仕事が無い日曜日の午前9時ごろ。
電車に乗って目的の場所の近くで待ち合わせし。
合流してから三人でタクシーに乗って移動した。
そうして、適当なところで降りてから細い道を歩いていき……。
柳さんがため息を零す。
「……ちょっと、まだ歩くの?」
「まぁまぁ、急かさない急かさない……そろそろかなぁ?」
「……此処を曲がって……あ、あれだ」
ルミ先輩と柳さんを引き連れて歩いていき……ようやく見つけた。
そこは小さなレストランだった。
外観はピンク色の屋根に白い壁で、庭のようなスペースには桜の木が植えられていた。
夏に咲いている夏桜であり、とても綺麗だと思った。
「へぇ……良い感じじゃない」
「可愛い系だね! ふふ」
「……そうですね」
手作り感のある可愛らしい看板が掲げられている。
店の名前は“魔法の桜キッチン”と書かれていた。
入店しようと思って扉を開けようとすれば――扉が勝手に開いた。
少し驚けば――開けたのはマイケルだった。
「おや? 皆さん! 今ご到着ですかぁ!? 待っていましたよぉ! ささ、入って入ってぇ!」
「お邪魔します」
「ありがとう!」
「……失礼します」
マイケルに促されて中へと入る。
すると、店の中は外観で見た以上に広く感じられた。
丸いテーブルには桜柄のクロスが敷かれていて。
壁には桜の枝などが美しく飾られていた。
全席禁煙のようで、ほのかに甘い香りが漂っていた。
とても統一感があり、綺麗に掃除されていた。
俺たちはマイケルに促されるままに、一番広くて陽の当たる場所に案内された。
「今日は皆さんの貸し切りデース! メニューに無いものでも作りますので、何でも言ってくださぁい!」
マイケルはどんと胸を叩いて鼻を鳴らす。
自信満々であり、俺たちは早速、渡されたメニュー表を開いてみた……おぉ。
「へぇ、凄いじゃない……和洋中。聞いた事も無い料理まで……これは迷うわねぇ」
「……多い……すげぇ」
「ふふん! 全て! ミーのオリジナル、デース!」
「「おぉ」」
マイケルの鼻が伸びているように錯覚した。
それほどまでに自身の料理に自信と誇りがあるんだろう。
そう思っていれば、ルミ先輩がぱたんとメニュー表を閉じた。
「――僕はシェフのおすすめパスタと特製コーンスープにライ麦パンとオリジナルフルーツジュースと特製ミートパイ!」
「はや!? てか頼み過ぎでしょ! ちょ、ちょっとは遠慮しなさいよ!」
「えぇ? でもでも、今日は好きなだけ食べていいんだよねぇ? ねぇ?」
「はい! 勿論デース! ミーに二言はありません! お腹がいっぱいになるまで食べていってくださぁい!」
「そ、そうなの? じゃ……この冷製パスタとポテトサラダにマンゴーミルクジュースと……こ、この特製魚介スープも!」
「了解デース! 先輩はぁ何にしますかぁ?」
「……醤油ラーメンと海老チャーハン……フカヒレのスープを」
「飲み物はいりませんかぁ?」
「……じゃ、冷たいウーロン茶で」
「了解デース! 少々、お待ちくださぁい!」
マイケルはメニュー表を回収し店の奥へと行ってしまう。
俺と柳さんは静かに息を吐き互いに視線を交わした。
「……で、その人は誰よ……昔馴染みみたいに話し掛けて来るけど」
「自己紹介まだだったかな? 私は伊達留美亜! 気軽にルミって呼んでよ!」
「いや、名前はまぁ重要だけど……もしかして、あの、仕事の?」
「はい。先輩です」
「せ、先輩? え、この女が? 嘘でしょ? アンタ、歳は幾つよ?」
「うーん? 歳? うーん……井上君は、僕が幾つに見える?」
「え、あぁ…………20歳?」
「うん! じゃ20歳で!」
「待てやコラ! なぁにが、じゃはたちでぇよ! バカにすんじゃないわよ! それだったら私だって20歳名乗るわ!」
「えー! 見えなぁい! もっと経験がありそうなのに」
「――キレちまったわ。表出ろや」
柳さんの顔に血管が浮かび上がる。
バキバキと手を鳴らして首で外に出ろとルミ先輩を脅す。
瞬間、ルミ先輩は俺の腕を掴んできた……え?
「えー? 暴力反対ぃ! 助けてよぉ井上君!」
「……柳さん」
「あぁ? 庇うなら、アンタもボコすわよ?」
「……ルミ先輩、両手持ち用のハンマーを片手で振り回してましたよ」
「………………へ、へぇ。ふ、ふぅん。ま、まぁ……今日のところは勘弁してやるわよ」
「ん? 何でそんな怯えた目をしてるの? どういう事? ねぇねぇ井上君?」
「……さぁ?」
俺は此処は言わない方がいいと思ってしらを切った。
すると、ルミ先輩は俺の肩を揺さぶって来る。
俺はぼけっとしながら外の景色を眺めて……足音が聞こえた。
「すみませぇん! お水をお持ちしましたぁ!」
「あ、忘れてたわ。ありがとー」
マイケルが水の入った透明のピッチャーとコップを3つ持って来てくれた。
マイケルはすぐにコップを置いて水を注いでくれた。
水の注がれる音が静かに響き、ルミ先輩は感嘆の息を漏らす。
「……綺麗な水だねぇ」
「違いが分かるんですか?」
思わず聞いてしまった。
マイケルは俺の質問にくすっと笑って厨房へと戻っていく。
ルミ先輩を再び見れば首を傾げていた。
「ん? んー……何となく!」
「アンタ、あんまこいつの話を真面に取らない方がいいわよ?」
「えぇ? どういう事ぉ? クロミちゃん!」
「ちゃん付けすんな! ……って、あれ? 私、アンタに名乗ったけ?」
「んー? 名乗ったよぉ。さっきの事でしょ?」
「え、いや……あれ……名乗った、かな? え、あぁ……そう、ね?」
「うん! そうだよ! ね、井上君?」
ルミ先輩は俺に視線を向けて来る。
その瞳には妖しげな光が灯っていて……まぁいいか。
「さぁ?」
「……ふふ、素直だなぁ」
「……?」
ルミ先輩の呟きに首を傾げる。
マイケルはそのまま奥へと戻っていった。
柳さんは喋り疲れたからとコップを手に取り口をつける。
「ん!?」
「「……?」」
カッと目を見開く柳さん。
そうして、キンキンに冷えた水をごくごくと喉を鳴らして飲んでいき――ドンと机に叩きつけた。
「はぁはぁはぁはぁ、何よ、これ……超バカうめぇじゃないのぉ!?」
「……そうなんですか?」
「そうよ!! 飲んでみなさいよ!! 私は飲むわよ!!」
柳さんはピッチャーを手に取りお代わりを注ぐ。
俺とルミ先輩は視線を交わし、おずおずとコップに手を伸ばす。
柳さんがごくごくと喉を鳴らす音を聞きながら、コップに口をつけて……っ!
口の中に水が入った瞬間――草原が視界に広がった。
まるで、人がいない未開の地。
草食動物と植物たちしか存在しない大草原のど真ん中で湧き出た清らかな水。
口に入ればそのままするすると喉を通り胃の中へと入る。
キンキンに冷えていながらも、体に優しく浸透していくようだ。
一欠けらの抵抗も無く、元々、体にあったかのように馴染んでいく。
それでいて、水本来の味わいというのか……表現できないが素直に……“美味しい”と感じる。
「ふあぁぁぁ……すげぇわぁ。これぇぇ体に馴染むっていうかぁ元々血として流れていたものっていうのかぁ……体が疑問に感じずに受け入れてるっていうのぉ? そう、まるで、体の相性を超越した一心同体の関係のようなぁ。言葉が不要の心で通じあうような絶対的信頼の相手って言うのかぁ? 兎に角、こいつは私の脳からつま先まで満たしてくれる魔法の水よぉぉ……うめぇぇ」
「……美味しいですね」
「うんうん! これは良い水だね!」
柳さんが酔っぱらいのような破顔をさらけ出していた。
そうして、ガバガバと水を飲んでいく。
俺は流石にそんなに水を飲んだら腹が膨れると注意し――柳さんが急に立ち上がる。
「と、トイレ!」
「え?」
「ま、マイケル!? トイレはどこぉ!?」
「んー? 突き当りを右デース」
「んー!」
柳さんはトイレへと駆けこんでいった。
腹でも下したのかと思いながらも、俺はちびちびと水を飲んだ。
結局、料理が運ばれて来る直前に柳さんは帰って来た。
大丈夫かと聞こうとすれば……妙に顔色が明るくなっていた。
肌がつやつやしていてクマも消えていた。
何があったのかと聞けば、何故か、大量の尿と共に色々なものが流れ出たらしい。
疲労やらストレスやららしく。
全てを出し終えたら、体が羽のように軽くなったと喜んでいた。
魔法の水のお陰だと言っていて、帰りにマイケルに水を売ってもらおうとまで言っていた。
凄いと思っていれば、マイケルの料理が運ばれて来る。
最初に到着したのはルミ先輩の料理だった。
どれも美味しそうであり、見ているだけでも美しいと思った。
ルミ先輩は手を合わせてから早速食べ始める。
先ずは緑色をした不思議なパスタで、ルミ先輩は一口食べて嬉しそうな顔をしていた。
どうやら、バジルとチーズを使ったパスタらしい。
濃厚なチーズとさっぱりとしたバジルの風味がとても良く。
全体的なバランスも整えられていて、後味もすっきりとしていたらしい。
ライ麦のパンもやわらかくもちもちとしていて、ライ麦本来の甘みがよく出ていたという。
フルーツジュースはまるで虹色のようで、マイケルはスプーンでお好みで混ぜて飲んで欲しいと言っていた。
言われた通りにルミ先輩がスプーンで軽く混ぜると、面白いくらいに色が変わっていくのだ。
そうして、試しに飲んでみれば、その都度に味が変わりすごく面白いとルミ先輩は言っていた。
ミートパイもパイ生地はサクサク、中はほくほくで肉はとろけるようで。
肉汁が飛び出すほどであり、噛めば噛むほどに旨味が爆発しているようだと言っていた。
大変満足したようで、次に柳さんの料理が運ばれてきた。
柳さんは待ってましたと料理を食べ始めて――狂ったように貪り食っていた。
「んんんん!!!! んんんまぁぁぁいぃぃぃ!!! なにおこへぇぇぇ!!!! 手がぁぁぁぁ手が止まらないぃぃぃぃぃ幸せが溢れて私の脳を侵していくぅぅぅぅぅ!!!! これはぁぁこれはぁぁぁ魔法を超えた禁術よぉぉぉぉぉんんんまぁぁぁいぃぃぃぃい!!!」
「……」
目の前でガチャガチャと音を立てて食べている。
食事というよりは餌のように見える。
昔、子供の時に見た日本のアニメ映画で見た事がある。
有名な作品であり、あれは確か……豚になって……勝手に神様の料理を……まぁいいか。
「んんんんひぃぃぃぃぃぃ!!!」
「……面白い人だね!」
「あ、はい」
最早、麻薬でも決めているんじゃないかと思える顔をしていた。
そっとしておこうと目を逸らせば、マイケルが俺の料理を運んできてくれていた。
「お待たせしましたぁ! どうぞぉ!」
「ありがとう……おぉ」
熱々の醤油ラーメンにほかほかの海老チャーハン。
細く切ったものじゃないちゃんとしたフカヒレが入ったスープに。
大きなグラスに入ったウーロン茶。
「いただきます」
俺は早速箸とレンゲを取り、ラーメンを食べ始める。
湯気の昇るそれに箸とレンゲを沈めて、麺をスープに絡ませながらレンゲで掬う。
そうして、口でずずっと啜り……おぉぉぉ。
『――――!』
またしても、目の前に情景が広がる。
にこやかな顔で笑うアジア系の人たち。
枯れ木のように細い体の老人が一心不乱に麺を打っていた。
叩いて伸ばし、叩いて伸ばし。
本数を増やしながらも、1本も切れる事はない。
無数の黄金色の糸がきらきらと輝き、ぐつぐつと煮える湯の中で踊る。
小麦の香りが湯気と共に鼻孔を擽り、その熱気にあてられて職人の額から汗が迸る。
丹念に、無駄がなく。
一つ一つに時間を掛けて、真心を込めて麺を作る。
スープには山ほどの具材を使いながらも、巧みな調整によって全ての味が上手く噛みあっていた。
まるで、千ピースのパズルのように、全てが嵌まるように計算されている。
醤油にニンニクにショウガ……俺の舌では分からない味が無数にある。
具材は刻んだネギとメンマだけだ。
それなのに、これほどに深く繊細な味は……気づけばチャーハンにも手が伸びていた。
ほかほかの米。
それを口につければ――鶏が鳴いていた。
『――――!!!』
朝を告げる大合唱。
太陽が水平線から昇っていく。
そして、海では無数の海老が海面から飛び上がり躍っていた。
米粒一つ一つにしっかりと熱を加えて。
余分な水っぽさは無く、パラパラとしていた。
丁度いい水分量であり、口に入れても乾く事は無い。
味付けはシンプルであり塩と胡椒だ。
が、それだけでも素材本来の味が十二分に出ている。
想像を絶するほどの絶品であり、スープにも手が伸びていく。
美味い……美味すぎる。
これほどまでに美味いフカヒレを食べた事が無い。
スープは熱すぎずぬるくもなく。
程よい温度でするすると胃の中に流れていく。
体の中からぽかぽかとしていき、思考が真っ白になりそうになっていた。
料理でこれほどまでに感動した事は無い。
満足した。十分だった。
そう思いながら、最後にウーロン茶を飲んで――涙が流れた。
見える。見えるぞ……霧深き高原にてアジア系のおばあちゃんたちが手を振っている。
プロの手によって丁寧に摘み取られて。
優しくも温かい陽の光で時間を掛けて……真心だ。
一つの一つの作業で手を抜かず。
お客様の笑顔を考えて作られた最高級の茶葉。
それをマイケル独自の抽出方法によって、素材の可能性を120%引き出していた。
水が良く、最適な方法で。
素材と技が見事に調和し……俺は静かに手を合わせた。
「ごちそう……さま、でした」
「……ハンカチいる?」
「いえ……ありがとうございます」
俺はポケットからハンカチを出す。
そうして、勝手に流れ出る涙と鼻水を拭った。
これほどに泣いたのは何時ぶりか。
覚えているのは小学生の頃か。
社会に出て流す涙はとっくに無くなったと思っていたが……凄いな。
「あ、あああ、ああぁぁぁぁ。や、やばいぃぃもっとぉぉもっとぉぉぉ」
「あ、お代わりですか? 何を」
「全部寄越せぇぇぇぇ!!!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!?」
「「……」」
柳さんが眼光を光らせて叫ぶ。
ふしゅふしゅと息を吐いていて、完全に飢えた獣であり……そっとしておこう。
俺は静かに息を吐く。
今日という日は忘れられない日になったのかもしれない。
料理で感動し、涙どころか鼻水まで出た。
心が躍ったとまで言えるだろう……幸せ、なのか。
「……嬉しそうだね」
「え……あぁ……そう、ですね」
俺はルミ先輩に指摘されて頬を掻く。
自分で気づいたんだ、他人から見てもそう見えるんだろう。
前職を辞めてフリーターになったが……ゲーム以外でも感動する事はあるんだな。
「……ふっ」
「……」
俺は少しだけ嬉しくなった。
そうして、ルミ先輩を見て――ぞくりとした。
一瞬、ほんの一瞬……“冷たい目をしていた”。
まるで、残念に思ったかのような視線だった。
が、ほんの一瞬であり、ルミ先輩はにこりとした。
「よぉし! 私も追加で頼んじゃおうかなぁ!」
「寄越せぇぇぇぇ!! 寄越せぇぇぇぇ!!! ふぎぃぃぃぃ!!」
「…………柳さん?」
俺は柳さんの反応を見て少し怯えた。
魔法の料理だとは思ったが……危ないものでも入っていたのか?