杏山カズサの放課後スイーツ店日記   作:はるのん

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第一話 放課後スイーツ部と季節のフルーツタルト

 その店の名前を見た瞬間、私は危うくミルクティーを吹き出すところだった。

 

「見て見て、みんな! すごく素敵なお店を見つけたんです!」

 

 放課後。いつもの部室。

 テーブルを囲んでいた私たちの真ん中へ、アイリが嬉しそうにスマートフォンを差し出した。

 画面に映っていたのは、学園近くの通りにある小さな洋菓子店だった。

 白い壁。深緑色の屋根。窓辺には色とりどりのケーキが並び、その上には金色の文字で店名が掲げられている。

 ――《Pâtisserie Shion》。

 

 「最近できたお店らしいんですけど、季節のフルーツタルトがすごく美味しいって評判なんですよ!」

 

 「へ、へえ……」

 

 どうにかそれだけ返し、私は何事もなかったようにカップへ口をつけた。

 落ち着け。

 まだ知られたわけじゃない。

 

 「何よ、その反応」

 

 ヨシミがじろりとこちらを見る。

 

 「べつに。ケーキ屋なんて、他にもたくさんあるでしょ」

 

 「はぁ? 放課後スイーツ部員が新しいスイーツのお店を前にして、なんでそんなに冷めてるのよ」

 

 「カズサ。未知の甘味との出会いは一期一会だ。ましてや季節限定となれば、今日という日を逃す理由はない」

 

 ナツまで静かに畳みかけてくる。

 画面を覗けば、姉と私が今朝仕上げたばかりのフルーツタルトが大きく映っていた。

 苺、白桃、ブルーベリー、オレンジ。

 隙間なく飾られた果物の下には、甘さを抑えたカスタードクリーム。そのさらに下には、私が昨日、一時間かけて型へ敷き込んだタルト生地がある。

 いや、知ってる。

 どんな味かも、誰が作ったのかも、作っている途中で私がタルト生地を一枚割ったことも知ってる。

 でも、そんなことをここで言えるわけがない。

 

 「ねえ、今日行ってみませんか?」

 

 ちょっと待って

 

 「いいじゃない。今日の部活動はそこに決まりね!」

 

 待って待って

 

 「賛成だよ。善は急げ、甘味はさらに急げと言うからね」

 

  いや待ってってば!

 

 「そ、そんな言葉、聞いたことないけど……」

 

 心の中では慌てまくりながら、私はさりげなく時計を確認した。

 午後三時半…ちょい前くらい。

 私の勤務開始は、午後四時。

 ここから店までは、普通に歩けば二十分ほど。

 つまり。

 

 「それじゃあ、早速行きましょう!」

 

 「えっ」

 

 三人の視線が、私に集まった。

 まずい。

 非常にまずい。

 

 「どうしたの、カズサちゃん?」

 

 「いや、その……」

 

 耳がぴくりと動く。

 誤魔化さなきゃ、何か自然で、絶対に怪しまれない理由を――。

 

 「あ、ちょ、ちょっと今日バイトだから! じゃ!」

 

 これっぽっちも自然ではない言葉を残し、私は鞄を掴んで部室を飛び出した。

 

 「ちょっと、カズサ!?」

 

 「カズサちゃん、バイトしてたんですか!?」

 

 「ふむ。あの慌てぶり……どうやら、ただの労働ではなさそうだね」

 

 背後から三人の声が追いかけてくる。

 けれど、振り返っている余裕はなかった。

 なぜ私がここまで慌てているのか。

 理由は、ひどく単純だ。

 私は《パティスリー・シオン》で働いている。

 ついでに言えば、その店の店主は私の姉だ。

          

「おかえり、カズサ。今日はずいぶん早いね」

 

 店の裏口を勢いよく開けると、厨房にいた店長――シオンお姉ちゃんが穏やかに振り返った。

 

 「お姉ちゃん、今日私、厨房でいい?」

 

 「だめ」

 

 「まだ何も説明してないんだけど」

 

 「カズサは今日、接客担当でしょう?」

 

 即答だった。

 私は急いで制服へ着替えながら、どうにか言葉を探す。

 

 「……たぶん、友達が来る」

 

 「放課後スイーツ部のみんな?」

 

 「なんで分かるの」

 

 「カズサがそんなに慌てる相手、ほかにいないもの」

 

 シオンお姉ちゃんは楽しそうに笑い、完成したばかりのベイクドチーズケーキをそっとショーケースの中に補充している。

 

 「ちょうどよかったじゃん。感想聞いてみたら?」

 

 「やだ、絶対笑われる。」

 

 「ちゃんと感想言ってくれる友達は大事だよぅ?」

 

 「いーやーだっ!それと変なこといわないでよっ!?」

 

 「味見の時三切れ食べてたこととか?」

 

 「声が大きい!」

 

 そのとき。

 からん、と入口のベルが鳴った。

 

 「わぁ……! 写真で見るより、ずっと素敵なお店ですね!」

 

 聞き間違えようのないアイリの声だった。

 

 「いい香り……期待できそうじゃない!」

 

 「扉を開けた瞬間に漂うバターの香り。なるほど、これは――」

 

 続いて、ヨシミとナツ。

 早い。

 どうしてもう来てるの。

 せめてあと五分、いや三分あれば心の準備ができたのに。

 

 「カズサ」

 

 シオンお姉ちゃんが、切り分けたフルーツタルトの皿を私へ差し出した。

 にこにこと笑っている。

 

 「ご案内、お願いね」

 

 「……あとで覚えててよ」

 

 逃げ道はなかった。

 私は皿を受け取り、伏せていた猫耳を無理やり立てる。深く息を吸い、何度も練習した店員用の笑顔を作った。

 そして、三人の待つ店内へ足を踏み出す。

 

 「いらっしゃいませ。《パティスリー・シオン》へようこそ――」

 

 アイリが目を丸くした。

 ヨシミの口がぽかんと開いた。

 ナツだけが、何かを納得したように静かに頷いている。

 

 「……カズサちゃん?」

 

 私の完璧だったはずの笑顔が、ぴしりと固まった。

 こうして。

 私の秘密の放課後は、始まって早々、あっさりと終わりを告げた。

 

 

 

 「……カズサちゃんだよね?」

 

 「イエヒトチガイデス」

 

 完璧な返答だった。

 少なくとも、私の中では。

 アイリは不思議そうに首を傾げ、私の顔を右から覗き込む。私は左を向いた。今度は左から覗き込まれたので、右を向く。

 

 「でも、声もカズサちゃんですし……」

 

 「ヨクニタヒトデス」

 

 「猫耳も同じじゃない」

 

 「タニンノソラニデス」

 

 「そんなわけないでしょ!」

 

 ヨシミの声が店内に響いた。

 幸い、今いるお客さんは三人だけだ。それでも厨房まで筒抜けだったらしく、奥から食器を用意する音に混じって、小さな笑い声が聞こえてきた。

 絶対にシオンお姉ちゃんだ。

 

 「なるほど」

 

 ナツが顎へ手を添え、妙に真剣な顔で私を見つめる。

 

 「同じ肉体であっても、置かれた場所と与えられた役割が変わればそれは果たして同一人物と言えるのか――」

 

 「ナツまで話をややこしくしないで」

 

 しまった。

 三人の視線が、一斉に私へ集まった。

 ナツが静かに微笑む。

 

 「私の名前を知っているようだね。よく似た店員さん」

 

 「…………」

 

 「やっぱりカズサじゃない!」

 

 「うるさいな!そうだよ、私だよ!悪い!?」

 

 もう限界だった。

 私がやけになって言い返すと、アイリの表情がぱっと明るくなる。

 

 「やっぱりカズサちゃんだったんですね!」

 

 「だからそう言ってるでしょ……」

 

 「最初に否定したの、あんたじゃない」

 

 「そ、それは……」

 

 言い返せない。

 猫耳が力なく伏せていくのが自分でも分かった。

 しかし、本当の問題はここからだった。

 

 「カズサ、いつまで入口でお話ししてるの?」

 

 厨房から、シオンお姉ちゃんが顔を覗かせた。

 私より少し背が高く、同じ黒い髪と黒い猫耳を持つその姿を見て、三人の目が再び丸くなる。

 

 「ほら。お友達をお席へご案内して」

 

 「お姉ちゃん! 今は出てこないでって――」

 

 「お姉ちゃん!?」

 

 今度はヨシミとアイリの声がきれいに重なった。

 あ。

 余計なことまで自分でばらした。

 

 「初めまして。姉の杏山シオンです」

 

 シオンお姉ちゃんは何事もなかったように店内へ出てくると、三人へ向かって丁寧に頭を下げた。

 

 「いつも妹がお世話になっています」

 

 「ちょっと、保護者みたいな挨拶しないでよ!」

 

 「だって、お姉ちゃんだもの」

 

 「そういう問題じゃなくて……!」

 

 「カズサちゃん、お姉さんがいたんですね!」

 

 アイリが私とシオンお姉ちゃんの顔を交互に見比べる。

 

 「なんだか、カズサちゃんをそのまま大人っぽくしたみたいです」

 

 「確かによく似てるわね。髪も猫耳もそっくりだし」

 

 「二匹の黒猫。片や自由気ままな野良猫、片や甘い香りの家を守る飼い猫というところかな」

 

 「誰が野良猫だって?」

 

 「ふふっ。カズサからみんなのお話はよく聞いてるよ」

 

 「お姉ちゃん!」

 

 私は慌てて振り返った。

 どこまで話す気なのかと睨みつけたものの、シオンお姉ちゃんは楽しそうに笑うだけだった。

 

 「続きは座ってからにしない? せっかく来てくれたんだから」

 

 「続きなんてないから」

 

 「そう? それじゃあ、カズサ。接客をお願いね」

 

 「……はいはい」

 

 これ以上抵抗しても傷口が広がるだけだ。

 私は三人を窓際のテーブルへ案内し、メニューを配った。

 

 「こちらがメニューになります。本日のおすすめは季節のフルーツタルト。飲み物は、香りが軽くて果物の風味を邪魔しないダージリンか、少し酸味のあるブレンドティーがおすすめです」

 言い終えてから顔を上げる。

 三人とも、なぜか黙って私を見つめていた。

 

 「……何?」

 

 「いえ、その……」

 

 アイリが口元をほころばせる。

 

 「カズサちゃん、本当に店員さんなんだなって」

 

 「制服も意外と似合ってるじゃない」

 

 「い、意外は余計でしょ」

 

 「放課後の気怠そうなカズサとは違う、もう一つの顔。実に興味深いね」

 

 「頼むから普通に注文して」

 

 こうなるのが嫌だったから黙っていたのに。

 黒いベストに白いシャツ。腰へ巻いたエプロン。髪もいつもよりきちんと整えている。

 放課後スイーツ部のみんなにこんな姿を見られたら、絶対に何か言われると思っていた。

 そして、実際に言われた。

 

 「では、私は季節のフルーツタルトとダージリンをお願いします!」

 

 「私も同じのでいいわ」

 

 「私も、その組み合わせをいただこう」

 

 「三人とも同じじゃん……」

 

 「おすすめしたのはカズサでしょ」

 

 「そうだけどさ」

 

 注文をメモし、厨房へ戻ろうとする。

 ところが、立ち去る直前にアイリから呼び止められた。

 

 「あの、カズサちゃん」

 

 「今度は何?」

 

 「その制服、すごくかわいいです!」

 

 「っ……!」

 

 足が止まり、猫耳がぴんと立った。

 

 「……ありがと。注文、持ってくるから」

 

 それだけ言うのが精いっぱいだった。

 足早に厨房へ逃げ込むと、待ち構えていたシオンお姉ちゃんが、にこにことこちらを見ている。

 

 「よかったね、カズサ。かわいいって」

 

 「聞いてたの?」

 

 「店が狭いからね」

 

 「忘れて。今すぐ」

 

 「無理かな。あんなに嬉しそうに耳を立ててたし」

 

 「立ててない!」

 

 私は三人分の皿を用意しながら、ふくれた頬を隠すように俯いた。

 最悪だ。

 秘密はばれるし、お姉ちゃんまで紹介することになるし、制服姿まで褒められた。

 これでは明日から、どんな顔をして部室へ行けばいいのか分からない。

 

 「はい。こっちの三皿をお願い」

 

 シオンお姉ちゃんが切り分けたフルーツタルトをカウンターへ並べた。

 艶やかな果物と淡い黄色のカスタード。その下から、きつね色に焼けたタルト生地が覗いている。

 

 「昨日カズサが仕込んでくれた生地、きれいに焼けてるよ」

 

 「それ、みんなには言わないでよ」

 

 「どうして?」

 

 「どうしても」

 

 私は三皿をトレーへ載せ、もう一度店内へ出た。

 テーブルへ近づくと、甘い香りに気づいた三人が一斉にこちらを向く。

 その表情は、部室で新しいお菓子を開けるときと何も変わらなかった。

 

 「お待たせしました。季節のフルーツタルトです」

 

 「わぁ……!」

 

 アイリの目が輝く。

 

 「すごくきれいです!」

 

 「写真より果物が多いじゃない。これ、採算取れてるの?」

 

 「ヨシミ。スイーツを前にして、最初に心配することがそれなのかい?」

 

 「だって気になるでしょ!」

 

 いつもの調子で騒ぎ始める三人を見ているうちに、張り詰めていた肩から少しだけ力が抜けた。

 部室でも、この店でも。

 結局、私たちは私たちらしい。

 

 「それじゃあ、いただきましょう!」

 

 アイリの声に合わせ、三人のフォークがタルトへ入る。

 さくり、と小さく生地の割れる音がした。

 私は空になったトレーを胸元へ抱え、その場から離れられないまま、三人の反応を待っていた。

 

 最初に声を上げたのは、アイリだった。

 

 「おいしいです……!」

 

 ぱっと見開かれた目が、すぐに幸せそうに細められる。

 

 「果物が甘いのに、クリームは重たくなくて……タルトもサクサクです!」

 

 「本当ね。これだけ果物が載ってるのに、生地が全然湿ってない」

 

 ヨシミも感心したように断面を確かめ、もう一口をフォークですくった。

 

 「カスタードも甘すぎないし、ちゃんとそれぞれの果物の味が分かる。見た目だけじゃなかったわね、このお店」

 

 「幾重にも重なった果実の甘味と酸味。それらを受け止めながらも、決して己を主張しすぎないクリームとタルト生地……」

 

 ナツが目を閉じ、ゆっくりと味わう。

 

 「これは、ひとつの庭園だね」

 

 「庭園?」

 

 「色とりどりの果実は、咲き誇る花々。カスタードはそれらを育む土。そしてタルト生地は、世界を形作る大地――」

 

 「難しいことは分からないけど、気に入ったならよかった」

 

 素っ気なく答えながら、私は胸元のトレーを強く抱き締めた。

 よかった。

 本当によかった。

 タルト生地は厚すぎなかった。カスタードの甘さも、昨日調整したもので正解だった。水分の多い果物には薄くクリームを塗っておいたから、生地の食感も残っている。

 飾りつけが少し左へ寄ってしまったのは気になっていたけれど、三人はそんなことを気にする様子もなく、次々とフォークを進めている。

 自然と持ち上がりそうになる口元を、どうにか引き締めた。

 

 「三人とも、気に入ってくれたみたいだね」

 

 不意に、カウンターの向こうからシオンお姉ちゃんの声が飛んできた。

 

 「はい! とってもおいしいです!」

 

 「ええ。評判になるのも納得だわ」

 

 「素晴らしい甘味との出会いに、感謝を」

 

 「それはよかった」

 

 シオンお姉ちゃんは嬉しそうに頷いたあと、まるで今日の天気でも教えるような気軽さで続けた。

 

 「ちなみに、そのタルトを作ったのはカズサだよ」

 

 店内から音が消えた。

 アイリのフォークが止まる。

 ヨシミが目を見開く。

 ナツだけが静かにこちらへ顔を向けた。

 

 「……お姉ちゃん?」

 

  私は、ぎぎぎ、と首だけでカウンターを振り返った。

 

 「何?」

 

 「何、じゃないでしょ! なんで言うの!?」

 

 「だって本当のことだもの」

 

 「カズサちゃんが、これを作ったんですか!?」

 

 アイリが椅子から身を乗り出した。

 

 「いや、まあ……少し手伝っただけで――」

 

 「タルト生地の仕込みから焼き上げ、カスタード作り、果物の下処理と飾りつけまで、全部カズサがやったんだよ」

 

 「お姉ちゃん!」

 

 「私は今朝、仕上げの艶出しをしただけ」

 

 逃げ道を塞ぐように、丁寧な補足まで加えられた。

 

 「昨日は閉店後も一人で残って、何度も甘さを調整してたよね」

 

 「そこまで言わなくていいから!」

 

 「だって、おいしいって褒めてもらうべきなのは、作ったカズサでしょう?」

 

 「う……」

 

 そう言われると、これ以上強くは言い返せない。

 シオンお姉ちゃんは満足そうに微笑むと、何事もなかったように厨房へ戻っていった。

 残された私は、恐る恐る三人へ向き直る。

 アイリは目を輝かせている。

 ヨシミは驚いた顔のまま、手元のタルトと私を何度も見比べている。

 ナツは何やら深く納得したように頷いていた。

 

 「……そんなに見ないでよ」

 

 「だって、すごいです! カズサちゃん、こんなにおいしいタルトを作れるんですね!」

 

 「別に。レシピどおりに作っただけだし」

 

 「レシピどおりに作ったって、こんなにきれいにはできないわよ」

 

 ヨシミはタルトをもう一口食べると、少しだけ頬を赤くしながら視線を逸らした。

 

 「その……本当においしいわよ。文句なしに」

 

 「……ありがと」

 

 「ちょっと、なんであんたまで目を逸らすのよ」

 

 「そっちが逸らしたんでしょ」

 

 「私は別に!」

 

 顔を見合わせられないまま、二人して違う方向を向く。

 アイリはそんな私たちを見て、くすくすと笑っていた。

 

 「カズサ」

 

 ナツが静かに私を呼ぶ。

 

 「な、何?」

 

 「先ほど、このタルトを庭園にたとえたけれど……ひとつ訂正しよう」

 

 「訂正?」

 

 「これは、カズサの言葉なのだね」

 

 「は?」

 

 「菓子作りは、言葉を使わない対話でもある。生地の厚さ、クリームの甘さ、果実の並べ方。そのすべてに、作り手が何をおいしいと思い、食べる者へ何を届けたいのかが表れる」

 

 ナツは皿の上に残った最後の一口を見つめる。

 

 「私たちは今、カズサが作った甘味を通じて、普段は見せない君の一面と出会ったのかもしれない」

 

 「……大げさすぎ」

 

 「そうかな?」

 

 「そうだよ。ただのタルトじゃん」

 

 そう答えた声は、自分で思っていたよりもずっと小さかった。

 耳の先が熱い。

 きっと顔も赤くなっている。

 

 「でも、どうして黙ってたんですか?」

 

 アイリの素朴な疑問に、私はますます答えに困った。

 

 「それは……」

 

 「バイトしてることも、お姉さんがいることも、お菓子を作れることも。私たち、全然知りませんでした」

 

 「べつに隠してたわけじゃないよ。聞かれなかっただけ」

 

 「部室から全力で逃げた人の言葉とは思えないわね」

 

 「うるさいな……」

 

 私はトレーで口元を隠す。

 

 「だって、絶対こうなると思ったから」

 

 「こうなるって?」

 

 「制服を見て騒がれて、作ったものを見られて、みんなで寄ってたかって感想を言われて……恥ずかしいでしょ、普通に」

 

 三人が顔を見合わせる。

 やがてアイリが、いつもの柔らかな笑顔を私へ向けた。

 

 「でも、おいしいものを作った人には、おいしいって伝えたいです」

 

 「そうよ。黙って食べて帰ったほうがよかったわけ?」

 

 「それは……嫌だけど」

 

 「なら、素直に受け取っておきたまえ。カズサ」

 

 ナツが最後の一口を口へ運ぶ。

 

 「とてもおいしかったよ」

 

 アイリとヨシミも、同じように頷いた。

 もう一度、三人から真正面に褒められる。

 今度は逃げることも、誤魔化すこともできなかった。

 

 「……どういたしまして」

 

 トレーに隠れた私の口元が少しだけ緩んだことは、たぶん三人には見えていない。

 ただし。

 

 「カズサちゃん、猫耳がすごく嬉しそうです!」

 

 「それは言わなくていいから!」

 

 思わず声を上げると、三人の笑い声が重なった。

 結局、そのあとは誰も急いでタルトを食べようとはしなかった。

 フォークで少しずつ切り分け、果物の組み合わせを変えてみたり、紅茶と一緒に味わったり。途中からは、どの果物とカスタードが一番合うかという、放課後スイーツ部らしい話にまで発展していた。

 

 「私は白桃が一番好きです。カスタードと一緒に食べると、すごく優しい甘さになりますね」

 

 「苺も捨てがたいわよ。ちゃんと酸味が残ってるから、全体が引き締まるし」

 

 「私はオレンジを推そう。ひと房だけ潜ませた柑橘の香りが、この庭園に心地よい風を運んでいる」

 

 「だから庭園から離れてよ……」

 

 呆れながら答えたものの、内心ではひとつひとつの感想を覚えていた。

 白桃はもう少し大きく切ってもいいかもしれない。

 苺の酸味は狙ったとおり。

 オレンジは最初、載せるかどうか迷ったけれど、やっぱり残して正解だった。

 

 「それにしても、カズサちゃんがお菓子を作れるなんて知りませんでした」

 

 「私もよ。いつから作ってるの?」

 

 ヨシミに尋ねられ、私は少し考える。

 

 「いつからって言われても……小さい頃から、お姉ちゃんの手伝いはしてたし」

 

 「小さいカズサちゃんがお菓子を作ってるところ、見てみたいです!」

 

 「見なくていいから」

 

 「昔の写真なら家にたくさんあるよ」

 

 厨房から余計な声が飛んできた。

 

 「お姉ちゃん、絶対見せないでよ!」

 

 「粉まみれになりながらクッキーを作ってる写真とか」

 

 「聞いてる!?」

 

 「猫の形にしようとして、なぜか全部丸くなっちゃったんだよね」

 

 「今その話、必要ないでしょ!」

 

 アイリはすっかり興味を持ってしまったらしく、厨房のほうをきらきらした目で見ている。

 ヨシミまで笑いを堪えているし、ナツは「丸という形は完全性の象徴でもある」などと、まったく助けにならないことを言い始めた。

 やっぱり、紹介するんじゃなかった。

 

 「それで、このお店ができてからは、放課後に手伝ってるってこと?」

 

 「まあね。お姉ちゃん一人だと、接客まで手が回らないこともあるから」

 

 「カズサのほうから手伝うって――」

 

 「お姉ちゃん?」

 

 「……何でもないよ」

 

 低い声で呼ぶと、今度は引き下がってくれた。

 危ない。

 ここで、開店準備中のお姉ちゃんが心配になって、私から勝手に制服を用意したことまで話されたら、本当に立ち直れなくなる。

 

 「でも、それなら教えてくれてもよかったじゃない」

 

 ヨシミの言葉に、私は小さく肩をすくめた。

 

 「バイト先まで部活のみんなと一緒だったら、放課後って感じしないでしょ」

 

 「私たちが来るの、嫌ですか?」

 

 アイリが不安そうに眉を下げた。

 

 「嫌とは言ってないよ。ただ……」

 

 楽しそうにタルトを食べる三人を見る。

 さっきまできれいに飾られていた皿は、もうほとんど空になっていた。作っている間はあんなに悩んだのに、食べ終わるまでには十分もかかっていない。

 

 「……毎日来て、騒いだりしないなら」

 

 「つまり、時々なら来てもいいということだね」

 

 ナツが間髪入れずに結論を出す。

 

 「なんでそうなるの」

 

 「分かりました。今度は別のケーキも食べに来ます!」

 

 「アイリまで……」

 

 「放課後スイーツ部として、お店の調査は必要でしょ?」

 

 「さっきまで存在も知らなかったくせに」

 

 私の反論など聞かず、三人は次に食べたいケーキについて相談を始めてしまった。

 ショートケーキ。

 シュークリーム。

 ロールケーキ。

 焼き菓子も気になる。

 次々と候補が挙がり、しまいには全種類を制覇するという話にまでなっている。

 

 「お待たせしました。こちら、お会計になります」

 

 食べ終えた頃を見計らい、私は伝票をテーブルへ置いた。

 

 「三名様でまとめますか?」

 

 「別々でお願いします!」

 

 「はいはい。じゃあ、レジまでどうぞ」

 

 アイリたちをカウンターへ案内すると、シオンお姉ちゃんが三枚の小さなカードを取り出した。

 

 「よかったら、ポイントカードもどうぞ」

 

 「ポイントカードがあるんですか?」

 

 「うん。ケーキ一つでスタンプが一個。全部貯まったら、好きなホールケーキ一台と交換できるよ」

 

 「ホールケーキ!?」

 

 ヨシミが驚いてカードを見る。

 

 「サービスしすぎじゃない? 本当に大丈夫なの、このお店」

 

 「それ、私も言ったんだけどね」

 

 「お客さんが喜んでくれるならいいかなって」

 

 経営者として、それでいいのだろうか。

 少し心配になったものの、三人は迷うことなくカードを受け取った。

 しかも、今日の分として押された最初のスタンプを、どこか誇らしげに眺めている。

 

 「最初の一歩だね」

 

 ナツがカードを大切そうにしまう。

 

 「この空欄が甘味との出会いによって満たされたとき、私たちは一つの大きな幸福へ辿り着く」

 

 「つまり、また来る気なんでしょ」

 

 「もちろん」

 

 「私も絶対に貯めます!」

 

 「まあ、せっかく作ったんだし? 途中でやめるのも気持ち悪いから、私も付き合うわ」

 

 「誰もやめろとは言ってないけど……」

 

 支払いを終えた三人を入口まで見送る。

 外はもう、夕焼けに染まり始めていた。

 

 「それじゃあ、また明日ね!」

 

 ヨシミが軽く手を上げる。

 

 「……明日?」

 

 「何よ」

 

 「いや、また今度って話じゃなかった?」

 

 「明日はシュークリームを調査します!」

 

 「決定事項なの?」

 

 「未知なる甘味が私たちを待っているからね」

 

 「この店、逃げないんだけど」

 

 最後まで言いたいことだけ言って、三人は夕暮れの通りを歩いていく。

 扉が閉まり、からん、とベルが鳴った。

 急に静かになった店内で、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 「いいお友達だね」

 

 背後から聞こえた声に、私は振り返らず答える。

 

 「騒がしいだけだよ」

 

 「そう?」

 

 「そうなの」

 

 「でも、嬉しそうだったよ」

 

 「誰が」

 

 「カズサが」

 

 「……気のせいでしょ」

 

 私は逃げるように三人が使っていたテーブルへ向かい、食器を片づけ始めた。

 三枚の皿には、クリームのひと筋さえ残っていない。

 本当に、きれいに食べてくれた。

 

 「また作る?」

 

 シオンお姉ちゃんに聞かれ、皿を重ねていた手が止まる。

 

 「何を?」

 

 「フルーツタルト」

 

 「今日の分、まだショーケースに残ってるでしょ」

 

 「今日じゃなくて、次の話」

 

 私は三人が出ていった扉を見る。

 明日も来ると言っていた。

 さすがにフルーツタルトを二日続けては注文しないだろうけれど、ポイントカードを貯める気なら、これから何度もこの扉を開けることになる。

 そのたびに、今日みたいに感想を聞かれるのだろう。

 想像するだけで恥ずかしい。

 でも。

 

 「……今度は、白桃をもう少し大きく切る」

 

 「うん」

 

 「それと、オレンジも少し増やしてみる。あれくらいなら、カスタードの邪魔もしないと思うし」

 

 「うん」

 

 「なに笑ってるの」

 

 「別に」

 

 シオンお姉ちゃんは、私がいつも使う言葉をそのまま返した。

 

 「ただ、次も作るんだなって思っただけ」

 

 「試作だよ。今日の改善点を確認するだけ」

 

 「そういうことにしておこうか」

 

 何となく納得がいかなかったけれど、言い返す言葉も見つからない。

 私は三枚の空になった皿をトレーへ載せ、厨房へ運んだ。

 秘密にしていた私の放課後は、たった一日で見つかってしまった。

 きっと明日から、この店は今までより少し騒がしくなる。

 落ち着いて働けなくなるかもしれない。

 また制服をからかわれるかもしれないし、作ったケーキの感想を、逃げ場のない距離で聞かされるかもしれない。

 面倒なことばかりだ。

 ――それでも。

 きれいに空になった皿を洗いながら、私は少しだけ耳を立てた。

 まあ。

 そんな放課後も、悪くないのかもしれない。

 

 

 ――本日の記録。

 季節のフルーツタルト、好評。

 隠していたアルバイト、ばれた。

 そして、新しい常連客。

 たぶん、三名。

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