朝。
まだ暗い。
甚兵衛は目を開ける。
「……」
最初に感じたのは。
重さだった。
胸の上。
一匹。
腹の横。
一匹。
足元。
一匹。
「重い」
胸の鼠が顔を上げる。
『おきた』
「起きたよ」
腹の横。
『あさ』
「まだ早い」
足元。
『でも、おきた』
「お前らが乗ってるからな」
三匹。
『うん』
「認めるな」
身体を起こす。
胸の一匹が布団の上を転がる。
腹の一匹もつられて落ちる。
足元の一匹は逃げ遅れて、ころんと横向きになる。
三匹。
『おちた』
甚兵衛。
「落とした」
一匹。
『ちがう?』
「だいたい同じだ」
『おとした』
「そこ覚えなくていい」
三匹は気にした様子もなく、布団の上を走り回る。
甚兵衛は欠伸を噛み殺す。
昨夜。
帰ってからも。
道のことを少し考えていた。
三匹なら早い。
一匹に全部任せるより。
二匹。
三匹。
同じことができる方がいい。
けれど。
鼠が道を知っている。
それと。
自分が道を知っている。
同じではない。
布団を畳む。
立ち上がる。
戸を開ける。
冷気が入る。
「寒っ」
三匹は平気そうに外へ出る。
「お前ら毛があるからな……」
『け』
『ある』
『いっぱい』
「知ってる」
井戸へ行く。
桶を落とす。
縄が軋む。
底で。
ぽちゃん。
音。
引き上げる。
水面が薄い朝の光を揺らしている。
手を入れる。
「っ」
冷たい。
顔を洗う。
指先が痛い。
眠気が消える。
吐く息が白くなる。
遠く。
どこかで戸が開いた。
箒の音。
鶏。
子供の泣き声。
薪を割る音。
町が少しずつ起き始めている。
甚兵衛は顔を拭く。
物置へ戻る。
昨夜。
伏せておいた木札。
手に取る。
ひっくり返す。
道。
昨日。
手ぶら。
途中まで、丸。
荷。
未詳。
匂い。
未詳。
甚兵衛。
「……」
最初の鼠が足元から登ってくる。
膝。
腰。
肩。
木札を覗く。
『きのう』
「そう」
鼠。
『きょうも?』
甚兵衛は札を見る。
道。
歩ける。
それだけなら。
昨日ある程度は分かった。
しかし。
店の仕事で使うなら。
それだけでは足りない。
甚兵衛。
「今日は荷を持つ」
鼠。
『にもつ』
別の鼠も寄ってくる。
『おおきい?』
「小さいの」
『おもい?』
「軽いやつ」
鼠。
『じゃあ、おなじ』
「違う」
三匹が首を傾げる。
甚兵衛は帯を締める。
「手ぶらなら身体を横にできるだろ」
『うん』
「両手が空いてる」
『うん』
「転びそうなら壁にも手つける」
『うん』
「荷物持ってたら?」
三匹。
沈黙。
甚兵衛。
「そういうこと」
最初の鼠。
『みち、おなじ』
「道はな」
帯を締め終える。
「通る方が変わる」
鼠は分かったのか分からないのか。
『ふうん』
「その返事、人間みたいだな」
外へ。
細道。
まだ太陽は屋根の向こう。
空だけが白い。
濡れた土。
昨夜の灰。
薪の煙。
飯を炊く匂い。
魚を焼く匂い。
昨日まで。
ただ町の匂いだと思っていたものが。
今は少しずつ分かれる。
甚兵衛。
「……」
鼻を動かす。
三匹も同じように鼻を動かす。
『さかな』
『こめ』
『ねこ』
甚兵衛。
「猫いるのか?」
『いる』
「どこ」
二匹が同時に違う方を向く。
甚兵衛。
「……どっちだよ」
『いる』
「そうじゃない」
店へ行く。
戸を開ける。
まだ。
誰もいない。
甚兵衛は少しだけ止まる。
昨日より早い。
箒を取る。
入口。
土間。
隅。
奥。
掃く。
埃。
藁。
糸くず。
小さな紙片。
昨日動かした物。
見る。
「……」
少し位置が違う。
昨夜。
誰かが戻したのか。
あるいは。
自分が覚え間違えたか。
甚兵衛は元の場所だと思う位置へ戻しかける。
止まる。
「……いや」
勝手に動かすのも違う。
そのまま。
覚えておく。
店の入口から声。
「早いな」
弥助。
甚兵衛。
「おはようございます」
「おう」
弥助は肩を回す。
欠伸。
「今日は俺が一番だと思ったんだけどな」
甚兵衛。
「鼠に起こされました」
弥助。
「便利なんだか不便なんだか」
足元。
一匹が。
「チチッ」
甚兵衛には。
『べんり』
と聞こえる。
甚兵衛。
「自分で言うな」
弥助。
「ん?」
甚兵衛。
「こいつ、自分は便利だって」
弥助は鼠を見る。
鼠も見る。
「今ので?」
「はい」
「俺にはただ鳴いたようにしか聞こえん」
「普通はそうです」
鼠。
『べんり』
「チッ」
甚兵衛。
「二回言わなくていい」
弥助が笑う。
「ほんとか?」
「ほんとです」
「鼠が嘘ついてる可能性は?」
甚兵衛。
「あります」
足元。
『ない』
甚兵衛。
「あるだろ」
弥助。
「今度は?」
「ないって言ってます」
「喧嘩するなよ」
「してません」
弥助。
「どう見ても喧嘩だろ」
少しして。
作兵衛。
続いて。
藤吉。
店が本格的に動き出す。
戸を開ける。
荷を出す。
紙を広げる。
縄を用意する。
数える。
運ぶ。
置く。
包む。
甚兵衛は昨日より少しだけ早く動ける。
どこに何があるか。
全部ではない。
でも。
昨日よりは分かる。
作兵衛。
「甚兵衛」
「はい」
「それ三つ、こっち」
「はい」
運ぶ。
一つ。
二つ。
三つ。
藤吉。
「そっちはまだ包むな」
甚兵衛。
「はい」
手を止める。
昨日なら。
なぜ。
と考えていた。
今日は見る。
藤吉が中身を確認している。
数。
紙。
汚れ。
確認してから包む。
甚兵衛。
「……」
覚える。
少し後。
甚兵衛。
「藤吉さん」
「ん?」
「今日、外に持っていく小さい荷あります?」
藤吉。
「小さいの?」
「はい」
「何に使う」
甚兵衛。
「昨日見た道を、荷を持って通れるか見たいんです」
藤吉。
「道?」
「手ぶらでは通れました。でも仕事で通れないなら意味ないので」
作兵衛が横から聞いている。
「それなら」
荷の中から小さな包みを一つ持ち上げる。
「これくらいだな」
甚兵衛が受け取る。
手のひらより大きい。
片手で持てる。
重くはない。
「中は?」
作兵衛。
「紙」
甚兵衛。
「濡らしたら?」
「困る」
「落としたら?」
「困る」
「ぶつけたら?」
作兵衛。
「まあ困る」
甚兵衛。
「じゃあちょうどいいですね」
弥助。
「何がちょうどいいんだよ」
甚兵衛。
「荷としてです」
「困るもんで練習するな」
「でも」
包みを見る。
「本物じゃないと、どこまで気をつけるか分からないです」
弥助。
「落とすなよ」
甚兵衛。
「落としません」
鼠。
『たぶん』
「チチッ」
甚兵衛。
「お前は黙れ」
作兵衛。
「どうした」
甚兵衛。
「こいつが」
鼠を見る。
「たぶんって」
弥助。
「お前、鼠にまで信用されてないぞ」
鼠。
『ちがう』
甚兵衛。
「違うって」
「何が違うんだよ」
甚兵衛。
「俺にも分かりません」
藤吉。
「分からんのか」
「言葉は分かりますけど、何を考えてるかまでは」
弥助。
「そりゃそうか」
甚兵衛。
「人間と同じです」
作兵衛。
「鼠と人間を一緒にするな」
足元。
三匹。
『おなじ?』
甚兵衛。
「今は黙ってろ」
店の仕事。
しばらく。
朝一番の人の流れが落ち着く。
作兵衛が外を見る。
「行くなら今だ」
甚兵衛。
「はい」
包みを抱える。
弥助も腰紐を締め直す。
「俺も行く」
甚兵衛。
「昨日も一緒でしたけど」
弥助。
「だからだ」
「?」
「昨日と違うなら、昨日見た奴がいた方が分かるだろ」
甚兵衛。
「……なるほど」
昨日と今日を比べる。
一人より。
二人。
甚兵衛。
「お願いします」
二人で外へ。
鼠。
最初の鼠。
もう一匹。
二匹だけ。
甚兵衛は足元を見る。
「三匹目は?」
鼠。
『ねてる』
甚兵衛。
「……自由だな」
弥助。
「何だって」
「三匹目は寝てるそうです」
弥助。
「鼠なんてそんなもんだろ」
甚兵衛。
「昨日は起こしに来たのに」
鼠。
『つかれた』
甚兵衛。
「何に疲れたんだ」
鼠。
『いっぱい、あるいた』
甚兵衛。
「俺も歩いたよ」
弥助。
「何の話してる」
「昨日いっぱい歩いたから疲れたそうです」
「お前も寝ればよかったじゃねえか」
「仕事です」
「真面目だな」
歩く。
昨日の道。
まず。
大通り。
昨日とは違う。
人が多い。
荷車。
行商。
桶。
天秤棒。
子供。
犬。
声。
足音。
車輪。
甚兵衛。
「昨日より多い」
弥助。
「時間が違うからな」
「はい」
昨日通った角。
曲がる。
細道。
包みは左手。
数歩。
右へ持ち替える。
また左。
弥助。
「何してる」
甚兵衛。
「持ち替えた時に通りにくくならないか見てます」
弥助。
「そんな変わるか?」
「狭いと」
包みを身体の前に持つ。
「これでも幅が増えます」
次に。
脇へ寄せる。
「こうすると右側に寄れない」
弥助。
「……」
甚兵衛。
「両手で持つくらい大きかったら、もっと変わると思います」
弥助。
「そこまで考えるのか」
甚兵衛。
「落としたら怒られるので」
弥助。
「そこかよ」
甚兵衛。
「大事です」
先。
止まる。
昨日は。
なかった。
壁の反対側。
桶。
いくつも積んである。
洗い物に使ったのか。
縁から水。
ぽたり。
土に落ちる。
一滴。
二滴。
道が。
昨日より狭い。
甚兵衛。
「……」
弥助も見る。
「昨日、あったか?」
「なかったです」
人だけなら。
通れる。
包みも。
この大きさなら。
少し身体を斜めにすれば。
通れる。
甚兵衛。
「小さい荷なら通れます」
弥助。
「だな」
甚兵衛はすぐには進まない。
木札。
出す。
書く。
朝。
桶あり。
小荷。
丸。
大荷。
難。
弥助が覗く。
「大きいのは駄目か」
甚兵衛。
「たぶん」
壁。
桶。
見る。
「あと、二人ですれ違うのも難しいです」
その時。
向こうから男が一人来る。
甚兵衛。
「……」
横へ寄る。
荷を胸に抱える。
男が通る。
肩が。
ぎりぎり。
弥助。
「本当だな」
甚兵衛。
「昨日、誰も来なかったから気づきませんでした」
木札。
追記。
すれ違い。
難。
弥助。
「道ってのは、道だけ見りゃいいわけじゃねえんだな」
甚兵衛。
「たぶん」
鼠。
『たぶん』
「チッ」
甚兵衛。
「真似するな」
弥助。
「今度は?」
甚兵衛。
「俺の『たぶん』を真似しました」
弥助は鼠を見る。
「本当にそんな細かいことまで分かるんだな」
甚兵衛。
「分かります」
鼠。
『たぶん』
「もういい」
進む。
昨日。
引き返した場所。
最初の鼠が止まる。
『ここ』
甚兵衛。
「昨日はここまで」
鼠。
『うん』
その先。
細道。
続く。
右。
左。
また右。
屋根が近い。
家と家。
その隙間に道。
軒先から落ちる水。
洗った布。
炭。
煮物。
魚。
人。
昨日より。
ずっと匂いが多い。
甚兵衛。
「分かる?」
最初の鼠。
『いっぱい』
甚兵衛。
「何が」
『におい』
「それは分かる」
鼠。
『さかな』
『ひと』
『いぬ』
『ねこ』
甚兵衛。
「帰り道」
最初の鼠。
『わかる』
もう一匹。
『わかる』
甚兵衛。
「別々でも?」
最初の鼠。
すぐ。
『わかる』
もう一匹。
少し間。
『……たぶん』
甚兵衛。
「お前は正直でよろしい」
弥助。
「何を聞いてる」
甚兵衛。
「帰れるかです」
弥助。
「鼠に?」
「はい」
「答えてるのか」
「答えてます」
弥助は鼠を見る。
二匹は。
鼻をひくひくさせている。
時々。
「チチッ」
と鳴く。
それだけ。
弥助。
「……俺には全然分からん」
甚兵衛。
「普通はそうです」
「どっちも帰れるのか?」
甚兵衛。
「こっちは自信あり」
最初の鼠。
「こっちは」
もう一匹。
「たぶん」
弥助。
「鼠にも自信ある奴とない奴がいるのか」
甚兵衛。
「あるみたいです」
鼠。
『ある』
甚兵衛。
「あるって」
弥助。
「それまで分かるの、ちょっと怖いな」
甚兵衛。
「便利ですよ」
弥助。
「さっき鼠が言ってたやつじゃねえか」
さらに進む。
少し。
道が開ける。
井戸。
濡れた石。
朝の光。
縄。
桶。
人が三人。
女。
老人。
若い男。
話している。
桶が石に当たる。
からん。
水。
ざあ。
女がこちらを見る。
甚兵衛。
弥助。
荷。
見慣れない顔。
視線が。
少し止まる。
甚兵衛。
「……」
歩く速度を落とす。
弥助。
「どうした」
小声。
甚兵衛。
「昨日、ここに誰もいませんでした」
弥助。
「今日はいるな」
甚兵衛。
「ここ」
もう一度見る。
井戸。
家。
洗濯物。
桶。
戸口。
「近道にしていいんですかね」
弥助。
「道だぞ」
「道ですけど」
甚兵衛は後ろを見る。
誰かの生活の真ん中を。
横切っている。
「毎日」
「店の荷物持った知らない奴が」
「朝から何度も通ったら」
弥助。
「……」
「嫌じゃないです?」
弥助は少し考える。
「まあ」
甚兵衛。
「ですよね」
「でも道だぞ」
「道です」
甚兵衛。
「だから通れないとは言わないですけど」
井戸を見る。
「あそこ使う人の邪魔になる時間とか」
「荷車が通る時間とか」
「水を撒く時間とか」
「あるかもしれない」
弥助。
「そこまで調べるのか」
甚兵衛。
「店の近道として使うなら」
一拍。
「一回通れた、だけじゃ駄目だと思います」
弥助。
「誰に聞く」
甚兵衛。
「住んでる人」
「今聞けばいいだろ」
甚兵衛。
「今日はやめます」
「なんでだ」
甚兵衛は包みを持ち直す。
「俺」
「まだ店のこと、ちゃんと説明できないから」
弥助。
「……」
甚兵衛。
「どこの店だって聞かれたら」
「名前は言えます」
「何を扱ってる」
「何をどこまで運ぶ」
「なんでこの道を使う」
「何時頃通る」
「そういうの」
少し間。
「全部聞かれたら」
弥助を見る。
「弥助さんに答えてもらうことになる」
弥助。
「俺がいるんだからいいだろ」
甚兵衛。
「今日は」
弥助。
「……」
甚兵衛。
「でも」
「一人だったら?」
弥助は黙る。
甚兵衛。
「先に覚えます」
弥助。
鼻を鳴らす。
「変なところで慎重だな」
甚兵衛。
「怖いんで」
「何が」
甚兵衛。
「知らないまま」
少し考える。
「知ってるつもりになるのが」
弥助。
「……」
甚兵衛。
「昨日」
「鼠に道聞いて」
「今日ここまで来て」
「俺」
「もうこの道知ってる気になりかけてました」
井戸。
桶。
人。
見る。
「全然知らなかった」
弥助は何も言わない。
足元。
鼠。
「チチッ」
甚兵衛には。
『かえる?』
甚兵衛。
「帰る」
弥助。
「鼠か」
「はい」
最初の鼠。
『こっち』
道の横。
さらに細い道へ向く。
甚兵衛。
「待て」
鼠が止まる。
「昨日と違う道?」
『ちがう』
「店に帰れる?」
『かえれる』
「近い?」
鼠。
考える。
『……』
甚兵衛。
「分からない?」
『わからない』
甚兵衛。
「そうか」
弥助。
「何だって」
甚兵衛。
「別の道でも帰れるそうです」
「近いのか?」
「それは分からないって」
弥助。
「鼠も何でも知ってるわけじゃないんだな」
甚兵衛。
「はい」
少しだけ。
安心する。
何でも分かるわけではない。
鼠は鼠。
自分は自分。
弥助。
「行くか?」
甚兵衛は道を見る。
新しい道。
鼠。
荷。
木札。
今来た道。
「……今日は行きません」
鼠。
『なんで』
甚兵衛。
「今の道もまだ最後まで確認してない」
木札を叩く。
「知らない道を増やしすぎると、分からなくなる」
鼠。
『でも、かえれる』
甚兵衛。
「お前はな」
鼠。
『うん』
「俺が覚えたいんだよ」
鼠。
『たいへん』
甚兵衛。
「人間だからな」
弥助。
「何だって」
甚兵衛。
「人間は大変だって」
弥助。
「半分だろ、お前」
甚兵衛。
「そこは今関係ないです」
戻る。
同じ道。
でも。
行きとは違う。
人が増えている。
さっきなかった籠。
さっき閉まっていた戸。
開いている。
子供。
犬。
桶。
甚兵衛。
「……」
弥助。
「どうした」
「帰りも違う」
「道同じだぞ」
甚兵衛。
「はい」
少し笑う。
「でも、道の中身は違います」
弥助。
「変な言い方だな」
甚兵衛。
「俺もそう思います」
狭い場所。
桶。
さっきより一つ増えている。
甚兵衛。
「……」
木札。
追記。
昼前。
さらに狭い。
弥助。
「細けえな」
甚兵衛。
「忘れるんで」
「そんなに忘れるか?」
甚兵衛。
「忘れます」
即答。
弥助。
「そこは自信あるのか」
「あります」
大通り。
店。
戻る。
藤吉が荷から顔を上げる。
「どうだった」
甚兵衛。
「昨日より分かりませんでした」
藤吉。
「……昨日より?」
「はい」
木札を出す。
昨日。
今日。
並べる。
道。
朝。
桶あり。
小荷。
丸。
大荷。
難。
すれ違い。
難。
井戸。
人あり。
毎日通ってよいか。
未詳。
時間による違い。
未詳。
先。
未詳。
別路。
あり。
距離。
未詳。
藤吉が読む。
作兵衛も覗く。
弥助。
「道自体は昨日より先まで分かったんだけどな」
甚兵衛。
「分からないことも増えました」
作兵衛。
「それでいい」
甚兵衛。
「いいんです?」
作兵衛。
「分からんことが分かったんだろ」
「……」
作兵衛は荷を持ち上げる。
「昨日より進んでる」
甚兵衛は木札を見る。
未詳。
未詳。
未詳。
多い。
昨日なら。
知らなかった。
知らないことすら。
知らなかった。
甚兵衛。
「……なるほど」
足元。
鼠。
『わかった?』
「チチッ」
甚兵衛。
「ちょっと」
鼠。
『たぶん?』
甚兵衛。
「たぶん」
二匹。
『たぶん』
「チチッ」
「チッ」
甚兵衛。
「お前ら、それ気に入ったな」
店の奥。
弥助。
「今度は何て言ってる?」
甚兵衛。
「『たぶん』って」
弥助。
「鼠にまで口癖を真似されてるじゃねえか」
甚兵衛。
「俺のせいじゃないです」
「お前以外の誰のせいだ」
藤吉。
「それより働け」
二人。
「はい」
仕事に戻る。
夕方。
店を閉める。
物置。
甚兵衛は今日使った木札を並べる。
昨日。
今日。
鼠が横から見る。
『いっぱい』
「増えたな」
『しらない』
「そう」
筆を取る。
一つ。
書く。
知らない。
その横。
分からない。
筆を止める。
「……」
少し考える。
消す。
もう一度。
書く。
知らないこと。
未詳。
確かめたこと。
丸。
危ないこと。
注意。
一つずつ。
分ける。
昨日までは。
全部。
知らない。
だった。
でも。
今日。
少し違った。
分からないなら。
確かめればいい。
分からないと分かったなら。
次に何を見るか考えられる。
甚兵衛。
「……」
最初の鼠。
『あした』
「明日な」
『いく?』
「行く」
『あたらしいみち?』
甚兵衛。
「その前に」
今日の木札を見る。
井戸。
店。
人。
未詳。
「店のこと覚える」
鼠。
『みせ』
「俺が」
自分を指す。
「どこで働いてるか」
「何をしてるか」
「ちゃんと説明できるようにする」
鼠。
『しってる』
甚兵衛。
「お前はな」
『みせ、ここ』
「……」
鼠にとっては。
それで十分なのだろう。
甚兵衛は少し笑う。
「人間は面倒なんだよ」
鼠。
『たいへん』
「それ今日二回目」
物置の奥。
藁。
もぞり。
三匹目。
顔だけ出す。
『おきた』
甚兵衛。
「遅い」
『あさ?』
「夜だよ」
鼠。
『……』
少し考える。
また藁へ潜る。
甚兵衛。
「寝るのかよ」
返事。
ない。
藁だけが。
少し動く。
甚兵衛は木札を重ねる。
一番上。
明日。
空欄。
今日は。
知らなかったことが増えた。
けれど。
それは。
昨日より。
少しだけ。
前に進んだということなのかもしれない。