飯炊きの翁 作:調理チーフ
今は、昔……でもないけど、一人の女の子ありけり!
勉強ガリガリ、バイトテキパキ。朝も昼も夜も目の回るような毎日に、推し活を生きがいに限界ギリギリに突っ走っておりました。
名を、酒寄彩葉。
「えー、ここは………酒寄さん。行けるかな?」
「はい!ここは――――」
(あっぶなー……!完ッ全に意識飛んでた……!)
毎日頑張る彩葉は、もう色々と限界なのでした。
そんな彩葉を餌付けする、
「飯を食え」
「もごぉっ!?」
「噛め」
「~~~~ッ!」
「飲み込め」
「~~~~ッ…………んぐっ、殺す気かぁ!?」
「飲め」
「むぐぅっ!?」
もっさりもさもさな蓬髪に、への字口。もっと口角上げてスマイルスマ~イルって言ってるんだけど…………
名を、
彩葉の料理番で、バイト先の居酒屋では調理チーフ!目元は見えないけど割と慕われてるぶっきらボーイ!
ええっと、そんな毎日を送っている二人が大きな変化を受けるのは……あーっと……ここ……じゃなくて、こっち……でもなくて…………あっ!
二人のバイトも終わった三連休を目前に見据えた時なのでした!
@
大柄な体格に、相応の筋力を積載した杜部北斗は買い物袋を片手に家路を歩いていた。
明日から三連休。バイトの時間も調整し、仕込みなどには少しでなければならないが緊急でもなければ呼び出される事も無いだろう。
「……あ?なんだ?」
もっさりとした前髪の隙間から、北斗はその光景を眉を上げた。
彼が見つけたのは、電線を走るゲーミングカラーの電流。
電線を駆け抜けて向かう先は、
「…………うちがある方向じゃないか?」
北斗の頬が引き攣った。
背丈に合わせて、広いコンパスに強靭な脚力が上乗せされれば彼の体は夜道を風のように駆け抜けていく。目的地に辿り着く事も直ぐだった。
月明かりの輝くボロアパート前の電信柱。
そこに、北斗の推定知り合いであろう背中を確認できる。
「何やってんだ、酒寄」
「!も、杜部……!」
錆びついたロボットのようにぎこちない動きから振り返るのは、彼と同じくこのボロアパートの住人である酒寄彩葉であった。
学校での泰然とした雰囲気など、何処へやら。顔色は悪く、面白いぐらいにその視線はあっちこっちと駆けずり回っている。
何より、その腕。北斗のお節介によってある程度の肉付きが改善しているとはいえ、その細い腕には女子高生である彼女には不似合いな存在がうごうごとしていた。
「…………」
「…………」
沈黙。遠くに犬の遠吠えが聞こえる。
「スー…………まあ、何だ頑張れよ」
「待ってぇ!絶対に勘違いしてる!」
「今の世の中、シングルマザーも珍しくないだろ。大丈夫だ、俺のお節介は継続するつもりだからな」
「お願い、話聞いて!?杜部が思ってるような事じゃないの!」
「おい、そこまで叫ぶな。遅い時間だし、何より――――」
「ふぇ…………あああああああ!」
北斗が混乱する彩葉を諫めようとするが、その前に夜道に甲高い泣き声が響き渡る。
音の出所は、彩葉の腕に抱えられた一人の赤ん坊だった。
オロオロと慌てる彩葉。対して、北斗は小さく首を振る。
「抱き方が悪い。カバン貸せ」
「え……あ、はい」
彩葉から彼女の肩掛けカバンを受け取って、北斗は顎で赤ん坊を示す。
「見た所、まだ首が座って無いだろ。片腕で赤ん坊の体を支えるんだ。その時に、赤ん坊の耳がお前の鎖骨辺りに当たるようにしてくれ」
「えっと……こ、こう?」
「よし。生まれて間もない赤ん坊にとって、一番身近な音は母親の心音だからな。それである程度は治まる」
冷静な北斗の説明の中で、赤ん坊のぐずりの波が若干引いた。少なくとも、先程急に泣き出した時と比べればぐずっていてもまだマシだ。
どうにか小康状態に陥って、彩葉は大きく息を吐きだした。
「はぁーー………良かった……」
「一時的だ。とりあえず、俺は荷物を置いてきたいんだが?」
「あ、うん………あれ?」
送り出されながら、彩葉は首を傾げた。
明らかに、お節介焼きの友人の方が赤ん坊の対処に手慣れているように見えた。だが、何故だかこのまま自分が面倒を見るような流れとなっているのだから。
首を傾げながらも、赤ん坊を抱っこするのに邪魔にならないよう掛けられたカバンから鍵を取り出して彼女は自室へ。
因みに、彩葉の部屋は二階。北斗はその真下の部屋に住んでいる。
二人の姿がそれぞれの部屋に消えた数分後、青年が冷蔵庫へと食材を片付けている間に上階から赤ん坊の元気な泣き声が響いてくるのだった。
@
酒寄彩葉にとって、杜部北斗という男子は絶妙な距離感のある相手だった。
出会いそのものは、高校入学の折。同じクラスであったから。尤も、互いに名前を知っているクラスメイト以上の関りは無かったが。精々が、クラス内での業務的なやり取り位の物。
その関係性が大きく変わったのは、入学してから半年ほど経った頃の事だった。
その日、彩葉はまだまだ慣れない生活にヘロヘロになりながらどうにかこうにか帰路に着こうとしていた。
ワイヤレスイヤホンを装着し、流し聴くのは彼女の心の支え。
ノイズキャンセリング機能も搭載したハイモデル。推しの歌を心行くまで堪能するための装備なのだが、この時は裏目に出ていた。
「ちょww無視する事ないっしょ」
「そーそー。こんな遅くに女の子一人とか心配って奴だし。ついでに、一晩泊めてくんね?」
「おっ、それ天才じゃーんww」
肩を掴まれて無理矢理に振り返った反動で、イヤホンの片方が吹き飛ぶ。
直後、彩葉の耳に届いたのはそんな会話だった。
嫌な笑い声だった。丸っきりのチンピラで、相手を食い物にしか思っていない様な典型的なタイプ。
そんな二人組の片割れに腕を掴まれる形となって、彩葉はゾッとその顔色を悪くする。
(誰か……!)
咄嗟に周囲へと視線を向けるが、時間も時間であるから人通りは疎ら。居たとしても酔っ払いであったり、明らかなヤンキーのナンパに自ら首を突っ込む様なものはいない。
「ッ、放して……!」
「まーまー、そう言わないでさぁ。あ、家とかじゃなくてもホテルでも良いよ?キミ、めっちゃ可愛いしさ」
「お、良いねぇ。割り勘で良いぜ?愉しそうだし」
「~~~~ッ!」
怖い。恐怖が、少女の内に湧き上がってくる。
しかし、振り払おうにも睡眠不足と疲労、軽度の栄養失調で弱り切った体では体格差も相まって力任せでどうにかなるものではない。
このままでは、
だが、捨てる神あれば拾う神あり。
「――――おい」
低い声が響く。
チンピラの一人がメンチを切りながら振り返るが、彼の視線よりも更に頭一つ分は大きな青年がそこには立っていた。
「そいつは、俺の知り合いなんだが………何してる?」
「はぁ?何、彼氏って――――ガッ!?」
詰め寄ろうとしたチンピラの顔面上部が、メンち切りきる前に問答無用で鷲掴み。
体格相応に大きな手はそのままアイアンクローとしてその頭蓋骨を軋ませるほどに締め上げていく。
「選べ。このまま頭蓋骨バラバラにされるか大人しくこの一帯から消えて二度と戻って来ねぇか」
「ガッ……アアアアアアッッッ!?」
「て、テメェ……!」
咄嗟に、片割れを救おうと無造作に振るわれた拳。
だが、それは空しく手袋に包まれた左手に受け止められており、それ処かそのままギチギチと締めあげられる始末だ。
悶絶する二人。
投げ出される形で尻餅をついた彩葉は、痛むお尻を擦りながらも流石に見ていられなくなったのか声を上げた。
「ちょ、杜部!やりすぎだから!」
「あ?この手の奴らは痛い目を見てプライドへし折らねぇと繰り返すからな」
「だからって怪我させたら杜部が悪くなるでしょ!?」
だから止めて!と彩葉が咆えれば、杜部北斗は叫ぶ少女を一瞥して両手の力を緩めた。
解放された二人はその場に崩れ落ちる。心なしか、ズボンの股間辺りが湿っているのは見間違いではないだろう。
そんな二人の前にしゃがみ込み、宛らギロチンを落とすように北斗は最後通牒を告げる。
「そいつに感謝しとけよ。分かったら、二度とそのツラ見せるな」
「「~~~~ッ!」」
もう、悲鳴も出ない。恐怖と痛みで震える足腰に無理矢理活を入れて、二人組はよたよたとその場を逃げ出した。
その背が夜陰に消えたのを確認して、北斗は未だにへたり込んだ彩葉へと目を向ける。
「お前も、遅くに出歩くもんじゃないぞ。バイトか?」
「え……あ、うん。そう……」
「帰りが遅いなら、せめて防犯ブザーの一つでも持っとけよ」
それだけ言うと、北斗は立ち上がる。
つられて立ち上がろうとした彩葉だったが、何故だか少し持ち上がった腰はそのまま上がる事無く再びアスファルトへと戻ってしまった。
「…………?」
「何してんだ?」
「え、いや……立とうとしてるんだけど………」
キョトンと目を丸くする彩葉。対して、そんな彼女の前に再び膝をついた北斗。
顎に手を当てて、前髪に隠れた目でジロジロと少女の顔を観察する。
「……成程な」
「な、何が?」
「酒寄……だったか。お前、飯食ってないな?」
「え゛」
「オマケに、寝てない。体が疲労困憊の癖に、食い物抜いて睡眠時間削れば動けなくなって当然だろ」
ため息を吐きながらそう言って、北斗は彩葉に背を向ける。
突然の相手の行動に、彼女の目は白黒とさせられていた。
「えっと……?」
「乗れ。このままここに座り込んでる訳にもいかねぇだろ?」
「え………いやいやいやいや!大丈夫!直ぐに立てるから!だから、気にしないで――――」
「乗らねぇなら、このまま横抱きにして連れ去るぞ?」
「…………へ?」
彩葉の思考がフリーズした。その直後に、彼女の聡明な頭脳は目の前の男子の言葉を受け取り、算盤を弾き、そして弾いた算盤を投げ飛ばす。
「…………何で、そこまでするの?」
「あ?」
「だって、クラスでも話した事ほとんどないじゃん。それなのに…………」
「見捨てたら、俺の気分が悪いからだ。それ以上の理由はねぇな」
振り返る事無く、北斗はそう告げた。
彼自身に、ヒーロー願望などはない。その一方で、人並みの正義感を持ち合わせてもいた。
仮に、彩葉でなかったとしても北斗はその手を差し伸べた事だろう。
未だに自身に向けられた大きな背中を前にして、酒寄彩葉は悩む。が、先の指摘の通り彼女の明晰な頭脳は疲れ切っていた。
誘蛾灯に引かれる虫のように手が動き、疲れ切った体が無意識の内に凭れかかる様に覆いかぶさった。
(……大きい………)
自分とは違う厚みのある筋肉質な背中。加えて、北斗の体は自分よりも体温が高い。服越しに、彩葉はそんな感想を抱いた。
突然にぼんやりとしてくる意識。口を開かなければ、と思う頭に反して瞼は急速に重たくなっていった。
その刹那、彼女の視線はあるものを見つける。
(きず………?)
北斗の左首筋。体の方から伸びる大きな古傷。
気にはなったが、そこまで。彼女の意識は、コーヒーに垂らされたガムシロップのように薄く広がって行ってしまう。
「おい、酒寄。道案内を……酒寄?」
「…………」
北斗が声を掛ければ、返ってきたのは穏やかな寝息。
その無防備な様子に、彼は眉をしかめた。
幾ら疲れていても、殆ど関りの無い異性の背中で寝こけるなど心配を通り越して呆れてくるというもの。
「早死にするんじゃねぇか……こいつは」
そんな呟きを零して、仕方なく北斗は帰路に就く。
その後、目覚めた彩葉が暴走したり、まさか住んでいるアパートが同じで一階と二階の縦列が揃っている事に驚いたり、食生活を心配した北斗の食育キャンペーンが始まったりするのだが、それはまた何れ。