【十二月二七日・日中】
昨晩もひどいものだった。
アルコールの力でどんちゃん騒ぎだった僕たちは眠るというよりも気を失うといった風情で、遅すぎる朝を迎えることになった。
僕がインターフォンの音で目覚め、目を擦りながら部屋のドアスコープを覗くと宅配便の人が見えた。
はて、何か注文したかなと心当たりが無いながらにドアを開ける。
「お届け物です」
そう言って宅配の人は二人がかりで六十五インチの巨大なテレビを僕の部屋に運び入れた。
「え?」
戸惑う僕は伝票を見て経緯を察する。
『夜野空 様』
そういえばテレビを買うとかどうとか言ってた。
◇
それと後から高そうなサウンドバーも届いた。黒地に金色の差し色の入ったアイコニックなサウンドバー。サブウーファー付き。このボロアパートにはとてもとても似合わないリッチな質感だ。
満足気なソラが僕に言う。
「私言ったじゃない。ここを飲み部屋にする代わりに大きいテレビを買うって。文句はないでしょう」
「いや、さ。その……」
酒が抜けて冷静になった頭で考えると、大学の同期にフラグシップクラスのテレビを買ってもらうのってどうなんだという気持ちになってきた。本当に今さらだけど。
「言っておくけれど、これは貸与ではなく譲渡よ。そこまで含めての『文句はないでしょう』よ」
「……はい。ありがとうございます」
否定するのもソラの機嫌を損ねそうなのでとりあえずお礼を言う。これでいいのか、という疑念は尽きないけれど。
「結構。慎み深さはその人の誠実さを証明するけれど、時に相手への強い拒絶にもなりうる。あなたがこういう時に遠慮しない人間でよかったと私は思うわ」
「なんでこいつは態度がデカいのにビミョーに繊細なんだ」
渚がキッチンの換気扇の下からそうツッコミを入れた。言わずもがな煙草を吸っている。
「にしてもオイ、この六畳間に六十五インチテレビはデカすぎんだろ」
「床に置けばいいでしょう」
「オレは設置スペースの問題じゃなくて適正な視聴距離の話してんだが。まあお前のカネだしなんでもいいけどよ。で、元からあるテレビはどーすんだよ」
「二十四インチしかなくてフルHD表示も出来なさそうで、マトモな映像エンジン積んでいる様子もなければ蚊の鳴くような音しか出ないそこのテレビのこと? もちろんどいていただくわ」
ソラの辞書には『コストパフォーマンス』と『必要十分』という言葉は無いのだろう。哀れ、僕の初めてのアルバイト代で買ったテレビ。君にはとりあえず押し入れで休んでもらうことになる。
「萌花、あなた家電は得意そうよね。オタクだし。テレビのセットアップをなさい。あなたのゲーム機の接続も終わらせること」
「は、はいぃぃぃぃ……」
弱々しい声で萌花が返事する。
僕は数日前の会話を思い出していた。この部屋をたまり場にする代わりに、ソラは高級テレビ、スピーカー、それと各種サブスク代を負担する。渚は必要な時に自家用車で送迎をする(ガソリン代は要相談)。萌花はゲーム機を貸与する。
なんというか、本当に今さらだけどこれでいいんだろうか。例えソラがお嬢様でお金なんていくらでもあるとして、渚が実家勢だからどうせ車は使うとして、萌花からすれば使用頻度のゲーム機を貸してるだけだとして、本当に、本当にこれでいいのだろうか。
なんかもういいや。僕も了承してしまったわけだし。
「――嘘でしょう。信じられない」
ふとソラが声を震わせながらそう言った。彼女の視線の先には萌花のゲーム機がある。
「このゲーム機――ディスクレスモデルじゃない!」
「え? あ、ハイ。あくまでそれはサブ機なので……」
そういえば萌花はパソコンでゲームを遊んでいると言っていた。彼女にとってゲーム機はあくまでゲーム機でしか発売されないゲームをやるためのものなんだろう。ディスクスロットの無い廉価モデルを買うのというのは別に不自然ではない、はず。ソラからすればそうではないらしい。
「ありえない。あなたはプレーンピザのチーズ抜きで頼んで、挙句チーズ分の値引きを要求するタイプ? 理解できないわ」
「ぴ、ぴいぃ……」
理不尽な物言いに萌花は喉を絞ったようなうめき声をあげた。ところでどうしてピザで例えたんだろうか。好きなのかもしれない。四人も集まってるんだしたまにはピザも悪くないか――ところでプレーンピザからチーズを抜いたらトマトソースと生地しか残らないのでは、いやつまりそういうたとえ話なのはわかるけど――というのはおいておいて。
「でもさソラ。今のゲームってダウンロードが主流だし特に問題は……」
「ゲームなんてどうでもいいのよ」
ゲーム機を提供してくれた萌花に謝った方がいい。
「これでは私の映像ソフトコレクションもレンタルビデオも再生できないじゃない!」
「え、そこ? えっと、一応DVDプレイヤーはあるけど」
「ブルーレイ!」
「ごめん」
「なんて嘆かわしいのかしら。文化はこうして滅んでいくのね」
ソラが大げさな身振り手振りで嘆いた。
「私とてサブスクでビデオは見るわ。便利だもの。でも、サブスクの映像は永遠ではない。権利の奪い合い。版元の消滅。倫理観の変遷により新たな表現規制。そしてサービス終了。私たちはそれらに抗うことはできないわ。映像を所有しているわけではないからよ――けれど、ディスクは違う。例え物理的な損傷から逃れられないとしても、その瞬間まで私たちは作品を
「こいつこんな強火だったか?」
「さあ……」
厳密にいうとブルーレイディスクのコンテンツは再生する時にライセンス認証が必要なため永遠とは言えない……という話をするとソラがヒートアップしそうな気がするので黙っておく。
「私の将来の夢は」ソラがなおまくしたてる。「両親の遺産を相続した後、不動産収入を得ながら適当な居抜きでレンタルビデオ屋を経営することよ。可愛い女子大生のバイト雇って『この店潰れますよ?』なんて悪態をつかれながら静かな店内でポップとか作ったりするのだわ。きっとツタヤもゲオもそのうちレンタルビデオ事業を畳むでしょうけれど――そう、私が日本最後のレンタルビデオ屋になるの。アメリカのオレゴン州にあるというブロックバスターの様に!」
ここでいうブロックバスターとはかつてアメリカで店舗を大規模展開していたレンタルビデオ屋である――と補足を入れようとしたけど、舌が絶好調で回っているソラの前では口を挟む余地はなかった。
「渚! お酒は抜けたかしら?」
「あ? なんだよ突然」
「車を出しなさい。家電量販店に行くわ。ブルーレイプレイヤーを買いに。ちょうどよかったわ。アレもいつ販売終了になるかわからないもの」
「ガソリン代は?」
「愚問よ」
そう言ってソラは財布から真っ黒でいかにもお金持ちしか持てないようなカードを取り出した。プラチナカードって実在したんだ、と感心する。
「朝食もつけましょう。もちろん全員分」
「いいだろう。駐車場から車持ってきてやる。待ってろ」
そう言って渚は煙を吐く。萌花は渚の傍に駆け寄り、灰皿を持ってスタンバイ。渚はその灰皿で煙草をもみ消し、部屋から出た。
「僕と萌花は?」
「強制参加よ。当たり前じゃない。私と渚だけで行って喧嘩せずに済むと思う?」
「そうは言っても寝不足で――」
「昼食もつけるわ」
「……分かった」
なんて現金なんだ僕は、と心の中で自虐する。
◇
もしもこれが映画ならシーンが切り替わって家電量販店だろうけど、出発前にひと悶着あった。
僕達はアパートの前に停められた渚の乗って来た車を見て唖然としている。
「この前の車は?」
「あ? ありゃ代車だ。こいつの車検通してたからな」
僕の質問に渚がなんてことなさそうに答えた。
色はベタな黄色で、いかにも日常遣いの足として作られたような普通の四人乗り、ハッチバックの軽自動車だ。デザインから察するに二〇〇〇年一桁台の車と思われる。ずいぶん古い車ではあるものの、その分中古相場は安いだろうし大学生の通学車両として買い与えるのにはちょうどいいかもしれない――ベース車両は。
「……なんか変じゃない? この車」
「な、なんか。えと、なんていえばいいんでしょう」
「あー……」
何から聞けばいいのかわからない二人の代わりに、僕は彼女に質問をすることにした……身体の安全のために。
「車種は?」
「ん? ああ」渚が言う。「デッパツ自動車のエッセイ。親父のお下がり」
僕は続けて質問する。
「車高低くない?」
「ちょっとだけな」
「ホイールこれ」
「軽量スポーツ仕様」
「見た感じハンドルが無いけど」
「ありゃクイックリリースだ。ステアリングが外せるようになってる」
「いかついマフラーだね」
「ああ。いい音するぜ」
「排気量は?」
「軽だぜ? 六六〇だ」
「ターボ?」
「よくわかったな。こいつにターボモデルは無い。スクラップからターボ付きエンジン拝借してポン」
「エアコンついてる?」
「当たり前だ。カーオーディオもついてる。おいおい滝菜、通学用の足車だぜこれ。実用性を損なうのは違うだろ。ちゃんとシートはついてるし内張りもフロアマットもあるから安心しろよ」
「……車検通るのこれ?」
「通るさ」渚が微笑みながら言う。「車検の日はな」
「なるほど」
僕はソラと萌花の方に向き直って言う。
「二人はジェットコースターとか大丈夫?」
「おいそんな無茶苦茶な運転はしねーよ。まあサス変えてるから段差で突きあがるような感覚はあるだろーけどよ」
「そ、ソラちゃん」怯えながら萌花が言う。「一日だけ入れる生命保険とかし、知りませんか……?」
「知らないわそんなもの。でも安心なさい。私たちの身に何かあったら夜野グループの優秀な法務部が全力を尽くすでしょうから」
「言ってろ。ほら早く乗れ……ああ悪い。この車、集中ドアロックねーんだわ。運転席以外は内側から一つ一つ開錠するしかねーんだ。ちょっと待ってろ」
「運転席からまとめて開錠が出来ないってこと……? いつの車よ」
「ま、今時そんな車ねえよな。さすがのオレもこれに関しては言い訳できねえな」
そして僕らは一抹の不安を覚えながら彼女の車に乗り込んだ。
運転席は当然のようにバケットシートだったし、明らかに後付けしただろうメーターがついていたしで僕の知っている車とはずいぶん違う様子だった。
僕は助手席に乗り、二人には後ろに乗ってもらった。というか、二人が助手席に乗ることを拒否した。渚がどんな運転をするかは火を見るよりも明らかだったからだ。
「じゃあ行くか」
渚がキーシリンダーを回した時、ソラと萌花はシートベルトを握りしめていた。分かるよ。僕も冷や汗が止まらなかったし。
◇
「あらかじめ言っとくがな、オレはそんな無茶な運転はしねーよ。スピードにまかせてくたばったアホの話なんていくらでも聞くからな。ウチの近くに有名な峠があるから余計な。ストリートで三番目にダサいのは下手なヤツ、二番目は死んだやつ、一番目は殺したヤツだ。だがそういうヤツに限って無茶な運転したがる。アクセルは馬鹿でも踏めるが、ブレーキは分を弁えた人間しか踏めねえ。それが車だ。悲しい話だぜ」
そう言って渚がアクセルを踏むとけたたましい音が車内に響いた。
法定速度は守っている。少なくとも現時点では。
◇
「デッパツのエッセイは見ての通り、シンプル・軽量・安価のいわゆるお買い物車として売り出されたワケだ。が、シンプルってことはそれだけ弄りやすいってコトで、軽量ってことは運動性能も悪くないってコトで、安価ってことは入手性が良いってコトだ。それでいてマニュアルモデルがあったなら、これはもうチューニングしろって言われてるようなものだ。ここ最近値上がり傾向なのは面白くねェが……ああ、オレが弄ったワケじゃないぜ? そんな金はねーし。親父のお下がりって話はしただろ? 独り暮らしを却下されて、その代わりに通学用の車を用意してもらったのがコイツ。で、こいつを貰った時にはほとんどこの状態でな。とんだじゃじゃ馬よこしやがってと最初は思ったが今となってはけっこー楽しんでるワケだ。ただカーオーディオつけろとオヤジには言ったが――ああ、ウチ整備工場なんだ。まあそれはいい。軽量化でオーディオ外してた親父は神妙な顔してたが、やっぱ多少は遊びがねーとな」
テクノだかEDMだかユーロビートだかよくわからない女性ボーカル音楽が鳴り響く車内で、渚がそうまくしたてた。
法定速度は守っていると思う。
◇
「滝菜は胸のデカい女と尻のデカい女どっちが好きだ? オレは排気量のデカい車だ。ああ待て、言いたいことはわかる。確かにデカけりゃデカいほど良いって話でもねェ。日本の道路じゃあいいとこ三五〇〇、もっと欲しくても三八〇〇。それ以上は無駄だ。そうだな、オレは二五〇〇は欲しい。ターボがついてれば最高だ。働き始めたらそういう車が欲しい」
ソラがぎゃあぎゃあと文句のようなことを喚いているが、エンジン音でよく聞こえない。
常識的な速度で走っている……はず。
◇
「ハ、今さらだが流石に四人乗ってるとトロいな。ブラジルまでアクセル踏んでも全然進まねえ。だがエンジンぶん回せてこれはこれで悪くない。これが軽自動車の良い所だな。パワーがない分ガンガン踏んでいける。ま、結局スピードは出ないがそういうことじゃあねえ。操ってる感がある、車を使い切ってる、そういうところがおもしれーんだ。いや、最近の車が悪いってワケじゃねえぜ?」
無茶な運転はしていないと思われるが、恐ろしくてメーターを見る気にはなれない。
ソラと萌花はぐったりしている。
◇
「で、だ」渚が煙を吐く。「なんでこうなった」
「夜更かしと飲酒でぐだぐだになっていた二人に君が鞭を打つような運転をしたからじゃないかな」
僕と渚は家電量販店……が入っている駅ビル……の近くに設置された喫煙所で一服している。
ソラと萌花は完全にノックダウンした。少し離れた場所にあるベンチに座り、コンビニで買った水のボトルを片手に天を仰いでいる。復活まではもう少しかかりそうだ。
「オレは平気だが」
「運転してる人は酔わないでしょ」
「おまえは?」
「実は飲んでるようでそんなに飲んでない。うまくごまかしてる」
「器用なヤツだなお前」
「まあね」
そう言って僕は煙を吐いた。煙草は例によって渚がくれた。
経験上、喫煙者は煙草の価格に嘆きながらも言えば分けてくれる。言わなかったら言わなかったで、喫煙所に入った瞬間分けてくれる。バイト先の先輩もそうだ。なぜなのかは分からない。その理由を知るには喫煙量が足りないんだと思う。増やしたいとは思わないけど。
「それにしても渚は車が好きなんだね。運転してるときもずっと話てたし」
「ま、家庭の影響だな。さっきも言ったが、実家が整備工場っつーか中古車流したり色々やってるし、家族そろって車が好き。必然的にオレの興味関心も車に向くし、物心ついて初めてサンタクロースにお願いしたプレゼントは
「筋金入りだ。ところで、さっき峠が近くにあるとかストリートでダサいヤツな何とか運転の楽しさがどうとか言ってたけど、まさか峠とか攻めたりしてないよね」
「……そんなことするワケないだろ」
渚がやや気まずそうに煙を吐く。どう考えてもこれはやってる人間の態度である。嘘をつくのは意外と難しい。
「……ま、なんだ」
「してるの?」
「あー……」
「誤解しないで欲しいんだけど、別に責めたいわけじゃないよ。極端な話、渚が一人で事故起こしたとして、僕らはもちろん驚くけど僕らがその責任を問われるわけじゃないし。ただ、僕らが乗ってる時は暴走しないでくれって釘を刺しとこうかなってさ」
「しねえよ。あぶねーだろ」
僕はどうしたものか、と思う。これから渚の車に乗るなら運転遍歴は知っておきたい。しかし、武勇伝とばかりに話すのかと思ったが、どうも言葉を濁している。過去にやらかしたのだろうか。
仕方がない、彼女にばかり過去のやんちゃ話ばかりさせるのもフェアじゃないだろう。僕は煙を吐いた。
「ま、友人が危険走行に没頭してたら諫めるのが人として正しいことだろうけどさ、残念ながら僕は他人を咎められるほど正しい側の人間じゃないんだ。僕は非行に走って親に泣かれたことがある」
「ほお?」
興味ありげに渚が言った。
「学生服で酒を飲んでた。しかも結構常習的に。警察も学校の先生も出張ってきて大変なことになった」
「なるほどな」くすくすと渚が笑う。「中々やるな、お前
渚が語尾をあえて強調した。ということは、彼女もあまりお行儀のよろしくない遊びをしていたのを暗に認めたということだろう。だからなんだ、というわけじゃない。人間生きていればスネに傷の一つくらいある。それだけの話。
「言っとくが、もうそういう走りに憧れはねえよ。言ったろ? 馬鹿な走りでくたばったヤツの話なんていくらでも聞いたってな。今日だって常識的な速度で運転してただろ」
「安心したよ。あとはエンジンをわざと唸らせるような運転を控えてくれると嬉しいんだけど」
「なんだバレてたのか。そりゃバレるよな。中々楽しいんだが」
「ソラが文句言ってたけど途中で黙っちゃったし、萌花は怖いのかずっと下見てたよ」
「ハ、小うるさいお嬢様を黙らせる方法を見つけられたワケか」
「あたしがなにー?」
ソラが喫煙所に姿を現した。彼女と萌花には落ち着いたら喫煙所に来るかスマホに連絡をするように伝えてあった。概ね調子が戻った、ということだろう。
ところで、ソラがその口調を使う時は酔っている時だけだった気がするけど。見間違いでなければ彼女の手には缶のハイボールが握られているけど。
「飲んだのかよお前」
呆れた様子で渚が言った。
「酒は百薬の長っていうじゃん? ねえ?」
「そうですよ渚ちゃん。酔いは酔いで相殺できるんです」
「お前もかよ」
酔って頬を赤くしている萌花を見て渚が肩を落とした。そんな彼女の姿を見て、僕はもう一つ釘を刺すことにした。
「渚は飲まないでね」
「言われなくても飲まねえよ。お前あの車運転できるか? てかそもそも免許持ってんのかよ」
「僕の免許は
「現代人め」
「あー! もしかして渚、名作カーアクション映画『トランスポーター2』を見たこと無い? 主演のステイサムが乗ってた車はオートマ車! シフト方式が人間の価値を決めるワケじゃないでしょ!」
「お前ちょっと黙っとけ」
「まあまあ、一服して落ち着きましょうよ」
そう言って萌花はアウターのポケットから何かおもちゃのようなものを取り出し、口に咥えた。一息吸う、そして煙を吐いた。
「ベイプか」
「タール無しニコチン無しでごっこ遊びにはちょうどいいですよね。ゲームのマッチング待ちに……なんて思って考えて買ったんですけどすぐ飽きちゃいまして。タンスの肥やしになってたんですけど、三人ともいわゆるタバコミュニケーションするらしいじゃないですか。それで引っ張り出してきたんですよ」
「それ爆煙系だろ。ケムいからオレの前で吸うな鬱陶しい」
「ケムい!? ヤニカスがケムいって言いました!? 同じ穴のムジナなのに興味無い他コンテンツのオタクを見下すオタクみたいな言動やめてもらえます!?」
「例えが具体的すぎる」
「そーゆー人が近くにいたんじゃない? もしかしたら身に覚えがあるとかかも」
「るせーッ! じゃボクにもタバコくださいよ!」
「ニコチンとタールが嫌いなんじゃねえのか」
「そりゃボクの部屋では吸わないし吸わせませんけどね。パソコンの冷却ファンにタールが絡むのイヤですし。ボクとしては単にガジェットを披露したかっただけで、こういう時にたまに一本吸うくらいなら抵抗ないですよ」
「あ、そう」
そう言って渚はタバコを一本取り出して萌花に渡した。
「おいソラ。おまえは?」
「いる! けど、タダでいいの? タバコ高いでしょ?」
「毎度毎度ねだられたらカネ取るがな、たまになら別に取らねえよ。それにお前に限って言えば」
渚はタバコでソラを指しながら言った。
「おまえ、この前悪ノリが過ぎたとはいえオレのポケットに千円札ねじ込んだだろ。タバコ代っつって。その上でカネ取るほどがめつくねえよオレは」
「……そうだっけ?」
とぼけたようにソラが言った。その様子を見て渚は呆れた表情を見せる。
「お前ちょっと前のことなのに忘れたのかよ……」
「あたしお嬢様だからいちいち出費なんておぼえてなーい♡」
「うーんこれはこれはイヤミな金持ちジョーク。ま、ボクとしてはご飯おごってもらえるんで全く文句ないどころか靴ペロしてもいいくらいですが」
「お父様が言うにはそんなにおいしくないらしいわ、靴」
「まさか先人がいるなんて思いませんでしたねえ」
「ママが言うには素足の甲にキスしてもらった方が興奮するって」
「テメーの両親はどんな関係なんだよ」
「あの人たち酒癖悪いから……あたしを見ればわかるでしょ?」
まさかソラの両親もこんなところで性事情を暴露されているとは思わないだろう。最後の言葉についてはノーコメント。
僕 は短くなったタバコをもみ消す。
「みんな揃ったところだし、一服したら家電量販店いこうか」
「……うーん」「……ちっ」「あー……」
僕の言葉に、三人はやや気まずそうな返事をした。どういうことだろうか。それが目的で来たはずなのに。
「ね、滝菜。ちょっと買いに行ってきてくれない?」
「え、何で?」
「だって店員の会話するのダルいし」
「……ええ?」
僕の困惑をよそに、ソラが言葉を続ける。
「忘れてた? あたしたちは酒の力でギリ普通の会話が成り立ってるだけのコミュ障集団だよ? 店員と会話なんてしたくないし、もちろん今は酔ってるからノリで気楽に話せるかもだけど、できればそういうメンタルに負担がかかることやりたくないワケ。大体、家電量販店の店員ってすぐ売り込みしてくるじゃん。あたしの天敵よ天敵」
「……そうだな」
「全くですね」
「ええー……」
僕の頭が痛むのは慣れないタバコを吸ったせい、いわゆるヤニクラなだけだと思いたい。決してこの三人が想定以上のコミュ障なせいではないと思いたい。
「ていうか、そこまで筋金入りなのに今までどうやって生活してたんだ」
「ふふん、あたしが愛しているのはセルフレジ、モバイルオーダー、それと注文用タブレットよ!」
「いばるところじゃないと思うんだ」
「ね、滝菜♡」
文章に起こしたら語尾にハートマークがついているような猫なで声に、僕の脳が一瞬で警戒モードに切り替わる。
ソラのことだ。また大きすぎる報酬を出すつもりなんだろう。僕は断じて誘惑に乗るつもりは無い。ここ数日、僕はソラに甘えすぎている。ソラからすれば大した出費じゃないだろうし、僕はただただ遠慮なく恩恵をあずかれるおいしいポジションではある。
しかしこのままではダメだ。このままソラの、というか金持ちの金銭感覚に付き合ってたら、金持ちの恩恵を受け続けたらそれ前提の金銭感覚に慣れてしまう。それはこう、なんていうか、よくない。僕が自制すればいいだけだけどよくない。学生のうちになんでもできる生活を送るのは本当によろしくないと僕は強く主張をしたい。
「ディナーもつけちゃおっかなあ……♡」
「ソラ、僕は思うんだ。いくらお金があるからって若いうちからそう浪費してたら」
「今日は車もあるしぃ……♡ 好きなものを好きなだけテイクアウトしてえ……♡ お酒飲むのもすっごい楽しいと思うんだよねえ……♡」
「くっそおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「あとで立て替えるねー♡」
僕はソラの猫なで声を背に喫煙所を飛び出した。
今日は結局三食ソラ持ちだ。
僕は弱い。
【ソラの手帳】
渚が滝菜と二人でおしゃべりしてた。
ずるい。ずるい。ずるい。ずるい。ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい。
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
許せない
……自分の心の内は正直に記録しておくべきだと思う。
自分の醜さから目を逸らさないために。
あたしは愚かで劣った人間。そのことを忘れてはいけない。たとえ今は上手くいっているとしても。