「ヒィィィィ!!」
夜の操車場へ、少女の悲鳴が長々と響き渡っていた。
一〇〇三一号は走っていた。
それは戦術的撤退などという立派な言葉で表現するにはあまりにも切実であり、背後を振り返る余裕すら惜しむような全力疾走だった。つい先ほどまで全身の血流を滅茶苦茶にされ、地面を這うことしかできなかったという事実など完全に忘れたかのように両脚を動かし、コンテナとコンテナの間を縫いながら、一方通行から一メートルでも、一センチでも遠ざかろうとしている。
「待てコラァ!」
「その台詞を聞いて待つ馬鹿がどこにいるんですか! ミサカは白髪モヤシの知能指数について重大な疑義を呈します!」
「テメェ、逃げながら随分余裕じゃねェかァ!」
「ありません! 余裕がないから口だけでも強がってるんですぅぅぅ!」
そこだけは妙に正直だった。
背後から一方通行が迫っている。それだけで、一〇〇三一号にとっては十分すぎるほど恐ろしい状況であり、何しろ彼女の認識では、一方通行とは近づくだけで腕をへし折り、首筋へ触れただけで全身の血流まで滅茶苦茶にしてくる怪物なのである。
彼女自身はまだ知らない。
二度目に方陣が回転した時点で、一方通行の身体を自動的に覆っているベクトル防御――反射と、自分自身の体内へ直接向けられる血流や生体電気へのベクトル操作、その双方に対する適応がすでに成立していることを。
一方通行の側は、少なくとも彼女よりは状況を理解し始めていた。
逃げていく一〇〇三一号を追いながら、その赤い瞳は少女本人だけではなく、頭上で静止したまま付き従っている奇妙な方陣へ何度も向けられている。
一度目は銃弾で致命傷を負い、方陣が回転した直後に傷が消え、それ以降は同じ銃弾が通じなくなった。
二度目は反射によって右腕を破壊し、その後さらに体内の流れを直接操作して瀕死へ追い込んだが、再び方陣が回転すると、それらの損傷も跡形なく消失した。
二度なら偶然という言葉を使えないこともない。
ならば、三度目を試せばいい。
「オラァ!」
「ヒィッ!?」
一方通行が足元を強く踏みつけた。
アスファルトが砕け、大小いくつもの破片が宙へ跳ね上がる。そこへベクトル操作が加わった瞬間、それまで単なる路面の残骸にすぎなかったものが凶悪な速度を獲得し、一〇〇三一号の背中へ向かって殺到した。
「また飛び道具ぅぅぅ!?」
銃弾ならば、もう怖くない。それだけは先ほど確認した。
だが、今飛んできているものは拳ほどの大きさもあるコンクリート片であり、一〇〇三一号は頭を抱えながら、ほとんど泣きそうな顔で走り続ける。
「それ銃弾と同じカテゴリーじゃ駄目なんですかぁぁぁ!」
最初の破片が背中へ直撃した。
「ぶべっ!?」
身体が前方へ吹き飛び、地面へ落ちる前に二発目が腰へ叩き込まれ、続いて三発目が脇腹を抉る。一〇〇三一号は人体としてあまり好ましくない方向へ身体を曲げたまま宙を舞い、最後にはコンテナの壁面へ正面から激突した。
金属板が轟音とともに大きく凹み、その中心から一〇〇三一号の身体がずるずると地面へ滑り落ちる。
「…………ひどくないですか……?」
「生きてンじゃねェか」
「生きてれば何しても許される理論やめてください……」
言いながら立とうとしたものの、腰から下へまともに力が入らない。背中では何本の骨が無事なのか自信がなく、呼吸をするたび胸郭のどこかから聞きたくない種類の感触が返ってくる。
一方通行はすぐには近づかず、少し離れた場所からその様子を眺めていた。
そこに先ほどまでの退屈はない。
自分が何をしたのか、その結果何が起こるのかを観察している目だった。
「……な、なんですか、その実験動物を見るような目は」
「実験動物だろォが」
「本人へ言ってはいけない言葉ランキングを更新しました……」
直後。
ガコン――!
「あ」
方陣が回った。
それまで一〇〇三一号の全身を内側から締め上げていた痛みが途切れ、損傷していた骨格や内臓も、時間そのものを巻き戻したかのように正常な状態へ戻っていく。
一〇〇三一号は数秒間その場へ座り込んだまま、自分の脇腹を何度か触った。
「…………治りました」
「だろォな」
「反応が薄くないですか?」
「予想通りだからなァ」
「え」
一方通行が再び地面を踏んだ。
先ほどと同じように複数のコンクリート片が舞い上がり、一〇〇三一号は目を剥いた。
「ちょ、待――」
高速で射出された破片が額へ直撃した。
ごん、と、先ほどの惨状からは考えられないほど間の抜けた音がする。
「…………」
一〇〇三一号は反射的に額を押さえた。
痛くない。
続く破片も肩、胸、腹部へ次々と当たったが、今度は肉体を破壊することなく、石ころでも投げつけられたかのように地面へ落ちていく。
一〇〇三一号が足元の破片を見て、それから一方通行へ視線を移し、もう一度破片へ戻した。
「また無敵になりました?」
「その結論に戻るな」
「では何なんですか!?」
「こっちが聞きてェよ」
そう答えながらも、一方通行の口元には明確な笑みが浮かび始めていた。
仮説は、ほぼ確信へ変わりつつある。
「じゃあ次だ」
「次とかあるんですか!?」
一方通行が腕を振った。
空気が動いた。
一〇〇三一号には最初、それが攻撃であることすら分からなかった。ただ、自分の前方で夜の景色が僅かに歪んだように見えた次の瞬間、見えない巨大な壁で全身を殴りつけられたような衝撃が襲いかかった。
「ふぎゃっ!?」
身体が後方へ吹き飛び、硬い地面を何度も跳ねる。
受け身を取る暇すらなく腕が折れ、肩が外れ、背中を打ちつけるたび肺から空気が押し出され、最後には積み上げられていた荷物の山へ突っ込んで、ようやく停止した。
しばらくして、荷物の隙間から片腕だけが弱々しく伸びてきた。
「ミサカ……もう帰りたいです……」
「帰れるといいなァ」
「他人事みたいに言ってますが原因あなたですからね……!」
ガコン――!
また方陣が回る。
そして、治る。
一〇〇三一号は荷物を押し退けて這い出すと、先ほどまで不自然な方向へ曲がっていた腕を何度か振り、肩を慎重に回した。どこにも異常はなく、身体だけを見れば攻撃を受ける以前と何ら変わらない。
一方通行が、今度は意図的に先ほどと同じ空気の衝撃を作り出した。
「またそれ!?」
一〇〇三一号が身構えるより早く衝撃が直撃し、髪とスカートを猛烈にはためかせる。
だが、それだけだった。
「…………効かない」
一〇〇三一号が呆然と呟く。
「やっぱりなァ」
一方通行の笑みが深くなった。
「何がやっぱりなんですか!? ミサカにも説明してください!」
「ヤだね」
「情報共有!」
「敵にしてどうすンだよ」
「この状況でまだ敵認定されてたんですか!?」
叫びながら、一〇〇三一号は再び逃げ出した。
一方通行も追う。
そこから先は、もはや絶対能力進化計画の実験というより、未知の生物へ片っ端から刺激を与えて反応を記録する耐久試験に近い有様へ変貌していった。
一方通行が足元へ運動を集中させ、地面そのものを爆発的に跳ね上げれば、一〇〇三一号は足場ごと高々と宙へ放り出された。
「ヒィィィィ!? 空飛んでる! ミサカ飛んでるぅぅぅぅ!」
数秒後、頭から地面へ落下した。
「地面と仲良くなりたくありませんでした……」
首と背骨へ深刻な損傷を負ったまま恨めしげに地面を睨んでいると、やがて頭上で方陣が回転し、再び全身が正常な状態へ戻る。
そして同じ方法で二度目に足場を跳ね上げられたときには、一〇〇三一号は先ほどほど激しく身体を持っていかれることもなく、多少よろめきながらも両足で地面へ降り立った。
「…………スーパー着地」
「違ェだろ」
「じゃあ何ですか!」
「知らねェっつってンだろ!」
さらに別の方向から強大な圧力を掛けられ、コンテナと地面の間で押し潰されかけても、やはり方陣は回った。再び同種の力を受ければ、今度は身体が先ほどのようには破壊されない。
攻撃を受け、致命傷を負い、方陣が回って完全な状態へ戻る。そして同じ現象をもう一度受けたとき、それまでのようには通用しない――その異様な循環が一度、また一度と繰り返されるたび、一〇〇三一号の頭上にある方陣は重い音を響かせて回転し、それまで彼女を殺傷できた手段が一つずつ失われていった。
もちろん、本人にとっては何一つ楽しいことではない。
「ヒィィィ! 新技を試さないでください! もう十分データ取れたでしょう!」
「俺は研究員じゃねェぞ」
「むしろ研究員さん止めて! あなた達の実験対象がすごく酷い目に遭ってます!」
その悲痛な訴えは、偶然にも監視室で現実のものになりかけていた。
「……実験を中断する」
研究主任の言葉に、すぐ反対する者はいなかった。
当初予定されていた絶対能力進化計画の実験内容から、現状はすでに完全に逸脱している。画面に表示されるミサカ一〇〇三一号の能力出力そのものには劇的な上昇など認められないにもかかわらず、致命的な損傷を受けるたびに未知の構造物が回転し、肉体が完全修復されたうえ、それ以降、直前まで有効だった現象に対する明白な耐性変化が発生している。
「このまま第一位に攻撃を継続させれば、対象が対応できる現象だけを増やす可能性があります」
「適応、と見るか?」
「断定はまだ早い。だが、少なくとも当初の個体データには存在しない」
研究主任は僅かな逡巡のあと、通信担当へ視線を向けた。
「第一位にも停止を伝えろ。個体を回収して再検査する」
実験中止の指示が送信される。
しかし、そのわずかな時間が遅かった。
◆
「ヒィッ、ヒィッ、ヒィッ……!」
一〇〇三一号は息を切らしながら走り続け、そして突然、足を止めた。
正面には巨大なコンテナ。
右にもコンテナ。
左にもコンテナ。
そして背後からは、聞き慣れたくもない足音がゆっくりと近づいてくる。
「終点だなァ」
「…………」
一〇〇三一号は時間を掛けて振り返った。
一方通行がいる。
逃げ道を探すように右を見ても壁があり、左にも同じように壁があり、正面へ視線を戻せば、そこには今夜だけで何度自分を死にかけさせたか分からない白髪の少年が立っている。
「み、見逃していただくという選択肢は……?」
「ねェな」
「ですよね」
一方通行が一歩進み、一〇〇三一号が一歩下がる。
背中へ硬いコンテナの壁が当たった。
もう下がれない。
その瞬間、一〇〇三一号の中で何かが切れた。
恐怖は、普通ならば人間を逃走させるために働く。だが、逃げ場まで奪われ、何度も何度も殺されかけ、そのたびに治っては別の方法でまた殺されかけるという理不尽を延々と繰り返されれば、どれほど臆病な人間でも、いつまでも恐怖だけで動き続けられるとは限らない。
一〇〇三一号の眉が、ぴくりと動いた。
「…………いい加減に」
「あ?」
「いい加減にしてくださいよぉぉぉぉぉぉ!!」
逆ギレだった。
完全な逆ギレだったが、少なくとも本人にとっては正当な怒りだった。
「こっちは今日転生したばっかりなんですよ! 性別変わって! クローンになって! 初日から死亡予定で! 撃った弾は返ってくるし! 腕は折られるし! 血は滅茶苦茶にされるし! 石は飛んでくるし! 空気まで殴ってくるし! 何回殺せば気が済むんですかぁぁぁぁ!」
「知るかよ! つーか、転生って何だよ! こっちだって何でテメェが毎回復活してンのか分かンねェんだよ!」
「なら攻撃するのやめればいいでしょうがぁぁぁ!」
一〇〇三一号の身体から、青白い電光が弾けた。
ミサカシリーズが共通して使用する電撃系能力。
オリジナルたる御坂美琴には遥かに及ばず、前世の知識を持つ一〇〇三一号自身の言葉を借りるなら、紛れもなく「欠陥電気」である。
本来なら、それを学園都市第一位へ向けたところで何の意味もない。電流にも方向があり、運動があり、一方通行の反射に触れれば届くはずなどない――その事実を前世から知っているにもかかわらず、一〇〇三一号は両拳へ青白い電流を纏わせた。
「武器がない……!」
「あァ?」
「銃は駄目! 逃げ場もない! だったら!」
右腕をぐるぐると回す。
左腕も回す。
洗練された格闘術でもなければ、喧嘩慣れした人間の構えですらない。ただ前方へ両腕を回転させながら突っ込むという、あまりにも原始的で、あまりにも切羽詰まった攻撃だった。
一〇〇三一号は両拳を振り回しながら、一方通行へ突撃した。
「人間が初めて手に入れる武器ィィィィィィ!!」
「拳じゃねェか!」
「うるさぁぁぁぁい!」
一方通行は避けなかった。
避ける必要などないはずだった。
目の前の馬鹿が何を思ってまた殴りかかってきたのかは知らないが、つい先ほど同じように拳を振るったときには、反射によって本人の腕が壊れている。そこへ電撃まで纏わせたところで、拳も電流も触れた瞬間に方向を変えれば終わる。
だからこそ、一方通行は自分へ迫る拳を見ても、回避という選択肢を取らなかった。
その判断が、初めて裏切られた。
「――――は?」
ごっ、と鈍い音がした。
一〇〇三一号の右拳が、一方通行の頬へまともに突き刺さっていた。
反射されない。
拳は一方通行の皮膚へ触れ、肉を押し、その奥の骨へ衝撃を伝えて頭部を横へ大きく振り、その接触点からは拳へ纏わせていた青白い電流まで、遮られることなく身体の内部へ流れ込んでいく。
「がっ――!?」
一方通行の全身が跳ねた。
まともな打撃を受けたという事実そのものが想定外だったうえ、その直後には筋肉へ外部から電流が流れ込み、腕や脚が本人の意思とは無関係に強く収縮する。
何が起きた。
なぜ反射しない。
その疑問を演算へ落とし込むより早く、もう一方の拳が飛んできた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「待っ――テメ――!」
左拳が頬へ入り、電撃が弾ける。一方通行が反撃のために腕を上げようとすれば、そこへ右拳が飛び込み、再び全身へ電流が流れた。
格闘技として見れば最低だった。
腰も入っていなければ足運びも滅茶苦茶で、拳の軌道も安定していない。だが、反射によって肉体への攻撃を拒絶することを当然としてきた一方通行にとっては、それでも十分だった。
しかも一発ごとに、スタンガンを押し当てられたような電撃が追加される。
「ぐっ……テメ……何で……反射が……!」
「知りませんよぉぉぉぉぉ!」
一〇〇三一号自身が、一番知らなかった。
「ミサカだって何が起きてるのか分からないんです! でも殴れる! なぜか殴れる! だったらもう殴ります!」
その顔には、いつの間にか涙さえ浮かんでいる。
今日一日で味わった恐怖、理不尽、苦痛、混乱のすべてが限界を超え、今になって拳へ変換されていた。
「一方通行が泣くまで殴るのをやめないとミサカは雄々しく宣言しますうぅぅぅぅ!」
「ちょっ……テメ、いい加減――がっ!」
「嫌ですぅぅぅぅ!」
拳が入るたびに電光が散り、一方通行が何かをしようとするたび、その筋肉が再び痙攣する。
「さっきミサカがやめてって言ってもやめなかったでしょうがぁぁぁ!」
「ぐっ……!」
「因果応報です!」
「テメェが言うと腹立つンだよ……!」
「今はミサカがルールです!」
絶対能力進化計画の実験として見れば、完全に意味不明な光景だった。
監視室では、誰もすぐには声を発することができない。
画面の中で、学園都市第一位が、今夜殺される予定だったミサカ一〇〇三一号に、欠陥電気を纏った幼児の喧嘩じみたグルグルパンチで一方的に殴られている。
最初に我に返った研究員が通信端末を確認した。
「実験中止は伝わっているのか!?」
「い、今、現場回線へ――!」
直後、操車場のスピーカーが鳴った。
『実験を中止します』
「うわぁぁぁぁ――え?」
一〇〇三一号の拳が止まった。
『ミサカ一〇〇三一号、および第一位は戦闘行為を停止してください。繰り返します。実験を中止します』
一〇〇三一号は肩で大きく息をしながら、自分の正面を見た。
誰も立っていない。
「…………あれ?」
恐る恐る視線を下げる。
一方通行が地面へ伏していた。
白い髪は埃で汚れ、頬には何度も殴られた痕が残り、指先にはまだ筋肉の痙攣らしき僅かな震えがある。
ただし、意識はある。
むしろ、はっきりしすぎるほどあった。
地面へ伏した状態のまま、一〇〇三一号を射殺せそうなほど凶悪な目で睨んでいる。
一〇〇三一号は自分の右拳へ視線を落とし、握って、開いて、再び握ったあと、地面にいる一方通行と拳とを何度か見比べた。その表情が、困惑から徐々に妙な確信へ変わっていく。
「……ミサカの拳に」
「…………」
「理が宿った?」
一方通行のこめかみが引き攣った。
「……ちげェよ!」
「ヒィッ!? まだ元気!」
「テメェ……!」
「実験中止です! 聞きましたよね!? 暴力反対! ミサカはこれ以上の暴力行為を断固として拒否します!」
「どの口が言ってンだァ……!」
「正当防衛です!」
「途中から完全にやり返してただろォが!」
「正当防衛の延長線上です!」
「そんな線ねェよ!」
一〇〇三一号は即座に数歩下がった。
つい数秒前まで自分が一方通行を一方的に殴っていたという事実など関係ない。怖いものは怖いのである。
一方通行は地面へ片手をつき、まだ僅かに震える身体をゆっくり起こした。
その表情からは、実験開始時にあった退屈が完全に消えている。
反射は止めていなかった。
演算を解除した覚えもなければ、あの少女からの攻撃だけをフィルター外へ設定した覚えもない。それなのに、一度目には確実に弾き返せた拳が、方陣の二度目の回転を挟んだ後には、何の抵抗もなく自分へ届いた。
しかも、拳だけではない。
それに纏わせていた電撃まで一緒に侵入してきた。
一方通行は、ゆっくり一〇〇三一号の頭上へ視線を移した。
「……やっぱ、アレか」
「何か分かったんですか?」
一〇〇三一号が、すでに五メートルほど離れた場所から尋ねる。
一方通行が睨み返した。
「テメェに教えると思うか?」
「ケチ!」
「殺すぞ」
「実験中止ですぅぅぅ!」
一〇〇三一号はさらに距離を取った。
一方その頃、監視室ではすでに別の問題が発生していた。
第一位の反射は停止していなかったにもかかわらず、一〇〇三一号の拳はそこを素通りした。電撃能力の出力そのものにも、従来のミサカ個体を逸脱するような上昇は観測されていない。それにもかかわらず、拳と電流の双方が第一位へ直接到達している。
さらに、それ以前から蓄積していた記録を並べれば、異常はより明白だった。
一〇〇三一号が致命傷を受ける。
方陣が回転する。
身体が完全に修復される。
そして、それまで有効だった攻撃が、次の試行から通じなくなる。
研究員達の画面には、その順序を示す時刻と観測値が、偶然では説明し難い精度で積み重なっていた。
ただ一人、一〇〇三一号本人だけが、その意味を理解していなかった。
彼女はもう一度、自分の拳を眺める。
「やはり……」
「だから違ェっつってンだろ」
「まだ何も言ってません!」
「顔見りゃ分かンだよ!」
「ミサカの拳に理が――」
「宿ってねェェェェェ!」
一方通行の怒声が、夜の操車場へ響き渡った。
そのやり取りまで含め、実験区域に設置された監視装置はすべてを記録していた。
絶対能力進化計画の一工程として開始されたはずの実験は、この時点ですでに本来の目的から完全に外れている。
予定では、一〇〇三一号は今夜ここで死亡するはずだった。
ところが実際には生存しているばかりか、何度致命傷を受けても回復し、そのたびに同じ手段が通じなくなり、最後には学園都市第一位の反射さえ突破した。
そして当の本人は、その異常事態の中心で、自分の拳を不思議そうに見つめながら、本気でそこへ何らかの「理」が宿った可能性を疑っていた。