【挿絵表示】
この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。
第1話 人の妹をこんなにしておいて
いわゆる、超常現象には慣れている。身近にそういったもの達が割と多数存在していたし、またそれらにそれなりに深く関わってもきた。
だから、今更なにが起ころうとあまり驚きはしない。
やるべきことを、やるだけだ。
「……っ」
高町恭也は走る。生身の人間とは思えぬほどのスピードでビルの中を駆け上るその足取りには、迷いや躊躇いは一切ない。ただただ、速く、疾く。
音を置き去りに、闇の中を走る。
これで、終わり?
向かいくる脅威へ、必死に杖――レイジングハートを向けながら、高町なのはは思う。
これで終わりなのだろうか、と。
目の前の赤いドレスを着た少女は、ゆっくりと歩み寄ってくる。自分にはもう、彼女に対抗できる力は残っていない。彼女の目的が何なのかはわからないが、未だ攻撃の意志はひしひしと感じられる。
絶望が、目の前にあった。
諦めたくはない。しかし、諦めなかったらどうにかなるのだろうか。
目の前の赤い少女がデバイスを振りかざした。呆れるほどわかりやすく、終わりが近づく。
気丈に抗ってきたなのはは、ついに目をつぶった。そして心の中、縋る。
仲間や友に。そして何より家族に。
様々な名が浮かんでは消える。目に熱が宿り、ほおに涙が伝うのを感じた。
そして、
「たす……け……て」
鈍い痛みに包まれた、暗く冷たい世界の中で、なのはは最後に強く、鮮明に、一人を想った。
それは、
「……たす、……け……て」
誰よりも頼り、誰よりも信じ、誰よりも慕う、最愛の人。
「……おにい……ちゃん」
どんな時でも無条件で安心をくれる、大好きな兄だった。
もちろんいくらなんでも、事ここにおいて、兄の助けが期待できないことは、理性ではわかってる。
しかしそれでも、なのはは縋りたかった。決定的な絶望が振り下ろされるその瞬間までは、自分にとって絶対とすらいえる人に助けを願うことで、心に温もりを保ちたかった。
希望を持っていたかった。
心のどこかでわずかに、ほんの少し、しかし確かに、理性とは別のところで、なのはは想うから。
もしかしたら、と。
「……たす……け、て……っ」
もしかしたら、
「………………お……にー……ちゃん……っ」
兄ならば、まるでヒーローのように、こんな時でも助けに来てくれるのではないか、と。
風切り音。凶器が振り下ろされる音だ。
なのはは身を固める。
そして一瞬、間を置いて。
辺りに、金属のぶつかり合う音が響いた。
「……あんだてめー? そいつの仲間か?」
次に、舌足らずな声で少女がそう噛み付くように唸るのが聞こえる。自分の体に、覚悟していた衝撃はきていない。
いったい、何が。
確かめようと、目を開き、なのはは見る。
「仲間? 違うな。……――兄だ」
「はあ? なんだよ、管理局の魔導師なのか?」
「……管理局? 魔導師? なんのことだ」
「あーもういい。……邪魔するよーならぶちのめすだけだ」
「……やれるものならやってみるがいい。ただ、一つだけ忠告だ」
かばうように、守るように、自分の前に立つ、見慣れた姿を。
瞬間、一気に力が抜け、無理矢理レイジングハートを構えていた右手が床に降りる。もう、なのはにできるのはただ目の前の光景を見ることだけだった。
しかし、それだけでよかった。
なのはは理解している。
これが夢じゃなく現実ならば、勝手な考えかもしれないが自分はもう、助かったも同然なのだから。
だって、
「人の妹をこんなにしておいて、五体満足でいられると思うなよ……!」
世界で一番頼りになる背中が、今目の前にあるのだから。
……迅速に、可及的速やかに、この少女を制圧する。
戦闘者として切り替えた意識で、恭也は荒れ狂いそうな感情をなんとか制御、集中力を高めていく。
後ろにかばう妹――なのはの状態確認を今すぐにでもしたいところだが、しかし、現在はそれができる状況ではない。
「なんだか知らねーが、どけ!」
とにかく、そう声を上げる、目の前の敵を潰さなくては。
冷えた目で、恭也は敵――赤いドレスを身にまとった少女をみやる。彼女は手に持ったハンマーらしきものを振りかぶり、
「テートリヒシュラーク!」
恭也へ声とともに一息に振り下ろした。
その一撃は速く、そして何より力強い。少女の見かけからは想像もできない勢いでハンマーが振るわれたことに、さすがに内心、驚愕を覚える。
だが、
(……粗すぎるな)
驚愕はすれど、脅威ではなかった。恭也からしてみれば少女の技は、膂力にのみ頼った、モーションの大きいテレフォンパンチ同然だ。
恭也は右足を軸に体を少女に対して半身にするだけの最小限の動きでもって、それを躱す。少女のハンマーが床に突き刺さり、大きくひびを入れた。
少女の目が見開かれる。仕留めるつもりで放ったであろう技をいとも簡単に避けられれば、それはある意味当然とも言えるが。
しかし、その動揺は一瞬の隙を生んだ。
それを逃さず、後ろに回した左足で強く地面を蹴り、恭也は体当たりでもするかのように少女に肉薄。
素早く振り上げた二刀を、その突進の勢いも足して叩きつけた。
御神流奥義 雷徹
左右の刃がインパクトの点で寸毫のズレもなく重なるように放つその一撃は、奥義の中でも一、二の破壊力を誇る。
相手が少女であろうが何だろうが、護るべきものに害なさんとするならば、潰す。
「があっ!」
少女は短い悲鳴を残し、吹き飛んでいく。どうやら効いたようだがしかし、恭也は表情をわずかに曇らせる。
(……どういう硬度だ、あれは?)
そう訝しむ恭也の手には硬い感触が残っている。普通の人体を斬った感覚とは思えなかった。
まず真っ先に思い浮かぶ可能性が、HGS・Pケース。なんらかの特殊能力でバリアでも張っているのでは、と言う考えだ。だが、しかしそれにしては羽が見あたらない。次に思い浮かぶのは、自分が知らない型の自動人形。それならばあの膂力も硬度も納得がいかないでもない。他の可能性としては、夜の一族や久遠のような存在……と言ったところだろうか。
だが、とりあえずは、気にしている場合じゃない。
どうせ今考えてもわからない。ダメージは通るのだからそれでいい。恭也はそう結論を出すと、
「くっそ……!」
「落ちられては困るな」
悪態をつきながら割れた窓ガラスから外に飛び出し落下しようとする少女へ、鋼糸を放った。
「な、なんだ……? バインドか? ……うわああああああああああ!」
鋼糸はまるで意志を持っているかのように驚きの声を上げる少女に巻き付き、その体を無理矢理引き寄せる。
「くそっ! くそっ! なんだこれっ!」
「そう簡単には外れん。終わりだ」
少女がもがく間に、恭也は二刀を鞘に戻していた。そして、自ら少女との距離を詰めるように走り出す。
そこから繰り出すのは、自身がもっとも信頼する技。
御神流奥義 薙旋
突進、抜刀からの斬りつけ二つ、背後に回ってさらに二つ。闇の中、同時かと見まごうばかりの一瞬で刃は四度閃く。
「ぐあっ!」
悲鳴を上げる少女。高速の体捌きで成された四連撃は少女の体を無慈悲に斬り裂く……はずであった。
「……ここまで硬いか!」
返ってきた感触はどこもかしこも非常に硬質であり、思っていた以上のそれに刃が通った手応えはない。
(初撃がダメージを与えたのは、徹のおかげと見るべきだな)
徹。
衝撃を対象の内側に通し、表面の硬度を無視して破壊する、御神の剣士が持つ技術の一つだ。
初めに放った雷徹は、その発展形の奥義である。二刀の斬撃を一点に集中させ、生まれる衝撃を内側へ送り込み響かせる。
単に威力の高さで効いたものと思っていたが、防御をすり抜けるその特性こそがこの相手には重要だったようだ。
「……こんの、やろお」
少女は悪態をつき、ふらつきながらも手に持った得物を苛烈な面構えで構えた。鋼糸は薙旋を放った際に制御を解いたため、すでに床に落ちている。
「よくも……!」
少女の眼はまだまだ死んでいない。信頼する技がどうやら本当に通じていないらしい現実に、恭也は僅かながらも臍をかむ。
「やありやがったなぁ! ぶっ潰す!」
しかし、それで隙を作るようなミスはまさか犯さない。咆哮を上げこちらに踏み込み、奇っ怪な形のハンマーを殺人的な勢いで振り下ろす少女の豪撃を見切って躱す。多少の動揺で動きを澱ませるような甘さを、自分の修める剣術は使い手に許すものではない。
(どんな仕掛けかは知らんが、大したものだな……)
少女のハンマーは易々と床へ盛大にヒビを入れ、コンクリートの破片が辺りに舞い踊る。膂力だけで言うならば、自分が今まで戦ってきた相手の中でも間違いなくトップクラス。
まともに当たれば、自分は一撃で死ぬだろう。
「でえええりゃああ!」
床から槌を引き抜きざまに、斜め一閃こちらを挽き肉にせんとする一振りを屈んで避ける。
数センチ身体の位置がズレるだけで命を落とす状況で、恭也の頭は極めて冷えていた。
目の前の圧倒的な力を振るう存在は目的も正体もわからないが、奴がやった事は唯一つ、はっきりしている。
生まれた時から、否、生まれる前から全てを賭して護ると決めた恭也の宝に、あろうことか槌を振り下ろした。自分が割って入って止めなければ、確実にそれはなのはの華奢な身体を叩いていたろう。
そして未だなお、その意思は健在と見える。
ならば、止めるまで。
必要ならば仕留めるまでだ。
「ちょこまかとォ!」
腕を振りぬいた姿勢の少女がこちらをギロリと睨んでいる。
(……どれだけ強かろうと、それでも身体があるのは確かだ)
神咲一灯流のような魔を払う剣でなければ斬れないというのならまだしも、刃が当たり力が伝わるのなら、まさか殺せない道理はない。
問題は、あの異様な硬さだが……。
屈んだ姿勢から身体を伸ばして後方へ飛びつつ、置き土産とばかりにコンクリートの細かい破片を巻き上げる。
「っそれがどうした黒ずくめ!」
地面に着地する恭也の視線の先、少女は気にしたそぶりもない。顔面、特に眼を狙って放たれた破片を払う事すらしなかった。
「……いや、払うどころか破片が顔に当たる寸前で勝手に弾かれていたな。露出した部分にも何らかの庇護がある……?」
御神の剣士、特に不破である恭也の眼は特別製だ。暗い室内で離れていても、それくらいは見て取れる。
しかしそうなると、眼へ刀を刺して脳を破壊するのは難しいか。
「騎士甲冑……ミッドだとバリアジャケットだったか? んなことも知らねえってんならほんとに魔導師じゃねえんだな」
「魔導師……魔法使いという事か? 生憎と、ファンタジー世界の住人ではないんでな」
「人外の動きしといてよく言うぜ……だけどてめえ、てことはアイゼンに殴られりゃ一発お陀仏だぞ」
ブオンと一振り、脅すようにどうやらアイゼンと言うらしい槌を鳴らして言う少女に、恭也は表情を変えずに返す。
「そうだな、そうなるだろう。当たればな」
「っ、てめえの攻撃なんてなあ! いくら当たっても痛くも痒くもねえんだよ!」
そう吠えるだけの防御力が、確かに少女にはある。
「……とは言え、最初のはもう撃たせねえ。あの距離には近づかせねえ」
「ほう、警戒されたものだ」
雷徹は二刀を至近距離で同時に当てなければならないため、当然ながら距離を詰める必要があるのだが、どうやらそれは許してくれないらしい。
近づかせないと言われたからといって近づかないのでは剣士などやっていられないが、とは言え相手の手の内がわからない以上、リスクは高い。
怯えずに戦う事と、わざわざ危険な戦法を採る事はイコールではない。
「では、別のやり方で決めさせてもらおう」
言いながら構えを作る。右腕を引き、左腕は前に。
「俺の得意技ではないんでな、悪いが手加減は出来ない。死んでも文句を言ってくれるなよ」
「……言ってろぉ!」
怒りの声を上げる少女の手に、どこからともなく鈍く光る小さな鉄球が現れる。今更ながら、本当にファンタジーな光景だ。
あれを飛ばすなりなんなりして、遠距離から攻撃してくるつもりだろう。なかなか冷静だ。
しかし、距離がある事からどうやらこちらからの攻撃は届かないものと思っているらしい、悠々と鉄球を宙に並べるモーションをとっている。
普通の人間と比べたら、それこそ比べものにならないくらい存在としては強いんだろうが、だからこそ、そういう所が少々甘い。
思いながら、恭也は脳の回転数を一気に引き上げた。
御神流奥義 神速
モノクロに染まった世界の中で恭也は地を蹴った。対して少女は彫像のようにぴくりとも動かない。
この神速の世界は同じく神速を使えるものでない限り、認識すら出来ない一瞬の領域だ。
ここを認識する事が出来、その中で動く事を可能としている御神の剣士は、だからこそ銃火器の蔓延る現代社会においても、古めかしい刀でもって無双を誇る。
普段とは違いゼリーのように重い空気を裂き、恭也は右の刀を前へと伸ばす。
その切っ先に、膂力の全てを集中して。
それは、弟子にしてもう一人の妹が得意とする技だ。
御神流奥義 射抜
超高速の突きが吸い込まれるように少女の鳩尾に突き刺さり、そのタイミングで世界に色が戻った。
「っか!?」
全身全霊で力を籠めた切っ先から、一点突破で放たれた徹が衝撃を防護の内側に響かせる。少女の表情が苦痛と、そして驚愕で歪んだ。
徹は別に、当然ながら雷徹でしか放てないわけではない。しかしそれはこちらの技など知らない彼女には、予想外だったと見える。普通の人間にはありえない瞬間移動じみた速度による接近は言わずもがなだ。
人の形をしているならば、急所も人と同じはず。
そんな予想をもって放たれた一撃は狙い通り少女の意識を刈り取りつつ、その小柄な体躯をはじき飛ばした。
「これでよし」
気絶した少女を鋼糸で念入りに拘束し終えた恭也は、そう呟き息をついた。
殺すことも選択肢に入れて戦闘を行ったとはいえ、そうならずに済んだならば無闇に命を奪いたくはない。事情も聞かなければならないし、とりあえずは無力化したから問題はなかろう。
念のために腕の一本でも切り落としておくべきかとも思ったが、それも止めておいた。いざ無力化してしまうと、やはり少女相手にそれを行うのは憚られるし、なのはにそんなトラウマになりかねない光景を見せたくもない。
それに何より、
「おにい、ちゃん……」
今は、そのなのはの状態確認が最優先だ。
恭也はなのはの前に歩み寄る。そして、壁にもたれながら座り込むなのはと片膝をついて目線を合わせ、声をかける。
「待たせたな。大丈夫か、なのは」
「……うん。大丈夫」
そう言って笑顔を作るなのは。だいぶ疲れているようだが、見たところ大きな負傷はない。恭也は安堵の息をつく。
「あの、お兄ちゃん……その」
「……いろいろ聞きたいことはあるが」
「……あ」
恭也はなのはの頭に手を置き、優しくなでる。
「後にしよう。とにかく、無事でよかった」
「……おにいちゃん……。あの……その、あ、……ありがとう。助けてくれて……」
「礼はいらない。当然のことだ」
微笑みながらそう言って、恭也がなのはを抱きかかえた、その瞬間だった。
「……っ!」
急速に近づく気配と強烈な殺気を感じ、恭也は腕に抱えたなのはとともにその場から飛び退く。
直後、天井を突き抜け、紫の光が恭也となのはが居た位置へ飛び込んできた。
「これを避けるか、なるほど」
響いた衝撃と、舞い散る粉塵。それが晴れると、そこには、
「ヴィータはお前にやられたと見ていいのか?」
どこか騎士を思わせる格好の、桃色の髪を後ろでくくった精悍な顔つきの女性。傍らには、先ほど恭也が鋼糸で縛り上げた少女を素早く背中に負った、蒼い毛を持つ大柄な狼。
……新手か。
恭也は内心舌打ちする。
「……お前が何なのかは知らんが、邪魔をするなら排除させてもらう」
女性はそう言うと、手にした西洋剣を構えた。
その構えの隙のなさ、そして何より先ほどの攻撃。
異常なまでの戦闘能力を有していると見ていい。狼のことも考えると、現在の状況は非常に不利だ。
だが。
「なのは、……済まないが、少し待っていてくれ」
「お、お兄ちゃん……」
なのはがいる以上、諦めるという選択肢は恭也には存在しない。たとえ命と引き替えであっても、家族だけは必ず守る。
今まで必死に鍛え上げてきた力は、技は、大切な人を守るためにあるのだ。父を失ったその日から、家族は自分が守ると決めた。その誓いは、決して破らない。
「お兄ちゃん、私も……っ」
「その体では無理だろう。兄に任せておけ」
一瞬だけ優しく微笑み、なのはを床に下ろし、後ろにかばう。そして、
「……っ」
殺気を放つ。剣を構えた女性が息をのむ音が聞こえた。
低く、冷たく、鋭い、刃のような声で恭也は言う。
「御神不破流の身内を狙ったことを、あの世で後悔しろ」
「……ほざけ」
答えるように、女性も肌を刺すような気配を放つ。
睨み合う均衡状態、それを破り、二人がまさに駆け出さんとするその時。
唐突に床が光り、恭也には全くなじみのない不思議な模様が浮かび上がったかと思うと、
「なのはっ!」
響く高い声、そして金髪の女の子、茶髪の男の子、犬のような耳が生えた赤髪の女性が姿を現した。
(また新手か? どうやって現れた? 近づく気配は感じなかった、何者だ?)
思考を巡らせながらも、前方の一人と一匹、右方に現れた三人、どちらにもいつでも対応できるように恭也は刀に手をかける。もし敵方だとすればいよいよ本当にまずいが……。
「管理局か……?」
前方の女性は剣を構えたまま、新たに現れた三人に警戒を向けていた。
三人はなのはのもとへ、つまりこちらに駆け寄ろうとしている。
敵の敵は味方、か。とは言え。
「なの……っ!」
警戒を怠るわけにはいかない。
恭也が射抜くような視線を向けると、金髪の女の子は声を押し止め、茶髪の男の子、赤髪の女性と共に足を止めた。
一瞬、緊迫した空気が流れる。
が、すぐにそれを消し去るような声が響いた。
「待ってお兄ちゃん! お友達なの!」
「……ん、そうなのか」
「うん!フェイトちゃん!ユーノくん!アルフさん!」
「な、なのは。その人は?」
フェイトと呼ばれた少女がなのはに問いかける。
「私のお兄ちゃんだよ! 助けてくれたのっ」
「すまない、不躾な視線を浴びせてしまって」
そう言って恭也は目の前の騎士姿の女性への警戒体勢を維持したまま、三人に謝罪する。
「い、いえ。そんな……」
フェイトはそう言って手と頭を振る。その顔には冷や汗が浮かんでいた。
殺気を当てすぎたか、怖がらせてしまったようだ。
(ん、……そうか)
そして少し冷静になり、思い至る。
この娘がフェイトか。
恭也は、なのはが半年ほど前からビデオメールを送り合っている相手の名前とその顔を思い出し、それが目の前の少女と一致することに気がついた。
なるほど、この少女もこういった事態に一枚噛んでいたのか。となればいろいろ聞きたいところだが……。
「ザフィーラ、ヴィータを連れて下がれ」
そんな暇はないだろう。
一連のやりとりを見ていた女性は、傍らの狼に指示を出した。狼はその言葉を理解したらしく、素早く身を翻し、割れた窓から夜空の闇に飛び込んでいった。
果たして逃がしていいものか、判断がつきかね、少女たちを見ると彼らは追いたい様子だった。駆け出そうする身を途中で止め、なのは、恭也、剣を構えた女性、そして狼が去っていた方向の間に忙しなく視線を泳がせている。
彼らは、なのはの友人らしい。つまりどうやら味方だ。そしておそらくは自分よりも状況をわかっているのだろう。
ならば。
「役割分担をしよう」
恭也はそう提案した。三人が恭也に視線を固定する。
「俺があの女性を押さえる。君たちはさっきの狼を追うものと、なのはの傍に付くものに分かれてくれ。頼めるか?」
「あ、あなたがあの人の相手をするんですか? それは」
「少なくとも俺ではあの狼は追えん。君たちにその術があるならば、そちらを担当してもらいたい」
「……わかった。フェイト、とにかくあいつは私らが追う」
「フェイトはここを頼むよ」
有無を言わさぬ口調で言う恭也に、犬のような耳を持つ女性と茶髪の男の子が従った。二人はすばやく駆け出し、夜の闇に消える。剣を構えた女性は一瞬だけそれを止めようとする気配を見せたが、
「……っ」
「お前の相手は俺だろう」
「……その剣、デバイスではないな。魔導師ではないのか、お前は」
「ああ。その魔導師とやらがなんなのかは知らんが、違う」
「命知らずな……しかしいい気迫だ」
恭也の殺気を警戒してか、結局はその場にとどまった。
「さて、フェイト」
「は、はいっ」
「なのはを頼む」
「え、ま、待ってください! 戦うのなら私が……!」
その申し出には悪いが、これ以上、問答している余裕はない。
「頼むぞ」
「え、あ、あのっ」
ぽんと彼女の頭の上に手を置き、その金髪をなで、
「それから君も気をつけてな。そっちに何かあればすぐに俺が行くから、無茶はするな」
「え……」
そう声をかけてから恭也は、
「っ!」
短く呼気をはき出すと同時に、強く地面を蹴り、身構える敵へと躍りかかっていった。
(速い!)
黒い衣服に身を包んだ男は、魔法もなしに恐ろしいほどの速度をその身に纏い、斬りかかってきた。
シグナムは思わず心の中で驚嘆の声を上げ、……しかしもちろんそんな動揺は表に出さず、男が右手にもったやや短い剣で繰り出した抜刀からの逆袈裟斬りを自らの愛剣――レヴァンティンで受け止め、左の剣から追撃がくるより先に毅然と反撃を放った。
男は斜めに振り下ろされたレヴァンティンを左の剣で流し、再度右の剣でシグナムの首を切りにくる。
「くっ!」
スウェーバックでそれを避けつつ、レヴァンティンを横に振るい、男の体を両断せんとするシグナム。
だが、剣は空を斬る。男は驚異的な反応速度でシグナムの剣撃を見切ると、軽業師のように空中を舞ってそれを回避したのだ。
そして男の行動はそれだけで終わりではなかった。
軽い金属音が幾度か響く。
一瞬の後、闇の中、小型の刃物らしきものが数個、床に落ちた。
ほぼ同時に男も着地する。
「躱しながらこんなものまで放つとはな……」
「見切って斬り落としたそちらもそちらだろう」
凍てつくような冷たい視線。貫くような鋭い殺気。
そして今の攻防。
ここにきて、シグナムは完全に認める。
今目の前に立つこの男は、驚異的なことに生身であるのにも関わらず、間違いなく自分たちにとって脅威となりうる強者だ。
「すまない。心のどこかでお前を侮っていた。ヴィータを破ったらしいとはいえ、魔導師でないのならば、と」
故に、シグナムは、彼に敬意を表す。
「私はヴォルケンリッターが将・ベルカの騎士、シグナム。この剣の名はレヴァンティン。……そちらの名も聞かせてもらいたい」
自身の誇りある名を示し、同時に相手の名を尋ねる、その行為によって。
果たして男は、それに答えた。
「永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術師範代、高町恭也。剣の銘は、八景」
「その名、覚えておこう」
「こちらこそ」
そして空気はまた、戦場のそれになる。
「レヴァンティン、カートリッジロード!」
コッキング音が響き、レヴァンティンにカートリッジから供給された魔力が満ちる。シュベルトフォルムでのカートリッジロード、これによりレヴァンティンは炎を纏う。
「はああああっ!」
気炎万丈、今度はシグナムから恭也へ斬りかかる。
(火炎を纏った斬撃、どう対処するタカマチ!)
(いよいよファンタジーめいて来たな)
女性……シグナムが妙なかけ声をあげたかと思うと、彼女の持っていた剣の一部分が稼働。そして次の瞬間には、刃部分が炎に覆われていた。
一体どんな原理であんなことを、恭也にはさっぱりわからなかった。忍あたりが見たら興奮しそうだなと、場違いな考えが一瞬浮かぶ。
しかしいつまでも呆気にとられてはいられない。
「ふっ!」
恭也はシグナムの斬りつけを大きくステップし躱す。
「……おおおおお!」
裂帛の声とともに、シグナムは追撃にくる。それもまた大きく躱す。次も、次もその次も。
恭也は回避に専念する。
せざるを得ない。
「……厄介だな」
思わずそうつぶやく。実際、非常に厄介だった、あの炎を纏った刃は。
自分との相性で言えば最悪に近い。
恭也の使う二刀術、その優秀な点には間違いなく防御性能が挙げられる。一刀で攻撃しながらも、もう一刀は防御に回すということが可能だからだ。
しかし現在はその利点が完全に潰されている。恭也にとっては意味不明な現象と言えるがとにかく現実として、相手の刃が炎を纏っているせいで、刀で敵の斬撃を受けるということができないのだ。そんなことをすれば刀を持っている腕は火傷ではすまない。
「……どうした、タカマチ! 避けてばかりか!」
さらに回避するにしても、炎を警戒して通常より大きく動かねばならないため、反撃のチャンスがなかなかない。よって今、恭也はひたすら襲い来る連撃を躱している。
しかし、もちろんずっとそうしているつもりはない。持久戦に持ち込むのは敵の体力が読み切れないため、リスクが大きい。
恭也は、見ているのだ。
御神流の剣士としての眼で、敵の斬撃を。
そして、狙っている。己の斬撃をねじ込む隙を。
否、作っていると言ってもいい。
貫。
御神流の技術の一つ。攻防の中、ないはずの隙を突き自分の攻撃を通す技。相手からすれば、こちらの攻撃はまるですり抜けてきたかのように見えることになる。
呼吸、視線、剣筋、パターン。
それらを読んで、誘導し、空白を作り出す。
そして、
御神流奥義 虎切
そこへと鞘に戻しておいた刀を奔らせ、高速の抜刀術を放った。
「なっ! く……」
「……やはり硬いのか」
その攻撃は完全にシグナムの虚を突き、まともに入ったはずだった。剣で弾かれたわけでもない。しかし、返ってきた感触はあの赤い少女の時と同様、不自然に硬かった。
手応えありとは間違っても言えない。
「こんなに嫌な汗をかいたのは久しぶりだ。すさまじい技量だな……」
「それはこっちの台詞だ。あれを叩き込んでも致命傷にならないとはな」
「あれで倒れるほどベルカの騎士は柔ではない……が、タカマチ、お前……何かしたな?」
「……」
だがそれは、さすがに予想済みだ。赤い少女の仲間なら、彼女と同じ能力を有していると見るべき。ゆえに恭也は彼女の時と同じ対策を講じておいた。
貫を使って奥義の一つ虎切を通す。さらにそこに、
「最初の一合の時にも感じたが、お前の剣は妙に響く。体の内部に衝撃が入ってくる」
徹を仕込んでおいた。これなら斬れないくらいに硬かろうが、関係はない。
斬れないくらいで殺せない等と言っていたら、人斬り家業などやっていられない。
雷徹を放てればそれが一番いいのだが、あれは大きく回避する合間に出すには向いていない技だ。
よって恭也は、隙を突くための貫、長距離から繰り出せる奥義である虎切、そして効力を上げるための徹という、御神の技術の粋とも言えるこれら三つの並列使用に踏み切った。
より正確に言えば、そうせざるをえなかった。
「悔しいが、剣士としてはお前の方が文句なしに上だな。感服する。もう一度言うが、すさまじい技量だ」
「……こうでもしなければ、貴方には通じなさそうだったんでな」
そんな事をしなければならないほど、シグナムは恭也にとって強敵、難敵なのだ。
お互いがお互いに対する警戒と敬意をまた一つ引き上げ、そして剣劇は再開される。
シグナムは炎の魔剣で美しくさえある連撃を見せ、恭也はそれらを躱しながら隙を突き、射程と速度に優れた技である『虎切』か『射抜』に『徹』を乗せ放つ。
一撃でも食らえば恭也の敗北はほぼ確定する。
綱渡りの勝負だ。
だが、それでも恭也は退かない。恐れがないわけでは決してないが、後ろには自分の命などよりも遙かに大切な存在がいるのだ。
御神の剣は守るために。
強靱な精神で恐怖をねじ伏せ、恭也は闇の中、炎と踊る。
フェイト・テスタロッサは迷っていた。
眼前で展開される、見たこともないレベルの近距離戦闘。そこに介入すべきか否かを。
妙な機構を有したデバイスを使う、先ほどの名乗りによるとシグナムと言うらしい女性。
剣撃の鋭さといい魔力の力強さといい、相当の実力者だ。詳しくはもちろんわからないが、魔導師ランクで言えば少なくともAAAよりは上に見える。つまり……現時点での自分では敵わないレベルだ。
そして。
「おにいちゃん……」
なのはが心配そうに呟きながら見つめる、黒い衣服に身を包んだ男性……恭也と言うらしいなのはの兄。
彼に至っては、正直、何かの冗談だろうと言うのが本音だった。
魔法を使っている様子は一切ない。本人も魔導師ではないと言っていたし、それどころか魔導師がなんなのかすらわかってないようだった。
だと言うのに、優れた近接戦闘魔導師であるだろうシグナムをスピードで凌駕し、その刃を躱し続け、その上隙がないように見える彼女の連撃を時折それこそまるで魔法のように潜り抜け、反撃を重ねていく。
こんな人が、存在するのか。
まるで、ファンタジーだ。
夢を見ているような光景だった。
「フェイトちゃん……これって」
「……うん……なのはのお兄さん、押してる」
ガキィンと、また音が響く。それは恭也がシグナムに一刀を浴びせた音。どうやっているのかはわからないが、バリアジャケット越しでも彼の斬撃は有効打となっているらしい。それが積み重ねられたせいだろう、シグナムの動きは徐々に鈍ってきている。その表情も心なしか険しい。
本当に信じられないが、一般人が高レベル魔導師を追い詰めているという光景が目の前で展開されていた。
「すごい……」
フェイトは思わずそう漏らす。
(すごい……すごく、綺麗だ)
自らも近接戦を行うからこそわかる、目の前の光景の美しさ。
剣舞と呼ぶにふさわしい、現実感さえ遠ざける魅惑の舞台。
しかし。
しかし、これは、現実だ。いくら信じられなくとも。
フェイトは気を入れ直す。
これは現実、であれば、冷静に今やるべきことを判断しなければならない。
状況は、恭也有利ではある。
だが、それはいつひっくり返るかわからないものだ。いかな恐ろしいまでの体捌きと剣の冴えを見せる彼とはいえ、それでも生身であることには変わりない。バリアジャケットがなければ、シグナムの剣に一度でもその身を捉えられればそれで勝負はついてしまう。
こんなことは戦っている彼が一番わかっているだろうが、余裕の戦いなどでは決してないのだ。むしろ、身を、心を削るような戦法だ。技術云々を抜きにしても、並の精神ではそもそも不可能な行為と言える。
だからこそ、戦える自分はすぐさま加勢に行くべきだ。
しかし、それには問題があった。
「……くっ」
彼の戦いが、あまりに危ういバランスの上に成り立っている事だ。
傍で見ているだけでも背に汗が浮かぶような苛烈なシグナムの剛撃を、バリアジャケット無しの生身でぎりぎりのところで躱しすれすれのところで潜ってそして反撃を重ねるというあまりに危ういその戦闘に、自分が下手に介入して状況を刺激してしまえば、最悪それがきっかけで彼に傷を負わせかねない。そしてその傷は彼の命を奪いかねない。敵が非殺傷設定で魔法を行使する保証などないのだから。
彼と同等の技量があれば間違いなく助けに入れるのだろうが、自分では、賭になってしまう。そしてベットされるのは自分の命ではなく、彼の命なのだ。
フェイトは歯噛みする。
遠距離射撃での援護も、彼の動きが速すぎて誤射しかねない。
打つ手が、ない。
加勢すべきなのに、できない。
本当にそうか? なにかできるのでは? すべきでは?
だけど、でも。
思考は堂々巡り。時間だけが過ぎていく。
フェイトは迷う。迷い続ける。何が最善かわからない。
そして、
「……レヴァンティン、カートリッジロードッ!」
響いたその声とともに、ついに状況が変化した。
シグナムと名乗る桃色の髪の女性は、叫んで後ろに大きく跳んだかと思うと、
「シュランゲフォルム!」
その手に持つデバイスの形を劇的に変化させた。
剣は今や、連結した刃からなる長い鞭のような形になっている。
まるで蛇のようだ、なのははそう思った。
「お兄ちゃん……」
刃の蛇が恭也に襲いかかる。四方八方自由自在に迫り来るそれをなのはの視界の中、恭也は美しい体捌きで躱していく。
だが。
「っ!」
なのはは息をのむ。恭也の腕に刃がかすったのだ。鮮血が散る。
一瞬、恭也の動きが止まり、その表情がはっきり見えた。
果たして、それは。
「おにい、ちゃん……」
恐れでもなく苦しみでもなく、焦りでもなかった。
窮地に立たされてなお、それは。
――紛れもなく、決意。
戦い抜く、覚悟の表情だった。
なのはが今まで見たことのない、しかし今まで見たどんな顔よりも精悍な。
それを見て、思う。
自分は、何をやっているんだろう。
疲れているから、傷ついているから、……兄よりきっと弱いから。
足を引っ張るだけだから。
だからこうして、ただ見ているだけなのか。
自惚れでもなんでもなく、妹である自分のためだけに死地に立つ兄を、ただ見ているだけなのか。
そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。
なのはは、首を振った。
いいはず、ない。
「……なのは?」
「フェイトちゃん、ちょっと支えてて、くれないかな?」
「え?」
なのははそう言って、震える体に力を入れレイジングハートを握りしめ、立ち上がった。フェイトは疑問の声を挙げながらも言われたとおり、そんななのはに肩を貸し、支える。
「ありがとうフェイトちゃん。……レイジングハート、ごめんね、……一緒にちょっと、無理してくれる?」
フェイトに礼を言うとなのはは、相棒にそう問いかけた。
『Be happy to,my master.I believe you』
「ありがとう」
快諾してくれた相棒を、なのはは労るように撫でた。そして、
「なのは……恭也さんの援護は、その……」
「わかってる、フェイトちゃん。私じゃあ足で纏いになるだけだよね。だから」
「だから……?」
「それ以外の方法で、私は私のやるべき事をやるの!」
構える。シグナムが突き破った天井……そこから見える空へ向けて。
「まさか!?」
「そう、結界を壊す……! そうすれば転送で逃げられるよね」
「……でも、それには」
「うん、強力な砲撃魔法を撃たなきゃだめ。だから……」
そしてなのはの想いを正確に汲み取り、レイジングハートは羽を広げた。大きな魔方陣がなのはの頭上に展開される。
「レイジングハート、カウントお願い!」
『all right! count…………9…………8……』
レイジングハートが、カウントを刻み始める。展開した魔方陣の周囲に魔力球が作り上げられる。
「くっ……」
「な、なのは……」
これから放とうとしているのは、なのはの持つ魔法の中で最大級の威力を持つもの。それだけに負担も最大級だ。
正直、今の体調ではかなりの無茶だと言うことはわかっている。自分にも、傷ついたレイジングハートにも。
でも。
それでも。
視線の先に、猛攻を躱し続ける兄の姿がある。
優しい兄。気高い兄。……愛しい、兄。
これ以上、傷つけさせるものか。
『……7…………6…………』
足がふらつく。倒れそうになる、が。
「ありがと、フェイトちゃん」
フェイトが支えてくれているおかげで、立ち続ける事ができた。
「ごめん、なのは」
「え?」
「なのはは、傷ついた体でこんなに頑張ってるのに、私は何もできなくて……っ!」
そのフェイトは、震える声でそう言った。なのはは首を振る。
「ううん、フェイトちゃんがいてくれるから、こんな無茶ができるんだよ。ありがとう、フェイトちゃん」
「なのは……」
それは本心からの想いだ。信頼する友が傍らにいる。その心強さは確かに今、自分の力になっている。
『5…………4…………』
なのはは、フェイトと眼を合わせる。そしてどちらともなく強くうなずき、空を見据えた。
敵は恭也、アルフ、ユーノ相手で手一杯なのだろう。妨害の動きはないようだった。
『…………3…………2…………1』
なのははただレイジングハートを強く握りしめ、魔法に集中する。万が一何かが起きても大丈夫だ。隣にいる親友が、きっとなんとかしてくれる。
だから、
『………………0』
自分は、自分にできる精一杯を放つのみ。
(これが私の、全力全開!)
「スターライト……ッブレイカアアアアアアアアアア!!」
まばゆい桜色の閃光が、夜空を切り裂いた。
「スターライト……ッブレイカアアアアアアアアアア!!」
後ろにすさまじい気配を感じる。響く声に、恭也はなのはが何かをやったのだと理解した。
(あの体で無理をする……)
自分がいかに危機的な状況下にあろうが、やはり恭也が気にかけるのは自らの大切な、守るべき者――なのはの事だ。こういう思考回路はもう一生直らないものだろうし、直す気もない。
「くっ!」
どうやら敵にとって現在の状況はあまり好ましくないらしい。恭也に向かい多方向から刃を振るうシグナムは目に見えて苦悶の表情を浮かべていた。動揺からか、奔る刃も徐々に速く強く、そして隙が大きくなっていく。
いきなり質量保存則に喧嘩を売るように剣から蛇腹のような連結刃を展開し、運動量保存則に戦争を仕掛けるようにそれを自在に操られた時はさすがにどうしたものかと思ったが、これなら。
恭也は近づいてくる勝利を、冷静に待ち続ける。
今はとにかく、躱す、躱す、躱す。
連結刃を相手取るようになってから、まだ恭也は一度も反撃していない。正確にはできていないのだが。
だがそれもあと少し、もう少しだ。
恭也は待つ。相手の焦りによる、決定的な隙を。
今までの感触からして、後一撃さえ入れられれば勝負は傾く。それがわかっているからこそ、相手も奥の手を出してきたのだろう。
終わりは、近い。
だが決して油断はせず、浮き足立ちもしなければ勇み足も踏まない。ただ徹底して最適な動きをするのみ。それが御神の剣士だ。
やがて、その時は訪れた。
大きくたわんだ連結刃が唸りをあげて襲い来る。しかしそれは、
「……しまっ!」
放った敵も自覚するくらい、あまりに不用意な一撃だった。躱しやすく、隙が大きすぎた。
そして恭也は、ここで、満を持して。
自らの奥の手を、放った。
御神流奥義 神速
世界がモノクロに染まる。音が遠のき、空気が一気に重くなる。まるでやわらかいゼリーの中にいるような感覚。
その中を、恭也は走る。体はゆっくりとしか動かないがそれでもできる限りの速度を出し、シグナムの後ろに回り込んだ。シグナムには気づかれていない、いや、彼女には気づけないのだ。
この神速の世界の中では、おなじく神速を使った者にしか動きを知覚されることはない。
一瞬にも満たない、そんな世界。
そして、やがてそこに色が戻る。
「っ!」
それは強者の勘によるものか、もしくは僅かに漏れた殺気を感じてか、シグナムは恭也が一瞬にして自らの後ろへ動いたということを悟ったらしく、前に飛び退こうとする。
だが。
さすがに避けきれんだろう。
思いながら、完璧なタイミングで、恭也は刀を握った腕を、
「……なっ?」
振るおうとした。
油断をしていたわけでは決してない。常に警戒心は持っていた。
しかし。
さすがに恭也にも、自分の胸から腕が生えてくるなどという状況は、予測できなかった。
それは百戦錬磨のシグナムにとっても、まさに怒濤の展開と言えた。
結界を打ち破る強烈な一撃の発動を許してしまい、その焦りから失敗とすら言える攻撃を放ってしまった。そして反撃を警戒した瞬間、目の前にいたはずの敵が消えた。
刹那、背後に幽かな殺気。直感的に前へ飛び退いたものの、そのときにはすでに敗北を覚悟していた。
(後ろに居るのがタカマチキョウヤなら、しくじるハズはない)
敵に対する信頼というのも妙な話だが、それほどの相手だったのだ。シグナムは自分の負けを確信していた。
なのに。
「……なっ?」
覚悟していた衝撃が、こない。代わりに後ろから来たのは、妙な声。
とりあえず着地し、振り向いて、やっと事態を理解した。
「……シャマルか」
自分は仲間に救われたのだ。
恭也の胸にはシャマルの腕が。そして。
シャマルの手の中には、―――恭也のリンカーコアがあった。
さすがに狙ってこのタイミングで実行したわけではないだろう。自分が追い切れなかった恭也の動きを、戦闘向きでないシャマルに追えたとも思えない。
そもそも戦いの様子を、きっとシャマルは見ていない。クラールヴィントと闇の書の導きに従い、狙いを定めたのだろう。
おそらくは、先ほどの瞬間移動が引き金だ。一体どうやったのかは知らないが、生身であんなことをすれば体への負担は相当なもののはずだ。終えた瞬間、リンカーコアにシャマルが手をのばせるほど体が疲弊したのだろう。
ここまで一瞬で考え、そしてシグナムはちらりと視線をずらす。その先には、呆気にとられたような顔で固まる二人の少女。
その内の一人、もともとの標的である砲撃を放った少女が狙われなかったのは、傍らに疲弊も負傷もしていない仲間がいたからか。
そう結論づけ、再びシグナムは恭也へ視線を戻した。恭也のリンカーコアはシャマルの手の中その輝きを徐々に鈍らせていく。魔力が抜かれているのだ。
さて、どうするか。
今ならば、隙だらけだ。排除できる。
魔力を抜き取ったとしても、しかしこの男は今まで魔法なしで戦っていたのだ。リンカーコアから直接魔力を吸われた人間が直後にそう動けるものとは思えないが、この男に限っては何をするかわからない。
警戒するに越したことはない。今の内に排除を……。
そう思いつつ立ち上がり、通常の直刃剣――シュベルトフォルムに戻したレヴァンティンを握り直す。が、
「お兄ちゃんっ!」
「はあああああああっ!」
我に返ったのか、少女二人、一方はよろめくように、もう一方は素早くこちらへ向かってきた。
こちらの狙い――タカマチキョウヤの排除を察しその阻止にきたか、それとも魔力蒐集を止めるつもりか。あるいは、両方だろう。だが、
「させん!」
シグナムとて、ダメージは体に残っているもののまだ戦える。これではあの男の排除にまではこぎ着けないかもしれないが、少なくともシャマルが魔力を蒐集し終わるまでの時間くらいは稼げるだろう。
鎌のような武器を手に飛び込んでくる金髪の少女を、構えた愛剣で迎撃せんとする。
まさにその時だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
遠くから悲鳴が響き渡った。それは、シグナムが聞き違えるはずもない者の声。
「シャマルっ!?」
仲間の一人、魔力蒐集作業中であるはずのシャマルのものだった。
なにが起こったのかと、シグナムは思わず目の前に敵がいるのにも関わらず、後ろへ視線を向ける。すると、そこには、
「……な!?」
「……っ!?」
信じがたい光景が広がっていた。それは金髪少女にとっても同じなのか、彼女の息をのむ声が聞こえた。
鮮血が滴り落ちている。
「なにを……して……いるのかしらんが……!」
リンカーコアから魔力を抜かれている最中のはずの、黒衣の男、タカマチキョウヤが、
「……やめて……もらおう……!」
手にした二刀の内、左に握った一振りをシャマルの腕に突き刺していた。
そしてさらに、もう一振りをがくがくと激しく震える右腕で上段に構え、
「おにい……ちゃん……?」
「きょ、恭也……さん?」
「なのは……フェイト………………みないほうが、……いい」
そう言った。
(――斬り落とす気だ)
戦慄と共に、シグナムは悟った。
あの男ならば、やりかねない。腕にもバリアジャケットの庇護はある、あるがしかし、あの男ならば。どうやったかは知らないが、その証拠に一刀はすでに腕に刺さっているのだ。このままいけば本当に、容赦なくシャマルの腕は斬り落とされる。
実際に刃を交えて嫌と言うほどそれがわかっているからこそ、シグナムは、
『シャマル! 腕を戻せ! 早く!』
『くううううっ! ああああああああっ!!』
シャマルへ念話で必死に指示を飛ばした。すると、刃が振るわれる瞬間、まさに間一髪のタイミングで、
『はあっはあっ……』
「に、がした、か……」
もがいた腕は自らを貫く刃からなんとか逃れ、恭也の胸から消え去った。
「なんという奴だ……」
それを確認しつつそう呟き、シグナムは大きく後方へ跳び退った。
こんなことになった以上、ここに留まり続けるのは得策ではない。
『ザフィーラ、シャマル、撤退するぞ!』
窓から空へ全速力で離脱にかかる。同時に仲間へ撤退を呼びかけた。
『っ、了解した!』
『わかっ、たわ……』
金髪の少女はどうやら追ってはこないようだった。自分の仲間の状態確認を優先したか。
左方に目をやれば緑の光、右方に目をやれば蒼の光。その二つにも追っ手はついていなかった。目を凝らせばザフィーラがヴィータを背負っているのが見えた。
(一応、全員が離脱できたか)
胸をなで下ろす。
しかし、とはいえ油断はできない。結界が破られた以上、管理局からロックされる可能性がある。できるだけ迅速に離れなければ。
それに。
「あの様子では、蒐集は完全には終わっていなかっただろうな……」
どれくらい集められたかはわからないが、当初の標的とも違うという事もあるのだ、予定よりはきっとかなり少ないだろう。
加えてヴィータは気絶させられ、ザフィーラも二人相手だったのだ、無傷ではあるまい。自分も深手は負ってないが、負傷していないとは到底言えない。シャマルに至っては言うまでもない。
総合的に見て、失敗と言ってもいい有様だった。
(すみません、主はやて)
心の中、シグナムは愛する主、八神はやてへ頭を下げた。そんな事を主が望まないであろうことはわかっているし、そもそも魔導書の蒐集も主の意に背いたものだ。そんなことはわかっている。いたが、それでも自分の不甲斐なさを謝らずには居られなかった。
「タカマチ、キョウヤ……」
胸に刻むように、その名を口にする。自分も含めた仲間四人の内三人があの男に手傷を負わされた。
魔導師ですらないという、あの男に。
まるで悪夢のようだった。
「お兄ちゃん、しっかりして! お兄ちゃん!!」
『ユーノ、すぐこっちに! アルフ、管理局に連絡して医療班を手配して! 最優先でお願い!』
フェイトは仲間二人に指示を出すと、
「おにいちゃん!! おにーちゃんっ!!」
「なのは……落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから……」
シグナムが去った後、崩れるように倒れ伏した恭也の隣で半狂乱となっているなのはをなだめる。だが。
(大丈夫、なのだろうか)
フェイトも内心、自らの言葉が信じられないでいた。
戦闘による身体負荷は相当なものだったろう。一体どうやったのか全くわからないが最後に行った瞬間移動なんて、どう考えても体に負担がかからないはずがない。
まさか捨て身の技だったのでは……、そんな嫌な考えが頭をよぎる。
その上、リンカーコアから魔力を抜かれ、さらにその状態で無理矢理動き、敵の腕を串刺しにし、斬り落とそうとするという無茶まで行ったのだ。
果たして大丈夫なのか、あまりに行動が規格外すぎて、判断が、つかない。
なのはは床に膝をつき、仰向けに倒れている恭也の腕にしがみついて彼へ必死に声をかけている。
フェイトも隣に座り込み、恭也の手を握った。
それはとても硬い手だったが、しかし確かに温かで……暖かだった。
この人は、……この人は生きるべき人だ。
フェイトは、強くそう思った。
この人は、管理局の人間ではない。ましてや魔導師ですらない。だというのに、ただ妹のために、ただ妹を守るために、その身一つで戦ったのだ。敵の一撃が自分の命を奪いかねないものであることは百も承知だっただろうに、それでも一切の躊躇をしなかった。
"なのはを頼む"
"それから君も気をつけてな。そっちに何かあればすぐに俺が行くから、無茶はするな"
"なのは……フェイト………………みないほうが、……いい"
自分が一番危険で、負担がかかっている状況であるのにも関わらず、それでも常になのはを、……どころか、思い入れなんてないはずの自分のことまで気遣ってくれていた。
こんな人が、こんなところで終わるなんてことがもしあったら、そんな運命は絶対に間違っている。
「フェイト!……その人の治療だね!?」
「フェイト、管理局との連絡はついたよ! すぐに医療班を送ってきてくれるし、あっちの医務施設の手配もしてくれてる!」
「ユーノお願い! ありがとうアルフ!」
やがてやってきた二人にそう声をかけながら、フェイトは震えていた。
大切な友達の大切な人が倒れてしまった恐怖と、他でもない自分自身への怒りによって。
何も、できなかった。
結局自分は何もできなかった。
なんて、情けない。なんて弱いんだろう。
なのはをなだめ励まし、ユーノの治療を見ながら、そっと、しかし強く拳を握りしめる。
もっと、もっと。
もっと、強くなりたい。
大切な人を、優しい人を、この手で守れるように。
フェイトは心の底から、力を欲した。
彼女のデバイス、バルディッシュはそんな主の思いを汲み取るように、まるで返事をするかのように、コアを一瞬輝かせた。