誰にでも出来る簡単な仕事(大嘘)   作:オタリオン

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17:10時間ほど共同生活するだけの仕事② ☆

 パタ、パタ、パタ……足音が静かに響く。

 

 何も聞こえない。

 誰もいない。

 霧が濃くて、空気が冷たくて――不気味だった。

 

「…………ッ!」

 

 口が勝手に動く。

 ガチガチガチと歯が鳴っていた。

 震えが止まらない、動悸も激しい。

 眩暈がするほどに――恐怖を感じていた。

 

 怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い――めっちゃ怖い!

 

 ゴミ袋をしっかりと持つ。

 そうして、何が何でも前だけを見て歩く。

 

 前を、前を、そう、前だけを見れば、いい――そう心に念じる。

 

 地図はしっかりと確認した。

 ゴミ捨て場までは真っすぐ進めばいいだけだ。

 迷う事なんて無い。

 簡単であり、誰でも出来るお使いのような――悲鳴が響く。

 

「ひぃ!」

 

 思わず声が出てしまう。

 何処から聞こえたのかは分からない。

 でも、確実に何処かの誰かが、し、しん……うぷ!

 

 吐き気がする。

 今にも胃の中のものをぶちまけそうだ。

 それどころか尿意までしてきて、全てを出したい衝動にかられる。

 女としての尊厳なんて気にしてられない。

 それほどまでのストレスが今の私の心を苦しめる。

 

 お金は欲しい。

 すごく欲しい。

 今すぐにでも欲しかった。

 あとちょっとでクズ共の借金をチャラに出来るんだ。

 

『黒美! またな!』

『元気でねぇ!』

『え?』

 

 あの日、小学校3年になったばかりの子供を置いて家を出て行ったクズ共。

 引き取ってくれた父方の祖父母も私の事を厄介そうにしていた。

 大学へは自力で行き、卒業すれば自分だけの力で生きていこうと誓った。

 明るい未来が待っている……そう錯覚していた。

 

『柳黒美さんだねぇ?』

『え?』

 

 突然、現れた強面の男達。

 一枚の紙きれを見せてきて、その時に、クズ共が多額の借金を残していったのを知った。

 当時の就職したての私では払いきれない額だった。

 アイツらは私の足元を見てきて、無理な返済プランを押し付けてきて……結果、こんな危ない仕事を再び受ける事になった。

 

 体で払うなんて真っ平だ。

 マグロ漁船もカニ漁船も繊細な私には向いていない。

 だからこそ、消去法で……何故か一番危ない仕事をしている。

 

 何で、どうして……私の人生はついていないのか。

 

「……っ!」

 

 憎い、憎い、憎すぎる……クズ共が、社会が、全てが!

 

 大学を出て、教員免許を取り。

 エロガキ共に毎日毎日、数学の授業をつけてやった。

 アイツらの視線は何時も何時も胸に向けられていた。

 

 あんな奴らは可愛い教え子でもなければ、可愛いお子さんでもない。

 盛りのついた猿であり、ゴブリンのようなものだ。

 汚らわしい欲望の権化でしかない。

 しかし、卑猥な視線如きで今の仕事を失う訳にはいかない。

 折角、奨学金制度までフルで利用してとった資格だ。

 腐っても公務員であり、安定した収入はある。

 

 が、それでも――足りないのよぉぉ!!

 

 欲しい、金が欲しい。

 無限に欲しい。

 欲しいものは山ほどある。

 怖い金貸しに借金なんて作っていなければ、今頃は旅行三昧だっただろう。

 推し活にも全力であり、ライブにだって行き放題だ。

 それが出来ない状況だからこそ――こんなヤバい仕事を受けてしまったんだ。

 

「う、うぷ! 気持ち悪い……うぷ!」

 

 悲鳴やら背中を這う薄ら寒い何かで今にも吐きそうだ。

 ストレスはマックスに近く、視界がブレている。

 足取りがおぼつかないが、絶対に振り向きはしない。

 振り返れば最期であり――背中にぴとりと何かが当たる。

 

「ひぃぃぃ!」

 

 咄嗟に振り返りそうになった。

 が、ギリギリで耐える。

 背中に直接、何かが触れていた。

 濡れていて、冷えていて、ケタケタと笑っていて――恐怖だ。

 

「ネェ、ネェ、ネェェェェ……ネェェ?」

「は、は、は、は、は、は、は……へ、へひ、ふ、ふひ」

 

 耳元で囁く何か。

 生暖かい吐息であり、体がぞくぞくとする。

 

 子供のようで、大人のような声。

 女のようで、男のような声。

 老人か、動物か、全く異なる何かか。

 

 分からない。

 何も、分からない。

 色々なものが混ざったかのような声だった。

 

 声だけではまるで想像のつかない何か。

 恐怖、戸惑い、混乱――違う。

 

 恐怖もそうだが、心を満たそうとしているのは――好奇心だ。

 

「……っ」

 

 ごくりと喉を鳴らす……見たい。

 

 振り向きたい、何であるか確かめたい。

 めちゃくちゃ気になる。

 さっと見て安心したいと思っている。

 何でかは分からない。でも、見なければストレスがどんどん増していく気がした。

 

 私の背に触れる何かはずっと同じことを呟く。

 私は重い脚を引きずりながらそれでも前へと進んでいった。

 

 一歩、一歩、進んでいくごとに後ろの方から聞こえる声が――増えていく。

 

 聞いた事も無い獣の声。

 聞いた事も無い何かの音。

 

 私の前から姿を消したクソ野郎共。

 私が子供の時に好きだった芸人の声。

 私が、私が、私が私が私が私が私私私私私私私――気が狂いそうだった。

 

「へ、ひ、ひぅ、ふ、ぁ、へ」

「「「ネェェェェェェェネェェェェェェ」」」

 

 無数の音、無数の声。

 後ろの方でずっと聞こえる。

 耳を貸しちゃいけない、気にしてはならない。

 しかし、耳を塞いでもハッキリと聞こえてくる。

 

 気になる、気になる、気になる気になる気になる気になる気になる……あ、あぁ。

 

「へ、へへ、ふひ、ふ、ふき、い、一回、一回だけ、見れば、ちょっと、だけ」

「「「ネェェェネェェェェェネェェェェェ?」」」

 

 首がゆっくりと後ろへと向いていく。

 足は止まっていた。

 が、ゴミを捨てに行くよりも今は後ろの何かを確認したい。

 

 心から湧き上がる好奇心が恐怖を上回っている。

 抗えない衝動が心を支配しようとしていた。

 私の体はそれを受け入れている。

 

 涙と鼻水を垂れていく。

 

 

 振り返ればきっと私は終わる。

 

 

 私の人生は終了だ。

 

 

 

 頭では分かっているのに、それでも体は言う事を――

 

 

 

『こっちを向くんじゃねぇよ――ゲロ豚がぁ♡』

「――み、やび、様?」

 

 

 

 私の脳内に響き渡る――超絶なるイケボ。

 

 

 

 薄れかけた意識が覚醒していく。

 振り返りかけていたが寸でのところで前に向き直った。

 私は今、確実に……雅様が、私を救ってくれた。

 

「そうだ。私は、こんな、ところで……雅様、私に……このゲロ豚に、力をぉぉ」

「「「ネェェeeェェネェェeェェNeぃぃぃeeェェェeェェェ!!!!」」」

 

 謎の声が強く聞こえる。

 私の心臓は激しく鼓動する。

 またしても、私の心が振り返るように脳に命令を下そうとしていた。

 私はそれを感じながら、ポケットに大切に仕舞っているボイスレコーダーを――再生した。

 

 

《くっせぇなゲロ豚ぁぁ! おい、お前、この俺様の前で――きったねぇ面さらしやがってよぉ♡》

「「「――――e」」」

 

 

 雅様の低音俺様系イケボが響き渡る。

 瞬間、強い吐き気が消えてなくなり――子宮が疼く。

 

 

《生きてて恥ずかしくねぇのか? たく、だらしねぇ体だな――たっぷりと、しごいてやるよ♡》

「「「――――e」」」

 

 

 雅様のボイスをマックスで再生する。

 普段であれば絶対に出来ない事だが。

 この状況を乗り越えるならば、これしか方法は――ないッ!

 

 雅様の私に対する情熱的なお言葉が周りに響く。

 その声が、私の脳内を甘くとろけさせるように支配していく。

 他はただの環境音であり、微塵も興味はない。

 私の世界……いや、私と雅様だけの甘くてとろけてぐスイートな……ふひ♡

 

「えへ、えへ、ぐひ、ぐひひ……み、雅様ぁぁ♡」

《気持ちの悪い声で鳴くんじゃねぇよ――雑魚がぁ♡》

「うひぃぃぃぃぃ!!!♡」

「「「――――」」」

 

 雅様との幸せ領域を展開する。

 何か変な音も聞こえるけど……どうでもいい。

 

 私はゴミ袋を両手で抱える。

 そうして、スキップをしながら脳内で勝手に雅様とのお散歩を想像する。

 

「私は犬で……いや、汚い豚でぇ……雅様が、ご主人様でぇぇ♡ ぐふ、ぐひ、ぐふひぃ!」

《おせぇんだよ。たく、クズでノロマで不細工で……俺様がいなけりゃどうしよもねぇんだからなぁ♡》

「おほぉぉぉぉぉぉ!!!♡」

「「「――――!!!」」」

 

 脳汁が半端じゃない。

 大音量で流しているせいで脳が――震えるぅぅぅ!!!

 

 ドーパミンがドバドバであり、快楽物質が半端じゃない。

 下着が濡れるのを感じながら、私はだらだらと鼻血を流す。

 

 雅様となら、例えどんなに悪辣な環境だろうとも――幸せだぁぁ♡

 

「あぁぁしゅきぃぃぃ♡ 一生、お仕えしますぅぅぅ♡」

 

 耳が孕んでしまう。

 雅様の魔法のようなお声を聞くだけで想像妊娠も楽勝だろう。

 雅様が願うのなら何だってする。

 例え、この命であろうとも捧げられる。

 私はそう考えて――

 

 

『黒美♡ 俺様を見てくれ♡』

「………………あぁ?」

 

 

 脳内に響く、雅様の声。

 甘く囁くような声で、私の名前を確かに言った。

 背後に気配を感じる。

 一度だけお会いした時に感じた雅様の薔薇の香りであり、後ろに立っているとでもいうのか。

 

 心臓がドク、ドク、ドクと鼓動する。

 私は足を止めた。

 すると、後ろにいる何かは私の首に触れて来た。

 まるで、前戯でもしているようななまめかしい触り方だ。

 

『黒美♡ さぁ俺様を』

「――失せろッ!!」

『……!?』

 

 殺気を飛ばす。

 本物じゃない、出来の悪い偽物だ。

 私はそのまま偽物を無視して歩き出す。

 すると、ゴミ捨て場が見えた。

 

 必死に偽物が叫ぶが無視。

 私はそのままゴミを――投げ捨てた。

 

 瞬間、偽物の気配は消えてなくなった。

 再び、本物の雅様のイケボが響き渡る。

 

 私はペッと唾を吐き捨てて家に戻っていく。

 

「雅様が豚の名前を? ファック……解釈違いにもほどがあるだろぉボケがぁ」

 

 忌々しい存在に心の中で中指を立てる。

 今までは恐怖しか感じなかった何か。

 雅様の物まねをした瞬間に恐怖は消え去った。

 

 アレはただのにわかだ。

 勝手にそう決めつけながら、私は雅様の本物の声を味わう。

 

 愛のある罵倒で、愛のある躾だ。

 痛みの中に、ほんの少しの優しさ。

 雅様にしか出せない本物のドSの魔力。

 声だけで豚を欲情させる魔性の存在で――

 

《誰の許可で、俺様以外にその汚ねぇ面を見せてんだ? はは――教育、してやるよ♡》

「おほ♡」

 

 お気にのボイスが流れた。

 そのせいで、腰が砕けそうになる。

 がくがくと足を震わせながらも私は何とか歩く。

 

 絶対に、絶対に借金を返して、私は本物の雅様に――会いに行きますぅぅ♡

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