誰にでも出来る簡単な仕事(大嘘) 作:V3
平日の早朝5時……Aさんから連絡が来た。
偶々、起きていたので話を聞けば当然の如く仕事だった。
迎えが来てそのまま移動し……何処かの鍾乳洞にやって来た。
周りには誰もいなかった。
鍾乳洞の前には立ち入り禁止の看板らしきものがあったが。
字が何か鋭利なもので抉られていて……何だろう?
Aさんに渡されたライト付きのヘルメットを被り。
そのままAさんの先導の元、中へと入っていった。
「……今日は……誰もいないんですね」
「はい。井上様お一人になります」
Aさんは慣れた感じでスタスタと歩いていく。
よく見れば、道のように少し整備されていると感じる。
薄暗い鍾乳洞の中で、Aさんと俺のヘルメットのライトだけが周りを照らしていた。
水の流れる音などが微かに聞こえる。
もしかしたら、滝か川でも流れているのか。
足音もカツカツと響き、会話をするだけでも音が響く。
真っすぐに続いており、風の音がまるでゲームの亡者の声のように聞こえる。
今回は何をするのかと思いながらAさんについていき……ん?
「……これは……お墓……いや、違う?」
「……見えますか?」
「え? ……あ」
大きな石で作られた柱のような何か。
名前のようなものが刻まれているが全く読めない。
かなり古いものなのか所々か砕けたりしていた。
コケ塗れであり、黒い汚れのようなものまであった。
Aさんがその石柱の下に手を向けたので見てみれば――乳母車のようなものがある。
「……」
最初に見た時は無かった筈だ。
しかし、今見ればハッキリと見える。
何処から出て来たのか。いや、そもそも誰が置いたのか……まぁいいか。
ゆっくりと近寄り観察する。
見た目は木で作られたただの乳母車だ。
何の飾りも無ければ、現代のような機能美も無い。
本当にただ赤ん坊を乗せて運ぶだけのそれ。
何故、こんなところに乳母車があるのかと思っていれば――Aさんが今日の業務を説明する。
「本日の仕事は――お客様を目標の場所までお連れする事です」
「……前も似たようなものがあった気が……まぁいいか」
Aさんは詳しい説明を始める。
あの中には、“別のお客様”からの要望でお客様として扱うように言われている存在が乗っている、と。
丁重に扱うのは勿論だが、絶対に泣かせる事はしてはいけないと釘を刺された。
ルールは3つだ。
1つ、お客様を泣かせてはいけない。
2つ、お客様をぞんざいに扱ってはならない。
3つ、手を叩く音が三回聞こえれば、次に手を叩く音が三回鳴るまで動いてはならない。
以上であり、特に難しくは無いだろう。
兎に角、お客様の機嫌を損ねないようにすればいい。
そして、謎の手を叩く音にも注意する……それだけだ。
目的の場所はこの鍾乳洞の先。
抜けた先にある石の造形物が目印らしい。
距離にすれば、およそ……5kmほどらしい。
何とも長い鍾乳洞だ。
そんなに長い距離の鍾乳洞は知る限りでは1つくらいしか……Aさんが俺から距離をとる。
「それでは、どうぞ――お気をつけて」
「……」
Aさんはゆっくりと頭を下げた。
これ以上、説明すべき事はない、そういう意味だろう。
俺は何も言う事無く、乳母車へと更に近づき――
「――」
「……赤ん坊……まぁそうか」
乳母車の中から赤ん坊の声がした。
気になって見れば、白い布で包まれていた。
顔が見えるようになっていて……あぁ。
赤ん坊の声はしている。
が、人間の赤ん坊じゃない。
そもそも、命として定義できるかも分からない――“人形だった”。
目と鼻と口をくり抜いただけのそれ。
着物のようなものを纏っているが、明らかに木で作られただけのそれ。
が、確かな事は赤ん坊の声を発してる事と……心が、ある……のだろうか……まぁ、いいか。
「――!」
「……すみません」
マジマジと見ていれば、ぐずりそうな声がした。
俺は素直に謝罪し、乳母車を押して目的の場所へと向かった。
すると、機嫌を良くしてくれたようで、無邪気な声が聞こえた。
俺はガラガラと乳母車を押しながら、周りの景色を観光客のように眺めていた――
「……」
暫く、黙って乳母車を押していた。
手の叩く音は聞こえない。
特にこれといって障害物も無かった。
入り口から先も人の手で切り開いたかのように道もある程度舗装されていた。
順調に進んでいて――赤ん坊から声がした。
「――! ――!」
「…………アレが、欲しい……ですか?」
「――!」
赤ん坊がまるで何かを求めているような気がした。
感じるとかじゃない、心に直接伝えて来たような感覚だ。
視線を向けた先には、微かにきらりと光る石がある。
俺は乳母車を止める。
そして、足元に適当に転がっていた石で車輪を固定した。
絶対に動かないようにしてから、お客様に断りを入れてから石の方に近づいていき……おぉ。
「……」
水の流れ音がハッキリと聞こえた来た。
だからこそ、思わず足を止めて下を見る。
すると、ライトでも照らせないほどに下は谷底のようになっていた。
石と今俺が立っている場所の間は谷のようになっていて、どう頑張っても飛んでは渡れない距離だ。
下の方では水が流れているようだが暗くてよく見えない。
音からして勢いがあり、落ちればどこまで流されるか分からない。
キラキラと光っている石は谷を越えた先で……よし。
俺は周りを見る。
頭のライトで照らしていく。
どこか通れそうな道は無いかと探し……いけそうだな。
――ギリギリ渡れそうな道を見つけた。
正確には道じゃない。
ただ、適度に足を置ける窪みが続いているだけだ。
手をひっ掛けられる窪みも何とかありそうなだけで、結局は壁伝いで……まぁいいか。
俺は早速、壁の方に向かう。
そうして、近くで再度、手をかけられる場所や窪みを確認し――進む。
「……」
慌てる事無く、確実に進んでいく。
先ずは足で、その次に手を動かす。
下を見れば谷底であり、水の流れる音が響いている。
俺は視線を戻して、そのまま進んでいく。
進んで、進んで、進んで……谷を越えた。
しっかりと足を地面につく。
そうして、小走りで光る石の元へと向かった。
「……これか」
氷のようなもので少し固まっている青く光る石。
見ているだけで吸い込まれそうな不思議な力を感じる。
すぐ目の前にある。が、氷を溶かせるものは持っていない……軽く触ってみた。
「ん?」
触れただけだ。
しかし、氷はパラパラと砕けていく。
あっというまに氷による固定が解かれた。
俺は石をしっかりと掴み……まぁいいか。
そのままポケットに入れる。
そうして、お客様が早くとせかしているような気がしたので小走りで戻る。
暗いからこそ足元に注意して走る。
再び窪みなどを使って壁伝いに進み――今度は少し早く渡れた。
「よっと」
地面にしっかりと足をつける。
体についた汚れを払ってから小走りで戻る。
そうして、そのまま石をポケットから出す。
ぐずりそうなお客様の声を聞きながら、お客様の元へと急ぎ――
「どうぞ」
「――!」
石を布の上に乗せれば――お客様は嬉しそうな声を出していた。
どうやら、機嫌は良くなったようだ。
はしゃいでいるようであり、持ってきて良かったと思った。
俺はそう感じながら、そのまま乳母車を押そうとし――音だ。
パン、パン、パン――“手を叩く音が三回”。
「……」
「――?」
俺は足を止める。
その場から一歩も動かず、手が再び叩かれるのを待つ。
待って、待って、待って――“何かが来た”。
「――――」
すぐ近くだ。
息遣いのようなものが聞こえる。
女の声であり、すすり泣くような声だ。
ずるずると足を引きずるような音、そして鎖の音もする。
何がいるのか、そう思って――何かが俺の顔に触れる。
「……!」
冷たい――まるで、氷のようだ。
一本、また一本と触れたそれは――指だ。
伸ばされた爪が皮膚に触れて軽く傷をつける。
痛みだ。本物の痛みで――呼吸を小さくする。
感触を確かめている。
触れている存在が何かも分かっていない。
流れる血も認識できていないのか。
心臓がドクドクドクと強く鼓動する。
そうして、恐らくは巨大であろう何かが――俺の顔を覗き込んできた。
「――――」
「……」
視界の端で見えるもの。
血で赤黒く汚れた包帯を顔に巻き付けて。
髪は老婆のように真っ白で、歯はボロボロに腐り果てていた。
体には汚れてずたずたになった
ちらりと見えた足は半ばから折られていて、むき出しになった骨が歪な形に変異している。
それで無理矢理に体を支えているようだった。
手の部分には枷が嵌められていて、さび付いて千切られた鎖が地面で擦られていた。
「――」
「……」
巨大な女の化け物が吐息を吐く。
凄まじい死臭であり、心が震える程だ。
化け物は包帯の隙間から白濁とした眼球をぎょろぎょろと動かしていた。
気づかれたか、悟られたのか。
心臓の鼓動が速まっていくのを感じて――
「――チ、ガ、ウ――」
化け物は俺の顔から手を離す。
そうして、その場から離れようとして――お客様が声をあげた。
「――?」
「……!」
無垢な声だ。
傍にいる化け物に手を伸ばしているように感じた。
化け物は乳母車の中へと顔を近づける。
額に汗がにじむのを感じながら、俺は――
「――イ、イコ――イイ、コ――」
「――!」
化け物が優し気な声を出した。
すると、お客様は喜んでいたような気がする。
そうして、化け物は折られた足と鎖を引きずりながらどんどん離れていき――音が聞こえた。
手を叩く音が三回。
俺はハッとして周りを見る。
化け物の気配は消えていて、頬に触れれば傷は残っていた。
幻覚じゃない。
本物の怪物で……乳母車を押す。
「……」
あの化け物は何だったのか。
俺に対しては違うと言って、お客様に対しては優しげだった。
まるで、母親のような接し方で…………まぁいいか。
#
「……」
「――!」
乳母車を押しながら進んでいく。
道中、手を叩く音が聞こえて動きを止めれば、何度も同じような化け物に遭遇した。
ただ、少し違和感を覚えたのが……どの化け物も異なっている存在に感じた事だ。
一体一体が異なる姿をした化け物。
共通しているのが、女である事と手枷を嵌めていた事。
そして、顔を覗き込まれる度に見えた白濁とした目からは……強い怨念のようなものを感じた事か。
怨霊といえば、そうとも思える。
が、どの化け物もお客様に対してだけは優し気だった。
まるで、我が子に接するような……まぁいいか。
乳母車を押して進んでいく。
進んで、進んで、進んで…………ん?
足を止めた。
見れば、道が途切れている。
代わりに、透き通るように綺麗な水に満ちていて……小舟があった。
木で作られた小さな舟だ。
鍾乳洞の先は水が溜まっており、乳母車では進めない。
恐らくは、この舟に乗って進めという事だろう。
俺は少し考えた。
が、どう見てもそれ以外には考えられないと悟り――お客様に尋ねる。
「すみません。この先には舟でしかいけないので……抱き抱えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「――? ――!」
尋ねても明確な答えは返ってこない。
が、不快感や嫌な感じはお客様の声からは感じなかった。
俺は静かに頷き、お客様の包まれた布の下に手を差し込む。
そうして、細心の注意を払いながら抱き抱えた。
お客様は楽しそうだった。
俺は安心しながら、水の上に浮かぶ小舟に乗る。
「――と」
「――!」
やはり、揺れる。
水の上だからか足場が悪い。
もしも、舟に乗っている時にアレが来たら……まぁいいか。
「……?」
お客様に渡した青い石は念の為に白い布の中に入れておく。
これで、どこかに失くすことは無いだろう。
しかし、お客様を抱えている状態で、どうすれば舟を動かせるか。
櫂もオールも無さそうで、どうしたものかと思っていれば……舟が独りでに動き始めた。
水面を見れば、何かが舟を動かしている。
見えない何かで……まぁいいか。
俺は舟に腰を下ろす。
そうして、お客様が快適でいられるように丁度いい強さと間隔で体をぽんぽんと叩く。
ゆらゆらと揺らしてあげれば、気持ちよさそうな欠伸を掻いていた。
「……ふっ」
何故か分からないが、少し笑えた。
不思議な状況で、危険な仕事ではあるが……まぁ、いいか。
小舟は進む。
迷路のようになっていたが、舟は勝手に進んでいった。
右へ左へと曲がっていき――手を叩く音が聞こえる。
「――失礼します」
「――?」
舟が揺れる。
だからこそ、三回手を叩かれる前に――仰向けに寝る。
鍾乳洞の天井を見ながら、俺はお客様を胸に乗せる。
お客様が苦しくないように顔は上に向けていた。
咄嗟の判断であったが、舟が動いていても体自体は固定されていて――嫌な気配を感じた。
「「「――――」」」
真っ黒な何かを出している塊。
以前、祠の掃除の時に見た化け物が放出していたものに似ている。
吸い込むだけで体が悪くなってしまうようなもの。
本能がアレを吸い込んではいけないと俺に警告している気がした。
だからこそ、呼吸を止めて俺は空中で何かを探しているそれらを見つめる。
腐敗し冷たくなった大きな手。
さび付いた鉄枷がついたままで。
塊の中からそれが伸びて、ぎょろぎょろと白濁とした眼球が揺れている。
大きく裂けた口からは呪怨のような心が凍り付くような音が出ていた。
言葉と認識できない、ただ強い恨みが形を成したかのような恐ろしい音。
心臓が鼓動を強めるのを感じながら、俺はそんな化け物たちを見つめた。
強い恨みの籠った声。
が、掠れていてハッキリとは聞こえない。
ずっと何かを探しているようだった。
その声には憎悪や憎しみがハッキリと分かるほどだが……何でか、悲しさも感じられる気がする。
失くしたものを探すというのか。
いや、奪われたものを探しているのか……よく分からない。
「「「――――」」」
化け物たちはずっと漂っていた。
至近距離に迫って来て、黒い嫌なものが入り込みそうになる。
呼吸を止めたままでいた。
が、人間には限界がある。
何十分も呼吸を止めている事は俺には出来ない。
早く、去って欲しいなぁと思っていれば――お客様が光り始める。
「――!」
「「「――――!」」」
お客様の元気な声が響く。
そして、青い光を発したかと思えば――化け物たちが去っていく。
嫌な気配は一気に遠のき……三回、手を叩く音が響いた。
「――はぁ! はぁはぁ――ありがとうございます」
「――!」
お客様は笑っていた。
俺も少し笑って……ん?
鍾乳洞の先、光が漏れ出ていた。
光源でもあるのか。
分からないが、もうすぐ目的地かもしれない。
真っすぐに舟は進んでいく。
そうして、穴の先へと進めば――開けた場所に出た。
「おぉ」
「――?」
氷の柱が壁から枝のように生えている。
キラキラと光によって輝くそれらはまるでクリスタルのように見えた。
吐息が白くなっている。
とても寒い。まるで北極にいるような空気の冷たさだ。
更に上を見上げれば…………海?
一瞬、空かと思ったそれは水だった。
それも、海の中にしかいないような魚が泳いでいる。
光は月のそれか、それとも……いや、分からないな。
幻想的な場所だ。
しかし、あまり長くいてはいけない気がする。
俺は此処こそが目的の場所だろうと悟った。
そうして、お客様を何処へお連れすればいいのかと周りを確認し――お客様が声をあげる。
「――!」
「……あっち、ですか?」
心で感じ取った。
視線を向ければ、舟も勝手にその方向へと進む。
進んで、進んで、進んで…………見つけた。
開けた場所の中心。
そこにある石で作られた何か。
不思議な形であるが、それを見た瞬間に……。
「慰霊碑、か? ……何でこんなところに? ……まぁいいか」
考えても仕方がない。
俺は舟が慰霊碑らしきものに近づいたのを確認し。
手を伸ばして、慰霊碑の前の石台のようになった場所に――お客様を置いた。
「――!」
「……これでいい、のか?」
お客様は嬉しそうに笑っていた。
恐らく、これで今回の仕事は終わった。
そう認識し――手を叩く音が三回聞こえた。
「……!」
一瞬の油断。
仕事が終わったと心が勝手に判断してしまった。
だからこそ、安定した体勢をとる時間が無かった。
俺は咄嗟に両手を前に出した状態で体の動きを止める。
が、不安定な姿勢の上に、化け物の声か何かで激しく水面が揺れ始めた。
何とか踏ん張ろうとしたが――“体が動いてしまった”。
「「「――――ミィィィィツゥゥゥゥケェェェェタァァァァ――――」」」
「……!」
化け物たちの金切り声。
瞬間、入って来た穴から黒い何かが噴き出した。
それらは憎悪の叫びを発していた。
失敗した。
確実に死ぬ。
ここで全てが終わる。
短い人生であり、思う事は――あぁ。
「――――別に無いか」
「「「――――」」」
俺の空気のような呟き。
化け物たちが手を此方へと伸ばし口を大きく開いて襲い掛かって来るのが見える。
スローに感じる中で、俺はただジッとその景色を見つめて――――弾かれた。
「……?」
何が起きたのか。
一瞬、俺と化け物の間で稲妻のようなものが走ったのが見えた。
そう思っていれば――水面から何かが勢いよく飛び出す。
『――――』
奇妙な鳴き声を発する長大な何か。
化け物たちが狼狽えるのが分かった。
そして、突如現れたそれが瞬く間に、黒い何かを喰らっていく。
逃げまどう化け物たち。
が、現れた何かは目にも留まらぬ速さで化け物たちを追い詰める。
一体、また一体と喰われて行く。
恐ろしいまでの速さに精確な動き。
あんなにも恐ろしかった化け物たちがただの餌になり果てていた。
一瞬だった。
化け物たちの気配はあっという間に全て消えて――それと目が合う。
『――』
「……龍?」
全身に札のようなものをつけていた。
一枚一枚に刻まれているものは違うように見える。
強い念のようなものを感じるそれ。
化け物は容赦なく喰らったが、俺に対しては敵意は抱いていないようだった。
白い枝……いや、獣の骨のようなものが頭頂部らしきところから生えていた。
目は青い石のようなものを嵌めていて、歯は鉄のように見える。
人が作ったかのような龍であり、想像の龍とはまるで違うが――それはゆっくりと海へと昇って行った。
「……」
言葉はない、労いも無い。
ただ、俺の顔を見ただけだ。
そうして、役目を終えたのか、そのまま帰っていった。
不思議な存在とまた会ってしまった。
得体のしれない何かで、回を重ねる事にどんどん人の世から遠ざかっていくように感じる。
『奴らは気に入った奴には印をつけたがる。いらねぇもんまで与えて来るだろうさ……お前はその時、断ることなんて出来ねぇよ。絶対にな』
「……絶対、か」
斎藤さんの言葉を思い出す。
気に入った存在に与えられる印。
そして、断る事が出来ない何か。
もしかしたら、この瞬間にも俺は何かを与えられたのか。
自分自身の掌を見つめる。
変化は感じない、何時も通りの自分だ。
食欲があり、物欲があり、心があり……そうだな。
「まぁ、どうでもいいか」
俺は考える事を――やめた。
どの道、仕事を辞める選択肢は俺にない。
この仕事が気に入っている。
そして、段々と――理解できつつある気がしていた。