体が、動かない
ふんわりと、何処かを彷徨っているような
ここは……何処だ?
(あれ……俺死んだのか?)
目を開けられることに気づく
周りは真っ赤で、何かが体にまとわりついてくる
体を動かそうとしても、どうにもならない
(そういえば…あれから…)
ドットーレにコロンビーナを奪われて、三月の力で…
(引き…裂かれた…)
背筋がゾッとする
なるべく思い出したくない嫌な感覚
「あ…ああ……」
段々と体に力が入る
声も出せるようになっていく
(あれからどれくらい経った?もう終わったのか?)
外の情報は一切分からない
起き上がろうとしても何かに引き止められる
置いてかないで…
「だ…れだ?」
周りには誰もいない
だが、誰かがいる感覚がする
よく見ると周りにまとわりついている何かは……アビスが人の手を模していた
行かないで…怖い…痛い…
(この声…聞き覚えが…)
「っ!?」
前に、女性の顔が現れる
アビスで象られた女性の顔、その輪郭は段々と鮮明になっていき
いつしか全身が作られ、カナメに馬乗りの形になる
淡い緋色の髪
彼女は淀んだ目で、カナメを見つめ続ける
「置いてかないで…カナメ…」
それだけをただ呟き続ける
馬乗りになり、抱き着いてくる
それと同時に全身にアビスがへばりついてくる
「カナメ…カナメ…」
カナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメカナメ……
耳元で囁かれる自身の名
気が狂いそうだ
目の前にある形のいい顔はピクリともせず、ただ見つめてくるだけ
(あれ…俺って……誰だっけ…)
いつしか、カナメの体の輪郭が、アビスに溶け始める
目の前の女の体も溶け始め、混ざり合う
(俺は……カナメ…俺は…人間…)
俺は?誰?
誰だ?人間?にんげん?ニンゲ…
体は、既に溶け切りかけていた
抱きつくだけだった女と、境界線が曖昧になり、混じり合う
それはもはや、カナメと呼べるものなのか
いつしか…カナメの意識は…
(…ん?あれ……は…)
上に、光が見えた
闇を照らす、眩いばかりの光
自然と、手を伸ばしてしまう
ダメ…行かないで…
その伸ばした手は、無数の手に掴まれ、引き戻される
だが、カナメはそれでも手を伸ばし続ける
嫌…1人は嫌なの…
今までとは違う、悲しみの混じった声
ふと、カナメの脳裏に記憶が湧き出る
淡い緋色の髪の…月の神と言えどもただの優しい少女との儚い思い出
三月の女神達と、月の使いと過ごした日々の記憶
「……ソネット?」
浮かび上がった輪郭の、表情が変わる
「……カナメ…行かないで…怖いの…痛いの…私が…壊れてくの…」
足に縋りついて、引っ張ってくるソネット
彼女の肌はひび割れ、表情は苦痛に歪んでいる
カナメは静かに手を伸ばす
ソネットはその手を掴み、引きずり下ろそうとするが、その前にカナメに引き寄せられる
カナメはそのまま、ソネットを抱き締める
アビスがジンワリと、体に広がっていく
「……すまない…ソネット…1人にしてしまって……」
彼は、自分の最期を知覚した
だが、ロノヴァの危惧したように自我は崩壊しなかった
ただ、彼の脳裏に過ぎったのは自分の死後、自分の愛した人がどうなったか
その答えが、今目の前にある
なら、なぜ自分を優先し、自分だけを抱きしめられる
「これからは…俺も一緒だから…」
ソネットがじんわりと赤く光る
カナメは抱きしめたまま、上を目指す
周囲から生えてくるアビスの手に引っ張られようとも、ただ上の光を目指して
「ありがとう…カナメ」
腕の中のソネットが淡く光る
その体は段々と粒子になり、カナメの体へと吸収されていく
ソネットは力を振り絞り、カナメへと顔をちかづける
「さようなら」
その瞬間、眩いばかりの光に包まれる
カナメは、消えゆく彼女を追うように手を伸ばす
だが、掴めず、空を切ってしまう
その手には、月の輪だけが握られていた