「……クソったれが。面倒なのが二匹に増えやがった」
一方通行の足元から浮かび上がった無数の破片が、夜の操車場を照らす人工灯の光を細かく反射する。
正面には上条当麻。
側面にはミサカ・アナザー。
片方は、理由すら分からないまま自分の反射を最初から無視して拳を届かせるレベル0。もう片方は、一度経験した現象へ適応し、今しがた再び自分の反射さえ攻略した異常個体であり、その性質がまったく違っているからこそ、同時に相手をするのが厄介だった。
「来るぞ!」
「分かっています!」
一方通行が足を鳴らした瞬間、浮遊していた金属片と砂利が一斉に射出された。上条へ向かうもの、アナザーへ向かうもの、さらに二人が回避した先へ先回りするものまでが異なる軌道を描き、夜気を鋭く切り裂いていく。
「原主一号、そっち危ないです!」
「そっちってどっちだよ!?」
「そっちです!」
「分かるか!!」
叫びながら上条が反射的に身体を横へ投げ、その頭上を金属片が通過する。しかし着地点へはすでに二発目が迫っており、上条が姿勢を戻すより先に、アナザーがその間へ割って入った。
「それはミサカがやります!」
差し出した掌へ金属片が激突する。
バギンッ!!
高速で飛んできた破片はアナザーの身体へ運動を伝えることすらできず、ほとんど同じ勢いで逆方向へ弾き返され、一方通行は首を僅かに傾けてそれを避けた。
「チッ」
「白髪モヤシ! あなたの攻撃はすでにミサカの経験値です!」
「調子乗ってンじゃねェぞ!」
横殴りの空気圧が押し寄せるが、アナザーが腕を払えば圧力の塊は身体へ届く前に左右へ裂け、その直後には足元の地面そのものが炸裂する。崩れた路盤の中でアナザーが即座に支持点を切り替えた、その僅かな隙間を縫って上条が一方通行へ肉薄した。
「っ!」
右拳が顔面へ飛ぶ。
今度の一方通行は上体を捻ってそれを避けた。
「今度は避けましたね!」
「うるせェ!」
「学習しましたね白髪モヤシ!」
「テメェにだけは言われたくねェ!」
一方通行が苛立ったように腕を振ると、横から叩きつけられた暴風が上条の身体を掬い、数メートル先の砂利へ投げ出した。
「ぐぁっ!」
「原主一号!」
アナザーが追おうとした瞬間、目前の地面が大きく隆起して進路を遮る。
「上条!」
美琴が反射的に一歩踏み出し、指先から青白い火花を散らした。
「御坂、来るな!」
「何言ってんのよ! アンタ一人じゃ――」
「だからだ!」
砂利の上へ片膝をつきながら、上条が叫び返す。
「あいつを倒すのは俺じゃなきゃ駄目なんだろ! 学園都市最強の第一位が、俺みたいなレベル0に負けたって結果になれば、そもそも『一方通行が最強だから実験を続ければ絶対能力者になれる』って計算がおかしくなる!」
美琴の動きが止まった。
「でも――」
「お前は第三位だ! ここでお前まで一緒になってあいつを倒したら、『第三位まで加勢して第一位を倒した』って話にされるかもしれない。だったら実験を止める材料にならねえ!」
「……っ」
「だから御坂は、直接あいつと戦うな!」
美琴は奥歯を噛み締める。
第一位を第三位が倒すのではない。学園都市の能力評価では最底辺に位置するレベル0が、絶対に勝てないはずの第一位を倒す。それによって《絶対能力進化計画》の前提である「一方通行の絶対的優位」そのものへ疑義を突きつけるという、乱暴ではあるが明確な理屈だった。
「……分かったわよ! だったら、絶対勝ちなさいよ!」
「言われなくても!」
その横で、アナザーが何やら深く納得したように頷いた。
「なるほど。つまりミサカが第一位より強くなれば全部解決ですね!」
「何でそうなるのよ!?」
「第一位が最強だから問題なのでしょう? ならミサカが最強になれば問題は消滅します!」
「脳筋すぎるわよ!」
美琴の指摘など気にも留めず、アナザーは一方通行と上条を交互に見比べると、何か重大な真理へ到達したように目を見開いた。
「つまり早いもの勝ちですね!」
「何が!?」
「白髪モヤシを先に倒した方が最強です!」
「そんなルール誰も決めてねえよ!」
「原主一号、勝負です!」
「何で俺との勝負になってんだよ!」
一方通行の額に青筋が浮いた。
「テメェら、俺の前で勝手に勝負始めてンじゃねェェェェ!!」
地面が炸裂し、爆風と砂塵が一斉に広がる。上条は腕で顔を庇いながら後退し、アナザーは飛び込んできた破片を身体へ触れた端から弾き返すが、一方通行はそのまま止まらず上条へ距離を詰めた。
「能力さえ消せりゃ勝ちだとでも思ってンのかァ!」
「んなこと思ってねえよ!」
上条は砂利を踏み締めながら、もう一度立つ。
「お前が強いのなんか、とっくに分かってる! だからって、それで人が殺されるのを黙って見てろって話にはならねえだろ!」
一方通行の目が歪んだ。
「……気に入らねェ」
「俺だってお前のことは気に入ってねえよ」
「そォいう話じゃねェンだよ!」
一方通行が地面を踏み抜くと、大量の土砂と粉塵が爆発的に巻き上げられ、乾いた夜気の中へ細かな粒子が充満した。
「何だ……?」
「原主一号、止まらないでください!」
一方通行は口元を吊り上げる。
「知ってるかァ、レベル0。細けェ粉が空気中に大量に舞ってる場所で火ィつけると、どうなると思う?」
「――!」
次の瞬間、操車場の一角が爆発した。
轟音と火炎、衝撃波が同時に押し寄せ、線路脇の砂利までまとめて吹き飛ばす。爆煙の中から上条の身体が転がり出し、裂けた制服の隙間から血を滲ませながら激しく咳き込んだ。
「上条!」
「げほっ……!」
「原主一号!」
「大丈夫だ! まだ動ける!」
上条はふらつきながらも立ち上がった。
一方通行はその姿を睨み、舌打ちする。
「まだ立つかよ」
「お前を倒すまでな」
「だったら――」
風向きが変わった。
最初に異常へ気づいたのは美琴だった。
「……何?」
操車場を抜けていた夜風が、一方通行を中心として不自然な方向へ曲げられていく。周囲の空気だけではない。さらに遠方から引き寄せられた大量の大気が、一方通行の頭上、高度百メートル近い一点へ向かって集中していた。
「ちょっと待って……」
美琴の表情から血の気が引く。
一方通行は両腕を広げた。
「反射を抜けるヤツがいる。適応してくるヤツもいる。だったら、まとめて近づけねェくらいのモンを作りゃいいだけだろォが!」
風が唸り、線路脇の砂埃が空へ吸い上げられる。先ほどまでの戦闘で散乱していた紙片や小石、比較的軽い金属片までが上昇気流へ巻き込まれ、そのさらに上では青白い光が急激に膨張し、巨大な球形を作り始めていた。
「……プラズマ」
美琴の声が低くなる。
上条も思わず空を見上げた。
「何だよ、あれ……」
「まともに完成したら、ここら一帯ごと洒落にならないわよ!」
アナザーも上空の光球を見上げ、その規模と、まだ自分の身体が経験したことのない現象であることを同時に理解したらしい。
「未経験の高威力攻撃ということですね」
「何でちょっと嬉しそうなのよ!?」
「気のせいです!」
「絶対嘘でしょ!」
そう声を荒げ、思わず美琴は駆け出し⋯、
「御坂、来るな!」
「ッ! 分かってる!」
一歩踏み出しかけて止まった。先ほど上条自身から告げられた理由が、今度ははっきりと頭に残っている。自分が第三位として一方通行本人へ攻撃を加えれば、上条がレベル0として第一位を倒す意味が薄れる。
だが、一方通行本人と戦わなければよい。
あのプラズマを成立させている条件だけを崩せばいい。
「一〇〇三二号!」
「はい、とミサカは応答します」
「ミサカネットワークを使って! 学園都市中の風車、動かせるだけ動かして風向きを乱して!」
一〇〇三二号は一瞬だけ美琴を見ると、すぐに応じた。
「了解しました、とミサカはネットワークへ情報を共有します」
一方通行の眉が跳ねる。
「何……?」
学園都市各所に存在する風車が、妹達の介入によって次々と動きを変える。
一方通行が周囲から掻き集め、精密に束ねていた大気の流れへ外側から不規則な乱れが入り込み、風向きと収束条件が狂い始めた。上空へ浮かんでいた巨大な青白い球体も激しく明滅し、滑らかだった輪郭が波打つように歪んでいく。
「テメェら――!」
一方通行の表情が変わる。
プラズマはまだ消えていない。
しかし、外部から供給されていた空気の流れを乱されたことで安定性を明らかに失い、巨大な球体は今にも自壊しそうに脈動しながら、一方通行の演算によって辛うじて上空へ繋ぎ止められていた。
「まだ消えない……! もう少し、風向きをもっと乱せれば――」
美琴が険しい顔で空を見上げる。
その一方で。
アナザーが見ていたのはプラズマ球そのものではなかった。
そこへ向かう巨大な上昇気流の途中、一方通行が地面を破壊した際に剥がれた薄い大型金属板が、猛烈な風に煽られながら空へ持ち上げられている。
その軌道を見たアナザーの目が、露骨に輝いた。
「……見つけました」
「何を?」
「搭乗口です!」
「は?」
アナザーは即座に走り出した。
一方通行が嫌な予感に顔を引きつらせる。
「テメェ、何考えてやがる」
「白髪モヤシ!」
アナザーは地面を蹴り、上昇気流へ吸い上げられて地上数メートルまで浮いていた金属板へ両足で着地する。板は少女一人の重量を受けて大きく傾いたものの、寮監との戦闘によって最適化された重心制御が瞬時に姿勢を補正し、アナザーを乗せたまま上空へ流されていった。
「あなたの風、利用させていただきます!」
「降りろォォォォ!!」
「白髪モヤシ航空、発進です!」
「誰が航空会社だァァァァ!!」
金属板は上昇する。
十メートル、二十メートル、そしてなお上へ。
「アナザァァァァ!! 何してんのよアンタぁぁぁぁぁ!!」
「ご安心くださいオリジナル!」
「どこに安心材料があるのよ!?」
「目的地はすぐそこです!」
「目的地が一番危険なのよ!!」
アナザーを乗せた即席の搭乗板は、一方通行がプラズマ形成のために作った上昇気流へ乗り、さらに高度を稼いでいく。その遥か上では、妹達によって供給気流を乱された巨大プラズマ球が、不規則に形を歪めながら青白く明滅していた。
球体の下端が近づく。
アナザーは金属板の上で腰を沈めた。
「白髪モヤシ航空、ここで降ります!」
「二度と乗るなァ!!」
「またのご利用をお待ちしています!」
「待ってねェ!!」
アナザーは金属板を蹴った。
その身体が空中へ飛び出し、その先にある巨大な青白い光へ向かって弧を描く。
「ちょっ――本当に入る気!?」
「不安定なら最後に一押しです!」
「だから押すなぁぁぁぁぁぁ!!」
美琴の絶叫を遥か下へ置き去りにしながら、アナザーはプラズマ球の下縁へ突入した。
青白い光が全身を飲み込む。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ熱ぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「だから言ったでしょうがぁぁぁぁ!!」
先ほど適応した空気圧とはまったく違う。圧縮された空気だけでなく、高温と電離した気体、それらがもたらす熱的・電気的刺激が同時に全身へ作用し、アナザーの制服を焦がし、露出した皮膚を焼き、筋肉へ強烈な痙攣を走らせた。
呼吸をすれば肺の奥まで焼けるように痛み、飛び込んだことを本気で後悔し始めるほどだったが、それでもアナザーはまだ意識を失っていない。
しかもプラズマそのものは、美琴と妹達による気流攪乱で既に安定性を大きく失っている。
「経験値だけ……いただきますぅぅぅぅ!!」
アナザーは空中で身体を縮め、頭部と胸部への損傷を少しでも減らそうとした。
その直後。
ガコン――!
巨大なプラズマ球の内部で、重い金属音が響く。
一方通行の目が見開かれ、美琴も息を呑んだ。
青白い光に飲み込まれたアナザーの頭上で円環状の方陣が回転し、焼け爛れかけていた皮膚が急速に再生を始める。筋肉を痙攣させていた刺激も、肺を焼いていた灼熱も、それまで確実に身体を破壊していたプラズマという現象そのものも、方陣が回った直後からアナザーへの作用を失っていった。
「……おお」
アナザーが目を開く。
周囲はなお青白い光で満たされている。
それなのに、もう熱くない。
もう痛くない。
身体へ触れようとする発光領域そのものが、その直前で押し退けられるように崩れている。
「適応完了です!」
一方通行の顔色が変わった。
「待て」
アナザーの両腕がプラズマの中で大きく弧を描く。
「おい、待て」
腕を動かした範囲へ沿ってプラズマが大きく歪み、少女の身体を中心とした空白が広がっていく。
アナザーがプラズマそのものを自由に操っているわけではない。適応した身体へ接触しようとする同種現象が成立を拒絶され、その排除領域を身体の動きによって連続的にプラズマ内部へ食い込ませているに過ぎなかった。
しかし、すでに風車によって供給気流を乱され、全体の均衡を失っていた巨大な球体にとって、その局所的な欠損は致命的だった。
アナザーを中心として生まれた空白を埋めようと周囲のプラズマが流れ込み、近づいた端からさらに崩れる。その崩壊は補正されるより早く周辺へ広がり、巨大な球形そのものが内側から大きく歪み始めた。
「待てっつってンだろォォォォ!!」
アナザーは両腕を胸の前にクロスするように構え、
「では――ミサカが仕上げます!」
そのまま全身を使って左右へ振り抜いた。
轟ッ!!
適応による拒絶領域が一気に広がり、アナザーを中心として青白い光が四方へ吹き飛ばされた。
それはプラズマそのものを腕力で殴り飛ばしたのではない。
アナザーへ作用できなくなった現象が、その身体の動きによって広い範囲で連続的に成立を失い、もともと不安定化していた球体全体の均衡を一気に破綻させたのだ。
球形を保っていた青白い発光領域が内側から膨れ上がるように歪み、次の瞬間には巨大な奔流となって四方へ吹き散らされる。
バヂィィィィィン!!
夜空が一瞬だけ青白く染まった。
しかし爆発ではない。
破壊的なエネルギーを一点へ収束させる条件そのものを失った巨大プラズマ球が、形と密度を維持できなくなり、無数の淡い残光へほどけながら空中へ散っていく。
直径数十メートルにも及んだ巨大な光球は、アナザーを中心として完全に――消し飛んだ。
「…………」
地上では、美琴が口を開けたまま空を見上げ、一〇〇三二号のゴーグルも消えていく残光を追っている。上条もまた呆然とその光景を見守り、一方通行だけが露骨に頬を引きつらせていた。
そして、プラズマ球を消し飛ばした当人には、当然ながら空中に残る足場など存在しない。
「…………あ」
アナザーの身体が落下を始める。
「アナザァァァァァァァ!! また落ちてんじゃないのぉぉぉぉ!!」
美琴が頭を抱えた。
しかし当のアナザーは、耳元を裂くような風の中で猛烈な勢いで接近してくる地面を見下ろしながら、先ほどこの操車場へ降りてきた時の感覚を思い出していた。
あの時は格好をつけて片脚から着地した結果、衝撃を逃がせず脚を派手に折った。
そして、その直後。
方陣は確かに回った。
「ふふふ……」
アナザーが笑う。
「今回は――適応済みです!」
空中で身体を捻り、両脚を下へ揃えながら腰と膝を柔らかく沈め、上半身の角度まで細かく調整する。その姿勢は本人が意識して組み立てたものではなく、高所落下という一度経験済みの現象に対し、身体が最も損傷を抑えられる動きを自動的に選択した結果だった。
地面まで数メートル。
ズドンッ!!
砂利が円状に吹き飛び、衝撃音とともに土煙が立ち上った。
「アナザー!?」
美琴が反射的に身構える。
煙が晴れた、その中心。
片膝を地面へつき、片手を砂利へ添えた姿勢で、アナザーは完全に静止していた。
脚は折れていない。
腕にも損傷はなく、身体には傷一つない。
アナザーはゆっくり顔を上げると立ち上がり、衣服についた砂埃を払ってから胸を張った。
「スーパー着地、決まりました!」
「そこ喜ぶところ!?」
「前回は失敗しましたから!」
「覚えてたのね!?」
「ミサカは学習する女です!」
一方通行が額へ青筋を浮かべた。
「適応だろォが!」
「細かいことを気にしますね白髪モヤシ!」
「テメェに言われたくねェェェェ!!」
一〇〇三二号は上空へ残る淡い光を確認しながら、冷静に状況を整理する。
「プラズマはミサカネットワークによる気流攪乱によって維持能力を失いつつあったところへ、アナザーが内部へ侵入し、適応成立後に現象の維持を内側から破綻させたことで完全に崩壊したものと推定します、とミサカは観測結果を報告します」
「……つまり、私達が崩して、アンタが最後に消し飛ばしたってこと?」
美琴が額を押さえる。
「共同作業ですねオリジナル!」
「その言い方やめなさい!」
一方通行の頬が引きつった。
「……ふざけやがって」
低く吐き捨てる声には、先ほどまでの余裕がほとんど残っていない。
その一方通行を見据えながら、全身に傷を負い、呼吸を乱した上条が再び拳を上げた。
「もう終わりにしろよ。これ以上、誰か殺して何になるんだ」
一方通行の目が細くなる。
「……うるせェ」
「何人殺したって、お前が欲しいもんなんか手に入らねえだろ!」
「うるせェっつってンだろォが!!」
一方通行が地面を蹴る。
一瞬で距離が消えた。
上条は右手を上げるが、一方通行にはすでに、その右手へ能力を触れさせることが危険だと分かっている。
ならば避ければいい。
狙うのは右手ではない。
肩でも、胸でも、首でもいい。
一度掌が身体へ届きさえすれば、体内を巡る血流も、臓器へ加わる圧力も、自分の演算対象になる。
「死ねェ!!」
一方通行の右腕が上条の右手を外側から回り込み、白い掌が胸元へ迫る。
上条は間に合わない。
「――危ない! 原主一号!!」
その間へ、アナザーが滑り込んだ。
「な――」
上条の目が見開かれる。
一方通行の掌が触れた。
上条ではない。
アナザーの胸へ。
「アナザー!!」
少女の身体が大きく跳ねた。
人体内部を巡る血液の流れと圧力、それらを成立させていた方向性が一方通行の演算によって一瞬で狂わされ、アナザーの背中が弓なりに反る。口から大量の血が溢れ、声を上げる間もなく全身から力が抜けた。
「アナザー!」
上条は反射的に右手を伸ばしかけ――寸前で止めた。
公園で、その右手がアナザーの頭上にあった方陣を消したことが脳裏へ蘇ったのだ。
「くそっ!」
右手をアナザーから離したまま、上条は左腕を背中へ回し、崩れ落ちる身体を肩と膝まで使って受け止めた。勢いを完全には殺し切れず、自身も片膝を砂利へついたものの、少なくともアナザーの身体をそのまま地面へ叩きつけることだけは防いだ。
「おい! アナザー!」
返事はない。
上条は右手を浮かせたまま、左腕だけでアナザーの身体を支える。腕は力なく垂れ、開いた瞳にも焦点がなく、顔色も急速に青白くなっていった。
「おい! 返事しろ! アナザー!!」
「アナザー!!」
美琴の絶叫が操車場へ響いた。
一方通行は、その場から動けなかった。
止まっていたのはほんの一拍に過ぎない。
しかしその短い時間の中へ、これまで目の前で騒いでいた少女の声が次々と蘇る。
痛いと騒ぎ、死にたくないと怯え、自分を白髪モヤシと呼んで意味の分からない冗談を飛ばし、生き延びることを何より必死に求めていた。
他の妹達と同じ顔をしている。
同じ遺伝子から作られている。
それでも。
少なくとも自分の目の前にいたこいつは、明確に生きたがっていた。
そんなヤツが、自分から他人を庇った。
そして今、自分が殺した。
「……違ェ」
一方通行の口から掠れた声が漏れる。
こいつは一〇〇三一号だった。
妹達の一体だ。
実験動物だ。
そうでなければならない。
そうでなければ、自分がこれまで殺してきた一万人以上が何だったのか分からなくなる。
「違ェだろ……」
上条は最後まで右手を触れさせないよう注意しながら、左腕と膝を使ってアナザーの身体を静かに砂利の上へ横たえた。
そして顔を上げる。
「お前……こいつが何したってんだよ」
「……うるせェ」
「死にたくないって言ってたヤツだぞ」
「黙れ」
「それでも俺を庇ったんだぞ!」
「黙れっつってンだろォが!!」
一方通行が叫ぶと、その声に呼応するように空気が震え、足元の砂利が跳ねた。
しかしその怒鳴り声には、もう相手を圧倒するためだけの余裕も愉悦もない。
「今更……止まれるかよ」
「何?」
「ここで止まったら、今まで殺したヤツらは何だったんだよ! 一万人以上殺して、ここまで来て、今更間違ってましたで終われるワケねェだろォが!!」
「――だからって」
上条が立ち上がる。
「もう一人殺していい理由になるかよ!!」
一方通行の顔が歪んだ。
「うるせェ!」
二人が同時に踏み込む。
一方通行は上条の右手を避けるよう掌を伸ばし、上条はその懐へ身体ごと入り込んだ。
「これ以上――人を殺してんじゃねえ!!」
ゴッ!!
上条の右拳が一方通行の顔面へ叩き込まれ、白い顔が大きく跳ねる。
「ぐ……ァ……!」
それでも一方通行は倒れない。
上条自身も肩で息をし、足元をふらつかせながら、さらに一歩前へ出た。
一方通行も動こうとする。
だが、先ほどアナザーへ触れた掌の感触が頭の片隅から消えない。
避けろ。
反撃しろ。
演算しろ。
そう命じているはずなのに、身体の反応が一瞬だけ遅れた。
「おおおおおおおおおっ!!」
上条の右拳が振り抜かれる。
ゴッッ!!
一方通行の頭が大きく揺れ、足が地面から離れる。後方へ押し流されながら視界が傾き、膝から力が抜けていく感覚の中で、第一位である自分がレベル0に負けたという事実だけが、不思議なくらい明瞭に頭へ落ちた。
これで終わるのか――。
これで、この実験も――。
そう思った、その瞬間。
ガコン――!
操車場へ、聞き覚えのある重い金属音が響いた。
一方通行はまだ倒れ切っていない。
後ろへ崩れながら、その音へ反射的に視線を向けた。
「……は?」
地面へ倒れていたアナザーの頭上で、方陣が回っている。
青白かった頬へ急速に血色が戻り、止まっていたように見えた胸が大きく上下した。
「――っ、げほっ!」
アナザーの目が開く。
上条が息を呑んだ。
「アナザー――」
その声が最後まで届くより早く、アナザーは地面へ手をついて跳ね起きた。
一方通行はまだ後方へ崩れている最中だった。
アナザーの目が光る。
敵がいる。
しかも弱っている。
ならばぶっ飛ばす。
「ミサカ神拳奥義ぃぃぃぃぃ――不意打ちクラァァァァァァァッシュ!!」
「なっ――」
ドゴォン!!
一方通行が振り返り切るより早く、アナザーの全身を使った体当たりが横合いから直撃した。
反射は、もう通じない。
先ほど再適応している。
「テメェェェェェェェェ!?」
一方通行の身体が横方向へ弾き飛ばされ、そのまま完全に地面を離れて操車場の上を大きな放物線で飛んでいく。
一方通行の耳にはアナザーの馬鹿みたいに元気な声が確かに届いていた。
生きている。
さっき、自分が殺したと思ったヤツが、また立って、また騒いでいる。
その事実を理解した瞬間、胸の奥へ深く食い込んでいた何かが、ほんの僅かに抜け落ちた。
「……クソが」
理由を考える余裕はなかったし、その感覚へ名前をつけることもしなかった。
ただ、最後に吐き捨てた声からは、それまで身体中へ張りつめていた刺々しさがほんの少しだけ失われていた。
次の瞬間、一方通行の身体は砂利へ激突し、何度か転がったところで完全に止まる。
そして、そのまま意識を手放した。
アナザーは着地すると、その場でびしりと胸を張った。
上条は拳を上げたまま固まり、美琴も口を開けたまま動かない。一〇〇三二号だけが無表情のまま、倒れている一方通行とアナザーを順番に確認している。
アナザーが両腕の拳を高々と掲げた。
「うおぉぉぉぉぉっ! 第一位を撃破したのはミサカですぅぅぅっ!!」
「いや、俺だろ!!」
上条のツッコミが即座に飛ぶ。
「何を言っているのですか原主一号。最後に第一位へ攻撃を命中させ、完全に地面へ沈めたのはミサカです」
「俺が倒した後に横から突っ込んだだけじゃねえか!」
「勝負とは最後に立っていた者が勝者なのです!」
「お前、一回死んだみたいに倒れてただろ!」
「そこはノーカウントです!」
「何でだよ!」
美琴の身体が震えた。
「アンタ……本気で死んだと思ったのよ!?」
「ミサカも本気で死んだと思いました!」
「本人まで言うなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一〇〇三二号が淡々と告げる。
「戦闘記録上、一方通行を戦闘不能へ追い込んだ決定的要因は上条当麻の打撃であり、その直後のアナザーによる攻撃は、既に敗北状態へ移行していた対象への追加攻撃であると、ミサカは客観的な判定を提示します」
アナザーの顔が固まった。
「異議あり!」
「却下します、とミサカは即答します」
「ミサカネットワークへの上訴を要求します!」
「同一結論になる可能性が極めて高いと予測します」
「組織ぐるみの原作主人公びいき!」
「だから原作主人公って何なんだよ!」
命のやり取りが行われていたはずの夜の操車場へ、戦闘とはまったく関係のない騒がしい声が響き渡った。
次回「アイテム壊滅!? プリンになるのは貴様らだ!!」
※嘘です