魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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 この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。


第16話 どう見ても、天使

「……どう見ても、天使、だよな」

 状況は、まったくわからない。

 わからないが、わからないなりに出した結論を恭也は誰にともなく一人、呟いた。

 目を覚ましてみれば自分は透明なケースの中に居て。

 その事に困惑している暇もなく、頭上から落下してくるのは二人の少女。

 すわ何事かと驚きつつケースを蹴破り脱出し、部屋へ落ちてきた二人の身体を受け止め、その姿を思わずまじまじと眺めて、出した結論がさっきの独り言だ。

 片方は栗色の髪を二つにまとめた愛らしい容姿を白い衣装に包んでおり、もう片方は黒を貴重とした装いではあるものの、優しげな柔らかい金髪に彩られた美貌は神聖ささえ感じさせ。

(死んだ後の世界で空から降りてきた存在……なの、だから)

 天使、で、いいんだろう。

 ……いや、わかっている。恭也は頭を振った。自分は今、大分、混乱している。大混乱していると言ってもいい。

(………………親しい、ものに、似た方が迎えに来られるとか、そういうシステムでもあるのだろうか)

 なんだかどうも思考のピントがズレている気がしてならないが、なんとか捻り出せたのはそんな予測だけだった。

「……なの、…………っ」

 言いかけて、恭也は首を振った。そんなはずがないからだ。

 いくら目の前の少女達が自分のよく知る二人の女の子に似ていようが、しかし彼女達であるはずは、絶対にない。

 少女達は見たところ十四、五歳……レンや晶達と同年代くらいに見えるが、しかしあの二人はそんな歳ではないし、そもそも――。

 もう、会えることなどないのだから。

 なぜなら自分は、命を落とし彼女達の元から決定的に去ったはずだから、だ。

「…………っ、………………」

 後悔は、ない。

 それは言い切れる。あの時自分がしたことに、微塵も後悔はない。

 後悔は、ないのだ。

 だが。

 だけども。

 自分が生きた、居たあの場所を、愛する暖かいあの人達を、護った事に後悔はなく護れた事に誇りはあっても、……そこから去ってしまった事に寂しさがないだなんて強がりは、決して口には出来なかった。

「……………………っ!」

 少女達を腕に抱え、呆然と立ちすくむ恭也の意識を一気に戦闘用のものへと切り替えさせたのは近づいてくる複数の気配だった。

 上空を見やれば、何やら機械仕掛けらしい一団が空いた天井目掛け殺到して来ている。

 どうする、高速で思考を走らせ状況を俯瞰、判断を下そうとした刹那、しかし事態は好転した。一団が天井の穴に入り込もうとした寸前、展開された薄い青の膜が彼らの進入を拒んだのだ。どうやら、バリアのようなものが張られたらしい。

「…………む」

 だが、安心し切るわけにはいかなかった。残念ながらバリアが展開されたタイミングはほんの少しだけ遅く、一団のほとんどは弾けたものの、

「……妙な形だな、……ロボット、か?」

カプセルのような形のもの、円形で巨大なものがそれぞれ一体、計二体の機械達が部屋へと這入ってきたからだ。

 キュイイインと、カプセル型は中央に一つの、円形大型は三つのオレンジ色の目玉のようなものでこちらを見据え。

「……っ」

 ぎゅばっと、それぞれ平べったい腕のようなものやコードのようなものを恭也へ勢いよく放ってきた。

 状況は、わからない。極端な事を言えば、この目の前のロボットは自分を保護しようとしに来たのかもしれない。

 しかし。

 

 彼らはコードを伸ばすのと同時、恭也には向けなかったものの、恭也がそれぞれ両腕に抱いた少女達へは目玉から閃光を放った。

 

「悪いが」

 トン、と、恭也が足音を響かせたのはカプセル型のすぐ隣。神速を使うまでもなく、コードと閃光の射線から身をそらし一息で距離を詰め、

「鉄くずになってもらうぞ」

言って、右足を軸に力強く身を回転、その勢いを殺さず薙ぐように放った蹴りはカプセル型の横腹に突き刺さりその体を壁際まで一気に吹き飛ばし。

(……なるほど、表面は多少硬いが…………それだけだな)

 一瞬の間の後、カプセル型は蹴りに篭められた徹により内部へ通った衝撃に耐え切れなかったのだろう、あえなく爆散した。

 残るは巨大な一体。丸い身はこちらへ向き直りそのオレンジの目で恭也を、

「……ふっ!」

捉える事は叶わなかった。またしても一息で間合いを詰めた恭也は、今度は真正面、移動の勢いを殺さずに右足で踏み込み、放った突き出すような突き刺すような強烈な蹴りは円形大型の中心部を捉え。

「とっ……」

 バックステップ、機械仕掛けの巨体と距離を取る。

 その判断の正しさを示すように、先ほどまで居た位置を巻き込む程度の規模で円形大型は爆散した。

「…………」

 恭也は両腕に抱えたままの二人を見やり、その身に先の攻防による負傷がないか確認する。

(大丈夫、だな)

 服の破損やある程度の怪我はあるがそれは元からのものだ、今の戦闘では傷一つ付いていない。

 その事実に、胸には深い安堵が訪れた。

 もしかしたら、先のロボット達は自分を迎えに来てくれた味方かもしれない。

 だが、それでも。

 なぜだかはわからないが、……その姿によくよく見知った女の子達の面影があるからというだけの理由なのかもしれないが。

 この娘達に矛を向けるというのならそれだけで十分に、十二分に、あのロボット達は自分にとっては滅すべき敵に値した。

 やはり理由はわからないが、この娘達を護らねばならないと――護りたいと、恭也は極々自然に、疑問を挟む余地もなく、そう思ったのだ。

(……とは言えまあ、先のはかなりの雑魚兵だったようだがな)

 戦闘というよりかは単純作業レベルだ。カプセル型と同様、円形大型も表面は硬かったものの徹を使えば何という事もなかった、所詮はおもちゃ同然、恭也はそんな評価を下し。

(…………ああ、そうか)

 神速も使わなかったがそう言えば魔法もそうだった、別にバリアジャケットや眩体無しの生身で相手をしてやる事もなかったなと、そんな事に思い至って、気づいたのは。

 どうして自分が魔法を使わなかったのか、その理由。

「…………魅月」

 それは左小指のその軽さ、否、……心細さだった。

 一ヶ月と少し程度の付き合いだったがそれでも間違いなく、魔法を使う戦場において恭也にとって彼女の存在は途方もなく、言うまでもなく、心の底から頼れるものだった。

 それがなかったからきっと、無意識に自分は魔法を使わなかったのだろう。なんとなく、この場は魔法が使いづらい空気のようなものに包まれている事も感じ取ってはいたものの、魔法を使わなかったその主要因はそんな事ではない。

 魔法を使って戦うという事態において当たり前のようにいつもいつでも傍にいてくれたあの、控えめだが揺ぎ無く頼りになる相棒がいなかったから、だから生身で戦ったのだ。魔法を使って戦うならば、彼女が傍に居てくれないと……そんな風に、きっともう、自分は魅月に依存し切っていたのだろう。

「………………」

 今更気づいたその事実自体は、いい。その通りだと思う、なんの抵抗もなく受け入れられる自分の真実、本音だと思う。

 だけど。

 受け入れ難いのは。

 もう、彼女には会える事はないという事、そして。

「……………………っ」

 恭也は唇をかみ締め、眉間に皺を寄せた。

 魅月との別れを痛烈に意識したことで、

(……みん、な)

心にまたしても浮かび上がってきたのは、押さえつけていた郷愁の念。

 なのは、美由希、母さん、レン、晶……そんな高町家の面々に、フィアッセや忍、ノエルに那美や久遠、フィリス先生に赤星、他にも大勢の見知った顔達が浮かぶ。海鳴の、あの街の人々が浮かぶ。

 それに、――フェイトやクロノ、エイミィ、ユーノにアルフ、リンディ……アースラクルーの面々に、はやて、シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル、そしてリインフォース、八神家。

「………………くっ……ぅ」

 もう会えることはない、愛しいあの人達への想いが、堰を切ったように胸の中で暴れ出す。恭也は思わず情けなく、嘆きの声を漏らした。

 自分の選択の結果とは言え。

 苦しくないだなんて、言えなくて――。

(……っ!)

 視界さえ滲み出したとき、

「……ん、んん…………」

「あ……う…………」

 聞こえたのは自分の嘆きではなく、腕に抱えた少女達の苦しげな呻き声だった。

(……そう、だ)

 深く息を吐き、恭也は意識を切り替える。

(こんなところで、立ち止まっている場合ではない)

 それは逃避なのかもしれない。失ったものから目を逸らしたいがための行動なのかも知れない、……それでも。

 今は、未だ目を覚ましそうにない傷ついたこの娘達のために、何か出来る事を最大限、やるべきだと思った。

(……あの辺り、だな)

 恭也は周囲の気配から、最も人が集まっていそうな場所を探り当て。

 そこへ向かうため、細心の注意を払いつつ少女二人を抱えながらドアへとその足を向けた。

 

 

 

 

 

 

「状況はどうなってる!?」

「アイツらは無事か!? 無事だよな!?」

 管制室、紫と紅の転送陣を足元に飛び込むような勢いで入ってくるなり必死の形相で問うたのは、シグナムとヴィータ。

「AMF濃度、低下してきているわ!」

「主の準備も終わっている、いけるぞ……!」

 一拍遅れて、今度は翠と蒼の転送陣の上、シャマルとザフィーラが現れそう報告を上げた。

「なのはとフェイトの殲滅魔法で粗方の敵機は片付いた。艦の表面にはついさっき防護のバリアを復帰させた」

 クロノは彼らに艦長として現状を簡潔に告げていく。

「なのはとフェイト、二人のバイタル反応はある。今さっき恭也さんの部屋へ落下して……」

 そこまで言って、鳴ったのはアラーム。それは艦内に敵勢力の侵入を許した証左だ。

「エイミィ! どこだ!?」

「あ、……あ、きょ、恭也さんの、部屋、に……」

「―――っなのは達の意識レベルは!?」

 ヴィータの噛み付くような問いに、真っ青な顔でエイミィは答えた。

「……え、えと…………っ、気絶、状態…………」

「―――っ!!」

 敵機が恭也の眠る部屋へ侵入、そこへ落ちたなのは達も意識がない状態。

 判明したそんな状況に対し、シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ――守護騎士達の反応は劇的にして迅速だった。

「くっ!」「ふざ……っ」「そんなのっ」「…………っ」

 各々甲乙付けがたい反応速度でモニターからドアの方へと向き直り、一気に駆け出し――。

 

「……あれ」

 

 かけたところで、響いたのはエイミィの呆気に取られたような声だった。そこまでの声量を伴っていなかったそれが場に響いたという事実が示すのは、

「……おい、アラームは…………? なんで止まったんだ?」

ヴィータがまたモニター方面へ振り向き直り、怪訝な顔で口にした通り、けたたましく鳴っていた警報音がいつの間にかピタリと止まっていたという事だ。

「侵入した敵勢力が沈黙すれば、鎮圧されれば、止まるようになっているんだけ、ど……」

 答えるエイミィの顔も困惑気だ。薄まってきたとは言えAMFの所為で現在艦はお世辞にもまともには動いていない。自動迎撃など言わずもがな、どころか各種状態把握機能も例外ではなく、この管制室からでは恭也の部屋の詳細はほとんど掴めないと言っていい。侵入警報アラームが鳴った事だけで十分御の字だと言えるくらいの有様だ。

 であるのに、なぜその警報は止まったのか。

「……とにかく、何があったか知らんがそれこそ何が起きてるかわからんのだ! ヴィータ、状況確認に行くぞ!」

「おう!」

「……頼む!」

 外にはリインフォースも、準備が整ったというはやてとリンツも居る。何かが起きたときのためシャマルとザフィーラにはここで待機しておいてもらうとして、シグナムとヴィータにはとにかく一刻も早く恭也の眠る部屋へと向かってもらうべきだろう。

 そう判断し、短い言葉で託したクロノに二人が頷いた―――その時だった。

 シュッと、ドアの開く音に次いで。

 

「すみません!」

 

 聞こえてきたのは誠実そうで、なおかつどこかに魅惑的な甘さが香り、

「……怪しいものでないという証明は出来ませんが、敵意はありません!」

そして何より揺るがぬ芯の通った、そんな声。

「怪我人が二人居るんです! どなたか、治療の出来る方はいらっしゃいませんか!」

 よく響く声で問うた彼は、一歩、また一歩と部屋へ入って来て。

(……………………っ)

 クロノは、目を伏せた。振り返り、彼の姿をこの眼に写す資格が、果たして自分にあるのかどうか、わからなくて。

 守護騎士達も、それぞれいかなる理由かは細かく推し量れないがとにかく、いきなりの事態にドアの方へとは身体を向けないまま、固まっていて。

「……っ」

(……エイミィ)

 一瞬流れた沈黙の後、クロノの袖を掴んだのは、――その行為と表情で背中を押したのは、エイミィだった。

(……そうだ)

 クロノは彼女へ視線を合わせ、頷いた。

 過去にあんなことをしてしまったとは言え。現状、こんな事になってしまっているとは言え。

 それでも、いやだからこそ、現アースラ艦長、クロノ・ハラオウンは今ここで、振り向く義務がある。

 必死に、俯瞰してみたらきっと自分でも苦笑いしてしまうだろうほど必死に、なんとかきびきびした、毅然とした態度を取り繕った動作でもって振り返りながら。

(……ああ)

 義務、なんて表現をしながら結局、自分がこの瞬間を死ぬほど待ちわびていた事への自覚くらいは、あった。

 だって、コツコツと音を鳴らしながら、二人の少女を大切そうに腕に抱えた彼の下へと歩み寄る自分の心に湧き上がるのは、途方も無い喜びだったから。

(……ああ、…………ああ)

 この人に、再び会え、言葉を交わせるその事が、嬉しくてたまらなかった。

 クロノは願う。自分の喉に、声に請う――どうか、頼むから情けなく震えるな。彼は自分に、"弟が出来たみたいで、楽しかった"と、そう言ってくれたのだ。それならば"憧れの兄"に格好悪いところなんて、絶対に見せるわけにはいかない。

 あの時から五年経ち、歳の差一つとなった自分の、あの日護ってもらったから生きている自分の、凛とした姿を見せなくてはならない。

 タン、と、足を踏み鳴らし、彼の前で立ち止まり整えた姿勢は最敬礼。

「こんな事を言う資格などないことは百も承知ですが、それでも言わせて下さい」

 こうしてまたお会い出来る事を、心よりお待ちしておりました。

 なんとか揺れずに済んだ声で、クロノはそう続け。

「……すみません、あの、どこかで…………?」

 そして、困惑気な彼に、

「現アースラ艦長、クロノ・ハラオウンです―――恭也さん」

 万感の想い篭る声で、そう告げた。

 息を呑む音と、見開かれた眼。返ってきたそんな反応から、彼の、恭也の驚きが伺える。

「……い、や…………しかし、クロノ、は……そんな、こんな、歳で、は……」

「……もしかしてだけどよ、お前、なんか機械みてーのぶっ壊してこなかったか?」

 動揺を見せる彼に問うたのは、振り返り顔を見せたヴィータ。

「……っヴィータ!? な、そん、いや、……なにが…………」

「どうなんだよ?」

「……まあ、二体ほど、それらしきものを潰して来たが…………」

「一応、AMFっつー魔法出しづれえもんが展開されてんだけどよ」

「ん、いや、魔法は使わなかった。生身で十分だろう、あの程度なら」

「………………………………………………くっはは」

「ヴィータ……?」

「ははははははは! はははははははは!!」

 しれっとした彼の答えに、ヴィータが返したのはその小さな身体を折り曲げての大爆笑だった。

「やっぱおめえはおめえだな! はは! 生身で十分て! ははははははは!!」

「お、おいヴィータ?」

「はは! ははははは! ははは……! は、はは…………ほんと、腹、痛えよ、は、はは…………涙、まで、出てきちまったじゃねえか」

「ヴィータ……」

 俯き、眦を拭う彼女の声に乗った湿りに恭也は彼らしい気遣わしげな声と顔を見せ。

「まあ、お前はそれくらいでないと困る」

 振り向きながら言ったのは、シグナム。

「そうでなくては、魔法無しのお前にあれだけ痛い目に遭わされた我らの立場がないからな」

 彼女らしいニヒルな笑みを浮かべながらも、その手が細かく震えている事をクロノの眼は見逃さなかった……それはきっと、自分も同じだろうから。

「医務官の立場から言わせて頂けば、病み上がりもいいところなお身体であんまり無茶はしてほしくないんですけど」

「……お前らしいといえば、それまでではあるな」

「シグナム、シャマルさん、ザフィーラ…………?」

 振り向き正面から顔を姿を見せた彼らは、その特殊性ゆえに五年前からまったくと言っていいほど背も顔も変わっていない。

 だからこそ、恭也にとってはクロノよりかは、彼らが彼らであると認識しやすくはあるのだろう。

「………………どういう、こと、だ…………。…………お前達も、死んでしまったの、か?」

 動揺の色濃い声で、彼が発したのはそんな言葉。

「俺は、……結局、護れなかったの、か……? あ、……いや、しかしおかしい……だったらそれでも、先に死んだ俺の方が少しでも早く目覚めるはずでは…………それにクロノはなぜそんな…………」

「簡潔に、ご説明いたします」

 無理も無いことだが、どうやら自分が死んだものと思っているらしい彼に、クロノは再び言葉を向ける。

「ここは、死後の世界ではありません。……現在地点は第十六管理世界、管理局次元航行部隊所属大型艦船アースラ管制室であり、現在時刻はおおよそ……――あの時より、五年後です」

「………………は?」

「おめえは死ななかったんだよ。死にそうにはなったが、なんとか冷凍睡眠使ってじわじわ治療したんだ。だからお前の身体は歳くっちゃいねえけど、周りはその分時間が、具体的に言やあ五年間が経ったっつーわけだ」

「……冷凍、睡眠…………五年、間?」

 わけがわからないと、要領を得ないような表情で彼が零した時だった。

『クロノ君っ! そっちの準備はええか!?』

 響いたのは勇ましい意気満ち充ちる声。

『こっちはもう万端やで!! いつでもいける!!』

 仲間達が奮戦する様をおそらくはそれこそ血がにじむくらいに歯を食いしばって観るに留め、準備を整えていた最後の大詰め、トドメの滅撃を任された夜天の王にして――十四歳になった、あの日彼が護った女の子の内の一人。

 はやての姿が、モニターに映った。

『リンツと一緒に詠唱も構築もほぼ完了や、あとは始動キーのみ! そっちはバリア復旧済みやろ!? あんのアホ共まとめてぶっとばすとっときっ、これでようやっと喰らわした…………………………る…………』

 叩きつけるような勢いの声が急激に減速し、みるみるうちにその顔は戦場のそれからまるで寝起きの、ぽかんとしたものへとシフトしていき。

『あ…………ぅ…………ぁ……』

 そして状況を、

『………………ま……さ………………か…………ほんま……に?』

こちら、管制室内に彼がいる光景を、それが指し示すシンプルな事実を認識して、今度は驚きに表情を染め上げていき。

「っ、な、あ……」

 恭也も狼狽した様子で彼女を見やり、眼を数度瞬かせ。

 そして一瞬の沈黙の後、

『…………――恭也さっ』

 

「レン!!」

 

『はやてやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!』

 交わされたのは、思わずその場にいた者達皆どんな顔をしたらいいかわからない……強いて言うなら苦笑するしかない、そんなやり取りだった。

『ここで!? この状況で!? こんなタイミングで!? こういうシーンで!? そういう事言いますぅぅ!?』

「す、すまん………………………………………………はやて、なのか…………? ……いや、す、すまない」

 絶叫の勢いそのままに詰問するはやては流石に涙目だったが、しかしばつの悪そうな顔の恭也の方もどうやら先の発言は別にボケたわけでもからかったわけでもない、純粋なもののようだった。

(まあ、無理もない、か……)

 確かにクロノの眼から見ても今現在のはやての姿は、五年前のレンとまさに瓜二つ。違うのは髪色と声くらいのものだ。混乱中の恭也が、目覚めて見れば五年経っていたなどという現実を聞いたばかりでおそらくきちんとそれを呑み込めてはいないであろう彼がそんな風に間違っても何もおかしくはなかった。

『わたしは! はやてです! はやてですっ! 八神、はやてです……っ!』

「わ、わかったわかった、すまない、そうだ、そうか、……は、はやてなんだな、わかった、すまない……」

「ま、まあまあはやてちゃん、ほら、今映像も音声も大分荒いですし、恭也さんもこの部屋に来て本当に簡単な説明だけ受けたばかりで混乱されてますから……………………っ!」

 執り成すようにシャマルがそんな風に言った時だ、大きめの衝撃が艦を襲った。

「ミサイル数発着弾! ……バリアの損傷は軽微! 順調に展開維持できてるわ!」

 エイミィの状況報告の声が響いて、場の空気がまた引き締まり。

『……恭也さん』

 しっかりと、はやてが恭也へとその顔を改めて向ける。表情にも瞳にも、もう揺れはなかった。

『…………聞いてもらいたい事も聞いてもらわなあかん事も、たくさんあります。…………せやけど、ちょう、待ってて下さい』

 彼女らしい柔らかな、聞くものに安らぎを与えるイントネーションで紡がれていく言葉に、その一言一言に途方も無い密度の感情が篭められている事は傍で聴いていてもよくわかった。

 彼女は決意の浮かぶ微笑を湛えながら言う。

『今この場で、わたしがやらなあかんことがあるので、それをやってきます。だから、ちょう、待ってて下さい』

「……それは、あの機械達の相手をするということか? 戦いだと言うのなら俺も」

『駄目です』

 言いかけた恭也の言葉を有無を言わさぬ口調ではやては遮った。

『……駄目ですよ。お願いです、そこで待ってて下さい。もし、……もし、せっかくこうして起きてくれた恭也さんに何かあったら、高町家の皆さんに顔向けできませんし、ハラオウン家の皆さんも絶望に染まってしまいますし、八神家だって、……八神家だって』

 その続きを、はやては口にしなかった。首を振って、おそらくは浮かびかけたのだろう涙をその瞳から引かせて。

『だからお願いです、恭也さん。そこで待っていて下さい。それで……出来ればでええんですけど、もしよかったらでええんですけど』

 見ていて下さい。

 しっかりと、恭也を見つめるはやての口から紡がれたのはそんな願い。

『あの日、貴方が護ってくれたから生きてる私が、今出来るようになった精一杯をお見せしますから。だから、それを見ていてくれると嬉しいです』

「………………――わかった」

 戦地にあり、少女が戦うというのに自分が最前線に赴かないことに抵抗があるのか、一瞬だけ眼を瞑り逡巡したがしかし結局、恭也は頷いた。はやての声に言葉に表情に雰囲気に、退かないものを感じとったのだろうか。

『おおきにです』

 それを確認し、ふわりと微笑んで、はやてはモニターから姿を消した。

 そしてなんとなく静寂の下りた管制室で、

「………………今のが、はやて、だと言うのなら」

「ああ、そうだよ」

ぽつりと零した恭也の言葉へ答えたのはヴィータ。

「最初に見てわかんなかったのか? ……や、まあ、結構そいつらでかくなったしな、無理もねえか。状況把握してねえならなおさらだろーしよ」

「……天使だと、思ったんだ」

「は?」

 いきなりの言葉に聞き返したヴィータに、どこか呆然とした口調で恭也は続ける。

「目を覚ましたその時に、空から降ってきたから、だから、天使だと、そう思ったんだ。その後あのロボットも這入って来て、それで、……なぜだか、護らなければならないと思った」

「……寝起きでも、やっぱお前はお前だな。大事なもんを護ることに関しちゃ揺らがねえ」

「………………」

 無言の恭也に、そしてヴィータははっきりと、

「……天使と間違えた、なんて、そいつらが聞いたら喜ぶのかどうか、それはわかんねえけどよお」

 決定的に言葉にして、

「そいつらは、今お前が腕に抱いてる二人はよ……」

 ありのままに伝える。

「十四歳になった、――なのはとフェイトだよ」

 これは五年越しの再会なのだと、それが今為されているのだと、そんな事実を。

 

 

 

 

 

 吹き抜けた風を味わうように眼を閉じたのはほんの一瞬。

 アースラ、その上部に浮遊しながら、はやてはしかと開いたその眼で上空を見つめる。そこには粗方片付いていた敵影がまたその姿を増やしていく様があった。

 転送用の機体があるのだろう、おそらくは一番奥に配置されているのであろうそれらを潰さなければ、いくら他の機体を墜としても墜としても敵は次から次へと沸いて出てくる。

 つまり、一気に根こそぎ殲滅、根絶やしにしなければこの戦況を打破する事はできないという事で。

「……さあ、いくで」

 そのための準備は、仲間達が空を翔け、命を賭けて整えてくれた。

 ならば、応えよう。

 だって、応えたい。

 この空の下、仲間達は皆同じ思いを抱いて飛んだ。あの人を護る、その想いだけを抱いて飛んで。

 そして、それはいつのまにか、待ち焦がれた瞬間へと続く旅路になっていたらしいと言うのなら。

「―――」

 もう、やるしかない。親友の言葉を借りて言うなら、全力全開で。

『はやてちゃんっ! 来るです!』

 ユニゾンはもちろん既に完了してあるため、内側から響いたリンツの声にはやては頷き、返す。

「ああ、……準備はええか? リンツ」

『はいっ!』

 空の機体達に標的と定められたのか、大勢の飛行体が向かってくる音を気配を肌でびりびりと感じる。感じるが、しかしはやてに恐れはない。

「……邪魔っくさいなあ、ほんま」

 あるのはただ、実に正直なそんな感想。

 だって、――五年待ったのだ。 

(こっちははよう、……会いに行きたいんや)

 それを遮るというのなら。

 

 消し飛ばす、跡形も無く。

 

 ふっと息を吐き、そしてはやては、夜天の王は書を広げ、金色に輝く杖を掲げて。

「カートリッジロード!!」

『カートリッジロードッ!』

 杖――シュベルトクロイツの十字部分がはやてとリンツの声の後上下に大きく稼動、バゴンバゴンと重厚な音を立て一度に二発ずつ、それを計三回繰り返し合計六発の空薬莢を吐き出した。

「彼方より来たれ宿木の枝! 銀月の槍となりて、撃ち貫けぇ!!」

 裂帛の詠唱と共に現れた、巨大な黒い渦に抱かれた純白の魔方陣はしかし、かつての闇の書の闇との戦いの時のように一つ、ではない。

 はやての上空、数十枚という規模で多重展開されていく。

「石化の槍…………っ」

 やがて一つ一つに光が灯り、魔力が奔っていき。

「ミストルティン・マルチレイド!!」

『ミストルティン・マルチレイド!!』

 ぴたりと揃ったはやてとリンツ二人の声、それと同時に一気に、全ての陣から美しくそして無慈悲な槍撃が放たれた。空を埋める機体の数に見劣りしない数の槍達は貫いた敵を容赦なく石化させ、その動きを止めていく。

 ミストルティン・マルチレイド――多重起動を行う事で単一対象向けだった強力な石化魔法ミストルティンを集団相手に満遍なく叩き込む、あの五年前からのはやての成長が眼に見えて分かると言ってもいい絶技だ。

「っカートリッジロード!!」

『カートリッジロードッ!』

 休む間もなく、はやては次なる一手の準備に入る。シュベルトクロイツからまたしても大きな動作と音を伴い吐き出された六発のカートリッジが勢いよく空を舞った。

 元々総魔力量に非常に優れ、夜天の書も有するはやてのアームドデバイス、シュベルトクロイツに本来ならばカートリッジシステムなど搭載する必要は無い。

 あるとすれば、膨大な魔力を保持しつつも、それでも外部からの急激な魔力供給が必要なほどに大規模な魔法の高速展開時くらいであり。

 ゆえにはやてが今行っているのは、まさにそんな行為。

「来よ! 白銀の風!!」

 声と共に現れたのは、圧倒的な数で空を黒く染め上げる敵影とちょうど対照的な、夥しい量の白く輝く魔方陣の群れ。

「天よりそそぐ矢羽となれ!!」

 はやての身から水平方向へ広く展開されたそれらには、一人の魔導師が設置したにしては間違いなく常識外ともいえる数にも関わらず一つ残らず力強い魔力が奔っている。

 すうと息を吸い、はやては吼えた。

「フレースヴェルグ・ジェノサイドシフト!!」

『フレースヴェルグ・ジェノサイドシフト!!』

 動きの止まった敵影達を、まるで睨み付けるかのように光を灯した魔法陣達からそれぞれ凄まじい勢いで放たれたのは、白きスフィア。

 空を駆けた純白の球体群はやがて、固まった敵影達の下へ辿り着くや否や眩い光を放って炸裂、周囲の物体を飲み込むように消し飛ばしていく。

 フレースヴェルグ・ジェノサイドシフト――超高威力炸裂弾の一斉放射という荒業によって敵軍をまとめて消し去る、広域殲滅型たるはやての真骨頂のような魔法だ。

 その戦術的価値は計り知れず、

「……ぅぐ、はっ……」

 言うまでもなく術者への負担も並みではない。カートリッジを大量に使用してのミストルティン・マルチレイドから連続発動というのだからある意味当然と言える。

 全身をびりびりとしびれるような感覚が襲い、手足の先には焼きごてを押し付けられたかのような熱が張り付く。

 過負荷時の典型的な症例だ。

「………………っ!」

 それでも、決して膝を折ることなくはやては空を睨んだ。そこには滅し切れなかった大型の輸送艦らしきものと、その周囲に設置されたこれもまた大型の真空管のような見た目の装置――おそらくは、AMF発生器。

 まわりの雑魚どもは消し飛ばした。しかし残るあいつらを殲滅しない限り、戦況に終止符は打てない。

 辺りに響く、ブオオオンと低い音。最後の抵抗だろうか、AMFがその密度を一気に濃くした。規格外の魔法を二連発、無茶をして放ったはやての身にさらなる負荷を掛ける。

「リンツ、………………――いくでぇ!!」

『はい!!』

 しかしそれでも、だけどそれでも、はやてが口にしたのは嘆きでもなく弱音でもなく、その身を融かし合う相方への問いですらない。

 嫌だなんて言うはずがなく、痛いなんて零すわけもなく、いけるかなんて問う事はない。

 やり切る意思を振り絞り、そしてはやてはその手の杖を振りかざす。敵影が減った事でようやく見えてきた青空から差し込んだ陽光に反射し、杖はその黄金の輝きを誇るように煌かせた。

「カートリッジ、ロードッ!!」

『カートリッジ、ロードッ!!』

 重厚なコッキングは計五回。シュベルトクロイツが吐き出したのは、一度に二発、すなわち全十発のカートリッジ。その大きな動作と何より急激な魔力供給にはやての身は軋みをあげ、御し切れなかった魔力の奔流が騎士甲冑のそこかしこを吹き飛ばしていく。

 しかし、はやての心は決して折れない。

 夜天の王がこれしきの事で音をあげるものか――そして何より。

 あの人に護られた女が。

 あの人を想う女が。

 こんな程度でへたばるものか。

(くたばるのは、お前らや!)

「響けぇ!!」

 声とともに広がったのは、地に突き刺さるように墜ち横たわっているアースラをその上部に飛ぶはやてを含めて半円状に囲む、薄い膜。

 一見するとよくあるラウンドシールドのようだが、しかしその実これは防護障壁の類ではない。

 この膜は、それ自体が魔法陣であり、そして、言うなれば境界線だ。

「終焉の笛!!」

 この膜より外はこれより、『何もなくなる』という、そんな宣言だ。

 素材だ素体だ作品だ兵器だと、あの人をそんな風に見た痴れ物の顔を脳裏に浮かべて。

(消え失せろ、ドアホ共ッ!!)

 心の中で毒づき、そして。

「――ラグナロク・アラウンドバーストッ!!」

『――ラグナロク・アラウンドバーストッ!!』

 広がった怒りを抱く暴虐の衝撃は、周囲を純白に染め上げた。

 ラグナロク・アラウンドバースト――砲撃形態であったラグナロクを周囲殲滅型へと変化させその威力自体も跳ね上げた、はやてが撃てる最上最強最大の魔法。

 憎き敵に、悪しき者に、愚かな欲によって引き起こされた馬鹿げた戦いに、容赦なく終わりを告げる王の一撃。自身を含めた球状の魔法陣より外側へと放たれる極大威力の滅撃。

 それが去った後、そこにあったのは綺麗な青空。

 夜天の王が拓いた昼の光の満ちる空。

 取り戻した、敵の影形一つない美しいそれに、

『ユニゾン・アウト』

「……リンツ」

「さ、はやく行くですよ、はやてちゃん」 

 見とれる余裕なんて、暇なんてはやてにはないことを、流石は相方融合騎、リンツは見抜いていたらしい。ユニゾンを解いた彼女は姉譲りの美しい顔に、背中を押す優しい風のような笑顔を乗せる。

「わたしもわたしで行かなきゃいけないところに行きますから、はやてちゃんもそうするべきですっ!」

「……そかあ、ありがとな、リンツ」

 普段は甘えん坊だがここぞと言う所で気の利く八神家末妹に礼を言って。

「――……っ!」

 はやては、アースラへと翔け出した。

 あの人の下へと駆け出した。

 高鳴る心臓は、心は、これでもかと言うくらいに早鐘を打つ。

 速く、疾くとはやてを急かす。

(恭也、さん……!)

 だからはやては、愛しいその人の名を、顔を、声を、姿を、全てを、思い浮かべながら。

 己が名の通り、疾風となって駆けていく。

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 ドアの開閉音の後、小さく声をあげこちらを見やり、

「……あ、…………ああ」

タン、タタンとふらついた少し危なっかしい足取りで部屋に入り進んで来る彼女は、

「……はやて」

 しかししっかりと、その両の足で歩いていた。

 ところどころが弾けとんだ騎士甲冑を纏ってはいるがそれ以外に魔法を使っている様子はなく。

 少なくとも恭也の眼には、彼女は紛れもなく自分の足で歩いているように見えた。

 八神はやて。

 図書館で出会い、数奇な縁の下、恭也が護った九歳の女の子。

 電動の車椅子に乗って、穏やかな京言葉を繰って、家族を絆を強く望んだ、しっかり者で、我慢強くて、それでもやっぱり寂しがり屋な、そんな小さな女の子。

 その子は今、幼さめとは言えど恭也の記憶よりも大人びた容姿となって。

「……恭也、さん」

 恭也の名を呼んだ。

 涙交じりの湿った声は、それでもやはり恭也の記憶の中のはやてのものと同一だった。

「…………、そ、の……ちょお、あの……」

 ぎゅっと彼女は目を瞑り、一秒二秒と経ってから。

「………………――」

 深く、息を吐いて。

「お久しぶり、です。お久しぶり、なんです。……八神はやてです」

「……ああ」

 しっかりと恭也に瞳を向けてそう言った。

「……あの、どこまで、聞いていますか?」

「一通り、おおよその事情と現状は聞いた」

 グレアムの提案による冷凍睡眠を使った治療の事。始めた時点では何年かかるかわからなかった事。そしてその治療自体は一年前に無事完全に終了し、しかし自分はついさっきまでなぜか目覚めなかった事。今はその原因を調べるために転院している真っ最中だった事。そこに広域指名手配されている犯罪者が自分を兵器の素材として狙い、襲ってきた事。なのはやフェイト、守護騎士の皆やアースラクルー、もちろんはやても、自分を護るために戦ってくれた事。

 そしてたった今、はやてが残る敵軍をその圧倒的な技でもって跡形もなく吹き飛ばし、その戦いが終わったのだという事。

 はやてが戦場で役目を終えここに来るまでの間に、おそらくだいぶ噛み砕かれているのであろうが『あの時』から今現在この時までのそんな諸々はクロノや守護騎士の皆が話してくれた。

 まだだいぶ頭が付いてこないというか、心が追いつかないというか、そんな状態ではあるのだが。

(実感が、ようやく沸いてきたな)

 目の前の、自らの両の足で立ち歩み語るはやての姿に、守護騎士達のようにまったく変わらないわけではなく、クロノのように一気に成長を遂げたわけでなく、少女から女性へと変わる途中、殻を脱ぎ去るその最中のような姿に、五年間という年月が過ぎ去ったらしいという事が急激に恭也の中で現実として認知され始めた。

 ふうと一つ、恭也は息を吐いた。

「……すまないな、戦いの火種になってしまって。……悪い、まさか」

「なんでっ!」

 こんな事になるとは思い至らなくて、そう続けようとした恭也の言葉をはやてが鋭く遮った。

「なんで恭也さんが謝るんですか……? なんにも、……恭也さんはなんにも悪ないです! 悪いのはあのアホ共と……――私です」

「……はやて」

「……なんて謝ったらええのかわかりませんし、償えるものとも思ってません。でも、でも、それでも聞いてもらわな、言わせてもらわな、わかってもらわないけないんです――私は、私が、恭也さんの五年間を奪ってしまった事を」

「…………」

 ああやはり、と、恭也の胸に奔ったのは痛み。

 自分のあの時の行いは、あの場においては最善に一番近いと思ったし、今でもそう思う。もう一度同じ事が起こったら、もし今度は今回のように冷凍睡眠で助からないとしても恭也はまた同じ事をするだろう。

 だが、そんな事を考える余裕も憂う猶予もなかったが、少なからずあの選択には間違いが、害が含まれていたのだ。

 最善には限りなく近かったにしても、完璧とはほど遠かったのだ。

 そんなことを、強く強く実感する。

「恭也さんの身体は歳を取ってません、二十歳のままです。でも、でも、恭也さんは、恭也さんが過ごすはずだったあの日から今日までの五年間を失ってしまった事は確かで、それは、それはどうしたって私のせいなんです」

 語る彼女の表情に、実感させられて。

「どころか、冷凍睡眠で助かったから今こうしておるけど、あれがなかったら恭也さんはっ、私が、私のせいで……っ」

「……はやて」

「わた……っ」

「はやて」

 なのはとフェイトの二人は治療のためシャマルへ預けている。空いている手で、恭也ははやての髪に優しく触れた。

 影が落ちて、傷が浮かんだその心に、どうか痕だけは残ってくれるなと願いながら。

「俺があの時あの場で行った事は、全て俺の意思と責任によって成されたものだ。君に何を背負わせるつもりはないし、……何も背負ってほしくない。……俺はただ、自分のしたいようにしただけなんだ、今さっき、クロノにも言ったばかりなんだが」

 事情を説明しながらそこかしこに自身への叱責の念をにじませ、最後には思い切り頭を下げクロノが謝ってきたのはほんのついさきほどの事だ。

 執務官として、自分はあの時してはいけない失敗をしたと。協力者である貴方を犠牲にしてしまったと。

 そんな風に随分と高くなったその背をしかし半分に折って、男らしく大人らしくなった低く落ち着いた調子を有した声で彼は恭也に謝罪を述べた。

 その時も今と同じように胸の痛みと共に思った、彼らに重いものを背負わせてしまったと。

「五年間を奪った、などというのもな、もちろんこれから俺は色々実感して、……やりきれない気分を味わう事もあるかとは思う。だが、そんなものはお互い様だろう。そういう事を言い始めたら、俺だって君に、君達にこの五年間、罪の意識を背負わせたんだ。無邪気に生きていい子供の時期に、そんな思いをさせたんだ。俺は、君の人生にある一面では間違いなく害を」

「ちゃいますっ!」

 まるで、噛み付くように。はやては反駁の声を上げた。

「ちゃいます! ちゃいます! そんな事ない、ちゃう、ちゃいます! 恭也さんに救ってもらったおかげで、私は! 八神はやては幸せに生きてます!」

 ぎゅっと、掴まれたのは服の裾。はやては恭也の白い患者衣を掴んで至近距離、恭也の記憶のものよりも近くなった位置から必死の形相で見つめてくる。

「ほんとです! 私は! 私は! ずっと、ずっと幸せで、なんにも、そんな……あんな風に救ってもらった私がなにかで嫌な思いなんて、そんな資格」

「ない、なんて言ったら怒るぞ、はやて」

 ぽんと、軽く叩くようにはやての頭上に手を置きなおして、恭也は言った。

「嫌な思いをする資格がない、なんて事があるわけないし、それは決して幸せとは言えないだろう。……はやて、いいんだ。嫌なことがあったら嫌で、痛い思いをしたら痛いで、それでいいんだ」

 語る言葉は、恭也にとっては地続きの本音。

「そういう事をかみ締めてもなお、笑顔で生きることが、笑顔で生きられる事が、幸せだという事なんだと俺は思うし、少なくともそういう意味で俺は君に幸せになってほしいんだ。そんな風に幸せになる君の未来を護りたかったんだ」

 現実としてはあれから五年もの時が経ったらしいが、恭也の主観からすればつい昨日の事のような話なのだから、気持ちの鮮度にはほとんどと言っていいほど変化はない。

「魅月に頼んだ伝言でも言った通りだ。気にするな、と言っても無理かもしれないがせめて気に病まないでくれ。いいんだよ」

「恭也、さん……」

「はやて、俺は君を護れたか?」

「も、もちろん! そんなの、当たり前です! それはもうものすごいご恩で」

「だったら、その恩と思ってくれる気持ちに付け込んで頼むが……いや、そうだなこの際だ、恩返しをしてくれ、なんて図々しい事を言わせてもらおう。はやて、君が俺に対し恩を感じてくれているなら、決してあの事について自分の行いを責めるな。いいか? それによって間違っても心を歪ませてはならないし、何より君の未来を縛り付けてはいけない。ああ、はやてだけじゃない」

 ぐるりと恭也はその場の人間達を見渡す。

「クロノも、エイミィも、他のアースラクルーも、守護騎士の皆もだ。もし俺へ恩を感じてくれているのなら、図々しい恩返しの要求だ。それに免じて今言った事を守って欲しい。どうだ、出来るか? ……どうか、頼むよ」

「おかしいやろ……」

 返ってきたのは、涙交じりの苦笑という、やや複雑な声。

「なんで、なんで恭也さんが頼む展開になってんねん……なんで、もう、……恭也さんはほんま…………」

 恭也さんや。

 少し乱暴に自らの目を拭ってはやては零す。

「恭也さんは、恭也さんやなあ……やっぱり、恭也さんや……」

「まあ、そう、だな。俺は俺だ」

「……恭也さんや」

「ああ、俺だよ、はやて」

「……恭也さん、や」

 ぼすっと、恭也の胸にその顔を埋めて。

「きょーや、さん、やあ……」

 くぐもった声でのその何度目かの確認に、到底全ては推し量れないがそれでも掴めた片鱗だけでもとてつもない想いが篭っているとわかるその確認に、

(待たせてしまったんだな。……待っていて、くれたんだな)

 そんな風に思えて、胸にははやての体の温もりと共に内側からも熱が生まれる。暖かい想いが湧き出る。

 昔よりは多少改善されたとは思うがお世辞にも人付き合いの達者なタイプではない、人当たりが良いとは思えない自分の事を、こんな風に待っていてくれる人が出来ていたという事が、純粋に嬉しかった。

「なあ、恭也さん。……気づいとるやろ?」

 顔を上げ、こちらを見つめたはやての問いに恭也は頷く。

 それは、ドアのすぐ向こう側の事だ。

「……ああ。声をかけるべきか、迷ってはいたんだが」

 ドアの向こう、そこにあるのは覚えのある大きめの気配と、覚えのない小さな気配。その動きからこちらの様子を伺っているのだろうという事はわかってはいたのだが、どうするべきか判断しかねていた。

「いえ、大丈夫です」

 すっと一歩、恭也から離れたはやてはそう言った。

「ちゃんと連れて来てくれる子がついてますから」

 その言葉が終わるか終わらないかのタイミングだった。

「ほら! 今ですお姉さま! リンツ達も入るですよ!」

「あ、あ、ま、待ってくれまだその、こ、心の準備が……」

 銀色に輝く長い髪をなびかせた美しい女性の躊躇いの声もなんのその、天真爛漫にその手を引き開いたドアから真っ先に飛び込んできたのは小さな小さな女の子。神聖さの香る女性によく似た風貌で、まるで御伽噺に出てくる妖精のような姿をしている。

 そして、結局は引きづられるように女性の方も室内に入ってきて。

「……久しぶり、なんだよな」

「…………ぁ」

「元気だったか、リインフォース」

「う、……ああ」

 恭也がその名を呼ぶと、女性――リインフォースはぎゅっと眼を瞑りうな垂れた。

「騎士、恭也……! 私、私は…………」

「さっきの話は聞こえていたか?」

「す、すまない……盗み聞きなど品のない礼節に欠ける行いだとわかってはいたんだが……どうにも、その…………」

「いいさ、そんな事は。それより、聞いていたのならわかってくれるか?」

「…………っし、かし……主達にもちろん罪などない。しかし、私は、私だけは……」

「リインフォース」

 響いた声は、彼女の主、はやてのものだ。

「恩人の言う事は、ちゃんと聞かなあかん……なんて、私もまだ、ちゃんと言われたとおりに思えるかどうかわからないんやけど」

 はにかんで、はやては続ける。

「せっかくああ言うてもらえたんや、なら、一緒に、やっていこう。……一緒や、リインフォースだけなんてこと一つもない、全部、皆、一緒や。皆一緒の、八神家やろ?」

「ほら、マスターの言う事は、家族のお願いは、聞いてあげなければな、リインフォース」

「あ、う……」

「……まったく、いつまでもぐちぐちと、それでは女神の名が泣くぞ、リイン」

「っ! しょ、将!」

 揺れるリインフォースに呆れたような顔で、そしてどこかからかう含みを持たせた声で言ったのは今まで黙していたシグナムだった。

「なんだ、そんなに慌てて。あの呼び名の事はどこかしらからどうせ早晩、恭也には伝わるだろう、だったら今言ってしまってもいいじゃないか。それとも、隠したかったのか?」

「い、いや……そうじゃないが……」

「ではいいだろう、教えてやれば。恭也、そこのうじうじしている女は、リインはな、実は管理局内ではそれはそれは多くの敬意を集める、崇め奉られし存在なんだぞ。八神家の自慢だ」

「しょ、将……っ! 言いすぎだ! そこまでのものではないだろう! そ、そうやってお前は事あるごとに私をからかって!」

「からかっても何も、別に本当の事を言っているだけだ」

 反応がテスタロッサと同じだな、と、ニヒルな笑みを浮かべるシグナム。

「ま、人気あるっつーのは事実なんだし、いーじゃねえか別に、『祝福を運ぶ美しき銀の女神』様」

「そうよ、誇らしい事じゃない。私達としても鼻が高いわ。……ご利益もありそうだし」

「協会の方でも同じように評価は高いしな。多く慕われるのは悪い事ではないだろう」

「や、ま、み、皆でそうやって……ち、違うんだ騎士恭也! あ、ち、違くはないというか確かにそう呼んでもらっているという事実はあるにはあるのだが、しかしそこまでのものではなくその」

 ヴィータ、シャマル、ザフィーラの言葉に慌てふためきリインフォースは真っ赤になって。

「……そうか」

 恭也は、笑みを浮かべる。彼らの作り出す、彼らを包み込む、確かな"家族"の雰囲気が微笑ましくて。

 それがあるという事実が、嬉しくて。

「『祝福を運ぶ美しき銀の女神』……か。君にはぴったりの名がついていくな、すごいじゃないか、リインフォース」

「い、いや、そ、その……」

「しかしそうなると、そうか…………光栄だな」

「え?」

 疑問顔のリインフォースに、恭也は続ける。

「今の話が本当ならば俺はあの日、――女神を救えたのか」

 黒く汚れた裏側の力。決して日向で輝く事のない影の技。自分の修める御神不破の剣はそんなものだというのに。

 それでまさか『女神』を救う事になるとは、思ってもみなかった。

「剣士としては、……最高の誉れかもしれないな」

「き、騎士恭也までそんな……」

「本当さ」

 その白い頬を赤く染め上げ、困惑混乱極まれりといった様子のリインフォースの下へ、恭也は歩み寄る。

「未熟で汚れたこんな手で、そんな事が出来たというのなら嬉しくないはずがないだろう。……そして、嬉しいというのならやはり、君がこうして八神家の一員として過ごしている事が俺はたまらなく嬉しいよ」

 思い出すのは泣き叫んでいた彼女の姿。悲しい事ばかりで、苦しい事ばかりで、辛い事ばかりで、痛い事ばかりで、そんな世界が嫌で嫌で。

 それでも涙を流して耐えるしかなかった彼女がこんな風に表情豊かに、はやて達と自然に"家族"をしているというのは、恭也にとってあの日自分が為すべき事を為せたその証のように思える。

「本当に、よかった……よかったよ、…………、おい、リインフォース?」

 目を細め、間近で端正な彼女の顔を見つめてかみ締めるように言うと、

「…………―――」

 少しの間を空け、そして無言ながらもその表情を吹っ切れたように凛々しいものへと切り替えてから、リインフォースはその場に跪いた。すると、彼女によく似た妖精のような小さな女の子も、さらにきびきびと騎士然とした動きでシグナム、ヴィータ、ザフィーラもその隣へと移動し、恭也の正面、リインフォースと同じくすっと跪く。最後にシャマルもなのは、フェイトの治療が一段落したらしく、これでよし、と小声で呟いた後五人に続いた。

 恭也の正面、総勢六名が厳かに頭を垂れている。

「お、おい、どうし」

「騎士、騎士恭也」

 優しくも芯の通ったリインフォースの、そんな呼びかけからそれは始まった。

「お聞き下さい、親愛なる騎士恭也。我らは貴方への絶大なる感謝の念の元」

「絶対の献身をここに誓います。もし貴方に災厄降りかかりしその時は」

 まず続けたのは、リインフォースのすぐ隣、彼女に似た小さな女の子。幼さの香る、しかし騎士の凛々しさを有した言葉が紡がれ。

「万難を排し」

「千里を駆けて」

「百戦錬磨の我ら守護騎士」

「十全たる意思と誇りを胸に」

 そしてシグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラから各々意思籠もる声が連なり。

 

「一同揃って貴方の下へ」

 

 何時でも何処でも何度でも、御身の傍へ馳せ参じます。

 最後に全員でのそんな文言で締められたのは――紛れもなく宣言で、揺るぎのない宣誓だった。

「あ、いや……」

「恭也さん」

 面食らう恭也の裾を引いたのは、はやて。

「これがこの子達のまっすぐな気持ちで、そしてそれは言うまでもなく私も同じです。もし恭也さんに何かあったらその時は、私達夜天の王とその騎士達が必ず、貴方の力になってみせます」

 絶対です、と念を押すはやての瞳に退かない想いを垣間見て、

「……そう、か」

恭也は結局ゆるゆると頷いた。

 正直に言えば、こんなに畏まって礼を言われた上にあんな風に誓ってもらう価値など自分にはないと思う。しかし、それをこの場で彼らに言っても彼らは自らの文言を翻したりはしないだろうし、何よりそうさせようとするのはあまりに無粋だ。

「絶対の献身、などと言われると少しくすぐったいが、……そうだな、それじゃあ何かあったら頼むよ」

 ああまで言ってくれたのなら、こう返すのが流儀で礼儀としたものだろう。

「はいっ!」

 十台半ばの少女にはあまり似合わない、しかし組織に勤めそれなりの立場にあるものには必ず備わるきりっとした声と表情ではやては頷いた。

「……しかしそうなると俺は怖いものなしだな。先のはやての戦い、見させてもらったが」

「あ、え、あー、そ、その、ど、どうでした?」

「どうでしたもこうでしたも……君はそこらの軍隊相手でも単身で戦り合えるんじゃないのか?」

 大規模石化に炸裂弾一斉放射、極めつけは周囲完全殲滅魔法。

 まさに夜天の王という名にふさわしき、それは圧倒的な姿だった。

「なんだ、魔導師ランクで言えばあれはSSSSSくらいいくのか?」

「い、いえいえ! そんな事ないです! そもそも魔導師ランクはSSSが最高ですし、私は、そ、その……一応、SSです」

「SS……」

「きょ、恭也さんと、同じ、ですね」

 えへへと、今度は少女らしい可憐な笑みではやてはそう言うが。

「ということは、管理局は俺には先のはやてと同じくらいの戦力があると思っているという事か? ……俺には無理だぞ、あんな事は」

 あんな一人一個大隊のような真似は恭也にはどうやったって出来そうもない。

「いえいえ! 私の場合はあれやるのにかなり長い準備時間が必要で単身の戦闘能力としては大した事ないんですよ! あくまで守ってくれる仲間がいてのもので、だから私のランクは空戦やのうて単純な魔力保持量とかに重きが置かれやすい総合でとったSSですから、単体戦闘力で言えば空戦SSの恭也さんの足元にも及びませんし、なのはちゃんやフェイトちゃんの方がずっとずっと上ですよ!」

「……そう、なのか? なのはとフェイトのランクは…………」

「空戦S+です」

 ついこの間は確かAAAだったはず……なんて考えそうだ五年経ったのだと思い直した。五年という時間の重みと、その間にあった事が次々とリアルな重量を伴ってくる。

(AAAでも十分にエース級という話だったが……)

 自分が五年眠っている間に、もちろんはやてもそうだろうが相当な努力があったのだろう。

「なのはちゃんは戦技教導官で不屈のエースオブエースなんて呼ばれてますし、フェイトちゃんも一級の本局エリート執務官として呼び声高いですよ。二人ともそれぞれ遠距離戦、近距離戦で若手最優秀だって評価受けてて、ほんまにすごいです」

「そう、なのか……」

 しかし。

 それでも二人の話は、なのはとフェイトの話は未だ恭也にとってはどこか遠かった。すぐ傍に横たわる二人の少女、はやての言う限り管理局で高くその実力を認められているらしい教導官、執務官と、なのはとフェイトという九歳の小さな女の子がうまく結びつかないのだ。

 その九歳の小さな女の子が、背も顔も大人の女性へと変貌を遂げ始めた十四歳となっている姿を目の前にしていても、だ。

「……ああ、ところではやて」

 だが二人が目を覚ましたら言葉を交わすうちにちゃんと実感が沸いてくるだろう、そんな風にとりあえずは意識を切り替えて恭也は別の話をはやてへ振る。

「……その子は、一体? リインフォースと随分似ているが」

 さらに言うならば、いや、どちらかと言うならばフィリス先生により似ているのだがそれは誰にも通じないだろうと思ったので言わずにおき、恭也は宙に浮く長い銀髪の小さな女の子へ視線を向ける。

「あ! 申し遅れましたです!」

「ああせや、リンツの紹介もちゃんとせなな」

「はいです!」

 にこっと、その子は弾けるような笑みを浮かべる。

「八神家末妹にして古代ベルカ式ユニゾンデバイス、正式名称リインフォースⅡ――リンツとおよび下さいです、恭也様!」

「……恭也、様?」

「はいです!」

 耳慣れない自分への呼称に思わず聞き返した恭也へ、リンツは大きく迷いなく頷いた。

「その剣に斬れぬ物なく、その刃に絶てぬ悪なく、その力に敵う者ない!! 長いベルカの歴史の中でも間違いなく最強の騎士であり、そして心優しく包容力に溢れそれでいて慎ましく何より清らかな、まさに聖人の如き次元世界の中でも最高の人格者だと!! お姉さまからよくよく聞きました!!」

 ふらりと、恭也を襲ったのは眩暈。

「待て、待ってくれ。……俺の話なのか、それは本当に」 

「はい! 紛れもなく貴方様のお話です恭也様!!」

「…………」

 即断で返って来た言葉に目頭を押さえ、恭也は一体全体どういう事だと彼女の姉、リインフォースに目を向けると、

「す、すまない騎士恭也……!」

彼女は慌てた様子で言い募る。

「……私なりにこう、騎士恭也の魅力を精一杯伝えようとはしたのだが…………わかってはいるんだ、まったくもって足りていないと! リンツへ騎士恭也の素晴らしさの全てをきちん伝え切れていないと! わかってはいるんだ! だがしかし…………なかなかこう、すまない…………教育の経験不足……私の未熟だ……」

「いやいやいやいやいや待て待て待ってくれ」

 悔しげに唇をかみ締め自分を責め始めるリインフォースだが、恭也としてはそう止めざるを得なかった。

「逆だ、まったくもって逆だリインフォース! 俺が言っているのは俺を良く言い過ぎだと、そういう……」

「リンツ、これが騎士恭也の美徳の一つだ。見て、聞いて、どうだ感じるだろう、騎士恭也の素晴らしさを」

「はい! これが驕らぬ威張らぬ見栄張らぬ! 恭也様の美しき慎ましさですね!」

「そう、そのとおりだ」

 うんうんと頷くリインフォース。

 いや、待ってくれとそう言おうとした恭也に、

「今更何を言っても無駄だぞ恭也、リンツの中でお前はもう完璧超人聖人君子だ」

「リンツはお前への賛辞を子守唄にして育てられたかんな、完っ全に刷り込まれてるぞ。あ、主犯はリインだかんな」

 そんな風に諭したのはシグナムとヴィータだ。

「それはもう洗脳だろう!? なぜ止めなかったんだ……」

「ええやないですか、言い方はまあほんのちょっと美辞麗句に過ぎるかもしれへんけど、内容自体は別にまちごうてはないんですから」

「主はやてがこうおっしゃるんだ、我らが止めるはずもなかろうに。……それにまあ、間違いではないというのは我らも思っている事だしな」

(……いやいやいや)

 はやて、シグナムのそんな言葉でまたしても眩暈に襲われながら、最後の砦とばかりに恭也はヴィータへ救いを求めるような視線を送るも、

「ん、……まあ、いいんじゃねえの。少なくともアタシら結構なげえこと生きてっけど、お前よか単体戦強いやつ見たことねえのは確かだしよ」

 返ってきたのはそんな台詞だった。

 もはや黙るしかない。

 どうやら自分が眠っている間に、八神家の中では何か認識に重大な誤りが発生してしまったらしい。どう考えても美化され過ぎている。

(…………俺だぞ?)

 剣士としては未完成、人としても未熟者。だと言うのにここまで賛辞を受けるというのは確実に何かが間違っているとしか、恭也には思えなかった。

 この誤解は何とかしてこれから解いていこうと、そう心の中でだけため息を付きつつ決心した時だった。

「そ、その……騎士恭也」

「ん、なんだ?」

「……ええと、その…………も、もういいだろう? と言うかまず、いの一番に君こそが再会を果たすべきだったというのに、こんなに私達の話ばかりしていてはあまりに申し訳がなさ過ぎる。そろそろ…………」

 そのリインフォースの言葉は、"もういいだろう"のくだりからは恭也へと向けられた言葉ではなかった。彼女が握り締めている右手、そこに向かって放たれたものだ。

 そして、返ってきたのは。

『いえ、本当に私は後回しでいいのですよ』

 そんな、奥ゆかしく控えめな言葉だった。

「……っ」

 息を呑んだ恭也の前、立ち上がったリインフォースは右手を掲げ、ゆっくりと開く。

「主従揃って謙虚の徳の塊のようだが、しかし、もう私には我慢できない。共に戦えて心から嬉しく頼もしかったが……君を早く、騎士恭也の下へと贈りたいんだ、在るべき場所へと返したいのだ。私には、同じデバイスの私には、主の傍に居たいという想いがどれだけ切実なものか、よくわかるからな」

『……痩せ我慢は無駄ですか?』

「ああ」

 お見通しさ、我が友よ。そんな言葉ともにリインフォースから恭也へと差し出されたのは、響かせる言葉と同じくどこか控えめでありながら、しかし確かに輝く美しい銀の指輪。

 古代ベルカに造られた、彼女はデバイスで。

 魔法と出会ってから共に研鑽を積んだ、彼女は相棒で。

 恭也の指に腕に、何より心に、傍に在り共に在れば誰より頼れる、そんな大切な存在。

「……――魅月」

『はい、我が主。貴方の魅月です』

 恭也がその名を呼べば、彼女はそんな風に返して来た。

「……おおよその事は、聞いた。五年、経ったんだってな」

『はい、我が主』

「四年間、俺の治療をしてくれたんだってな。ありがとう、本当に、ありがとう」

『ご冗談を。御礼を言わせて頂くことこそあれ、その逆なんて必要ありません。貴方に尽くすのが私ですよ、我が主よ』

「その後、一年間……」

『貴方の傍に居させて頂きました。私の居場所が貴方のお傍以外にありえるはずがありません、だから当然です、我が主よ』

「……俺の願いの二つ目は、聞いてくれなかったんだな」

『はい』

 するりと、流れるように魅月は答える。

『我が友、リインフォースと共に戦いもしましたが、しかし私の主は貴方だけ。貴方だけです、我が主よ。我が主、……愛しい主恭也』

「…………俺はまだ、君の主を名乗っていいのか?」

『私は魅月ですよ? 貴方の魅月ですよ? ――貴方の魅月がいいんです。ですから、どうか私をまた』

 その続きは、言わせなかった。

 恭也はリインフォースの手のひらの上、不安げに明滅する魅月を出来うる限り優しく柔らかく受け取って。

「永全不動八門一派」

 迷いなく惑いない、

「御神真刀流小太刀二刀術師範代」

 自然な動作で、恭也は居て欲しい場所へと彼女を導いた。

「高町恭也、君の主だ」

 名乗りが終わったその時に、魅月が居たのは恭也の左小指。

 押し付けがましさなど微塵もないのに、それでいて絶対的な安心感をもたらす、小さな重みがそこにはあった。

『……不躾で申し訳ないのですが、厚かましくて心苦しいのですが、一つ、願いを聞いてくださいますか?』

「ああ、もちろん。なんだ?」

『貴方との出会いも、貴方との一時の別れも、同じ技でした。ですから再会もまた、あの技をお願いしたいのです。あの技で私を振るって頂きたいのです』

「……そうか、そうだな」

 少し離れていてくれ、そう恭也が言うまでもなく空気を読んでリインフォース達は既に恭也から距離を取っている。

「展開」

 言葉と共に恭也を黒の衣が包み、腰には心地のいい重み。

 息を一瞬で整え恭也は両の魅月を握り虚空へと"あの技"、

 

 御神流奥義 薙旋

 

 自身の最も得意とし信頼する奥義を放った。言われた通り確かに出会いにも別れにも放つ事となったそれを言われた通り、請われた通りにまた放った。

 それは、彼女への挨拶。

『ああ』

 これからもまた、よろしく頼む。

『ああ、ああ……』

 待たせて、すまなかったな。

『あああ…………』

 待っていてくれてありがとう。

 そんな想いの篭った、彼女への挨拶。

『ああああ…………!』

 魅月。 

 恭也が贈ったそんな名を己が名にした、愛しい相棒への挨拶だ。

『主、我が主……――我が主恭也!』

「ああ、俺だよ。俺の魅月」

『はい!』

 恭也は弾む声を上げた魅月を滑らかに納刀し、彼女の鞘を慈しむように優しく撫でて。

 その時だった。

「……ん、んん」

 揺れ動く気配と、微かなうめき声が場に響く。

「恭也、……テスタロッサが」

「ああ」

 その音色は確かにシグナムの言うとおり、

(フェイト、だな)

 あの冬に出会い、そして別れたはずの少女のもの。

「ん、……こ、こ」

 眠りから醒めたばかりだからだろうふわふわとした緩い声、うすらぼんやりと開けた瞳、ゆっくりと横たわっていた床から上半身を起き上がらせるその仕草。

 それを見て、そんなもの達を目の当たりにして、恭也の胸に広がるのはようやくの実感。

(……ああ、――フェイトだ)

 彼女が、記憶の中のレンや晶達と同年代まで育っているこの娘が"フェイト"だと言う確信。どこか擦りガラス越しのようだった彼女への認識はみるみる内に変わっていき、もう恭也には目の前の、幼いという形容は既に抜け落ちた年頃の少女がしかし紛れもなくフェイトに見えた。

「え、と…………………………っ!! そうだっ! 恭也さ……!」

「そんなに急に起き上がるな、今の今まで気を失っていたんだからな」

 言ってから、ついこの間にも口にした台詞だなと苦笑しかけ――そうだそれは五年前になるのかとまた思い直す。自分にとってはついこの間、一ヶ月以内程度の話だが現実は違うのだ。この感慨はもう何度目だろうか。

(まさに浦島気分だな)

 思って、フェイトの元へと歩み寄りながら結局恭也は苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 寝起き……と言うか気絶からの意識回復だが、視界と思考はピントがもうしっかりと合って、しかしそれでもフェイトは現状を現実でないと断じた。

 夢だと、はっきり思った。

(あー……また、か)

 だって、何度も見たから。

「フェイト、身体は大丈夫か?」

 床で上半身だけ起き上がらせた半ば横たわった状態の自分の目の前まで歩み寄り、優しくそう問うてくれた彼の姿を何度も何度も夢に見て、夢で見たから。

(夢の中だって会えるのは、……嬉しいんだけど)

 しかし起きてからの喪失感は時に涙さえも伴って、赤い眼を寝起きだからと誤魔化しているもののきっと家族には薄々感づかれているだろうから、この夢はフェイトにとって素直に喜べない夢で。

 それでも、やはり永遠に覚めて欲しくないくらい幸福な夢だった。

「今日は、どれくらい傍に居てくれますか?」

「……? いや、すまない、どういう意味だ?」

 要領を得ないといった反応の彼に、フェイトは微笑んで返す。

「わかってますから。恭也さん、消えちゃいますもんね。大丈夫です、わかってますから。夢だって、ちゃんと」

「……フェイト」

「わかって、ますから。時間が経つ内にだんだん薄くなっていって、……触ろうとても、掴もうとしても、すーって消えちゃうって。それで泣いてる内に眼が覚めるんです、いつも」

「……」

「……あ、ご、ごめんなさいっ、恭也さんを責めてるんじゃなくて…………あの、いえ……すいません」

 勝手に夢に見てその中で勝手に謝って、自分でも何をしているんだかよくわからない。

「……―――」

 だから、フェイトはただ黙った。黙って、ただただ見つめる。

 目の前の、狂おしいほど愛おしい人を見つめるだけに留める。それは、触ろうとするとすぐに消えてしまうからという経験則に基づく自制。少しでもこの時間が長く続くようにと、何度もこんな夢を見るうちにいつからか打つようになったフェイトの方策。

 小賢しい知恵だと自分でも思うが、

(それでも……見るだけでも……)

訪れた幸福を、その後にどれだけ虚しさに襲われるかわかっていても幸福だと思えるこの瞬間を、少しでも長く続けたいという願いがフェイトをそうさせて――。

 

 ふわり、と。

 

「……? ……っ!?」

 自分の髪が撫でられているという事を認識するのにおそらく数秒はかかったろう。

 ごつごつとしているけれど、それでも途方もなく優しい手がフェイトの髪の上を滑って、毛先を少し悪戯にいじり始めた。

「前にも思ったが絹のようだな、君の髪は。柔らかくて触れる手に優しくて、……似合いだ」

「……あ、え、………………え?」

「髪も伸びたが、背もそうだな。顔つきも随分大人っぽくなって……高校生だと言っても通じそうだが、十四歳、だと中学二年だかそこらへんか」

「え、え、……え?」

 紡がれていく言葉の意味がわからなくて、流れていく目の前の現実がわからなくて、正確にはわかるが呑み込み切れなくて、フェイトはただ間抜けに声を零す。

 だって、今まで夢の中で彼が自分をこうして撫でてくれる事などなく、自分があの日より大きくなった事ついて何かを言うなんてありえなかった。

「……え、え」

 無意識、だったと思う。禁じていたはずなのに、フェイトの手は自分の髪を撫でる恭也の手に伸びて。

「……―――っ!?」

 がし、と、確かに掴んだ。

 何度夢に見たかわからない彼の姿を、しかし一度も触れることは叶わなかったその身体を、確かに掴んだ。

「……あ、え?」

 ここに来てようやく辺りを見渡せば、見慣れたアースラ管制室の中、頷くはやてやクロノ、エイミィに守護騎士の皆。

「……消えないよ。消えたりしないさ」

 間近で放たれた声に、吸い込まれるようにしてフェイトは視線を戻す。

 目の前に居る、大好きな人の顔を見つめて。

 愛おしい人の姿を認めて。

「……恭也、さん?」

「ああ」

「恭也、さん、です、か?」

「ああ」

 言葉の通り薄まり消えはしないその身体を、熱を、掴んだ手を通して、繋いだ手を介して感じて。

「大きくなったな、フェイト」

 呼ばれたその名は自分のもので、呼んだその人はあの人で。

 我慢なんて出来なかった。はしたないとか恥ずかしいとか、そんな考えは浮かぶ間もなく、

 

「…………―――っ!」

 

「…………っと」

フェイトは彼の胸に飛び込んでいた。

「俺を護ってくれたんだってな、ありがとう、フェイト」

「…………っ!」

 ふるふると、フェイトは頭を振る。そもそもが今自分がこうしていられるのは、あの時彼に護られたからなのだからそんな風にお礼を言われるべき事はないと思ったし、何より。

「恭也さん……っ! 恭也さん! ――恭也さあああんっ!!」

 もしも褒美がもらえると言うのなら、もう既にもらっている。

「ああ」 

 堪えようと思う事すらできず、涙を流し嗚咽を上げてしまう自分の背を優しく撫でてくれる、その手の暖かさ。包み込んでくれる胸の心地よさ、広がる懐かしい匂い。そんなもの達があることだけで、今日の苦労なんてものはあまりに些細だった。

「うああああああっ! あああああ……っ!」

 これで三度目、彼の胸の中で泣くのはこれでもう三度目だと、そんな風に思って。

 気づいてなかった一度目、気づくきっかけとなった二度目の時よりも確かに、遥かに、この人に恋焦がれている自分がいる事をフェイトは強く自覚する。

「う、あああ……っ! 恭也、さんんんんっ……! あ、うあああああああ……っ!!」

「ああ」

 フェイトの腕はぎゅっと、あらん限りの力で持って彼の身体にしがみ付いている。

「大丈夫、消えたりしない。……ごめんな、いなくなって。駄目な師匠だな、俺は」

「っだめじゃ、ない、で、す……!」

 言葉と共にふるふると頭を振ってフェイトは恭也へ答えを返す。駄目だなんてそんな事、あるはずない。

 他を圧倒する高速近接戦闘スキルを有した若手最優秀のエリート執務官、なんて評価を受けて久しい今の自分があるのは言うまでもなく、彼の教えのおかげに他ならないからだ。

 驕る気持ちなど微塵もないが、それでもフェイトは自分への評価が誇らしい。それは自分が認められているからというよりも、彼の教えが、技が、力が、――彼と言う人が、どれだけ優れているか示せているからだ。

 私の師匠はこんな風に強くしてくれる凄い人なんだと、確かな実力と実績で示せている事が誇らしい。

 だから、お願いだから駄目な師匠だなんて、そんな風に言わないで欲しい。

「わ、たし、…………しつ、む、かんに、なれ、て…………っ!」

「ああ、聞いたよ。それに随分と高い評価を受けているらしいな、凄いじゃないか」

「恭也、さん、が、教えを、くれた、から、です……っ! 恭也さんの、おかげで、私、わたし……!」

「そんな事はない、君への評価は君自身の才能と努力の結晶だろう」

 違う、違うとフェイトは駄々っ子のように頭を振る。

「恭也さんが、恭也さんがあんな風にちゃんと教えてくれた、から……! ……恭也さんを、追いかけてきた、から! わたしは……!」

 ここまで来れたんですと、フェイトの口がなんとかまともに紡ぎ出せたのはそこまでだった。

 嗚咽に口はとうとうまともに言葉を発せなくなって。

 自分の想いは伝わったのか、どうのなのか、それはわからないけれど。

「……頑張ったな」

「……っ、…………――っ!」

「頑張ったな、フェイト」

 恭也が少しの沈黙の後にくれたのはそんな言葉。

 馬鹿みたいに嬉しくて、嬉しくて。

 学校では中学二年生になって、管理局では執務官として職務についている、少しは大人になったはずのフェイトはしかし、この涙の止め方はわからずに。

 子供のように、ただ泣き続けた。

 

 

 

「残るはなのはだけだな」

 フェイトの泣き声もなく、落ち着きを取り戻した管制室でそう言ったのヴィータだった。次いでシャマルが治療を担当した者として意見を述べる。

「治し切れない大きな怪我はないし、疲労にもある程度はヒールをかけたからもう起きても不思議じゃないはずなんだけど……」

「でも、随分無茶してたから。まだ起きないのも無理ない、よね……」

 さっきまで泣きじゃくっていただけに恥じらいがあり、声は小さくなってしまったがとりあえずフェイトは自分の考えを言っておいた。

 スターライトブラスターの乱打に高速A.C.S突貫、最後はブラストカラミティ。これを無茶と言わずになんと言う、なのはの今回の戦闘内容はあまりに負荷が高すぎた。

「……シャマルさん、深刻な後遺症か何かは…………」

「あ、それは心配ないと思います。こう言ってはなんですが、なのはちゃん結構頑丈な身体をしていますし、ここ最近は大きな無茶はしていませんから、ちゃんと休めば問題なく快復しますよ」

「そうですか……」

 表情の変化に乏しい彼にしては珍しく、恭也は眼に見えてわかるほどに安堵の顔を浮かべた。

 なのはへの深い気遣いが透けて見えて、

(絶対、ちゃんと休ませよう)

 フェイトは心の中強く意思を固める。シャマルの言うとおりここ最近、と言うか三年ほど前のあの事件以来、確かになのはは大きな無茶はしていないがそれまでがそれまでで元の性格が元の性格だ。用心は必要だろう。

 恭也が起きたからと張り切って無茶な鍛錬をし出して、なのは自身に傷ついて欲しくないのはもちろん、それで彼に心配をかけるような真似などは決してさせない。

「さっきまで泣いていたくせに、随分恐い顔をしているぞ、テスタロッサ」

「……場合によっては鉄拳制裁が必要ですから。やるなら、その役目は今度も私が引き受けますし」

「…………なのはには確かに前科があるからそう思うのも無理ないが、しかしその前回お前があんな風に止めたんだ、もう大丈夫だろう」

 心配性だなと、シグナムはため息と共に苦笑を零した。

「……前科? それにシャマルさんもさっき、"ここ最近は"大きな無茶をしていないとか」

 フェイト達の会話を聞きつけ、恭也はいぶかしげな表情を浮かべた。

「フェイト、なのはに何か……?」

「あ、……えっと、その」

 問うてきた彼に、しかしフェイトは歯切れの悪い反応しか返せない。隠し立てするつもりはないが、一体どう説明したものか、どこから説明したものか。

「あー……俗にN&F顔面ボコボコ事件なんて呼ばれてるもんが、……三年くらい前か? あってだな」

「ヴィータ、人事のように言うがお前は思い切り当事者の側だぞ」

「あ、ま、そうなんだけどよ。でもアタシは寝てたから実際の現場は見てねえし、インパクトで言うならフェイトのやった事が一番でけえんだろ?」

「……まあな」

「あれはすごかったからなあ……」

 頷いたシグナムに続いたのははやての声。彼女もその時現場に居ただけにか、声には重みがあった。

「でも、必要だったから。私はあの時自分がした事は間違ってないと思ってる。……誰に恨まれても、憎まれても」

 その誰に、の中には恭也も含む。人の妹になんてことを、そんな風に言われても仕方ないくらいの事をした自覚はあった。

 それでもフェイトはもしまた同じ事が起きたら、同じようにするだろう。その思いは揺るがない。

 恭也に恨まれ憎まれるなんて、フェイトにとっては考えうる限り人生最悪の出来事の上から三つくらいには確実に入る事柄だとしても、だ。

「いや、恭也は多分、お前を褒めると思うがな」

 フェイトの声に顔に、隠せず少しだけ混じってしまった怯えの色を敏感に読み取ってだろう、シグナムがそうフォローを入れてくれた。

「……すまん、具体的な話が見えてこないから何がなんなのかさっぱりなんだが…………」

「あ、……えっと、ですね…………」

 とにかく説明を始めようと、あの出来事を正確に伝えるため頭の中で整理し始めたときだった。

 

「う、……ぅう…………」

 

 全員が、ばっとその声の元、すなわち横たわるなのはへと顔を向けた。

「なのは……っ」

 すぐに駆け寄り膝をついて、フェイトは声をかける。

「ん、…………フェイト、ちゃん?」

「うん、大丈夫?」

「え、……あ、一応、だいじょ……………………………―――おにいちゃんはっ!?」

「あ、あ、落ち着いて、あのね……っ」

「私、私今度はちゃんと……っ!」

 眼を見開き、切実な声を上げたなのはしかし、

「護ってくれたさ。ありがとうな」

「……―――?」

 言葉の続きを口にしなかった。

 彼女はぼかんと、そんな表現がぴったりの表情で目の前に現れた人物を見やる。

 何秒たったか、しばしの静寂その後に。

「……おにい、ちゃ、ん?」

 その短い確認の声にどれだけの感情が詰め込まれているか、わからない者はこの場にはいない。

 誰もが固唾を呑んで、

「ああ」

「おにい、ちゃん、……なの?」

「ああ。……俺だよ」

「おにいちゃ、ん…………」

 兄弟の再会を見守る。

「あ、あ、え、あ……おにい、ちゃ、ん…………え、あ、え?」

 見開いた眼をそのままに、混乱が一週回ったのか小さく平坦な声をなのはは零し。

「俺だ、俺だよ、お前の兄だ――なのは」

「…………―――っ!!」

 名前を呼ばれて、彼女は大きく息を呑み、

「あ、なのは……」

あまりの事態に身体の力が抜けたのか、起き上がらせかけていた上半身をふらりと揺らせ、慌てて支えたフェイトに目を向ける。

「フェイト、ちゃん、あ、の……」

「なのは、……恭也さんだよ」

「ほんと、に?」

「うん、……うん、ほんとに、ほんとに」

 もう一度息を呑んで、今度はなのはのバリアジャケットが解除された。維持する魔力の限界か、精神の動揺によるものか、おそらくは両方だろう。一瞬だけなのはの身体を光が包み、服装は教導隊の制服に、髪型はツインテールからいつものサイドアップへと変わった。

「……おにい、ちゃん」

 呆然としたまま呼びかける彼女に、

「髪型、変えたんだな」

 恭也は微笑みと共にそんな事を言った。

「え?」

「服も、……それは管理局の制服か? 背も伸びて、顔は母さんにますます似てきたな。…………本当に見違える、大きくなったな、なのは」

(恭也さん……)

 優しい声に、その言葉に、フェイトは恭也の複雑な感情を見た。それはそうだろう、何年も共に過ごし、家族として、妹として、娘のようなものとして、その成長を見守ってきた子がいきなり五年分も成長した姿になったとなれば、その心中に悩ましいところがないはずがない。

 そしてそれでも恭也は優しい眼で、なのはを見つめる。慈しみ、愛おしさ。複雑な思いを抱いてもなお上回るそんな感情たちをその瞳に浮かばせて――。

 だから。

 

「―――違うのッ!!」

 

 見えなかったのかもしれない。見なかったのかもしれない。髪型の変化を指摘されてすぐに俯き、逃げるように恭也の顔から視線を外したなのはには、恭也の愛情篭る瞳が見えなかったのかもしれない。

「ち、違うっ! 違うの、こ、これは、その……!」

「な、なのは……」

 取り成そうとするフェイトの声にも取り合わず、取り乱すなのはは慌てて隠すようにサイドアップの髪に手を当て、すぐに解いて。

「え、えと、…………………………あ、……あ、あれ…………っ…………っ」

 ポケットから予備のリボンをもう一本取り出して、ツインテールを、今はバリアジャケット展開時だけだがかつては常にしていたその髪型を必死に作ろうとし始め、

「……、……う、うぅ」

 しかし手の震えに遮られ上手く行かずに顔を焦りに染めていく。

「……なのは? どうしたんだ、一体……」

 びくり、と。

 恭也の呼びかけに俯いたままのなのはは震えた。

「……なのは」

 その反応に困惑と、そして悲しみや寂しさ、切なさややり切れなさに染まった声を恭也は上げ。

「……あ、あ、あの、ち、ちがうのおにいちゃんその!」

 その声にようやく面を上げなのはは恭也の顔を見て、

「あ…………あぁ」

 当然、声と同じく悲しげな兄の表情に、彼女もその顔を真っ青に染めていく。

「……なのは? ……恭也さん?」

 

 なんだ、これは。

 

 誰も口に出しはしないが、おそらく皆、そう思っているだろう。少なくともフェイトは思う。

(なんで、こんな……)

 待ち望んでいたはずの、兄弟の再会が。

 どんな形になるかは予想できなかったが、少なくとも喜びの色に染まってくれるものと思っていたなのはと恭也、二人の再会が。

 どうして、こんな空気になるのか。

 

 

 

 結局。

 周りのはやて達八神家や、クロノたちアースラクルーと共に必死に執り成そうとしたものの、フェイトに出来たのはなぜかなのはが突然始め、しかし上手くいかなかったツインテールへの髪型変更を手伝う事くらいで。

「…………」

「…………」

 なのはと恭也の間にあるのは、悲しい感情の詰まった、虚しい無言だけ。

 そんな状況は、連絡を受けた管理局本局とこの第十六管理世界駐在の局員達の応援の船が来て、ジェイル・スカリエッティによる襲撃という事態が一応の収束を見せてもなお、改善する事はなかった。




 作中で語る機会もあるかもしれないですが、恭也さんが起きたのは皮肉な事にと言うべきか「戦いの気配を感じたから」です。なのはとフェイトの危機を感じ取ったというロマン溢るる理由もあるのかな。

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