ようこそ恋愛至上主義の教室へ ―綾小路清隆 IF Routes   作:ムール貝

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第二話 初めてのデート

堀北と付き合い始めて、一週間ほどが経った。

 

この一週間で何か大きく変化したかと聞かれれば、答えはそれほど単純ではない。

 

教室ではこれまで通りだった。周囲に交際を明かしていない以上、必要以上に距離を縮める理由もない。授業中に話すことはないし、昼休みに相談される内容も大半がクラスに関するものだ。

 

ただ、放課後は以前より一緒に帰ることが増えた。

 

毎日というわけではない。

 

用事がある日は別々に戻るし、堀北がクラスの誰かと話していれば、無理に待つこともしない。

 

それでも以前と比べれば、明らかに多かった。

 

手をつなぐこともある。

 

最初のように、その行為についていちいち理由を説明することはなくなった。

 

これは進歩と言っていいのかもしれない。

 

そして、もう一つ。

 

俺たちは明日、初めて二人で出かけることになっていた。

 

少なくとも、今回はただ一緒に帰る途中で寄り道するわけではない。

 

最初から二人で過ごすことを目的としている。

 

一般的には、これをデートと呼ぶのだろう。

 

放課後、俺たちはいつものように寮へ向かっていた。

 

「それで、明日はどうするの?」

 

堀北が尋ねてきた。

 

「特に希望はないのか?」

 

「私が聞いているのだけれど」

 

「そうだな」

 

一応、候補はいくつか考えている。

 

映画館もある。商業施設なら食事にも困らないし、書店もある。少し離れれば別の選択肢もあるが、初めてなら無理に遠出する必要もないだろう。

 

「商業施設でいいんじゃないか。店も多いし、途中で行きたい場所があれば寄れる」

 

「ずいぶん無難ね」

 

「初めてのデートで奇抜さを求める必要もないだろう」

 

堀北がこちらを見る。

 

「一応、デートだという認識はあるのね」

 

「ないと思っていたのか?」

 

「あなたの場合、『二人で行動するだけだ』くらいに考えていても不思議じゃないもの」

 

そこまでではない。

 

付き合う以前にも堀北と二人で行動したことはある。

 

明日は、それとは違う。

 

その程度の認識は俺にもある。

 

「何か行きたい店はあるか?」

 

「行ってから決めればいいでしょう」

 

「そうか」

 

「……何?」

 

「いや。お前なら先に決めたがると思っていた」

 

「私だって、休日まで全部予定通りに行動しているわけじゃないわよ」

 

「意外だな」

 

「喧嘩を売っているの?」

 

「そんなつもりはない」

 

ただ、少しだけ安心した。

 

何をすればデートとして正解なのか。

 

この一週間、考えなかったわけではない。

 

だが、正解を作る必要そのものがないのかもしれない。

 

「十時でいいか?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、寮のロビーで」

 

「分かったわ」

 

話はそれだけで決まった。

 

意外なほど簡単だった。

 

翌朝。

 

約束の時間より少し前にロビーへ下りると、まだ堀北の姿はなかった。

 

ソファに座るほど待つこともないだろう。

 

壁際で待っていると、間もなくエレベーターが止まった。

 

扉が開く。

 

そこから出てきた堀北を見て、俺は一瞬だけ反応が遅れた。

 

当然だが、制服ではない。

 

休日なのだから私服なのは珍しいことでもないし、これまで見たことがないわけでもない。

 

それでも今日は、いつもとは少し違って見えた。

 

服装そのものは堀北らしく落ち着いている。目立とうとするようなものでもない。

 

だが、なぜか目が止まった。

 

「何?」

 

堀北がこちらを見る。

 

「いや」

 

「今、見ていたでしょう」

 

「見ていたな」

 

「……否定くらいしたら?」

 

「事実を否定しても仕方ないだろう」

 

堀北の眉がわずかに寄る。

 

「何かおかしい?」

 

「そういう意味じゃない」

 

「なら何?」

 

少し考える。

 

わざわざ言う必要があるのかは分からない。

 

ただ、聞かれた以上は答えるべきだろう。

 

「似合っていると思った」

 

堀北が黙った。

 

ほんの数秒だったが、普段の彼女にしては長い。

 

「……そう」

 

それだけ言って視線を外す。

 

嫌だったわけではなさそうだ。

 

「行くか」

 

「ええ」

 

二人で寮を出た。

 

商業施設までの道は普段と変わらない。

 

違うのは目的だけだ。

 

隣には堀北がいる。

 

一週間前なら、それだけで特別な意味を考えることはなかった。

 

今は少し違う。

 

施設へ着くと、堀北が案内板を見る。

 

「どこから行く?」

 

「お前が見たいところでいい」

 

「それだと私だけが楽しむことになるでしょう」

 

「俺は特に欲しいものがないからな」

 

「それでも何かあるでしょう。本とか、服とか」

 

「本なら見てもいい」

 

「なら書店ね」

 

最初に向かったのは書店だった。

 

大型店だけあって、かなりの品揃えがある。

 

堀北は迷うことなく目的の棚へ向かった。

 

俺も近くを見る。

 

特に買う予定の本はなかった。

 

しばらく棚を眺めてから、ふと堀北を見る。

 

一冊を手に取って裏表紙を確認し、数ページめくっている。

 

棚へ戻す。

 

また別の本を取る。

 

普段、教室で本を読んでいる姿はよく見る。

 

だが、選んでいるところを見る機会はほとんどない。

 

気づけば俺は、本ではなく堀北を見ていた。

 

「さっきから何?」

 

視線だけで気づかれた。

 

「お前が何を選ぶのか見ていた」

 

「趣味でも分析しているの?」

 

「そこまで大げさなものじゃない」

 

「あなたに見られていると、何でも分析されているような気がするのよ」

 

「普段からそこまで他人を分析しているわけじゃない」

 

堀北は無言で俺を見る。

 

「……何だ?」

 

「説得力がないと思っただけよ」

 

否定する材料は思いつかなかった。

 

堀北は再び棚へ視線を戻した。

 

しばらくして、一冊の本を手にしたまま動かなくなる。

 

「それにするのか?」

 

「迷っているところ」

 

「なら買えばいいんじゃないか」

 

「欲しいものを全部買っていたらきりがないでしょう」

 

「お前はそういうところでは慎重なんだな」

 

「普通だと思うけれど」

 

結局、数分迷った末にその本を買っていた。

 

本屋を出てからも、特に行き先を決めることなく歩く。

 

堀北が気になった店があれば入る。

 

俺が足を止めれば、堀北も付き合う。

 

昼食も、近くにあった店の中から二人で選んだ。

 

どこか特別な店というわけではない。

 

話題も普段と大きく変わらなかった。

 

最近のクラスの様子。

 

成績が伸びている生徒。

 

次の試験がどうなるか。

 

いつもと同じと言われれば、その通りだ。

 

それなのに不思議と、学校で話している時とは違って感じる。

 

「ねえ」

 

食事を終えたところで、堀北が言った。

 

「何だ?」

 

「さっきから普通に楽しんでいるでしょう」

 

「そう見えるか?」

 

「少なくとも、退屈そうには見えないわ」

 

「退屈はしていない」

 

「そう」

 

堀北は水を一口飲む。

 

「もっと困るかと思っていた」

 

「何に?」

 

「デートに」

 

「俺もだ」

 

「自分で言うのね」

 

実際、もう少し難しいものだと思っていた。

 

恋人同士なら何をするべきか。

 

何を話すべきか。

 

どこへ行けば正解なのか。

 

そういうものを考える必要があると思っていた。

 

だが、今のところ特別なことは何もしていない。

 

それでも問題はなかった。

 

店を出た後、施設内を歩いていると、堀北が一度足を止めた。

 

視線の先には、小規模なゲームコーナーがある。

 

「入りたいのか?」

 

「見ただけよ」

 

「そうか」

 

俺が歩き出すと、後ろから声が飛んできた。

 

「待ちなさい」

 

振り返る。

 

堀北は少し不満そうだった。

 

「何だ?」

 

「普通、もう少し察するものじゃない?」

 

「行きたいならそう言えばいいだろう」

 

「そうだけれど……」

 

珍しく歯切れが悪い。

 

「入るか?」

 

「あなたが行きたいなら」

 

「俺はどちらでもいい」

 

「だったら――」

 

「ただ、お前が気になっているなら行ってみたい」

 

そう言うと、堀北が少し黙った。

 

「……なら行きましょう」

 

中にはクレーンゲームが何台か並んでいた。

 

堀北が見ていたのは、そのうちの一台だった。

 

中には小さな動物のぬいぐるみが入っている。

 

「欲しいのか?」

 

「だから見ていただけだと言っているでしょう」

 

「そうか」

 

しばらく中を見る。

 

配置そのものは難しくなさそうだ。

 

「取ってみるか」

 

「あなたが?」

 

「ああ」

 

「得意なの?」

 

「やったことはほとんどない」

 

「なのに挑戦するのね」

 

百円を入れる。

 

アームを動かし、狙いを定める。

 

落下する。

 

ぬいぐるみを掴む。

 

途中で落ちた。

 

「失敗ね」

 

「ああ」

 

「随分あっさり認めるのね」

 

「失敗したのは事実だからな」

 

もう一度試す。

 

今度は少し位置をずらす。

 

また落ちた。

 

横から小さな声が聞こえた。

 

堀北が笑っている。

 

「笑ったな」

 

「笑ってないわ」

 

「明らかに笑っていた」

 

「気のせいよ」

 

「そうか」

 

「……何よ」

 

「珍しいものを見たような顔をしていたからな」

 

堀北は少しだけ口元を緩める。

 

「ええ。あなたがこんなことで普通に失敗するのは、少し珍しいと思っただけ」

 

三回目。

 

今度は位置を変える。

 

アームが下りる。

 

持ち上げたぬいぐるみは、今度こそ落下口まで運ばれた。

 

取り出して確認する。

 

小さな黒猫だった。

 

「ほら」

 

堀北へ差し出す。

 

「私に?」

 

「お前が見ていたから取ったんだ」

 

「欲しいなんて言ってないけれど」

 

「なら戻すか?」

 

「取ったものをどうやって戻すのよ」

 

そう言いながら、堀北は受け取った。

 

手の中のぬいぐるみを見る。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「何?」

 

「何がだ?」

 

「普通に返されたから」

 

「ありがとうと言われたら、そう返すだろう」

 

「そうね」

 

堀北はぬいぐるみを大事そうに袋へ入れた。

 

その様子を見て、三百円なら悪くない結果だったと思った。

 

ゲームコーナーを出た頃、施設内にアナウンスが流れた。

 

外を見る。

 

雨が降っている。

 

しかも、それなりに強い。

 

「雨ね」

 

「ああ」

 

「傘は?」

 

「持っていない」

 

「私もよ」

 

天気予報では降水確率は低かった。

 

俺も確認していたが、結果として外れたらしい。

 

「どうする?」

 

堀北が聞く。

 

「少し待つか。長く続く雨には見えない」

 

「そうね」

 

屋根のある通路へ移動する。

 

二人並んで雨を見る。

 

予定していたわけではない。

 

することもない。

 

ただ待つだけの時間だった。

 

「こういうのは嫌いそうね」

 

突然、堀北が言った。

 

「何がだ?」

 

「目的もなく待つこと」

 

「そう見えるか」

 

「あなたなら、意味のない時間だとか考えそうでしょう」

 

否定する前に、自分でも考えてみる。

 

確かに、合理性だけで見れば何の意味もない。

 

雨が止むまで待っている。

 

それだけだ。

 

だが。

 

「そうでもないな」

 

「意外ね」

 

「俺もそう思う」

 

「どういうこと?」

 

「何もしなくても、それほど退屈じゃない」

 

堀北は俺を見る。

 

俺も見る。

 

すぐに彼女は視線を雨へ戻した。

 

「それは……」

 

少し間が空く。

 

「相手が私だから?」

 

問いかける声は、普段より小さかった。

 

考えるまでもなかった。

 

「多分な」

 

「多分、なのね」

 

「他の人間と同じ状況を比較したことがない」

 

「そこまで正確に答えなくてもいいのよ」

 

「そうなのか」

 

「そういうところは、まだ変わらないわね」

 

呆れたように言う。

 

だが、その表情は険しくなかった。

 

雨は十分ほどで弱くなった。

 

施設を出る。

 

帰り道では、自然に手をつないだ。

 

どちらからというほどでもない。

 

一度指先が触れ、そのままどちらも離さなかった。

 

しばらく歩いてから、堀北が尋ねる。

 

「今日、どうだった?」

 

「どう、とは?」

 

「楽しかったか聞いているの」

 

「楽しかった」

 

答えると、堀北が少し驚いた顔をした。

 

「即答するのね」

 

「考える必要があるか?」

 

「あなたなら、楽しいという感情を分析し始めるかと思っていたわ」

 

「そういう時もある」

 

「今日は違う?」

 

「違うらしい」

 

今日何をしたのかを振り返る。

 

本屋へ行った。

 

食事をした。

 

何軒か店を回った。

 

クレーンゲームをした。

 

雨が止むのを待った。

 

特別なことは何もない。

 

クラスの利益になることもなければ、自分に何か成果が残ったわけでもない。

 

それでも、もう一度同じように時間を過ごしたいと思っている。

 

「また行くか」

 

俺が言う。

 

「え?」

 

「次の休みにでも」

 

堀北が少しだけ足を緩めた。

 

「それは、またデートをしたいという意味?」

 

「ああ」

 

「……そう」

 

前を向く。

 

横顔を見る限り、嫌そうには見えない。

 

「次は私が行く場所を決めてもいい?」

 

「構わない」

 

「後悔するかもしれないわよ」

 

「何をするつもりだ?」

 

「まだ秘密」

 

「そうか」

 

聞き出す必要はないだろう。

 

知らないなら、その時になってから分かればいい。

 

一週間前の俺なら、事前に把握した方がいいと考えたかもしれない。

 

だが、今日一日で覚えているものを思い返せば、最初から分かっていたことばかりではない。

 

堀北が本を選ぶ姿。

 

クレーンゲームで俺が失敗した時の笑顔。

 

突然降ってきた雨。

 

何もせず二人で立っていた時間。

 

予定していなかったものの方が、妙に記憶に残っている。

 

恋人になれば、何をすべきなのか。

 

少し前まで、そんなことを考えていた。

 

一緒に帰る。

 

手をつなぐ。

 

デートをする。

 

そういう行為を重ねれば、恋人らしくなるのだと思っていた。

 

だが、おそらく逆なのだろう。

 

恋人だから決められたことをするのではない。

 

その相手と一緒にいたいと思った結果として、自然にすることが増えていく。

 

少なくとも今日は、そう思えた。

 

隣を見る。

 

堀北はこちらを見ずに歩いている。

 

ただ、つないでいる手は離れない。

 

次にどこへ連れていかれるのかは、まだ知らない。

 

知らないままでもいい。

 

そう思えること自体が、俺にとっては少し珍しい変化だった。

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