死の執政に、粥を一匙   作:いくと

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※本編第4話「誰かのための献立」の途中から分岐するIFルートです。
※本作は原神Ver.7.1魔神任務(第七章第四幕「冥府へのレクイエム」)までのネタバレを含みます。
※今回はロノヴァ視点です。



IF1-1 しっせいって、なに?

 手伝う、と言ったのは、わたしだった。借りを、返すために。

 一緒に作ったら、ちょっとは違う味がするかな——トイヴォは、そう言って笑った。

 芋は、結局、トイヴォが剥いた。わたしが剥いた分厚い皮の山は、トイヴォが拾い集めて、明日の汁物に回すことになった。無駄になるものは、この家にはないらしい。

 代わりに、包む係が回ってきた。

 丸く延ばした皮に、刻んだ肉と玉ねぎを載せて、二つに折って、縁をつまむ。トイヴォの手の中では、同じ形の団子が次々に並んでいく。

 わたしの黒い指は、長くて、硬い。力を入れれば破れ、入れなければ縁が開く。

 三つ目を包みながら、わたしは、皮と肉の境目ばかりを見ていた。

 

「この兎ね」

 トイヴォが、刻んだ肉の入った鉢を指さした。

「今朝、五つ目の罠にかかってたんだ。この前のと同じ罠。あそこは、よく獲れるんだよ」

「そうか」

「ちゃんと、ありがとうって言ったよ」

 四つ目の皮に、肉を載せた。多すぎた。匙で少し戻した。

「知っている」

 わたしは、皮の縁をつまみながら言った。

「あの兎は、迷わずに来た。お前の声のあとで」

 縁が、うまく閉じた。

 初めて、きれいに閉じた。

 わたしは、それを台の上に置いて、次の皮に手を伸ばした。

 トイヴォの手が、止まっていた。

 

「……来たって?」

 顔を上げると、トイヴォが、粉のついた手のまま、こちらを見ていた。

「どこに?」

「わたしのところに」

 言ってから、気づいた。

 今、わたしは何を言ったのか。

 記録の言葉だった。今朝、森の縁で、小さな糸がひとつ終わった。終わった糸は、わたしのもとを通って、あるべきところへ行った。迷わずに。——わたしは、それを、帳面を読み上げるように口にしたのだ。団子の縁をつまむのに、気を取られて。

「ロノヴァのところに? 兎が?」

 トイヴォは、首をかしげた。

 占い師の言葉として、受け取ろうとしている顔だった。そういうふうに、この人間はずっと、わたしの言葉を受け取ってきた。そういうものだと思っておけ、とわたしが言ったからだ。

 今もそう言えば、それで済む。

 口を開きかけて、閉じた。

 占い師だとは、わたしは一度も言っていない。言っていないが、そう思わせたままにしておくのと、この口でもう一度それを重ねるのとでは、帳尻が違う。

 借りのある相手に、帳尻の合わない言葉は返せない。

 ——そういうことに、しておいた。

 

「わたしは、死の執政だ」

 トイヴォは、瞬きをした。

「この大地で終わる命は、すべて、わたしのもとを通る。人も、獣も、草も。今朝、あの兎の糸が終わった。だから、知っている」

 草も、と言ったとき、わたしの目は、棚の上の鉢へ行きかけた。

 止めた。

 トイヴォの目は、一度も、そちらへ行かなかった。

 恐れるだろう、と思った。

 死を扱う者が、この人間の家の台所で、団子を包んでいるのだ。わたしは、この人間が後ずさるのを待った。白い粉の残る指を、胸の前で握りしめるのを。

 

「しっせいって、なに?」

 トイヴォは、ゆっくりと言った。

「役人さん、みたいなもの?」

 わたしは、何と答えればいいのか分からなかった。

「……近い、かもしれない」

「誰の役人さんなの? 女皇様とか?」

「違う」

 それから、わたしは説明する羽目になった。

「この世界には、定めがある。それをつくった者がいる。定めを執り行う影が、四つ。わたしは、そのひとつだ」

「女皇様より、上?」

「……上下で測るものではない」

「でも、上なんだよね」

「……上だ」

 天理と女皇を同じ物差しに載せた者は、これまでいなかった。訂正しようとして、できなかった。載せてみれば、確かに、上だった。

「定めから外れたものは、わたしが終わらせる。それも、職務だ」

「うん」

 話しているあいだ、トイヴォの手は止まらなかった。皮を延ばし、肉を載せ、折って、閉じる。

 全部を聞き終えて、トイヴォは言った。

「つまり、偉い人なんだね」

 ——。

 凍傷。霜。占い師。分からないものを、この人間は、手近な名前で呼んで棚に置く。今日、わたしは、偉い人の棚に置かれた。

 分かっていてそこに置いたのか、分からないから置いたのか。わたしには、見分けがつかなかった。

「すごく偉い人が、うちで芋の皮を剥いて、団子を包んでるんだ」

 トイヴォは、わたしの包んだ団子を見た。縁から肉がはみ出したものだった。

「じゃあ、これ、偉い人が包んだ団子だ」

 

「……恐ろしくは、ないのか」

 聞かずには、いられなかった。

「うーん」

 トイヴォは、少し考えた。

「兎は、迷わずに行けたんだよね」

「そうだ」

「じゃあ、よかった」

 わたしは、トイヴォを見た。

 なぜ、そこを喜ぶ。

「ありがとうって言うの、兎に通じてるのかどうか、ずっと分からなかったんだ。通じなくてもいいと思ってたけど。……でも、ちゃんと行けたなら、よかった」

 トイヴォは、そう言って、次の皮に手を伸ばした。

 わたしは、三日前の昼前のことを思い出していた。

 家から罠までは、ずいぶん離れている。それでも、あのとき、わたしには聞こえた。小さく、ありがとう、と。糸の終わる、ほんの少し前に。

 あの声が、兎に届いたのかどうかは、知らない。

 わたしには、届いていた。

 

   ◇

 

 十個包んで、十個とも違う形になった。ひとつは、どういうわけか三角になった。

「……形が揃わない」

「いいんだよ、形はどうでも。中身は一緒だから」

「非効率だ」

「そうかもね」

 トイヴォは、三角の団子をつまみ上げた。

「これ、僕が食べていい?」

「なぜ、わざわざ出来の悪いものを選ぶ」

「偉い人が初めて作ったやつだから」

 からかわれているのだ、と気づくのに、少しかかった。

 死の執政をからかった者は、これまでいなかった。どう返せばいいのかは、分からなかった。

 

 茹でる前に、トイヴォが汁の味を見た。塩の壺に伸びた手を見て、わたしは口を開いた。

「待て」

「ん?」

「あの朝の粥は、塩が多かった」

「……え、そうだった?」

「そうだった」

 トイヴォは塩の壺を置いて、少しだけ水を足した。

 タイムが枯れた朝から、この人間の作るものは、どれも少しずつ塩が強い。

 なぜなのかを、わたしは知っている。

 わたしが何であるかを、今日、わたしは言った。あの鉢を終わらせたのが誰なのかは、まだ言っていない。

 この人間は、わたしが何であるかを聞いても、塩の加減のほうを気にする。

 

 茹で上がった団子を、トイヴォは揃った形のものをわたしの器に、揃わないものを自分の器に入れようとした。

 わたしは黙って、三角のものだけを自分の器に取り返した。

「……わたしが作った。わたしが食べる」

 トイヴォは、少しだけ残念そうな顔をして、それから、笑った。

「偉い人の団子、取られちゃった」

「その呼び方は、やめろ」

「じゃあ、ロノヴァの団子」

「そっか。だから、食事は必要ない、って言ってたんだね」

 トイヴォが、ふと思いついたように言った。

「……そうだ」

「でも、食べてるよね」

 眉が寄るのが、自分で分かった。

 トイヴォは笑って、わたしの器に、揃った形の団子をひとつ足した。

 

 食べながら、トイヴォはぽつぽつと話した。

 父と母が、七つの冬に、流行り病で死んだこと。それからは、祖母と二人で暮らしたこと。

「おばあちゃんは、四年前の冬。朝起きたら、眠ってるみたいに冷たくなってた」

 匙は、止まらなかった。

 わたしは、次の言葉を待った。——その糸も、ロノヴァのところを通ったの。そう聞かれれば、答えなければならない。記録した、と。覚えては、いない、と。

 トイヴォは、団子をひとつ口に入れて、ゆっくり噛んで、飲み込んだ。

「だから、誰かにご飯を作るのは、四年ぶりなんだ」

 それだけだった。

 四年前の冬。この森で、ひとつの糸が終わった。わたしのもとを通ったはずの糸だ。

 覚えていない。そのことが、喉の奥に、小さな骨のように刺さった。

 わたしは、三角の団子を口に入れた。

 トイヴォの作ったものと、同じ味がした。

 ——いや。

 ほんのわずかに、違う味がした気がした。

 

   ◇

 

 片づけが終わり、暖炉の火が落ち着いたころ、トイヴォが言った。

「ねえ、ロノヴァ。死の執政なら、知ってるかもしれない話があるんだ」

 トイヴォは暖炉のそばに腰を下ろし、薪を一本、手の中で転がしながら話しはじめた。

「おばあちゃんが、霜月の子たちから聞いたっていう話。昔、このあたりの人たちは、トゥオネタルっていう冥府の女神様に、獣を捧げてたんだって。冬の終わりに、その年いちばんいい獣を。死んだ人の魂が、迷わずに冥府へ行けるように」

 迷わずに。

 ——さっき、わたしが兎に使った言葉だった。

「でも、いつの間にか、捧げるのをやめちゃったんだって。なんでかは、おばあちゃんも知らなかった」

 遠い昔、冬の終わりごとに、南の森から細い煙が昇っていた。ある年から、昇らなくなった。わたしは、どちらも記録した。それ以上のことは、何も思わなかった。

 

「……煙は、見ていた」

 口が、また、先に動いた。

 今日は、よく口が滑る。

 トイヴォが、火から目を上げた。

「え?」

 わたしは、今度は、言い直そうとしなかった。

 一度目で、戸は開いてしまった。開いた戸を、この口でもう一度閉める理由は、見つからなかった。

「霜月の子たちは、わたしを、トゥオネタルと呼んだ」

 薪を転がしていたトイヴォの手が、止まった。

 死の執政の話を聞きながら、団子を包み続けた手が。

「……おばあちゃんの、昔話の?」

「そうだ」

 トイヴォの唇が、何か言いかけて、閉じた。

 もう一度、開いた。

「……ほんとに、いたんだ」

 それだけだった。

 恐れる顔ではなかった。おばあちゃんの昔話の中から、誰かが歩いて出てきたのを見たような顔だった。

 わたしは、拍子抜けしていた。

 拍子抜けして——それから、胸のどこかが、少しだけ、ゆるんだ。安堵、という言葉が、知識の棚の端のほうにあった。それをわたしに当てはめていいのかは、決めかねた。

 

 トイヴォは、しばらく火を見ていた。

 それから、少し照れたように言った。

「おばあちゃんね。女神様は寂しくなかったのかねえ、って言ってたんだ。毎年来てたお供えが、ある年から来なくなったんだもの、って」

 トイヴォは、わたしを見た。

 今度は、占い師に聞くような目ではなかった。本人に聞いている目だった。

「……寂しかった?」

 

 寂しい。

 その言葉を、わたしは知っている。人間が、ひとりでいるときに抱く感情の名だ。

 けれど、それがわたしに向けられる言葉だとは、一度も考えたことがなかった。

 寂しくなど、なかった。——そう言うのは、簡単だった。女神とはそういうものだ、と付け足せば、この人間はきっと、そっか、とうなずくだろう。

 けれど、わたしは、それが本当かどうかを知らなかった。

「……分からない」

 わたしは、言った。

「考えたことが、なかった」

 口にしてから、確かめた。嘘ではなかった。

 長いあいだ、煙の昇らない南の森を、わたしは記録のとおりに見下ろしていた。見下ろしながら、一度も、それを考えなかった。

「そっか」

 トイヴォは、うなずいた。

「じゃあ、考えてみてよ。ゆっくりでいいから」

 それから、ずっと握っていた薪を、ようやく火にくべた。

 夕食のときも、今も、トイヴォは聞かなかった。四年前の冬の、ひとつの糸のことを。この大地で終わる命は、すべて、わたしのもとを通る——わたしは、そう言ったのに。

 わたしのことは、聞いた。寂しかったか、と。

 自分のことは、聞かない。

 聞かないことで、何かを守ろうとしているのだと、わたしは思った。

 

 寝る前に、トイヴォは、いつものように軟膏の壺を出した。

 肘の上から、指先まで。黒い肌の、赤い模様の上を。

 何を終わらせる腕なのか、この人間は、今日聞いた。聞いたうえで、壺に指を入れた。

「これも、凍傷じゃないんだよね」

「……違う」

「そっか」

 指は、止まらなかった。

「じゃあ、やっぱり、痛くならないように塗っとくね」

 小指の先まで、薄く、丁寧に。いつもと同じ順番で、同じところを通った。

 わたしは、何も言わなかった。

 

   ◇

 

 その夜、わたしは寝床から、暖炉の向こうを見ていた。

 トイヴォは毛皮一枚にくるまって、背を向けて横になっていた。寝息は、まだ聞こえなかった。

 眠る必要はない。——いつものように、そう思おうとした。

 思おうとして、別のことを思った。

 今日、わたしは二度、口を滑らせた。

 天の高みにいたあいだ、わたしは、一度も口を滑らせたことがなかった。言葉は、定めを告げるためにあった。告げるべきことだけを、告げるべき者に。

 この家では、言葉が、わたしより先に歩く。

 それが——悪くは、ない。

 悪くはない、と思っている自分がいた。

 

 意識を広げると、糸が見えた。

 雪の下で眠る鼠の、細い糸。棚の上の鉢の、髪の毛よりも細い根の糸。暖炉の向こうの、少し太い、長い糸。

 その先に、別のものが触れた。

 北から、十二。整然と間隔を保って、雪を踏んでくる。凍てついた鉄の匂い——女皇の兵だ。

 隊列は、まだ遠い。明日の昼か、遅くとも、明後日。

 黙っていることは、できた。

 黙って、夜明け前に、ここを出ることも。

「……トイヴォ」

 暗がりに、声をかけた。

「起きているか」

 毛皮が、少しだけ動いた。

「……うん」

「女皇の兵が来る。北から、十二人。……わたしを、探している」

 しばらく、返事がなかった。

 暖炉の熾火が、赤く息をしていた。

「いつ?」

「明日の昼か、明後日」

「そっか」

 なぜ探しているのかを、トイヴォは聞かなかった。

 劇場のことを、わたしは言わなかった。聞かれなかったからだ。

 ——そういうことに、しておいた。

 トイヴォが寝返りを打って、こちらを向いた気配がした。

「じゃあ、明日の朝、床下を片づけておかなきゃ」

 隠す、と言ったのだ。この人間は。わたしが何であるかを、今日、聞いたばかりで。

 なぜ、と聞こうとした。

 いつもの形の問いが、喉まで上がってきて——そこで、止まった。

 答えは、たぶん、もう聞いていた。死の執政の職務を全部聞いて、この人間が拾い上げたのは、兎が迷わずに行けたことだけだった。

 ——雪原で、わたしを拾ったのと、同じ拾い方で。

「……おやすみ、ロノヴァ」

 暗がりから、声がした。

 わたしは、答えなかった。

 答えれば、明日の朝も、ここにいることになる。

 ——いるのだ、と思った。明日の朝も、わたしは、ここに。

 答えないまま、目を閉じた。

 眠る必要はない。

 今夜は、少しだけ、眠れそうな気がした。




お読みいただきありがとうございました。
次回、IF1-2「知っていて、かくまう」はトイヴォ視点でお送りします。

本編はここで完結です。このあと、トイヴォとロノヴァが鍋を持って旅に出る続編「旅路編」を書こうか考えています。読んでみたいと思いますか?

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