特別試験二日目の朝、私は昨日よりも少し早く指定教室へ向かっていた。
初日の試験は、学力や記憶力、判断力、身体能力といった個人の基礎能力に加え、
ペアとしてどれだけ正確に意思疎通ができるかを測定するものだった。
私と清隆は総合一位という結果を残し、少なくとも二人一組で行動することについては、
学校側が想定している水準以上の相性を持っていることを証明できたと思う。
私自身にとっても、それは少し意外な発見だった。
清隆が優秀なのは以前から知っていたし、
自分も人より多少は物事を器用にこなせると思っている。
しかし、優秀な人間を二人並べたからといって、必ずしも優秀なペアになるとは限らない。
互いの考え方が衝突することもあれば、相手を信用できずに確認ばかり増え、
かえって判断が遅くなる場合だってある。
ところが私たちには、それがほとんどなかった。
私が指示を出せば清隆は余計な確認をせずに動き、
清隆から指示を受ければ私も素直に従うことができた。
もちろん付き合っていることも無関係ではないと思うが、それだけで説明できるものでもない。
たぶん私たちは、根本的なところで少し似ている。
周囲から必要以上に注目されることを避け、
自分が持っている手札をすべて見せず、本当に必要になった時だけ使う。
だから相手が何をしているのか、何となく分かる。
もっとも、今日の試験では、その相性の良さだけで勝てるとは思っていなかった。
指定された教室へ入ると、清隆はすでに席についていた。
私は周囲を軽く確認してから彼の隣へ座る。
「おはよう、綾小路くん」
「ああ、おはよう」
人前ではこれまでと同じように苗字で呼ぶ。
二人きりになれば清隆と呼ぶことにもすっかり慣れてきたせいか、
最近ではこちらの呼び方のほうが少しよそよそしく感じるようになってしまった。
それでも、今は私たちの関係を積極的に公表する理由がない。
特に今回のような試験では、人間関係そのものが情報になり得る。
龍園翔のような相手に知られれば、利用できるものとして記憶されるだろう。
私は専用端末を起動し、昨日の結果を確認する。
総合一位。
その表示を見れば、やはり悪い気はしない。
「昨日の一位、もう少し喜んでもいいと思うんだけど」
「昨日も同じ話をしただろ」
「清隆が全然喜ばないからでしょ」
「一日目の結果だ。最終順位とは関係ない」
「分かってるけど、勝った時くらい素直に喜んだほうが人生楽しいよ」
「参考にしておく」
絶対に参考にしない返事だった。
私は小さく笑いながら端末へ視線を戻した。
その時、正面から低い笑い声が聞こえてきた。
「ククッ、朝っぱらから随分仲良さそうじゃねえか」
龍園だった。
椅子へ深く腰を下ろしながら、こちらを面白そうに眺めている。
「普通に話してただけだけど?」
私が答えると、龍園は私と清隆を交互に見た。
「昨日から気になってたんだが、随分息が合ってるじゃねえか。
学校が組ませた即席ペアには見えねえな」
嫌なところを見ている。
私は表情を変えないまま肩をすくめた。
「昨日一日ずっと一緒に試験を受けてたんだから、少しくらい慣れるでしょ」
「そういうことにしといてやるよ」
それ以上は追及してこなかった。
ただし、興味を失ったわけではない。
龍園は何かを疑った時、その場で答えを聞き出そうとするとは限らない。
相手を泳がせ、行動を見ながら自分で答えへ近づいていくこともある。
注意したほうがよさそうだった。
「おはようございます、松下さん」
今度は隣から柔らかな声を掛けられた。
椎名ひよりだった。
「おはよう、椎名さん」
「昨日は一位、おめでとうございます」
「ありがとう。でも今日は対戦相手だから、お互い遠慮なしだね」
「はい。私も龍園くんの足を引っ張らないように頑張ります」
そう言って微笑む姿だけを見れば、とてもこれから直接対決する相手とは思えない。
ただ、私は昨日から彼女を警戒している。
ひよりは何度も私たちを見ていた。
特に清隆と私が一緒にいる時に。
「昨日の連携試験、とても綺麗でした」
「綺麗?」
少し変わった表現だったので聞き返すと、ひよりは小さく頷いた。
「お二人とも、必要以上に確認し合わないんです。
それでも相手が何を求めているのか分かっているように見えました」
私は内心で警戒を一段階引き上げた。
やはり見ている。
単にタイムが速かったことではなく、私たちがどうやってその結果を出したのかまで。
「たまたま相性が良かっただけだと思うよ」
「そうかもしれませんね」
ひよりはそれ以上追及せず、自分の席へ戻った。
ただ、去り際に一度だけ清隆へ視線を向けていた。
ほんの一瞬だったが、私は気づいた。
付き合い始める前なら、何とも思わなかったはずだ。
清隆と椎名が本を通じて親しくしていることも知っているし、
椎名が清隆に好意的なのも以前から何となく分かっていた。
だからこそ今は少し気になる。
自分でも面倒だと思う。
恋人になった途端、今まで気にならなかった女の子の視線まで意識してしまうのだから。
そんなことを考えていると教師たちが入室し、二日目の試験説明が始まった。
前方のモニターには大きな施設の見取り図が表示される。
「本日の試験は、対戦形式による情報獲得競争だ。
各ペアには初期ポイントとして百ポイントが与えられ、
制限時間二時間以内に施設内へ設置されたチェックポイントを巡ってもらう」
施設は三階建てで、内部には合計二十のチェックポイントが用意されているらしい。
それぞれの場所で学力、記憶力、論理的思考などを問う問題が出題され、
正解すると一から五までの価値が設定された情報カードを獲得できる。
試験終了時、所持している情報価値の合計が高いペアが勝者となる。
それだけなら、単純に効率よく施設を回り続ければいい。
当然、学校側がそんな単純な試験を用意するはずもなかった。
「初期ポイントは各種機能の購入に使用できる。
相手ペアの現在位置、所持している情報価値、
直前に利用したチェックポイントなどを一定時間確認することが可能だ。
また、指定されたポイントを支払えばチェックポイントの一時封鎖、
偽位置情報の送信、取得済みチェックポイントの偽装なども利用できる」
私は説明を聞きながら、端末に表示された機能一覧へ目を通した。
相手の情報を得るためにもポイントが必要で、妨害するためにもポイントが必要になる。
しかも残ったポイントには一定割合で最終得点への加算がある。
使えば有利になるが、使いすぎれば最終的な得点で不利になる。
相手がどこで何ポイント使ったのかも直接確認することはできない。
なかなか嫌らしい試験だった。
「清……」
危うく名前で呼びそうになり、私は小さく咳払いした。
「綾小路くん、どう思う?」
「龍園向きだな」
小声で聞くと、予想していた答えが返ってきた。
「やっぱり?」
「あいつは自分たちだけで得点を集めるより、こちらの動きを利用して差を作ろうとするはずだ」
「じゃあ、私たちの位置情報を買ってくるかな」
「最初からは使わない可能性もある。ただ、オレがどこへ向かうかは確実に意識する」
清隆がそう言う理由は分かる。
龍園が警戒しているのは私ではない。
清隆だ。
昨日の結果で私について多少評価を修正したとしても、
危険度の優先順位まで逆転したとは思えない。
「昨日話した通り、利用する?」
「ああ。ただし、ひよりには注意しろ」
「分かってる」
私は少し離れた席にいる椎名を見る。
彼女は龍園と静かに話していた。
龍園が清隆を見るのなら、椎名は誰を見るのか。
たぶん私だ。
試験開始の合図と同時に、私たちは施設へ入った。
最初の十分間は、あえて何の仕掛けも使わなかった。
入口から最も近いチェックポイントへ向かい、そこで数学問題を清隆が解く。
続いて別の場所で記憶問題を私が担当し、
さらにその次の論理問題は二人で条件を確認して答えを出した。
三か所とも正解し、情報価値は順調に積み上がっていく。
「普通に進んでるけど、これでいいの?」
移動しながら尋ねると、清隆は端末から視線を外さずに答えた。
「最初はこれでいい。龍園にこちらの行動基準を見せる」
「効率重視で動いてるように見せるんだ」
「そうだ。こちらが最短経路を優先していると思わせれば、次の目的地を予測しやすくなる」
つまり最初から読ませるつもりなのだ。
龍園に、自分は清隆の行動を予測できていると思わせる。
そのためには実際に何度か予測を当てさせる必要がある。
開始から二十分ほど経過した頃、最初の変化が起きた。
次に向かおうとしていた価値四のチェックポイントが、私たちの到着直前に利用不能へ切り替わった。
相手ペアがポイントを使って封鎖したのだ。
「来たね」
「予定通りだ」
私たちは別のチェックポイントへ進路を変えた。
しかし、そこも龍園たちに先に取得されている。
さらに十五分ほどすると、今度はこちらの位置情報が照会されたという通知が届いた。
龍園は確実に清隆を追い始めている。
途中経過では私たちが十七、龍園たちが二十二となり、少しずつ差が開き始めた。
「五点差か」
私は画面を見ながら呟いた。
「まだ気にする必要はない」
「分かってるけど、読まれてるって分かってて動くのは結構悔しいね」
「読ませている」
「それも分かってる。でも気分の問題」
私はそう答えながら次の通路へ進んだ。
さらに時間が経過すると、龍園の妨害は露骨になっていった。
清隆が高価値のチェックポイントへ向かえば先回りし、
こちらが別の場所へ進路を変えれば、その動きからさらに次の目的地を予測してくる。
私たちの得点効率は確実に落ちていた。
途中経過が更新される。
龍園・椎名ペアが二十八。
私たちは十九。
九点差まで広がっていた。
普通なら作戦を変更しなければならない状況だ。
けれど、清隆はむしろそこで足を止めた。
「そろそろだな」
「やっと?」
私は思わず笑った。
「かなり好き放題されたんだけど」
「その分、龍園は確信したはずだ。オレの行動は読めるとな」
「それで、私のことは清隆についてくる補助役くらいに思ってくれてたら最高なんだけどね」
「龍園はそうでも、椎名は違う可能性が高い」
「やっぱりそこだよね」
私も同じことを考えていた。
清隆は端末を操作し、偽位置情報を購入した。
私たちの現在位置とは正反対に近い場所へ、二人が移動しているように偽装する。
「ここから別行動だ」
「了解」
ルール上、二人が離れて動くことは禁止されていない。
ただしペア必須のチェックポイントを利用できなくなるため、長時間続けるには効率が悪い。
今回はそれで構わない。
清隆が龍園を引きつけ、その間に私が高価値のチェックポイントを狙う。
別れる直前、私は周囲を確認した。
誰もいない。
「清隆」
「なんだ?」
「ちゃんと囮やってよね」
「そのために分かれるんだろ」
「私が頑張ってる間に捕まらないでよ」
「捕まるようなルールじゃない」
「分かってるって。言ってみただけ」
清隆はいつもの表情のまま私を見る。
「千秋も気をつけろ。椎名が動いてくる可能性がある」
「心配してくれてる?」
「戦力が減ると困る」
「彼女なんだから、そこは普通に心配してるって言えばいいのに」
「心配してる」
あまりにも素直に返され、今度は私が言葉に詰まった。
「……急にそういうこと言うの、本当にずるい」
「何がだ?」
「もういい。行ってくる」
私は少し熱くなった顔を誤魔化すように背を向け、清隆とは別方向へ走り出した。
今は試験へ集中する。
施設中央に設置された価値五のチェックポイントへ到着すると、私はすぐに端末を接続した。
表示されたのは、複数の人物による証言と行動時刻を照合し、
矛盾のない組み合わせを特定する論理問題だった。
一見すると証言の数が多く、すべてを順番に検証していては時間がかかる。
私は人物ごとの移動可能時間を先に整理し、物理的に成立しない証言を候補から除外した。
そのうえで残った三人の証言を照合すると、答えは一つに絞られた。
私は導き出した答えを端末へ入力し、表示された結果を確認する。
正解を知らせる電子音とともに価値五の情報カードが加算され、
それまで開いていた差を一気に縮めることができた。
「よし」
思わず小さく声が漏れたものの、ここで立ち止まっている余裕はない。
次の目的地を確認しようとしたところで携帯が震え、清隆から短いメッセージが届いた。
『龍園が動いた』
書かれている情報はそれだけだったが、意味を理解するには十分だった。
清隆が送った偽位置情報へ龍園が食いついたのだろう。
龍園が清隆の偽の現在位置を基準に次の行動を組み立てているなら、
少なくとも数分間は私の動きにまで十分な注意を向けられない。
私はその時間を無駄にせず、少し離れた場所にある価値四のチェックポイントへ向かった。
そこで出題されたのは、短い文章の中から前後の条件と矛盾する記述を特定する問題だった。
似たような表現が意図的に並べられていたものの、主語と時系列を整理すれば難しくない。
私は文章の前半と後半で条件が食い違っている選択肢を特定し、迷わず答えを入力した。
再び正解を知らせる音が鳴る。
先ほどの五点と合わせれば、一気に九点を稼いだことになる。
途中経過でつけられていた差は、これでほとんど消えた。
私は端末の得点表示を確認しながら、自然と口元が緩むのを感じた。
龍園は清隆を危険視している。
それ自体は間違っていない。
清隆を自由にさせれば何をされるか分からない以上、
優先して動きを封じようとする判断は合理的だ。
けれど私たちは二人一組なのだ。
清隆だけを封じれば勝てると思っているのなら、その認識だけは改めてもらわなければならない。
私は次のチェックポイントを確認しようとしたが、
その時、通路の向こうからこちらへ歩いてくる人影に気づいた。
相手もほぼ同時に私を認識したらしく、一定の距離を残したところで歩みを止める。
そこにいたのは、龍園ではなかった。
「こんにちは、松下さん」
椎名は普段と何も変わらない穏やかな笑顔を浮かべ、小さく会釈した。
「こんにちは、椎名さん」
私も平静を装って挨拶を返しながら、彼女の手元へ目を向ける。
専用端末を持っている。
そして周囲に龍園はいない。
つまり向こうも別行動へ切り替えていたということになる。
清隆が龍園を引きつけ、その死角で私が動く。
龍園が清隆を追い、その間にひよりが私を見る。
結果として、両方のペアがほとんど同じ形へ分かれていた。
「一人なんですね」
ひよりが静かに尋ねてきた。
「椎名さんもでしょ。龍園くんは?」
「少し前から別々に動いています」
隠す様子もなく認めた。
私は彼女の表情を見ながら、どこまでこちらの行動を読まれていたのか考える。
「もしかして、私がここに来るって分かってた?」
「分かっていた、とまでは言えません。
松下さんが必ずこの場所へ来るという確信はありませんでしたから」
「じゃあ偶然?」
「半分くらいは偶然だと思います」
その答え方を聞いた瞬間、私はやっぱりこの子はやりにくいと思った。
嘘をついているわけではないのだろう。
しかし、こちらの質問へ必要な範囲では正直に答えながら、
自分が持っている情報のすべてを明かしているわけでもない。
私自身にも少し覚えのあるやり方だった。
「残り半分は?」
さらに尋ねると、椎名は私の顔を静かに見つめた。
龍園のように相手を威圧する視線ではなく、
何か興味深いものを観察している時のような柔らかな目だった。
「昨日から松下さんを見ていて、少し気になっていたんです。
正確には、松下さんと綾小路くんのお二人を見ていて、でしょうか」
私は表情こそ変えなかったが、その言葉には意識を引き締めた。
「昨日の連携試験でもそうでしたが、松下さんは綾小路くんへ判断を任せているように見えて、
実際にはほとんど任せきりにしていませんでした。綾小路くんが前へ出る時には一歩下がっていますけれど、
ご自分で判断すべきところでは必ず自分で判断しています」
椎名は私を責めるでもなく、ただ気づいたことを説明するように続ける。
「それなのに、周囲から見ると綾小路くんが中心となって、
松下さんがそれを補助しているように見えるんです。
もしかすると松下さんは、自分がそう見えるように意識しているのではないかと思いました」
そこまで見られていたとは思わなかった。
私は清隆の後ろへ隠れているわけではない。
自分から影へ入っている。
必要になるまではそこで待ち、必要になれば前へ出る。
ひよりは昨日一日だけで、その性質をかなり正確に捉えていた。
「だから龍園くんが綾小路くんを追い始めた時、
松下さんはその状況を利用して別方向から動くのではないかと考えました。
ここでお会いできる確信まではありませんでしたが、高い価値のチェックポイントを狙うなら、
この辺りへ来る可能性は高いと思っていました」
私は思わず苦笑した。
「椎名さんって、思ってたよりずっとやりにくいね」
「そうでしょうか?」
「褒めてるよ。少なくとも私は、ここまで読まれてるとは思ってなかったから」
「ありがとうございます。でも、私も松下さんのことを全部分かっているわけではありません」
椎名はそう言うと、私の端末へほんの一瞬だけ視線を向けた。
次にどこへ行くつもりなのか探っている。
そう感じた。
そして私も同じことを考えていた。
椎名は次にどこへ向かうのか。
残り時間をどう使うのか。
龍園との間でどんな役割分担をしているのか。
表面上は穏やかに会話しているだけなのに、互いに相手の次の行動を読み合っている。
清隆と龍園の勝負が互いの策を正面からぶつけるものだとすれば、
私と椎名の勝負はその裏側で静かに進んでいた。
「近くに価値三のチェックポイントがありますね」
椎名が言った。
「やっぱり気づいてるよね」
「松下さんも向かわれますか?」
「もちろん」
「では、私も行きます」
二人でほとんど同時に歩き出した。
チェックポイントへ到着すると、端末に対戦形式への移行が表示された。
同時到着した二人が同じ問題へ挑戦し、先に正答した側だけが情報カードを獲得できる。
制限時間は五分。
画面には六人の人物について年齢、所属、発言内容、行動履歴が表示され、
その中からすべての条件を満たす一人を特定するよう求められた。
私は余計な会話をやめ、情報の整理へ集中した。
最初に年齢条件で候補を四人へ絞り、所属条件によって三人まで減らす。
残る三人について発言と行動履歴を照合すると、一人には時間的な矛盾があり、
もう一人にも条件と一致しない部分が見つかった。
答えが見えた。
私は入力しようと指を動かした。
しかし、その直前に隣から正解を知らせる電子音が鳴った。
椎名が先だった。
画面には椎名ひよりが情報カードを獲得したことが表示される。
ほんの数秒。
おそらく差はそれくらいだった。
「……やられた」
悔しさはあったが、それ以上に驚いた。
椎名は私とほぼ同じ方法で条件を整理し、私よりわずかに早く答えへ到達したらしい。
「僅かな差だったと思います」
「慰めてる?」
「いいえ。本当にそう思っています」
椎名は穏やかな笑顔を崩さない。
私は一瞬だけ、もし清隆ならもっと早く解けただろうかと考えた。
しかし、その考えをすぐに捨てた。
今ここで戦っているのは清隆ではない。
私だ。
清隆ならどうしたかを考えている時点で、私はひよりに負けている。
「次は負けないから」
私がそう言うと、ひよりは少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「はい。私も負けたくありません」
そこから残り時間の大半を使って、私とひよりは施設内のチェックポイントを奪い合うことになった。
相手より先に到達するだけでは足りない。
ひよりが高価値を狙うのか、それとも私がそう考えることを読んで低価値を複数回収するのか。最短経路を選ぶのか、あえて遠回りしてこちらの予測を外すのか。
私は相手の性格まで含めて考えるようになった。
ひよりは慎重だが、臆病ではない。
成功する可能性が高いと判断すれば、意外なほど大胆に動く。
一方で無意味な賭けは避ける。
私が価値四を狙うと見せかけて二へ向かえば、ひよりは一度だけ騙された。しかし次に同じような動きを見せると、今度は完全に読まれて先回りされた。
一度見せた癖をすぐに学習している。
思っていた以上に強い。
それでも私は嫌ではなかった。
むしろ楽しかった。
これまで私は、本気を出して誰かと競争すること自体を避けることが多かった。
勝てば目立つし、目立てば期待される。
それなら最初から適度なところに収まっていたほうが楽だからだ。
でも今は違う。
椎名に負けたくない。
清隆と一緒に勝ちたい。
そのためなら、自分の力を隠すことにこだわる必要はなかった。
残り三十分になったところで、私は清隆と再び合流した。
途中経過は龍園・椎名ペアが四十五、私たちが四十三。
二点差まで追いついている。
「龍園くんのほうは?」
私が尋ねると、清隆は端末を確認しながら答えた。
「少なくとも二十ポイント以上は使わせたはずだ。
位置情報の照会と封鎖、それに偽情報の確認にも使っている」
「こっちは椎名さんが思ってた以上に強かった。
対戦問題で一回負けたし、そのあとも何度か先回りされた」
「そうか」
「もうちょっと驚かない?」
「椎名が優秀なのは知っている」
私はその言葉に少し引っかかった。
「随分よく知ってるんだね」
「話す機会はあるからな」
「本の話とか?」
「ああ」
「ふうん」
自分でも分かるくらい、返事の温度が下がった。
清隆がこちらを見る。
「どうした?」
「別に何でもない」
「そうか」
「そこはもう少し聞いてよ」
自分でも面倒くさい。
でも少しくらい察してほしいとも思う。
そんな私の気持ちなど知らないまま、清隆は端末へ視線を戻した。
その時、全参加者へ一斉通知が届いた。
残り三十分限定の特殊チェックポイントが解放される。
情報価値は十。
場所は施設最上階。
現在の二点差を考えれば、ここを取った側が圧倒的に有利になる。
「行くしかないね」
「ああ。龍園も確実に来る」
私たちは最上階へ向かった。
到着した時には、龍園とひよりもすでに来ていた。
「遅かったな」
龍園が笑う。
「随分ポイント使ったみたいだね」
私が返すと、龍園の目が少し細くなった。
「ほう。てめえにも分かったか」
「何となくだけどね」
「ククッ、何となく、か。便利な言葉だな」
四人が揃ったことで特殊チェックポイントが起動した。
画面には大量の条件文が表示される。
複数の人物。
配置。
番号。
証言。
さらに一部の情報には、
それが他の条件と組み合わされた時にだけ意味を持つような仕掛けまで施されていた。
制限時間は十分。
誤答は一度でも即失格。
私は清隆と一緒に情報を読み始めた。
開始から二分ほど経ったところで、突然こちらの画面に警告が表示された。
龍園たちが妨害権を使用し、問題文の一部が三分間だけ非表示になったのだ。
「最後まで残してたんだ」
私が龍園を見ると、彼は楽しそうに笑っている。
「こういう時のためのポイントだろ」
情報が欠けた状態では、条件を完全に組み立てることができない。
三分待てば復元される。
しかし、その三分間に龍園とひよりが答えへ到達すれば終わる。
私が画面を見つめていると、隣から清隆の声が聞こえた。
「消えた部分は覚えている」
思わず清隆を見る。
「全部?」
「必要な部分はな」
「本当にそういうところ反則みたいだよね」
「ルールには違反していない」
「褒めてるんだけど」
清隆が記憶していた条件を口頭で補い、私は残っている情報と照合する。
人物Aは三番の隣には置けない。
人物CとDは連続する。
五番に入る人物は二番の人物より年上。
条件を組み合わせれば、候補は少しずつ減っていく。
しかし、途中で一つだけ矛盾が生じた。
このままでは二つの条件を同時に満たせない。
「待って、清隆」
「何だ?」
「三番目の条件の『隣接する』って、番号が連続してるって意味じゃないと思う」
清隆が画面を見る。
私は配置図を指した。
「この問題、番号順と実際の位置関係が一致してない。
だから番号上で隣じゃなくても、配置では隣になってる場所がある」
清隆は数秒だけ考えた。
「その解釈なら矛盾が消える」
「でしょ?」
私たちはすぐに条件を組み直す。
答えが一つに絞られた。
その時、向かい側でひよりが龍園へ何かを伝えた。
龍園の指が端末へ伸びる。
向こうも答えに辿り着いた。
「清隆」
「ああ」
私は最終確認を行い、清隆と同時に頷いた。
入力する。
ほぼ同時に向こうからも操作音が聞こえた。
数秒後、画面へ結果が表示された。
正答したのは両ペア。
しかし、先に入力を完了したのは私たちだった。
差は一秒にも満たない。
私は画面に表示された結果を何度も確認し、ようやく自分たちが勝ったのだと実感した。
「勝ったね」
「ああ」
清隆はいつもと変わらない。
「これだけギリギリだったんだから、もうちょっと嬉しそうにしてよ」
「嬉しくないとは言ってない」
「顔にも出して」
「努力する」
「それ昨日も聞いた気がする」
私は思わず笑った。
向こうでは龍園が結果を確認していた。
負けたというのに、悔しそうというより面白いものを見つけたような表情をしている。
「ククッ……そういうことか」
龍園がこちらを見る。
正確には、私を見ていた。
「何?」
「てめえ、思ってたより随分猫被ってやがったな、松下」
「失礼じゃない?」
「綾小路の後ろをついて回ってるだけかと思えば、最後にこいつが見落とした条件まで拾いやがった。
その前には椎名と一人で張り合って点まで稼いでる」
私は否定しなかった。
ここまで見せてしまった以上、今さら隠しても意味がない。
「清隆ばっかり見てるからじゃない?」
口にしてから気づいた。
龍園の前で名前を呼んでしまった。
一瞬だけ空気が止まったような気がした。
私は自分でも分かるほど固まった。
龍園の口元がゆっくり持ち上がる。
「ほう?」
しまった。
完全にやった。
隣を見ると清隆はいつもの顔をしている。
助けてほしい。
今だけは本気でそう思った。
「随分親しげな呼び方じゃねえか」
「今のは、その……」
言い訳が思いつかない。
こんな時に限って頭が回らない。
龍園は楽しそうに笑っている。
「なるほどな。試験より面白えもん見つけちまったかもしれねえな」
「龍園」
清隆が口を挟んだ。
「何だ?」
「好きに想像すればいい」
「言われなくてもそうするぜ」
最悪。
私は片手で額を押さえたくなった。
試験では勝ったのに、別のところで完全に負けた気分だった。
そのやり取りを、ひよりは黙って見ていた。
私は恐る恐る彼女を見る。
椎名は笑っていなかった。
怒っているわけでもない。
ただ、ほんの少しだけ驚いたような表情で私と清隆を見比べている。
そして視線が清隆のところで止まった。
その目を見た瞬間、胸の奥に小さな引っかかりを感じた。
やっぱり。
もしかして。
私は以前から何となく気づいていた。
椎名は清隆を特別に見ている。
それが友情なのか、それ以上なのかまでは断定できなかった。
でも今の表情を見てしまうと、たぶん私の想像は完全な間違いではない。
やがて、椎名はいつもの穏やかな笑顔へ戻った。
「松下さん」
「何?」
「今日は楽しかったです」
私は少し意外に思った。
でも、その言葉には素直に答えたかった。
「私も楽しかった。途中は本気で悔しかったけどね」
「私も最後は悔しかったです」
「次は負けないから」
「はい。私も負けません」
そう言って微笑んだあと、ひよりはもう一度だけ清隆へ視線を向けた。
今度はすぐに逸らした。
最終結果は、私たちが五十三、龍園と椎名が四十五。
数字だけを見れば八点差だったが、実際には最後の価値十を取ったことで生まれた差であり、
そこを落としていれば結果は逆転していた。
決して楽な勝利ではない。
むしろ初日の試験より、ずっと危なかった。
放課後、私は清隆と人目につかない場所で合流した。
顔を合わせた瞬間、私は彼の前へ立つ。
「清隆」
「何だ?」
「さっきの忘れて」
「何を?」
「龍園くんの前で名前呼んじゃったやつ」
「無理だろ」
「そこは忘れたって言ってよ」
「龍園も椎名も聞いていた」
「分かってるから困ってるの!」
私はため息をついた。
よりによって龍園に聞かれるなんて最悪だった。
明日には石崎あたりまで知っていても不思議ではない。
「どうしよう」
「隠し続ける必要があるのか?」
「え?」
予想していなかった言葉だった。
「別に知られて困る関係じゃないだろ」
私は清隆を見る。
言っている本人はいつもの顔だった。
でも、その言葉の意味を考えると、少しだけ胸が熱くなる。
「それって、付き合ってるって知られてもいいってこと?」
「ああ」
「……清隆からそういうこと言うんだ」
「問題があるか?」
「ないけど」
むしろ嬉しい。
私は少しだけ視線を逸らした。
「じゃあ、もう無理して隠さなくてもいいのかな」
「千秋が嫌なら隠してもいい」
「私は……別に嫌じゃない」
口にすると、急に恥ずかしくなった。
私は誤魔化すように清隆の隣へ移動し、彼の腕へ自分の腕を絡ませる。
「今日はこれで帰る」
「昨日も同じことを言ってなかったか?」
「今日は堂々と」
「さっきまで隠す話をしていたと思うが」
「気が変わったの」
清隆は拒まなかった。
私はそのまま彼の肩へ少し身体を寄せる。
試験で勝ったことも嬉しい。
椎名との勝負も楽しかった。
自分の力を出せたことにも満足している。
でも今は、それとは別の感情のほうが少し大きかった。
「ねえ清隆」
「何だ?」
「椎名さんと仲いいんだよね」
「ああ」
また即答。
少しくらい考えてほしい。
「よく二人で本の話するの?」
「することはある」
「二人で?」
「そうだな」
私は絡ませている腕に少しだけ力を入れた。
「痛いんだが」
「知らない」
「どうした?」
「清隆が悪い」
「何がだ?」
本当に分かっていない。
私は呆れながらも、少し笑ってしまった。
「椎名さん、清隆のこと好きなんじゃない?」
ようやく聞いた。
清隆は驚きもしなかった。
「そうなのか?」
「私に聞かないでよ」
「本人から聞いたことはない」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ」
私は今日の椎名の表情を思い出す。
私が清隆と呼んだ時。
私たちの関係を龍園に疑われた時。
あの一瞬だけ見せた表情。
たぶん嫉妬だった。
少なくとも、何とも思っていない男を見る目ではなかった。
「もし椎名さんが清隆のこと好きだったらどうする?」
「どうもしない」
「即答なんだ」
「オレは千秋と付き合ってるからな」
今度は私の足が止まりそうになった。
本当にずるい。
こういうことを普段から言う男なら、私だって身構えられる。
普段は何を考えているのか分からないくらい淡々としているのに、
時々こんなことを何でもない事実のように口にする。
「清隆ってさ」
「何だ?」
「私を喜ばせようとして言ってる?」
「事実を答えただけだ」
「それが一番ずるいんだって」
私は笑いながら、もう少しだけ彼へ身体を寄せた。
今日の試験で私は一つ、自分自身について分かったことがある。
誰かと本気で競うのは、思っていたほど嫌いではない。
むしろ相手が強ければ強いほど、自分がどこまで通用するのか試してみたくなる。
そして清隆と一緒に勝つことは、一人で良い成績を取るよりずっと嬉しかった。
龍園には私の実力を知られた。
ひよりにも、私が能力を隠していたことをほとんど見抜かれた。
それでも後悔はない。
必要になるまで隠しておくことと、永遠に隠し続けることは違う。
今は使うべき時だ。
私は清隆の隣で戦うと決めたのだから。
ただし、試験とは別に一つだけ問題が増えた。
椎名ひより。
あの子は強い。
頭も切れるし、人を見る目もある。
そして、おそらく清隆のことが好きだ。
試験相手としても厄介なのに、恋愛まで絡んでくるならもっと厄介だった。
それでも不思議と、嫌いにはなれなかった。
今日、本気で競って楽しかったからだと思う。
だからこそ負けたくない。
試験でも。
清隆の隣という場所でも。
私たちは寮へ向かってゆっくり歩いていく。
いつもなら誰かの気配がするたびに離れていたけれど、今日はそうしなかった。
清隆の腕に自分の腕を絡ませたまま歩いていると、何人かの生徒とすれ違った。
そのうち一人はこちらを見て明らかに驚いていたので、
おそらく明日にはそれなりの人数へ噂が広がっているだろう。
それでも私は腕を離さなかった。
陰にいることと、好きな人の隣にいることまで隠すことは同じではない。
少なくとも私は、そう思い始めていた。
そして明日から、この試験はさらに難しくなる。
龍園と椎名を破ったことで、私たちは二日連続で高い結果を残した。
これから対戦する相手が私たちを軽く見ることは、もうないだろう。
一之瀬帆波と神崎隆二。
坂柳有栖と白石飛鳥。
どちらも龍園たちとはまったく異なる戦い方をする相手であり、
とりわけ白石については、未だに何を隠しているのかさえ分かっていない。
けれど、それでいい。
相手が強いなら、私も隠していたものを出せばいい。
清隆が相手の表側を崩すなら、私はその死角を見る。
私が相手の感情や行動の違和感を拾えば、清隆がそこから次の手を組み立てる。
どちらか一人だけでは届かない答えにも、二人なら手が届くかもしれない。
昨日までは、それを単なる相性の良さだと思っていた。
今日、龍園と椎名を相手に最後まで戦い抜いたことで、
私はようやく別の言葉で考えられるようになった。
私と清隆は、ただ偶然組まされたペアではない。
互いに人前へ出さなかった力を知り、それを必要な時には迷わず預け合える。
恋人であると同時に、同じ盤面の裏側を歩ける相棒でもある。
七日間の特別試験はまだ二日目を終えただけだったが、
私はこの時すでに、清隆と二人でどこまで行けるのかを試してみたいという気持ちを、
昨日までよりもずっと強く抱くようになっていた。