コードギアス 君の知らない、その先へ 作:明日を願う旅人
サイタマの地図には、前の世界に描き込まれていなかった線があった。
食料を積んだ車の通り道。歩けない者を運ぶため、住民が使っている裏道。軍が封鎖すると発表した道路だけを見ていては、どこに人が残るか分からない。
「倉庫と診療所はこっちです」
扇が示した印を、ルルーシュは別の色でなぞった。
「現地の連中とは話せたか」
「退避の手伝いはする。ただ、俺たちに指揮は預けないそうだ」
「それでいい。住民を運ぶ車だけ、通行の合図を決めよう」
通信の向こうで玉城が笑った。
『ゼロが戦う前に、引っ越し屋をやるってのか』
「戦う場所に人が残っているよりいい」
昨夜から、複数の口を使って軍の作戦を知らせている。総督府は否定したが、避難を始めた住民もいた。誰もが信じたわけではない。職場を離れられない者も、家族の迎えを待つ者もいる。
地区の小さな診療所では、医師が最後まで扉を開けると言った。扇が足を運び、患者を運ぶ車を用意しても、寝台から動かせない人がいる。
「車を待つ間、地下へ移れるか」
『医師に聞く。だが、全員は無理だ』
無理だという答えを、ルルーシュは消さずに地図へ書いた。
母親と離れた少年の名前も、扇から聞いた。本人はひとりで避難を拒んだという。母親が戻るかどうか分からない場所に、車だけ向かわせても乗らない。
「所在を調べる。少年には、探しに行くと伝えてくれ」
無線が鳴った。カレンだ。
『東側の二列目まで出た。玉城の機体は待機してる』
「そのまま。砲撃が始まっても、敵を追うな。車を通せ」
『了解』
ルルーシュは指で地図の中央を押さえた。コーネリアは新宿と似た掃討でゼロを誘い出す。そう読んで、逃がす道を先に用意した。
前回の自分なら、ここで彼女のもとへ向かった。マリアンヌの死について聞き出すために。今は、誰に何を問うべきだったか知っている。彼女を捕らえることを、今日の目的にしていなかった。
同じ時刻、コーネリアのもとにも、住民へ流れた警告が届いていた。
「ゼロが先に口を開いたか」
報告に目を通し、彼女は進軍予定の線を指でずらす。クロヴィスが撃たれてなお生きていることは、彼女を安心させなかった。弟が傷を負い、指揮を離れざるを得ないうちに、仮面の男が別の街で勢力を得ようとしている。
「退路を読んでいるなら、その先へ兵を置け。住民を外へ流して、奴だけ残せ」
部下が北の道を示す。医療施設が近い、と口にするより先に、彼女は書類へ目を戻した。
「施設を撃てとは言っていない。ゼロに逃げ道を与えるな」
命令はそこで終わった。北の部隊がどこまで踏み込むかは、次の報告で知ることになる。
* * *
最初の砲声は、予想した方角から聞こえた。
次が違った。
『北側にも来た!』
扇の声に、ルルーシュは時計を見る。前に覚えていた時刻より早い。北の道は、負傷者を運ぶ車が通る予定だった。
「車を止めろ。診療所の裏へ回して、そこから西へ」
『西はまだ開いているのか』
「確認する」
この街のコーネリアが、以前と同じ手順で来る保証はない。ゼロの名も、クロヴィスの生存も、もう彼女に伝わっている。
高所の見張りから返答が入る。西の道に軍の機体が三つ。正面からぶつかれば、避難の列まで巻き込む。
「カレン、西へ行け。止めるだけでいい。住民の車が抜けたら戻れ」
『ゼロは?』
「中央の兵を東へ向ける」
ルルーシュは仮面を着け、壊れかけた歩道橋へ出た。軍の機体から見える場所だ。カメラがこちらを向く。
「コーネリア。お前が追っているゼロは、ここにいるぞ」
通信は公開回線へ流した。声を聞いた住民が足を止めないよう、扇に避難の列を動かし続けてもらう。
応答したのは、聞き覚えのある厳しい声だった。
『貴様がクロヴィスを撃った男か』
「そうだ」
『逃げ回りながら正義を語るつもりか』
「今日は演説に来たんじゃない。そこにいる人間を退かせろ」
『貴様を捕らえれば、終わる』
ルルーシュは笑わなかった。彼女が弟を傷つけた犯人を追うことは分かる。だからといって、その足元にいる人々を数から外してよいはずがない。
「なら、俺を追え。西の車列には触れるな」
『命じる立場だと思うな』
軍の一隊が動いた。だが、全部ではない。北を押さえた部隊は位置を変えず、別の機体が診療所の方へ回る。
「扇、北の部隊は動かない。診療所から出すな。中で待たせろ」
『負傷者がいる!』
「連れ出して撃たせるよりいい。あと十分で西の車列を逃がす」
予測した配置に戻そうとしても、コーネリアは乗らない。彼女はゼロを追いながら、退避の道も一つずつ狭めていた。
* * *
西の道では、カレンの機体が軍の先頭を押し返していた。
『あと二台。車が通ったら下がる』
「北にも一機回った。時間を延ばすな」
『聞こえた』
玉城から別の通信が入る。
『目の前に一機、背中を向けてやがる。今なら仕留められる!』
「追うな。お前は車の最後尾を見ろ」
『分かってるよ』
間があった。ルルーシュは通信を切らずに待った。
『……最後尾、見えてる。年寄りが二人、まだ乗ってねえ』
「そちらを先に」
『言われなくてもやる!』
玉城の機体が軍へ向かわず、荷台と軍の間へ入る。扇の車が二人を乗せて走り出した。ルルーシュは息を吐く。玉城は敵機を討つ好機より、目の前の二人を選んだ。言われたからではなく、自分の意思で。
次の瞬間、診療所の近くで壁が崩れた。無線に声が重なる。避難を待っていた人々のうち、数人が負傷したという。
母親を待っていた少年は、扇の車に乗せられた。居場所の分かった母親は別の避難所へ向かっていたと、現地の人が教えた。少年は泣きながら乗ったが、扇が二人を合わせると約束すると、ようやく車の縁をつかんだ。
診療所に残った者まで、同じ速さで出せるわけではない。
「救護を回せ。名前と人数を確認してくれ」
ゼロを餌にしただけで軍の動きが止まると思ったわけではない。それでも、届かなかった場所がある。ルルーシュは地図の診療所の印へ目を戻した。
西の車列が抜けると、カレンへ撤退を命じた。彼女は敵機を追わず、玉城と合流する。扇が避難者を引き受けたのを確かめてから、ゼロも歩道橋を離れた。
足元の道へ降りると、先ほどまで人の列を通していたところに軍の機体が見えた。ルルーシュは来た道を戻らず、前もって扇と決めておいた集合場所へ向かう。通信は切らない。カレンだけが退き遅れたら、自分の退路を変えるためだ。
『こっちは合流した。あんたはどこ』
「あと五分。俺の方へ戻るな」
『分かってる。撤退の条件は、あんたにも適用するんだから』
ルルーシュは立ち止まりかけた。倉庫で決めたことを、カレンは戦場の真ん中でも覚えている。見張りを迂回し、もう一つの集合場所で合流したとき、彼女は初めて肩から力を抜いた。
コーネリアへは、診療所の外壁が損なわれたという報告が入った。彼女はゼロが西へ退いたという知らせより先に、そこにいた人の数を聞く。
『確認中です』
「確認が済んでからでは遅い。医療班を出せ。誰の砲撃だったかも調べろ」
部下が走る。ゼロを逃したことへの怒りは消えない。だが、地図の上の印だけでは、診療所の内側まで見えていなかった。コーネリアは北の道へ置いた自分の指を、ゆっくり離した。
コーネリアを倒せなかった。軍の掃討も、すべては止められなかった。
それでも、西へ抜けた車には、今日の朝までこの街にいた人々が乗っている。
* * *
隠れ家では、扇が避難者の名簿を照合していた。負傷者の報告はある。まだ連絡のつかない者もいた。
足に包帯を巻いた医師が入ってきた。自分の診療所を最後に出た人だという。彼は患者が別の場所で処置を受けていると聞いて、深く息を吐いた。
「警告をありがとうございました。砲撃は診療所の壁にも当たりましたが、患者は全員無事です」
「助かってよかった」
ルルーシュは頷いた。
扇の無線に、少年が母親と会えたという知らせが入った。最後の空欄が埋まり、扇は名簿を置く。負傷者はいたが、死者は出なかった。
そこへ、カレンが紙袋を持ってきた。
「学園の予定表。さっきミレイさんが配ってた。湖のホテルへ、今度の休みに行くって」
河口湖。
喉の奥が乾いた。前の世界で、友人たちが泊まったホテルを日本解放戦線が占拠した。今はまだ、彼らの作戦に触れていない。
「お前は、参加するのか」
「出欠、明日までだって」
ルルーシュは予定表を裏返した。ホテルの名を確認する。
「俺は行かない。お前も予定を変えてくれ」
「理由は」
「そこで人が捕まる可能性がある。確かめてから話す」
カレンの顔が険しくなった。
「可能性があるなら、もう動くわよ」
「ああ。学園の連中だけじゃない」
ルルーシュは別の紙を引き寄せ、ホテルへ続く道と、近くの宿泊施設を書き出した。未来の記憶だけで答えを出す前に、今そこに泊まる人を調べる必要があった。