掟の底食い 作:ちわわのちくわ、
ローグタウンの夜が明けるのとほぼ同時に、ぶんどり号は静かに錨を上げた。
ナミは引き締まった表情で舵輪を握る。その横では、モアが甲板に座り込み、新しく仕入れたロープの感触を確かめるように不器用に結び目の練習をしていた。
「よっし、そろそろ出発するわよ。モア、わたしはイーストブルーの海図は頭に入ってるけど、これから向かう所は噂でしか聞いたことが無いの。だから覚悟してね」
「わかった」
「うふふ、グランドラインの入り口、リバースマウンテンに向かおうなんて海賊がほとんどだから、情報も少ないのよね。はい、ナミちゃんへのプレゼント」
「なに?」
ステューシーから手渡された紙を広げる
ナミは一瞥した瞬間、息を呑んだ。ただの海図ではなかった。リバースマウンテン周辺の複雑極まりない四つの海流の合流地点、季節ごとの変化、そして山肌を駆け上がる運河の水深に至るまで、見たこともないほど緻密な海図だった。
「な……何これ!? こんな……グランドラインへの海図!? ステューシー、あんた一体これをどこで?」
「少しは役に立てたかしら? イーストブルーじゃなかなか手に入らないわよ。持っているのも海軍か、野心的な海賊たちが書き写しを書き写して情報劣化した粗悪品を奪い合ってるかくらいじゃない? 中には精巧なものもあるかもだけど」
懸念点の一つだったグランドラインまでの海図がこんなにあっさりと解決するとは思わなかった。
政府の人間も乗せておいて損は無いのかもしれない。
「出所は……聞かない方がよさそうね。ともかく助かったわ、ステューシー!」
ナミの瞳に、航海士としての熱い火が灯る。道標があるなら、どんな航路だろうと手玉に取ってみせる。
「それにしても、地図を見る限り山を登る事になるんだけど」
「それは行ってのお楽しみよ」
にわかに信じがたいが、世界政府のエージェントが用意した正真正銘の海図なのだろうから事実なのだろう。
やがて、ぶんどり号の眼前にそれは現れた。
天を衝くほどの巨大な赤茶けた土の壁。世界を二分する巨大な大陸、レッドラインだ。
その麓へと向かって、周囲のあらゆる海水が、まるで巨大な排水口に吸い込まれるように凄まじい速度で逆巻いている。
船体がガタガタと激しく震動し始め、激しい海流がぶんどり号を凄まじい速度で右へ左へと押し流す。
すぐに海門と呼ぶべき入り口が見えた。
リバースマウンテンの急斜面を駆け上がっていく逆流の運河。その道幅は、大陸の大きさに比べれば針の穴のように狭い。
この激流の速度で少しでも舵を誤れば、船は一瞬で岩壁に激突して木端微塵になるだろう。
打ち合った波と突風に巻き上げられた飛沫がナミとモアを濡らす。
舵輪を持つ手が震えた。三人の命が、彼女の小さな肩に重くのしかかる。瞬間的に不安要素が脳内で膨張する。
(脱出艇でこの海流を行くなんて無茶よ、せめてもう少し大きい船なら、もし一つでも間違ったら全員ここで……)
船体が小さいほど波の影響は大きくなる。質量と喫水の関係で海流に抗う力も弱い。乾絃も低く、被った波が浸水すればより制御が効かなくなる。
わかっていた事なのに、次々と懸念点が浮かび上がる。
轟々と響く滝のような重低音が耳にうるさい。それしか聞こえない。
急に一人になった気がした。
「ナミ! 水が登ってる!」
モアの叫ぶような一言で、ハッと現実に引き戻された。
眼前に迫る危険や、天変地異に絶望するでもなく、まるで珍しい生き物を見つけた子供のように言った。
ナミは不意に芯から勇気が湧き上がってくるのを感じた。そうだ、未知を知りたくて、その全てを書き記したくて旅に出たのだ。
押し寄せる恐怖を塗りつぶすように不敵に笑う。
「ええ! 見えてるわ! 信じられない……本当に、すごいわ! 私たち、あそこを進むのよ!」
視界が白い水飛沫と、赤い岩肌で埋め尽くされた。
実際に来てわかる。小型艇でここを乗り越えるのは無謀だ。現に船は岸壁へとジグザグに向かっており、数十秒もしない内に激突する。
あの赤い壁はいったい何隻の船を海の藻屑にしたのだろう。その血で出来ている気さえした。
それでもナミは歓声を挙げたい気持ちになった。この先、モアとこんな非常識な海を渡れると思うとかつてない高揚感が身体の芯を震わせる。
脳裏にステューシーの海図を描く。肌が数秒後に滑り込んでくる風の匂いを確かに捉えた。
「風が変わるわ! モア、ロープを緩めて、帆を右へ四十五度!」
「わかった!」
太いロープを一気に解き、指示された角度へと正確に引き絞る。
ギチギチギチ、と悲鳴のような音を立てて帆が猛烈な横風を孕んで膨らんだ。
強烈な横風と荒波のベクトルがナミの頭の中で絡み合い、重なる。
「ステューシー! 何かに掴まって!」
「ありがとう、大丈夫よ」
船体は、ナミの制御下にあって信じられない事に四百度回転した。
(すぐ横は岩礁だけど、この船の喫水なら!!)
帆が風を受け、マストが悲鳴を挙げる。通常の船なら船底に穴が開くか座礁する岩礁地帯を横滑りし、船首は海門を向いた。
ステューシーは激しい揺れの中でも、乱れることのない足取りで壁に背を預ける。一手誤ればここで終わる大波乱にあってもなお、笑みを浮かべるナミを面白そうに見やる。
「楽しそうね、ナミちゃん」
「当ったり前でしょ!!」
「俺も楽しい!」
いつもは感情の起伏が薄いモアまでが声を張った。
だが、まさにその直後だった。激流で山肌が削られたのか、遥か頂上付近から、ぶんどり号の数倍はあろうかという巨大な落石が轟音を立て転がり落ちてきた。
激しい水飛沫による視界の悪さと、操船への集中。意識外から迫る強大な質量に誰も気づいていない。ステューシーを除いて。
「あらあら、なんだかわたしまで楽しくなってきちゃった」
背を預けていた壁から音もなく身を躍らせた。
激しく揺れる甲板の上で、まるで重力を忘れたかのようにしなやかに跳躍し、美しい脚をムチのようにしならせて虚空を鋭く蹴り抜く。
放たれた目に見えぬ真空の斬撃が、船に激突する寸前だった巨大な岩塊を正面から真っ二つに両断し、さらに細かく粉砕した。
「な……ッ!?」
「……!」
あまりにも現実離れした光景に、ナミは舵を握ったまま目を見開いて硬直した。モアもまた、ロープを掴んだまま息を呑み、ふわりと甲板へと着地したステューシーを凝視する
「うふふ、二人の熱い視線は後でベッドでじっくり頂くとして……ほら、波に置いていかれちゃうわよ?」
「!? モア! 帆はそのままキープ! ……船首をあの門の真ん中に叩き込む!!」
驚愕に浸っている時間は一秒も残されていなかった。
ナミはすぐさま我に返り、髪を振り乱しながら舵輪を力一杯に回す。ぶんどり号はまるで意思を持った生き物のように海面を蹴り、激突寸前で進路を鋭く変える。
そして船体は牙を剥く岩壁の横をすり抜け、狭く険しい運河へと飛び込んだ。
ぶんどり号の船首が、山へと続く奔流の坂道へと乗った。重力に逆らい、凄まじい速度で斜面をせり上がっていく。
「いやっほーー! 行くわよ、グランドラインーーーー!!」
ナミの絶叫が、轟々と響く水流の咆哮に混じる。
船は雲を突き抜けるような山頂へ向かって、駆け上がっていった。
空と海の境目が丸く確認できそうな程上り詰めると、ぶんどり号はリバースマウンテンの頂上で一瞬だけ宙に浮き、今度はグランドライン側へと続く猛烈な下り坂の激流へと乗った。
モアとナミは、なんだかわからないがとにかく可笑しくって仕方が無い。
落ちるようなスピードに絶叫しながらも、ナミのその瞳は激流の終着点を見据えていた。
水飛沫の向こうに、突如として黒い山が立ち塞がった。
「はぁ?」
眼前に現れた異物の理解より、本能が舵を取った。
通常の海賊船なら速度を殺しきれずに正面衝突するタイミング。
「モア、帆を左に逃がして! ぶんどり号の軽さなら避けられる!」
「わかった」
モアがロープを捌き、ナミが舵輪を鋭く回す。大型船とは違い、小型で取り回しの良いぶんどり号は脇を掠めるようにして回避した。
すれ違いざまに、山に瞳がある事に気付く。あれは、信じがたい事に、デカ過ぎる鯨だ。
しかし、唖然としたのも束の間。勢いのまま滑り込んだ先で、小舟が浮いているのが目に入った。
「マズい! 前方に船よ! 避けきれない──っ!」
ちょっとだけ前、ぶんどり号が猛スピードで迫っているとは夢にも思っていない小舟の上では、王冠を被った奇妙な男とポニーテールの青髪の女が、大真面目な顔で作戦会議の真っ最中だった。
王冠の男が頭の王冠の位置を直しながら、隣の青髪の女に言った。
「いいかい、ミス・ウェンズデー。あの巨大クジラを仕留めて肉を手に入れるための、最終ミーティングを始めるぞ。俺たちは口から胃の中に潜入して、内側から毒を流し込む作戦で行く。ベイビー?」
「なるほど、さすがMr.9! 今回の作戦はうまくいきそうだわ。前回のナイトフィッシング作戦より確実ね」
Mr.9と呼ばれた王冠の男はフッと不敵に笑い、懐から特製の毒薬の小瓶を取り出した。手のひらに乗るほどの、小さな可愛い小瓶である。ちゃんとラベルも貼ってある。手書きのドクロだ。
「一口飲めば一瞬で事切れる猛毒! これを胃袋に直接ドボドボと流し込んでやれば、ひとたまりもない!」
「おお、恐ろしい作戦ね! ……ん? ちょっと待ってよ、Mr.9」
ミス・ウェンズデーが、ふとクジラを見上げた。動く山ほどの巨体だ。
「なんだい。言いたい事があるならはっきり言ってくれ。ぼくたちはペア、隠し事は無しだ」
「いや……あの……あのクジラの胃袋ってかなり広いわよね?」
「……前前前回に失敗した時に見た感じ、少なくともちょっとした町が一つ丸ごと入るくらいじゃないか?」
「そうよね。と言う事は、そこに溜まってる胃液の量って下手したらちょっとした湖一つ分くらいあるんじゃない?」
「そうだね。それが何か?」
「……その湖みたいな量の胃酸の中に」
ミス・ウェンズデーは、彼が得意顔で掲げている小さな毒薬の小瓶を指差した。
「小瓶の毒をちょろっと流して、どれだけの効果があるのかしらって」
「…………」
ミスターナインは手元の小瓶と、そびえ立つ山を何度も何度も見比べ、「……あ~」と間抜けな声を漏らす。
「希釈されてしまうね。何万倍、いや何億倍にも」
「そうよね。たぶんクジラからしたらゴマ粒以下の量だし」
「じゃあ、我々がこれから命がけで胃の中に潜入する意味って」
「……ないわね」
「しまったな。あの巨体に見合う致死量を持って来るべきだった」
「そもそも、そんなに大量の毒を仕込まれた肉を私たちは食べられるの? ほら、生物濃縮と言ったかしら、たしかそんな言葉が……厳密には違うかもだけど」
海上に何とも言えない気まずい沈黙が流れた。自分たちの作戦があまりにも無謀で、計画性が皆無だったことに今更気づいてしまった二人は、ただただ虚空を見つめて固まっていた。
そのどんよりとした空気のど真ん中へ。
「ど──い──て──!!!!」
真っ白な引き波を立てて猛突進してくるぶんどり号が、真横から突っ込んできた。
「きゃあああ!? 何ゴト!?」
「ベイビー! 船がいきなりぃぃ!?」
ぶんどり号の船首が彼らの小舟の側面を激しく擦り、波が激しく巻き起こる。
ナミの操舵により寸前で直撃こそ免れたものの、あまりの衝撃と波飛沫に、ミス・ウェンズデーとMr.9は派手に足元をすくわれ、そのまま「あーれーー!」と揃って海へと落とされた。
「なんてこと……人の乗った船と衝突するなんて」
グランドラインに入って数分で海難事故が起き、海へと呑み込まれていく二つの人影が確かに見えたのだ。
ナミは甲板の柵から身を乗り出し、サァッと血の気を引かせて青ざめた。
「モアッ! うちの船体は無事!?」
身を乗り出して船の側面をチラリと確認する。
「……問題ない! ちょっと掠っただけ」
「よかったーー!!」
心底ほっとした表情で胸を押さえた。
「こっちを心配せんかァーーーーッ!!!!」
「死ぬ!! 溺れ死ぬわよ!! 船より人命を優先しなさいよォーー!!」
下の波間から、ひどく情けない絶叫とツッコミが凄まじい勢いで飛んできた。
Mr.9とミスウェンズデーが、犬かきをしながら必死の形相で抗議している。
「あ、ごめんごめん。モアー浮き輪投げたげてー」
その後救助され甲板でゲホゲホとむせ返る二人を見下ろしながら、ステューシーはわずかに目を細めた。
(あら……あの青い髪。どこかで見た顔だと思ったら、アラバスタ王国の王女、ネフェルタリ・ビビじゃない。どうして一国の姫君が、こんな所でこんな三下みたいな真似を……? なんなの、あの格好……)
ここです乳首は!! と主張するような連続する輪の柄の服に眉をひそめる。
変装? はしているようだが、それはステューシーの分野でもある。一瞬で看破したが、モアがこういった正体不明の者にどう対処するのか、サンプルとして知っておきたかったので黙っておく。
モアが少し申し訳なさそうに言った。
「ごめん、ぶつけてしまって。怪我はないか?」
それを聞いて、Mr.9はミス・ウェンズデーにサッと目配せを交わし、咳払いをする。それはあからさまなのだ。
「き、君たち! さては海賊だな!? 我々のような通りすがりの善良な一般人の船を襲うとは、悪逆非道の言語道断!」
「そうよ! 慰謝料を払いなさい! お金がないなら、船の備品か食料でもいいわよ! 誰か~海軍を呼んでちょうだーい! 政府の人~~」
ステューシーが誰にも気づかれないよう、微笑んで小さく手を振った。
「ほ、本当にごめん」
モアがしゅんとしたので、二人は勢いづいてふんぞり返ってゴネ始めた。これはイケるかもしれない。このグランドラインで、とんだ甘ちゃんだと内心で舌を出す。
「ああ~身体がすごくシンドイなぁ~~こりゃあ肋骨がイっちまってるかもしれないぞ~ん」
「なんてことかしら、首のあたりが、あいたたたた。とりあえず無駄に病院に通い詰めるヤツだわこれ」
だが、Mr.9が胸を痛がる素振りをした時、ジャケットから何かがこぼれ落ちた。
コロコロと転がり、モアの足元で止まったそれをナミが拾い上げる。手書きのドクロマークがデカデカと貼られた可愛い小瓶だった。
それを見て、獲物を追い詰めるような底冷えする笑顔を浮かべる。
「へえぇ~~? 通りすがりの善良な一般人さんが、ずいぶんと物騒なマークの物を持ってるのねぇ~~?」
「あ、あっ……!」
いかにも怪しい物証を突きつけられ、二人の顔から血の気が引く。
なぜそんなわかりやすいラベルを張っているのかと問われれば、間違えて飲んじゃうかもしれないと考えたMr.9の慎重な性格ゆえだ。
「い、いや! そそそそれは、違うんだ! あれだよ、えーと……そう、薬なんだ!! 怪我も病気も疲れも吹っ飛ぶ強力なヤツでさ」
「そうよ! 死をも退けるからそういうラベルが張ってるだけなの! 逆にね!」
「へぇ、そうなの? だってさ、モア」
ナミが冷ややかな視線を送る中、モアが無感動のままMr.9に告げた。
「じゃあこれを飲めばその怪我も治るな」
「うんうん、モアもだいぶ駆け引きが上手くなったじゃない。わたしのおかげね」
Mr.9は彫像のように固まった。一口で死ぬ猛毒である。視線だけをミス・ウェンズデーに向ける。
彼女は明後日の方向を向いていた。
「わ、わたしの首の痛みは気のせいだったみたいね! 自然に治っちゃったかなー」
ぱん、とステューシーが手を叩く。
「こんなところかしら。モアくん、グランドラインではこういったタチの悪い輩ばっかりだから、相手の言う事を全部信じちゃダメよ」
「……わかった」
「そうがっかりしないで。これから気を付ければいいのよ」
(おそらく、騙されるという事もこれまで経験してこなかったから仕方ないけど)
「……で? 結局あんたたち何者なのよ。賞金稼ぎ? それとも海賊? にしてはチンケだけど」
すっかり意気消沈して自主的に正座している二人を、ナミは呆れ半分で腕を組みながら見下ろしていた。
ステューシーもそれが気になっていた。指先を顎に当て、思案する。
(一国の王女がなぜこんなところで……)
「……ふ、ふふ」
ミス・ウェンズデーが、うつむいたまま不敵に笑いだした。
「油断したわね!」
してない。
「魅惑のッ! メマーイダンス!!」
急に立ちあがって頭の上で手を交差させ、腰を振り子のようにくねらせ出した。
輪の模様の服と相まって、なんだか目が回る。気がする。
(王女ではないかもしれない)
ステューシーは真剣に考えを修正しはじめた。
「
モアが掟を立てる。エッチな感じもするが、眩暈の不快感が勝った。
「っく! 孔雀スラッシャー!!」
魅惑のメマーイダンスが出来なくなったミスウェンズデーは、服の乳首にあたる部分から糸状と思われる暗器をビーッと引き抜く。
(王女ではない!!)
ステューシーは自身の観察眼の衰えに愕然とした。世界政府のエージェント、その最高位であるCP0としてのプライドが揺らぐ。
「とりあえず
敵意に反応してモアが掟を立てた。
その言葉が二人に響いた瞬間、表情から刺々しさが消え去った。まるで最初から旅を共にしてきたかのように、しかしミス・ウェンズデーの面持ちは、Mr.9と違い真剣だった。
構えていた孔雀スラッシャー! をすっと元の場所に収め、ポニーテールの縛りを解く。
すると彼女が纏っていた軽薄で不毛な空気が嘘のように霧散した。
ゆるやかに頭を振って長い髪を潮風になびかせると、ふう、と一つ息を吐いてモアを見据える。
その澄んだ瞳には、別人のように気高い意志が宿っていた。
「……あなたたちには、これ以上の隠し事は出来ないわね。私はアラバスタ王国の王女、ネフェルタリ・ビビ。身分を偽り、秘密犯罪会社バロックワークスに潜入していたの」
(やっぱり王女だった!)
これは本当の事なの? ステューシーは自分を含めた現実が信じられなくなった。
「ええええーーっ!? ミス・ウェンズデー、きみぃ、王女様だったの!? べべ、ベイビー??」
隣で同じく仲間になったMr.9が目ん玉を飛びだすほど仰天する。
「ん? ちょっと待って速い速い、待ってくれる」
ナミは少し落ち着くよう、手振りでビビを諫めようとする。
「なんかあんまり聞いちゃマズい事をノンストップで言ってない? これ私たち大丈夫そう? ねえステューシー? ちょっとこっち来て……頼れる大人のステューシーお姉さーん!?」
必死に助けを求めるがしかし、呼ばれたステューシーは魅惑のメマーイダンスと孔雀スラッシャーの残像が脳裏から離れないのか、美貌をかすかに引き攣らせたまま虚空を見つめてフリーズしていた。あてにならん。
そんな周囲の動揺をよそに、ビビの口からは国を揺るがす機密がぽろぽろと容赦なくこぼれ落ちていく。ナミが拾いきれないくらいぽろぽろと。
「バロックワークスはおそらく、革命軍を扇動し祖国に内乱を引き起こしている。そしてその背後で糸を引いているのは王下七武海、大海賊 サー・クロコダイルよ!」
「ねぇ~ちょっと止まってよ~規模が凄いことになってない!? わたしたちさっきグランドラインに来たばっかりなんだけどー! 国の内乱ってなんなのよ~?」
若干涙目になるナミに、ビビは真摯な表情で答える。
「内乱とは、体制の転覆を目的とする反体制派による武力闘争のことよ!」
「単語の意味を聞いてる訳じゃ無くってぇ~!」
ナミは意味も無くビビの二の腕を掴んでゆさゆさする。
掟は対象の主観に依存し定義され、文言が曖昧なほど解釈は委ねられる。
ビビにとっての仲間とは、真に窮地にある時は助けを求め合う関係にあるのだろう。観念としては素晴らしいが、えらい事になった。
「つまり相手はそれだけの武力と財力、組織の規模も強大で確たる証拠も無いのが現状。まともに戦っても勝ち目は……」
言い淀んで、祖国アラバスタの事を思い起こす。
雨が降らず、乾ききった大地で飢えと干ばつに苦しむ民たち。膨れつつある不満を父である国王に向ける人々と革命軍。そして対照的に、国を救う英雄と祭り上げられ、陰で嘲笑っている悪辣な海賊クロコダイル。
ビビは、思い出すだけで胸が張り裂けそうになる絶望の底にいた。
だがこころにはまだ火が宿っていた。ナミとモアに一歩歩み寄ると、その命運を共にすべく頭を下げた。
「仲間として頼みがあるの。時間が無い。アラバスタを……クロコダイルの魔の手から救うのを手伝ってほしい」
風と波の音だけが甲板に響く。Mr.9がビビとモアたちを交互に見やる。
ナミが重い口を開いた。
「悪いけどいったん整理させて……こっちにも事情が」
「わかった」
モアがいつものように淡々と言った。
「って即答すんじゃないわよーーっ!!!」
ナミの絶叫が、バカみたいな青空に木霊する。
そのあまりの怒声に、ステューシーが長いフリーズから帰って来た。
ナミが、なんとかしてよ~と泣きついて顛末を語る。
「くっ……ふふ、ふふふ……っ」
最初は大人の淑女らしく口元をそっと手で押さえ、必死に笑いを噛み殺そうとしていた。
だがグランドラインに来て数十分で王下七武海と敵対することになったスピード感、あまりにも突飛な状況の移り変わりがツボに入ってしまったらしい。
「あははははは! おかしい、おかしすぎるわ……あとなんで急に内乱の説明をしだしたの、っ! あはははは!」
ついには上品な仮面をかなぐり捨て、お腹を抱えて大笑いし始めた。目元に涙まで浮かべ、息も絶え絶えになりながら。
「ちょっと何よ! そんなに笑わなくたっていいじゃない! こっちは生きるか死ぬかの大問題よ!?」
ナミが真面目になればなるほど可笑しさが込み上げてくる。
憤慨するナミは、ふと、ステューシーが世界政府のエージェントであることが思い浮かんだ。ジト目を向け、鋭く問い詰める。
「……あんたひょっとして、最初からこの子がアラバスタの王女様だって知ってたんじゃないの?」
「ああ、う、うん……まぁ、そうね。顔と名前くらいは……くすっ、知っていたけれど……」
ステューシーは涙を指先で拭い、ようやく笑いを収めた。が、ナミの言葉によって、数分前の出来事が脳裏にフラッシュバックする。
あの、王家の気品を微塵も感じさせない、ただただ目が回るだけの魅惑のメマーイダンス。そして乳首の位置からビーッ ビーッと暗器を引っ張り出してきた技。
つまり、ビビに完全に騙されたのだ。年端もいかない娘に、王女ではないと信じ込まされCP0が出し抜かれた。その事実はあまりにも重くのしかかる。
ステューシーはそれまでの爆笑が嘘のようにスン……となった。
「うわぁ! いきなり落ち着かないでよ!」
ナミは疲れたように頭をかき、ため息交じりに言った。
「とりあえず状況を整理させて」