死の執政に、粥を一匙   作:いくと

41 / 44
※本作は原神Ver.7.1魔神任務(第七章第四幕「冥府へのレクイエム」)までのネタバレを含みます。
※第二部「旅路編」の第12話です。今回からナタ編です。
※旅の途中の村や人物、料理には、作中の創作を含みます。
※今回はロノヴァ視点です。


旅路編 第12話 留まりすぎた村

 フォンテーヌからの船は、五日かかった。島の老婆の梅の壺は、三日目の朝に、最後のひとつを使いきった。

 ナタの港に下りたとたん、熱が、足の裏から上ってきた。

 赤い土だった。岩も、赤かった。遠くの山の頂から、細い煙が上がっていた。空気が乾いていて、どこかで、硫黄の匂いがした。

 港には、大きなとかげのような獣が、何頭もつながれていた。人を背に乗せ、荷を運ぶ獣だった。トイヴォは、口を開けて、それを見上げていた。

 わたしは、糸を数えようとした。

 数える前に、止まった。

 港を見下ろす崖の上に、糸がひとつ、立っていた。

 燃えていた。

 人の糸の形をしていた。けれど、太さも、熱も、人のものではなかった。燃えさかる火の芯のような糸だった。

 その糸が、崖を下りてきた。

 

 背の高い女だった。

 長い髪が、炎の色をしていた。毛先が、燠火のように、ちらちらと光っていた。女が歩くと、足もとの空気が、揺らいだ。

 港の人々が、女に気づいて、道をあけた。頭を下げる者もいた。女は、それに片手で応えながら、まっすぐ、わたしのほうへ来た。

 わたしから、十歩のところで、止まった。

「……来ると思っていた」

 女は、言った。

 低い、よく通る声だった。

「この国の空に、あれが立った。……それから、黒く枯れた輪の噂が、国をひとつずつ渡ってきた。いずれ、この国の土も踏むだろうとな」

 トイヴォが、わたしと女の顔を、交互に見た。

「……きみの命を、取り立てに来たのではない」

 わたしは、言った。

 きみ。トイヴォの肩が、少しだけ動いた。

「取り立てられるものなら、あのとき、取っていただろう」

 女は、言った。

「あのとき、私の命のかわりに、別の者が払った。……忘れたとは、言わせない」

「忘れていない」

「君たちは、この国を、道具のように扱ってきた。使って、要らなくなれば、捨てる。……私は、それを許していない。今も」

「……そうだ」

 わたしは、目をそらさなかった。

 女は、しばらく、わたしを見ていた。わたしの足もとの、赤い土も見た。港の石畳の継ぎ目から生えた草が、ひと株、黒く縮れていた。

「三晩だ」

 女は、言った。

「三晩のうちに、この国を出ろ。それ以上は、許さない」

「……分かった」

 女は、トイヴォに目をやった。

 トイヴォは、背中の鍋の紐を、握りしめていた。

 女は、何も言わなかった。背を向けて、崖の道を上っていった。燃える糸が、遠ざかっていった。

 港の熱が、少しだけ、下がった気がした。

 

「……今の人、すごく、偉い人みたいだった」

 トイヴォが、小さく言った。

「みんな、頭、下げてた」

「……この国の、火の番のような者だ」

「ロノヴァ、あの人に、何か借りがあるの?」

 わたしは、少し考えた。

「……貸し借りでは、ない」

 トイヴォは、それ以上、聞かなかった。

 

   ◇

 

 西の港までは、山道を二日。そこから出る船に乗れば、三晩のうちに、この国を出られる。港の者に、そう聞いた。

 一日目の夜は、港の外れの岩場で過ごした。

 二日目の昼、山道を上っていく途中で、それを見た。

 谷の向こうの斜面が、えぐれていた。

 山の肌が、ひと筋、大きく剝がれて、下の村の上に、のしかかっていた。赤い土と、岩と、根こそぎになった木。その下に、家の屋根が、いくつも半分埋まっていた。

 人の声がした。叫ぶ声と、泣く声と、名前を呼ぶ声。

「崖崩れだ」

 トイヴォが、言った。

 もう、走りだしていた。

 

 村に下りると、村の者たちが、素手で土を掻いていた。

 わたしは、崩れた斜面の縁に立った。

 土の下の、糸を見た。

 埋まった家の中に、糸があった。途切れた糸も、あった。途切れかけの糸も、あった。まだ、太いままの糸も。

 わたしは、言った。

「……そこだ」

 村の者たちが、振り向いた。

「その屋根の下。左の、柱の陰に、ふたり。まだ、生きている。右の、梁の下は……」

 右の梁の下の糸は、もう、途切れていた。

「……右は、あとでいい。左を、先に掘れ」

 村の男のひとりが、わたしを見た。長い手袋と、長い白い髪と、わたしの目を見た。

 何か言いかけた。

 トイヴォが、その男の腕をつかんだ。

「お願いです。この人の言うところを、掘ってください」

 男は、トイヴォを見て、それから、左の柱の陰を掘りはじめた。

 夕方までに、七人を、土の下から出した。

 そのうち五人は、生きていた。

 わたしの言ったところから、出てきた。

 日が落ちてから、わたしは、村の糸を数えた。

 山と、畑と、人と、竜。命の濃い村だった。

「……二晩」

 あの女の三晩と、同じ朝に、切れる。

 

   ◇

 

 村の長老の家が、怪我人でいっぱいになった。

 村の薬師は、ひとりしかいなかった。背の曲がった女だった。薬草を煎じ、骨を継ぎ、傷を縫った。手が、足りていなかった。

 わたしは、長老の家には入らなかった。

 家から少し離れた、岩の上に座った。岩の上では、何も黒くならない。そこからでも、家の中の糸は、見えた。

 わたしの輪は、この家にも届く。届いても、一晩の細りより、手当ての遅れのほうが、速く糸を切る。

 十二本の糸が、細っていた。

 そのうちの三本が、ほかより速く、細っていた。

 わたしは、トイヴォを呼んだ。

「奥の、窓の下の男。それから、入口から二番目の、女の子。……いちばん奥の、年寄り。この三人が、先だ」

 トイヴォは、薬師のところへ走っていった。

 薬師は、トイヴォの顔を見て、それから、窓の外の、岩の上のわたしを見た。

 長いあいだ、見ていた。

 それから、窓の下の男の傷を、ひらきはじめた。

 

 トイヴォは、村の台所に立った。

 村の女たちに教わって、とうもろこしの粉を、湯で溶いて、煮た。どろりとした、黄色い粥だった。熱い石で焼いた唐辛子を、ひとかけ、落とす。この国の、力をつける飯だという。

 トイヴォは、それを、怪我人のひとりひとりに運んだ。匙を持てない者には、口もとまで運んだ。

 夜になっても、台所の火は、消えなかった。

 

 三晩目の夕方、薬師が、岩の下に来た。

 手に、湯気の立つ器を持っていた。トイヴォの、とうもろこしの粥だった。

「あの子が、あんたに持っていけってさ」

 薬師は、器を岩の上に置いた。それから、わたしを見上げた。

「あんた、何が見えてるんだい」

「……糸だ」

「糸」

「命の。……細っていくのが、見える」

 薬師は、しばらく黙っていた。

「気味の悪い目だね」

 それから、言った。

「でも、あんたが先にと言った三人は、三人とも、まだ息をしてる。……あたしの目じゃ、あの年寄りは、後回しにしてた」

 薬師は、曲がった背を、少しだけ伸ばした。

「礼は、言わないよ。あたしの仕事を取られたみたいで、癪だからね」

 そう言って、長老の家へ戻っていった。

 わたしは、粥をすすった。

 舌の先が、焼けるようだった。それから、とうもろこしの甘さが、追いかけてきた。

 

 三晩目の夜。

 わたしは、岩の上から、長老の家を見ていた。

 窓の下の男の糸は、太さを取り戻していた。いちばん奥の年寄りの糸も、細るのをやめていた。

 入口から二番目の、女の子の糸だけが、まだ、揺れていた。

 細っては、戻り、また細る。熱が、下がらないのだと、薬師が言っていた。今夜が山だ、とも。

 明日の朝には、発たなければならない。わたしが数えた二晩も、あの女の三晩も、明日の朝で切れる。

 三晩だ、と、あの女は言った。

 わたしは、分かった、と答えた。

 女の子の糸が、揺れていた。

 トイヴォが、台所から出てきて、岩の下に立った。

「ロノヴァ。……あの子、どう」

 わたしは、女の子の糸を見ていた。

 それから、言った。

「……もう少し、留まる」

 トイヴォが、目を丸くした。

 わたしが、それを言うのは、初めてだった。

 三晩でも、五晩でも、一晩でも。わたしは、いつも、発つ日を数えてきた。留まる日を、数えたことはなかった。

「あの子の糸が、落ち着くまで。……それから、発つ」

 トイヴォは、しばらく、わたしを見ていた。

 それから、笑った。

「うん」

 それだけ言って、台所へ戻っていった。

 

   ◇

 

 四日目の明け方、女の子の熱が、下がった。糸の揺れが、小さくなった。

 けれど、まだ、細かった。

 その夜、崖の上に、あの燃える糸が、来ていた。

 夜のあいだ、ずっと、そこにあった。下りてはこなかった。

 わたしは、そちらを見なかった。見なくても、崖の上が熱いのは、分かった。

 

 四晩目が明けた朝、わたしは、トイヴォの糸を見た。

 夜のあいだに、細っていた。

 髪一本の、半分。——ではなかった。

 半分と、少し。

 朝の粥のあとで、戻った。半分だけ。

 少しが、残った。

 わたしは、帳面をひらいた。

 ——トイヴォの糸。半分と、少し。戻ったのは、半分。

 書いてから、村の糸を見渡した。

 長老の家のまわりの草が、黒くなっていた。わたしの座っている岩のまわりから、輪を描くように。雨林ほどではない。けれど、雪原より、ずっと速かった。

 そして、輪の中の黒が、濃くなっていた。

 広がるだけでは、なかった。

 命の濃い土地では、留まった晩が重なるほど、輪は、深くなる。

 あの家では、春と夏をかけても、輪は広がるだけで、深くはならなかった。細るものが、少なかったからだ。

 ここは、違う。

 トイヴォは、その輪の、真ん中にいた。台所と、長老の家を、行き来していた。ほとんど、眠っていなかった。

 輪の中には、十二本の糸も、あった。

 

 五晩目が明けた朝。

 女の子が、はじめて、粥を自分で食べた。

 トイヴォが、それを、わたしに言いに来た。岩の下で、嬉しそうに、両手を振りまわして話した。目の下が、黒かった。

「ロノヴァのおかげだよ」

「……お前の、粥だ」

「ロノヴァが、先に見つけたからだよ」

 わたしは、答えなかった。

 トイヴォの糸を、見ていた。

 夜のあいだに、細っていた。

 髪一本の、三分の二。

 朝の粥で、戻ったのは、半分。

 ——トイヴォの糸。三分の二。戻ったのは、半分。

 ——戻りきらない。

 稲妻へ渡る船の上で、わたしは、戻りが足りない、と書いた。食べたぶんしか、戻らない、と。

 あのときは、食べられなかったからだ。

 今は、食べている。食べているのに、戻りきらない。

 足りないのは、粥ではなかった。

 わたしが、ここに、いることだった。

 

 明日の朝、発つ。

 わたしは、そう決めた。

 女の子の糸は、もう、揺れていなかった。発っても、大丈夫だった。

 夜、わたしは、岩の上で、帳面をひらいた。

 ——ナタ。山あいの村。崖崩れ。

 ——掘り出したのは、七人。生きていたのは、五人。

 ——長老の家。十二人。三人を、先に。三人とも、生きている。

 ——生かす者の欄。

 そこに、女の子の名を、書いた。トイヴォに聞いた名だった。窓の下の男の名も。いちばん奥の年寄りの名も。

 書き終えて、頁を閉じた。

 明日の朝、トイヴォに、発つと言う。

 トイヴォは、きっと、うなずく。

 

   ◇

 

 七日目の朝。

 トイヴォは、台所の鍋の前に立っていた。

 とうもろこしの粥を、かき混ぜていた。

 わたしは、岩の上から、それを見ていた。

「……おはよう、ロノヴァ」

 トイヴォが、台所の戸口から、こちらへ言った。

 いつもより、声が小さかった。

「……おはよう」

 わたしが返すと、トイヴォは、少し笑った。

 それから、鍋の前に戻ろうとして、

 膝から、崩れた。

 木の匙が、土間に転がった。

 

 わたしは、岩を下りていた。

 いつ下りたのか、覚えていない。

 台所の戸口で、トイヴォを抱き起こした。手袋の手で。

 体が、熱かった。汗をかいていた。目は、半分ひらいていた。

「……ごめん。ちょっと、目が、回って」

 トイヴォの糸を、見た。

 細かった。

 この旅で見た中で、いちばん、細かった。

 薬師が、走ってきた。トイヴォの額に手を当てて、脈を取って、眉を寄せた。

「疲れだね。何日も、寝てないだろう。熱もある。……寝かせておけば、戻るよ」

 薬師は、そう言った。

 わたしは、答えなかった。

 疲れだけでは、なかった。

 それを知っているのは、わたしだけだった。

 

 トイヴォは、長老の家の隅に、寝かされた。

 わたしは、家には入らなかった。戸口の外に、立っていた。

 昼になっても、トイヴォは、目を覚まさなかった。

 目を覚ましたら、発つと言うつもりだった。言ってから、発つつもりだった。

 夜になっても、覚まさなかった。

 糸は、戻らなかった。食べていないのだから、戻らない。夜が来れば、また細る。わたしが、ここにいるかぎり。

 待てば待つほど、細る。

 わたしは、それを、知っていた。

 あの冬にも、知っていた。わたしのそばでは、命が細る。

 あの冬、わたしは、それで、あの家を出た。

 そして、湖で、トイヴォに、見つけられた。

 終わらせないために、離れる。

 同じことを、また、する。

 あの冬と違うのは、わたしが、それを、嘘にしないことだけだった。

 

 夜更け。

 わたしは、長老の家の戸口に、そっと入った。

 トイヴォは、眠っていた。額に、濡れた布が載っていた。寝息は、浅かった。

 枕もとに、トイヴォの帳面が置いてあった。

 わたしは、それをひらかなかった。

 自分の帳面の、白い頁を、一枚、破った。

 揃わない字で、書いた。

 ——食べろ。

 それだけ書いて、帳面の上に、載せた。

 トイヴォの顔を、しばらく、見ていた。

「……おやすみ」

 声に出して、言った。

 トイヴォは、目を覚まさなかった。

 わたしは、戸口を出た。

 村の外れの、黒い輪の縁を越えた。振り返らずに、歩いた。振り返れば、糸が見えてしまうからだ。

 半日歩く先まで、見えてしまうからだ。




お読みいただきありがとうございました。
ナタ編に入りました。次回、第13話「一人分の燕麦」はトイヴォ視点でお送りします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。