誰にでも出来る簡単な仕事(大嘘) 作:V3
手番は進んで……1時間くらい経ったのかな?
「……うげぇ」
ぬちゃりと皿の上に置かれた“何かの脳みそ”を手に持つ。
弾力があり、新鮮なのか温かさがある。
小さめであり動物か。それとも、子供の……まぁいいか。
真っ赤な血でべったりであり、何の調理もされていない。
説明も無ければ味付けもされていないそれを――喰らう。
「はぐ、あぐ、うぐ…………えっぷ…………まず」
ぬちゃぬちゃと口を動かし、全て咀嚼した。
想像していた以上に変な味がした。
臭いしキモいしで最悪だ。
今まで食べたどんなものよりも不味く、吐き気すらしていた。
ポケットからハンカチを出して手と口を拭う。
そうして、持ってきたお茶で口の中をゆすぐ。
BGMが鳴り、次の手番に移り……ん?
《……脳みそって、あ、アイツ、本当に……っ……いえ、問題、ない……でも、次は、何を……っ》
「……どうしたんだろう?」
全然進まない。
彼女の車は俺の前に停まっている。
何しているんだろうと思っていた。
何やら頭を抱えながら震えているように見えるが……怖がってるのかな?
マスはそれなりに進んだと思う。
ゴールまでもう少しなんじゃないかと思っていた。
頑張っていれば、誰かしらがゴール出来る筈だ。
最初に受けた説明からして、必ず全員がゴールする必要はないと理解できる。
誰でもいいからゴールすればいい……多分ね。
ただ、マスを進めば進むほどにマスに書かれた内容もぶっ飛んできた。
普通のゲームでは絶対にあり得ない命令ばかりだった。
正直、仕事でなければやりたくはない。
爪を剥がせや、熱したスプーンを10秒握れなど。
俺や泉春子さんに関しては、ゲテモノなんか目じゃないようなものばかり食べさせられていた。
何かの生の脳みそやら腐った牛乳や生卵を混ぜ合わせたかのような悪臭がする目が痛いと感じた謎ドリンク。
泉春子さんも吐きそうになりながらも何かを食べていたようで、恐らくは似たようなものだと思った。
彼女は以前のお客様からの好意である程度の耐性をつけていたからいいものの……次は何を喰わされるんだろう?
体調に関しては変化はない。
腹が痛くなる事も、高熱にうなされる事も無い。
そもそも、それなりに食べているのに驚くほどに“軽い空腹”だ。
“不自然なほどに健康”でもあり、これこそがルールを守る上での保障の一つだと理解した。
ルールさえ守っていれば死ぬ事はない。
どんなに体が受け付けないようなものでも頑張れば飲み込める。
恐らくは、参加者の誰もが考えている事で……ようやく車が進み始めた。
女性の車は三マス目で停まった。
彼女は無言でカードの内容を見ていて――息を呑むのが分かった。
《……ぅ! げぇぇ!!》
「……え、吐いた? 嘘?」
盛大に吐いている。
何が起きたのかと考えて――怒声が響く。
《こんなの無理よ!! 人の、ひ、人の、臓物って、10分以内に……うぷ!》
「……うへぇ、そういう系? やだなぁ……まぁ食べるしかないと思うけども」
カニバリズムであり、真面な人間なら食べる事は無いだろう。
そもそも、何処でそんなものを調達して来たのか。
可哀そうだと思うし、変な臭いがするだろうなぁと思う。
でも、仕事なので早く食べた方が良い。
心の中で、鼻でも摘まんで食べればなど考えながら鼠の執事を見れば……懐中時計を見せつけていた。
「――!」
「…………おやつ時か」
チクタクと針が動いている。
会場についた時は12時を回っていた。
今見れば3時を過ぎていた。
10分あれば、まぁ量によっては食べようと思えば出来るけど……無理かなぁ。
《う、うぅ、こ、こんなの、こんなのって……うぅ!? おえぇぇ!》
「また吐いたかぁ……気の毒だけど……ゲームしようっと」
時間が掛かりそうなので端末を取り出す。
そして、機内モードでも遊べるパズルゲームを始めた。
その間も、嗚咽やら汚濁が響いている。
俺は暫くゲームを続ける。
すると、女性が金切り声を上げ始めた。
《焼いてよ!! せめて調理を!! こんなのじゃ、食べても病気に、いや、臭いも……ねぇ!! ねぇってば!?》
「――!」
鼠の執事が不気味に笑っているのが聞こえた。
女性は泣き叫んでいて――時計の鳴る音が響いた。
まるで、鐘の音のように響いていた。
明らかに、今までのBGMの音じゃない。
端末をポケットに戻して周りを見れば……お?
「……!? え、な、何? 何で、私だけ……へ?」
何故か、車から外に出て元の大きさに戻っている女性。
こちらの視点からすれば巨人で、彼女の声もよく聞こえる。
ひどい顔であり、化粧が涙と鼻水で落ちていた。
彼女は何が起きているのかと周りを見て――頭の上にゆっくりと青白い手がのっかった。
「へ? え、あ、いや、いや、いやぁぁぁぁぁ!!!!」
「何処に行くんだ……?」
無数の青白い手が暗闇から伸びる。
その手が女性の体を掴んでゆっくりと暗闇へと引きずり込んでいく。
彼女は泣き叫びながら必死に抵抗する。
「うぉ……びっくりしたぁ」
「いやぁぁぁぁ助けてぇぇぇぇ!!! 死にたくないぃぃぃぃぃ!!」
どんと音がしてテーブル全体が大きく揺れた。
床に倒れたようで、爪でひっかくような音もやけに鮮明に聞こえる。
鬼気迫る声であり、まるでホラー映画のワンシーンのようだ。
が、抵抗も空しくどんどんと暗闇の中へと引きずり込まれていったようで――
「ま、待って、いや、来ないで、来ないでぇぇ!? ば、化け物ぉぉぉ! 化け物ぉぉぉあああぎゃあああぁぁぁいだいいだいぃぃぃぃ!!」
ブチブチブチと肉を千切るような音が聞こえる。
骨が折れて砕かれる音にすりつぶすような音。
くちゃくちゃというクチャラーのような音も聞こえてくる。
何が起きているのは見えてない。
ただそれっぽい音が聞こえるだけだった。
派手な音が響く度に、連れていかれた女性の悲痛な叫びが響く……あぁ。
「……食べられてる……痛いだろうなぁ……あんな死に方だけは嫌だよなぁ」
「いだいいだいいだいぃぃぃぃい!! ひぎぃぃぃぃああああぁぁ!!? あがぁあたまがぁぁぁやべでぇぇぇつぶれぇぇぇ」
「……ゾンビ的なあれかなぁ……まぁルールを守れば問題ないし……甘いものないかな?」
派手な食事の音と女の人の叫びが混じり合う。
血反吐を吐いているのか声も変に聞こえる。
吐いたり男のような低い唸り声も響き――ゴバリという何かを砕いた音が響いた。
「…………終わったのかなぁ?」
食事が終わったのか静かになった。
俺は口笛を吹きながら外の景色を眺めて暫く待つ。
すると、息遣いのようなものが聞こえてきて……次だな。
《…………あ、ぼ、僕……は、はは、ぞ、臓物くらい食べるなんてさ、何とも……死なないから、死なない、から……は、はは》
「……あの鼠、歯が綺麗だなぁ」
マッシュヘッド君がぶつぶつと何かを言っている。
が、後方から彼の車が来る気配はない。
先ほどの光景がそれほどにショックだったのか……眠い。
「…………何のソフトを買おうかなぁ……やっぱり、王道のファンタジー系か? それとも、ゾンビ系?」
ハンドルを指で叩きながら、貰った金で何を買おうかと考える。
すると、後方からエンジン音が聞こえて来た。
彼の車はそのまま――俺のマスで停まった。
《……! よし! おじさんが食べたのは何かの脳みそだったね! そ、それなら…………へ?》
「……ん? アレってぇ……錆びたのこぎり? DIYか?」
木工でもするのかと思っていれば――マッシュ君が叫んでいた。
《ひぃ! お、おかしいですよ!! お、同じマスなのに違う内容で!? る、ルールを守れば命の保障は!! う、腕を切ったら死んじゃうじゃないですかぁ!?》
「……腕を切るのか……えげつないなぁ」
普通に考えれば、片腕でも切断すればショック死か失血死だろう。
自殺なんてさせないなんて言いながらもやる事はその類の事で……まぁ大丈夫だろう。
マッシュ君を見ていれば、俺の視線に気づいたようだった。
涙と鼻水を垂らしながら、窓を叩いて助けを求めて来た。
《お、おじさん! 代わってください!! お願いします!! ぼ、僕はぁ、まだ未来がぁ、子供でぇ、だからぁ》
「……普通ってこういう時どうするんだっけか……取り敢えず、笑っておくか。ニッ」
《……!! バカに、しやがって!! このぉぉぉお!!》
「……? 何で怒ってるんだ?」
マッシュ君は怒りの表情で窓ガラスを殴り始めた。
怒りに任せての殴打で、窓ガラスには血がついていた。
何してるんだろうと思っていれば、鼠執事の笑い声が聞こえてくる。
これみよがしに時計を見せていて、恐怖をあおっていた。
マッシュ君は過呼吸気味になりながらも、のこぎりを握った。
《や、やって、やる。やらなきゃ、どうせ、死ぬんだ。だ、ったら、片腕になっても、ここ、で……いぃ!?》
「…………あぁ痛そうだなぁ。血って洗濯しても中々おちないんだよなぁ」
のこぎりで軽く腕を斬ったマッシュ君。
が、血が少し滲んだだけでのこぎりを退けていた。
アレでは絶対に無理であり……笑い出したぞ?
《ふ、ふひ、ふき、うき、きき、へ、へは、こ、これはぁ、悪い、夢だぁ、こ、この、天才の、僕が、こ、こんな、事で》
「……あ、ガム入ってる。ラッキー」
車のポケットを漁ったら、謎のガムが出て来た。
食べたらダメとは言われていないので包装を解いて口に入れる……ブドウ味だ。
くちゃくちゃと食べていれば――また時計の音が鳴った。
視線を徐に上げれば、マッシュ君も外に出ていた。
彼は顔を土気色にして笑っていて――無数の手に捕まれた。
「ひ、ひひ、ひひひ! 僕はお金持ちでぇ人気者でぇぇ!! 日本をしょって立つ男でぇぇぇひあああぁぁぁいだいいだいいだいぃぃぃぃ僕の腕がぁぁぁ!!! 足がぁぁぁぁ!!? 食べにぁがあぁあああああぁぁぁ――――…………」
「……あれ、これガムじゃなくてチューイングキャンディ? どうりで甘い訳だよ……美味いな」
ガムと思ったものが唾液で溶けた。
まぁ美味しければ別にいいと考えて――
#
《――ぐ、ぎぃ! あぁぁぁ!! ……はぁはぁはぁ、ど、どうだぁ!》
「おぉ、凄いなぁ」
二名以外は脱落する事無くゲームは進んでいった。
ホストさんも今しがたペンチで自らの片方の指を全て潰した。
すごい根性であり、俺は感心していて……サイコロを振る。
出た目は……6だ。
全員を追い抜いて再びトップに躍り出た。
カードが出てきて開いてみれば……へぇ。
「3分以内に片目を手でえぐり取る……消毒しとこうか」
俺はバッグを漁る。
そうして、消毒液を出して手に振りかけた。
両手を擦り合わせて、準備を整えて――左目の隙間に指を指し込む。
「いて、いてて、いててて」
目が激痛を発していた。
本物の痛みであり、小便を漏らしそうなほど痛い。
俺は眼球の根元まで指を指し込み――勢いよく引き抜く。
ぶちぶちという音が聞こえた気がした。
そうして、左の視界が完全に潰れた。
だらだらと血が流れていて、手も真っ赤で燃えるような痛みがあって……結構、綺麗な目だな。
「すみませぇん。これ、どうしたらいいですかぁ? あのぉ……置いとくか」
べちゃりと助手席におく。
BGMが流れて、クリアしたと告げられる。
そして、お坊さんの手番となり、彼はすぐに進み始めた。
彼は俺の後ろで停まった。
あの人は相当に肝が据わっていると思う。
全く動じていないし、やっぱり神様を信じている人は凄いなぁっと思って――彼が叫ぶ。
《な、何と、何と! あ、あぁぁ! こ、神々しいぃ! 目の前に、観音様がぁぁ……! 観音様に対して、唾を……ふざけるな!!! 誰がそのような事を!!!》
「……あれ?」
風向きが変わったようだ。
お坊さんは念仏を唱え始めた。
書かれた事はしていないようで、ただ時間だけが流れていく。
これはまさかと思っていれば――時計の音が鳴った。
「あちゃぁ」
「あぁ、私は幸せだ。人として生まれ、命ある間に観音様のお姿をこの目に……あぁ、悔いはない」
お坊さんは満面の笑みで涙を流していた。
彼は最後まで祈りを捧げたまま連れていかれて……次だな。
《……っ! クソ、いかれてやがる! 大金が掛かってなかったらこんなこと……よし! 6だ! あと少しで!》
彼は俺を追い抜いて先へ進んでいった。
ゴールは近い、もうすぐの筈だ。
もうすぐ仕事が終わるんだと俺も思って……ん?
《――――》
彼が急に黙った。
何が起きているのかと思っていれば……泣き始めた。
《イチ? おい、嘘だろ。お前なのか、イチ? は、はは、マジかよ》
「……イチって誰だ?」
前の方で停まっている彼の車を凝視する。
すると、小さくて尻尾のある何かを抱きしめていて……犬か?
《は、はは、分かるよ。本物だってな。忘れるもんかよ。1年前に死んだお前が俺の前に……殺せるわけ、ねぇだろう?》
「……うわぁ、これはぁ……」
俺には彼の気持ちはよく分からないが。
恐らく、絶対に無理であろう内容だったことは分かる。
彼は暫く犬を抱きしめていて、楽しそうにしていた。
和やかであり、その声を聞いて……タイムリミットが来た。
見上げれば、可愛い柴犬と共に彼が現れていた。
彼はそっと地面に犬を下ろしていた。
「イチ、ごめんな……そこのアンタ、悪いけど……頼むな?」
「……?」
彼が俺の方を見て来た。
何の事かと見ていれば――彼は目を閉じたまま連れていかれた。
肉を噛みちぎる音などの食事音が聞こえる。
が、悲鳴などは全くない。
無言で食われていて、犬が悲し気な鳴き声を…………静かになる。
《う、うぅ、こんなの、こんなのって、酷すぎます、う、うぅ》
泉春子さんは泣いていた。
が、後ろにある彼女の車はすぐに動き出した。
俺のニマス前で止まった。
彼女はカードを見て――絶句していた。
《――ぇ? 弟を、ころ……!? 正太郎!? 何で此処に!? 病院に、で、でも、本物で》
「……?」
目を凝らして見れば、助手席の方を見ている。
何かに驚いている様子で……彼女はナイフを握っていた。
《これで、心臓を……う、嘘? そんなの、出来る、わけ、は、はは……うぅ!?》
「……うーん……どうかなぁ?」
俺の声は聞こえない。
だからこそ、アドバイスもしてあげられない。
やるかやらないかは彼女次第で――彼女はナイフを動かした。
《ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ――う!》
《いぎ!? え、あ、い、いだいいだい!!! お、お姉ちゃん!! 何を!? や、やめて!!》
《大丈夫!! 大丈夫だから!!!》
《いだいいだいいだいぃぃぃ!! やめでぇぇぇ!!》
《ふぅ!! うぅぅぅ!!》
「…………可哀そうだな」
肉を裂く音が聞こえる。
弟の叫び声と泉春子さんの息遣い。
リアルであり、映画やドラマ以上に恐ろしく……やばいな。
暫く、もみ合うような音が聞こえていた。
が、段々と音は小さくなっていく……あ、BGMだ。
《はぁはぁはぁ……6を、出してください。信じて、ます。は、はは》
「……6ねぇ。出るかなぁ」
6を出せばゴールらしい。
サイコロが出てきて、手の中で振る。
出来たら6を出して欲しいと“信じてもいない神様”にお願いし……あ、出た。
エンジンが始動し車が進む。
泉春子さんの車を追い抜く途中、血まみれの彼女と苦悶の表情を浮かべる弟君の死体が見えた。
彼女の胸のあたりにはいつの間にかあの時、酒井さんから貰ったというお守りがあった。
俺は彼女の車を追い抜きそのままゴールらしき地点までいき……よし。
「これで……あれ?」
カードが出て来た。
中身を見て――周りの景色が変わる。
元の大きさに戻っていた。
前には血まみれの泉春子さんが立っている。
彼女は涙と鼻水に塗れた顔で笑っていた。
前髪の隙間から見える黒い瞳は光が無く濁りかけていた。
「あ、外に……これで、クリアですか? は、はは」
「いや、まだみたいだね」
「え、それってどういう……? それ、拳銃、ですか? え、何を――ぇ?」
俺は拳銃を――泉春子さんに構えた。
彼女は目を丸くしていたが。
俺は説明する時間は無いからと――引き金を引いた。
火薬が爆ぜて弾丸が発射された。
弾丸は真っすぐに進み彼女の眉間を撃ち抜いて――べしゃりと倒れた。
ぴくぴくと失神していた。
血と脳漿が床に広がっていて、ちょろちょろと彼女のまたぐらから……うし。
「これでいいですか? あ、これお返ししますね」
「――!」
鼠執事の元へと行き、テーブルに拳銃を置く。
すると、彼は不気味な鳴き声を発し始めた。
パチパチと手を叩き始めて、周りからも拍手が聞こえて来た。
笑い声まで響き始めて――――…………
…………――――目を開く。
「お疲れ様です」
「……あ、どうも」
ホテルの受付に戻っていた。
見れば、封筒ではなく。
豪華な布に包んだ札束らしきものを持ったAさんが立っていた。
視界は戻っていた。
他の怪我も服の汚れも消えて元通りで……目が合う。
「……!」
「あ、お疲れ様」
片手をあげて――泉春子さんを労う。
彼女はハッとして自らの体を確認する。
呼吸が大きく乱れていて、両手で顔を掴んでガチガチと歯を鳴らしていた。
どうかしたのかと思って近くに寄って――平手打ちをくらわされた。
「……いたぁ」
「……何で、あの時、私を……どうしてですか」
「……? あぁ……あ、撃った事かなぁ?」
「……っ!」
彼女の手は震えていた。
前髪の隙間から見える瞳は濡れている。
恐怖と怒りと強い失望感。
あの時、あの瞬間の俺の行動に対して、彼女は明らかに非難の目を向けていた。
「どうしてって……15秒以内にやれって書かれてたから」
「……ッ! 何で!! どうして!! 貴方には迷いがないんですか!? 私は馬鹿で間抜けですよ!! 貴方は優秀で、誰よりもこの仕事に向いていると思います!! 今回の事だって、きっと、貴方の中では大丈夫だって分かっていて……っ。でも、少しくらい……私は貴方を信頼していて貴方の事を……尊敬、して……撃った事を責めているじゃないんです。あの行動の結果、私は、生きているんだと分かります……でも、それ、でも……もし、私じゃなくて、親兄弟……恋人でも同じことが出来たんですか?」
泉春子さんがゆっくりと顔を上げた。
笑っている。が、その笑みはひどく脆そうに見えた。
ちらりと見える目は完全に闇に染まっていた。
壊れかけた人間の目で、前の職場で何度も見ていた。
救いを求める子供のように、ジッと俺を見つめて――
「――うん」
「……! 人間、じゃない。貴方は、おかしい。狂って、いますよ……っ……人の皮を被った……怪物です」
「――え、そう?」
「ひぃ」
泉春子さんは一歩下がった。
そうして、最初の時とはまるで違う――恐怖の目で俺を見て来る。
「泉春子様、こちらを」
「……っ! さよう、なら……っ」
「あ、うん。気を付けてねぇ」
彼女はお金を受け取り走り去る。
俺はそんな彼女に手を振る……さて。
俺も金を受け取る。
そうして、帰ろうとして――呼び止められた。
「ん? 何でしょうか?」
「……もしや、全て分かっていたのでしょうか。どのような事が起きても、元に戻ると」
「え、あぁ……まぁ契約でそう書いていたので……確信は無かったですけど」
「……もし、間違っていたら?」
「え? いや、それはまぁ――”仕方ない”ですよ、はは」
「…………次回も“心より”よろしくお願いします」
「……? あ、はい。それでは……ん?」
「――」
彼女は深々と頭を下げる。
帰ろうとすれば、何故か、足元に茶系の柴犬がいた。
何処から迷い込んだのかを考えて……あぁ。
「……イチだったよな……来るか?」
「ワン!」
「……まぁいいか」
金をバッグに詰めて歩き出す。
イチはそんな俺の後をついてきた……利口だなぁ。
ホテルの外に出れば、高級車が止まっていた。
扉は自動で開かれて……足を止めて振り返る。
「……」
「……なんだかなぁ」
閉まりゆく扉の先でAさんはまだ頭を下げていた。
そんなにお願いするほどの事なのか。
別に、俺でなくてもいい気がする。
だってそうだろう? これはルールさえ守れば――“誰でも出来る仕事なんだからなぁ”。