コードギアス 君の知らない、その先へ 作:明日を願う旅人
触れた瞬間、世界から音が消えた。
地下道の冷気も、砂の味も遠ざかる。見知らぬ光景が流れ込んでくる、その感触だけをルルーシュは覚えていた。
ただ、前とは違った。
何かを新しく押し込まれるのではない。
身体の奥で閉ざされていたものが、外から触れられ、開いていく。
左眼が熱い。
続いて、右眼も。
「お前――」
C.C.の声が揺れた。
驚いている。だが、今はその理由を考える余裕がなかった。
この熱を知っている。ギアスを使うたび、眼の奥に感じていたものだ。
今朝、鏡の前で何度試しても戻らなかった感覚が、C.C.に触れた途端、蘇っていた。
彼女の手を握り返す。
女がこちらを見た。
「私の願いを叶えてもらう。その覚悟はあるんだろうな」
ああ、と答えかけて、ルルーシュは止まった。
このC.C.が求めているものを、知っている。
だからこそ、何でも叶えるとは言えなかった。
「最後まで、お前の話を聞く」
「答えになっていないぞ」
「途中で放り出さない。それだけは約束する」
彼女は目を細めた。
足音が近づいていた。
手が離れ、音が戻る。ルルーシュは立ち上がった。
瓦礫を回り込んだ兵が、銃をこちらへ向ける。
「いたぞ!」
「銃を下ろせ」
兵が嘲笑を浮かべかけた。その瞳を、ルルーシュは見据えた。
「お前たちは、俺の命令に従え」
赤い光が走った。
正面にいた男と、その後ろの二人が姿勢を正した。横を向いていた一人だけが、仲間の動きに戸惑っている。
「何をしている! 撃て!」
「そいつを取り押さえろ。殺すな」
三人が動いた。銃声が一発、天井へ抜けた。
最後の兵が組み伏せられる。
ルルーシュは、その顔が上がるのを待った。
もう一度、命じる。
静かになった。
四人の兵が、こちらの言葉を待っている。
かつてここで、自分は何と命じたか。
思い出すまでもなかった。
「無線機を寄越せ。お前は地上へ出る経路を説明しろ。残りは周囲を警戒。民間人を撃つな」
返答が揃う。
C.C.が背後で、小さく息を吐いた。
「ずいぶん、使い慣れている」
「説明は後だ」
「その台詞で、何人待たせているんだ?」
ルルーシュは彼女を振り返った。
目の熱を抑える。
差し出された無線機の暗い表示面に、赤い紋様が一瞬映り、それから消えた。再び力を呼び起こして、止める。
切り替えられる。
それでも、すぐには顔を上げなかった。
不用意な一言で失ったものを、今度こそ忘れるわけにはいかない。
「……待たせたままにはしない」
答えてから、兵の無線へ耳を寄せた。
* * *
地上から戻った兵の報告は短かった。
封鎖。区画ごとの掃討。住民の移動は認められていない。
ルルーシュは壁際の隙間から外を見た。
路地の入口に、倒れた人間がいた。軍服ではなかった。買い物袋らしいものが破れ、転がった缶が足元に散らばっている。
奥には、まだ動いている人影があった。
兵士の声が飛ぶ。
ルルーシュは無線機を握りしめた。
ここへ来れば、こうなることを知っていた。
ギアスがなくても、事前に手を打つことはできたかもしれない。誰かに危険を知らせ、この場所を離れさせることくらいは。
それでも彼は、C.C.に会える道を選んだ。
どれだけ救えたかは分からない。
だが、目の前に倒れているこの人も、その中にいたかもしれなかった。
「あそこの兵を呼び戻せ。地下でテロリストを発見したと言え」
従わせた兵に命じる。
「住民には奥の通路へ逃げるよう伝えろ。交戦するな」
手を伸ばせるのは、目の届く範囲だけだった。
銃声は、別の場所でも続いていた。
力が必要だ。
けれど、手に入れた力で敵を潰して回るだけでは足りない。
ユーフェミアの声が蘇る。次いで、ダモクレスにいたナナリーの顔が浮かんだ。
彼女たちに自分の望む世界を語りもしないまま、守るのだと言い続けた。
今度は、それを繰り返さない。
足元の瓦礫が鳴った。
C.C.が、彼の横に立っていた。
「行くのか」
「この虐殺を止める」
「その四人で?」
「借りるさ。もっと大きな駒を」
道路の向こうで、サザーランドの駆動音がした。
* * *
兵士を連絡役に立たせると、巡回中の一機が停止した。
通信機に不具合がある。地下に不審な積荷を発見した。報告を聞くために操縦席を開いた男は、兵の後ろに学生が立っているのを見て眉をひそめた。
それで十分だった。
数分後、ルルーシュは操縦席へ収まっていた。
古い機体だ。
指に馴染んだものとは配置が違う。表示を一つずつ確かめ、足元の感度を調整する。知っているからといって、確認を省いていい理由にはならない。
C.C.は機体の陰にいた。兵に確保させた退路へ移るよう伝えると、彼女は勝手に決めるなという顔をした。
「ここよりは安全だ」
「お前の都合のいい場所、の間違いじゃないのか」
「あとで迎えに行く」
「そう何度も約束を増やすな」
返事をする前に、彼女は歩き出した。
残されたルルーシュは一度だけ目を閉じた。それから、操縦席のハッチを閉じた。
通信の中から、女の声を探した。
ほどなく、聞き覚えのある苛立った声を拾う。
『こっちは動ける! でも、このままじゃ――』
「赤いグラスゴー。聞こえるか」
声が途切れた。
『誰?』
「今、お前たちが生き残るために必要な人間だ」
『ふざけないで。軍の回線で何を』
「右へ出るな。次の交差点までに撃たれる。正面の建物の陰へ入れ」
カレンは従わなかった。
ルルーシュは舌打ちを呑み込んだ。彼女が自分を信じる理由は、まだない。
「上を見ろ。屋上の給水塔、その左だ」
数秒。
グラスゴーが身を沈めた。その頭上を弾が抜けていく。
『……見えてるの?』
「敵の位置はな。勝ちたければ、こちらの指示を聞け」
今度は返事があった。
彼は地図を呼び出した。
必要なのは、住民を撃っている部隊を引きつけ、司令部へ近づく時間だった。逃げ道を作れば、それだけで助かる者がいる。
カレンを動かす。
追ってくる敵を誘い出し、その背後へ別の一機を回す。
兵から得た識別信号と無線の情報が役に立った。敵は、こちらが配置を把握していると知らない。
最初の一機が倒れた。
次の交差点でも、待ち伏せが決まった。
敵の歩兵が引く。塞がれていた通りの端を、人が走った。
ルルーシュは、その小さな影が建物の向こうへ消えるのを確認した。
『やったぞ! 見たか、軍人ども!』
男の歓声が回線へ割り込む。
玉城だった。
懐かしい声に、口元が緩みかけた。
すぐに地図へ目を戻す。
「奪った機体を失うな。弾薬を確認しろ。負傷者を運べる者は、東側の地下入口へ」
『分かってるって! おい、こっちも乗れるぞ!』
別の声が笑った。
勝っている。
その実感が、回線越しにも伝わってきた。
* * *
三度目の攻撃を成功させたところで、ルルーシュは前進を止めた。
これ以上は深い。
敵の連絡に乱れが出ている。通常の指揮系統とは別のところで、何かが動いていた。
白い機体は、必ず来るとは限らない。
スザクが生きているかどうかさえ、確かめられてはいなかった。
しかし、来た場合に今の戦力で対抗する手段はない。
「全機、次の追撃は中止。戦線を東へ下げる」
『はあ?』
玉城の声がした。
『連中、逃げてるじゃねえか!』
「増援が来る。ここで機体を失えば、逃がせる人間も逃がせなくなる」
『なら、来る前に片づけりゃいいだろ!』
「深追いはするな。赤い機体も、そいつらに合わせる必要はない。指定した合流地点へ向かえ」
『……了解』
カレンの返事を聞き、ルルーシュは司令部周辺の映像へ切り替えた。
退いた敵がどの道を使うか。警備の厚い区画はどこか。クロヴィスのもとへ辿り着くには、まだ隙を作らなければならない。
ここからは、自分で動く。
そのつもりだった。
『おい、待てよ! そっちじゃねえ!』
別の男の叫びに、画面を戻した。
二機、前へ出ていた。
合流地点とは反対方向へ。
「止まれ。戻れと言ったはずだ」
『あと一機なんだよ! そいつを落としたら戻る!』
玉城だった。
その脇を、もう一機が抜けていく。
釣られた。
逃走する敵を見て、取り残された獲物だと思ったのだ。
「玉城、追うな!」
『何で俺の名前を――』
白いものが、画面の端を横切った。
先行していたサザーランドの銃が跳ねた。
腕ごとだった。
次の瞬間には脚部を払われ、機体が横倒しになっている。
『なっ、何だこいつ!』
玉城が発砲した。
白い機体は射線にいなかった。
壁を蹴り、視界から消え、次には玉城の真正面にいた。
衝撃音。
通信が悲鳴で埋まった。
「脱出しろ! 今すぐだ!」
座席が射出される。
舞い上がった粉塵の向こうで、二機目の機体が崩れた。
白兜。
ランスロットが、そこに立っていた。
スザクは生きている。
安堵が胸を突き上げた、まさにその瞬間、後続の一機が銃を上げた。
「撃つな、逃げろ!」
遅かった。
白い機体が動いた。
銃声が途切れ、警告音が重なる。
ルルーシュは操縦桿を握りしめた。
「結局、こうなるのか……!」
出現を待ち構えていたはずだった。
性能も、乗っている人間も、知っていた。
なのに、味方の機体が一つずつ倒されていく。
玉城たちは、調子づくとこうなる。
何度も見てきたではないか。
勝ち始めると声が大きくなる。もう一度、もう一機と先を求める。慎重な命令は、その場の勢いで押し流される。
皇帝時代、ギアスで従えた部隊なら、撤退を命じれば従った。スザクやジェレミアのように自らの意思で戦う者も、作戦の意図を理解していた。
命令を聞いた味方が、ただ調子に乗っただけでそれを無視する。その可能性が、頭から抜け落ちていた。
久しく忘れていた。
勝てると思った途端、撤退命令も聞かずに突っ込む馬鹿がいることを。
よりによって玉城を相手に、それを忘れるとは……!
『あいつらを置いていけない!』
カレンのグラスゴーが向きを変えた。
「待て!」
届かない。
彼女が進む理由も、分かっていたはずなのに。
ルルーシュは息を吸い、地図を拡大した。
「赤い機体。助けるつもりなら、正面から行くな!」
一瞬だけ、動きが鈍った。
「左の高架へ回れ。こちらが遮蔽物を作る。倒れた機体の操縦者を拾え。白い機体を倒そうとするな!」
『……できるの?』
「やる。だから、その一度を外すな」
自機を走らせる。
予定していた道から、外れていく。
司令部への接近が遅れる。その間にも、別の区画で人が死ぬかもしれない。
それでも、この回線から聞こえる声を切り捨てて進むことはできなかった。
「玉城! 返事をしろ。無事なら動くな、今から拾わせる!」
雑音。
息を殺して待つ。
『……くそ。聞こえてるよ』
ルルーシュは目を閉じかけ、堪えた。
「なら、今度こそ聞け」
照準を、ランスロットの進路脇に残った工事用の仕切りへ合わせる。人影がないことを確かめて、引き金を引いた。
板と粉塵が、道路へ倒れ込んだ。
白い機体が、こちらを向いた。
わずかな時間でいい。
味方が退く、その時間だけを作る。
ルルーシュは次の退路へ機体を向けた。
勝ち方を知っているだけでは、誰も連れ帰れない。
その当たり前のことを、今度は銃声の中で覚え直すしかなかった。