『鼠は最後に帰ってくる』   作:隼人2

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村へ

翌朝。

目を開ける。

最初に見えたのは、灰色の腹だった。

少年の胸の上で、一匹の鼠が丸くなっている。

「……重くはないけど、そこ寝床にすんなよ」

鼠が顔を上げた。

『おきた』

「起きたよ」

身体を起こす。

そこで止まった。

一匹。

二匹。

三匹。

木の根元に、鼠が三匹いる。

昨日までいたのは一匹だけだった。

少年。

「……増えてる」

最初の鼠。

『なかま』

新しく来た鼠が、少年の足元へ近づいてくる。

鼻を動かす。

『へんなの』

もう一匹も反対側から嗅ぐ。

『にんげん?』

少年。

「起きて一番に品評会すんな」

新しい鼠が、さらに鼻を近づける。

『ねずみ』

少年。

「俺?」

『にんげん』

「どっち」

二匹がほとんど同時に答えた。

『どっちも』

少年は自分の手を見る。

人間の指。

けれど、昨日から鼠の言葉が普通に分かる。

鼻も妙に利く。

耳も、前より遠くの音を拾う。

「……それなら合ってるかもな」

納得したわけではない。

今は、それ以上の答えを持っていないだけだ。

最初の鼠が立ち上がった。

『いく』

「どこ」

『にんげん』

森の外。

昨日から何度も考えていた場所。

少年も立ち上がる。

服についた枯葉と土を払う。

「じゃあ行くか」

一歩。

そこで止まる。

三匹を見る。

「でも一個だけ」

鼠たち。

『?』

「危ないと思ったら逃げろ」

『にげる』

「俺が戻れって言っても」

『にげる』

「俺が捕まってても」

少し間が空いた。

最初の鼠。

『にげる』

少年。

「よし」

胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。

「俺もそうする」

最初から助け合う約束はしない。

命を預けるとも言わない。

まず、生きて逃げる。

今はそれでいい。

森の出口へ向かう。

木々の隙間から、光が増えていく。

湿った腐葉土の匂いに、別の匂いが混ざり始めた。

煙。

土。

水。

家畜。

そして、人間。

森を抜ける。

向こうに畑がある。

細い水路。

低い屋根。

煙の上がる家。

大きくはない。

十数軒か、それより少し多いくらいの村だった。

少年はすぐには近づかなかった。

鼠たちは先へ進もうとする。

「待った」

最初の鼠。

『なぜ』

「帰り道覚える」

鼠が首を傾げる。

『まだ、いってない』

「だからだよ」

少年は振り返った。

森の入口。

少し右に、大きく枝分かれした木。

根元に白っぽい石。

そこから少し進めば、細い水の流れ。

倒木。

曲がった松。

来た道を目でなぞる。

前世なら地図でも携帯でも見ればよかった。

今はない。

なら、自分で覚えるしかない。

「大きな木。白い石。水路。倒木」

口に出す。

最初の鼠が少年を見る。

『おぼえる?』

「忘れないようにな」

今度は村を見る。

「猫いる?」

『いる』

「犬」

『いる』

「大きい?」

一匹。

『おおきい』

別の一匹。

『おおきいの、いち』

三匹目。

『ちいさいの、ふたつ』

少年。

「具体的になったな」

少し考える。

「猫は?」

『いる』

「何匹」

『いっぱい』

「犬より嫌じゃん」

三匹。

『ねずみ、ねこきらい』

少年。

「俺だって今はお前ら側だよ」

言ってから、少し変な気分になる。

俺は、人間だった。

今は妖怪でもあるらしい。

しかも鼠寄り。

どこまで人間で、どこから妖怪なのか。

分からない。

けれど。

分からないことを、分かったことにはしない。

それだけ決める。

「お前ら、無理についてこなくていいからな」

『いく』

「猫いるぞ」

二匹が即座に草むらへ潜った。

『かくれる』

「それでいい」

最初から一緒だった鼠だけは、少年の足元に残る。

「お前は?」

『いっしょ』

「好きにしろ」

村へ続く道に足を踏み出す。

畑の土は森より固い。

人の足で踏み固められた道。

水路には細い水が流れている。

田畑の向こうから、鍬の音。

子供の声。

鶏。

犬。

知らない場所なのに、生活の音だけは妙に安心する。

最初に少年へ気づいたのは、薪を抱えた子供だった。

 

【挿絵表示】

 

少年より二つか三つ下だろう。

向こうが止まる。

こちらも止まる。

「……」

「……」

子供の視線が、少年の顔を上から下へ往復する。

長い鼻。

少し出た前歯。

大きめの耳。

ぼさぼさの髪。

汚れた服。

少年。

「何だよ」

子供。

「鼻、長い」

「知ってる」

「歯も出てる」

「それも知ってる」

「耳も変」

少年。

「そこまで言う?」

子供は少し考えた。

「妖怪?」

少年も考える。

「……半分くらい?」

「なんで疑問なの?」

「俺が知りたいよ」

子供は不思議そうにしたが、逃げなかった。

石を投げてもこない。

大声で化け物だと叫びもしない。

それだけで、少年には少し意外だった。

「どこの子?」

「向こう」

森を指す。

「村は?」

少年は答えに詰まる。

自分がいた村。

母がいた家。

追い出された場所。

名前を出したら、連れ戻されるだろうか。

いや。

戻れる場所ではない。

でも嘘をつけば、後で辻褄が合わなくなる。

「……別の村」

「一人?」

「今は」

「今は?」

少年の胸の奥に、まだ触りたくないところがある。

少し黙る。

それでも、全部隠すのも違う気がした。

「母ちゃん、死んだから」

子供の表情が変わった。

好奇心が引っ込む。

「あ……」

視線が落ちる。

少年の方まで気まずくなった。

「別に、お前が謝ることじゃねえよ」

「まだ何も言ってない」

「言いそうな顔してた」

子供は薪を抱え直す。

少し迷ってから。

「ここで待ってて」

「何で?」

「大人呼んでくる」

少年。

「……」

「逃げないでね」

「それは約束できない」

子供。

「何で?」

「怖い奴連れてきたら逃げる」

「怖くない人だよ」

「お前にとってはな」

子供は少しむっとしたが、やがて走っていった。

草むらから、鼠が鼻を出す。

『にげる?』

「まだ」

『おとな、くる』

「分かってる」

『こわい?』

少年は村の外へ続く道を確認する。

森まで一直線ではない。

畑を避けるなら左。

水路を越える場所は二つ。

追われたら、人間より鼠の方が早く草へ潜れる。

自分は――。

走れる。

昨日より身体は軽い。

「怖い」

『にげる?』

「怖いからって全部逃げてたら、飯食えねえだろ」

鼠は首を傾げる。

『こわいのに、いく?』

少年も少し考える。

「……逃げるかどうか決めるために、まず見る」

『さっき、みなくていいっていった』

「あれは森の化け物だろ」

少年は少し眉を寄せる。

「人間とは、一応話せる」

『にんげん、こわくない?』

返事が止まる。

人間も怖い。

妖怪も怖い。

知らないものは、だいたい怖い。

でも。

全部同じ怖さではない。

同じ扱いにもしたくない。

やがて子供が戻ってきた。

連れてきたのは一人の男。

四十前後。

日に焼けた顔。

農作業の途中なのか、裾に土がついている。

手に鍬も棒も持っていない。

ただし、少年のすぐ近くまでは来ない。

数歩離れたところで止まった。

少年は、その距離を少しありがたく思った。

男。

「お前か」

「何が」

「村の外に子供が一人いるって話だ」

少年は足元を見る。

最初の鼠はもう草の陰へ隠れている。

「……今は一人です」

男の眉が少し動いた。

「どこから来た」

少年は森の向こうを指す。

「向こう」

「村の名は?」

「……」

「名は?」

少年は口を閉じる。

母が呼んでいた名前。

胸の奥に残っている名前。

今ここで、知らない相手に渡したくない。

男。

「ないのか?」

「ある」

「じゃあ何だ」

「言いたくない」

横の子供が目を丸くする。

「ええ?」

男は少年をじっと見る。

「名を言わずに村へ入りたいのか」

「怪しい?」

「怪しいな」

「だよな」

男。

「そこで納得するのか」

少年。

「知らない大人に名前聞かれて、何でもすぐ答える方が怖くない?」

男が黙る。

子供も黙る。

少年は半歩だけ後ろへ重心を移した。

「駄目なら帰る」

森を見る。

「帰り道は覚えてる」

男はしばらく少年を見ていた。

それから、先に口を開く。

「俺は庄助だ」

少年。

「……庄助」

「ああ」

「先に自分の名前言うんだ」

「お前が警戒してるからな」

少年は庄助を見る。

まだ信用はしない。

けれど。

一つ覚える。

この男は、相手にだけ情報を出させようとはしない。

少年。

「俺の名前は……今は言わない」

庄助。

「頑固だな」

「母ちゃんが呼んでた名前だから」

庄助の顔から、少しだけ力が抜けた。

「そうか」

それ以上は聞かない。

そのことに、少年の肩からほんの少し力が抜ける。

庄助。

「腹は減ってるか」

少年。

「減ってる」

即答だった。

子供。

「そこはすぐ答えるんだ」

「腹減ってるの隠して何になるんだよ」

庄助の口元が少し動く。

笑ったのかもしれない。

「ついて来い」

少年。

「どこに?」

「飯くらいは食わせる」

少年は動かない。

庄助が振り返る。

「どうした」

「後で金取る?」

「取らん」

「仕事させる?」

「今日はな」

「今日は?」

「明日は明日だ」

「明日のことまで俺が勝手に決める話じゃない」

少年は少し考える。

「……それなら行く」

庄助。

「何なら信用するんだ、お前は」

少年。

「分かんないのに何でも大丈夫って言う奴より、分かんないって言う奴」

庄助。

「子供の口か、それ」

少年。

「俺も今びっくりしてる」

村へ入る。

視線が集まる。

露骨に嫌な顔をする者。

珍しそうに見る者。

子供を後ろへ寄せる母親。

気にせず仕事を続ける老人。

全部いる。

少年は俯かない。

かといって睨み返しもしない。

庄助の少し後ろを歩く。

逃げ道だけは、時々確認する。

出されたのは握り飯だった。

白米だけではない。

麦か雑穀が混ざっている。

それと少しの漬物。

水。

豪華でも何でもない。

少年には、ご馳走だった。

庄助の家の土間近く。

板間の端へ座る。

「食っていい?」

庄助。

「そのために出した」

「本当に?」

「二回言わせるな」

少年は握り飯を持つ。

一口。

塩気。

米と麦の匂い。

噛めば甘い。

「……うま」

勝手に声が出た。

庄助は何も言わない。

少年も喋らなくなる。

腹が減っていた。

ただ食べる。

一個目。

あっという間になくなる。

二個目へ手を伸ばす。

そこで止まる。

床板の隙間。

小さな鼻。

最初の鼠だ。

『ごはん』

少年。

「……」

握り飯を見る。

鼠を見る。

庄助を見る。

この村にとって、鼠は害になる。

米を食う。

蔵へ入る。

病を運ぶこともある。

前世の知識が、そう告げる。

でも。

こいつには昨日、助けてもらった。

少年は握り飯を手にしたまま、庄助を見る。

「庄助」

「何だ」

「これ、少し持って帰っていい?」

庄助。

「腹いっぱいなのか?」

「違う」

「じゃあ食え」

少年。

「……友達にやりたい」

庄助。

「友達?」

「いる」

庄助が家の中を見回す。

「どこに」

「それは言わない」

「また秘密か」

「嫌なら全部食う」

庄助は少年の顔を見る。

それから、握り飯を見る。

「腐らせるなよ」

少年。

「いいの?」

「お前に出した飯だ」

少年の口元が少し上がる。

「ありがと」

ほんの少し残す。

庄助は、それ以上聞かなかった。

 

【挿絵表示】

 

食後。

少年は家の外へ出る。

村の中を見る。

畑。

水路。

家。

家畜。

積まれた薪。

干してある布。

道具。

人。

知らない物ばかりではない。

でも。

知っているつもりだった物も、近くで見ると違う。

時代劇で見た家。

時代劇で見た着物。

時代劇で見た農具。

似ている。

けれど、細部が違う。

匂いが違う。

音が違う。

重さが違う。

前世の知識が、

これなら分かる。

と囁く。

今の自分が、

本当に?

と問い返す。

少年は、荷を運んでいる男たちを見る。

「庄助」

「何だ」

「あれ何してる?」

「見て分からんか」

「荷運んでるのは分かる」

「なら分かってるだろ」

「どこから何を運んで、どこへ入れるかは分かんない」

庄助。

「……細かいな」

「分かったつもりで邪魔したくない」

庄助は少年を少し見る。

「米を蔵へ入れてる」

少年。

「蔵」

「知らんのか?」

「言葉は知ってる」

「変な奴だな」

「よく言われる」

「誰に」

少年が止まる。

庄助。

「……悪かった」

「いや」

少年は少し考える。

「母ちゃんにも言われた」

庄助はそれ以上聞かなかった。

その日の夕方。

庄助が村の外れまで少年を連れていく。

小さな物置。

壁は古い。

戸も少し歪んでいる。

中には農具。

藁。

縄。

木箱。

埃。

けれど屋根はある。

雨風はかなり防げる。

「今夜はここを使え」

少年。

「ここ?」

「ああ」

「いいの?」

「今夜だけだ」

少年は、その言葉にむしろ安心した。

ずっと置いてやる。

ここがお前の家だ。

そんなことを突然言われるより、ずっと信用できる。

「うん」

庄助。

「勝手に火を使うな」

「分かった」

「村の家へ勝手に入るな」

「分かった」

「置いてある物に触るな」

「分かった」

「夜中にうろつくな」

少年。

「何で?」

「犬に吠えられる」

「それは嫌だ」

「それだけじゃない」

庄助は村の方を見る。

「お前を知らん奴もいる」

少年は黙る。

「皆が俺みたいに話を聞くとは思うな」

「……分かった」

それは、よく分かる。

人間だから安全ではない。

村だから仲間でもない。

庄助。

「妙に素直だな」

少年。

「泊めてもらう側が、最初から決まり破ってどうすんだよ」

「さっきまで人を疑いまくってただろう」

少年。

「疑うのと礼儀守るのは別だろ」

庄助が一瞬、言葉に詰まる。

少年。

「何」

「いや」

庄助は戸口へ向かう。

「明日の朝、また来る」

少年。

「何時?」

「日が出たら」

前世の記憶が反射的に言う。

――何時だよ。

だが、時計はない。

「……分かった」

庄助が去る。

足音が遠くなる。

しばらく待つ。

人の気配がなくなってから、少年はそっと戸を開けた。

「出てきていいぞ」

草むらが動く。

一匹。

二匹。

三匹。

次々に物置へ入ってくる。

『ここ?』

『ねる?』

『ごはん』

少年。

「最後の奴、本当に飯しか言わねえな」

残しておいた握り飯を、小さくちぎる。

「一気に食うなよ」

三匹が寄ってくる。

『うまい』

『もらった?』

「もらった」

『とった?』

「取ってない」

最初の鼠。

『ちがう?』

少年は少し考える。

説明する。

「相手が“やる”って言って渡してくれたら、もらった」

『とる』

「相手が嫌なのに持ってったら、取った」

鼠。

『おちてる』

「拾った」

『いっぱい』

少年。

「……人間の言葉、面倒だな」

鼠。

『へん』

「お前らに言われたくない」

三匹が食べ終える。

少年は藁へ座る。

一匹は壁際。

一匹は藁へ潜る。

最初の一匹は当然のように少年の膝へ乗る。

「そこ、お前の席になってない?」

『ここ』

「そうですか」

外から村の音が聞こえる。

人の声。

犬。

桶の音。

戸を閉める音。

森とは違う。

少年は物置を見回した。

「ここ、俺の家じゃないからな」

鼠。

『いえ?』

「借りてるだけ」

『でも、ねる』

「寝る」

『あした、かえる』

少年。

「……」

帰る。

どこへ。

この物置へ。

一晩借りただけの場所へ。

それを帰ると言っていいのだろうか。

鼠。

『かえらない?』

少年。

「帰るよ」

『ここに』

「……うん」

鼠。

『じゃあ、ここ』

少年は答えない。

胸の奥が、少し痛む。

母のいた家。

自分が帰れば、母がいた。

声がした。

匂いがした。

あそこは、帰る場所だった。

ここは違う。

借り物。

明日には出ていくかもしれない。

それでも。

今日はここへ戻ってきた。

少年は壁へ背を預ける。

「……今日はここに帰ってきた」

鼠。

『うん』

それだけ。

今は、それ以上の意味をつけない。

夜。

なかなか眠れない。

屋根がある。

壁がある。

戸もある。

森より安全なはずなのに、逆に外の音が気になる。

犬が一度吠える。

少年の耳が勝手にそちらへ向く。

「……便利なんだか不便なんだか」

最初の鼠が動く。

少年。

「おい」

『なに』

「寝てる?」

『おきてる』

「明日どうなるかな」

『あした』

「それ答えになってねえ」

別の鼠が藁から顔を出す。

『ごはん?』

少年。

「お前までそっち行くな」

最初の鼠が少年の横へ来る。

少年。

「追い出されるかもしれない」

『にげる』

「仕事させられるかもしれない」

『はたらく?』

「分かんない」

『こわい?』

少年は天井を見る。

隙間から、ほんの少し月明かり。

「怖い」

少し間を置く。

「でも、森よりはまし」

『なぜ』

「屋根あるから」

鼠。

『やね』

「雨降っても濡れない」

『いい』

少年。

「うん」

何でもないこと。

前世なら、考えもしなかった。

屋根。

壁。

閉まる戸。

それだけで、人間はかなり安心できる。

少年は目を閉じる。

「明日になったら考える」

『あした』

「そう」

『いっしょ』

少年。

「お前らは好きにしろって」

『いっしょ』

「……分かったよ」

少し笑う。

その夜は。

昨日より、少し早く眠れた。

翌朝。

どんどんどん。

戸を叩く音。

少年が跳ね起きる。

鼠三匹が一斉に散る。

「誰!」

外から声。

「庄助だ!」

少年。

「……合言葉」

庄助。

「そんなもの決めてない!」

少年。

「正解」

戸を開ける。

庄助が呆れた顔をしている。

「朝から面倒だな、お前は」

少年。

「寝起きが一番危ないだろ」

「誰に襲われるんだ」

「知らん」

「知らんのか」

「知らんから警戒してんだよ」

庄助は額を押さえた。

「腹減ってるか」

少年。

「減ってる」

「そこだけは早いな」

庄助は村の方を顎で示す。

「働くか?」

少年の顔つきが変わる。

「何する?」

「まず簡単な手伝いだ」

「飯は?」

「出す」

「金は?」

庄助。

「仕事を見てからだ」

少年。

「最初から決めないの?」

「お前に何ができるか分からん」

少年は少し考える。

「俺も分からん」

庄助。

「なら、やってみるしかないだろ」

少年。

「……うん」

ただし。

「飯が出るのは確定?」

庄助。

「確定だ」

「仕事できなくても?」

「朝飯はな」

少年。

「じゃあ行く」

庄助。

「お前、本当に食い物には早いな」

少年は一度、物置の奥を見る。

藁の陰。

三匹の鼠。

小声。

「お前ら、危なかったら逃げろ」

『にげる』

「昼には一回戻る」

最初の鼠。

『かえる』

少年。

「……うん」

戸を閉める。

庄助の後を追う。

村へ向かう途中。

少年は少し早足で庄助の横まで行く。

「なあ」

「何だ」

「分かんない時、聞いていい?」

「何をだ」

「仕事」

庄助。

「聞け」

「何回でも?」

「同じことを十回聞いたら怒る」

少年。

「九回までならいい?」

庄助が足を止める。

「そういう意味じゃない!」

少年は少し笑った。

それから、真面目な顔になる。

「でも、本当に分かんないから」

庄助も今度は笑わなかった。

「分からんなら聞け」

「勝手にやって壊すよりましだ」

少年。

「うん」

「一回聞いたら覚えろ」

「努力する」

「できると言い切らんのか」

「まだできるか分かんないから」

庄助。

「……やっぱり変な奴だな」

少年。

「知ってる」

朝の村へ入る。

昨日とは違う。

今日は、ただ飯をもらうためではない。

初めて仕事をする。

何ができるか。

何ができないか。

どれくらい重い物を持てるのか。

この身体がどれだけ動くのか。

この時代の仕事がどんなものなのか。

まだ何も分からない。

だから。

まず見る。

聞く。

やってみる。

間違えたら止める。

分からなければ、もう一度聞く。

少年は庄助の背中を追いながら、小さく息を吐いた。

腹は減っている。

怖さも消えていない。

それでも。

昨日より一つだけ知っている。

この村には庄助という男がいる。

飯をくれた。

一晩だけ屋根を貸した。

分からないことは、分からないと言った。

今の少年には、それで十分だった。

「庄助」

「今度は何だ」

「俺、たぶんいっぱい聞くぞ」

「もう分かった!」

少年は少し笑う。

そして。

村での最初の仕事が始まった。

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