『ウィザードクロス』 ~TCGのホビアニみたいな世界に転生したけど普通に生きたい 作:ロゴ
「《炎翼龍 ブレイズ・ワイバーン》で攻撃!」
「──ライフで受ける!」
俺が叫んだ瞬間、身体の正面へ半透明の魔力障壁が展開された。
次の瞬間、巨大な邪竜の爪が真正面から叩きつけられ、凄まじい衝撃とともに青白い光が一気に弾け飛ぶ。まるで分厚いガラスを何十枚もまとめて叩き割ったような轟音が戦場を震わせ、砕け散った魔力の奔流が視界を埋め尽くしながら周囲へ吹き抜けていった。
「ぐっ……!」
まともに受け止めたはずの身体が、まるで見えない巨大な何かに殴り飛ばされたように後方へ弾かれる。靴底が地面を削り、踏みとどまろうとした足へ衝撃が集中するなか、どうにか転倒だけは堪えたものの、肺の奥に溜め込んでいた空気まで一気に吐き出され、喉の奥から苦悶の声が漏れた。
腕を上げるだけでも鈍い痛みが走り、強く握り締めた拳にはじんじんとした痺れが残っている。心臓が妙に速く脈打つのを感じながら、俺は何度か浅く息を吐き、それでも戦場から目を逸らさないまま、砕けたバリアの向こうへ視線を戻した。
「……はぁ、はぁ……」
目の前に立つのは、漆黒の鱗に覆われた巨大な邪竜だった。
翼を広げれば周囲を覆い尽くしそうなほどの巨体から凄まじい威圧感が放たれ、その赤黒い瞳は、次の獲物を見定めるようにじっと俺を見下ろしている。
……これが、オレのやっていたウィザードクロスと同じなのか。
ウィザードクロスは俺たちの世界で知らない人間などほとんどいない、世界規模の人気を誇るカードゲームだ。
本来ならただのカードゲームで、今の攻撃だって現実のものではない。
公式大会などでは使われる質量を持った立体映像であるソリッドビジョンを用いて、モンスターの攻撃をライフで受けるときにはプレイヤーの前にバリアが展開され、それが攻撃によって砕かれることで衝撃が発生する。
もちろん、それはあくまでゲームを盛り上げるための演出に過ぎず、今みたいに身体の芯まで痺れるような痛みを感じることなどありえない。
「……はは」
乾いた笑いが、勝手に口からこぼれた。
改めて考えてみても、どうして俺はこんな場所で、こんな相手と、こんな試合をしているのかさっぱり分からない。
そもそも、いつからこんなことになったんだっけ──そんな疑問が頭を過ぎるほどの状況だというのに、不思議と逃げ出そうという気持ちは湧いてこなかった。
それどころか、胸の奥にはまだ火が残っている。
「……オレのターン、ドロー!」
指先が一枚のカードを掴み、そのままデッキから引き抜いた。
カードゲーム。
それは、カードに描かれたモンスターや魔法を駆使して、相手と戦うゲームのことだ。
世の中には数え切れないほどのカードゲームが存在している。ルールも遊び方もそれぞれ異なるが、その中でも特に人気が高いのが、複数のプレイヤーがカードを集め、自分だけのデッキを組んで戦うトレーディングカードゲーム──TCGだった。
そして、TCGというものが広く普及した世界では、それを題材にした物語もまた数多く生まれる。
いわゆる、ホビーアニメ。
主人公が仲間たちとカードを集め、ライバルと競い合い、大会を勝ち上がりながら少しずつ強くなっていく。最初はただのカードゲームだったはずなのに、いつの間にか世界の命運を懸けた戦いへと発展し、カードに宿る精霊と心を通わせたり、謎の組織と戦ったり、果てにはカードゲームそのものが世界を救う鍵になったりする。
前世の俺にとって、そんなものはあくまでフィクションだった。
面白い作品を見つければ夢中になって見るし、好きなカードゲームがアニメ化されれば毎週欠かさず追いかける。
それでも、画面の中で主人公たちがどれだけ大規模な事件に巻き込まれようと、テレビの前にいる俺の日常とは何の関係もない。どれだけ派手なモンスターが暴れようが、どれだけ世界の危機が迫ろうが、放送が終わればテレビを消して、いつもの日常へ戻るだけだった。
──少なくとも、前世ではそうだった。
気がつけば俺は、別の世界で生まれ変わっていた。
しかも、そこは前世で見ていたホビーアニメのような世界だった。
もちろん、アニメそのものの世界というわけではない。決まった主人公がいて、決まった敵がいて、未来に起こる出来事まで物語として用意されているわけでもない。
ただ、この世界ではカードゲームが俺の知っている現実よりも遥かに身近な存在として根付いており、前世ならフィクションの中でしか見ることのできなかった光景が、当たり前のように日常へ溶け込んでいた。
その中心にあるのが、世界中で遊ばれているTCG──ウィザードクロス、通称ウィザクロだ。
カードショップはもちろん、コンビニや玩具店でも新しいカードが販売され、テレビでは大会の中継が放送されている。
雑誌を開けば新カードやプロプレイヤーの特集が組まれ、学校では休み時間になると子供たちが机を囲んでカードを広げている。
人気のプロプレイヤーともなればスポンサーまでつき、賞金や知名度を求めて本格的にウィザクロの世界へ進む者も珍しくない。
もはやウィザクロは、ただの遊びではなく、スポーツや音楽と同じように一つの文化として社会に根付いていた。
ルールそのものは、前世で知っていたTCGと大きく違うわけではない。
プレイヤーは魔法使いとなり、カードを使ってモンスターを召喚し、スペルを発動する。そのために必要となる魔力は場に蓄えた魔石によって管理され、召喚したモンスター同士を戦わせながら相手のライフを削り、最終的に相手のライフをすべて奪ったプレイヤーが勝者となる。
そして、このゲームがホビーアニメのような世界を生み出した最大の理由が、カードから召喚されたモンスターの存在だった。
最新の投影技術によって再現されたモンスターは、ただの平面的な映像ではない。
炎を纏った巨大な竜が咆哮すれば、まるで本当にそこにいるかのような迫力で周囲を震わせ、水属性の獣が姿を現せば、その巨体が動くたびに水飛沫まで現実のものと錯覚する。
光属性の天使が翼を広げ、闇属性の悪魔が低く唸る姿を見上げていると、前世の俺なら画面越しにしか見られなかったものが、本当に目の前に存在しているのだという事実を嫌でも実感させられる。
だからこそ、俺はこの世界でウィザクロを始めた。
前世からカードゲームが好きだった俺にとって、これほど魅力的な環境を見逃せるはずもなかった。
カードを集めることも、新しいパックが発売されるたびにどんなカードが収録されているのか確かめることも好きだったし、カードの効果を一枚ずつ読みながらデッキを組み、実際に対戦してみて、自分の考えた組み合わせが上手く噛み合った瞬間には、何度味わっても飽きない楽しさがあった。
前世でもカードゲームを遊んでいた経験があったことから、小学生になってからは近所のショップで開かれる大会にも出るようになり、最初はただ勝った負けたで一喜一憂していただけだったのが、気がつけば同年代の中ではそれなりに名前を知られるプレイヤーになっていた。
そして、小学校六年生になった頃には──俺には一つの目標ができていた。
それは、普通に生きることだ。
……いや、本当に、それだけだった。
転生したからといって力があるわけじゃ無いんだ。
だったら、好きなカードゲームを楽しんであれば良い。それが一番だと思っていた。
前世で何度も見てきたような、世界の命運を背負う主人公になる必要なんてない。謎の組織に追われる必要も、伝説のカードを巡る戦いに巻き込まれる必要もない。
ウィザクロがどれだけ人気のあるゲームで、この世界がどれだけホビーアニメらしいものだったとしても、俺までその中心へ飛び込む必要はないのだ。
そう考えていた。
──その日も、俺はそんな平穏な人生を送るつもりだった。
休日の昼下がり、俺は近所の公園を通っていた。
別に大した用事があったわけではない。カードショップ帰りに少し遠回りをして家へ帰っていただけで、普段と何も変わらない、ごく普通の一日だった。
だから、その声が聞こえてきたときも、最初は自分には関係のないものだと思っていた。
「ぎゃはははー! オレの勝ちだ! 約束通り、そのカードは俺たちワイズマンブラットが頂くぜ!」
公園の広場から響いてきたのは、周囲の話し声さえかき消してしまいそうなほど大きく、妙に芝居がかった男の声だった。
あまりにもホビーアニメの悪役そのものといった調子だったので、思わず足を止めて声のしたほうへ目を向ける。
そこには、妙に派手な格好をした大人の男が立っていた。
どうやらウィザクロの対戦を終えたばかりらしく、男の前には対戦フィールドが展開され、その向かいには俺とそう歳の変わらない少女がいる。男は勝利を確信したような笑みを浮かべながら、少女へ向かって堂々と手を差し出していた。
「そんな……」
少女は呆然とした声を漏らしながら、両手で一枚のカードを握りしめている。
そのカードは、俺が見ても分かるほど高いレアリティのものだった。しかし、少女がそれを手放そうとしない理由は、単純に金銭的な価値だけではないらしい。
「おいおい、何を今さら」
男は愉快そうに肩を揺らしながら、差し出した手を引こうともしない。
「ウィザクロでの勝負は絶対。ちゃんと賭けたものは渡してもらわないとなぁ?」
少女の指が、カードの縁をさらに強く握り込んだ。
その様子を見ているうちに、俺は妙な違和感を覚え始める。
ウィザクロ、というかこの世界では対戦前に互いが了承した条件でカードや賞品を賭けること自体は珍しくない。もちろん、子供が大人と賭け試合をしていることには違和感があるし、何より目の前の少女は、ただ負けて悔しがっているようには見えなかった。
まるで、その一枚だけは絶対に渡したくないとでもいうように、必死に胸元へ抱き寄せている。
やがて少女は俯き、震える声で呟いた。
「……ごめんなさい、お父様」
その声とともに、目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
少女は濡れた瞳を手元のカードへ向けると、まるでそこにいる何かへ謝るように、震える声を絞り出した。
「わたしでは……彼らに対抗するためのモンスターを守ることが、できませんでした……」
その瞬間、俺はようやく理解した。
──ああ、これ。絶対に関わっちゃいけないやつだ。
相手は妙な格好をした大人で、少女は明らかに普通のカードゲームで負けたというだけでは済まない何かを抱えている。そのうえ、今の会話を聞く限り、この男たちは何らかの目的のために少女からそのカードを奪おうとしているらしい。
どう考えても厄介事だった。
だから俺は、見なかったことにして、その場を離れようとした。
それに、こういう場面で颯爽と現れて困っている少女を助けるのは、どう考えても主人公の役目だろう。
世界の命運を背負い、謎の組織と戦い、仲間たちと大会へ挑み、最後には世界を救う。前世で何度も見てきた、そういう物語の主人公みたいなやつがいるものなのだ。
というかこのホビアニ世界、割とそういうことが起きるので、こういうアニメ一話みたい導入なら、この後誰かが助けに入るんだろうなと気楽な気持ちすらある。
そう考えながら、俺はその場を離れようとした。
けれど、数歩進んだところで、どうしても足が止まった。
背後から聞こえてくる少女のすすり泣く声が、妙に耳へ残っていたからだ。
俺はしばらくその場に立ったまま、振り返るべきかどうか迷った。
関わらないほうがいいとそう思っているのに、なぜか気になって仕方がない。結局、俺は小さく息を吐いて振り返るとカードを取られた少女はまだそこにいた。
そして──それ以外には、誰もいない。
そこでようやく、俺は自分がさっき考えていたことの間違いに気づいた。
……あれ?
どうせ、この後誰かが助けに入ると思っていた。けれど、この公園には俺と少女と、あの男しかいない。
誰かが来るのを待っていたところで、助けに入る人間が現れる保証なんてどこにもなかった。
……いや
俺は少女の姿を見つめる。
ウィザクロの勝負で決まったことなのだから、負けた以上は約束を守るのが当然なのかもしれない。カードを賭けると決めたのも、勝負を受けたのも少女自身なのだろう。
だから、本来なら俺が口を出す理由なんてない。
それでも、泣いている少女を見たまま何もせずに立ち去ることだけは、どうしてもできなかった。
別に正義感が強いわけじゃない。
世界を救いたいわけでも、誰かに認められたいわけでもない。
ただ、ここで俺まで立ち去ったら、この少女を助ける人間は本当に誰もいなくなる。
それだけのことだった。
俺は一度だけ深く息を吐くと、結局、少女たちのいる場所へ戻っていった。
「──ちょっと待てよ」
声をかけると、男が怪訝そうにこちらを振り返った。
「なんだ、お前?」
突然割り込んできた俺を見て、男は露骨に不機嫌そうな顔をする。
俺はそんな男を見返しながら、腰に下げていたデッキケースへ手を伸ばした。
「そのカードが欲しいんだろ?」
「ああ、それがどうした?」
「オレもそのカードが欲しいんだ。だから──俺と勝負しないか?」
デッキケースを取り出した瞬間、男は一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに鼻で笑った。
「関係ないやつは下がってろ。お前ごときには関係ない話だ」
「……ああ」
俺には関係ない。
少女が誰なのかも、その父親が何者なのかも知らない。あの男たちが何を目的にしているのかだって知らないし、そもそも、こんなところで他人の揉め事に首を突っ込む理由なんて俺には一つもない。
アニメの主人公じゃあるまいし、目の前で起きた事件を片っ端から解決して回る必要なんてない。
世界の命運も、謎の組織も、伝説のカードも、そんな重たいものを背負って生きていくつもりはない。
俺はただ、普通にカードゲームを楽しんで、普通に学校へ通って、普通に友達と遊んで、できることなら普通の人生を送りたいだけだ。
それなのに、視線だけはどうしても少女の手元へ向かってしまう。
涙で濡れた顔も、震える指も、その両手で必死に守ろうとしている一枚のカードも、見れば見るほど放っておけなくなってくる。
俺は小さく息を吐き、手の中のデッキケースを握り直した。
「……確かに、俺には関係ないけどな」
そう言ってから、男の目を真っ直ぐに見据える。
「普通のカードゲーマーは、泣いてる女の子を見捨てられないんだよ」