第1話:錆と鎮痛剤
泥水のような、不快な覚醒だった。
ヴィンセント・クロウは、脳髄を錆びたヤスリで直接削られるような頭痛と共に跳ね起きた。
「……クソが」
油とカビの臭いが染み付いたガレージの片隅で、簡易ベッドから身を起こす。視界が明滅し、指先が勝手に痙攣した。
機動兵器
脳神経を直接機体の制御系と繋ぐそのシステムは、パイロットに人機一体の反応速度を与える。しかし代償として、機体の受けたダメージや稼働負荷を、文字通り「肉体の苦痛」としてフィードバックする。
限界まで使い潰されたジャンクパーツの寄せ集めである彼の機体は、ただ歩かせるだけでも凄まじいノイズと痛みを乗り手に強要した。
手探りでサイドテーブルの上のボトルを掴み、安物の鎮痛剤を二錠、水もなしに喉の奥へ流し込む。舌に残る化学物質の苦味ごと飲み下し、荒くなった呼吸を無理やり整えた。
『おはよう、ラスト。相変わらずひどい顔ね。また粗悪なクスリで誤魔化してるの?』
不意に、ガレージのモニターにノイズが走り、女の声が響いた。
声の主はアイリス。素性こそ知れないが、腕は確かなフリーの
彼女がどこから通信を繋いでいるのか、ヴィンセント――傭兵としての通り名『ラスト』は知らない。だが、彼女が持ってくる仕事と、その状況分析能力だけは、この腐りきった世界において数少ない信用に足るものだった。
「余計なお世話だ、アイリス。この薬がなけりゃ、機体を歩かせるだけで俺の脳髄が焼き切れる」
ラストは重い身体を引きずり、薄暗いガレージの中央に鎮座する鉄塊を見上げた。
彼の愛機。規格落ちしたアペックス・インダストリーズ製の重装甲フレームをベースに、野良傭兵から引っぺがした軽量脚部をツギハギし、規格外の武装を無理やりマウントした異形のパッチワーク。
全身を覆う赤茶けた装甲から、周囲からは嘲笑を込めて『
およそ正規軍が見れば一秒でスクラップと見なすであろう代物だが、彼にとってはこの底辺を生き抜くための唯一の商売道具だった。
『まあ、あなたがどうなろうと私の知ったことではないけれど。貴重なビジネスパートナーが早々にスクラップになるのは不本意だから、忠告しただけよ。さて、本日の依頼について説明するわ』
モニターが切り替わり、荒野の地形図が表示される。赤いマーカーが1つ、点滅していた。
『現在地から北北西に20キロ。第4放棄区画にて、ニューロ・ジェネシス社の小型輸送機が墜落したわ。依頼内容は、その機体に積載されていた「機密貨物」の回収。および、接近するであろうハイエナどもの排除よ』
「ニューロの輸送機だと?」
ラストはコックピットへ続くタラップを登りながら、舌打ちをした。
ニューロ・ジェネシス社。生体工学と電子戦技術を独占し、世界を牛耳る巨大企業群の1つだ。
「企業の犬どもが、自分の落とし物をわざわざ俺たちみたいなドブネズミに拾わせるわけがない。正規部隊を出せない裏の理由があるのか?」
『当たり。実はこの依頼、ニューロ社からの正規ルートじゃないの。貨物が回収される前に横取りしたい、ある「匿名のクライアント」からの非公式な依頼よ。報酬は破格の50万クレジット。あなたのその錆びついたフレームごと、最新型に買い替えられる額よ』
50万。
その言葉に、ラストはハッチに手をかけたまま動きを止めた。
それだけあれば、この泥沼のような傭兵稼業から足を洗うための資金に大きく近づく。あるいは、死ぬほどの神経負荷を劇的に下げる旧世代の良質なコアパーツを買うこともできる。
「……裏の裏がある匂いしかしねえな」
『受けるの? 受けないの?』
「貧乏人に選択肢はないってことだ」
ラストは狭く油臭いコックピットに身を沈め、首の後ろにあるソケットへ、シートから伸びる太い接続ケーブルを突き刺した。
直後、全身の神経を駆け巡る高圧電流のような激痛。
「ッ……あ、ァァ……!」
奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、脂汗を流す。刻まれた敗北のトラウマがフラッシュバックしかけ、それをさきほど飲み込んだ鎮痛剤が無理やり押さえつける。
メインモニターに火が入り、文字列が滝のように流れていった。
【Tactical Override & Kinetic Engagement Node ―― Booting sequence complete】
『合理的な判断ね。ナビゲーションを開始するわ。くれぐれも、途中で野垂れ死なないでちょうだい』
アイリスの皮肉げな笑い声を通信越しに聞きながら、ラストはスロットルを押し込んだ。
ガキン、と鈍い金属音を立てて、ツギハギの
排気管から黒煙を吐き出し、重厚な駆動音と共に、機体は赤茶けた荒野へと歩み出した。