先生と〇〇 作:幻獣ハンター(ケモナー)
医者になった理由を聞かれると、俺は少し困る。
人を救いたかったからです、と答えれば済む話なのだろう。面接官も患者も、たいていはそういう答えを好む。俺だって、若いころは似たようなことを言った覚えがある。
嘘ではなかった。
ただ、全部でもなかった。
成績がよかった。親が喜んだ。医師免許があれば食いっぱぐれないと思ったし、医者という肩書きには、どうやら他人の態度を少し丁寧にする効能があるらしかった。
人間の身体について学ぶのは面白かった。手術がうまくいけば嬉しかった。誰かに感謝されれば、悪い気はしなかった。
人を救いたかったのも、たぶん本当だ。
こうして並べると、ずいぶん欲張りで青い若者だったと思う。
そのうち、最後の一つくらい手放しておけばよかったのだが。
「……治せないのか?」
少年は、一度そう聞いた。
銀色の髪をした、小柄な少年だった。年齢の割に落ち着いた眼をしている。
いや、落ち着いているというより、何かを必死に押さえつけている眼、と言った方が正しいかもしれない。医療の現場でよく見る人種の一つだ。
ベッドの上に横たわる、多くの生命維持装置に繋がれる患者を見た。
ゴン=フリークス。
名前は聞いていた。
面白い小僧は今、面白がって済ませられる状態ではなかった。
身体の損傷はひどいという言葉では表せない。
だが、問題はそこだけではない。念能力者の医者として診れば、むしろ目に見える傷の方が、まだ話が簡単だった。
この少年が何を代償にして、何を得たのか。
その結果、何を失ったのか。
そこに医療器具を差し込める隙間を、俺は見つけられなかった。
「傷を塞ぐことはできる。欠けた組織を補うことも、条件が揃えばな」
「じゃあ――」
「だが、こいつが自分に何をしたのかまでは戻せない」
少年の口が閉じた。
俺は、必要以上に言葉を足さないようにした。
患者の家族や友人に説明するとき、医者はよく喋りすぎる。沈黙に耐えられないからだ。難しい説明しているふりをして、自分の居心地をよくしようとする。
俺も昔は、よくやった。
「俺の能力は万能じゃない。ほかの手段を探したほうがいい。念の専門家でも、何でもいい。俺が知らない方法があるかもしれん」
「……わかった」
意外な返事だった。正直に言うと、掴みかかられる事も想定していた。しかし、少年は俺の言葉に、ある種の覚悟を決めたようだ。
その顔を見て、俺はひどく懐かしい気分になった。
助けるためなら、何だってするという顔だ。
医者になりたてのころ、鏡の中に似たような馬鹿がいた。
ジジイが死んだと聞いたとき、最初に考えたのは、あの超人にも死ぬ順番が回ってくるのか、ということだった。
次に考えたのは、これまでの
『お主、まだ医者をやる気はあるかの』
初めて会ったとき、ジジイはそう言った。
当時の俺は、病院を辞め、酒を飲み、翌朝になって自分がまだ生きていることに腹を立てるという、なんとも忙しい生活を送っていた。
『……ない』
『そうか』
『ああ』
『でも、その目はそうは言ってないようじゃがの〜ほっほ』
あの笑い方が嫌いだった。
人が真剣に人生を投げ捨てようとしているのに、爺さんはまるで、子供が池に石を投げているのを眺めるような顔をしていた。
『医者を辞めるのは難しそうじゃな』
今でも、少し腹が立つ。
反論できなかったことも含めて。
俺はゴンの診察を終えたあと、キメラアント討伐の現場へ向かった。
遺体を見に行くわけではない。
爺さんの遺体が、そこにあるわけでもない。
ただ、あの爺さんが最後に戦った場所を、自分の眼で見ておきたかった。
医者としてではなく恩人を弔うため。
討伐現場に向かうほど、濃厚な死の気配が残っていた。爆心地にはもちろん近づけない。死の薔薇が咲いた以上、遠くからその方角をただ眺めていただけだ。
俺はしばらく立っていた。
手を合わせることはしなかった。
あの爺さんは、そんなことをしても喜ばないだろう。むしろ、後ろから肩を叩いて驚かせたあと、拝む相手を間違えとるぞ、とでも言いそうだった。
それから俺は、討伐の痕跡を辿って別の戦闘現場へ移動した。
爺さんが死んだ場所とは違う。
倒木と抉れた地面が続き、周囲の木々には、何かが凄まじい速度で衝突した跡が残っていた。
そこで、死体を見つけた。
最初は、死体だと分からなかった。
頭部は中身が見える程に破壊され、白い髪の間には、辛うじてネコ科の獣耳が残っていた。腰からは長い尾が伸びている。手足はちぎれており、満足に使えるものもない。辛うじて繋がっているのが右腕だけ。そしてなによりも胸部に空いた穴。ボロ雑巾と言っても表現が足りない。
「……キメラアントか」
俺は足を止めた。
どこの誰だかは知らない。討伐作戦の詳しい経過も、俺のところまで逐一届いていたわけではなかった。
ただ、死体の周囲に残る念だけは、見過ごせなかった。
いや、残っている、という言い方では足りない。
動いていた。
死んだ肉体の上で、異様な念の人形が手を動かしている。
穴が空いた胸部に触肢を伸ばし、傷ついた組織を繋ぐ。何かに取り憑かれたように処置を続けていた。
その術野に眼が吸い寄せられる。破裂した心臓。飛び散った脳。それを修復している。
「……冗談だろ」
思わず、呟いた。
死後の念。
知識としては知っている。実例も見たことがある。死んでなお、肉体を動かす念なら理解できる。恨みを晴らすため。誰かを殺すため。最後の命令を果たすため。
念というものは、ときどき持ち主の死さえ無視する。
しかし、こいつは違った。
死んだ自分を、生かそうとしている。
俺は近づこうとして、やめた。
相手が何者かを、思い出したからだ。
キメラアント。
それも、死後の念で心臓と脳を修復しようとしている異常個体。
生き返った場合、俺が無事で済む保証はどこにもない。
俺は爺さんの死を悼みに来たのであって、得体の知れない怪物を一匹増やしに来たわけではなかった。
「……見なかったことにしよう」
俺は踵を返した。
医者にも、患者を選ぶ権利くらいはある。少なくとも、そういうことにしておきたかった。
数歩進んだところで、視界の端が暗くなった。
立ち止まり眼を閉じる。
意識を、自分の念へ向ける。
異空間に設けた手術室。その天井に並ぶ照明の一つが、弱々しく明滅していた。
「……おい」
明滅が続く。
「まだ患者ですらないだろうが」
もちろん返答はない。
念能力というものは、術者の都合のいい言い訳を聞いてくれない。
俺の能力には、誓約がある。
何がなんでも生きようとする患者を、見捨ててはならない。
目の前の死体は、自分が死んだことにさえ従っていない。
これを執念と呼ばずに何と呼ぶのか、俺には説明できなかった。
背後で、人形が手を動かす。
あの患者は、まだ諦めていない。
俺は、もう一度だけ歩き出そうとした。
照明が、また暗くなる。
「……分かったよ」
振り返った。
「分かったから、消えるな」
明滅が止まった。
腹立たしいほど、素直だった。
俺の念能力は二つある。
『
外界から隔絶された手術室を具現化する能力だ。
常に清潔で、外部から干渉されず、小さな居住区画までついている。手術台も照明も人工呼吸器も、俺が構造と用途を理解している医療機材なら具現化できる。
便利だろう。
薬品や輸血用の血液まで用意してくれれば、なおよかった。
残念ながら、そこは自腹だ。
患者は一度に一人だけ。
俺は、患者が死ぬか、手術室を離れて問題ないと診断できるまで、そこを出られない。
しかも、念の誓約が診断の誤魔化しを許さない。帰りたくなったから治療完了、というわけにはいかないのだ。
患者が死ねば、手術室の照明が一つずつ消える。
最後の一灯が消えれば、能力は永久に失われる。
もう一つの誓約については、先ほど実演したとおりだ。
生きようとする執念を持つ患者を見捨てても、明かりは消える。
俺の人生は、照明器具にずいぶん厳しく管理されている。
二つ目は、『
患者の正常な細胞を基に、欠損した組織の代わりとなる細胞を具現化する能力だ。
代用品が身体を支えている間に、患者自身の細胞が増え、本物の組織へ置き換わっていく。
俺が新しい肉体を作るわけではない。
治るまでの時間を、借り物で繋ぐだけだ。
正常な細胞が残っていなければ、その組織は補えない。具現化した細胞も、俺が患者から一定以上離れれば消える。
同時に維持できる代替組織の総量には、限界がある。
それが、今の俺のオーラ量の限界だった。
自分自身に使うときだけは、少し勝手が違う。
自分の身体に意識を集中しておけば、損傷に応じてテセウスが自動的に欠けた部分を補う。
便利な身体になった。
死に損なうのが上手くなった、とも言う。
もっとも、俺が医者として一番欲しかったのは、自分の傷を塞ぐ能力ではなかった。
あの日、見落とした患者の異常に気づく能力だった。
それなのに、俺の念が用意したのは手術室と、治るまでの時間だった。
どうしてこうなったのかは、俺にもよく分からない。
昔、一人死なせた。
患者は術後、いつもより口数が少なかった。
検査の数字にも、気になるところがあった。気づかなかったわけではない。
忙しかった。
ほかにも大勢患者がいた。
直前の手術は長引いていたし、俺はひどく眠かった。
今は、経過を見よう。安易にそう判断した。
結果として、その患者には、経過を見ている時間が残されていなかった。
あとから考えれば、いくらでも分かる。
あの数字。
あの表情。
あのとき、もう一度診ていれば。
あのとき、別の検査をしていれば。
あのとき。
俺はずっと「あのとき」の中にいた。
爺さんは、その話を聞いても慰めなかった。
『では、次は見落とさんことじゃ』
簡単に言いやがった。
俺に、次があると思っている人間の言葉だった。
だが、結局、俺は次の患者を診た。
その次も。
そして今も、患者の前にいる。
獣混じりのキメラアントを手術室へ運び込む。心臓と脳はまだ半壊だった。
できることはそう多くない。死体を治療する技術はこの世には無いはずだ。目の前の奇跡を除けば。
奇跡のオペを邪魔することは出来なかった。なにせ念人形が人の手術室で我が物顔で施術している。保冷庫を勝手にあさり、いくつかの輸血パックを持っていく。周囲の薬品類にも多少手をつけている。
ただ、その施術をじっと見ていた。だからこそ、異変に気づいた。人形の触肢が、何かを探しているように、施術台の周りを物色する。
露わになっている心臓をのぞき込んだ。前より復元は進んでいる。ざっと七割ほど。心臓の形にはなってきた。
あぁ、部品が無いのか。
おそらく周囲に散らばっているはずの肉片を探しているのだろう。手術室に連れ込んだため、修理する部品がここには無いのだ。
それは悪い事をした。だが、コイツで許して欲しい。
手袋をつけ、右手を心臓に近づける。代わりの部品なら見世物料として出してやろう。
正常な心筋細胞を俺の念が模倣し、代替部品が成長する。念人形は部品を理解したのか、また心臓というパズルを解き始めた。
触肢が脳の一部を指さす。ここもやれと。
……たぶんこの死体の生前は欲深い奴だったに違いない。
辛うじて残った正常な脳組織を確かめ、左手を添える。俺の念がその細胞を模倣し、欠けた部分を補い始めた。
代替細胞を作ることはできる。だが、それが正しい場所に収まるかどうかまでは、俺には分からない。
心臓も脳も、知識ならある。手術の経験もある。だが、粉々になったものを元の形に組み直す手術など、経験したことがない。そもそも、そんな手術は存在しない。
俺が作った細胞を、念人形が迷いなく組み上げていく。腹立たしいことに、俺はその手元から眼を離せなかった。
複製した細胞が、組み上がっていく。二度と経験できないであろうオペに、時間が過ぎるのを忘れ、ただ見入っていた。
そしてついに脳と心臓が復元された。
鼓動は無い。脳細胞ももちろん反応していない。
念人形が二本の針を心臓に近づける。心臓をオーラが包み、その上から小さな放電が心臓に走る。
……トッ………トッ
あまりにも小さい音が、手術室に響いた気がした。
「……戻った」
心臓が弱々しく拍動している。
死体だったものが、生きた患者になった。患者の胸がかすかに動き、気道に溜まった血が口元から溢れた。
あまりの非現実的な光景に、思考が停止した。
そして次の瞬間、念人形が消えた。
「は?」
俺は間の抜けた声を出した。
残っていた念が、霧のようにほどけていく。
「待て!おい!まだ終わってないぞ!」
死後の念に文句を言ったところで、返事などあるはずがない。
そして血が患者から滲み出した。心臓が動き出したことで、修復されなかった傷から血が流れ始めた。止まっていた循環が戻り、残された損傷が一斉に牙を剥く。
戻った鼓動は弱く、呼吸は浅い。
「……くそっ!」
俺は手袋を引き直した。
「引き継ぎくらいしろ、馬鹿野郎」
今一度、患者の頭部と腹部を確認する。損傷は広い。出血も多い。ただ、脳と心臓の土台のために、周辺も修復されてはいる。頭部と首、そして胸部はあらかた修復されている。あの念人形は、最低限生きるために必要なものだけ直していった。
人間の身体なら、どう処置するかは分かる。だが、こいつは人間ではない。こちらの常識をそのまま当てはめていい保証はなかった。
呼吸補助器とバイタルサイン用のセンサーを取り付ける。輸血液は念人形が選別しているので、これで間違っていたら前任者が悪い。
正常な組織を確かめ、能力で損傷部位を補う。借り物の細胞が、欠けた臓器の輪郭を埋めていく。その繰り返し。
凝をして確認すれば、身体の中身がツギハギだらけになっているがお構いなしだ。
だが、バイタルは安定した。キメラアントの生命力なのだろう。
手術が終わったとき、俺はしばらく立ち上がれなかった。
正確には、立ち上がりたくなかった。
術後の管理が残っている。傷も、まだ治ったわけではない。
だが、ひとまず生きている。
俺は椅子に座り、記録をつけた。
氏名、不明。
種族、キメラアントと思われる。
年齢、不明。
既往歴、不明。
受傷機転――。
そこまで書いて、ペンを止めた。
どう書けばいい。
詳細不明の戦闘によって死亡。死後の念によって心臓および脳、生命維持に必要な最低限の肉体が修復され、蘇生。その後、念が消失し、当院にて治療。
医療記録というより、質の悪い冗談だった。
「……ジジイ」
天井を見た。
「面倒な仕事を残してくれたな」
返事はない。ペンを置き、少しだけ眼を閉じた。次に眼を開けたとき、患者がこちらを見ていた。
最初に動いたのは、耳だった。白い髪の間から伸びた片方が、ぴくりと立つ。
続いて尾が、寝台の端を一度叩いた。
眼が動く。天井の照明。モニター。扉。そして、俺。
その順番を、俺は黙って見ていた。
患者は瞬きをしなかった。左右の耳が、別々の方向へ向く。
瞳孔が細くなる。尾の先が、音もなく揺れた。
「起きたか?」
声をかけると、患者の肩が跳ねた。耳が伏せられ、尾の毛が逆立った。
「待て。動くな」
遅かった。唯一形になった白い右腕が跳ねた。
俺の喉元へ、爪が伸びる。
椅子ごと身体を引いた。
爪先が首の前を掠め、患者の身体が寝台から崩れ落ちる。そして腹部の縫合が裂けた。
赤いものが、床へ滲む。
「……馬鹿!」
俺は反射的に怒鳴った。患者が、低く唸る。
こちらを見ている。
俺の首を。
まだ、見ている。
「殺すなら、せめて抜糸が済んでからにしろ!」
言ってから、少し考えた。抜糸が済んでも困る。
「いや、訂正だ。殺すな」
患者は答えなかった。呼吸が荒い。爪を立てた手が震えている。
腹から流れる血を見ても、退く気配がない。
怖くないわけではない。
俺は医者であって、怪物退治の専門家ではない。目の前の患者がどれほど危険な存在か、正確には知らない。
だが、衰弱した身体でこれだけ動けるなら、五体満足なときのことは考えたくなかった。
「聞こえるか」
できるだけ、声を落とした。
「お前は怪我をしている。今動けば、また死ぬぞ」
患者の耳が、わずかに動いた。
「……死ぬ?」
「そうだ」
「……駄目だ」
初めて、言葉が返ってきた。掠れた声だった。
「死ぬのは、駄目だ」
「だったら、落ち着け。傷を診る」
患者は動かなかった。俺を見ている。何かを思い出そうとしているような顔だった。
患者は、自分の手を見た。爪、血、腹の傷。それから、もう一度、俺を見る。
「ボクは……」
言葉は続かなかった。
「名前は?」
「……名前?」
「そうだ。自分の名前」
患者は、何も言わなかった。
「ここへ来る前、何をしていた?」
沈黙。
「誰かと一緒だったか?」
沈黙。
俺は少し迷ってから、最後の質問をした。
「何のために生き返った?」
その問いに、患者の耳が立った。
「……やることがある」
「何を?」
「分からない」
「誰のために?」
「……分からない」
患者は、苛立ったように歯を見せた。
「でも、あるんだ!」
尾が、床を打った。
「まだ、やることがある。だから死ねない」
俺はしばらく、その顔を見ていた。
記憶がない。自分の名前も、目的も。なのに、生きる理由だけが残っている。
死んでも消えなかったものが、そこにある。
「……なるほど」
俺は立ち上がった。
床に伏す、患者の肩が強張る。
「安心しろ。お前が俺を嫌いなのは、よーく分かった」
「……」
「俺も、お前が好きでここにいるわけじゃない」
正確には、ここは俺の手術室なのだが。
「ただ、今のお前は患者だ。まずは止血する。話はそれからだ」
患者は、俺が差し出した手を見た。もちろんいつでも手を引けるようにしていた。
患者は、残った右腕を手術台にかけた。俺が身体を支えると、抵抗こそしたものの、再び爪を伸ばすことはなかった。
手術台へ横たわるまで、俺から眼を離さなかった。
「……ねぇ」
不意に、そう呼ばれた。
俺は手を止めた。
「何だ」
「ボク、死なない?」
「保証はしない」
患者の耳が伏せられる。
「だが、死なせないようにはする」
俺は裂けた傷を確認した。
「それが医者の仕事だ」
再処置を終えたころには、患者は疲れ果てていた。
それでも眠ろうとしない。麻酔は拒否された。状況的に痛みで気が狂いそうになっているはずだが。
俺が動くたび、耳が追ってくる。
近づけば尾が持ち上がり、背を向ければ一旦息を吐く。
全くもって信用されていない。
それはこちらも同じだ。
ただ、患者の身体には、俺の念で補った組織が残っている。
手術室から出られるようになったとしても、
俺が死ねば、具現化した細胞も消える。
こいつが俺を殺そうとしたことを思い出し、俺は少し気が遠くなった。
うん、この説明はもう少し落ち着いてからにしよう。
今言えば、腹の傷が三度目を迎える気がした。
俺は記録用紙を引き寄せた。
氏名、不明。
年齢、不明。
既往歴、不明。
記憶障害、あり。
医者に対する警戒および攻撃行動、あり。理由は本人にも不明。
生存への執着、極めて強い。
覚醒直後、担当医を襲撃。
最後の一行を見て、俺はペンを置いた。
「……まったく」
「何?」
「独り言だ」
天井を見た。真っ白な照明が、静かに灯っている。
患者は納得していない顔をした。
俺も、納得していなかった。
爺さん。
あんたが生きていたら、きっと笑っただろう。
俺が正体も知らないキメラアントを拾い、手術し、挙げ句に首を狙われたと知れば、腹を抱えて笑ったに違いない。
「割に合わない仕事だ」
「……変なの」
「お前に言われたくない」
患者は黙った。
尾の先だけが、寝具の上をゆっくり動いていた。
俺は椅子に座り直した。
患者は俺を見ている。
俺も患者を見ている。
どちらも、相手から眼を離すつもりはなかった。
手術室の照明は、消えていない。凶暴な患者の灯は消えなかった。
少なくとも今夜は、それで十分だった。
……あるピトー小説をみて、なんか作ってみました。
あの小説はえっちだとワイトは思います。