コードギアス 君の知らない、その先へ   作:明日を願う旅人

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第2話 もう一度、その名前を

 白のキングを指先でつまみかけて、ルルーシュは手を止めた。

 

 向かいの男が、待ちかねたように笑う。

 

「どうした。威勢がいいのは最初だけか?」

 

 盤面へ視線を戻す。

 勝ち筋は見えていた。男が何を見落としているのかも、その隣で腕を組む取り巻きが、いつ笑うのをやめるのかも分かる。

 

 だが、以前ここで何手を指したかは覚えていない。

 あのときより早く席を立てば、トラックとすれ違う時刻がずれるかもしれない。逆に、時間をかけすぎれば間に合わない。

 

 くだらない、と胸の内で吐き捨てた。

 世界を一度終わらせた記憶を持っていながら、時計の針一本が読めない。

 

「考える時間くらいは頂きたいものですね」

 

 笑顔を作り、駒を置く。

 相手の眉間に皺が寄った。

 

 数手後、ルルーシュは席を立った。後ろでリヴァルが口笛を吹いたが、いつものように軽口を返す余裕はなかった。

 扉を抜けると、空調の冷気が背中から離れた。

 

「最後、もうちょいもったいぶってもよかったんじゃねえの? あの顔、見たかよ」

 

「見ていたさ」

 

「お前まで機嫌悪くなることないだろ」

 

 ルルーシュは足を止め、振り返った。

 リヴァルが片手でヘルメットを回している。目の前の友人にとっては、いつもの賭けチェスだ。小遣いも稼いだ。あとは次の授業に間に合うよう、学園へ戻ればいい。

 

「……帰り道、少し急いでくれ」

 

「ナナリーちゃんと約束でもしてるのか?」

 

「ああ」

 

 それだけは、嘘ではなかった。

 

 * * *

 

 街の光景が横へ流れていく。

 ガラス張りの建物。歩道を行く人々。何事もない顔で続いていく租界の日常を、ルルーシュはサイドカーから見上げた。

 

 この道で合っている。

 そう思った直後には、違ったのではないかと疑っていた。記憶の中で鮮明なのは、この先で起きた出来事だ。途中の交差点の数まで覚えてはいない。

 

 遠くで、重いエンジン音がした。

 顔を上げる。

 大型のトラックが迫っていた。

 

 ルルーシュが声を出すより先に、リヴァルがハンドルを切った。サイドカーが大きく振られ、脇を車体が抜けていく。ブレーキの悲鳴。続いて、腹の底へ響く衝撃音。

 

 止まった。

 止まってしまった。

 

「何だ、あいつ! 危ねえな!」

 

 リヴァルの声を背に、ルルーシュはベルトを外した。

 

「おい、ルルーシュ?」

 

「様子を見てくる。ここにいろ」

 

「救急に連絡した方がよくねえか?」

 

「必要なら頼む」

 

 返事を待たずに走った。

 荷台へ向かう途中で、息が上がる。足が思っていたほど前に出なかった。体力のなさまで戻っていることに、今さら腹が立った。

 

 近くにいた人間は、少し離れて事故を眺めていた。誰かが携帯電話を構えている。

 ルルーシュは、その横を抜けた。

 

 荷台の奥は暗かった。

 金属の容器が見える。

 それを見た瞬間、他のものが視界から消えた。

 

 ここにいる。

 

 指を掛け、身体を引き上げた。

 車体が動いたのは、その直後だった。

 床へ膝を打ちつける。歯を食いしばり、積荷の固定具をつかむ。外からリヴァルの叫び声が聞こえたが、すぐにエンジン音に呑まれた。

 

 戻れない。

 いや、戻るために乗ったのだ。

 誰に対する言い訳なのか、自分でも分からなかった。

 

 奥で物音がした。ルルーシュが顔を向けると、赤い髪の少女がこちらを見ていた。

 

 カレン。

 危うく呼びかけそうになり、口を閉じる。

 

 少女の目が細くなった。

 

「何、あんた」

 

「事故だと思ったんだ。怪我人がいないかと」

 

「それで勝手に乗り込んだわけ?」

 

 銃口が動く。

 ルルーシュは両手を見せた。あの操縦席で何度も背中を預けた相手が、今は自分を邪魔者として見ている。

 

 当然だ。

 彼女はまだ、俺を知らない。

 

 運転席から怒鳴り声が飛んだ。少女は短く答え、こちらへもう一度鋭い視線を向けた。

 

「動かないで」

 

 車が揺れる。外で銃声がした。

 天井を叩く音を聞きながら、ルルーシュは容器を見た。

 

 開け方を知らない。

 あれほど待ち望んだ相手が腕を伸ばせば届く場所にいるのに、手を出せなかった。ここで勝手に触れば、カレンに撃たれる可能性がある。

 

 以前は、何も知らずにここへ来た。

 今は知っていて、同じ場所に座っている。

 その違いが、膝の痛みより重かった。

 

 * * *

 

 地下へ入ると、銃声の響き方が変わった。

 

 トラックが停止するまでに、カレンは戦いへ出ていった。残された容器のそばで、ルルーシュは携帯電話の電源を落とした。

 暗くなった画面に、自分の顔が薄く映る。

 これだけは覚えている。

 

 しまい込んだところで、外から足音がした。

 

 白い軍服。

 その姿を認めた途端、腹の奥が冷たくなった。

 

「そこから離れろ!」

 

 少年兵の声が地下道に響く。

 

 ルルーシュは動けなかった。

 仮面の向こうで泣いていた友人。差し出された剣。最後に、自分の身体を支えた腕。

 忘れるはずがなかった。

 

「スザク」

 

 少年兵が息を呑んだ。

 

「……ルルーシュ?」

 

 顔が見える。

 今朝のナナリーと同じだった。記憶より幼い顔が、記憶と同じ名前で自分を呼んでいる。

 

 会えた。

 安堵より先に、言ってはいけない言葉が喉へせり上がった。

 もう、お前にあんな役目は。

 

「どうして、こんなところに」

 

「それは僕の台詞だよ。ここは危険なんだ」

 

 近づいてきたスザクの視線が、背後の容器へ移る。

 

「それに触った?」

 

「いや」

 

「離れて。毒ガスだと聞いてる」

 

 違う、と言いかけたとき、容器の継ぎ目から白いものが漏れた。

 スザクがとっさにルルーシュを引き寄せた。防護用のマスクを押しつけられ、抗議する間もなく身体を庇われる。

 

 留め具の外れる音がした。

 蓋が開いていく。

 緑の髪が、白い拘束衣の上に落ちた。

 

 ルルーシュはマスクを外した。

 

「女の子……?」

 

 スザクの声が遠い。

 膝をつき、肩に手を伸ばす。触れる直前、一度だけ指が震えた。

 

「C.C.」

 

 指先が、その肩に触れた。

 女が短く息を詰める。眉が寄り、拘束衣から覗いた指が、彼の手首をつかんだ。

 

 女が、ゆっくりと瞳を開いた。

 琥珀色の眼差しが、彼を捉える。

 昨夜まで何度も見ていた目だった。

 

 今の反応は。

 ルルーシュは身を乗り出した。

 

「俺だ」

 

 声が掠れた。

 

「分かるか」

 

 女は答えずに、彼の顔を見ていた。

 その視線が、眉から目へ、口元へと移る。

 確かめている。

 知らない人間を見るように。

 

「……お前」

 

 唇が開く。

 ルルーシュは、息を止めた。

 

「どこで、その名前を聞いた?」

 

 肩に置いた手から、力が抜けた。

 

 何か答えなければならなかった。スザクもこちらを見ている。何も知らない学生なら、名前を知っている理由が必要だった。

 分かっていた。

 それでも、一言も出なかった。

 

 彼女なら、と考えていたのだ。

 不死の魔女なら。あの世界に触れ、自分を連れ戻してくれた女なら。

 ひょっとすると、自分が説明する前に笑ってくれるのではないかと。

 ずいぶん待たせたな、と。

 

 愚かな期待だった。

 軍靴の音が、それを断ち切った。

 

「そこまでだ」

 

 照明を背に、複数の兵が銃を構えていた。

 

 スザクが立ち上がる。

 

「彼は民間人です。テロリストではありません」

 

 声も、立ち位置も、覚えていた。

 ルルーシュは反射的に友人の袖をつかんだ。

 

「スザク、下がれ」

 

「大丈夫。事情を話せば」

 

「違う、そいつは――」

 

 銃口が上がった。

 ルルーシュは袖を引いた。だが、こちらを庇って踏み出したスザクの身体は、ほとんど動かなかった。

 

 一発。

 

 手から布が抜け落ちた。

 スザクが倒れる。

 

「……っ!」

 

 床へ伸びかけたルルーシュの手を、銃口が止めた。

 

「動くな」

 

 聞こえていた。意味も分かっていた。

 目の前の身体に、手が届かない。

 

 生きているはずだ。

 銃弾を止めたものがあった。あの白い機体へ乗り込むために、スザクはここから帰った。

 

 だが、今の銃声まで同じだった保証はどこにある。

 狙いが少しずれていたら。

 自分が袖を引いた、そのせいで。

 

「よく見ておけ。名誉ブリタニア人など――」

 

 男の言葉を、後方からの怒声が遮った。

 永田だった。

 トラックのそばにいる男を見た瞬間、ルルーシュはC.C.の腕をつかんだ。

 

「伏せろ!」

 

 爆風に背中を殴られた。

 熱と砂埃が流れ込む。何も見えない。耳の奥で金属音が鳴り続けている。

 

 腕を引かれた。

 今度はC.C.だった。

 

「立て。ここにいれば埋まるぞ」

 

「スザクが」

 

 振り返る。煙の向こうで兵士が咳き込み、誰かを呼んでいた。床を這ってでも戻ろうとすると、すぐそばの壁が弾けた。

 弾丸だった。

 

「探せ! 女を逃がすな!」

 

 C.C.が、もう一度彼の腕を引いた。

 ルルーシュは歯を食いしばり、走った。

 助かるはずだという記憶にすがる以外、今の自分には何もなかった。

 

 * * *

 

 瓦礫の陰で、ようやく足を止めた。

 肺が痛い。咳をすると、砂の味がした。

 

 C.C.は息を整える彼を見ていた。

 

「私を知っているんだな」

 

「……ああ」

 

「あの中身も知っていた。ずいぶん熱心に呼んでいたからな」

 

 否定はしなかった。

 

「会いに来た」

 

 女の表情が、わずかに動いた。

 

「ここへ?」

 

「お前に会う方法が、他に分からなかった」

 

 自分で口にすると、いっそう愚かに聞こえた。

 

「私を連れて、どうするつもりだった?」

 

 帰ろう、と言いかけた。

 あの狭い宿へ。冷めた夕食と、次の目的地を広げた地図のある部屋へ。

 しかし、そこはまだ存在しない。宿そのものはどこかにあっても、彼女と過ごした夜は、これから何年待っても同じ形では訪れないのかもしれなかった。

 

「安全な場所へ連れていく」

 

「心当たりがあるのか」

 

「用意する」

 

「それは頼もしいな」

 

 皮肉な声だった。彼女は出口の方へ視線を移した。

 その仕草を見て、ようやく理解した。ここにいる女にとって、自分は名前だけを知っている見知らぬ少年なのだ。腕を引かれたことも、隣にいることも、信頼の証ではない。

 

 軍の包囲。銃撃。倒れた友人。彼女に会えたこと以外、何一つ確かめられていない。

 

 C.C.はしばらく黙っていた。

 やがて、彼の頬へ手を伸ばした。

 冷たい指が触れる。

 女が小さく眉を寄せた。

 

「お前は……」

 

「何だ」

 

「いや」

 

 手が離れる。

 追いかけそうになった自分の指を、ルルーシュは握り込んだ。

 

 違う。

 この女に、今までと同じ返事を求めるな。

 

 遠くで爆発がした。続いて、地上から悲鳴が降ってきた。

 ルルーシュは顔を上げた。

 

 会えたら、その先を考えればいい。

 どこかで、そう思っていた。

 その間にも人が死ぬことを、知っていたのに。

 

「C.C.」

 

 声を低くした。

 

「俺に、力を与えられるか」

 

 彼女の目つきが変わった。

 もう、救い出された女の顔ではなかった。

 

「何を望んでいる?」

 

 ルルーシュは彼女を見た。

 

 再会だけでは足りない。

 自分がここへ来た理由には、それで十分でも。

 ここから帰るためには。

 

「この先を変える力だ」

 

 瓦礫の向こうで、足音が止まった。

 

 C.C.が、静かに手を差し出した。

 

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