件反射に近い。

 

 どういった能力だとか、能力を使った瞬間はいつだったかだとか、そういった思考は二の次にしてアーロンの言葉に従う。モアを叩き殺す為に灯室から飛び出すが、一手遅かった。

 

 天地が逆さまになる視界の中で、ナミは上空から追ってくるクロオビと視線が合った、その後方で炸裂した白銀の閃光を見た。

 

 灯台の屋根には、村中からかき集めた銅と銀で造られた細い細い尖塔が取り付けられていた。

 銀の装飾や銅製の調理器具を中心に、中は形見や婚約指輪もあった。船底から引き剥がした銅板、出荷用のジャムを煮詰める為の銅鍋。大切な思い出の品、明日の仕事道具を投げうってまでナミにすべてを託したのだ。

 

 電気抵抗が低く柔らかい金属は加工性に優れ、アーロン海賊団と戦うというココヤシ村の意思が形となり、航路を導く灯台の上で、鋭い槍となって空に掲げられていたのだ。

 雷雲の放電が槍の穂先の電荷を掴み取る。空気が絶縁破壊され、それを道理としてこの地に見ゆ。

 

 灯台に掲げられた槍に、ココヤシ村の意志に、天が答えた。

 轟音が耳をつんざく。

 

 誘雷され解き放たれた雷撃は、数億ボルトの超高電圧のエネルギーの塊となって灯台を直撃し破壊した。

 

 高空で細かく放電を散らす夏の雷とは対照的に、重く冷たい海風に押し潰され、地表すれすれまで垂れ込めた冬の雷雲は放電回数が少なく、膨大な電荷を溜め込んでいたのだ。

 

 一度限りの破滅的な電流と熱量に対して、アーロンの魚人としての規格外の肉体も、この海の頂点に立つという自負も、何の意味も持たなかった。

 鼓膜が破れ、電流が神経を焼き切り、数万度の熱が触れた箇所から皮膚が炭化し、心臓が止まった。クロオビも一手遅く、灯室にいた手練れの同胞も瞬時に同じ道を辿る。

 

 下で集まっていた十数人の魚人たちはその絶大なエネルギー量の余波を受けた。嵐が巻き上げた海水は電気を通しやすい導体となり、直撃を免れたとはいえその死にざまはみな似たようなものだった。

 

 

 

 寒さに身体をカタガタと震わせ、ナミは冬の海から砂浜にあがった。

 力の抜けたモアを抱いてこられたのは、灯台と浜辺の距離が近かったのと彼女が海流を熟知していたからだった。

 港とは離れているので魚人の見張りもいない。

 

 ナミは砂浜を踏みしめ、ようやく生きた実感がした。

 

(危なかった。クロオビは完全にモアを狙ってた)

 

 逃げて来たとはいえグランドラインでの戦いを知るアーロン一味なだけはある。モアが能力者である事は既に察していたのだろう。

 一瞬でアーロンの異変に気付き、モアを排除しようとしたのは海賊団ゆえの強固な指揮系統のなせる技か。

 

(いくらモアの能力が強力とはいえ、やっぱり隙がある。考えなしに取り巻きがいる状況で使っていたら、殺される可能性はもっと高かった)

 

「モア……わたしたち、やったわよ……モア?」

 

 海から上がったにもかかわらず、身体はぐったりとしたままだ。

 あらかじめ待機していたゲンたちが駆け寄る。

 

「ナミ! 無事か」

「ええ、計画は成功した……けどモアが」

 

 それを聞くと、若い村人が一人、ゲンと顔を見合わせたあと村に知らせるべく駆け出した。

 

 モアを仰向けに寝かせる。意識が無い。

(死んでは無いはず。やっぱり初めての冬の海中はリスクが大きかった!)

 

 悪魔の実の能力者ゆえにカナヅチではあるのだが、そもそも彼の人生には泳ぐという経験がない。

 事前に息を止めるといった対処法は聞いていたものの、やはり混乱して冬の冷たい海水を大量に飲んでしまった。

 ナミ自身寒さで震えながらも気道を確保し、口を開いた。ゲンに胸骨圧迫を任せて人工呼吸で応急処置を試みる。

 

(絶対大丈夫、わたしが助けるから)

 

 作戦に巻き込まなければ、モアはこんな目には遭わなかったのは事実だがナミに罪悪感は無かった。

 仮に逆の立場だったとしても決してモアを恨まないと確信していたからだ。

 それは事態がどう転ぼうとも命運を共にするという、仲間の意志に他ならない。

 

 やがて。がぼりと海水を吐き出してモアが目覚めた。

 

「モアっ!!」

 

 ナミが抱きつく。

「よかった、本当に」

「おれ、どうなってた? 覚えてない」

 

「おまえさんは、溺れてたんだ。もう大丈夫そうだな」

 ゲンもようやく一息ついた。

「しかし、まったくナミ、おまえはとんでもない航海士になるだろうさ。雷すら予測できるなんてな。それより集会所で火を焚いていてる、早く温まったほうがいい」

 

 連れられた集会所では雨合羽を着た村人たちが武器を手にしている。

 アーロンパークに残っている魚人は少ないとはいえ、種族としての隔たりがある。

 しかしそれが戦わない理由にはならなかった。今を逃せば魚人たちは逃げ、少数でも徒党を組んで復讐しに来るかもしれない。

 

 みな、並々ならぬ気迫を秘めていて、次は自分たちがやる番だ。八年間も耐え凌いだ苦しみを、自らの手で清算すると静かに燃えていた。

 そのはずだった。

 

「ちょっと待って、みんなはどこ!?」

「ナミたちの作戦が成功した知らせで、アーロンパークへ向かった」

「わたしたちを待つ手筈だったでしょ!?」

 

 モアが能力者であることは村人に伏せていたのが裏目に出た。秘密を知る者が多ければ多いほど、何が切っ掛けで漏れるかわからないからだ。この切り札は、アーロン側には絶対に知られたくなかった。

 

「待って、わたしたちも、行く」

 

 青い唇でナミが震えながら言った。

 彼も頷くが、もっと体調は悪い。

 

「バカを言うな。そんな弱った身体で何が出来る。かえって足手まといだ。だいたい、モアくんだってさっきまで意識が」

「おれなら、平気だ。行かせてくれ」

 

 ゲンは顔をしかめ、まるで苦渋の決断でもするように頷いた。

 

 

 

 時を同じくして、アーロンパークにココヤシ村の村民たちがなだれ込んだ。

 そこで行われた戦いは、決して華々しいものではなかった。アーロンと多くの同胞の不在という言いようの無い不安の中にあったとはいえ、相手は魚人。

 

 対して、訓練をした事のも無い素人が憎悪と意地を胸に、慣れない武器で戦いを挑むのだ。

 最初は虚を突き人間が優勢に見えたが、徐々に魚人の肉体的な面が盤面を傾けだした。

 

 村人の負傷者の数が増えだし、魚人の勝利という形でおおよその決着が付きかけた頃、その女は現れた。

 嵐の中にあっても優美に、羽ばたきと共にどこからともなく。

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