【十二月二十九日・日中】
馬鹿騒ぎの夜が明け、またまた朝である。
窓から見る学生街は心なしか静かだ。いよいよ年末といった風情である。
三人に年末年始をどう過ごすのか聞くと、まず渚が答えた。
「実家だ。いくら放任主義っつったって、さすがに年末年始くらいは家にいねーとな」
「確かにね。連日通学用の車を乗り回して外泊して帰る……渚のご両親からすればこれ以上なく怪しいと思うだろうから」
「ああ、それは大丈夫だ。むしろエンジンをよく回してると褒められるだろうな」
「放任主義が過ぎる」
「……ま、放任すぎるからこそたまには存在アピールしとくかってトコだな」
萌花は、と言うと。
「ぼ、ボクはアパートで過ごします」
「それはまた」
「……親が年末年始も仕事なので、い、家に戻ってもしょうがないと言いますか。ハイ」
「僕らが年末年始ゆっくりできるのも、萌花のご両親のような方々がいるからだね」
僕がそう言うと、萌花は気まずそうに眼を逸らして言った。
「い、いえ。ボクの親、動画配信者なんです……ど、どうせ年末年始配信とかするんですよあの人……数字が取れるからって……あ、しょ、正直な感想を言っていただいて、け、結構ですよ。ボクも親のそ、そういうところは軽蔑してます……そんなんだから親戚中から白い目で見られるのです……」
「ノーコメントで」
「あ、ぼ、ボクの動画にはコメントしてください……ふ、冬休みが終わったらまた配信とかするので……」
昨日はチャンネル登録だけでいいって言ってなかったっけ。なんでもいいけど。
ということで、二人は渚の車に乗って帰路に着いた。
◇
問題は彼女である。
「ねーー滝菜あーーーー年末年始はあたしと飲んで過ごさなーーーーい?」
ソラだ。寝起き早々に昨晩残った酒を開け、ゴキゲンになっている。
「ソラ。いくら何でも飲み過ぎだ」
彼女の酒を飲むペースは異常である。毎日酒を飲んでる学生の存在は珍しくないが、昼から飲んでいるようでは将来が心配だ。いや、将来以前に現時点でもうすでに身体が心配だ。
僕は『酒は百薬の長』という言葉を信じていない。アルコールに限って言えば、『毒と薬は表裏一体』という言葉も適用する気はない。僕に言わせれば、アルコールは言い訳無用の毒である。酒によって積み上げられた歴史、文化などを否定するつもりはない。アルコールの作用で緊張がほどけてコミュニケーションが進む、という点も特に悪いとは思わない。(というか僕達が行っているのはまさにそれだ)。
しかし酒は毒だ。
身体への影響や飲酒でしか成り立たないコミュニティの脆さを考えれば、酒によってもたらされる影響の収支はマイナスだと相場が決まっている。どれだけ酒の良い所を見たところで、現実問題としてどこかで酒を減らすかやめる必要が絶対に発生する。
「本当にアル中になるよ」
「大丈夫よゆーよゆー」
そう言ってソラは床に大の字になった。
「……ねえ滝菜。ホントにあたしここにいちゃダメ?」
「別に居たっていいよ。そう言う事なら鍵はポストの中に隠しておくし。でも僕は今日中には実家に戻る。年末年始くらいは母に顔を見せたいからね。荷造りだってとっくに終わってるし」
「ええー」
「とりあえずお酒飲むのはやめなよ」
「ええー……」
と、ソラは心底気に食わなそうに言って酒を飲んだ。
参ったな。
「じゃあさ滝菜、こーしよっか」
僕の様子を見たソラがまた押し入れをまさぐり始める。バニースーツの次は一体何を出すつもりだ。結局、昨晩萌花はバニーガールの恰好でソラと渚にお酌をした。何ならそのまま寝た。萌花は「卑怯の代償として甘んじて受け入れますよ」と言っていたけど、僕にはその理屈はよくわからない。
「じゃーん!」
そう言ってソラが紙袋と取り出し、中のものをローテーブルに並べる。シェイカー、バースプーン、メジャーカップ……バーテンダーがカクテルを作るのに使う道具だ。
「なんか毎日飲酒してたらリキュールのストックとか溜まってきたじゃん? だからみんなでカクテル……とは言わなくても、混ぜ物作って飲んだら面白いかなって思って持ってきてたの!」
僕はステンレスのシェイカーを手に取って見てみる。傷が一つもなく、一度も使われていないのが見て取れる。
「店に行かずにカクテルを飲むのに買ってみたけど、結局使わずじまいになりそうだから持ってきたってところ。なんかムズそうだしこれ……でね滝菜。カクテル作ってよ」
「うん?」
「滝菜が作ったカクテルをあたしが飲む。あたしがそれを美味しいと思ったらその一杯でやめてあげる。別にフツーだったり特に感動もなにも無かったらもう一杯」
ソラは得意げな顔をしてそう言った。
「……なるほど」
つまりソラの真意はこうだ。素人においしいカクテルなんて作れるわけがないが、それでも飲んでやるから酒を作れ、と。
「まあでも? 確かにあたしも飲み過ぎてるきらいはあるし? 五杯までで勘弁してあげる。でもあと五杯も飲んだらあたし多分眠っちゃうから滝菜に世話してもらうしかないなーーーー」
「ご注文は」
僕はソラの言葉を遮るように言った。
「え?」
「ご注文は? お客様」
「な、何? 自信ありげじゃん。ふーん。でも強がってもあたし手加減はしないから。じゃあ……『ウォッカ・マティーニを! ステアせずにシェイクで!』」
まるっきり映画『007』のジェームズ・ボンドと同じセリフである。
「言ってみたかったの?」
「うん。店だと気取りすぎてて恥ずかしいし」
君の性格だとそうだろうね。
僕はキッチンの方に向かう。ソラも気になったのかキッチンに来た。
キッチンに並べられた酒を眺める。そもそも材料はあるのだろうか。必要なものはウォッカ、ドライ・ベルモット、レモン、それとシェイクするための氷。ウォッカはともかく、ドライ・ベルモットを買った覚えはない――あった。それも未開栓。三人の誰かがノリで買ってみるも、飲み方がわからず放置されていたというところだろう。氷は買ってきたロックアイスがまだ残っているはずだ。
冷蔵庫を開けると、よりにもよってレモンが無い。代わりにライムが鎮座している。悩んだ後、今回はライムを使うことにした。
あとはグラスだ。ウォッカ・マティーニならカクテルグラスを使いたいところだ。けどそんなものこの部屋には無い。代わりにロックグラスを使うことにした。
「レシピとかスマホで調べなくていいの?」
「ああ、うん。大丈夫」
氷を取り出すのに冷凍庫を開けると、ちょうどウォッカが冷やしてあった。ウォッカはアルコール度数が高いので凝固点が低く、家庭用冷蔵庫の冷凍庫では凍らない――そんな話題がいつだか上がった覚えがある。その時に入れたのだろう。ちょうどいいのでこれを使う。
僕はまずライムの輪切りを一枚切り出し、ロックグラスに落とす。
次にシェイカーに氷を詰め、ウォッカとドライ・ベルモットをそれぞれ軽量して注ぐ。シェイカーにストレーナーとトップを被せれば準備完了。
「…………」
シェイカーを振るのは久しぶりだな、と思った。できれば二度と振りたくなかったけど。
僕は氷が溶けすぎる前に、それと材料が体温であったまってしまう前に。そういう基本を思い出しながら僕はシェイクする。
かちかちかち、と氷がステンレスのシェイカー内でぶつかり合う音規則的な音が部屋に響く。そんな僕の様子を見て、ソラはいよいよ確信をもって聞いてきた。
「滝菜、もしかしてバーとかでバイトしてた?」
「似たようなものかな」
僕はシェイカーのトップを外し、輪切りのライムの入ったロックグラスに注ぐ。
「ウォッカ・マティーニと言えばやっぱりカクテルグラスだけど、まあこういうのもいいんじゃないかな。映画でもロックグラスで飲んでたし」
などと御託を並べてみたが、単にロックグラスを使うことの言い訳である。
はっきり言って、聞かれてもいないうんちくを語るバーテンダーなんて僕は好きじゃない。けど、『ヤツらは情報を食っているんだ』という言葉があるように、情報は時に料理のスパイスになる。まあどっちかっていうとアレは『客は馬鹿だから味なんてわからない』って意味で言ってたんだと思うけど。
ともかく、僕にはソラに納得して頂き、これ以上飲むのをやめていただくと言う使命がある。そのためにはうんちくだって何だって言うさ。
僕はソラに完成したウォッカ・マティーニを渡す。
「あ、ありがとう……」
「思ったより形になっててびっくりした」
「そうね。正直そう思った」
そう言ってソラは一口飲んだ。僕はソラにまくしたてるように言う。
「ジェームズ・ボンドは冷たいものはより冷たく、熱いものはより熱くするのを好む。なので本来ステアで作るマティーニもシェイクで冷たくさせる。しかし冷たすぎるものは味覚を麻痺させるので味がわからなくなる。したがって原作者のイアン・フレミングは味覚音痴――なんていうけど、僕個人としては別にそう思わないかな。なにせ高温多湿な気候で生きる日本人は冷たいものが好きだ。僕も例外じゃない。だからこういうのも案外悪くないと思うし、こういう冬場に暖房の聞いた部屋で冷たいものを飲むのも中々贅沢でいいと思う――おいしい?」
「おいしい……びっくりした。滝菜にそんな特技があるなんて」
「おいしいっていったね?」
「あ」
そう言ってグラスを眺めてたソラが顔を上げた。この勝負は僕の勝ちだ。ソラが僕のカクテルをおいしいと思ったら今日はそれ以上酒を飲まない。そういう約束だ。
「卑怯よそんなの」
「じゃあマズい?」
ぐぬぬぬ、とソラが唸る。ソラは悔しそうに酒に口をつけながら言った。
「おいしいに決まってるじゃん! あたしが水筒で適当に作ったウォッカ・マティーニよりずっと! なんでよ!」
「チャレンジはしたんだ……」
たしかにネットで水筒をシェイカー代わりに使うライフハックをみたことある。でも普通に買う水筒は真空断熱構造だろうし、あれではかえってどれくらい酒が冷えたわからなくなってしまう。混ぜすぎて氷が溶けて必要以上に薄まってしまった、というところだろうか。
「じゃあ約束通り、それ飲んだら今日は飲まないでね」
「はあぁぁぁ……」
と、ソラが大きなため息をついた。
「三人ともすごいわ。それぞれ特技があって。滝菜はカクテルが作れるし、渚は車が、萌花はゲームが得意……」
ソラがぐびぐびと喉を鳴らして酒を飲んだ。
「ぷはっ……滝菜、それ身に着けるのにけっこー練習したでしょ? だって素人のあたしが飲んでもなんかおいしいってわかるし。才能もあったりする? あ、妬んでるワケじゃなくて、ただあたしそーゆーのと縁が無いから羨ましいって気持ちはあるっていうか」
「ソラ」
僕はソラの言葉を遮るように彼女の名前を呼んだ。
「お願いがあるんだけど」
「何? 次からは金払えって? あたしこれ飲むためならもちろんいくらでも……」
「違うよ。これでカクテルづくりは最後にしたい」
「え? なんで?」
「頼むよソラ」
僕はシェイカーを手に持ちながら言う。
「これにいい思い出は無いんだ」
「う、うん……」
ソラが酒を飲み干してそう言った。
「僕がいない間はポストに鍵を入れておく。萌花を呼んで遊んでてもいいし、ここにいる方が都合がいいならここにいてもいい。けど……酒の飲み方だけは考えた方がいい。この最後のモラトリアムを連日連夜酒で過ごすのだって……まあ積極的に勧めはしないけど、きっといい思い出にはなるとは思う。けどそれが心身の失調につながるなら、やっぱり見逃せないかな」
僕は……自分がどんな表情をしているのかわからないまま言葉を続ける。
「酒漬けの人生では失うものばかりだ。僕は青春を失った」
想像だにしない言葉を聞いたソラが虚を突かれたように立ち尽くしている。
……口を滑らせてしまった。
「……じゃあ僕は行くから、後始末よろしくね」
どこか気まずい雰囲気を感じ取った僕は、荷物を抱えてアパートを飛び出す。
【夜野ソラの手帳】
あたしわかっちゃった。
どうして滝菜のことが好きになったのか。
滝菜のあの目、あの表情。
あれは傷ついた人間の目だ。
人生を諦めた人間のする表情だ。
だからだ。
だからあたし……滝菜なら、あたしみたいに『もう傷つくのはイヤだから人生を諦めた人間』の話を聞いてくれるって思っちゃったんだ。
あたしはあたしの苦しみを、あたしと同じ目線で聞いてくれる人が欲しかった。
なんで気づかなかったんだろう。それができるのはあたしと同じく諦めた人間だけだ。
滝菜は今でも苦しんでる。あたしはその苦しみを理解しようともせず、彼に寄りかかろうとした。
死にたい。くだらない独占欲。くだらない嫉妬心。こんなものを抱えて苛立っていた自分を殺したい。
あたしは滝菜に傷の舐め合いを求めている。
あたしは滝菜に同じ場所で落ちぶれることを望んでいる。
あたしは、
あたしは最低だ。
あたしに滝菜を好きになる資格はあるの?
↑ならさっさと諦めたら?