掟の底食い 作:ちわわのちくわ、
第九話 Shuffle up and Deal
少なくともビビは良いヤツという事で、新たに掟を立てて、仲間であるという状況を解除する事にした。
その瞬間、ビビの目には混乱が伺えた。
「いったい、なにが……さっきまであなたたちの事を仲間だと思ってたのに……出合い頭に船をぶつけて来た酷い人たちにしか見えなくなったなんて!」
「それはごめんけど事実ね」
ナミが適当に謝り、モアとステューシーに視線やって確認する。助けると決めたのなら、能力をバラしても構わないだろう。
「声を媒介として他者に命令を下せる悪魔の実の能力者……って本当なの!?」
「そ。であっちのお上品そうなのが……」
立場を言っていいのかどうか窺う。
「ステューシーよ、一応政府のお仕事をしているわ」
信じられないといった顔でモアとステューシーに視線を向ける。だが、その身に起こった不可思議な現象からすると信じざるを得ない。
常識で考えれば、たった三人の加勢で七武海を相手取る選択肢は取れない。
だがモアの能力を説明されれば話は別だ。どういうわけか政府の人間も同行している。これ以上機会を待ったとして、状況が好転する望みは薄い。
千載一遇のチャンスだった。
「そ、れ、で。アラバスタを救う為にも活動資金が必要だと思うんだけど、もろもろの手当てとか……ぶっちゃけどれくらい出せる?」
国が干ばつの上、内乱状態では財政も芳しくなく、救国に相当する恩賞も望みは薄いだろうが、貰えるものは貰っておく。
「……わたしのポケットマネーから五十万ベリーほどが限界です」
ナミは天を仰ぎ見た。
「こないだの賞金がまだある」
と励ますようにモア。
「あのねー、旅をしてればお金なんてすぐ無くなっちゃうんだから。お金が無いのは首が無いのと一緒。一番困るの、なーんにも出来なくなっちゃうわよ!」
短くため息をつく。
「まあいいわ、謝礼はおいおい考えるとしてアラバスタに向かいましょうか」
「それは助かるけど、どうして……? あなたたちにはなんのメリットもないのに……」
「ん、まあ」
ナミは少し居心地が悪くなって、首筋を撫でて誤魔化す。正直な所、反対だ。
ビビには同情するが、厄介事に首を突っ込むにしても限度というものがある。モアの能力も無敵という訳ではない。ココヤシ村では紙一重だった。
「ナミ、勝手に決めてごめん、でも」
「でも?」
「ビビはナミと同じですごく悪い所にいる。悪い所の一番深い底で……絶望って言うんだろ? それ。俺はそれをなんとかしたい」
ステューシーは一人、状況を俯瞰して逡巡した。
(なるほどね。彼の行動原理としては人助けというより自己治療に近い)
底という、社会システムが生み出した最底辺で絶望的苦痛を受けたこと自体に不満は無かったが、外に出て初めて、実は能動的に解決できたかもしれないという事に気付いてしまった。
(とは言え、村長を頂点としたあの強固な支配構造と、底食いという長年染みついたプロパガンダの中で、底が取れる対抗手段は現実的には無いに等しい……)
だがモアにとって重要なのは、掟が壊れるまで絶望の底にいても声を上げて立ち向かうという思考そのものが無かった事だ。
(それをおそらく悔いている。万が一、億が一の可能性すら持てなかった。そう……底には希望という概念すら無かったんだわ)
だから他人が絶望の底にあるとき、希望を見出したいのだ。
それに自己投影する事で、能動的に解決できなかった過去を癒すため。良くも悪くも主体が無い。条件に反応しているだけ。
(それ故に他人の絶望に過敏。ナミちゃんの件にしても同じ原理で動いているはず)
正義感とも違うのは、アーロンの悪事に対してさして反応している様子が無い点にある。そういうシステムとしか受け取れず、倫理で物事を判断できない。
(歪ね。目の前にどのような搾取、差別構造、悪事があっても、システムとして動いているならそれを受け入れてしまう。絶望の底でない限りは。それにしても……)
苦痛、絶望。およその負の感情の極地に反応する様相は、まるであの島の……
「あ゙ぁ~、もう。そう言われたら、わたしも協力するしかないわ。同じ理由で戦ってくれた身としては……けど海賊が相手なんでしょ? 海軍を頼れないの?」
「それは……クロコダイルは王下七武海で……」
「そう言えばなんなの、その肩書」
言い淀んだビビの代わりにステューシーが答える。
「政府の指揮下に収まる事で公認された海賊。クロコダイルはアラバスタ周辺の海賊を狩る事で治安維持の役割を果たしているから、海軍は戦力を置いてないの」
「はぁっ!? なによそれ! 海賊なんかを信用してるって訳? あいつらなんて自分の事しか考えてない最低最悪な生き物よ!?」
「そう、です、が。追い出せる理由や武力も無く……国としては可能な限り距離を置くようにしていて……」
段々と言葉尻が弱くなったビビに、ナミはしまったとバツが悪そうに頭を掻く。
「……ごめん、言い過ぎた。悪いのは海賊なのに」
吹っ切れたように少し笑って、ビビの肩を抱き寄せる。
「ま、とりあえず向かってみましょ。あいつの能力凄かったでしょ? きっとなんとかなるわ!」
ビビの目に、大粒の涙が浮かんだ。
「ありがとうございます。今は国の財政的に形として報いる事は出来ませんが……」
「が?」
「王国の地下神殿に、
「くれるの!?」
「お見せ出来ます」
「ん、あ、そ」
(まーそーいう歴史的価値って換金できないし、貰ってもって感じだけど)
急激に興味を失ったナミに、慌てて提案する。
「もっ、もし、事態を納めることが出来たなら、きっと国王の名において、あなたたちの
とは言え、救国に釣り合う褒美など疲弊した国に望めるはずもない。
「そーね。考えとくわ。で、アラバスタの方角は?」
「この先のウィスキーピークというバロックワークスの拠点に戻れば、アラバスタへのエターナルポースがあるので」
「えたーなるぽーす? わたしは方角を聞いてるんだけど」
「ナミちゃん、このグランドラインでは通常の航海は出来ないのよ」
ステューシーが、ログポースとエターナルポースを解説した。
「てことは一旦寄り道か」
溜息をつくナミに、ステューシーが続けて言った。
「あるわよ、アラバスタのエターナルポース。他の島のも。ローグタウンで調達しておいたの」
全員がぽかんとする表情を、気持ちよさそうに受け止める。
「ね? 政府の人間を仲間にして良かったでしょ」
ぱっちりとウィンクを決める。
こうして、ビビは心強い味方を得てアラバスタに航路を取った。
Mr.9には一人でローグタウンに向かい、そこでビビと同じく潜入しているMr.8ことアラバスタ王国護衛隊長イガラムに今回の顛末を伝え、バロックワークスにはミス・ウェンズデーは鯨の中で死んだと報告させた。
掟の文言を詰めたので、Mr.9はバロックワークスを裏切っているという認識すらない。
「ねえビビ、一つ聞いていい?」
「なんですかナミさん」
「Mr.9が去り際に言ってたバイバイベイビーって、グランドラインでは別れの挨拶として常識だったりする?」
「……いえ」
「なーんだ、じゃああいつだけが言ってた訳か、ちょっと安心したわー。これからあんな変な言葉を言わなきゃいけないのかと思っちゃった」
「はい、Mr.9だけの決め台詞です……」
こうしてビビは、バロックワークスとしての過去を埋葬した。
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グランドライン特有の気まぐれな海を進むと、次第にじりじりと肌を焼くような乾燥した熱風が目立ちだす。アラバスタ王国が位置するサンディ島の接近を告げていた。
ふと、船から離れた遠くの海面が大きく盛り上がり、水しぶきを上げて巨大な生物が顔を出した。猫の頭と魚の胴体を持つ海獣、海ネコである。
海上部だけでも100メートルを超える巨体の出現に波は荒れ、ほどなくして沖を行くぶんどり号に到達し船体を揺らす。
「なんなのアレ!?」
危機感を覚えるナミに反して、ビビがパッと表情を輝かせた。
「海ネコよ! アラバスタでは神聖な生き物とされているの。きっと吉兆だわ……どうか、アラバスタを」
胸の前で両手をギュッと組み、目を閉じて祖国の無事を静かに祈り始めた。
「海王類ってやつ?」
「いいえ、あれは哺乳類だから海獣に分類される。哺乳類というのは……」
モアとステューシーが話している間、海ネコは「にゃ~~~」と、のんびりあくびなどをして漂っていた。
しかし気まぐれにその大きな目がぶんどり号の方向へと向けられた直後、ピタリと硬直する。
「ちょっとビビ、大丈夫なの? 狙われてない?」
ナミの不安をよそに、海ネコは激しく海面を尾ヒレで叩いて踵を返す勢いで海中へと消えた。実に猫っぽい。
あとに残されたのは遠くで白く泡立つ波の飛沫だけ。もう一度、遅れてやって来た波が船を揺らす。
「あれ?」
祈りを終えて目を開けたビビが、姿を消した海ネコを探してきょとんとする。
「帰っちゃったみたいよ。私も何かお願いすればよかったかな~大金が手に入りますように、とか」
「ナミさん、神聖な生き物なので、その類はちょっと……」
ステューシーは船尾に移動し、そっと顔を出して真下に視線をやる。
水面が陽光を眩しく反射していた。
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ぶんどり号がようやくたどり着いたのは、むせ返るようなスパイスの香りと熱気に包まれたアラバスタ王国の巨大な港町、ナノハナだった。
「あっついわねぇ〜〜! ここだけ太陽が二個くらいあるんじゃない?」
「ビビ、あれぜんぶ砂浜?」
「いえ、あれは砂漠と言って……」
ひとまず町に出て行動に必要な物を集める事にした。ビビは王女という身分を隠す為ナミの服で偽装する。
ビビが慎重に言った。
「とにかくここからは目立つ行動を避けるようにしましょう。クロコダイルにバレていないとはいえ、用心する事に越したことは無いから」
「目立つ行動って言ってもねぇ……」
ナミが恨めしそうに視線を向けた先では、二人の同行者が、この過酷な環境の中でまったく違う意味で異彩を放っていた。
「ステューシー、これ、すごい良い匂いがする。なんだと思う?」
「スパイスね、お料理に使うものよ。それにしてもローグタウンで日焼け止めを買っておいてよかった、この日射しはお肌の大敵だわ」
モアは露店ではしゃいでおり、その隣では、ステューシーがどこから取り出したのかフリルのついた上品な日傘を差して、砂漠のど真ん中に場違いな高級リゾート感を持ち込んでいる。
「ちょっとあんたたち! 目立つなっつってんでしょ! あとその日傘いつ手に入れたのよ!」
「ふふっ。レディの嗜みよ」
「……政府のエージェントがそんな目を引いていいの?」
ステューシーは黙って傘を閉じた。
現地の服へ着替え、宿を取ってこれからの事について話し合う事にした。
ビビがテーブルに地図を開き、ざっと地理を説明する。
東西を分断する運河を中心に北東を指した。
「ここが王都アルバーナ。父コブラがいる所。川を挟んだ西にレインベース、クロコダイルの拠点ね。現状ではこの二つの地域にのみ雨が降っているの」
「そこだけ? それはちょっと不自然ね」
ナミが腕を組んで訝しむ。
「ええ、それは……」
言いさして、言葉を飲み込んで続ける。
「とにかくレインベースは、七武海として働く英雄クロコダイルのお膝元で、カジノも地域の収入源として機能しているのもあってヤツを支持する人が多いから気を付けて」
「カジノって?」
とモア。ナミが説明する。
「お金をお店に預けて、お店と勝負する。勝ったらお店が預けたお金より多く支払って戻してくれるけど、負けたら預けたお金は店のモノ。あ~こんな状況じゃなきゃ行ってみたかったけど」
「続けてちょうだい」とステューシー。
「わたしたちはアルバーナから南のコノハナにいる。まずはここから運河を挟んだ北西にある、革命軍が駐留するユバに向かおうと思うの」
「えぇ!? 直接対峙してどーすんのよ! あなた王女様でしょ? 体制側の象徴みたいなもんでしょ。バレたら……」
「いいえ、反乱軍のリーダーは私の幼馴染なの。私が直接行ってクロコダイルの陰謀を伝えれば、きっと戦いを止められる!」
強い口調で言った。その言葉には、焦燥と悲痛に燃えている。
だがその熱を受け止めたのは、氷のように冷徹で色の無い大人の声だった。
「ダメよ。死にに行くようなものだわ」
「な、何でよ!? あそこにいるのは、国を憂う真っ直ぐな人たちよ! 話せばきっと──」
ステューシーの声音からは、いつものくすぐるような気配が消えていた。
ビビに向けられたのは、世界政府の最高峰CP0として数々の修羅場をくぐり抜けてきたエージェントの冷淡な眼差し。
思わず固唾を飲む。
「いい? 王女様。まず間違いなく革命軍には相当数のバロックワークスの潜入工作員が紛れている。あなたがそこへ現れれば、すぐにクロコダイルの知る所となり、直ちにあなたの暗殺命令が下されるでしょうね。それに組織はね、頭が右を向いても胴は左に、脚は後ろに向くものよ。すぐには動けないし止まらない。工作員で汚染された民兵の集まりなら尚の事、ね」
「それは……でも」
ビビは悔しそうに拳を握りしめ、唇を噛んだ。革命軍も、ユバの人たちも心配でたまらない。けれどステューシーの諭の正当性は、ビビ自身、痛いほど理解できた。
「安心して。ここで育ったあなたならわかっているでしょう? 町の雰囲気からして時間はあるわ。まだ、その気配は無い」
「それじゃあ俺たちはどうしたらいい?」
意気消沈するビビを見かねて、モアが話題を変える。
お? と、ナミが意外そうな目を向ける。
(いつの間にか空気を読めるようになっちゃって)
「まずは王都アルバーナへ向かうべきね。国王に現状を報告し、仮に革命軍が決起したのなら正規軍で止めなさい。実際に衝突しなくても睨み合いで時間を稼げるから。だから私たちが相手するのはこっち。でしょ?」
髪をかき上げたステューシーがビビの隣に立ち、トントンと爪で地図の別の場所を叩いた。
「わたしたちが対峙するべきは革命軍じゃなくて、レインベースにいるクロコダイル」
安心させるように、パチリとウィンクを添える。
ビビは、自分の脚が震えていた事にいま気が付いた。安心したのだ、一人で戦っているのではないのだと。
「わたしとしてもアルバーナには行きたかったわ」
腕を組んだナミが、真剣な面持ちで口を開く。
「いくらグランドラインの気候がデタラメでも、干ばつが長すぎる。ねえビビ、この国の過去の気象記録は保存されてるんでしょ?」
「え、ええ。でもここ数年は同じようなものよ?」
「いいわ、最低でも五十年は遡るつもりだから」
「ええっ!?」
「無い? アラバスタって歴史が古いんじゃなかったっけ?」
「たしか……王宮の記録保管庫にあると思うけど、そんなに必要なの?」
「いつもなら天候を肌で読めるんだけど……この国に入ってからなんか……変な感じなのよね。調子狂うって言うか。だからこれまでのデータと感覚をすり合わせたいの。モア、あんたはわたしの手伝いね」
「わかった。じゃあ明日出発?」
モアの提案に、ビビが自然に口を挟んだ。
「いえ、砂漠なら夜の方が涼しくて移動しやすいから今夜のうちに出ましょう。ラクダも手配できるから」
「寒くなるのか? 外はあんなに暑いのに」
モアの純粋な好奇心に、くすりと微笑む。
「びっくりするかもね。寒いからちゃんと着こんで」
ナミとステューシーが視線を合わせて安心したように顔をほころばせた。ビビの口調が、いつの間にか柔らかく砕けている。
ステューシーが立ち上がり、服の佇まいを正しながら言った。
「わたしは少し情報収集するから、アルバーナで落ち合いましょ。何日もかからないと思うわ」
「アルバーナのどこで? って思ったけど、あんたならそっちから見つけるか」
「じゃあアルバーナで待ってる」
「ステューシーさん、お願いします」
ステューシーは小さく手を振って三人を見送った後、ナノハナから離れた砂丘に向かう。
月明かりが照らす白い砂の上に、孤独な足跡だけが続いていく。
(らしくもなく、肩入れしすぎかしら?)
これまでエージェントとして数々の任務をこなしてきた。冷徹に、効率的に、情を排除してきたにしては。
ふと、自嘲気味な笑みが漏れる。
(最初は彼の能力の有用性と精神構造を見極めるつもりだったけど、ここ最近は久々に退屈しないは確かね)
夜空を見上げ、砂丘に立つ。満月を背にした彼女の影がゆらぎ、一瞬の後、黒い霧が鋭利に爆発したよう広がる。
それは夜の静寂に溶け込む無数のコウモリへと姿形を変え、砂漠の風に乗ってアラバスタ全土へと飛び立った。
──クロコダイル。あなた、うまくやっているつもりでしょうけど……案外ここで終わりかもしれないわよ?
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ビビの帰還は公にせず、王宮内でも王を含めたごく一部の人間だけに知らせ、アルバーナの裏路地にひっそりと佇む安宿を拠点として活動していた。
地図や気象記録を広げていた一室に、夜の闇に紛れてステューシーが帰還した。
「待たせたかしら?」
「いいえ、ちょうどこっちも一区切りついたところ。ていうか、当然のように窓から入ってくるのなに? ここ三階よ」
ランプの灯りに照らされた机の上には、王宮の保管庫から密かに持ち出された膨大な量の気象データが広げられていた。
それをどかし、さっそく情報共有を始める。
「まず、いい知らせがあるわ」
ナミが報告した。
過去の天候記録を片っ端から照合した結果、ある一つの確信に辿り着いていた。
「結論から言うわね。二十日後、アラバスタ全土に三日三晩の大雨が降る」
「正直言って、わたしには二十日後の天気なんて見当もつかないのだけれど」
ビビは半信半疑といった表情でこぼした。疑いたくはないが、何年も雨から見放されているこの国でそんな確信を持てるはずがない。
だが、ステューシーはふふっと笑った。
「ナミちゃんほどの航海士がそう言うのであれば、確実でしょうね」
「ああ、ナミは雷が落ちる場所も、瞬間も読める」
ナミは少し照れくさそうに咳払いをし、言いにくそうにビビを見やった。
「それと……レインベースには十分量の、アルバーナにも稀に降雨する理由なんだけど……ステューシー、悪いのはクロコダイルであって」
「わかってるわ。ダンスパウダーでしょ? 焚く事で周囲の雨を奪い取る薬品。それが現在雨の降るその二つの地域で使われている」
「私の天候を読む肌感がズレたのも多分その影響だと思うわ」
ビビが視線を伏せる。ダンスパウダーは政府指定の御禁制。それがアラバスタで使われている事実は、政府の人間には伏せておきたかった。
どのような叱りの言葉が出るかと、考えただけで胸が重い。
だがステューシーから出た言葉は、すべての問題を一蹴するものだった。
「クロコダイルの指示の下、ダンスパウダーをレイニーベースで使用しているのを確認したから、これは私が正式に動く案件として処理してもいい。七武海と言えど世界政府を欺いて禁制品を扱っているなら、背任行為に相当し許されるものではない」
ビビが弾かれたように顔を上げた。逆にナミは胡散臭そうに目を細めて腕を組む。
「……あんた妙に腕っぷしを自慢するけどホントに勝てるの? 相手は懸賞金の八千万の海賊よ? そりゃあリバースマウンテンで岩を壊したのはすごかったけど……」
懐疑的なナミに、ステューシーは小さく肩をすくめてみせる。闘いとは、何も正面切って立ち回るばかりではない。
その仕草に、ビビは縋るように身を乗り出した。
「ほ、本当!? ステューシーさん、本当にクロコダイルを倒せるんですか!?」
「ええ、けれど一つ問題がある」
ステューシーが脚を組み替えた。声が一段低くなり、部屋の空気が張り詰めた。
「クロコダイルを排除し、おまけでバロックワークスの残党を片付けたとしても、ヤツが仕込んだ王都のダンスパウダーの件がある。事情を知る私は見逃してあげたいけど、事後の政府機関による調査で公になれば同等の沙汰を下される可能性がある……わかるわよね?」
クロコダイルの裏工作だという証明が出来なければ、第三者から見て、王が体制を維持する為に王都でダンスパウダーを使ったとみなされかねない。
ビビがステューシーの前で天候に関して言い淀んだ理由が、残酷な形で突き返された。
「それは……父、コブラ王なら、どんな汚名を着せられようと国が守れるなら構わないと言うでしょうが……」
モアが少し驚いたようにビビを見やった。王とは村長の規模が大きくなった存在だと理解している。だからその自己犠牲を信じがたかった。あの村の村長は、決してそのような事を言わないだろうから。その二者にいったいどのような違いがあるのだろうか。
ビビはそれ以上言葉が出ない。
内乱とクロコダイルを解決できるのならば、自分も含め、王族に限るなら泥を被る。だが処分が個人に収まる保証はどこにも無いのだ。
ヘタをすれば、国がなんらかの形で世界政府から制裁を受ける事も考えられる。
希望は鋭利だが諸刃だった。振りかざすには国民国家に内乱とは別種の出血を強いる覚悟がいる。
また、この解法にはもう一つ問題がある。
それは外部からの介入のみで事態が鎮静化した場合、王の権威は依然として揺らいだままという事だ。
真にアラバスタに平穏をもたらすには、この地を治める王族の介入を周知させる事が望ましい。
う~ん、と小さく唸ってナミが言った。
「内乱誘致の罪を問う形では動けないの?」
「いい着眼点ね。七武海は世界政府加盟国であるアラバスタに対する海賊的行為は許されていない。けれどダンスパウダーと違い、一見にして明白な証拠が無い。実際に現場での王家への海賊的行為等を確認できれば政府も即座に動くけど、それでは遅すぎる」
ビビは肩を落とし、歯がゆさに拳を握りしめる。
それを見たステューシーはCP0としての立場を崩し、いつものように余裕のある大人の笑みを浮かべた。
「ふふっ、わたしはビビちゃんをがっかりさせたくて言った訳じゃないの。これは最後の手段として胸にしまっておくといいわ」
勇気づけるようにビビの手を取る。
「事態がどれだけ悪い方に転がり落ちたとしても、本当にどうにもならなくなったとしても、私がこの件から手を引かない限り、クロコダイルは必ず責任を持って対処する。そういう保証があれば少しは気が楽になるでしょ? ね、ナミちゃん」
「そうね…私も諦めかけたけど、その時はモアが最後の保証だったからなんとか乗り切る策を捻り出せたんだし……考えるのよ、きっとなにかの隙があるはず。まずは私たちの選択肢を整理しましょう」
①、モアをクロコダイルと邂逅させ、その後の作戦の足掛かりとする。一対一の状況ならベストで、掟を立ててこの件は終わりだ。王がダンスパウダーを意図して使っておらず、現状も含めて全てがクロコダイルの裏工作だと証明させればいい。
②、二十日後のアラバスタ全土の降雨を実現させ、かつ以後もダンスパウダーを使わせない。
③、なんらかの王家の介入を国民に周知させる。
④、クロコダイルを殺す。
「①に関してだけど、モアくんが公に能力を明かすような形で掟を立てた場合、私はこの件から手を引かなくちゃならないから、それはやめてほしいわ。一対一を除き、あくまで会話の中に自然に紛れ込ませて」
今回の事に限った話ではないが、要するに衆人観衆の前で「仲間になれ」だの、「アラバスタから手を引け」だのと掟を立てて解決した場合、世界政府に捜索対象の悪魔の実の能力者の手掛かりを与えてしまう。
それは同行者としてステューシーの立場をも危うくする。
「②はどうなの?」
とナミ。
「何らかの手段で、ダンスパウダー使わせなければ、それを王家介入のプロパガンダに出来ない?」
「クロコダイルは計算高く、完璧主義者で、疑り深く誰も信じてない。おおよその隠し場所は把握したけど、そこを叩いても広い砂漠のどこかに保管してる事もあるでしょうし、定期的な輸入ルートも確保してるはずよ。
でもプロパガンダにはうってつけね」
「そっか……ていうか①にしたって、モアと引き合わせるのが無理じゃない? ただの旅行者に、世界で七人しかいない王下七武海が会ってくれるの?」
ビビが腕を組んで難しい顔をする。
「難しいと思うわ。わたしたち王国側は海賊との政治的接近を避ける為に意図して接触ルートを持たなかったし、今になって招致してもクロコダイルは怪しむでしょうね」
③に関してはナミの提案通り降雨に絡ませるのが良さそうだ。
「そして④は、俺たちが倒せる相手じゃないし、クロコダイルは七武海だからステューシーが動く時はダンスパウダーを理由にする時だけ、けどそれだとアラバスタにとっては良くない結果を生むかもしれないから最後の手段」
「そうね。暗殺するにしても、バレなければ問題無いというレベルの話じゃないのよ、政府公認の海賊を理由なく政府が処罰するというのは……あ、でもバロックワークスに所属している連中ならいいわよ。クロコダイルはそれを秘密結社として扱い、関与を公にしてないから知らなかったで済ませられるし」
とはいえクロコダイルに警戒されるのも困る。
行き詰まりを感じた。
「ステューシーはこういう時、どう考えるんだ」
「そうね……」
仮面の殺し屋と呼ばれる彼女と言えど、任務は暗殺ばかりではない。
目標組織内で対立を煽り、分裂、内部抗争に発展させる組織内政争を企図する事もある。
「相手とは別のレイヤーで戦うのは案外効果的よ。あぁ、ごめんなさい。レイヤーっていうのをわかりやすく言うと、敵の得意分野に付き合わず、別の場所で別の戦い方をするの。利点としては敵対行為を感知されにくく、対処を遅らせる事が出来る」
急に難しい単語が飛びだしたので、一旦は咀嚼しながら考え込んだ。
う~~~~ん。と埒が明かない沈黙が降りた。相手は長い時間をかけて多くの手札を抱え込み、あらゆる状況に対処する。対してこちらは戦略的要素に乏しい。
「なんとか、①だけでも達成したいわね」
とナミ。海賊のフリをしておびき出すにしても、一瞬で殺されるかもしれない。
「どんな計画を練るにしても、まずはそこが糸口になるはず。なんだけど、どうすればクロコダイルを巣穴から引きずり出せるのかしら……」
相手は疑り深く用心深い。生半可な権謀術数では釣れないだろう。
不意にモアがポツリと言った。
「前にナミが言ってた事をやろう」
「ん? 何か言ったっけ?」
「リバースマウンテンから出た後、金がなければ何もできないって。何も出来なくなるのはクロコダイルにとって困るだろ」
ステューシーとビビが疑問の視線を投げかける。ナミだけが、彼の意図する事を一早く理解した。
(バッカだ、わたしが説明しといて、なんでもっと早く思いつかなかったんだろ! モアの能力と相性抜群なのに!!)
バロックワークスという巨大な組織を動かしている根源。工作員の手配、武器の調達、ダンスパウダーの密輸ルート維持。そのすべてを支えているのは莫大な資金力だ。
その財源の一つを切り崩す一手。
ナミの唇の端が、ゆっくりと吊り上がった。
海賊専門の泥棒。泥棒猫のナミの悪戯に満ちた不敵な笑み。
「カジノね……」
薄暗い部屋の中で、静かにカードが配られた。