【十二月二十四日・夜】
クリスマスイブだからとどうにかバイトを抜け出し、ケーキを片手に寂しくなった財布のことを思いながらボロアパートの自室に帰ると、そこでは彼女が見知らぬ男と熱い夜を繰り広げていた。
若者にはよくある話だ。
きっとそう。
これが僕の身に起きた話でなければ良かったのだけど。
見知らぬ男が呻いて果てた。どうやら僕はとてもいいタイミングで部屋に入ってしまったらしい。
恍惚とした男と対照的に、彼女は僕をみて驚いた顔をしている。
僕はケーキの入った箱をシンクに投げ捨てて外へと飛び出す。
◇
大学があることだけが取り柄の寂れた地方都市にしんしんと雪が降っている。
いつの間にかクリスマスイブがクリスマスになるくらいの時間になっていた。
浮かれて飲み歩く学生の姿もまばらで、道路には一般車両はほとんどなく、代わりに代行の車がちらほらと走っている。
ほとんどの人にとって今日という日はもう終わりだ。カップルたちにとってはこれからが本番かもしれないけど。
僕はといえば、知らないアパートのゴミ捨て場の、山積みのゴミ袋の中に体を預けて酒をあおっている。燃えるゴミがクッションになって心地いい。浮気されるゴミにはお似合いの場所だ。
柄にもなく缶チューハイなど買ってしまった。正直好みじゃない。けど、インターネットによるとよるとつらい時や苦しい時に飲むのは安くて量の多い檸檬フレーバーの缶チューハイだと相場が決まっているらしい。
一気にあおって飲み干す。いかにもな添加物の味が校内に広がる。ついでにゴミ捨て場の生臭いにおいが鼻をくすぐった。
やっぱり好みじゃない。特にこの嘘くさいジュースっぽさが苦手だ。次は安酒なりに酒みたいなやつ……鬼のイラストの日本酒を買うことにする。
「あー!!!!」
などとうな垂れていると、突然女の子の声が聞こえた。顔を挙げると、一人僕の方に駆け寄ってきている。
「見て!!!! 面白いわ!!!!」
彼女は僕の知りうる限りで一番綺麗な顔をしていた。黒く大きな瞳は宝石の様で、顔は雪のように白く透き通っている。寒さを忘れたような白い肩出しニットに、黒いミニスカート、そこから伸びる足はやはり白く、膝から下は黒いブーツが隠している。黒と白で固められた服装も相まって、まるで白黒映画の登場人物のようだ。
色にあふれた現代都市風景の中で、どこまでもモノトーンの彼女はかえってその輪郭がはっきりと浮かび、陰影のある幻想的な美しさに満ちていた。
そういう洗練された装いとは裏腹に、突然彼女は下品と言われかねない勢いでゲラゲラと笑い始めた。
「見て二人とも! 映画でたまに見る『設定上冴えない男キャラってことになってるけど商業上の理由で平均値より上の男を配役した結果、ボサボサの髪とかのパーツだけは設定通りで残りは全部微妙に設定と齟齬が出てる男』みたいな人が捨ててあるー!」
褒められてるのかな。きっと褒められているんだろう。そんな風に言われたのは初めてだから自信は無いけれど。
するとギャルっぽいの女の子がしゃがみ、視線を僕と合わせて言った。
「ヘイそこの彼! 今日ヒマ? よかったらあたしたちと――」
ところでそんなに笑ってしまったら呼吸困難になって多分吐きそうになると思うんだけれど彼女は大丈夫なんだろうか。
ダメそうだ、彼女が突然真顔になった。
「ごめ限界だわ」
そして彼女はぶちまけた。突然滝が目の前にできたんじゃないかと思えるくらいの見事な吐きっぷりだった。
「げろげろげろげろ……」
グレーチングに吐いているだけまだマシだろうかもしれない。雨さえ降れば流れていくし。
「そ、ソラちゃーん。置いてかないでくださいよ」
「……全くだ。オレは飲み過ぎて吐きそうなのだよ。走らないでくれたまえ」
するとサブカルっぽいミリタリーファッションの女の子と、マニッシュな女の子も後からやってきて――
「……え、ソラちゃん吐いてる。うっぷ……ずいません、ボクもちょっと」
え?
「……なんてことだ、オレももらってしまった」
は?
「なんですか渚ちゃんも限界だったんですか」
「当たり前だろうあんな勢いで飲んだら」
「おえええええええええええ」「……えう」
そうして二人がもらいゲロをぶちまけた。
そうしてここに、ゴミ捨て場で不貞腐れていた男とゲロを吐いた女三人が誕生することになった。
なんなんだこれ。
◇
どうにか立ち上がった僕は近くの自販機まで行き、ミネラルウォーターを三本買って彼女達に渡した。
「いやーごめんね! あたしたちの世話してもらっちゃって!」
口をすすいだ後、残りを一気飲みしながら彼女がそう言った。酔いすぎて吐いた直後にしては元気だ。アルコールの分解が早いタイプなのかもしれない。
対照的に、彼女の友人二人はまだグロッキー様子で、電柱を背にへたり込み、舐める様にしてちびちびボトルの水を飲んでいる。
「あのさ、もしかしてお兄さんも大学生?」
「ボサボサ髪だけど大学生だよ。ほら」
そういって僕は財布から学生証を取り出して彼女に見せる。
「ごめんて。あ、同じ大学じゃん。八……くび?」
「僕の名前?
「厄日の滝菜?」
「事実だね」
「なにそれウケる。あたしはソラ。夜(よる)野(の)空(そら)。たぶんママがお酒を飲みながら決めた名前」
「お互い覚えやすい語呂合わせでいいね」
「わかるわー」
けらけらと夜野空が笑った。
「……自己紹介の時間かね」
ふらふらとハスキーボイスの彼女が立ち上がる。そして煙草をくわえて一服。道端に灰を落としながら言った。
「
「夜に縛られた、だって。なんかエロいよねこの子の名前」
「ハ、名前負けしない女になりたいものだな」
そう言って彼女がまた煙を吐いた。黒のトレンチコートを纏い、肩程で切りそろえたウルフカットの黒髪をした彼女はマニッシュな印象と同時に、どこかアウトローのような雰囲気があった。
「次はボクですね!!」
「この子は
「なんでボクに言わせてくれないんですか!」
「いや自己紹介って四人目あたりからダレてくるでしょ? サクッとやろーよサクっと」
「いやそうですけども! 正直名前ネタ擦るにも何も思いつかなくて困ってましたけれど!」
「オタクは否定しないのかね」
「それはもう事実ですから」
「では『ふざけた名前連合withオタク』にでもするか」
「なんですかその取ってつけたような名前は。え、なんでこんなしょうもない疎外感味わってるんですボク?」
相変わらずのアニメ声で夜々原萌花が唸るようにそう言った。黒のフライトジャケットを肩落としで羽織り、その下にはよくわからない英文の書かれたシャツ、ショートパンツにロングソックス、そしてワークブーツと、なんというかいかにもサブカルと言った装いだった。
なんていうか、濃い三人だなと思った。組み合わせが。
「それにしても、んー……」
夜野空が僕の顔を見ながら何かを考えている。かと思いきや突然体を寄せてきた。
「やめてたほうがいいよ。ゴミ臭でしょ今」
「んー? あたしもゲロくさいしお互い様だね」
そういうことじゃない。
彼女の顔が近い。めちゃめちゃ近い。突然近づかれて首の横に顔を寄せられている格好だ。
「キミの匂い嗅いでるの。すんすん……なんて」
「近い近い一体何なんだ」
「いやさー。キミからね、匂いがしたの」
「ゲロの?」
「女の匂い。この感じだと……相当な厚化粧でしかも強い香水を使ってる女ね」
「キミは一体何を言っているんだ」
「そうですよお。そう言うこと言ってウケるのは二次元の女の子だけですよ?」
二人が冗談めかして言うが、夜野空は構わずに続ける。
「クリスマスイブに、いつも近くに女の子がいるような男の子が一人でヤケ酒かあ。ごめんだけど、めっちゃ失礼なこと聞くけど」
「なんだい」
「捨てたの? 捨てられたの?」
「夜野君。それは一線を越えているな」
縛夜渚がソラを諫める。
「構わないよ」僕は言う。「大体答えが予想で来てるからそう言う踏み込んだ質問をしたんでしょ。だけど……」
僕ははあ、と一つため息をついた。
「彼女は確かに、僕の部屋で知らない男と寝ていたけれど、僕は彼女を取り戻そうともせずに逃げ出した。情けない話でしょ。だから……彼女を捨てた情けないヤツ、と言われても否定できないね」
自嘲気味に僕はそう言った。自分が本当に情けなくない。初対面の人間に同情してもらおうとこんな弱音をこぼすなんて。
「じゃ拾ってもいいよね?」
「……はい?」
なんか話が変な方向に転がってったよ。
困惑する僕をよそに夜野空が得意顔で続ける。
「だって別に滝菜悪くなくない? 情けないとか別に関係なくない? どう考えても性欲に負けた二人が悪くない?」
「その通りですけど、ソラちゃん察してあげてくださいよ――恋愛してる若者の繊細な心ってヤツを」
「この中で彼氏彼女がいたことある人―!!」
キメ顔の夜々原萌花の言葉を遮るように夜野空が言った。手をあげたのは僕だけだった。
「はい、耳年増は黙っててねー」
「ああああああああああああああなんでボクはカワイイのに誰もコクらねえええええええええんですかあああああああ!?」
夜々原萌花の慟哭が雪の降る街にこだまする。確かに意外ではある。ここにいる三人はどう考えても目を引かれるような美人だ。交際経験がない、というのはいささか不思議ではある。もしかしたら美人ほど声をかけられないというあれなのかもしれないけれど。
「ねー滝菜。あたしは飲み仲間が欲しいの。大体あたしそのつもりで滝菜に声かけたんだけど?」
すると縛夜渚が「ああ」と合点したかのように言った。
「そういうことかね。夜野君は確かに言ってたな『ヘイそこの彼! 今日ヒマ? よかったらあたしたちと――』だったか。嘔吐さえしていなければ実に華麗な逆ナンイベントとなっただろうがね」
「恥ずかしいから逆ナンとか言うのやめてくんない? ち、違うし。ちょっと滝菜の状況が面白すぎてノリで声掛けただけだし……」
まあ傍からみて奇妙な状態だったのは特に否定はしない。
「ねー滝菜。その二人はまだ部屋にいるの? てか滝菜が外にいるのは帰れないから?」
「そうなるかな」
「ふーん……ねえ滝菜、部屋の二人叩き出して我が家に帰りたくない?」
「まあ」
「で、あたしたちは飲み場所が欲しい。もうこの辺の飲み屋やってないし――」
「今吐いたばかりなのにまだ飲むのか三人とも」
僕がそう聞くと、夜野空は当然のように「もちろん!」と答えたし、縛夜渚は「もらってしまっただけだからね」と答え、夜々原萌花は「別にいいじゃないですかクリスマスなんですし」と答えた。
しまった。こいつら全員酒クズか。
そして夜野空は「ふふん」と不敵な笑みを浮かべて言った。
「いいアイディアがあるんだけど聞く?」
酔っ払いのアイディアが良かったことなんてないと僕が言う間も無く、彼女は言葉を続けた。
「あたしたちで滝菜の部屋にいる浮気女と間男を追い出す。滝菜は部屋を取り戻す。その代わり、滝菜は部屋を酒を飲む場所として提供する。うぃんうぃんって感じ!」
それを聞いて縛夜渚は大声をあげて笑い始めたし、夜々原萌花は「それめっちゃいいですねえ!」と賛成の意を示した。
困惑しているのは僕だけの様だった。
◇
その建物はいかにも賃料安いですよといった具合にぼろぼろだった。木造二階建てで、一階はラーメン屋と空きテナント、二階はアパートになっていた。
僕の住むアパートだ。大学まで歩いて五分。立地百点。家賃百点。居住環境ゼロ点の、実に大学生にうってつけのアパート。
いくつかある部屋のうち、階段を登って一番奥の角部屋が僕の部屋だ。僕らは今その部屋の前にいる。
「しかし一人暮らし、か。羨ましいものだ」
ふと縛夜渚がそう言った。
「縛夜さんは実家勢?」
「ああ。親父のおさがりボロ軽自動車で毎朝通学している。運転自体は嫌いじゃないがね、やはり学生街という独特の雰囲気で過ごすのには憧れる」
「移動手段があるのはいいですねえ。そしたらボクもゲーセン行きやすいんですけど」
ところで、と夜々原萌花が続ける。
「ソラちゃんは?」
「コンビニに寄ってから来るって言ってたよ」
「ごめーん! お待たせ!」
ちょうど夜野空が戻って来た――ビニール袋に大量の酒を詰めて。
「気が早すぎる、と私は思うのだがね」
「ていうか安酒でいいのにちゃんとしたビールとか日本酒とか買ってきたんですか?」
「え、あたし実家がお金持ちなこと以外に取り得無いから誉めてくんない?」
「やれやれ、夜野君は頑張ってるよ」
「そうですよ。ソラちゃんはすごいです」
「でへへへへ」
ツッコミを入れた方がいいのだろうか――本人が幸せそうだし別にいいか。
「でしょ? じゃ、滝菜。初めてもらえる?」
「本当にやるつもり?」
「やるやる。あたし天井のあるところでお酒飲みたいし」
三人の雰囲気に圧され、僕は観念してポケットから部屋の鍵を取り出す。電子錠とかオートロックとか流行っているこのご時世に、僕の部屋は格安ボロアパートらしく昔ながらのシリンダー錠だ。
ガチャン、とシリンダーから音がして鍵が開いた。
「よっしゃァ! ここがあの女のハウスですよォ!」
夜々原萌花がどこかで聞いたようなセリフを言いながら勢いよく扉を開く――が、扉は室内が少し覗ける程度しか開かなかった。夜々原萌花は勢い余ってドアノブを握る手がすっぽ向け、みごとに転倒した。まだまだ酔いが醒めないらしい。
「ちょっと萌花、大丈夫? 痛くない? お酒飲む?」
「飲みますぅ……」
「やっぱ転んだらお酒だよねー」
「『日本全国酒飲み音頭』だってもっとマシな理由で飲んでるよ」
そういう会話をしている間に縛夜渚が扉を調べていた。
「ドアチェーンか。まあ確かに家主が鍵を持っていると思えば当然使うだろう……なッ!」
突然、縛夜渚が扉に向かって蹴りを放った。
「待った待った待った縛夜さん突然どうしたのさ」
「縛夜家流のノックだよ」
正面を向いたまま、脚力に任せて脚を放つ――いわゆるヤクザキック。とても『ノック』とは言えないような乱暴な音が響く。それを二発、三発。脅して開けさせようという意図はわかるけど、多分逆効果だと思う。
「……ダメかね。ビビッて開けるヤツもいるのだが」
効果が無いと悟るや否や、縛夜渚が煙草に火を点けて一服する。
「そうだね縛夜さん。扉を壊す前に辞めてもらえて助かるよ」
「ふふん二人とも、こういうのはコツがあるの!」
「夜野君、扉をこじ開けるのにコツも何もないだろう。鍵屋でも呼ぶのかね」
「まずはテープを用意しまーす」
すると夜野空はおもむろに、酒でいっぱいのビニール袋に手を突っ込んだ。取り出したのは梱包などに使われる布テープだった。あらかじめこういう事態を予測してコンビニで買っていたらしい。
「そしたらチェーンロックのボタンに貼って押し込み状態にしまーす」
「えーっと、ソラちゃん? もしかしてそれマジなこじ開けですか?」
「あ、形式だけでも家主に許可取っとく? 滝菜、別にいいいよね?」
「い、いいけど……」
夜野空は扉を開け、その隙間に指を入れて器用にボタンにテープを貼った。
「そしたらもういつでもチェーンが外れるので、適当なものでチェーンロックを持ち上げまーす。じゃん。みてこれ針金ハンガー。アパートのベランダ側探してたらやっぱり落ちてたの!」
「……夜野さん、随分手際がいいね」
「え、そう? 女の子ならこれくらいフツーじゃない?」
そうなのかな。僕は男だからわからない。縛夜渚と夜々原萌花が首を横に振っているあたり普通じゃない気がするけど。
そう思っている間に夜野空は針金ハンガーをL字型に変形させて、ドアの隙間から差し入れていた。そのまま針金を上へとスライドさせる。
「……手ごたえアリ!」
かちゃん、と金属が外れる音が聞こえた。どうやら扉の向こうのチェーンロックを外せたらしい。
「やるものだな。キミの前では浮気など無理そうだ」
「いやそんなこと絶対許さないけど?」
「ところで夜野君、さっきの質問を君に返すがね。今までに恋人がいたことは?」
「ない!」
「まだ被害者がいないようで安心したよ」
それはそれとして一瞬、彼女の目から光が消えた気がしたけどきっと気のせいだろう。
夜野空がドアを引く。今度は完全に扉が開放された。
「じゃいこっか。お邪魔しまーす!」
「さあて、男子大学生部屋閲覧会と洒落込むとしよう」
「エロ本とか隠してあると面白いんですけど、今は全部ストレージの中ですよねえ」
そして三人は遠慮という言葉を知らないようにずかずかと部屋に入っていった。僕も三人に続いて部屋に入る。
自分の靴を脱ぐ前に、玄関の靴の数を数えた。五足だ。夜野空、縛夜渚、夜々原萌花。そして恋人の靴と見知らぬ男物の靴。
彼らはまだこの部屋にいる。その事実が重くのしかかる。僕は二人になんて言えばいいんだろう。
答えが出ないまま、靴を脱いでリビングへと向かう。
「あのさあ、あたし思ったワケ。鍵ガチャガチャしたらフツー扉の向こうから力づくで閉めようとかあるじゃん? なんでそういうのないだろって。で、あんた達何?」
夜野空が青筋を浮かせてそう言った。
「二人揃ってずっとそこでぴえってたワケ? マジ? こんなしょーもない地雷女が滝菜の彼女で、この女滝菜よりこんな美容室の失敗作みたいな男選んだの? おもんなすぎてウケるわ」
彼女の視線の先には二人。全裸で正座している男。それと壁を背にしてうずくまり、すすり泣いている女――
「大方、手前の過ちに気付くもどうしていいかわからない、と言ったところだろう。ところで煙草はキッチンの換気扇下でいいかね」
そう言いながら縛夜渚が僕の部屋を見渡す。何も面白いものはないと思うけど。六畳に机とベッドとローテーブル、いくつかカラーボックスを置いただけの殺風景な部屋だし。
「なんだ、結構綺麗にしてるじゃないか。いいことではあるが、ある程度散らかしておくべきだ。綺麗すぎる部屋はたまり場にされてしまうからね」
「ボクの部屋なんかエナドリの缶で足の踏み場無いですからねえ。あ、ベッドの下覗いてもいいです? お約束ってことで」
好き勝手に部屋の部屋を評価しないでほしい。
「……ねえ滝菜、その人たち誰?」
何が起こっているのかわからないと言った様子で梨奈がそう言った。
「今からあたしたちでここ使うから出てって?」
自己紹介などするつもりないらしい。夜野空はばっさりと切り捨てるように言った。
「意味が分かんない。なんなのこの人たち? ねえ滝菜、説明して!」
「いやさ、彼氏ほっといてあんあんあんあんちんちんまんまん喚いといてその態度はなくない?」
「説明して!」
「――その男の
「――ッ!」
ぎり、と梨奈が奥歯を噛み締める。それと対照的に、夜野空は呆れた様子だ。
「ねえ滝菜ぁ。この女ダメダメ。理解力ゼロ。恋人はちゃんと選ばなきゃダメ。同じ知能レベルの人とプラトニックな恋愛できるのなんて大学までなんだから」
「――うえっ。これマジです?」
突然ベッドで存在しないエロ本を探している夜々原萌花が顔をしかめている。
彼女はちょうど掛布団をめくっていて、ベッドのシーツが露になっていた。赤い血のついたシーツが。
「ふーん。上手くできたってみたいね? 信じられない。終わってる。馬鹿じゃん? 死んだら?」
夜野空が心底不愉快そうにそう吐き捨てた。
「もーいっか。彼氏、いらないんでしょ? じゃあたしたちが貰うから。あのキッショいシーツ持って出てってくんない?」
「ああああああ! ――うるさい! うるさいうるさいうるさい!」
梨奈が夜野空に迫る。
「勝手に居場所取らないでよ!」
「はあ? 捨てたのはあなたでしょ? ねー♡ 滝菜はこれからあたしたちと楽しく飲むんだもんねー♡」
彼女の腕が降り上げられる。
「知らない女が滝菜を! 下の名前で呼ばないでよ!」
夜野空の頬を打つつもりだ――そう思った時、僕の身体は既に動いていた。
僕はかばうように立つ。梨奈が驚いたような表情を見せたけど、彼女の腕はもう止まることは無い。
僕の頬を叩く音。が部屋に響く。
「滝菜!?」
「あ……うそ……た、滝菜……」
わなわなと梨奈が腕を振るわせている。ひりひりとした痛みが僕の頬を走る。
「な、なんでその女かばったの。わたしはもういらないの」
「……ここら辺が限界だったんだよ、梨奈」
痛みはかえって、僕に言葉を紡がせる決意を後押しした。
「僕は君に安らぎを感じていたけど、君は僕に刺激を求めていた。僕達は少しずつすれ違っていて、いつかは破綻するものだったんだ。わかっていたのに、僕はずっと目を逸らしていた……そして今日、ついに破綻した。それだけの話なんだ」
「違う、違う違う違う! 私、今でも滝菜が好き。ずっと一緒にいたい――」
「梨奈……」
彼女の言葉に胸が痛む。しかし、けれど、僕は。僕は限界だった。悔しさはある。けれど、三人の味方を得てようやく言いだせるという気持ちもあった。
「ここで君を許して、その男を叩きだせるような強い男でありたかった……けど、だけど。ごめん、僕は理解しちゃったんだ。僕は強い人間じゃない。僕は……僕は……裏切られたっていう気持ちから立ち直れない……」
僕は財布の中から数枚お札をとり、梨奈に渡した。
「……タクシー代」
「たきなぁ……」
「別れよう」
取りつく島もないと悟ったのだろう。ただ梨奈はお札を投げ捨て、ふらふらと弱々しく服を着て、逃げるようにして部屋から出ていった。
「で、滝菜。この男はどーする?」
話題に上がり、男がびくりと体を震わせた。相変わらず正座を崩さない。
「……梨奈を見送ってもらおう」
「あ、そう。滝菜がそれでいいならあたしはいいけど」
「……いいのか?」
恐る恐る男が聞く。
「僕はもう……疲れた。服着て帰れ。頼むから消えてくれ」
「……分かった。な、なあ。俺は本当に、彼女が誰かと付き合ってたなんて知らなかったんだ」
「もうなんでもいいよ」僕は言う。「全部……終わった話だ」
◇
「おかげで帰ってこれた。ありがとう」
「でも、結局あたし何もしてないね」
「そうかな」
隣に座る夜野空が突然そんな話をし始めた。ローテーブルを囲んでいるのは、現在僕と夜野空だけだ。縛夜渚は煙草を吸いに、夜々原萌花はトイレに行った。
「夜野さん、もし僕が君で、あんな挑発をするとすれば、相手に殴らせて警察沙汰にしようと考えた時だけだ」
「……バレてた? てへ」
ちろりと夜野さんが舌をだし、自分の頭を軽く小突いた。
「ああいうのはやめてね。梨奈、激昂すると刃物出すタイプだから」
「え、刃物の扱いはあたしも得意だよ! アクション映画のモノマネでめっちゃ練習したし!」
「そ、そうなんだ……」
僕はローテーブルに四人分の僕はグラスを配る。するとちょうど縛夜渚と夜々原萌花が戻って来た。
「滝菜さん、これなんですか?」
キッチンの方から夜々原が戻ってきた。
「あー……」
夜々原萌花が持っているのはクリスマスケーキのボックスだった。そういえばそんなのあったな、と今更思い出す。
「コンビニのバイトでどうせ売れ残るからって持たせられたんだけど、部屋に戻った時の光景がショックでシンクの方に投げたんだ。ホールケーキが入ってるけど、中身ぐちゃぐちゃだと思うよ」
持たせられた、というか少しだけ割引したものを買い取らされたというのが正しいけれど。
「いいじゃん別に。食べれば一緒でしょ?」
夜野空がボックスを開けた。予想通り、ケーキはもう形を成していない。イチゴが明後日の方向を向き、クリームは飛び散り、スポンジが潰れて露出している。
「スプーンでなら食べれそうですねえ。ある意味贅沢かもしれません」
「なに、こういうのもいいじゃないか。ひっくり返してかき回したような一日にぴったりのケーキだ。見ようによっては実に私達らしい」
「ね、もういいでしょ。そろそろ乾杯しよ?」
いつの間にかグラスには酒が注がれていた。夜野空がやったらしい。
「かんぱ――」
「待った。ノリに流されてすっかり大事なことを確認し忘れてた」
「何です今さら。酒もある。ケーキもある。もう準備万端ですよ」
「三人は一年生だよね。歳は?」
「今さら年齢確認かね。そういう滝菜君こそ一年生だろう」
「僕は一浪だ」
「あ、そうなの? あたしも一浪」
「奇遇だな。オレもだ」
「おや、ボクもですねえ」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
そして僕らはグラスを打ち付け合った。
◇
目が覚めるとベランダだった。どうしてそうなったのかは覚えていない。ただ外で寝ていたということは、酒で狼にはならなかったということだろう。そう思いたい。
窓ガラスに手をかける。流石に鍵は閉まっていなかったらしい、普通に開けられた。部屋の中に入る。暖房の風がぬくい。
部屋を見ると、夜々原萌花だけ既に起きていた。
――ところで、なぜ彼女は部屋のすみで小さくうずくまっているのだろうか。膝を抱えて体育座りしている。久しぶりに見た。大学に入ってからめっきりやる機会がない。
「……あー、おはよう」
「ひっ」
ひっ?
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん」
「待った待った待った待った」
夜々原萌花が呪詛のように謝罪を繰り返していた。
「なんなんだ一体……まさかヤらかした……?」
最悪の可能性が頭を過るが、彼女は頭をとこにぶんぶんと振った。
「ち、違います……滝菜さんは何もしてません……本当です……ボクが悪いんです……しょ、初対面の人の部屋に押し入って、ひたすら飲んで、騒いで、吐くなんて……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ」
様子が完全におかしい。まるで別人のようだ。昨晩の面影は全くない。
「大丈夫?」
「ひいっ……あ、え。ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい。ボク、ひ、人と喋るのが苦手で……」
人と喋るのが苦手? 昨日の夜の事を思い出す――あれで? 彼女の言葉が全く理解できない。
その時、誰かが起き上がる音がした。そっちの方をみると、縛夜が起床していた。眠そうんな目を擦り、
「おはよう縛夜さん。昨日一体何が……」
「……」
彼女も彼女で、おはようの一言も言わずにベランダの方へ出て行ってしまった。外に出て煙草でも吸うつもりなのだろうか。
「あの、縛夜さん……?」
「近づくな」
ぴしりとそう言い切った。そうかと思えばはっとした表情を見せて、
「寝不足で機嫌が悪いだけだ……」
そこまで言って、縛夜渚が夜々原萌花の様子に気付いた。彼女の不機嫌そうな目で見られて、また「ひいっ」と声をあげた。
「誰だアレは」
「夜々原さん」
「ああ? 『ひぃっ』とか言うタイプじゃないだろ」
「縛夜さんのツレでしょ。朝起きてからずっとあんな調子だよ。本当に何もなかった?」
「知るか」
黙って煙草を吸い始めてしまった。そして僕は何もわからない。
しかし縛夜さんもどうしたのだろう。どこかしっくりこない。なんていうか、チンピラみたいだ。昨日は二人とも陽気に冗談を飛ばしていたというのに。
夜野さんなら何か分かるだろうか。今はこの奇妙な状況を説明してほしいという気持ちが増さっている。
その夜野空は、部屋を見渡してもどこにもいない。
「縛夜さん、夜野さんは?」
「さあな」
「夜々原さんは知ってる?」
「わかんないですごめんなさい……」
一つの可能性を思いついて、玄関の方を確認した。靴がある。一つは僕の、それと縛夜さんの、あとは夜々原さんの。それだけだ。どうやら夜野さんは他の人間が眠っている間に帰ったらしい。
「……二人のスマホに夜野さんからメッセージ来てたりしない?」
「あ、えと。知らないです……」
「知らない?」
この場合選択肢は二つしかないはずだ。メッセージが『来てる』か『来てない』か。『知ってる』『知らない』の択が出るはずもない。だって三人は昨日あんな親し気に――
「だ、だってボクたちお互いの連絡先知りませんし……」
「え?」
「ひっ。あ、ごめんなさい……ぼ、ボク帰ります」
「あ、ちょ……」
静止が間に合わず、アウターを羽織って出て行ってしまった。
「……帰る」
呆然とする間もなく、一服終えた縛夜も横を通り過ぎていった。
「待っ……」
ばたん、と安アパートの扉が閉まる。その後には静寂と、僕だけが残った。
「ええ……」
煮え切らない気持ちでローテーブルの方を見た。夢でも見ていたんじゃないかと疑いたくなるがそこにはグラスと、空き缶と、綺麗に食べたクリスマスケーキの容器が放置されている。
「……ん」
ローテーブルの上に紙ナプキンが置いてあるのを見つけた。ケーキについて来たものだろう、それ自体は自然なこと。不自然なのは、そこに文字らしきものが書いてあるということ。
手に取り、読んでみる。
『夜野空から八首滝菜様へ
申し訳ありません。私は先に帰らせていただきます』
いきなり夜野さんらしくない文言を浴びせられて目がちかちかする。
『あらかじめ断っておきますが、滝菜さんが何かしたということではありません。それは縛夜さんも夜々原さんも同じことを言うでしょう。それよりも問題なのは私達のことです。
私達は三人で、さも親し気にあなたに声をかけましたが、実は三人とも昨日が初対面です』
「……は?」
僕の困惑をよそに、文章は続く。
『ありていに言えば私はコミュ障と呼ばれる人間です。親しい友達はいません。サークルにも入っていません。正確には、入っていましたがメンバーとの折り合いがつかずにやめました。根暗です。陰キャです。ゴミです。ですが、お酒を飲んでいる間だけは違います。お酒を飲んでいる間だけは気分が良くなり、明るい人間でいられるのです。
ここまで読めばある程度お察しの事でしょう。昨日、私は嫌な気分を晴らすために部屋で酒浸りになっていました。酔いが回り、気分が明るくなった私は、気が付けば街に繰り出していました。目的もなくうろつき、そして大学の喫煙所で煙に巻かれている女の子と、ゲームショップで虹色のキーボードを眺めている女の子に声をかけました。そもそもなぜ非喫煙者でゲーマーでもない私が喫煙所とゲームショップに行ったかは考えないでください。私にもわかりません。
声をかけたというよりも、無理矢理連れて行ったというのが適切な表現ではあります。彼女たちの雰囲気は私そっくりで、どうあっても断らなさそうでしたから――最初はそう思っていました』
「……」
『そして居酒屋に赴き、酒を飲み、コンビニで酒を買い、飲み歩き……そこで、どうして私は二人に声をかけたのか、真の意味で理解しました。私は二人から何かを嗅ぎ取ったのでしょう――彼女たちもまた、お酒で人が変わる人間でした。酒が進むうちに私達は意気投合し、三人で街に繰り出すことにしたのです。そして、滝菜と出会ったのです』
「……そんなことある?」
事実は小説よりもなんとやらという言葉があるが、本当にそんなことがあったのだろうか。信じられない。信じられないが、さっきの二人の態度を見るに、かなり真実味はある。
『そして今現実を直視しています。恥ずかしくて死にたいです』
「だろうね」
『なので帰ります。今は午前五時です。出歩くにはちょっと早いです。まだ酔っている気がします。ていうか酔っています。一睡もせずに一人で飲んでいたのです。でも帰ります。タクシーを呼ぶので心配は不要です。せめてもの責任として、事の経緯はここに記しておきます。どうか二人は優しく送り出してあげてください。万一何か疑われるようなことがあれば、この置手紙を二人に見せてください。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。次があれば落ち着いてお話しましょう』
最後まで読んだところで、手紙が手からすり抜け、はらりと床に落ちた。
「部屋、片付けるか……」
事実がどうあれ、嵐が過ぎ去った後でできるのはそれだけ。