「ア、アホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
御坂美琴の絶叫が、夜の操車場に積み上げられたコンテナの壁へぶつかり、盛大な反響となって返ってきた。
その中心で、ほんの数秒前まで片脚を妙な方向へ折り曲げながら砂利の上を転げ回っていたアナザーは、すでに何事もなかったような顔で胸を張っている。頭上には円環状の方陣が静止し、その表情には、自らの登場が完璧に決まったと信じて疑わない者だけが浮かべられる、実に腹立たしいほどの満足感があった。
「何を怒っているのですかオリジナル。多少予定外の事故はありましたが、最終的には非常に印象的な登場だったとミサカは自己評価します」
「事故の部分が全部よ! 何で空から落ちてきて、着地した瞬間に骨折してんのよ! しかもその後で何事もなかったみたいに名乗るな!」
「細かいことを気にすると大物になれませんよ?」
「誰のせいで細かくないものを気にしてると思ってんのよ!」
「お、おい御坂、今そこ揉めるところか? こっちはまだ第一位が目の前にいるんだぞ!」
上条が思わず割って入る。
一〇〇三二号は、いつもと変わらない無表情のままアナザーの右脚を見ていた。
「先ほど確認された明確な骨変形はすでに消失しています。歩行機能にも異常は見受けられないため、治癒は完了したものと推定されます、とミサカは観察結果を報告します」
「アンタまで真面目に実況しなくていいの!」
美琴の怒声がもう一度響く。
しかし、その騒ぎから少し離れた場所で、一方通行だけは笑っていなかった。
白い少年の視線は美琴でも上条でもなく、アナザーの右脚と、その頭上に浮かんだ方陣との間をゆっくり往復している。つい先ほどまで明らかに折れていた骨が何事もなかったように繋がり、その損傷を消し去った直後だというのに、目の前の少女は平然と両脚で立っていた。
一方通行は目を細める。
以前、一〇〇三一号として目の前に現れたこいつは、自分との戦闘の最中に何度も地面へ叩きつけられ、高所から落とされ、圧縮された空気に吹き飛ばされながら、一度経験した現象へ次々と対応していった。落下も、衝突も、空気による攻撃も、そして最後には自分の反射さえも、二度目以降は最初と同じようには通じなくなっていた。
少なくとも、あの戦闘が終わる頃には、高い場所から地面へ落とす程度の攻撃で簡単に骨を折るような状態ではなかったはずである。
それなのに、今は違う。
「……妙だな」
小さな呟きだったが、アナザーの耳には届いた。
「はい?」
一方通行はアナザーを見た。
「テメェ、前はその程度の落下じゃ壊れなかっただろォが」
美琴が僅かに表情を変える。
アナザーは一瞬だけ瞬きをしたが、すぐに口元を緩めた。
「よく覚えていますね白髪モヤシ。ミサカとの思い出を大切にしているとは、少し感動しました」
「殺すぞ」
「すでに一回やりかけています」
「だったら二回目にしてやろォか?」
「遠慮します」
一方通行の眉間に皺が寄った。
ふざけた応酬とは裏腹に、その頭の中ではすでに別の計算が始まっている。
以前に獲得した適応が今もそのまま保存されているなら、さきほどの骨折は説明がつかない。時間とともに失われるのか、何らかの条件で初期化されるのか、あるいは頭上の輪そのものに状態を維持する条件があるのかまでは分からないが、少なくとも以前と現在で何かが変わっていることだけは確かだった。
ならば、実際に同じ種類の現象をぶつけて確かめればいい。
一方通行の足元に転がっていた小さな砂利が、ふわりと浮いた。
「っ」
美琴が反応したが、狙われたのは彼女ではなかった。
乾いた破裂音とともに、数個の砂利が銃弾じみた速度でアナザーへ走る。
「来ました!」
アナザーの身体が動いた。
一つ目は肩口へ向かい、完全には避け切れないと判断した瞬間には、肩を引くのと同時に胴体を僅かに回転させ、正面から肉を穿つはずだった軌道を外側へ滑らせる。それでも布地は裂け、皮膚に赤い線が走った。
二つ目は脇腹へ入り、腰を引きながら上体を回転させて衝撃が一点へ集中しない角度で受けたものの、鈍い音とともに身体が横へ流れる。
「ぐっ!」
三つ目は顔面へ向かったが、首を振るだけでは間に合わないと判断した身体が左腕を最短距離へ差し込み、前腕の外側へ当てながら石の軌道を僅かに逸らしたため、骨まで痺れるような衝撃は残ったものの、頭蓋へまともに受けることだけは避けられた。
さらに肩、腿、腹の横へ複数の砂利が入る。
完全には避けられない。
それでもアナザーの身体は、命中そのものを拒絶しようとはせず、直撃する角度をずらし、急所を外し、一箇所へ集中するはずだった衝撃を姿勢と回転によって全身へ分散していった。
寮監との戦いで最適化された身体操作は、未知の攻撃そのものを無効化する能力ではない。ただし、初めて経験する現象であっても、それが一撃で致命傷になる形だけは可能な限り避けることができる。
攻撃は確かに通っており、肩口からは血が滲み、腿には鈍痛が残り、脇腹には呼吸を詰まらせるほどの衝撃が走っていた。
その瞬間だった。
ガコン――!
重い金属音とともに、頭上の方陣が回転した。
「……!」
美琴の目が見開かれる。
アナザーの裂けた肩口が塞がり、皮膚の下へ残っていた鈍痛も、腕を走っていた痺れも急速に消えていった。
「また……治った?」
一方通行は答えず、さらに足元の砂利を浮かせる。
先ほどと同じ種類、同程度の速度、そして同じように肩と脇腹を狙って撃ち出した。
「来ます!」
アナザーは今度も避けようとしたが、一発が真正面から肩口へ突き刺さる軌道へ入る。
美琴は反射的に息を呑んだ。
先ほどなら布地を破り、皮膚を裂き、血を滲ませていた速度である。
石が肩へ激突する――はずだった。
カキンッ!!
「え?」
乾いた音を立てたのは、アナザーの身体ではなかった。
接触した瞬間、砂利の持っていた運動はアナザーの身体へ一切入り込むことができず、まるでその現象そのものを拒絶されたかのように逆方向へ弾き返されたのである。
アナザーの身体は揺れず、皮膚も裂けず、痛みすらない。高速で飛来した石だけが、飛んできた時とほとんど変わらない勢いで跳ね返され、線路脇の地面へ深く食い込んだ。
「……は?」
美琴の口から声が漏れる。
脇腹へ向かっていた二発目も同じだった。
今度のアナザーは避けようとすらせず、そのまま受ける。
バンッ!!
衝撃は身体へ伝わらず、石の側が進行そのものを拒絶されたように弾き返された。
「効きません!」
アナザーが嬉しそうに胸を張る。
一方通行の眉が動いた。
さらに確認するように顔面へ一発。
アナザーは左手を上げ、その掌で真正面から受け止めると、激突した石だけが鋭く跳ね返され、その掌には傷一つ残らなかった。
「……ちょっと待って。今の、治っただけじゃないわよね?」
一〇〇三二号がゴーグル越しにアナザーを見つめる。
「肯定します。直前まで有効であった高速飛来物による損傷が、現在は完全に阻止されています。運動エネルギーはアナザーの身体内部へ伝達されず、飛来物の側が反発しています。損傷の修復だけではなく、直前に経験した攻撃現象そのものへ対応したものと推定されます、とミサカは観測結果を報告します」
「さっき効いてた攻撃が……今度は完全に効かなくなってる?」
美琴はアナザーを見つめた。
「何よ、それ……」
その言葉が口から零れた直後、背筋へ遅れて冷たいものが走った。
治癒能力なら、まだ理解できる。
どれほど異常な速度で傷が塞がろうと、受けた損傷を後から修復しているだけなら、能力としての構造はまだ想像できる。強靭な肉体も、防御能力も、攻撃を逸らす能力も、それぞれ異常ではあっても、相手の攻撃をどう防ぐかという範囲には収まっている。
だが、これは違う。
一度目は確かに効き、血も流れ、おそらく痛みも残った。それなのに、生き残りさえすれば傷が消えるだけではなく、それまで有効だった攻撃そのものが二度目から成立しなくなる。
美琴は学園都市第三位として、能力の強弱だけではなく、その性質と相性によって勝敗が根本から変わることを知っている。だからこそ、目の前で起きている現象の意味が嫌というほど分かってしまった。
同じ手段では、二度と倒せない。
しかも、ただ戦うほど相手が強くなるというだけなら、まだ理解の範囲内だった。これはもっと性質が悪く、戦闘が続くほど攻撃する側に残された勝ち筋だけが、一つずつ確実に消されていく。
「……冗談でしょ」
声が、思ったより小さくなった。
そこで美琴は、もう一つの事実へ気づいた。
一方通行が笑っていない。
さきほどまで上条も自分もまとめて見下し、まるで相手にすらならないとでも言いたげだった第一位が、アナザーの動きだけは一つずつ観察し、同じ種類の攻撃を繰り返して結果を確かめ、そのたびに攻撃方法を変えている。
つまり、試し、解析し、その結果を踏まえて明確に警戒しているのだ。
あの第一位が。
昼間に聞いた話が、そこで初めて現実の重さを持って脳裏へ蘇った。
一〇〇三一号ではなく、ミサカ・アナザー。
新たにレベル5として認定され、それでいて既存の順位体系にはそのまま収められず、暫定的な例外として与えられた順位。そして、つい先ほど本人が得意げに名乗った能力名。
「……第零位、『
口に出した瞬間、その名前と目の前で起きている現象が完全に一つへ繋がった。
一度受けて、それでも生き残れば傷を治し、次にはその攻撃そのものを通用しなくする。しかも今のアナザーには、最初の一撃さえ致命傷へ変えないための異常な身体操作まである。
それなら、この能力は単純に戦えば戦うほど強くなるのではなく、戦えば戦うほど倒す方法の方が失われていく。
少なくとも、美琴の目の前で起きていることを見る限り、《無限適応》という名前は大げさでも何でもなかった。
一方通行の目も、さらに細くなる。
「……やっぱりな」
旧い適応が消えていることも、今の攻撃を受けたことで新しい適応を獲得したことも、これでほぼ確定した。
だが、一方通行が本当に引っ掛かったのは、その適応が成立する前に受けた最初の攻撃である。
本来ならもっと深く肉体へ突き刺さっていてもおかしくなかったにもかかわらず、アナザーは致命傷だけは確実に避けていた。
「適応は消えてやがる。だったら何だ、その動きは」
アナザーはぴたりと止まり、得意げに胸を張る。
「ふふん! ミサカの身体に理が宿ったのです!」
一方通行の眉間に、さらに深い皺が刻まれた。
「宿ってねェよ」
「以前は拳だけでしたが、今回は全身です! ミサカは順調に理の適用範囲を拡大しています!」
「だから宿ってねェっつってンだろォが!」
上条が二人を交互に見る。
「……さっきから何の話してんだ、お前ら?」
「さあ? 気にしなくていいんじゃない? 私も分かんないし……」
「オリジナルまで!? ミサカの神秘的成長をもう少し尊重してください!」
「神秘じゃなくて意味不明なのよ!」
一方通行は舌打ちした。
ふざけた会話に付き合う気はない。
だが、状況そのものはまったく笑えなかった。
以前の適応は消えている。それでも身体の使い方だけは以前とは比較にならないほど洗練され、未知の攻撃を初めて受けた時点で致命傷だけを避け、その一撃を生き残れば直後には方陣が回って傷を治し、同じ現象を次から通用しないものへ変える。
つまり今のアナザーは、以前より遥かに「最初の一撃を生き残りやすい」。
そして一方通行が最も警戒すべきなのは、その身体制御によって反射の初撃まで耐え抜かれ、もう一度それへ適応されることだった。
以前の戦闘で、一〇〇三一号は最初、自分の反射を突破できなかった。拳を当てれば、その運動そのものを逆方向へ返され、自分自身の力によって身体を破壊されたにもかかわらず、それを一度経験した後に輪が回り、次には反射を越えて拳を届かせてきたのである。
今、旧い適応が消えているなら、反射も同じ状態へ戻っている可能性が高い。
だからこそ、もう一度だけでも触れさせるわけにはいかなかった。
「白髪モヤシ」
アナザーが目を細める。
「何だァ?」
「今、ものすごく嫌なことを考えましたね?」
「自意識過剰なンじゃねェのか」
「いえ、分かります。ミサカとあなたは一度拳で語り合った仲ですから」
「テメェを一方的にぶっ殺しかけただけだろォが」
「そうとも言います」
一方通行が片足を踏み込んだ瞬間、アナザーの目前で地面が爆ぜ、砂利と土が一斉に噴き上がって視界を塞いだ。
その奥から、横殴りの風圧が来る。
アナザーは両腕を交差し、真正面から受けるのではなく身体を斜めへ向けたが、それでも足が浮いた。
「うわっ!」
数メートルを吹き飛ばされたものの、空中で身体を丸めて頭部を守り、肩から落ちることを避けながら背中全体を使って地面へ接触すると、片脚を滑らせて勢いを分散し、そのまま一回転して立ち上がった。
「まだです!」
それでも身体には鈍い痛みが残っている。寮監戦で得た受け身によって骨折や頭部への致命傷は避けられたが、圧縮された空気そのものへはまだ適応しておらず、全身へ叩き込まれた圧力まで無かったことにはできない。
ガコン――!
方陣が回り、胸部と背中へ残っていた痛みが消えると、乱れていた呼吸も急速に整った。
一方通行の目が僅かに動き、答えを確かめるように同種の空気を再び圧縮して、正面からアナザーへ叩きつける。
目には見えない。
それでも地面の砂埃が一斉に押し潰され、線路脇の細かな破片が同じ方向へ吹き飛ぶことで、巨大な圧力の塊が迫っていることだけは分かった。
「また来ます!」
アナザーは両腕を上げた。
先ほどは身体を斜めへ向けても数メートル先まで吹き飛ばされたが、今度は一歩だけ前へ踏み込み、迫る空気圧へ向けて両腕を外側へ大きく払った。
ドンッ!!
空気そのものが爆ぜた。
「なっ……!?」
美琴が目を見開く。
アナザーへ押し寄せていた圧力の塊は、その身体へ触れるより前に正面から崩壊し、腕を薙いだ軌道に沿って左右へ引き裂かれると、そのまま逆巻く乱流となって周囲へ吹き散らされた。
先ほどのように耐えながら押し戻されたのではない。
数メートルも身体を吹き飛ばした圧力そのものが、今度はアナザーへ届くことを許されず、髪を僅かに揺らしただけで消え去ったのである。
一方通行の目が細くなる一方、アナザーは自分の両手を見下ろし、それから嬉しそうに顔を上げた。
「おお……空気まで吹き飛ばせるようになりました!」
「何でアンタが空気圧を殴り返してんのよ!?」
美琴の声がひっくり返る。
先ほど《無限適応》の性質を理解したはずなのに、それでも目の前で圧力そのものが掻き消される光景は、美琴の理解をさらに一段飛び越えていた。
一〇〇三二号もゴーグル越しに乱れた空気の流れを追っている。
「先ほどアナザーを数メートル吹き飛ばした圧力攻撃が、今回は対象へ到達する前に崩壊しました。同一現象への適応が、防御ではなく現象そのものを無効化する形で成立しているものと推定します、とミサカは観測を更新します」
「さっきの石もそうだけど……そんなのあり?」
美琴は呆然と呟き、直後に自分で口にした言葉へ内心で否定を返した。
あり得るかどうかではなく、実際に目の前で起きている。
しかも第一位は、もうその異常さそのものに驚くのではなく、次に何を試せば攻略できるかを考える段階へ移っていた。
一方通行は答え合わせを続けるように、さらに攻撃を変えた。
アナザーの立つ足元が爆ぜ、支持していた地面そのものが消える。
「うおっ!?」
重心は崩されたが、完全に倒れるより先に反対側の足が着地点を探し、上体が傾いた方向へ腰を滑らせることで転倒そのものは避けた。それでも跳ね上がった路盤材が脚へ当たり、皮膚を裂く。
痛みはあったが、致命傷ではない。
ガコン――!
「また回った!」
美琴が思わず声を上げる。
傷が塞がった直後、一方通行はもう一度同じように足場を崩したが、今度のアナザーは破壊が身体へ影響を及ぼすより早く支持点を切り替え、崩壊する路盤から生じた力さえ利用するように一歩前へ滑った。さらに、破砕された路盤から高速で飛び散る固形物については、先ほど獲得した高速飛来物への適応と同系統の現象として処理され、身体へ触れた端から鋭く弾き返されていく。
初見の攻撃を完全に避ける必要はない。
最初の一回だけ生き延びればいい。
寮監との戦いで獲得した身体制御が未知の攻撃を経験しても致命傷へ至らないための土台となり、その一度を越えた後は、《無限適応》が同じ現象をアナザーへ通用しないものへ変えていく。
一方通行も、そこまで見抜いていた。
「……クソ面倒臭ェ身体になりやがったな」
「ありがとうございます!」
「褒めてねェ!」
そこで一方通行は、倒すことそのものではなく、アナザーを自分へ近づけないことへ攻撃の目的を切り替えた。
高速の飛来物だけなら完全に弾き返され、空気圧を単独で叩きつけても今度は圧力そのものを吹き散らされるのなら、それらを複数同時に組み合わせ、アナザーが進むための空間そのものを消してしまえばいい。
前へ出れば地面を爆ぜさせ、横へ逃げれば飛来物を置き、その先へ空気圧を重ね、さらに退路へ別の破片を飛ばす。
一つ一つの攻撃で損傷させるのではなく、異なる現象を組み合わせることで接近経路そのものを封殺する戦い方へ変わったのである。
「なるほど……!」
アナザーへ高速の金属片が飛ぶ。
もう避ける必要すらない。
前腕を差し出した瞬間、金属片は激突と同時に甲高い音を立てて弾き返され、逆方向の地面へ突き刺さった。
続いて横殴りの空気圧が押し寄せる。
アナザーが片手を薙ぐと、それだけで圧力の塊が正面から裂けて左右へ吹き散ったが、そのわずかな時間を使って足元の地面が爆ぜ、支持していた場所そのものが失われる。
アナザーは短い踏み替えで崩壊域を抜けながら、一方通行を睨んだ。
「白髪モヤシ、ミサカに反射を触らせないつもりですね!」
一方通行は答えなかったが、その沈黙だけで十分だった。
「やっぱり!」
「アナザー! 何よそれ!」
美琴が叫ぶ。
「以前のミサカは、あの白髪モヤシの反射へ一度適応しました! ですが今はそれがありません!」
「だったら近づいちゃ駄目でしょうが!」
「しかし、もう一度適応するには、もう一回食らわないといけません!」
「もっと駄目じゃない!」
「ミサカもそう思います!」
「だったらやめなさいよ!」
「嫌です!」
「何でよぉぉぉぉぉ!」
美琴の絶叫が飛ぶ。
アナザーは口では騒ぎながらも、一方通行から視線を外さなかった。
反射へもう一度触れなければならないという事実は、本人にとってもまったく嬉しくない。前回は腕だけで済まず、運動そのものを逆転させられたことで身体全体を自分自身の力によって破壊されたのだから、その苦痛を覚えている以上、できることなら二度と経験したくはない。
それでも、一〇〇三二号がいる。
オリジナルがいる。
そして原主一号まで、第一位を前にして逃げようともせず立っている以上、自分だけが怖いから帰るという選択肢は、少なくとも今はなかった。
「……仕方ありません。一回だけです」
「何がだよ」
上条が聞く。
「白髪モヤシの反射へ一回だけ触ります。二回目からはミサカのターンです」
「一回目で死んだらどうすんだ! 根性とか気合いとか、そんなのでどうにかなる相手じゃねえだろ!」
「そこは根性で!」
「今まさに根性じゃ無理だって言っただろ!」
一方通行が鼻で笑った。
「テメェら、さっきからうるせェンだよ。特にそこのレベルゼロ、第一位の前で随分偉そうにしてっけど、テメェに何ができンだ?」
上条は一方通行を見た。
怖くないわけではない。さきほど美琴が逸らした金属片がコンテナへ突き刺さるところも見たし、目の前ではアナザーが常識外れの能力を何度も使わなければ凌げない攻撃が飛び交っている。
それでも、上条は一歩前へ出た。
「何ができるかなんて知らねえよ。でも、だからって目の前で人が殺されるのを黙って見てられるか!」
一方通行の口元が歪む。
「だったら試してみろ。オマエみてェな雑魚が、どこまで近づけるか」
上条が走った。
「原主一号!」
「何だ!」
「そのまま前へ! ミサカが道を作ります!」
「は!? ……いや、分かった! 頼む!」
一方通行の足元から金属片が跳ね上がり、上条へ向かう。
「右です!」
アナザーの声に反応して上条が半歩左へ身体をずらし、一発目を脇へ抜けさせたが、二発目までは避け切れない。
「それにはもう適応済みです!」
横から踏み込んだアナザーが、上条の肩へ直撃する軌道に入っていた金属片へ掌を真正面から叩きつけた。
バギンッ!!
金属片はアナザーへ衝撃を伝えることさえできず、その場で進行方向を完全に反転させられると、一方通行の横を掠めて遠くの地面へ突き刺さった。
「お前、平気なのか!?」
「高速飛来物は経験値取得済みです! 原主一号は前だけ見て走ってください!」
「無茶言うな! 前から死ぬほど色々飛んできてんだぞ!」
「そこを何とかするのが主人公です!」
「だから俺にどうしろってんだよ!」
口では叫び返しながらも、上条の足は止まらない。
一方通行の眉が跳ねた。
アナザーを止めるために組み上げた遠距離攻撃が、そのまま上条への援護材料として利用され始めている。
次に地面を爆ぜさせる。
「跳んで!」
「分かった!」
上条が崩れる足場を飛び越え、その着地点へ飛来した破片をアナザーが掌で叩き返す。
さらに横殴りの空気圧が二人の正面から迫った。
「そのまま走って!」
今度はアナザーが上条の前へ半歩だけ出て、正面から襲いかかった圧力へ腕を薙ぐ。
ドンッ!!
不可視の空気の壁が中央から吹き飛び、左右へ裂けた乱流だけを残して消滅すると、その奥へ一直線の進路が開いた。
「今です!」
「おう!」
二人はそのまま一方通行へ向けて走る。
攻撃は次第にアナザーへ集中していった。適応を積み重ね、一度触れさせれば反射そのものまで攻略してくる可能性があるアナザーを接近させる方が危険だと、一方通行が判断したためであり、その結果として上条への圧力が一瞬だけ薄くなる。
「チッ!」
一方通行はそれに気づき、別角度から上条へ金属片を飛ばした。
上条は一発目を避けたものの、続く一発が肩を掠める。
「ぐっ!」
「原主一号!」
「大丈夫だ! 前だけ見ろって言ったのはお前だろ!」
「言いましたけど本当に前だけ見ろという意味ではありません!」
「どっちなんだよ!」
一方通行が苛立たしげに舌打ちする。
「しつけェな」
今度は自分から一歩踏み込み、上条との距離を一気に縮めた。
一方通行は右手を伸ばす。直接身体へ触れてベクトル操作を叩き込めば、その時点で終わると判断していた。
「死ね」
上条も反射的に右手を前へ出し、二人の手が接触する。
その瞬間、一方通行の表情が止まった。
「……は?」
何も起きない。
正確には、起きるはずだった能力作用が、上条の右手へ触れた地点から消えている。
一方通行が反射的に手を引いた。
「何しやがった」
「知るかよ! こっちだってお前の能力の細かい仕組みなんか知らねえんだ!」
「ふざけンな!」
もう一度触れようとした一方通行の手を、上条は右手で払いのける。
また能力が通らない。
一方通行の目が見開かれ、自分の計算と現実が噛み合わない一瞬の硬直が生まれた。
上条はそれを見逃さず、右拳を握る。
「歯ァ食いしばれよ、
「――っ!」
拳が飛ぶ。
一方通行は避けなかった。
否、反射がある限り、ただの人間が振るう拳など自分へ届くはずがないと判断していた。それは学園都市第一位として生きてきた彼にとって、疑う必要すらなかった常識である。
しかし、その常識を上条の右拳が正面から突き破った。
ゴッ!!
「ぐっ!?」
拳が頬へ突き刺さり、一方通行の身体が横へ流れる。
一瞬、操車場から音が消えたように感じられるほどの衝撃に、美琴が息を呑み、一〇〇三二号のゴーグルが僅かに動く一方、アナザーだけが目を輝かせた。
「原主一号ぉぉぉぉぉ!! やりましたね! 主人公ポイントを大量獲得です!」
「うるせえ! 今それどころじゃねえだろ!」
一方通行は頬を押さえたままゆっくり顔を上げたが、その顔に浮かんでいるのは怒りより先に、自分の常識では説明できない現象を突きつけられた困惑だった。
「……何だよ、それ。何で……反射されねェ?」
「知らねえって言ってんだろ!」
その瞬間、アナザーが動いた。
一方通行の意識が上条へ集中したことで、アナザーを封じていた遠距離攻撃の密度がほんの一瞬だけ薄くなる。その程度の隙があれば、今のアナザーには十分だった。
「今です!」
地面を捉えた足から一歩、二歩と間合いを削る。寮監との戦闘で最適化された踏み込みは、以前のように大きく身体を振って加速するものではなく、上下動を抑え、予備動作を削り、最短距離だけを滑るように詰めるものへ変わっている。
一方通行が気づいた。
「チッ!」
地面が爆ぜる。
それでもアナザーは止まらず、崩壊する足場には支持点を即座に移し、正面から押し返す空気圧は腕の一振りで吹き散らし、高速の飛来物は身体へ触れた端から弾き返しながら、そのまま一方通行へ迫っていく。
もう届く。
「テメェ!」
一方通行の表情が変わった。
理由も分からないまま反射を突破したレベルゼロと、一度反射を経験すれば次にはそれへ適応する可能性がある異常個体が、同時に自分の間合いへ入り込んでいる。
「やべェ――」
その一瞬、アナザーの拳が伸びた。
「白髪モヤシ!」
「触ンじゃねェ!」
反射が作動する。
アナザーは、それが来ることを分かっていた。
以前と同じように、自分が前へ出した拳も、腕も、そこへ繋がる身体全体の運動も、一方通行へ届く直前に逆方向へ叩き返される。
ただし、今のアナザーは以前とは違う。
拳が反射へ触れた瞬間に身体全体が強制的に後方へ引き戻されると、肩と肘へ走った破壊的な力へ正面から逆らわず、手首を捻り、肘を曲げ、肩甲骨を逃がし、腰を回し、さらに足を地面から切ることで、一箇所へ集中するはずだった反作用を全身の回転へ変えていった。
「ぐっ――!」
それでも完全には逃がせず、右腕から肩へ激痛が走ると、アナザーの身体は紙切れのように吹き飛ばされた。
「アナザー!」
美琴が叫ぶ。
地面へ叩きつけられたアナザーは、それでも頭から落ちることだけは避け、肩、背中、腰へ順番に接地することで衝撃を分散しながら砂利の上を何度も転がり、ようやく数メートル先で止まった。
「ぐ……ぅ……」
右腕は震え、肩も外れかけており、致命傷こそ避けたものの明確なダメージを受けている。
「……やっぱり、最初は痛いです」
アナザーの呟きに、一方通行の表情が硬くなった。
今の反射は確かに通った以上、以前の適応が失われていたことまでは予想通りである。
問題は、その後だった。
「まさか……」
ガコン――!
重い金属音とともに、アナザーの頭上で方陣が回る。
一方通行の顔から、完全に余裕が消えた。
「……クソが」
アナザーの肩が戻り、肘と手首に残っていた痛みも消え、右腕へ再び力が戻っていく。
地面へ手をつきながらゆっくり立ち上がったアナザーの口元には、すでに笑みが浮かんでいた。
「白髪モヤシ」
「……」
「二周目、完了です!」
一方通行が舌打ちする。
「二度目はねェよ」
「いえ、今のが二度目です」
「そォいう意味じゃねェ!」
上条が再び拳を構えながら、アナザーを見る。
「おい、お前、本当に今ので大丈夫なのか?」
「大丈夫です! たぶん!」
「たぶんで突っ込むなよ!?」
「原主一号は正面をお願いします! 今度もミサカが横から合わせます!」
「だから何でお前が仕切ってんだよ!」
「オリ主だからです!」
「それ答えになってねえ!」
口では揉めながらも、二人はほぼ同時に踏み出し、上条が正面、アナザーが側面から一方通行へ迫っていく。
一方通行の視線が右と左を往復した。
さきほどまでなら、注意すべき相手は一度経験した現象へ適応し、自分の反射さえ攻略してくる異常個体だけだった。
だが今は、最初から反射そのものを無視して拳を届かせる理屈の分からないレベルゼロと、再び反射を経験して方陣を回した異常個体が同時に存在し、しかも互いの弱点を埋めるように連携し始めている。
二人は脅威の性質も対処方法もまるで違う。
一方通行はゆっくりと歯を見せたが、その笑みにはもう、先ほどまでのような一方的な余裕だけは残っていなかった。
「……クソったれが。面倒なのが二匹に増えやがった」
足元の砂利が浮き上がり、空気が震え、線路を支える地面が低く軋む。
上条が正面から踏み込み、アナザーも側面から加速する中、その二人をまとめて迎え撃つように、一方通行の周囲で無数の破片が宙へ浮かび上がった。