クロスアンジュ 天使と竜の輪舞~愛するミスティ・ローゼンブルムと共に~ 作:田中_jack
会談が行われました。
エンデラント連合の外務大臣に就任したリィザ・ランドックと新首相となったアーセナル・シュワルツネッガー氏らが、ローゼンブルム王国国王夫妻、日本連邦の阿倍野真三大統領、志木田茂雄外務大臣、中谷元雄国防総省大臣、私の父である田中隆男大臣、そして、「黄金のタックチーム」である私達4人を含む宇宙医科大学校の同期生や有名プロデューサーであるケマル・縁部理桜氏と、私達学生生徒の「引率者」であるマギー教官らが参加して、政権就任直後に我がエンデラント連合でのマナの段階的使用停止とノーマへの一切の迫害や追放の禁止を、政策変更として実施しました。
「マナの停止は半年程度の移行期間後に完全停止します。
検疫官の組織や制度も2110年11月10日を以て廃止します。
また検疫官の悪行なども全て司法や特別捜査委員会など司直の手で明らかにして、公開致します。」と、と新首相となったアーセナル・シュワルツネッガー氏が表明しました。
エンデラント連合に迫る動乱の動き。
国際情勢の「動かす一翼」になり、恋人宣言をした私達のその後は?
2110年11月8日。
後に、「エンデラント連合革命」とも、「第二次ミュンヘン一揆」とも言われるようになる、大騒乱の始まりの日。
エンデラント連合国内は、2110年9月17日に総選挙の結果、救国政党「ラインの守り」をはじめとする新政権が、マナの段階的使用停止とノーマへの一切の迫害や追放の禁止を、政策変更として実施したことへの支持が拡がった。
これに反発したのが、ノーマの取り締まりをしていた検疫官らとその組織や、それを動かす連中である。
特に昨年就任したビスマルック大統領が改革派の旗印の下で当選したにも関わらず、彼への批判が、政権交代を招いたのだが、ノーマ敵対派などを含めて、反省もせず、その原因が自分達にあることを分からなかったのだ。
なにしろ、ビスマルック大統領は、ノーマを取り締まる検疫官の組織「国家浄化委員会」から、ノーマやノーマ擁護者などから奪った金品などの一部を「賄賂」や「献金」として受け取っていたのである。
また、検疫官の組織「国家浄化委員会」も、同様に腐敗と汚職、職権乱用など、見るも無残な組織に成り果てていた。
内外の敵対勢力に囲まれたエンデラント連合の政権は、10月1日のロカルノでの日本連邦の阿倍野真三大統領らとアーセナル・シュワルツネッガー首相、リィザ・ランドック外務大臣との首脳会談で私の父が述べたように、大変厳しい状況であったのだ。
エンデラント連合での動乱は11月8日の夕方18時頃から「開始」された。
しかし、間抜けな事に、首都ベルリンを始め、他の多くの都市では事前に鎮圧されるか、ビスマルック大統領やノーマを取り締まる検疫官の組織「国家浄化委員会」の幹部などが、内乱罪や贈収賄などの容疑で次々に逮捕され、実動部隊も国家警察や国家憲兵隊、そして軍の力でねじ伏せられた。
特に、ビスマルック大統領には、内乱罪、職権乱用罪、贈収賄罪など、政治家として不名誉極まりない罪状で起訴されることになった。
それでも、日本連邦政府は、エンデラント連合国内の緊張と邦人保護への対応を理由に、連邦軍や各地域軍に邦人救出や治安維持を名目とした出動を命じると共に、11月10日付けで、エンデラント連合とローゼンブルム王国のそれぞれの各地域統合軍の組織の正式な発足を公表した。
それに基づいて、「黄金のタッグチーム」である私ことリデル、ミスティ、アルベルトとヒルダの私達4人や、宇宙医科大学校の同期生を含む生徒や教官なども、「戦闘態勢」に入った。
旧スイス連邦領内や南チロル地方、そしてライン川上流から北海にかけての地域は、全くの無抵抗状態で、ローゼンブルム王国方面地域統合軍の陸軍1個軍などによって平和裏に「進駐」した。
また、ベルリンとその周辺は、ヨーロッパロシア方面地域統合軍の海兵隊1個軍を中心に、バルト海より上陸して平和裏に「進駐」した。
私達は、これらの正規軍の進駐を支援するべく、エンデラント上空などを飛び回り、時々襲ってきたガリア帝国の戦闘機やラグナメイルと交戦した。
やはり「円鰤夫(エンブリヲ)」の出身国だけあって、ガリア帝国はしぶとい。
11月8日から9日の、たった1日だけで20回の戦闘に参加したのだから。
エンデラント連合での動乱で、唯一、「動乱らしい動乱」は、11月8日夜から11月9日の午前にかけて、ミュンヘンのビアホールから中心街にかけて行われた、重武装の検疫官らの中心街の占拠とデモ行進であった。
一般住民らの支持も、検疫官には全く無い中の重武装による庁舎などの中心街の占拠やデモ行進はむなしく、エンデラント連合の軍による機甲部隊や警察の治安部隊などによって粉砕、鎮圧された。
その光景はまるで、1923年11月8日から9日にかけて、ヒトラーが率いたナチス党が企て実行した「ミュンヘン一揆」に酷似しており、後世の歴史家は、この事件を「第二次ミュンヘン一揆」とも言われるようになったのだ。
エンデラント連合での動乱の終結とその解放は、11月9日の18時に、アーセナル・シュワルツネッガー首相が発表した。
尚、大統領選挙は12月20日に投票を実施、即日開票されることになり、それまでの間はアーセナル・シュワルツネッガー首相が兼任することになった。
勿論、アーセナル・シュワルツネッガー首相は、次の大統領選挙に立候補することを表明した。
翌日の11月10日。
予定通り、11月10日付けで、日本連邦政府はエンデラント連合とローゼンブルム王国のそれぞれの各地域統合軍の組織の正式な発足を公表した。
そして、それを記念する観閲式が王都ジェノバで大々的に開催され、「黄金のタッグチーム」である私達4人を含めて、宇宙医科大学校の生徒や教官なども参加した。
本当に、皆が英雄だった。
特に戦果を挙げた者やその部隊は、情報部隊や通信部隊などを含めて、名誉ある勲章である「旭日章」が授与された。
宇宙医科大学校の生徒や教官は、全員、「旭日章」が授与された。
「宇宙医科大学校も、生徒や教官がラグナメイルに搭乗すると、かなりの戦力だな。」
私は、本当にそう実感したものだ。
この戦闘体験や実感は、後に新たなる師団構想「空陸両用師団」へとつながるものになっていく。
事実上の戦勝パレードであり、観閲部隊もエンデラント連合などから戻ってきた部隊をそのまま市中行進や観閲飛行、観艦式のように観艦航行しただけだったのだが。
11月11日、ヒルダの誕生日。
恒例の王宮でのヒルダの誕生日パーティーに、今年は大きなサプライズがあった。
なんと、ヒルダの家族が招待され、5年余りの間、離ればなれになっていた家族と涙の再会を果たしたのだ!!
ヒルダの母親は「会いにも行けなくてごめんなさい、ヒルダ。」と、ただただ、謝り続けた。
ヒルダは、もう立派な女性に成長していた。
「もういいのよ、ママ。」と、逆に励ます器量すら身につけていたのだから。
このまま、すんなり「ノーマ解放」が進む、とは誰もが思いたいが、現実は厳しかった。
何と、この4日後の11月15日に、ミスルギ皇帝夫妻がモモコ公国でローゼンブルム国王夫妻らと会談することになっていた。
ところが、その前日の14日、ミスルギ皇帝夫妻がモモコ公国に到着した時を待っていたが如く、ミスルギ公国皇帝夫妻のどら息子でお馬鹿な皇太子、ジュリオ・飛鳥・ミスルギが、手兵を率いて、エンデラント連合の国境の町ザールブリュッケンを攻撃するが撃退され、ナポレオンのパリ凱旋を夢見るが如く、こともあろうに日英仏連合部隊が警備するフランスの首都パリに向けて進撃したとの知らせが舞い込んだ!!
どうなるのか??
ミスルギ皇国とその皇室は??
エンデラント連合の動きは終結しましたが、ミスルギ皇国とその皇室はどうなるのか??
アーセナル・シュワルツネッガー首相やリィザ・ランドック外務大臣の運命は?
ミスルギ皇帝夫妻やアンジュリーゼなどの皇室家族らの運命は??
「黄金のタッグチーム」である私ことリデル、ミスティ、アルベルトとヒルダの私達4人を含めて、宇宙医科大学校の同期生らの立場は如何に??
次回をお楽しみに。