一週間前。
「可能な限り、忠実に再現してほしい」
閉店まであと二時間というころ、店へ入ってきた白い髪の生徒は、レジに来るのと同時にスマートフォンを差し出した。
画面いっぱいに映っていたのは、白くて丸い生き物だった。小さな翼。黄色いくちばし。正面を向いているのに、どこを見ているのか分からない二つの目。
「……これを?」
「ペロロ様だ」
「名前じゃなくて。これをケーキにするの?」
「そうだ」
同じトリニティの制服を着ているけれど、顔に見覚えはない。向こうも私を知らないらしく、こちらを店員として見ているだけで、あとはスマートフォンの画面へ視線を戻した。
私は注文票を手元へ引き寄せ、ペンを構える。
「まず、予約の内容から順番に聞いていい? ご予約のお名前は?」
「白洲アズサ。一週間後の午後四時、四人で店内を利用したい。誕生日用のケーキを一台。主役には当日まで秘密にする」
「そこまで一気に答えるんだ」
「必要になりそうなことは整理してきた」
用意していた質問の半分が先に潰れた。
「ケーキは五号のショートケーキ。苺と生クリームで、甘さは少し控えめ。アレルギーは四人ともない」
「本当に全部調べてきたんだね」
「失敗は避けたい」
アズサの表情はほとんど変わらない。それでも、ただの注文にしては、一つひとつの答えが少しだけ真剣すぎた。
「プレートには何て書く?」
「『HAPPY BIRTHDAY HIFUMI』。ヒフミはアルファベットで頼む」
言われたとおり、注文票へ書き込む。
「そのヒフミって子が、誕生日の主役?」
「そうだ。補習授業部の仲間で、ペロロ様が好きだ」
補習授業部という名前なら、校内でときどき耳にする。けれど、所属する生徒の顔や名前までは知らなかった。目の前のアズサと話すのもこれが初めてだし、ヒフミに至っては、今初めて名前を聞いた。
「それで、そのペロロ様をケーキにしたい、と」
「ヒフミが一番喜ぶものにしたい」
アズサはそう言って、画面を横へ滑らせた。
正面から見たペロロ。斜めから見たペロロ。横から見たペロロ。ぬいぐるみらしいものまで含めて、参考画像が何枚も用意されている。
「身体はできるだけ丸く。翼は大きくしすぎないでほしい。くちばしは正面の少し下。目は同じ高さで、間隔を狭めないように」
「目の間隔まで指定するの?」
「重要だ。近すぎると、ペロロ様らしさが損なわれる」
「この顔、そこまで繊細なんだ……」
私が画面を覗き込んでいると、奥からシオンお姉ちゃんもやってきた。
「五号のドーム型なら作れそうだね。表面は生クリームで、翼とくちばしと目はチョコレートにしようか」
「可能なら、それでお願いしたい」
「カズサ、形を整えるところと顔は任せるよ」
「一番難しそうなところ、全部私じゃん」
「若い感性に期待してる」
「便利な言い方しないで」
お姉ちゃんが料金とキャンセルについて説明している間も、アズサは画面のペロロを何度か確認していた。
最後に、当日の段取りを決める。
「ケーキを出す合図はどうする?」
「紅茶が届いて少ししたら、私がカップを持ち上げる。それを合図にしてほしい」
「了解。蝋燭は一本でいい?」
「問題ない」
記入した注文票を二人で最初から確認し、予約はようやく確定した。
立ち上がったアズサは、スマートフォンをしまいかけてから、もう一度だけペロロの画像をこちらへ向ける。
「念のために言っておく。目は、少し離れている」
「さっき聞いた」
「重要だからな」
アズサは真顔のまま言い切り、店を出ていった。からん、とベルが鳴り、扉が閉まる。
「ずいぶん友達思いな子だったね」
「そうだね。顔はほとんど変わってなかったけど」
「カズサも、ちゃんと期待に応えないとね」
「分かってる」
私は残された注文票と、そこへ描いた白い生き物を見比べた。
そして一週間後。
注文票の隅に描かれた白い生き物を、私はもう五分近く睨み続けていた。
丸い身体。小さな翼。黄色いくちばし。そして、どこを見ているのか分からない二つの目。
絵の下には、丁寧な字で名前まで添えられている。
――ペロロ様。
「……これ、本当にかわいいの?」
「その質問は、お客さんの前ではしないでね」
作業台の向こうでスポンジを切り分けていたシオンお姉ちゃんが、顔も上げずに答えた。
「しないけどさ。もっとこう、ケーキにしやすいキャラクターもいるでしょ。目が大きいとか、色がきれいとか」
「目、大きいよ?」
「大きいっていうか、虚無なんだよね」
注文票へもう一度目を落とす。
希望するデザインの欄には、一週間前にアズサが見せた画像をもとに描いたペロロの絵。その横には、アズサの言葉どおり『可能な限り忠実に』と二重線まで引いてある。
しかも、主役には当日まで内緒。
「だいたいできてるんだから、そんなに悩まなくてもいいんじゃない?」
「だいたいじゃだめでしょ。可能な限り忠実に、って書いてあるし」
「うん。だから昨日から、目の位置を三回も直してるんだよね」
「……見てたの?」
「隣でスポンジ焼いてたからね」
作業台の上には、五号サイズの白いドームケーキが鎮座していた。
丸く整えたスポンジの間に、薄く切った苺と甘さを抑えた生クリームを挟み、表面も白いクリームで覆ってある。小さな翼はホワイトチョコレート。黄色いくちばしは、色をつけたチョコレートで作った。
問題の目も、円形に抜いたチョコレートで用意してある。
あとは全部を取りつければ完成なのだけれど、その目を一ミリ上へ置くか下へ置くかで、印象が妙に変わる。
少し近いと間が抜けすぎるし、離すと今度は何も考えていないように見える。
元からそういう顔だと言われたら、それまでなんだけど。
「カズサ、そろそろ決めないと。予約は四時だよ」
「分かってる」
時計は三時二十分を指している。
私は二枚のチョコレートをピンセットでつまみ、ケーキの正面へ近づけた。何度か位置を変え、注文票の絵と見比べる。
ここ。
そう決めて、そっとクリームへ押し込んだ。
最後に黄色いくちばしをつける。
作業台の上に、何とも言えない顔をした白い生き物が完成した。
私は少し離れ、正面から眺める。
「……どう?」
「いいんじゃない? すごくペロロっぽいよ」
「お姉ちゃん、ペロロ知ってるの?」
「一週間ずっと、作業台の横に資料が置いてあったからね」
「それ、知ってるって言わないでしょ」
「でも、見慣れるとかわいいよ。何も考えてなさそうな目とか、小さすぎる翼とか」
「褒めてる?」
「ちゃんと褒めてる。見れば見るほど味がある顔だよね」
思ったより、気に入っている。
けれど、直すところも思いつかなかった。私はケーキの横へ、小さなチョコレートのプレートを立てる。
そこには、白い文字で『HAPPY BIRTHDAY HIFUMI』。
注文に来たアズサが教えてくれた、誕生日の主役の名前だ。
顔は知らない。どんな子なのかも、ペロロが好きだということ以外は何も知らない。
「喜んでくれるかな」
「アズサちゃんがあれだけ考えて注文したんだから、大丈夫じゃない?」
「それと、ケーキの顔が似てるかどうかは別でしょ」
「接客するのは私なんだけど」
「よろしくね、店員さん」
お姉ちゃんは完成したペロロを冷蔵庫へ移し、何事もなかったように次の作業へ戻っていった。
私は閉じた冷蔵庫の扉を見つめる。
あの顔で、本当に喜んでもらえるのだろうか。
注文どおりに作ったはずなのに、見れば見るほど不安になるケーキというのも珍しい。
午後四時ちょうど。
店の前を、四人の生徒が通り過ぎた。
と思ったら、すぐに三人だけ戻ってきた。
窓の外では、アズサが店の看板を確認し、隣の生徒が何かを囁き、もう一人が大きく頷いている。少し離れたところでは、残った一人が不思議そうに三人を待っていた。
どう見ても、最後の打ち合わせだった。
「来たみたいだね」
「見れば分かる」
私はテーブルの予約札を確かめ、制服の襟元を整えた。
やがて、アズサが何食わぬ顔で離れていた一人を呼ぶ。四人が揃って入口へ近づき、からん、とベルが鳴った。
「いらっしゃいませ。《パティスリー・シオン》へようこそ」
「予約していた白洲アズサだ」
アズサは一週間前と変わらない調子でそう言って、私と短く視線を合わせた。
その目が、ほんの少しだけ冷蔵庫のほうへ動く。
準備はできているか、という確認なのだろう。私は小さく頷いた。
「お待ちしておりました。四名様ですね」
アズサが後ろの三人を振り返る。
「一緒に来たヒフミ、ハナコ、コハルだ」
名前を呼ばれた順に、三人が軽く会釈する。
「はじめまして。阿慈谷ヒフミです。本日はよろしくお願いします」
「店員の杏山カズサです。今日は私が担当します」
当然、ヒフミとはこれが初対面だった。
ヒフミ。
ケーキのプレートへ書いた名前が、ようやく目の前の生徒につながった。
「こちらが、アズサちゃんが三つのお店を比べて選んだところなのですね」
ハナコが店内を見回しながら微笑む。
「評判を調べただけだ」
「予約にも一人で来たのでしょう? ずいぶん念入りですね」
「必要な確認をしただけだ」
ただし、身体の脇でこちらへ向けた親指だけは、ずっと冷蔵庫を指していた。
「ほら、入口で話してないで座るわよ。ほかのお客さんの邪魔になったら悪いでしょ」
コハルに促され、四人は窓際の予約席へ向かった。
私はメニューと水を運び、一人ずつの前へ置いていく。
「本日は事前にご注文をいただいていますので、飲み物だけお選びください。おすすめはダージリンと、苺の香りをつけたブレンドティーです」
「では、私はダージリンでお願いします」
ヒフミが最初に答える。
「私も同じものを。コハルは?」
「わ、私もダージリンでいいわ」
「私は苺のブレンドティーをお願いします」
「かしこまりました」
注文を書き留め、厨房へ戻ろうとする。
「あの、カズサさん」
「何?」
振り返ると、ヒフミが私の制服を見ながら柔らかく笑っていた。
「その制服、とてもよく似合っています」
「えっ。あ、ありがと」
不意打ちだった。
自分でも分かるくらい、猫耳がぴんと立つ。
「まあ。カズサさんの耳、とても正直なんですね」
ハナコが楽しそうに口元へ手を添えた。
「見ないでくれる?」
「見てはいけないものだったのでしょうか?」
「そういう言い方しないで!」
なぜかコハルが先に慌てた。
私はこれ以上何か言われる前に、逃げるように厨房へ戻った。背後から、ヒフミの困ったような笑い声が聞こえてくる。
「また耳、立ってたね」
ティーポットを用意していたお姉ちゃんが言った。
「聞かなくていいから」
「店が狭いからね」
「前にも聞いた、その言い訳」
私は四人分のカップを並べ、茶葉の量を量る。
ダージリンを三つ。苺のブレンドを一つ。
湯を注いでいる間に、お姉ちゃんが冷蔵庫からペロロケーキを取り出した。冷えて少し固くなったクリームの表面は崩れていない。二つの目も、決めた位置にきちんと留まっている。
お姉ちゃんは皿を持ったまま、しばらくペロロの顔を眺めていた。
「……崩すの、ちょっともったいないね」
「ケーキなんだから、食べてもらわないと」
「分かってるけど。結構かわいくできたから」
一週間前には名前も知らなかったくせに、すっかり情が移っている。
「先に紅茶を出して。合図したら、こっちを持っていくよ」
「お姉ちゃんが持ってくの?」
「作った人が運んだほうがいい?」
「……一緒に作ったでしょ」
「私は土台だけ。顔を作ったのはカズサだよ」
「顔だけって言われると、ほとんど何もしてないみたいじゃん」
「じゃあ、カズサが作ったケーキだね」
「それも違う」
私が睨むと、お姉ちゃんは笑いながら細い蝋燭を一本、ケーキの後ろへ立てた。
紅茶を運んで数分後、白洲アズサがカップを持ち上げた。
それが合図だった。
幸い、店内にはちょうどほかのお客さんがいなかった。お姉ちゃんが蝋燭へ火をつける。私は店内の照明を少しだけ落とし、ケーキの皿を両手で持った。
扉を開けて一歩進んだところで、最初にヒフミがこちらへ気づく。
「え……?」
白いドームの上で、小さな炎が揺れている。
その下から、虚ろな二つの目がヒフミを見つめていた。
「ヒフミ」
白洲アズサが呼びかける。
「誕生日、おめでとう」
「おめでとう、ヒフミ!」
「お誕生日おめでとうございます、ヒフミちゃん」
「皆さん……」
ヒフミは三人を順番に見て、それから、私が運ぶケーキへ視線を戻した。
目が、みるみるうちに輝いていく。
「ペロロ様です!」
店内に、今日いちばん大きな声が響いた。
「すごい、本当にペロロ様ですよ! この丸みも、翼の短さも、くちばしの絶妙な角度も……それに、この何を考えているのか簡単には読み取れない、奥深い目まで!」
「奥深い目だったんだ、これ」
思わず口から出た。
「はい! ただ何も考えていないように見えて、その実、私たちには想像もつかない世界を見ているような――この目こそ、ペロロ様の大きな魅力なんです!」
知らなかった。
私は昨日から何度も位置を直していた二つの目を見る。
どうやら、虚無に見えたのは私の理解が足りなかったらしい。
「ヒフミ。蝋燭が短くなる」
「あっ、すみません!」
白洲アズサに言われ、ヒフミは慌てて両手を組んだ。少しだけ目を閉じてから、蝋燭の火を吹き消す。
小さな拍手が店内へ広がった。
「ありがとうございます。まさか、皆さんがこんなに素敵なケーキを用意してくれていたなんて……」
「アズサが言い出したのよ。せっかくなら、ヒフミが一番喜びそうなものにしようって」
「コハル。別に、私は当然の判断をしただけだ」
「予約の日まで何度もお店を調べて、持っていくペロロ様の画像も選んでいましたよね」
「ハナコ、それは言わなくていい」
白洲アズサは平静を保とうとしていたけれど、少しだけ視線を逸らしていた。
ヒフミはそんな三人を見て、嬉しそうに笑う。
「本当に、ありがとうございます。私、ずっと大切にしますね」
「ヒフミ。これはケーキだ」
「分かっていますよ、アズサちゃん。気持ちの話です」
私はケーキをテーブルの中央へ置いた。
すぐにヒフミがスマートフォンを取り出す。
「すみません。食べる前に、写真を撮ってもいいですか?」
「もちろん。蝋燭は抜いておくね」
正面から一枚。
少し右から一枚。
左からも一枚。
プレートがよく見える角度で一枚。
ヒフミは途中で鞄から小さなペロロのマスコットまで取り出し、ケーキの隣へ並べた。さらに三人を呼び、今度は全員で写真を撮り始める。
「カズサさんも一緒にどうですか?」
「私は店員だからいいよ」
「このケーキを作ってくださった方も、ぜひ」
「作ったのは、姉と私で――」
そこまで言ってから、私は一度、厨房のお姉ちゃんを見た。
お姉ちゃんは何も言わず、ただこちらを見ている。
どうせ隠したところで、あとから全部話すつもりなのだろう。
だったら。
「スポンジとクリームは、お姉ちゃん。形を整えて、ペロロの顔を作ったのは私」
自分からそう言うと、四人の視線が一斉に集まった。
「……何。そんなに驚く?」
「いえ。すごいです、カズサさん!」
ヒフミはケーキと私を見比べ、また目を輝かせた。
「こんなにかわいく作ってくださって、ありがとうございます。目の位置も、くちばしの形も完璧です!」
「そ、そう? ならよかった」
「カズサ。耳」
白洲アズサに指摘され、私は慌てて両手で猫耳を押さえた。
また、ぴんと立っていた。
「……写真、撮るなら早くして」
「はい。では、シオンさんにお願いしましょう」
結局、私は四人の後ろに立たされた。
テーブルの中央には、完成したばかりのペロロケーキ。その後ろで、ヒフミが小さなマスコットを持ち、白洲アズサとコハルとハナコが並ぶ。私は端に立ち、店員らしく笑おうとした。
「カズサ、もう少し寄らないと入らないよ」
カメラを構えたお姉ちゃんに言われ、仕方なくヒフミの隣へ寄る。
「それじゃあ、撮るね」
撮影音が鳴った。
たぶん私の耳は、その瞬間も立ったままだった。
写真撮影が終わり、全員が席へ戻った。
私は人数分の皿とフォーク、それから細長いケーキナイフを運ぶ。
「それでは、切り分けるね」
そう言ってナイフを持ち上げたところで、ヒフミの笑顔が固まった。
「……切る?」
「ケーキだからね」
「ペロロ様を?」
「ケーキだから」
当たり前のことを答えたはずなのに、ヒフミはひどく動揺していた。
テーブルの上では、ペロロが相変わらず何を考えているのか分からない目でこちらを見ている。
「そ、そうですよね。ケーキですから、食べないといけませんよね」
ヒフミは自分へ言い聞かせるように頷いた。
「では……なるべく、痛くなさそうなところからお願いします」
「痛くなさそうなところって、どこ?」
「翼の先、とか……」
「そこ、チョコレート一枚だよ」
「それなら後ろから切るのはどう? 正面から見れば、しばらくは無事に見えるでしょ」
コハルが提案する。
「でも、最後には顔へ到達しますよね……」
「ケーキなんだから仕方ないじゃない!」
「顔を避けて周囲だけいただく方法もありますよ。最後までペロロ様のお顔を楽しめます」
ハナコが穏やかに言った。
「それ、最後に顔だけ残るけど」
私が指摘すると、全員が黙った。
切れない。
完全に、切れなくなっている。
「私がやろう」
沈黙の中、白洲アズサが立ち上がった。
「アズサちゃん?」
「このままでは、いつまでたっても食べられない。作ってくれた者にも失礼だ」
「それはそうだけど……」
「安心してくれ、ヒフミ。苦痛を感じる暇はない」
「何の話をしているんですか!?」
白洲アズサは私からケーキナイフを受け取った。
刃の位置を確かめ、ペロロの真正面に立つ。
その構えには、妙な迷いのなさがあった。
「待ってください、アズサちゃん。せめて後ろから――」
「一撃で終わらせる」
「終わらせないでください!」
次の瞬間。
白洲アズサは、ペロロの頭頂部へまっすぐナイフを入れた。
柔らかなスポンジとクリームを一息に断ち、黄色いくちばしの真ん中まで刃が進む。
ペロロは、正面からきれいに真っ二つになった。
「ペロロ様ぁぁぁっ!」
ヒフミの悲鳴が店内へ響いた。
「きれいな断面だ」
「感想がそれ!?」
コハルが立ち上がる。
「スポンジの層も崩れていませんね。さすがアズサちゃんです」
「ハナコまで褒めなくていいから!」
私は空になったナイフの箱を持ったまま、二つに分かれたペロロを見つめた。
昨日から悩み続けた目も、角度を調整したくちばしも、左右へ仲よく分かれている。
作った側として、もう少し何か感じるかと思ったけれど。
「……切ったら普通のショートケーキだね」
「カズサさんまで!」
厨房の奥で、お姉ちゃんが吹き出す声が聞こえた。
白洲アズサは左右へ分かれたケーキをさらに四等分し、一人分ずつ皿へ載せた。ヒフミの皿には、黄色いくちばしと右目が載っている。
「どうぞ、ヒフミ」
「よりによって顔の部分なんですね……」
「主役だから、一番ペロロらしい部分を選んだ」
「気遣いは嬉しいですけど、今は少し複雑です……」
それでもヒフミはフォークを手に取った。
しばらく迷ったあと、目を避けるようにケーキの端を小さくすくう。スポンジとクリーム、それから苺を一緒にして、恐る恐る口へ運んだ。
「……おいしいです」
悲しそうだった顔が、すぐにほころぶ。
「スポンジがふわふわで、クリームも軽くて……苺の酸味も、ちょうどいいです」
「よかった」
私はほっと息をついた。
「ペロロ様を食べていると思うと心が痛みますけど、とてもおいしいです!」
「ケーキに対する感想としては、かなり複雑ね」
コハルも自分の皿へフォークを入れる。
「でも、本当においしい。見た目だけじゃないのね」
「当然だ。店の評判も確認した」
「アズサちゃん、予約する前に三つのお店を比べていましたからね」
「ハナコ」
「そのおかげで、こんなに素敵な誕生日会になりました」
ヒフミが笑うと、白洲アズサは何も言わずに自分のケーキを一口食べた。
ほんの少しだけ、満足そうに見えた。
四人の皿から、ケーキは少しずつ消えていく。
最初は右目の周りを避けていたヒフミも、最後には「残すほうが失礼ですから」と小さく謝ってから、チョコレートの目を食べた。
ペロロは跡形もなくなった。
けれど、テーブルの上には何枚もの写真が残っている。ヒフミは食べ終わったあとも画面を眺め、そのたびに嬉しそうに笑っていた。
お皿を下げるころには、紅茶のポットも全部空になっていた。
「本日はありがとうございました。ケーキ、とてもおいしかったです」
会計を終えたヒフミが、私とお姉ちゃんへ丁寧に頭を下げる。
「こちらこそ。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます。あの、こういった形のケーキは、ほかのモモフレンズのキャラクターでもお願いできるのでしょうか?」
「モモフレンズ?」
「はい。ウェーブキャットさんや、ピンキーパカさんもいまして――」
「できますよ。写真を見せてもらって、少し早めに予約してもらえれば」
お姉ちゃんが即答した。
「もちろん、ペロロもまた作りたいけど」
「お姉ちゃん?」
「本当ですか!」
ヒフミの目が、今日何度目か分からないくらい輝く。
「次はみんなで相談してから来ますね」
「待っているね」
「待たなくていいから」
私の声は、誰にも聞いてもらえなかった。
四人は楽しそうに話しながら店を出ていく。ヒフミは扉が閉まる直前まで、何度もこちらへ頭を下げていた。
からん、とベルが鳴り、店内が静かになる。
私は四人が使っていたカップを重ねながら、お姉ちゃんを睨んだ。
「勝手に次の予約を受けないでよ」
「まだ予約じゃないよ。できるって答えただけ」
「モモフレンズって、ペロロ以外にもいっぱいいるんでしょ」
「そうみたいだね。ウェーブキャットとか、ピンキーパカとか」
「何でそんなに詳しくなってるの」
「この一週間で少し調べたから。私はやっぱりペロロが一番好きかな」
「完全に気に入ってるじゃん」
「うん。店に一つ、飾りが欲しいくらい」
「置かないから」
「カズサなら作れるんじゃない?」
「作らない」
「でも、さっきから何描いてるの?」
「え?」
言われて、手元を見る。
いつの間にか私は、使い終わった注文票の裏へ鉛筆を走らせていた。
横長に整えたスポンジ。猫のような輪郭を支える薄いチョコレート。どこから切っても崩れないよう、苺を挟む位置まで線を引いてある。
どう見ても、ウェーブキャットをケーキにするための下書きだった。
「……構造を考えただけ」
「うん」
「作るとは言ってないから」
「分かってるよ」
お姉ちゃんは笑いながら、洗い終えた皿を拭き始めた。その隣には、余ったチョコレートで作った小さなペロロが、いつの間にか立っている。
「……それ、何」
「店に飾っておく分」
「溶けるでしょ」
「じゃあ、今度は飾れるもので作ろうかな」
「作らなくていいから」
私は注文票を裏返す。
表に描かれたペロロは、相変わらず何を考えているのか分からない目で、こちらを見ていた。
……次に作るなら、目はもう一ミリだけ離したほうがいいかもしれない。