酔わなきゃラブコメやってらんねえ   作:響野響

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三人寄れば僕は屈する

【十二月二十五日・日中】

 

 鍵付きの手帳、車の鍵、七色に光るスマートフォン。

 掃除中に見つけたものだ。もちろん全て僕のものではない。元彼女の夕月梨奈のものでもない。となれば、昨晩馬鹿騒ぎした三人の持ち物であるに違いない。

 

「……マジ?」

 

 昨晩のことを思い出す。アレだけ酔っていれば忘れ物したっておかしくはないとは思う。思うけれど。

 

「なんで取りに来ないんだ……」

 

 時刻はもう十二時を回っている。お昼ご飯は済ませた。にも拘わらず彼女たちは取りに来ない。

 プライバシーの固まり、交通手段、通信機器、紛失に気付かないわけがない。それにも関わらず取りに来ないとしたら、

 

「取りに来れない予定でもあるか、取りに来たくないか……」

 

 昨晩の三人の様子を思い出してみる。陽気で破天荒で、ゲラゲラと大声をあげながら酒を飲む愉快な三人。

 単純に属性に当てはめてしまえば、夜野空は人当たりのいいギャルであり、縛夜渚は煙草とコートの似合うアウトロー風で、夜々原萌花はサブカル好きのゲーマーと言ったところ。

 ところが今朝の様子はこうだ、縛夜渚はぶっきらぼうで口数が少なく、夜々原萌花はおどおどとまるで社会不安障害のように振る舞っていた。夜野空にいたっては置手紙だけ置いて顔を合わせることなく帰った。

 今朝の様子が本来の彼女達の姿であるのなら、とてもじゃないけど大して親しくもない――というか一回会っただけの男の部屋に再訪するとは思えない。

 その上、僕から彼女達に会う手段も無い。連絡先も知らなければ部屋の住所も知らないし。

そうなれば僕にできることは多くない。向こうから訪ねてくるのを待つか、学生街という小さな社会で偶然エンカウントするのを祈るか。

 

「なるようにしかならないか」

 

 僕は野暮用を済ませるためにアパートの部屋を出る。

 念のため『遅くとも午後四時には帰ります』と部屋の扉に張り紙をして。

 

 ◇

 

 僕はレンタルビデオ屋が好きだ。より正確に言うとレンタルビデオは安いから好きだ。

 サブスクとは日本語に訳すと定期購読。金銭を払うことで定められた期間サービスを利用できるシステム。僕の辞書だと固定費と呼ぶ。当然固定費は少ない方がいい。そういうわけで僕はサブスクの類を契約していない。

 

「金がない……」

 

 実家が貧乏なわけではない。母は毎月家賃をはじめとした生活費を払ってくれているし、学費も納入済みだ。離婚してどこぞに消えた元父親から支払われた賠償金なんてのもある。母が自分では使いたくないと言って僕に渡したものだ。

 ただ、僕としては母が払っているお金に手をつけたくないという思いがある。一年浪人するというのは、すなわち社会人になる前に一年歳を取るということで、それは本来稼ぎ出すはずだった一年分の収入を失うということに等しい。そしてその一年分の収入を誰が代替しているのかといえば、母だ。浪人することで僕は母に大いに迷惑をかけている。他にも高校時代に火遊びスレスレのことをやって迷惑をかけた。はっきりいって、僕は存在しているだけで母のリソースをいたずらに削っている存在だ。もうこれ以上迷惑をかけたくない。

 そういうわけで学費家賃電気水道ガス通信費食費教科書代とかその他生活費を計算して、自分で払えた分は母に返している。来年度の学費はバイト代でまかなえたら理想だ。幸い国立の学費は安いし。しかしそうすると、現実問題として自由に使えるお金は大変寂しい。サブスクなんて契約している場合じゃない。

 でも僕も人間なので遊興費を完全に切り捨てることはできない。楽しみを切り捨てた生活をしようとして――図らずも無気力になって、毎日部屋のベッドで天井を眺めてい一日が終わり、そのままフェードアウトする類の人間の話を大学で何度か聞いている。僕は勝手に天井勢と呼んでいる。

 だから多少の遊びは人生に必要だ――そう言い訳して僕はレンタルビデオ屋へと入る。必要な時に必要な分だけお金を払う。結局のところそういう古いやり方が一番お金を節約できる。レンタルビデオ会員費はサブスクじゃないのか? その議論は拒否する。

 レンタルビデオコーナーはこのサブスク全盛もあり客の数が少ない。老人だって今はリモコンのボタンを押して動画配信サービスを使う時代だ。ここにいるのはサブスクにない作品を探しに来た人か、僕のようなケチか、諸般の理由でネットが使えないか、サブスクアンチか、ずらりと棚にタイトルが並んでいるのを見るのが好きな物好きくらいだと思う。

 

「……学生街は狭いなあ」

 

 あそこ、洋画の棚の所いる彼女はどのタイプだろう。昨日の会話から察するにお金持ちらしいし、少なくともケチではないはず。

 長い黒髪、底の見えない黒い瞳。酒を飲むだけ飲み、大暴れして何も言わずに帰った女――夜野空がそこにいた。

 昨日と違って髪が荒れてはいるし、目の下にはクマが出来ているし(一睡もせずに飲んでいたらそうもなる)、派手な服ではなく無難の極致たるファストファッションに身を包んでいるけれど。

 

「あの、夜野さん」

 

 名前を呼ばれた彼女が僕の方を見る――かなり訝しげな表情で。

 

「誰?」

「えっと、夜野さんって酒飲んでる間の記憶が飛ぶタイプ?」

「『誰?』って聞いているのだから素性を答えてくれないかしら?」

 

 彼女の鋭い目つきが突き刺さる。正直に言うと怖い、と同時に納得もあった。確かにこれは書置きの通り人付き合いに難がありそうだ。

 

「八首滝菜。首が八つで植物の滝菜」

「厄日の滝菜? ひどい名前ね」

「そのやり取りは昨晩もしたよ。『夜の空』さん」

「……そう」

 

 ばつが悪そうに一言だけ呟き、彼女の視線はレンタルビデオの棚の方へ戻った。

 

「最初の質問に答えるわ。あなたの言う通り、私はお酒を飲んでいる間の記憶を思い出せないタイプ。だからあなたと何かがあったのかもしれないし、それはそれは素敵な一夜を過ごしたのかもしれないけれど、今の私には関係のない話。だから私、あなたと話す理由が無いの。ごめんなさいね」

「話が飛躍しすぎだよ。僕はただ忘れ物をしてるって言いたいだけで……」

「忘れ物?」

 

 思い当たる節があるようだ。

 

「もしかして手帳?」

「そう、鍵がかかるタイプの――」

「持ってきて。今すぐ。走って。ダッシュ」

 

 よほど大事なものなのだろうか。鬼気迫る、まるで問い詰めるかのような雰囲気でそう要求してきた。

 

「こ、ここにあるから」

 

 アウターの内ポケットからメモ帳を取り出す。夜野空はそれを奪う様にして取り、財布から取り出した鍵で錠を開けた。そして中身にざっと目を通し、驚愕したかのように目を見開いて、やがて大きなため息をついた。

 

「そう。そういうこと……」

「日記か何か?」

「ええ。酒癖が悪すぎるの理解しているから、日記を書けるようにしてるのよ。ずいぶん愉快な夜だったようね」

 

 夜野空が手帳を閉じた。

 

「それじゃあ僕はこれで……」

「待ちなさい」

 

 そう言って夜野空が僕のアウターを掴む。

 

「私、こう見えても性格悪いのよ」

 

 会話すればすぐ気づくレベルだと思うけど、とは言わない。

 

「でも酔った私はあなたに話しかけたんでしょう? 気になるわ。酒で酔っていたとはいえ、あらゆるコミュニティで人間関係の形成に失敗したり拒否されたりしたこの私が、どうしてあなたに話しかけたのか。あなたがどんな人か」

「酒の勢い以外無いと思うよ」

 

 彼女の言った『あらゆる』から『この私が』の間のことについては触れない方が良さそうだ。

 

「とりあえず、そうね」僕の意見はどうでもいいらしい。「映画の趣味でも見定めさせてもらおうかしら。ビデオ借りに来たんでしょう? お手並み拝見よ。嘲笑してあげるわ」

「……『アナザーラウンド』」

 

 酒で暴走する映画である。

 

「当てつけのつもり? でもまあ悪くないわ。私もマッツは好きよ。でも今日はブラッド・ピットにしておきなさい。私がブラッド・ピットの気分なの」

 

 そう言って夜野さんが棚を眺め始めた。嘲笑はされなかった。答えがお気に召した、ということでいいんだろうか。

 

「滝菜、タイラー・ダーデンって知ってる?」

「それを話すことはルールに抵触するはずだけど」

「私は普通に映画の登場人物の話をしているのだけれど。それともあなたはトリビアとミームでしか会話できないタイプのオタクなの?」

 

 ちょっと作中ネタに乗っただけでひどい言われようである。『ファイトクラブ、ルールその一、ファイトクラブのことは口にするな』――タイラー・ダーデンの象徴的なセリフである。タイラーは映画『ファイト・クラブ』のヴィランにして超人気キャラクターだ。

 

「知ってるよ」

 

 気を取り直して僕はそう答えた。

 

「そう。私はね、例え彼がどれだけイカれたテロリストだったとしても消えては欲しくなかったの。滝菜はどう思う? 彼は消されるべきだったと思う?」

 

 そして彼女は『ファイト・クラブ』を手に取った。

 

「さあね。好きと言うのははばかられるけど、友達にはなりたいな」

「友達?」

「タイラーは男根主義者で洗脳上手のカリスマテロリストだ。同じ男からすればこんなにも恐ろしい存在は他にいない。でも、そんな破壊的で痛快な彼に心惹かれるのも事実だ。もしも僕がタイラーの友達になれたら、君と同じく生きててほしいと思うかもしれないよ」

「ふうん。友達、友達、ね……」

 

 ぶつぶつと夜野さんが何かを考えている。僕の解答はお気に召したのだろうか。少なくとも嘲笑するつもりはないらしい。

 

「夜野さんはどうして消えて欲しくないと思ったの?」

「ブラッド・ピットだからよ」

 

 わからなくもない。

 

「そういうわけで今日は『ファイト・クラブ』にしなさい」

 

 夜野空がそう言って棚からディスクを引き抜き、僕に差し出した。正直に言えば、僕はコメディ映画を見たい。けど断ったら夜野さんにぼろぼろになじられる気がする。

 

「まあ見直すのもいいかな。それじゃあ僕はこれで……」

 

 レンタルディスクを受け取った僕は、彼女の元から立ち去る。

 

「待ちなさい」

 

 つもりだったけど、また夜野空にアウターを掴まれた。

 

「もしかして私を置いていくつもり?」

「はい?」

「この私を? 一人にするつもりなの? は? 愚かが過ぎるわ」

「まって、どういう話?」

「私まだビデオ選んでいないのだけれど? 友達がビデオ選ぶのくらい待ったら?」

「友達?」

「ええ」彼女は自身の髪の毛を指でくるくると弄んでいる「友達」

「……え、あ。はい」

 

 どうやら僕は友達に認定されたらしい。

 

 ◇

 

 十二月二十五日のクリスマス。大学はとっくに冬休みだ。それでもちらほらと学生の姿があるのは、課題や卒論に追われているからだろう。まだ大学一年生の僕には縁は無いけれど。

「忘れ物を届けるために偶然の再開を期待して外出したの? 滝菜は遭難した時に山を降りようとするタイプ?」

 どういうわけか、彼女はレンタルビデオ店を出てからもついてきている。僕はただ、その偶然の再開に期待して当てもなく大学に来ただけなのに。

「だって誰も取りに来ないじゃないか。夜野さんだって」

「さん付けはやめてくれないかしら。なんだかむずむずしてその口を縫い合わせたくなるわ」

 

 ぎろりと夜野さん……夜野が僕のことを睨みつけた。

 

「……夜野も、そんな大切な日記帳を探しもせずレンタルビデオ漁ってたじゃないか」

 

「探しようが無いもの。言ったでしょう、酔っている時の記憶がなくなる、と。起きた時信じられないくらい眠かったし、大方昨晩の私は一睡もせずに朝までずっとお酒を飲んでいたのでしょう。何の手がかりもないなら、とりあえずいつも通り生活するしかないわ」

 

 確かに書置きにはそう書いてあった。けど、記憶ってそんなにはっきりと境界線が惹かれるものなのだろうかとも思う。アルコールで酔うにもほろ酔いとか泥酔とか段階があるように、その時の記憶にも段階がありそうな気がするけれど。

 

「それに、あなたは……」夜野が日記帳を開く。「先に縛夜……渚? の車の鍵を届けるべきだったわ。家に帰れないのはかわいそうよ」

「だからどこにいるかわからないんだってば」

「……そうなの?」

 

 不思議そうに夜野が言った。

 

「私、縛夜渚と再会する可能性が高いから大学に来たのかと思ったわ」

「いや、あてもなくうろついてるだけ……つまりどういうこと?」

「この縛夜渚って子、喫煙者なのでしょう?」

 

 そしてほとんど確信があるように夜野が言った。

 

「だったら喫煙所にいる可能性が高いじゃない。学生が使う喫煙所といえば大学構内のと相場が決まってるわ」

 

 そんなまさか、と思うも他に手がかりもないので構内の喫煙所に移動することにした。当たり前のように夜野もついて来た。

 喫煙所は外にある。エアコンの室外機がゴウゴウと音をたてる、講義棟の裏の薄暗い場所だ。喫煙所廃止ムードの中、喫煙者の大学職員と教授陣が猛反発してどうにか確保した喫煙所らしい。室外機にタールが絡むのではないかと思うけれど、きっとそんなことより喫煙者を追いやることの方が大切だったんだろう。

 そういう微妙にかび臭い場所に、本当に彼女の姿はあった。縛夜渚だ。煙草を咥えてぼうっとスマホを眺めている。

 

「縛夜さん?」

 

 名前を呼ぶと、ぎょっとした表情で僕達の方を向いた。

 

「へえ、この子が縛夜渚ね」

「……」

 

 縛夜渚は何も言わない。

 

「縛夜さん?」

「……」

 

 ただ空を仰ぎ見て煙を吐いている。

 

「あの、縛夜さん?」

「……」

 

 そして彼女は灰皿に吸い終えた煙草を捨て、また新しい煙草に火を点けた。

 

「あの、これ車の鍵。忘れ物」

「……ああ」

 

 縛夜さんが鍵を受け取り、そしてやはり煙草を吸い続ける。

 

「えーっと」

「……」

 

 黙って縛夜さんが煙草を吸い続ける。夜野も髪をいじって何も言わないし、僕も会話のきっかけがつかめない。気まずい時間が流れる。やはり彼女も酒が入っていないと会話が上手くできない人間のようだ。いや、もしかすると僕もそうなのかもしれない。会話が続かな過ぎて自分のコミュニケーション能力が信じられなくなってきた。

 

「……ちっ」

 彼女は煙草の箱からもう一本取り出した。

「吸えるか」

「僕? ふかすだけなら」

「やる」

 

 そう言って彼女は僕に煙草を差し出した。

 

「あ、ありがとう……でもいいの? 今って煙草高いでしょ?」

「滝菜、受け取っておきなさい」夜野が言った。「そういうタイプの人間はね、共通の嗜好や趣味があると確信してからでないと会話のきっかけが作れないの。どんな話題を振ればいいのかわからないから、自分の話せることに相手が興味があるか探ってから話始めようという試みよ。それ自体は別に普通のやり口だけれど、それしかできないの人っていうのは問題よね――けれど、それしかできないのだから仕方がないわ。そして、そのためなら安くないコストだって平気で払うの。まるで『千と千尋の神隠し』のカオナシよ。一つ学んだわね。つまりコミュ障は遠慮されると死ぬわ。可哀そうな人だと思って遠慮なくもらっておきなさい」

「死ね」

 

 ドスの聞いた低音で縛夜渚が言った。そんな風に言われれば誰でも屈辱を感じるに決まってる。これ以上話がこじれる前に僕は煙草を受け取る。

 

「火」

 

 ジッポーライターを貸してくれた。青と銀とスポーティーなツートンカラーのライターだった。喫煙道具にはこだわる方らしい。煙草に火を点けて返す。

 

「……『パストビジョン』」

 

 ぼそりと縛夜渚がつぶやいた。

 

「銘柄?」

「そう」

「聞いた事ないかな」

「コンビニにはねえな」

「へえ。珍しい銘柄なんだ」

「どうだ」

「ビターチョコみたいな感じ」

「苦手か」

「悪くないね」

「そりゃいい」

 

 ふう、と縛夜さんが煙を吐いた。

 

「……鍵、助かった」

「よかったよ返せて。縛夜さんが喫煙者じゃなかったら見つけられなかったかも」

「渚、だ」

「ん」

「縛夜って呼ばれるのは好きじゃない。どいつもこいつも珍しい苗字だからってイジりやがる」

「じゃあ『ふざけた名前連合withオタク』は解散だ」

「ああ」クスリと渚が笑った。「そうだな」

「ちょっと」

 

 不服そうに夜野が会話に割り込んできた。

 

「私には? 私には煙草くれないの?」

「断る」

 

 ビックリするくらいの即答でばっさり否定した。

 

「は? なんで?」

「黙れクソ女。欲しけりゃ千円」

 

 そう言って渚は、中指だけを立てた例のハンドジェスチャーを夜野に突き付けた。

 

「共通の話題が無けりゃ話せない、だったか? ワリぃな。クソ女向けの話題は無い」

「~~~~~~~~~~~~ッ!」

 

 夜野が悔しそうに顔を真っ赤にした。そして何をするのかと思えば、財布を取り出し、中から千円札を取り出した。

 

「これでいい!?」

 

 渚が驚きのあまり開口して、うっかり煙草を落としてしまった。はっとして煙草を拾い、灰皿に捨て、そして新しい煙草に火をつけた。そうしてようやく言葉を絞り出した。

 

「冗談だろ?」

「あなたの言う通り千円払うのだから文句ないでしょう!」

 

 そして夜野は渚のアウターのポケットに千円札をねじ込んだ。夜野、流石にそれはみじめだと思う。

 

「……お前マジか」

 

 渚はそれ以上の言葉を失った様子で、しぶしぶと煙草とジッポーを取り出して夜野に差し出した。夜野はそれを奪うように受け取る。じゃりじゃりとフリントホイールを回しているが、なかなか火がつかない。明らかに慣れていないという雰囲気だ。

 見かねた渚が、おそらく予備にしてるんだろう使い捨てライターを夜野に差し出した。確かにジッポーよりもそっちの方が簡単に扱えるだろう。

 

「ヘタクソ」

 

 それは余計な一言だと思う。

 

「何? 私をなめないでくれる?」

 

 そして夜野はまたじゃりじゃりとジッポーとの戦いを始めた。呆れた渚は使い捨てライターに火をつけ、無理矢理に夜野の咥えたタバコに押し付けた。夜野は大人しく火を受け入れ、煙を吐き、それからまた渚と口喧嘩を始める。

 

「お前、金持ちだったよな? アレやれよ『どうだあかるくなったろう』ってヤツ」

「あなたの口は臭いわ。煙草の匂いと汚い言葉で」

 とかぎゃーぎゃー喚いているけれど僕は知らない。

 

 ふう、と僕は煙を吐く。

 どうすればいい?

 まあいいや。一服してから考えよう。

 

 ◇

 

 車の鍵はやはり渚のものだった。厳密には渚の車が修理中ということで借りてる代車の鍵らしい。だから無くすと大目玉だったとか。

ついでにダメ元で渚に夜々原さんの行方を聞くと、幸運なことに心当たりがあるとのことだった。

 

「あいつは多分ゲーセンだ」

 

 とのこと。

 いくら彼女がオタク趣味だからといってゲームセンターにいる予想するのはやや安直な気がする。ただ渚が鍵を届けてくれたお礼にと車を出してくれるそうなので、移動コストを持ってくれるならと彼女の案に乗ることにした。

 駐車場に車を止め、ゲームセンターの中へ入る。ファミリー向けのキャラクターものやらクレーンゲームやらコックピット型の筐体やらがずらりと並んでいる。さてどのコーナーだろう、と僕が呟くと。

 

「夜々原萌花はオタクなんでしょう? だったらリズムゲームで奇怪な動きをしているか、クレーンゲームで推しキャラグッズの獲得に躍起になっているんじゃない?」

 

 と夜野が言った。

 それは偏見が過ぎると思う。けど足掛かりとして、とりあえず音ゲーコーナーに向かうことにした。

 しかし流石に二度あることはなんとやらみたいなことは――

 

「――本当に見つかったよ」

 

 二度あることはなんとやら。夜々原萌花は確かにそこにいた。液晶を睨みつけ、なにやら両手を一生懸命に動かしている。彼女が筐体を叩くたびに、LEDの装飾がきらびやかに発光する。傍から見ているとゲームってそんなに激しく体を動かさなきゃ遊べないのかという感想が出てくるが、それをプレイする彼女はいたって真剣だ。

 

「一流ゲームメーカーは射幸心を煽るのが上手いわね。彼女もう三回もコイン入れてるわ。マナー的にどうなのかしらアレ」

「待ってる人もいなさそうだし、別にいいんじゃないかな。ただ、話しかけるタイミングがつかめないのは困るけど」

 

 彼女の遊んでいるゲームは筐体が四台用意してあった。その内の三台は誰も遊んでおらず、待っている人間もいない。夜々原萌花からすればが交代をする必要のない遊び放題の状態だ。彼女の百円硬貨が尽きるか、ゲームに飽きるかするまで僕達はここを動くことができない。

 

「それにしても……」夜野がため息をついた。「ねえ滝菜、アレ上手くいくと思う?」

 

 夜野の言うアレとは渚のことで、彼女は今夜々原さんの真後ろで無言の圧力をかけている。次が待っているんだ、と夜々原に気付かせようと試みているらしい。

 はっきりいって怖い。素面の縛夜はいやに目が鋭く、苛立っているように見える。実際は人見知りゆえに目元に力が入っているだけだけど――それはいい。問題は四台のうち三台空いているのに、あえて人がいる場所に並んでいるように見えるということで、これでは不審な目で見られるのも仕方がないだろう。

 

「……店員に注意されそうになったらやめさせよう」

「ええ、そうね。傍から見ていると、渚が夜々原萌花に因縁をつけているようにしか見えないわ」

 

 などと夜野が冷静に意見を述べているが、こうなった原因の半分は夜野にある。

先ほど夜野に『共通の嗜好や趣味があると確信してからでないと会話できない人間』と言い放たれたのが相当癪だったらしく、次は自分が行くと言って聞かなかったのだ。

 

「それにしても夜々原……萌花? もすごいわね。背後からプレッシャーを受けているのに平然とプレイしているわ」

 

 確かにそうだ。後ろに立つ渚に気付いていないだけかもしれないけど、背後の異様な存在をものともせずに完璧なプレイを見せている。記憶違いでなければ、ここまでのリザルトは全てフルコンボ――

 

「あ、ミスしたわ。やっぱり無理よね、チンピラに見られたままプレイするなんて」

「チンピラって……」

 

 なぜこんなことが分かるのかと言えば、彼女のプレイは全てちょうど僕らの目の前に設置されている、少なくとも四十インチ以上はあるモニターに映っているからだ。

いわゆる晒し台だ。四台のうち、ちょうど夜々原さんの使っている筐体だけはモニターに映されてギャラリーから見れるようになっている。

 ……というような説明をさっき夜野にした。

 

「ねえ滝菜。彼女の台が晒し台と呼ばれているのは理解したけれど、そういうところでプレイするのは恥ずかしくないのかしら」

「気にしない人もいるけれど、やっぱり嫌がる人の方が多い気がするね。そこだけ空いてることも珍しくないし」

「ふうん。ところで、他に三台も空いているのにあえてそこを選ぶ理由は?」

「まあその」非常に答えにくい「……えっと、やっぱり自分のプレイに自信があるんじゃないかな」

「ギャラリーなんていないじゃない」

「それはそうだけど……」

「いいのよ滝菜。自分の華麗なプレイを見せつけて自尊心を満たしたいけれど、人前でプレイする勇気はないから、人の少ない時間帯に『もしかしたら見られるかもしれない』という想定でプレイすることで虚栄心を満たそうとするとする卑しい人間だと言い切っても」

「物言いがキツいって言われない?」

「言われないわ。友達いないもの」

 

 それはそうだろうと思った。

 

「……あ、またミスしたわ」

「ミスが増えてるね」

「当然よ」夜野が渚を指さした「あんなことされたら」

 

 夜野と話していて気付かなかったが、かちんかちん、という金属音が渚の方から聞こえてきた。見れば、渚は彼女の青と銀のジッポライターが握り、手慰みのように何度も開閉させていた。単なるクセなのか苛立っているのかは分からないが、どちらにせよ夜々原さんからすればたまったものではないだろう。

 ミス、ミス、ミス。かちん、かちん、かちん。心なしか夜々原の動きも委縮しているように見える。

 

「だからチンピラと言ったのよ」

 

 呆れたように夜野が言った。かちん、かちん、かちん、ミス、ミス、ミス。ひどい有様だ。傍から見ると目つきの悪い女がボサボサ髪の野暮ったい女を威圧しているようにしか見えない。本当に。どうしようもなく。事実として。

 そろそろ限界だろう、と渚に声をかけようとしたところで曲が終わった。ふとモニターの方を見てみる。コンテニューしますか? 決まり文句が表示され、夜々原は即座に『いいえ』を選んだ。

 

「あ、あのあのあの……ぼ、ボクがなにかしましたか……?」

 

 ゆっくりと、強張った体を無理矢理動かすように夜々原さんが振り向いた。

 

「ってあ、あの。あ、え? 渚ちゃん。あ、ソラちゃんに滝菜さん? ど、どどどどうしてここに?」

「お前」かちん、とジッポーが閉じられた「湾岸とイニD、どっちが好き?」

「あ、えと、レースゲームはど、どっちもやってないですけど」

「そうか」

「はい……」

「……」

「……」

「あの……」

「……ちっ」

 

 そして二人の間に気まずい沈黙が流れる。ゲーセン内に広がるきらびやかなサイネージも、猫なで声のキャンペーン告知も、派手なゲーム画面も音楽や効果音も、このなんともしがたい空気を晴らすことはできない。僕は言葉を失い、夜野は頭を押さえて飽きれ、渚は手慰みにジッポーを打ち鳴らし、どうすればいいのかわからない夜々原さんは気まずそうに下を向いている。

 要するにさっきと同じだ。渚は自分と相手との共通項をきっかけに会話を始めようとして――もう見事にスベった。

 

「行きなさい滝菜」

「はい」

 

 そして僕は渚と夜々原の間に割って入った。

 

「こんにちは夜々原さん、僕の部屋に忘れ物したでしょ」

 

 と僕は夜々原に七色に光るスマートフォンを差し出す。状況をようやく飲み込んだらしい夜々原がそれを受け取った。

 

「あああありがとうございますう」

「よかったよちゃんと渡せて」

「ろ、ログインボーナス途切れるところでした」

 

 それならゲーセンよりも僕の部屋に来て欲しかったけれど。

 横目で渚の方を見る。彼女は早速、夜野に先ほどの態度を追及されていた。

 

「スマホ返すだけなのに、会話のきっかけ作りから始めないといけないのかしらあなたは。手間のかかる人ね。今までどうやって生きてきたのか想像もできないわ」

「るせえ。大体ゲーセン通いが湾岸もイニDもやってねえなんてありえねえだろ。滝菜もそう思うだろ?」

「そうでもないかな……」

「なんだよそれ……名作だろうが……」

「あ、あの」夜々原さんがおそるおそる言った「どうしてボクがゲーセンにいるってわかったんです?」

「……あー。その、さ」

「ああ、それな」

 

 僕が言い淀んだのを見て渚が代わりに答えた。

 僕が思うに、この質問には答えるべきではないと思う。実のところなぜ渚がゲーセンに夜々原さんがいると予想できたのかといえば、夜々原さんがやらかしをしたからだ。

 だからこの質問に答えることはつまり、夜々原さんを辱めることに直結する……が、先ほどの失態を取り戻そうとするかのように渚が会話を続けた。

 

「オレはドライブが趣味だ。だからヒマな時にグーグルマップを適当に眺めてるんだがな」

 

 渚がスマホを取り出す。僕は「言わなくてもいいんじゃないかな」と言ってみたけれど、渚は「いいや、ちゃんと言った方が本人のためだ」と聞かなかった。夜野は笑いをこらえている。

 

「ほら、グーグルマップってそのスポットの参考写真とかユーザーがアップロードできるだろ。たまたまこのゲーセンの写真見てたらな」

 

 そして渚がスマホの画面をを夜々原さんに見せた。

 

「音ゲーのリザルト画面っつーかスコアをあげてる馬鹿がいた」

 

 夜々原さんの顔が青くなった。

 渚、やっぱり言わない方がよかったと思うよ。

 

「で、このアップロードされた写真のゲームの液晶画面見ろよ。画面に反射してお前の顔が写ってるぜ。気付いたのはたまたまだけどよ。なにやってんだこの馬鹿」

「あのそのえとそれはボクというかそのボクがいやボクじゃえっと」

「いい結果を共有したい気持ちはわかるけど、いくらなんでもやり方があるだろ。恥ずかしくないのかお前?」

 

 渚は正しい。多分グーグルマップの利用規約違反だし、プライバシーの観点からも問題だ。とはいえこう堂々と指摘されて、恥ずかしくないのかと問われたら……。

 

「ぴいぃぃぃぃぃぃ…………」

 

 言い訳が思いつかなかった夜々原さんが小動物のようなか細い鳴き声のようなものをあげて崩れ落ちた。指摘した張本人の渚はやっと失言に気付いて焦り、夜野はそんな二人を見てこらえきれずについに噴き出した。

 

「渚、あなたはとんだ間抜けね! 当人の尊厳よりも自分がちゃんと話せるかを優先したんでしょう? ええ、間違いの指摘ならどれだけおしゃべりが苦手でもできるものね!」

 

 そう言う夜野はまるでアニメに出てくる性格の悪いご令嬢のようだ。

 

「わ、悪かったよ。なあ」

 

 渚は平謝りだ。夜々原さんは相変わらず呆然としている。

 それで最終的にどうなったかと言えば、なぜか夜々原さんも含めて四人で渚の車で送ってもらうことになり、全員を送り届けた後に渚は実家へと帰った。

 当然、帰りの車内は地獄のような空気だった。

 

 ◇

 

「かんぱーい!」

「乾杯!」

「かんぱいっ!」

 

 上から順に夜野、渚、夜々原だ。

 

「……乾杯」

 

 これはしぶしぶグラスをかかげた僕。

 なんでこいつらは僕の部屋で飲んでいるんだ?

 

「なんでって、昨日言ったじゃん! ここをあたしたちの酒飲み部屋にするって」

「そうだぞ滝菜君。いや昼間はいささかモメたがね。オレとしては飲み友達ができる方が重要だ」

「まったくです。ていうか昨日の時点で約束してたじゃないですか。今日もここで飲むって」

「あ、滝菜はベランダで寝てたから知らないかも」

「連絡先交換し忘れたのも失敗だ。やれやれ、酒には強いつもりだがやはり回るとダメだな」

「てかアレですよ。いくら女三人で押し掛けたからってベランダで寝る必要なんかないですよ。風邪ひきますよ」

 

 いや。

 は?

 

「待った。酒飲み部屋云々はおいておいて、夜野も渚も夜々原もまた来るつもりだったってこと?」

「そうですよ? だから忘れ物は夜に取りに行けばって思ってたんです。でも滝菜さんが届けてくれたし、渚ちゃんが車で送ってくれたしラッキーって感じで」

 

 とんだ徒労だ。僕は頭の中で崩れ落ちた。

 

「てか滝菜さん、なんで渚ちゃんだけ下の名前で呼んでるんですか? オタクにはなぜか『親しい間柄であるなら下の名前で呼ばなければならない』ってルールがあるんですよ。ボクのことも萌花と呼んでくださいよ!」

「あ、ズルい! あたしのこともソラって呼んでよ!」

「夜々原……萌花はともかく、夜野は夜野って呼べって言ったじゃないか」

「え、そうだっけ? じゃあ今からソラね。リピートアフタミー、ソラ」

「ていうかソラさ」

「グッド! いい発音!」

 

 やかましい。

 

「ここを酒飲み部屋にするって、もしかして今後ずっと?」

「そのつもりだけど? いやーここ大学近いし助かっちゃうなー」

「ああ、私のような実家勢からすれば大学近くに拠点があるのは最高だ」

「昨日も言いましたけどボクの部屋、床がゴミだらけでヤバいんで」

 

 そんなのは聞いていない。確かに昨日一日だけなんて話もしてないけど、普通こんな展開予想できない。なんだこの多勢に無勢に押し切られそうな雰囲気は。

 

「もちろんタダとは言いませんよ。滝菜さんのために用意したものがあります」

 

 そして萌花がやたらと大きいバッグをまさぐって取り出したのは、

 

「さ、最新のゲーム機……」

「初期型ですけどね。いやーノリで買ったんですけど、ボクはパソコンでゲームやるんですよねー。たまり場にしていいなら貸しますよ。あ、でもアカウントは自分のを使ってくださいね」

 

 僕は今とんでもなく心が揺れている。

 部屋を見渡した。目についたのは机とエントリーグレードのノートパソコン、ローテーブルにベッド、横にしたカラーボックスにジェネリック家電メーカーの安いテレビと製造元不明の再生専用DVDプレイヤーが置いてある。

 この寂しいローコスト部屋に最新のゲーム機?

 

「そういう話なら」渚が空のグラスを置く「私は足を提供しよう。なにかと車があった方が便利だと思うがどうかね。ああ、買い物くらいなら燃料代は私が持とう。遠出するなら要相談だがね」

 

 僕は脳内の家計簿を開く。一番近いスーパーよりも、ちょっと遠いところにあるディスカウントストアにいけば大分お金が浮く。できれば安い方に行きたいけれど自転車ではそんなに買い込めない――その問題も車さえあれば解決だ。

 

「や、やめろ。僕は屈しないぞ」

「滝菜♡」

 

 ソラが僕を呼んだ。この中で一番お金持ちだと呼ばれた彼女に。妖しい笑顔で彼女が言うことには、

 

「映画、好きなんでしょ♡」

「え」

「HDR対応4K有機ELテレビ♡」

「あ」

「音響メーカーのちょー音のいいサウンドバー♡」

「う」

「ネットフリックス♡ hulu♡ プライムビデオ♡ U-NEXT♡ YouTubeプレミアム♡ ディズニープラス♡ もちろんあたしのアカウントでサインアップ済み♡ サブスク増やしてもいいよ♡」

「ひっ」

「はい! はい!」萌花が勢いよく手を挙げる。「バンダイチャンネルが見たいです!」

「アニメ? おっけー♡」

「ソラ君。オレはスーパーGTが見たいが」

「モータースポーツ? もちろんい・い・よ♡」

 

 着々と話が進んでいる――あとは僕の意向だけ。僕としてはノーといいたいところだ。支払いがソラである以上、彼女のアカウントを使うことになると思うけどパスワードの共有はもれなく規約違反だ。

 そうは言ったってパスワードの共有でBANされたなんて話聞いた事ないし僕とてそういうグレーな恩恵を否定するほど正しい人間ではないしなんなら僕の人生グレー寄りの黒ばかりというかいやそれは黒だけど話を戻すと僕がグレーゾーンのことに踏み込むとしたらやはり僕の意志によるべきであって提案したソラはともかく渚や萌花は単に乗っかっただけだしそんな彼女たちを巻き込んでグレーゾーンに立ち入るのはなんていうかこうかなり抵抗があるというか。

 

「ね、滝菜」

「えう」

「パスワードの共有は規約違反だけどぉ……♡ 『あたしの生活拠点』で『事実上の同居人』が『同居人のアカウント』を使うのはセーフだとおもうなぁ……♡」

「うわああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 

 僕は屈した。

 

【夜野ソラの手帳】

 友達が増えた。

 縛夜渚。

 夜々原萌花。

 八首滝菜。

 夢みたい。あたしみたいに終わってる人間に友達ができるなんて。

 向こうがどう思っているかはわからないけど、あたしは友達だと思ってる。

 今度こそ失わないようにしたい。

 あとは滝菜をあたしのものにするだけ。

 絶対に逃がしたくない。逃がさない。

 絶対に。

 このメモを書いてる間も頭がぐるぐるしてる。

 この昂りは酒だけのせいじゃない。

(素面のあたしへ。滝菜はあたしのことをソラと呼ぶ。だから素面のあたしもソラと呼ぶ。その点を受け入れるように)

 

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