魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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 この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。


第18話 良い子ちゃん

 カランカランと、硬い音が清廉な道場に響いた。

 宙を舞い、床に落ちたのは一本の木刀。中に鉄心の仕込まれた御神流特製の逸品である。

 場には至近距離、見つめ合う男女。男の手には木刀が一本、女の手には二本ある。女の持つものの内、一本は男の首筋に当てられていた。

「――そこまで」

 凛とした声でそう告げたのは、二人と少しの距離をとって立つ女性、御神美沙斗。

 彼女の娘である男女の片割れ、高町美由希は目の前の男……自分の師であり兄である高町恭也の首筋から剣を引いた。

 切っ先が、ゆっくりと下に降りていく。

「……強くなったな」

「恭、ちゃん……」

「強くなったな、美由希」

 自分に打ち勝った弟子の眼を真っ直ぐに見つめて、恭也は言った。

「強く、なったな」

 万感の、思いだった。

 恭也が目覚めたとの報に美沙斗と美由希が飛んで帰ってきたのが昨日の事。そして今日、夜の気配さえ引きずるような早朝に恭也は美由希と、大切に育ててきた、しかし仕上がる最後の最後でその面倒を見る事の出来なかった弟子と五年ぶりの打ち合いを交わし。

 齢二十二にして完成された御神真刀流の正統後継者は、二つ歳下になっていた出来損ないの師匠を、破って見せたのだ。

 剣士として、負けた事に悔しさがないわけではない。だが、そんな気持ちは比率としては極々小さなものだった。

 するりと、恭也の手の中から美由希に弾き飛ばされなかった方の木刀が抜ける。意図的でなしに武器をこんな風に取り落とすなんて、恭也の人生で今までに一度もなかった事だ。

「きょ、恭ちゃん……」

 空いた両手で、恭也は目の前の弟子を抱きしめた。返ってくる感触は女性らしい柔らかさを持ちながらも、鍛えられた一級品の刀ような強靭さを示している。

 どれだけ彼女がその人生を剣に捧げてきたのかが、そんな事からも伺えた。

「美由希……すまなかった」

「どうして、恭ちゃんが謝るの?」

「御神の修行は辛かったろう、苦しかったろう、……嫌だったろう」

 ずっと、思っていたのだ。果たして妹に御神の技を伝える事が正しいのだろうかと。御神の家は、分家も含めて既に潰えた。技を守っていく意味なんてない。

 当人に請われたからとは言え、あの時自分は突っぱねるべきだったのではないか。

 この娘に掴ませてやるべきなのは冷たく硬く黒い剣でなく、普通の女の子としての幸せだったのではないか。

 そんな疑問は、ずっとあって。

 健気に律儀に、自分の後を追って来たこの娘の。

 弟子として今、師である自分を踏み超えたこの娘の。

 味わってきた、否、味わわせてきた労苦を思えば、自分は謝らなければならないはずだ。

「辛かったよ、苦しかったよ。でもね」

 床に恭也と同じく、得物を落として。

 その両手で美由希は恭也を優しく抱きしめ返した。

「嫌だなんて、思った事ないよ。だってこれは、優しかった父さんと、ちょっと意地悪だけど憧れの兄さんの技だから」

「……そう、か」

「うん、そうだよ。これがなかったら、私じゃない」

 しばらく二人は無言のまま抱き合って、どちらともなく身体を離す。顔を合わせ、お互いの目尻に浮かんだ雫を笑い合った。

「美沙斗さん、有難う御座いました。美由希をこんなに」

「言っておくけれどね、恭也。私は最後の仕上げをちょっと手伝っただけだよ。この娘をここまでの強さに育て上げたのは君だ。……そんな事、言える立場じゃあないけれど、だからお礼を言うのは私。本当に、……本当に、ありがとう」

「……いえ」

 潤んだ瞳を伏せて隠して、「歳をとると涙腺が緩い」と美沙斗は苦笑しながら溢した。

「しかし、こういう結果になったんだ、俺は美由希を師匠と呼ばなければならないか」

「え!? い、嫌だよ! 冗談だよね恭ちゃん!?」

「お前の方が強いのは事実だし、俺は未だ完成もしてないんだぞ」

「だからって私を師匠だなんて呼ぶ事ないじゃない!」

 よほど嫌なのか首をぶんぶんと振る美由希。恭也は口の端に親しい者だけがわかる小さな小さな笑みを浮かべて、大真面目な声で言う。

「宜しくお願いする、師匠」

「うあーやだー! 絶対なんだかんだ私の方が怒られるに決まってるんだから!」

「厳しくお願いする、師匠」

「弟子の方が厳しいパターンじゃない! やだよ! 教え方がなってないって怒られるのやだよ! 教わるなら私じゃなくて母さんに!」

 娘からの指名に美沙斗は難しい顔を作る。

「……いや、私の手に恭也はちょっと重いよ。美由希、頼んだ」

「母さん!?」

「はは、……まあ、しかしね恭也」

 すっと表情と声音を真面目なものへ直して、美沙斗は言った。

「実際、君に教える事なんてほぼないよ」

「……美沙斗さん? 俺は、だって」

「あのね、恭也」

 諭すように、完成された歴戦の御神流剣士は言う。

「君は否定するかもしれないが、才能は相当のものだ。そして何より、その原石を輝かせるための研鑽も山と積んできている。本来、とうに君は完成をみているはずなんだ」

 美沙斗の視線が恭也の脚、正確には右膝を射抜く。

「それを阻害していた最大にして唯一の原因は、しかしもう解消されている。技術も精神も君は十二分だ。足りないのは一つだけ」

「それは……?」

「慣れだよ」

 恭也にはピンとこなかったが美由希は違ったらしい、うんうん頷いている。

「恭ちゃんさ、気づいてた? さっきの試合中、ずっと右膝をかばってたよ」

「……そうだったか? いや、お前が言うからにはそうなんだろうな」

「長いこと怪我をしていたから仕方ないんだろうけど、もう健康なはずなのにたまに不自然な、つまり無駄な動きがあって、私が勝てたのもそこを突いたからだよ」

 言われ、己の膝を見る。……確かに、白状してしまえば『全開で使える健康な脚』に慣れていないのは事実だ。

 どこか、おっかなびっくり動かしてしまっている。そんな隙を完成の域にある御神流剣士相手に出せば、まさか勝てるはずもないだろう。

「一日二日とは言わないが、私達相手に実戦稽古を積めばそう遠くないうちに君も完成されるだろう。ついでに折角だ、正統奥義の鳴神も教えておこう」

「有難う御座います、宜しくお願いします。すみません、お仕事もお忙しいのに……」

「可愛い甥にそれくらいの世話は焼かせてくれ。とは言え、しかし申し訳ないんだが、斬式奥義の極みである閃は教えられないんだ。私にも出来なくてね」

 苦笑しながら美沙斗はそう言った。

「閃、か。私も出来たのは、あの時だけだなあ」

「届いただけでも相当のものだよ。流石は静馬さんの娘、と言ったところかしらね」

「母さんってさらっと惚気けてくるよね……」

「そっ、……んな、事は」

 その白い頬を赤く染める美沙斗をさらにからかう美由希、母娘仲はすこぶる良好なようだ。

(……しかし、閃か)

 あの時、リインフォースの世界の中で、自分は確かに。

「恭也?」

「……いえ、なんでもありません」

 今はあれの事は置いておこう。恭也は頭を振り、足元の木刀を拾う。飛ばされたもう片方も取りに行かなくては。

「あ、そうそう恭ちゃん」

「なんだ?」

「あのさ、これだけは言っておかなきゃと思って。さっき私が恭ちゃんより強いって言ってたけど、そんな事はないよ」

「……何を言っているんだ」

 今しがた打ち合って勝負がついたばかりだというのに、美由希は恭也にしてみれば不可解極まりない言葉を放ってきた。

「まさか手を抜いたとでも思っているのか? 俺は本気だったぞ」

「わかってる、ちゃんと本気で戦ってくれた事くらいわかってる。でもさ」

 恭也と同じく足元の木刀を拾いながら、当然の事のように美由希は言う。

「本気でも、全力じゃあなかったよね」

「何を」

「恭ちゃんの全力は、――御神流だけじゃないでしょ?」

 ぴっと、拾った木刀で美由希が指したのは恭也の左小指。

 そこに嵌った、控えめに輝く銀の指輪だった。

「恭ちゃんがえっと、魔法使い? 魔導師? とにかく、そういうものとしてもすごく強いって事、聞いてるよ」

「……そうか、魔法の事をお前たちは知っているんだな」

「恭ちゃんがあんな事になってたし、なのはの進路も進路だしね」

 それはそうか、納得である。

「私はフェイトちゃんからよく話を聞いてたんだけどさ、恭ちゃん本当にすごいんだってね。ビルとか真っ二つに出来るんでしょ? さすがにちょっと勝てそうにないかな」

「膂力だけが単純な強さではない事くらい百も承知だろうが」

「もちろん、どれだけ大きな力を持っていようが使いこなせない素人なら私は負けない。だけど、私の師匠はそんな甘い剣士じゃない」

「……だったらお前もどうだ、習ってみるか?」

「あー……魅力的だけど、……――我、剣をとる者」

 美由希は木刀を愛おしそうに抱きながら、覚悟の座った、しかしどこか歌うような声音で言った。

「我、生涯を剣と共にありて、剣と共に道を行く者。共に歩みしこの道を、いざ行かん、いつか命の尽きるまで……ってね」

「美由希……」

「私は御神を極めるよ。これでも正統後継者だからね」

「……そうか」

 どうやら弟子は、腕前だけでなく志も、もうすっかりと立派な御神正統の剣士だった。

「でも恭ちゃんはさ、折角魔法と出会えたんだからそっちの道も考えたら? なのはと同じような、さ」

「まあ、おいおい考える」

「うん、ゆっくり考えたらいいよ」

 その言葉に頷きながら、恭也は改めて美由希を見つめる。

 手塩にかけた愛弟子。大切に大切に育ててきた、恭也の生き甲斐。

 彼女はもう完全に、自分の手を離れた。

(……どう生きたものかな、これから)

 その問いに、今はまだはっきりとした答えは出せそうになかった。

 

 

 

 12月30日。

 高町家のリビングではソファーやテレビなど場所を取るものがすべて取り払われ、代わりに長机が設置されていた。

 それなりの広さを持つその空間はしかし、今や多数の人間で埋まっている。

 晶やレン、それに美沙斗も今年は入ってはいるが、それ以外は基本的に"あの時のメンバー"である。

「えーそれでは、毎年だったら私が挨拶をさせてもらっているんだけど、今日はやっぱり……さ、恭也」

 桃子に促され、部屋の中心で立ち上がった恭也は周りをぐるりと見渡した。

(なんと言ったものか……)

 間違っても口が上手い性質ではない。スピーチじみた事なんて、した覚えはついぞなかった。

「な、何泣いてんねんあほぉ、おししょが、おししょが今から話すんやぞ」

「お、お前こそ、料理にかけでもしたら、殺すぞ」

 そんな恭也の視界に、レンと晶の姿が映って。

 折角の美人を台無しにした、泣きじゃくる二人の姿が映って。

「ありがとう」

 自然と、言葉は溢れ出て来た。

「それから、すまない。随分と待たせて、心配をかけてしまった」

「ほんとだよっ、おせえんだよ、馬鹿……」

 憎まれ口を叩くヴィータは目元をごしごしと拭っている。

「情けない事にこれからの道筋も決まってはいないし、大それた志があるわけでもない。だけど」

 無意識に、手を開閉しながら恭也は言った。

「だけど、生きている。皆にまた、こうして会えた」

 しゃくりあげる声が増えた。勝手な事に、それに暖かさを感じてしまう。

「感謝を。……すまない、本当に、これくらいしか言えな」

「おししょおおおおおおおお!」

「ししょおおおおおおおおお!」

 感極まった様子の晶とレンが飛びついてきて、そして桃子が乾杯と叫んだ。

 

 

「お兄ちゃん、はい! あとは何が食べたい?」

「いや、とりあえずこれで十分だ。ありがとう。なのはも自分のものを」

「うん、大丈夫。食べたいのがあったら言ってね」

「ああ」

 二人の仲が正常な、本来のものに戻った事を、なのはから電話で報告された時は心から嬉しかった。これで本当に恭也が帰還したんだと、そう思えた。

 その事は、もちろんいいのだ。

 いいのだけど。

「べったりすぎやろ」

「それ、ほんとにそれ」

 はやての言葉に、フェイトは力強く同意と頷きを返した。

 隣合って座るフェイトとはやての対面に恭也となのはが並んでいるのだが、二人の距離は誇張なしにゼロだ。

 ぴったりと、否、べったりと。

 なのはは恭也にひっついている。今日に限った事でなく、一緒にいるときは常にこんな調子だった。

「しかしなんだ、ついこの間までは……いや、もう昔か。俺がこうして取ってやっていたんだがな……」

「えへへ、私も成長したんです。料理もね、結構上達したんだよ。そのコロッケ、私が作ったの」

「そうか、……ああ、美味い」

 恭也の感想に顔を綻ばせるなのは。好意をまるで隠そうともしていないその姿勢は、ひどく吹っ切れたものに見える。

「なあフェイトちゃん、これ、なのはちゃん完全にブレーキ取っ払ってんのと違う?」

「だろうね。あれはもう止まる事なんて考えてないよ」

「……確認やけど、今更の確認やけど、血、繋がってるんよね?」

「半分ね。……だけどそれが抑えになるとはとても」

「思えへんなあ、あそこまで行くと」

 ひそひそとフェイトとはやてが意見を交わす前でも、まるで新妻のような甲斐甲斐しさでなのはは恭也の世話を焼いている。その顔は弾けるような幸福に満ちていた。

「あかんあかん! 独占を、独走を許したらあかん! ……恭也さん! これも試してみてくれます? 私が作ったんです」

 今日の料理もいつもと同じように基本的には晶とレンが用意してくれたが、なのはとはやて、そしてフェイトも各々何品かは手がけている。

 自分の一番の得意だからという理由でなのはは洋食を、恭也の好みだからという理由でフェイトは和食を、では二人とは違うジャンルで攻めるとはやては中華を選んだ。

 自分の全力を出すなのは、相手に合わせるフェイト、状況を見るはやて。ものの見事に性格が出たなとはクロノの弁だ。

「はやてはなんというか、……流石だな。店でも開けるんじゃないのか?」

「いやいやそんな。でも恭也さんさえ宜しければ、毎日うちに食べに来て下さってもええんですよ?」

「ご飯は貴重な家族団欒の時間だから駄目だよね、おにいちゃん」

「まあ、まさか人様の家に毎日入り浸るわけにもいかんしな」

「それは残念、でもたまには来てくださいね。リイン達も待っとるから」

 容赦ないカットインで兄への誘いを横から叩き落としたなのはと、予定調和的に撤退しながらしっかり布石を打ったはやての視線が空中でぶつかる。

 恭也が気づいているのかどうかはわからないが、二人ともその瞬間だけは眼が笑っていなかった。

(……って、駄目だ駄目だ、このままじゃ私だけ置いてけぼりだ!)

「恭也さん、よ、よかったら私のものも……」

「ああ、もらおう。……巾着か」

「はい。卵をとじて煮てあります」

「……よく味が染みている。なんだか安心するな。美味しいよ」

「あ、ありがとうございます……!」

 フェイトの視界の端、なのはが占めている方とは反対側の恭也の隣をレンと争っている晶が、ぐっと親指を立てた。笑顔で会釈を返す。これは彼女に教えてもらった料理だ。

「しかしフェイトがこんなこてこての和食を作るとは。好きなのか?」

「……はい」

 まさか、貴方が好きだから貴方の好きなものも好きなんです、なんて事は言えなかった。

「そうか。しかし、随分と上手に作る。フェイトが覚えているかどうかわからないが、以前君に料理を……オムライスだったろうか、食べてもらった事もあったが、もう君の方が上手かもしれないな」

 覚えているかどうかわからないだなんて、まさか、あの日の事を忘れるはずがない。恭也との思い出の中でも、あれは特別で格別なものなのだから。

「そ、そんな事は。でも、その、恭也さんさえ宜しければ、たまに味を見……」

「いやあフェイトちゃんは執務官として忙しいからなあ。そんな暇はないんちゃう?」

「そうだよそうそう、新進気鋭のエリート執務官は仕事に邁進しないと!」

「な、ふ、二人だって捜査官と教導官でしょ! 忙しさなんて大して変わらないよ!」

 露骨な潰しにかかってきたはやてとなのはは、いやいやそんな事は、執務官様に比べたらと揃って首を振る。

 攻めに躊躇しないなのはと巧みな策略家のはやてを正面から敵に回した時、フェイトは己の武器のなさに途方に暮れる。その奥ゆかしさは恋愛においては不利になるよと、いつだったかエイミィにもらった忠告が頭をよぎった。

「そうか、フェイトは忙しいのか。……いや、仕方のない事だが、……そうか」

「……え、あの、恭也さん?」

「なに、また一緒に鍛錬でもと思っていたんだが、なかなか難しいか」

 さあっと、顔から血の気が引いた。

 そんな。

 だって自分は、その日を夢見て鍛えてきたのに。

「いえ、あの、でもその、ほんとに」

 言葉が上手く出てこない。

 駄目だ駄目だ、このままじゃ駄目だ――。

「おにいちゃん、鍛錬ならトレーニングって事でスケジュール管理したらなんとかなるよ」

「そうそう、それに忙しいゆうても学校にも通えてるくらいですから。さっきはちょっと大げさに言うただけです」

「そうなのか?」

 恭也へ揃って、なのはとはやては頷く。

(……なのは、はやて)

 二人の厚意に感激し、感謝しそうになって。

(――違う違う! そもそも二人が変な事を言うから!)

 危ないところで思い直し、礼は言わないぞと目で伝えると二人は不敵な笑みを返してきた。こちらがお礼でも言おうものなら恩を売ったとしておくつもりだったのだろうか。

 まったくもって油断のならない恋敵だ。

 それでもやっぱり。

「恭也さん、よろしければまた……」

「ああ、そうだな。そうしよう」

 負ける気も譲る気も、ありはしないけれど。

 

 

 

 

 

「恭也ぁ! あんたももっと飲みさないな! ほらほら!」

「俺は下戸だ、知っているだろう」

「えー! 母さんのお酒が飲めないっていうのー!」

 完全に出来上がっている。恭也は隣で絡みつく桃子にため息を吐いた。

 自分のために開いてもらった席なので出来る限りいろいろな人に挨拶をしようと、元々居たところから移動してきてみたのだが、いきなりの絡み酒とは。

 桃子がこんなになるとは正直、予想していなかった。童顔に似合わず、彼女は大酒呑みのはずなのだ。

「恭也、すまないね、……一応止めたんだが、力及ばず」

「美沙斗さんが謝る事ではないですよ」

 桃子を挟んで二つ隣、言葉通りのすまさそうな顔で美沙斗が言う。戦闘時の苛烈な姿からは想像しにくいが、普段の彼女は控えめな気性の人物である。人当たりは良いくせに割りと人の意見は聞かないタイプの桃子を相手にするのは、ちょっと荷が重かったのだろう。

「桃子さん、最初っからかなりのペースで飲んでらっしゃいましたから」

「よく飲まれる事は知っていたんですが、今年はすごいですね」

 苦笑しながらそう言ったのはリンディ、クロノのハラオウン親子だ。恭也の対面に並んで座っている。

「いざとなったら私もいますから」

 桃子とは反対側の隣、安心出来る声音で言ってくれたのはシャマルである。

「すみません、お願いします」

 管理局で医務官をやっているらしい彼女がいるなら安心だ。

 なんというか、面子的にどうやらここは保護者ゾーンのようなところらしい。

「クロノは、まだ酒は……」

「19なので、少なくともこちらでは飲まない事にしています。執務官がルールを破っては格好が付きませんから」

「なるほど」

 もう随分大人びて見えるが、一応こちらの世界の基準では成人はしていないらしい。

「恭也さんはじゃあ、あまり飲まれないんですね」

「ああ、苦手でな。とは言えまったく駄目なわけでもない。クロノが20になったら一緒に飲みにでも行こう」

「はいっ、是非!」

「あら、いいわねえ」

 頷くクロノを見て、リンディは嬉しそうだった。ここも相変わらず、母子仲は良好なようだ。

「そういえば恭也さん、今日はクロノからちょっとした報告があるんですよ」

「報告、ですか? へえ、それはどんな」

「……母さん、今日はもう恭也さんの快気祝いの席になったんだ。別にそんな」

「あら、駄目?」

「駄目ではないが……」

「なんだ? 俺なら構わないぞ、快気祝いなんて、皆が好きにやりたいようにやってくれればそれでいい」

 烏龍茶で喉を湿しながら恭也が言うと、クロノは渋い顔で迷いを見せた。

「……ええと、ですね」

「なに、恥ずかしいの?」

「……それなりには、そうだ」

 母親の言葉に素直に頷いて、しかしクロノは結局、意を決したように口火を切った。

「あのですね、……わざわざこうしてお話するような事ではないのかもしれませんが、その、エイミィとですね」

「エイミィと?」

「……あ、もしかして」

「あら、あらあらあら!」

 恭也は未だ要領を得ないが、シャマルと桃子は感づいたようだ。

「……?」

 美沙斗は首を傾げている。よかった、自分と同じ側の人間もいるようだ。

「母さん、わかったのか?」

「わかんないわけないじゃないこの朴念仁っ!」

 パシンパシンと笑顔で背中を叩かれる。シャマルはともかく、こんな酔っぱらいにも察せられたのにと思うと暗澹たる気持ちになってくる。

「ああ、すまん、話の腰を折って。それで、エイミィと?」

 改めて問う恭也へ、クロノは酒を飲んでいるわけではないのに赤い顔で告げた。

「エイミィと、ですね。……交際をしていまして。結婚を前提に」

 一拍の空白を置いて、シャマルが黄色い歓声をあげ、桃子がおめでとう! と大きな声で大喝采。美沙斗が柔らかい笑顔で拍手を贈る。

「え、なになに? 何がおめでたいの?」

「なんかあったん? 宝くじでも当たったん?」

 遠くから疑問の声をあげたなのはとはやて、加えてその周りの面子へ、エイミィがクロノと同じような事を告げている声が聞こえた。

 その一瞬前、二人がアイコントを交わす姿は照れくさそうで、そしてやはり幸せそうだった。

 ともあれ、ここにいるのは大半が女性陣。放り投げられたその話題は最高の肴だったようで、場はそれはもう姦しい盛り上がりを見せる。

 歓声の中で、恭也は当の本人に声を掛けた。

「クロノ、おめでとう」

「ありがとうございます……すみません、騒がれるような事でもないと思ったんですが」

「何を言う。こんなにめでたい事なんだ」

 人と人が結ばれるというのは、尊い事だと思う。

 それはどうしたって、人が紡ぐ縁の中で飛び抜けて特別なものなのだ。……かつて、今隣で騒いでいる酔いどれと、この人を置いていってしまった男が縁を結んだ時も、奇蹟のように感じたものだ。

「では、もう婚約という事か?」

「はい」

「そうか、……エイミィか。これ以上ないくらいに、お似合いの二人だ」

「そ、そうですか?」

「ああ。彼女以上にクロノを理解している人物もいないだろう。俺が言う事でもないだろうが、大事にするといい。それと、……まあ、なんだ、大事にするのなら」

「……はい」

 クロノは、神妙な顔で恭也の言葉の続きを口にした。

「必ず、彼女の元に帰ります。どんな任務があっても」

「……そうしてやると、良い」

 恭也も、クロノも。

 最愛の男を失った女性を間近で見てきた。だからこそ、同じ気持ちで頷き合えるのだ。

「しかし、以前に聞いた話ではエイミィとはそういう関係じゃないと言っていたと思うんだが」

「そ、それは……心境の変化と言いますか」

「変化、か。あの時はまだ自分の気持ちに気づいていなかっただけじゃあないか? エイミィの方がどうだったかはわからないが」

「う……ええと、それなりに昔からだと言っていまして」

「ほう。なら、クロノは結構、鈍いという事か。意外な弱点だな。俺がクロノだったら流石にきっと気づいているぞ」

 その言葉に、ピタリとクロノが硬直した。

「クロノ? すまん、気を害したか」

 なんとなく、クロノの事は弟のように感じている事もあって、例えばなのはにするようにこう言う事を言ってしまいがちだった。軽率だったか。

「ああいえ! そんな事は! ……ただ、そのですね」

「どうした?」

「失礼ながら、恭也さんだったら僕と同じように気付かなかったのではないかなぁと。その、……恭也さん、そういう機微にはあまり」

「確かに敏くはないな。だが、特段鈍くもないつもりだぞ」

 何の気なしに、本当にそう思っているがゆえに普通に放った恭也の言葉だったが、クロノはどうしてか難しい顔をした。哲学者のようだ。

 と、そんな会話をしていると。

「ねえ恭也ぁ!」

「茶を零すだろう、飛びかかるな。なんだ?」

 桃子がまた絡んできた。絡みついて来たと言ってもいい。

 また、というか、まだ、というか。まだまだ飲んでいるらしい桃子は赤ら顔のへべれけ状態で、言う。

「あんたは彼女の一人でも作らないのぉ?」

「……俺?」

「そうよぉ! 一個下のクロノ君が婚約よ婚約ぅ! なのにアンタは彼女もいない! たとえばぁ、いまここにはぁ、美人どころか揃ってる! わけよ! 誰か好みの娘はいないのぉ?」

 

 

 

 

 

(モモコさんも爆弾落とすよなあ……)

 テーブルの端、ヴィータは眉間に皺を寄せながらそんな事を思った。

 恭也が気づいているかどうかは知らないが、場の空気は明らかに変わった。先ほどまでのバカ騒ぎから、ある種の戦場じみたそれへと、だ。

「あのなあ」

「何よぉ」

「そういう値踏みのような事はするべきじゃないだろう」

「お堅いわねえ、いいじゃない」

 うんうん、いいいい、と。

 明らかに前のめりなのは晶とレンだ。聞けば二人は恭也と随分長い付き合いで家族同然に過ごしてきたという話だし、なるほど期待も高かろう。

「彼女? 恋人? 騎士恭也の? ……恋人」

「お姉さま、どうしました?」

「い、いや……恋人」

 リンツの隣でリインはそわそわと落ち着かない。その豊満な身体を悩ましげにくねらせて、無自覚だろうが無駄に色気を振りまいている。

「……恋人、か。ふむ」

 澄ました顔で茶をすするシグナムは、しかし顔だけでなく気までも妙に研ぎ澄ましている。敵と相対しているわけでもなし、何やっているのだとヴィータは呆れ顔でため息を吐いた。

「……」

「……」

「……」

 そして無論というべきか、ピリピリとした空気を最も強く放っているのはなのは、フェイト、はやての三人組だ。

 大魔法の展開準備中でもあんな雰囲気はお目にかかった事はない。

 どうするんだ、この空気。

「何か起きたときのために、結界の準備だけはしておくかな……」

 本気の声でユーノがそう漏らしたのが聞こえてしまった。

(いいなあ、お前らは)

 視界の端、部屋の隅で早々に並んで丸くなり眠りについたアルフとザフィーラに羨望の想いを向ける。今からでもそちらに混ざりたい。

「恭ちゃんも、そろそろ気づけばいいのにねえ」

 ヴィータの対面で、そんな風に苦笑しながら零したのは美由希。

 彼女は他の面々とは違った空気を纏っていた。どう、とは一言では言えないけれど、少なくとも浮足立ってはいない。

 強いて言うなら、暖かく見守るような。

 そんな表情だ。

(なのはの姉ちゃん、なんだよな)

 恭也を同じく兄としているのに、なのはとは随分スタンスが違う。いや、もちろん妹としては彼女の方が当たり前に正しいのだろうけれど。

「ほらあ、恭也、これでも飲んで飲んで」

「おいこら、……酒じゃないか。しかも強い」

「酔っ払っちゃいなさい! そして吐いちゃいなさい!」

「違うものを吐かせようとしているだろう! もう飲まんぞ」

 しかし、こう言ってはなんだが一番いちゃついて見えるのはあんな事をやっている桃子だと言えなくもない。見た目が異様に若いだけに、恭也とああしていると仲睦まじい恋人のようだ。

「桃子さーん、がんばれー……!」

「おししょに飲ましたってくださーい……!」

 こそこそっと、しかしはっきりとした口調で晶とレンがエールを送る。

「……かーさんのお酒は、飲めないって言うのね」

「そういうわけじゃないが、そもそも俺は酒は」

「ずっと、待ってたんだけどなあ……」

「うわ、母さん卑怯だなあ」

 呆れた風に美由希が笑う。

「恭ちゃんなんだかんだ甘いから、ああいうのに弱いんだよねえ。あれは飲まされちゃうよ」

「……そーなのか? なんか意外だな。甘いのか、あいつ」

 ヴィータの問いに、美由希は間断なく頷いた。

「うん。本人は厳格なつもりなんだろうけど、最後の最後で結局甘いの。ヴィータちゃんは、恭ちゃんのそういうとこ見たことない?」

「……あるかも。そうだ、そうだな」

 そう、そうなのだ。

 戦いの時は突き抜けた冷酷さを見せるくせに、根っこのところは甘々のお人好し。彼がそういう人間だから、自分達は今、こうしていられるのだ。

 そして、美由希の予想は正しかった。

「……あと少しだけだぞ」

「さすが恭也! 私の息子! ほら、ほらほらほらぁ」

 なみなみとグラスへ酒を注がれ、ままよとばかりに呷る恭也。続けざまに二杯、三杯。あれはもうやけくそだろう。

「ああ、くそ、……クラクラする。やはり酒には弱いんだな……」

 顔にはそこまで出ていないが、どうやらかなり回っているらしい。呟く言葉は、少しだけだが呂律が怪しい。

「しょ、将! 将!」

「なんだ、リイン」

「なんと言うか、その、……今の騎士恭也は、その、ちょっと」

 表現に困っているらしいリインフォースを、レンが頷いて助けた。

「わかりますよ、リインフォースさん。色っぽいって言いたいんやろ」

「……そう! えも言われぬ色香がっ」

 握りこぶしを作って力強く言うリインフォースを、シグナムが呆れたように見る。

「リイン、興奮するのはいいが恩人を襲うような真似はするなよ……」

「……? 私が騎士恭也を傷つけるような事をするはずがないだろう?」

「性的に、だ」

「……な!? せ、せ……なにを、そんな、せ、性的に……なんて」

 白い肌が一瞬で真っ赤に茹だった。あんな肉体をしているくせに、もしかしたら八神家で一番初心なのかも知れない。

 そんなやり取りの向こう側、肝心の恭也はと言うと。

「……眠い」

「あ、ちょっと恭也ぁ! 寝ちゃ駄目よぉ!」

 どうやら許容量を超えたらしく、頭をぐらんぐらんと振っていた。今にも眠りに落ちそうだ。

「ねえほらぁ、例えばさぁ、なのはとフェイトちゃん、はやてちゃんだったらぁ? あんなに可愛くてしっかりした娘達なかなかいないわよぉ! 誰が一番好みぃ?」

「うっわ、爆弾二発目」

 思わずそう呟いてしまった。あれは、きっと桃子もやはりと言うべきだろうが、かなり回っているのだろう。

 名の上がった三人はいよいよ極限まで張り詰めた空気を放ち、ピィンと背筋を伸ばして恭也の返答を待っている。

 しかし、恭也の答えは。

「いや、その三人は、そういう風には全く見ていない……。良い子達だが、妹のようなもので……あと、なぜなのはを入れた……問題外だろうに」

「あ、なのは!」

「テ、テスタロッサ!」

「主はやて!? お気を確かに!」

 崩れ落ちるように机に突っ伏した三人に、ヴィータ、シグナム、リインフォースは思わず悲鳴をあげた。

 あんまりだろう、あの答えは。

 極限まで酔って出た、おそらくは偽らざる本音。

 それであんな風に否定されては、崩れ落ちるのもむべなるかな。

「もんだ、い、がい……あ、が、……あ」

「なのちゃん、なのちゃん!」

「あかん、軽く痙攣しとる。おししょも何てむごいことを……」

 最も重い傷を負ったのは言うまでもなくなのはだろう。悪気も害意ももちろん皆無だろうが、問題外とは想い人から告げられる言葉としては痛すぎる。

「だああ、もう! じゃあ他にはぁ!? いるでしょ、ここにはいっぱい! 誰が好みなのぉ!?」

「好みぃ? そう言われても……」

「まさかクロノ君?」

「そんなわけないだろう……」

 桃子もいよいよ本当に酔いどれが過ぎて、とんでもない事を口走っている。

「クロノ君、なんでちょっとがっかりしてるの……?」

「なっ、いや、がっかりなんてしていない!」

「クロノ君、まさか……」

「おい! 変な誤解をするなエイミィ!」

 婚約しているカップルの間に最悪な形でヒビが入りかけていた。とんだ飛び火だ。

 笑いをこらえきれずに吹き出してしまったユーノが、思い切りクロノに睨まれていた。

「じゃあ誰なのよぉ! いないってこたないでしょ!」

「そう、言われても、だな……」

「付き合いたいとかそういう事じゃなくてもいいからぁ、単純に好みはこういう人だってぇ、言ってくれればいいのよぉ」

「好み、好み、……好み、は」

「好みはぁ!?」

 そして限界を迎えたらしい恭也はゆっくりと後ろにその背を倒し。

 そして眠りに落ちる、その直前に。

「……み、さと、さん」

 そんな、最後にして最大級の爆弾を置いていった。

 

 

 

 

 

「きょ、今日の鍛錬は、ここまでにしよう」

「え、いやしかし、まだ時間が」

「病み上がりで無理をするものでもない」

 美沙斗の言葉に、しかし恭也は首を捻る。歳が明け、三が日も過ぎた1月4日。そんなに病み上がりというほどでもないつもりなのだが。

「美沙斗さん」

「な、なんだい?」

「俺、何かしましたか? ……なんとなく、年末の食事会からよそよそしいような」

 桃子に酒を飲まされたせいで途中から記憶のない、12月30日に高町家で行われた恭也の快気祝い会。

 痛む頭を抑えて起きた翌朝から、どうも美沙斗の様子はおかしかった。

「まさか、酔って美沙斗さんに何か変な事を」

「そ、それはない! それはないから安心してくれ! 大丈夫だ!」

「よかった。まあ、美沙斗さんなら酔った俺程度、どうにでもなるでしょうけど」

「それはどうかわからないが、まあ、うん、何もなかったのは事実だ、うん。……何かあったわけでは、ないんだ」

 昼下がりの道場、美沙斗はあまり恭也の見たことのない、困ったような顔。

「そ、それでは私はこれで。ちょっと仕事の資料をやっつけなければいけないから」

「ああ、そうだったんですか。すみません、お引き止めして」

「いや、いいんだ。それじゃあ」

 そう言うと、そそくさと美沙斗は出て行った。落ち着いた彼女にしては、やはりどこかおかしく見える。

「……俺の気のせいか?」

「気のせいじゃないよ」

 ひとりごちると、後ろから声がかかった。美由希だ。

「美由希、お前、何か知っているのか?」

「まあね。……母さんの態度も直らないし、はっきり聞いとくかな」

「美由希?」

「ねえ恭ちゃん、これは恭ちゃんの妹としてっていうか、恭ちゃんの従姉妹として、つまり母さんの娘として聞くんだけどさ」

 そんな前置きをして、美由希は妙な質問を口にした。

「母さんの事、好き?」

「美沙斗さんか? それはもちろん」

 昔色々あったとはいえ、その事情もわかっている。今はただただ、尊敬と感謝を抱く人だ。間髪入れずに恭也は頷いた。

「それはさ、……その、場合によっては私のお父さんになる可能性もある方向で?」

「……お前、熱があるのならゆっくり休め」

「うわ言じゃないよ、ちゃんと聞いているの」

 確かに美由希の目は真剣そのものだった、熱に浮かされているわけでもない。というか、本当に体調が悪かったなら一目でわかるし、ましてや打ち合いをしていて気付かなかったわけがない。

 とは言え、それはあんまりにあんまりな問いだった。

「あのなあ、確かに美沙斗さんは魅力的な人だが、そういう目で見たことなんぞ一度もない。それに何よりあの人は、叔父さん一筋だろう」

「……そっか」

 安心したように美由希は息を吐いた。なんだと言うのだ。

「ならいいけどさ。でも恭ちゃん、母さんって好みのタイプなんでしょ?」

「はあ?」

「違う?」

 ずいっと、美由希は一歩こちらに踏み込んでくる。なんだか、無碍にあしらうことの出来ない瞳を伴って。

「……まあ、なんというか、一緒に居て安心出来るというか波長が同じというか、そういう魅力は強く感じるから、ああいう女性とならいい関係が築けそうだなとは思う。美沙斗さん本人とどうこうということは決して無いが」

 さすがにこんな事を言うのはあまりに気恥ずかしいのだが、美由希の瞳に押されて気がつけばそんな事を言ってしまった。

「……うん、そっか。ごめん、変な事聞いて」

「頼むから、これっきりにしてくれ」

 ため息を吐きながらのこちらの台詞に、美由希は頷かずに笑っただけだった。

 

 

 

 

 

「ああ、フェイトちゃん、こんにちは」

「美沙斗さんっ。こんにちは、お邪魔しています」

 高町家の敷地内、道場へ向かう途中でフェイトはどうやら母屋へ返す途中だったらしい美沙斗とぱったり会った。道着を着ているところを見ると、どうやら汗を流していたのだろう。

「恭也に?」

「はいっ」

「そうか。あの子なら道場でまだやっているよ。しっかり見て貰うといい」

 そう言って、美沙斗は穏やかに微笑む。

(……綺麗だなあ)

 フェイトの胸中に浮かんだ感想は、そんなストレートなものだった。なんというか、例えるならば椿の花のよう。ひっそりと、しかし確かに咲き誇るその美しさ。

「フェイトちゃん? 私の顔に何か……」

「あ、す、すみませんっ、ちょっとぼーっとしちゃいまして!」

「……具合が悪いわけではない、のよね」

 心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる美沙斗。至近距離で見てもやっぱり文句の付け所なく美しい。二十歳を超える娘がいるはずなのに、まったくそんな風には見えない。

「はい、体調は万全です!」

「そうか、それなら良かった。わかっているだろうが、恭也の鍛錬はなかなか苛烈だからね。不調を押しては厳しいだろう」

 苦笑する美沙斗。恭也の鍛錬は同じ御神流剣士である彼女から見ても重いものらしい。

「とは言え、あの子は師としても間違いなく一流だ。よく学ぶと良い」

「はいっ」

「それじゃあね」

 たおやかな笑顔を残し、無駄のない足運びで美沙斗は母屋の方へと向かっていった。

 立ち止まったまま、その背を見つめる。

(……ああいう人が好み、なんだ)

 納得では、ある。物凄く強くて見蕩れるほど綺麗で、大人で優しく気配りで、それでいてどこか儚げで。

 なんとなく、彼女のような人が所謂大和撫子なのかななんて思う。

 艶やかな黒髪も、そんな印象に拍車をかける。

「……はぁ」

 自分の髪先を摘みながら、ため息一つ。

 自分とは、全然違う。

(そういう風には全く見てない、だもんね……)

 それはそうだ。ああいう大人の女性がタイプなら、自分のような子供は相手にされなくて当然だろう。

 ……少しは成長したかな、なんて思っていたのだが。

「……いけないいけない」

 頭を振って、沈んだ気分を払いにかかる。こんな事でどうする、今からその、"少しは成長した"部分の一つを見せに行くのだ。

 しっかりと、鍛え続けた自分の武を見て貰うのだ。

「よし……」

 気合を入れて、道場へ向かう。

「あ、フェイトちゃん」

 入り口で美由希が手を振っている。会釈を返し、靴を脱いで上がらせて貰う。

「こんにちは、美由希さん」

「うん、よく来たね。そして、ついにこの日が来たね」

「……はい」

 うんうんと、美由希は何度か頷いて、道場の中へ声をかけた。

「恭ちゃーん! フェイトちゃん来たよー!」

「わかっている。よく来たな、フェイト」

 美由希の声に、そして恭也が現れた。その少しだけ乱れた髪と服装に心臓が跳ねる。

(いやいや、そうじゃないそうじゃない)

 ここはそういう所じゃない。色気立っている場合じゃないのだ。

「恭也さん、今日はよろしくお願いします」

「ああ、楽しみにしていた。君の5年間を見せてくれ」

「――はいっ」

 こちらの返答に、恭也は小さく、しかし確かに頷いてくれた。

 荷物を端へ置かせてもらい、入念な準備運動を終えてからバルディッシュをアサルトフォームで展開。二、三度振って身体のキレを確認する。問題なさそうだ。

 木刀を、右手左手それぞれに一本ずつ携えた恭也は既に道場中央で待ってくれている。

 目をつむり、深呼吸一つ。

 気持ちと息を改めて整え、彼の前へ。彼我の距離はおよそ3メートル程度。

「こうしてここで見ると、改めて大きくなったな。当たる視線の位置が高い」

 言われた通り、フェイトの側からも恭也の顔が近い。以前よりも、ずっと。

 果たして、腕前は近づけたのかどうか。

「身体の成長だけではない事を、お見せ出来たら」

「ああ、楽しみだ」

 空気が引き絞られて。

 お互いに、構えを作る。フェイトの世界が急激に縮まった。狭く狭く、しかし濃密な彼との空間。

 遠く、美由希が始まりを告げて。

 フェイトは、躊躇をしなかった。最初から全速、トップギア。いつかの戦闘と全く同じ戦法。

 出し惜しみする瞬間なんて、存在しなくていい。

「はぁっ!」

 筋肉の加速、体重の移動、空気を切り裂く己の身体。

 放ったのは、真っ直ぐな突き。単純ゆえに、最短距離を最速で駆ける一撃。まだ当たってすらいないそれは、しかしすぐにわかった。これは、今までで一番の一発だ。

 高みも高み、今出せるフェイトの最高。

 黒い閃光と化したバルディッシュの穂先が、恭也の胸元に迫る。

 対し、彼は鋭い視線でしっかりそれを捕捉。二本の木刀を斜めに重ねて、その中心点で受け止めにかかった。

 彼の選択が逸らすでもなく避けるでもなかったのは、こちらの技を受け止めて力量を測ってくれるためだろう。

 胸を借りよう、そして伝えよう。

 私の5年間を。

 バルディッシュが恭也の木刀に喰らいつき。

 そして、衝撃を徹した。

「――っ!?」

 視界の中、驚愕に恭也の眼が見開かれる。

 見よう見真似の独学で、本家と比べたら驚くほど拙いけれど、しかし確かに御神の技で色づいた、そんな一撃は確かに彼の心を揺らしたように見えて。

「やあああっ!」

 フェイトはもちろん追撃にかかり。

 

 御神の技を覚えてしまったその代償を、やがて支払う事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、珍しく仕事が早く片付いた。

「ただいま、っと」

 海鳴市のマンション、玄関で靴を脱ぎながらクロノ・ハラオウンは我ながらワーカホリックだと苦笑する。こうして家に帰る日が少ないというのは、しかし自分の家庭を持ったならどうなのだろうか。

「……うーん」

 理解はこの上なくある相方だが、寂しい想いをさせるのは確かだ。子供が生まれたら、その子達にもそれを押し付ける事になる。

 いずれきちんと話し合う必要があるなと、そんな事を考えながら廊下を進んで。

「……ん?」

 普段、聞こえる事のない音色が響いている事に気づく。

「泣き声?」

 しかも、それは。

 認識すると同時、足は早まった。音の出処であるリビングの扉を、強張る手で開け放つ。

「う、うううう……ああ、っう、あああああ!」

 そこには、声から予想していた通りの、しかし当たっていて欲しくなかった光景が広がっていた。

「フェ、フェイト……?」

 机へ突っ伏して、泣きじゃくっているのは義妹だった。

「うううう、うっ、ううう……ひっ、うううううううっ!!」

 ボロボロボロボロと大粒の涙を零し、顔をぐしゃぐしゃに濡らして、痛々しい嗚咽を上げる。

 彼女のこんな姿、見た事なんてほとんどない。悲痛な声に表情に、心臓をわし掴みにされたような感覚に陥る。

「あ、クロノ……」

「おかえり、クロノ……その、フェイトはちょっと」

 両脇にはリンディとアルフ。両方共、弱り果てた顔をしている。

(どういう状況、だ?)

 義妹の姿に驚き固まっていた頭が、今度は高速で動き出す。

 フェイトが泣きじゃくるなんて、本当によほどの事態である。一体何が起こったのか。

 真っ先に考えたのは、任務で同僚に何かあったのではという事だ。MIAやKIA、もしくはそれに近い何かが。

 しかしそれはおかしい。そんな事態になれば自分の耳にも何かしらの情報が入っているはずだ。フェイトとは職域が近いゆえに、自分が何も知らないという事はまずありえない。

 次に考えたのは、学校で何かあったのかという事。だが、これもすぐに違うだろうという結論が出る。彼女の通う私立聖祥大学付属中学校はまだ冬休みなのだ。

 続けて考えたのは、なのは達の事。もしかして彼らと何かあったのか。……だが、喧嘩や何かをしたとして、こんなにまでなるとは考えにくい。

(まさか……)

 そして思い立った可能性に、クロノの頭は真っ白になる。

(……不埒な男に、何かされたのか)

 彼女は強い。魔法を使えばエリート執務官で、使わずともそこらの一般人では相手にならない実力者だ。

 しかしそれでも、まだ十四歳の女の子で。そして十四歳の女の子ながら、飛び抜けて美しい容姿をしている。

 不意を突かれた、騙された、普段覚えない類の恐怖心から竦んでしまった、人間である限りそんな可能性はいつでもある。

 クロノの考えつく限り、これが最も妥当な答えだった。

「なんて事を……フェイト、必ず僕がこの手で」

 意識のあるまま氷漬けにして粉々に砕いてやる、しかも少しずつだ、楽になど死なせるものか。恐怖と絶望で身体だけでなく心まで粉微塵に砕いてやる。

 そんな怒りに燃えるクロノの言葉へ、しかしフェイトは首を振った。

「ち、ちがうの……わたしが、わたしがわる、くて」

「そんな事があるものか!」

「ほんとうに、そうなのっ、だ、だから、きょうやさんは、なにも……っ」

 恭也さん?

 告げられた名前にクロノの頭を疑問符が駆けまわる。

 フェイトが恭也さんと呼ぶ男性、高町恭也と言えばクロノの知る限り最高レベルの人格者である。そしてフェイトの事を心から大切に思ってくれている人物でもある。

 彼の名が出た時点で不埒云々という可能性は消え去った。

 しかし、彼がこの娘をこんなに泣かせる事なんて。

「……あ」

 唐突に、先ほどとは違った答えへ行き着いた。

 泣く義妹。その口からは恭也の名。そして彼女は、ずっと彼の事を想っていて。

 そうか、簡単じゃないか。

 そして、なんて残酷なんだろうか。

「……フェイト」

 誰が悪いわけじゃない。フェイトが悪いわけでも、恭也が悪いわけでも。

 ああ、だが、なんと言ったらいいのか。

 長く、そして深く熱い恋に敗れた彼女に、一体何を。

「クロノ、多分貴方、誤解しているわ。今貴方が考えているような事があったわけじゃないのよ」

「……え?」

 リンディが途方に暮れているクロノへそう声をかけてきた。

 流石は母親、こちらの表情から考えを読んだか、しかしそれではどういう事なのか。

 やがてリンディは解答を口にした。

「あのね、フェイト、恭也さんにもう鍛えてもらえないんですって。これからはもう、道場に来てもいけないって」

 

 

 

 

 

 

「お前は知っていたんだろう、美由希」

 夕食後、ソファーに座る自分の隣へと腰掛けた妹に、恭也は問うた。

「うん、そりゃあね」

 返ってきた返答に、恭也の眉の皺はさらに深くなった。

「そもそも、教えたのはお前か?」

「まさか、私は何も。もちろん母さんもね」

「だが、だったら……どうして、あの子が御神の技へ届いている」

 吐いた言葉は自分が思っているよりも刺々しい響き。

「フェイトちゃんは自分で覚えたんだよ。恭ちゃんの打ち方を真似して、ね」

「真似をして? そんな事で」

「アースラ? だっけ? そこに残っていた記録映像を何度も何度も何度も何度も見て、それを目標にしてお手本にして地道に地道に鍛錬して、それで気がついたら届いてたんだって」

 にわかには信じられない話、ではある。しかし実際に彼女は徹を放っていて、美由希も美沙斗も教えていないと言うのなら可能性はそれしかない。

「……神速にすら、手を掛けたという話だぞ」

「みたいだね、それは私も今日知ったけど」

 恭也とフェイトの試合。

 恭也の勝利で終わりはしたものの、初っ端からフェイトが徹の篭った一撃を放つという展開でそれは始まった。

 予想外もいいところ、で。

 その後、ぽろりと彼女は言ったのだ。

 もし神速をちゃんと使えるようになっても、恭也さんにはまだまだ敵いそうにないです、と。

 使えるようになったら、ではない。ちゃんと使えるようになったら、だ。

 問い返すと、先のジェイル・スカリエッティ部下襲撃の際に、不完全ではあったもののその領域に届いたという話をフェイトは語った。

 彼女がまさか、そういう事で嘘を吐くとは考えられず。

 恭也の顔からは大いに血の気が引いた。

 話を聞く限りでは、生身で行えたのはどうも神速の知覚に入れたというだけで、その中での行動は魔法任せだったいうから、本来の意味で神速が使えているわけではない。

 知覚速度の超高速化は、それだけならば御神固有の技ではない。

 例えば優れた野球選手の眼にボールが止まって見える事があるように、卓越したボクサーの眼に相手の拳が止まって見える事があるように、それはスポーツや普通の武術の域でも、まれに届きうるものである。

 その知覚を自在にオンオフし、なおかつその中である程度自由に動き回れるという事が神速の本領だ。

 だから、正確にはフェイトは神速が使えるようになった、とまでは言えない。

 だが、そこに届いたというのは、適正が間違いなくあるという事の証左に他ならない。

「やっぱりあの子、才能あったんだね。それを輝かせるだけの努力も怠らなかった」

「だから、なんだと言うんだ」

「……恭ちゃん」

 大きく大きく、恭也はため息を吐いた。

「わかっているだろう、美由希。今更言わせるなよ、美由希。俺たちの技は、あの子にはふさわしいものじゃない。黒くて汚れた卑しい技だ」

 人の影で、闇で、裏で。

 輝くことなく振るわれる殺人術、それが御神流だ。

 技というより、それは業なのだ。

「それで、あんな事言ったの? もう来なくていいなんて」

「……言う他、あるまい」

 

『俺にはもう、君に教える事は何もない。だから、君を鍛える事はこれから先、二度とないだろう。ここにももう、来なくていい』

 

『君にこれ以上何かを教えようとすれば、それは御神流の本域になる。だが、だから、それは出来ない』

 

『御神流は、黒い剣で、汚れた技で、行き場のない力だ。君には、ふさわしくない』

 

「嬉しかった癖に、あんなにフェイトちゃんが成長していて」

「……」

「褒めてあげればよかったのに」

「……褒めて、やりたかったさ」

 今日の試合で彼女が見せた実力は、成長は並ならぬものがあった。あそこまで積み上げるには相当の苦労があったろう。しかも、そこまで力を付けていながら動きにはオーバーワークの痕もなかった。

 彼女は言いつけをしっかり守り、高みへ登ってくれていたのだ。

 5年間、ひたすらに。

 嬉しかった。他の誰よりも恭也こそが、彼女を褒めてやりたかった。よくやったと、そう言ってやりたかった。

「だが、届いた先があの技なら、彼女の努力を褒めてやるわけにはいかない。褒めてしまえば、認める事になる」

「フェイトちゃんが御神の技を振るう事を?」

「そうだ。それだけは、絶対に認めてはならない。御神の技は、ただの技じゃない。そこには犯してきた業が染み付いている。穢れているんだ」

「そう、だね。それはそうだね」

 まさか、ここで頷かない美由希ではない。彼女は正統後継者だ、ある意味、誰より一番御神流の穢れを理解している。

「だからこそ、俺達以外が振るってはならない。御神の業は、御神の人間だけが背負えばいい」

「……」

「……こうなると、わかっていたのなら」

 罪悪感で、視界が揺れる。

(すまない、フェイト……すまない)

 あんなにも綺麗なあの子の手に、触れるべきでないものを触れさせてしまった。

 何を調子に乗っていたのか。

 あの子に自分が何かを教える資格なんて、きっと最初からなかったのだ。それなのに、何を調子に乗っていたのか。

 どう償えばいいのかすら、恭也にはわからなかった。

 

 

 

 

「前の事件の資料、整理が必要なのはこれで最後。終わったら次は……」

 呟いた独り言は、自分の耳にも空寒い音色。

「次、は……」

 次は、何をすればいいんだろう。

 何か仕事を、何か作業を、何か、何でもいいから。

 なんでもいいから、頭を満たして欲しい。

 自分がどうやら仕事に逃げるタイプだというのは、今回知った事実だった。知りたくはなかったが。

 仕事も手に付かない、なんて方が可愛げがあったろうか。

 自分の執務室で、フェイトは作業の手を止める。

「……」

 涙は出尽くして、ため息も抜けきったら、後は虚しさだけが残って。

 だけど、これは慣れなければならない感情のはずだ。

 だって、これからずっとこれと付き合っていくのだから。

「……」

 自分の右手を見つめる。

 この手は、きっと欲しすぎたのだ。

 だから、しっぺ返しを喰らった。

 自分が元々、彼から教わっていたのは御神流ではなかった。それを、その意味を、ちゃんと理解するべきだった。

 不用意に、ましてや無許可に、踏み込んでいい領域ではなかったのだ。

 あれから、もう3日経つ。

 いい加減、心の整理を付けなくては。

 行き詰まった気持ちを身体でも動かしてすっきりさせようと、トレーニングルームの使用申請をしようとして、しかしその指を止める。

 これ以上鍛えて、一体何の意味があるのか。

 ……いや、あるはずだ。執務官として、至近戦はこなすのだから。

 お手本と目標が消え去ったからと言って、立ち止まる甘えを自分に許すべきじゃない。これからは自分で自分を鍛えていかなければならないのだ。

 頭では、わかっているのだけれど。

(……こんなに弱いんだ、私は)

 情けなくなってくる。自分一人で歩けもしないで、どうしてあの人を支えられるなんて思ったのか。

 これ以上落ちる事なんてあるものかと思っていた気分が、さらに下へと降りていった、その時だった。

「……ん」

 広げてあるコンソールの端に入室要請の文字が浮かぶ。誰か訪ねて来たらしい。

 タップして詳細を確認すると、高町なのはの文字。

「なのは……?」

 生体とリンカーコアで認証を取っているから本人で間違いない。

「どうしたんだろう……」

 特に来るという連絡はなかったはずだが。空中投影のコンソールを仕舞い、とりあえず扉を開ける。

「やっほー。お仕事中?」

 姿を見せたのはやっぱりというか当然というか、サイドテールを揺らす親友だった。

「うん、まあ。でも立てこんでいるわけじゃないから。何かあったの?」

「何かあったっていうか、何やってるのかなーって思って」

「……どういうこと?」

 部屋へ入ってきたなのはは、フェイトの正面、机の上に肘をついて上半身を預ける姿勢。微笑みを湛えた顔に、右手を添えている。

「いやいやだからさ、あれからもう3日くらい経つわけだけど、いつまでうじうじやってるのかなって」

 わかってるわかってる、私が言えた事じゃないんだけど。

 続けてそんな風に言ったなのはは、あくまで笑顔。

 対して、こちらの顔は強張った。

 だって、いきなり鼻っ面に叩きつけられた言葉はあまりにあんまりだろう。

「う、うじうじ……? 何を」

「何を? わかんないわけじゃないでしょ?」

「……それは、確かに落ち込んでるけど、その自覚くらいちゃんとあるけど。私は、言われた事を、飲み込んでいるだけだよ」

 口をついて出た言葉は、その音色までも刺々しい。自分の未熟さが現れているようで、やっぱり情けない。

 しかしなのはは、それでも笑った。

「あはは、やっぱり思った通り」

「思った通りって、何が?」

 

「フェイトちゃんはさ、お兄ちゃんに良い子だって思われていたいんだ。でしょ?」

 

 その指摘は、予想だにしない角度で襲ってきた。

 だから、防ぐ事なんて出来ず。

「わ、……わたしは」

 突き刺されて、動けなかった。

「図星だ? あはは」

 ころころと、なのはが笑う。愛らしい彼女のその笑みがどうしてか、今は怖かった。

「お兄ちゃんに良い子だって思われたい。あわよくば褒めてもらいたい。いやいや別に、それが悪い事だなんて言わないけれど、言わないけれども、でも、良いの? フェイトちゃん。良いの?」

「良いって、何が……?」

「わかってるでしょ? そのままいけば、このままいけば、確実にフェイトちゃんはおにいちゃんと離れていくよ?」

 そんな事、そんな事は。

 そんな事は、ない……なんて。

 言えなかった。

「おにいちゃんに良い子だって思われ続けようとすれば自然、フェイトちゃんの進む道は、おにいちゃんの思うフェイトちゃんの幸せへと向かうことになる。でもそれは、フェイトちゃんの思うフェイトちゃんの幸せとは決定的に違うよね?」

 なのはの声が、いつもは心地の良い響きのそれが、今は耐えられないくらい耳に痛い。

 いや、わかっている。痛いのは音色じゃない事くらい。

「だって、おにいちゃんはフェイトちゃんが自分の傍に居続けることは、フェイトちゃんにとっていい事だなんて思わないはずだから。少なくとも今回、御神流についてはそういう事を言われたんだよね? 黒い剣だから、汚れた技だから、行き場のない力だから、君にはふさわしくないって」

 なのはがどこまで知っているのかは知らないが、彼女の言葉はその通りだ。

「おにいちゃんはフェイトちゃんをものすごく大事に思っているよ。でも、だからこそ、自分なんかの傍に長くいさせるべきじゃないなんてごくごく当たり前に考えているはずだよ。わかるでしょ? そういう人だし、そう言う人なんだよ」

「……うん」

 頷くほか、無かった。なのはは、滑らかに続ける。

 フェイトの聞きたくない話を。

「だからさ、このままおにいちゃんの言う事に従っていけば、フェイトちゃんはおにいちゃんとどんどん疎遠になっていくよ」

 しかし聞かなければならない話を。

「おにいちゃんの言う事に背かない良い子ちゃんのフェイトちゃんは、結果的におにいちゃんとは背を向け合って違う方向に歩いて行くことになる。ぶつかり合わない事を選べば、交わり合う事も決してないんだから。着々と、淡々と、一歩一歩、確実に離れていくよ。それはもう火を見るよりも明らかだ」

 理解した現実に、喚起される想像に、見通した未来に、フェイトの背筋は凍っていく。

 なのはの言葉は、怖いくらいに的確だった。

 全部、そうだ。

 その通り、なんだ。

「わ、たしは……」

 震える声で、一体自分は何を言わんとするのか。

 自分でも何を言い出すかわからない……否、もっと細かく言えば、どんな泣き言を漏らしたものかわからない口は、

「でもさあ」

 しかし、被せるようななのはの言葉で噤まされた。

「これは結構、杞憂なんだよねえ」

「……え?」

「だってさあ、フェイトちゃん。ねえ、フェイトちゃん。私は知っているよ。ある意味、誰より知ってるかもしれない」

 歌うように、なのはは言葉を紡ぐ。

「だからさ、これは図々しい助言。高町なのはのアドバイス。恭しく受け取ってよね、まさかまさかの"なのちゃんのおにいちゃん攻略講座"だよ?」

「――っ!?」

 高町なのはが高町恭也にどれくらい愛情を向けているか。

 高町なのはが高町恭也にどのような愛情を向けているか。

 まさか知らないフェイトではない。

 それなのに。

「アド、バイス?」

「そう。こんなサービスめったにしないっていうか、基本的には誰にも絶対しないんだけれども、フェイトちゃんには一つと言わず二つくらい、大きな借りがあるからさ、それを返す意味で、一度限りの限定開講」

 借り、それは。

「あの時、正面から殴ってもらったし、ついこの前、背中を押してもらったからさ。それはやっぱり、返しとかなきゃってね」

 殴ったというその話は、三年ほど前とは言え忘れようのない出来事で。

 ついこの間とは、丁度それは今の自分と同じように、思い悩むなのはを焚き付けた記憶に新しい一幕。

 貸しだなんて全く思っていなかったし、そのつもりもなかったのだが、どうやらなのはの認識は違ったらしい。

 彼女一流の照れ隠しなのかもしれないけれど。

 そして、なのはは今日で一番耳に痛い事を言い放った。

「ねえ、フェイトちゃん。もういいかげんさ、―――良い子ちゃんぶるの、止めたほうがいいと思うよ」

「……そ、そんなっ」

 思わず反駁するも、

「そんな?」

「こと、は……」

 どうしたって尻すぼみだ。

 だって。

 そんな意識がなかったと言えば、それは嘘になるのだ。

 黙り込んだこちらに、なのはは目を細めて言う。

 それはまるで、昔を懐かしむかのように。

「私は知ってるよ、フェイトちゃん。知っているんだよフェイトちゃん。良い子ちゃんなんかじゃないフェイトちゃんを知っている……というか、フェイトちゃんが良い子ちゃんなんかじゃないって事をよくよく知っている」

 跳ね除けられない重みと深みのある、それは実感の篭った評価だった。

「いい? 自覚はしているんだろうけど、でも今ここではっきり言ってあげるよ。フェイトちゃんはそれはそれは物覚えはもの凄く良い子だけどでも、……物分かりはもの凄く悪い子だ」

 それは、なんて。

 心当たりのある言葉だろうか。

「すぐに他人の意図は読み取れるけれど、その実、なかなか意見は飲み込まない。結局は自分自身の心に清々しいくらい従順で忠実だ。めちゃくちゃ頑固なんだよ、……私と同類」

「……そうかもね」

「かもじゃない、そうなの」

 流石になのはほど一本槍じゃないと思っているのだが、どうなんだろうか。

 とは言え、それは確かにその通りだ。

「思い込んだらまっすぐで、ちょっとやそっとじゃ曲がらない。でしょ? だって、だから、かつて私とフェイトちゃんはあんなに真正面からぶつかり合ったんだ」

「そう、だね」

 お互いが妥協や諦めの出来る性質であったら、きっとあんな風に戦わなかったし、絶対にこんな風に仲良くはなれなかっただろう。

「でも、おにいちゃんにはそんな自分を見せたくないんだよね?」

「……そう、だよ」

 認めてしまえば、それはとても自然に心に嵌る想いだった。

 だって母親に対しても、自分はずっとそうだった。

 従順で、ありたかった。

 それが自分の出来る一番の、愛情の示し方だと思ったから。

 そうしていればいつか、愛情が返ってくるじゃないかと期待出来たから。

「良い子良い子して、良い子良い子されたいって、そんな姿が滑稽だとは言わないけれど、でも、それじゃ本音は上滑りしていくよ。想いは空回って、願いは叶わない」

 そうなんだろうか。

 ……そうなんだろうな。

 そうじゃなかったら今、自分はこうして虚しさを紛らそうと仕事の書類を必死でめくったりなんてしていなかったはずだ。

「わかるだろうって言われて頷いて、わかるよなって言われて従って、わかってくれって言われてわかっちゃったら、それはそれは良い子なんだろうけど、でも、それで良いの?」

 いいのだろうか。

 問われ、フェイトは今一度、自分の手を見やる。

 彼と同じ高みへ、至宝へと伸ばしたそれを見る。

 臆病風に吹かれて、引いてしまったそれを見る。

「そんなお人形さんみたいな自分で、フェイトちゃんは良いの?」

 お人形。それは、耳に馴染みのある表現。その重さを、きっとなのははわかった上で言っている。

 言ってくれている。

「良いんだったら良い子のままでいるといい。でも、もし、嫌なんだったら」

 そこですっと息を吸い、彼女は最後に言った。

「良い子でいたら、駄目だと思うよ」

 

 

 

 

 

「精が出ますね、師匠」

「晶……どうした?」

 日の落ち切った時分、道場で一人剣を振っていた恭也の元へやってきたのは晶だった。5年前と同じくボーイッシュな見た目だが、しかし身体のラインはかなり女性的になっている。

 もうまさか、男に間違えられる事なんてなさそうだ。

「いえ、ただちょっとですね」

 彼女は体型と違って昔と変わらない、人好きのいい笑顔を浮かべながら、恭也の元へと歩み寄ってくる。

 それでも、恭也に簡単に察せた。

「おいおい、相変わらずだな」

 呆れたように言いながら、恭也は両手の剣を床に放った。

「はは、性分でして……とっ!」

 にじみ出る殺気に違わない、素早く豪快で、無駄のない右からの上段蹴り。

 本当に、相変わらずだ。

 不意打ちが不意打ちにならないよう馬鹿正直に仕掛けてくるその素直さは、昔と何も変わらない。

 首を刈るようなそれを潜って躱し、恭也は反撃に出る。晶の残った軸足を屈みながら放った突き出す蹴りで払いにかかった。

「なんの!」

 足一本で飛び上がり、それを避けてみせた晶はさらに空中で回転、先ほどの軸足で回し蹴りを放ってきた。受け止めた恭也の腕に、不安定な体勢で打ってきたとは思えないキレと重さによる衝撃が響く。

「ちぃっ!」

 着地した脚でそのまま床を凄まじい勢いで蹴りつけ、一息で遥か後方まで退避する晶。見事な身のこなしだ。

 しかし、逃す恭也ではない。縮めていた脚をバネのごとく伸ばし、追走。ほぼタイムラグ無しに追いかけて距離を詰め、

「だっ!」

 晶の頭を正面から片手で掴み、床に叩きつけた。

「……参りました」

「そうか」

 降参の宣言に、彼女の頭から手を放し、立ち上がる。晶も何もなかったかのように上半身を起こした。

 結構な勢いで叩きつけたはずだが、流石の頑丈さである。彼女の最たる長所かもしれない。

「で、なんだ?」

「いやあ、今だったら勝てるかなあって」

「まあ、その意気は買うが。それに確かに、大した上達ぶりだった」

 刀も暗器も使わなかったとは言え、恭也にとって先ほどの晶は本気で対処せねばならない相手だった。一つでも判断を間違えていたら、一瞬でも気を抜いていたら、やられていたのはこちらだったろう。

 達人と、そう称する事に何の不足も最早ない。

「強くなったな、晶。よく鍛えた」

「その言葉、フェイトちゃんには言ってあげました?」

 先の蹴りよりも、鋭く、そして重く。

 彼女は言った。

「いいや」

「どうして?」

「俺は、あの子を褒めてやるわけにはいかない」

「それは、御神流に届いてしまっていたからですか」

「そうだ」

 簡潔な返答。それ以外、答えようがない。

「ねえ師匠」

「なんだ?」

「今、俺が御神流をやっぱり習いたいって言ったらどうですか?」

「どうもこうもない、だったら俺を倒してみせろ。昔と同じだ」

 にべもなく言い放つ恭也に、晶は苦笑する。

「それ、考えなしの前はちゃんとわかってなかったけど、すごい無理難題ですよね。師匠、俺に習わせるつもりなんてなかったんでしょ?」

「何を言う。お前は一度、俺を倒しているだろう」

「たまたま色んな事がうまくいって、その上狙える古傷抱えた膝があったから、ですよ。普通にやってたら無理だった。ていうか、師匠が本当の本気だったら、あの瞬間移動みたいな奴とかやってきてただろうし、どうにもならなかったはずです」

 彼我の実力差を評する晶。そんな冷静さにも昔との実力の開きを感じる。巻島館長はどうやら、教育者としてやはり優秀らしい。

「ねえ、どうしてそんなに拒否するんですか? 御神流を教えるの」

「おいそれと、人に教えるような代物ではないからだ」

「黒いから?」

「そうだ」

 己を鍛える事を旨とする健全な武道を説くのとは、話がまるで別なのだ。

 殺しも視野に入れた古流などとも、まだ一線を画する。

 御神のそれは徹頭徹尾、効率的な人の殺し方なのである。道と呼ぶにはおこがましく、おぞましい。

 思い入れがある人間だと言っても、いや、思い入れがある人間だからこそ、教えたくはない。

「……うーん」

 これだけ理解力のある今の晶なら苦もなくわかってくれているだろうと思っていたのだが、しかし、彼女は首を捻った。

「ねえ、師匠。ネットって使ってます? インターネット」

 そして唐突に、そんな事を言う。

「インターネット? ああ、俺が寝ている間に随分進歩したらしいな。なのはにパソコンを借りてやってみた事があるが、便利なものだ」

 基本的に機械はそんなに得意ではないが、美由希のように致命的なわけでもない。その利便性は確かなものだし、使い方を覚えようとはしているところだ。

「それが?」

「俺も聞きかじりだから詳しくは知らないんですけど、あれって元々は軍用の技術だったらしいですよ。アメリカ軍ですって」

「へえ」

 まあ、軍時で生み出された技術が民生品に転用されるのはよくある話である。戦争は科学を100年進歩させる、なんて事も言われるくらいだ。

「あとはなんだったかな、電子レンジ、あれもそうだって。あとはGPSとか。今の携帯は当たり前のように使えますけど、便利ですよねえ。俺この間隣街で迷ったんですけど、おかげで助かりました」

 なんとなく、晶の言わんとする事がわかってきた。

「元が何であれ、役に立つのなら良いって事か?」

「そうそう、そういう事。御神流もそうじゃないですか?」

「馬鹿を言うな」

 ため息を吐き、恭也は否定する。

「人殺しの剣術体術暗器術が、他の何に役立つと言うんだ」

「人を助けてるでしょ、これをまさか、否定しないで下さいよ」

 立ち上がり、晶は指折り数えていく。

「俺に鈍亀、フィアッセさんに忍さん、那美さん。桃子さんに美由希ちゃんに美沙斗さん、なのちゃんにフェイトちゃん、はやてちゃん。クロノ君、ユーノ君にアルフさん、リインさんにシグナムさん、シャマルさんにザフィーラさんヴィータちゃん、師匠に助けられた人間なんて、俺の知ってる限りでざっと挙げただけでもこんなに居ますよ」

「それは……」

「御神流なしで助けられました? 無理だったでしょ?」

「お前が言っているのは結果論に過ぎない」

「大事なのは結果でしょ。結果として、現実としてそれだけの人間が、時には命すら助けられている。それを可能にしたのは、師匠が人殺しの技でしかないって言う御神流のはずだ」

 いつになく、晶の口調は強く、そして真摯だった。

「ねえ師匠、だから師匠の技は、俺の尊敬する高町恭也の技は、穢れてなんていない」

「……晶」

「お願いだから、そんなに自分を嫌わないで下さい。自分の技を、卑下しないで下さい。……そりゃあ、当事者である師匠からしたら、簡単に飲み込める話じゃないでしょうけど、でも、それでも、師匠がそれをちゃんとわかってくれなきゃ、貴方に憧れて、貴方に救われた、俺とかレンはどうなるんです」

「……」

 救ってなんて、いない。自分はほんの少し、出来る事をしただけ。そう言ったって、きっと晶が納得しないだろう事はその瞳から見て取れた。

「何より、何より……俺やレンは、もう自分の道を見つけているけど、何より、誰より、フェイトちゃんはどうなるんです」

「……あの子も、しっかりした子だ。お前と同じように自分の道を見つけるさ」

「本気で言っているのなら、師匠はなんにもわかっちゃいない」

 晶の口調は強い確信を持ったそれだ。

「フェイトちゃんは確かにしっかりしてるけど、だけど驚くほど頑固ですよ。物分かりが良い風なのは表面だけだ」

 晶とフェイトは結構仲良く見えたが、随分辛口の評価に聞こえる。いや、仲が良いからこその言い様なのかもしれない。

「あんなに曲がる事を知らない子が、よりにもよって師匠に憧れちゃって、まさか他の道に行くなんて、断言しますけど、ありえない」

「だが、あの子はわかってくれたはず……」

「だから、表面は、ですよ。フェイトちゃんの本心は、絶対納得なんてしていない。だけど師匠に迷惑掛けたくないから、わかったふりをしたんでしょう。あるいは、自分自身にも」

 確かに、過去のPT事件のあらましを聞く限りでは、フェイトは相当な頑固者に思えた。だが、実際の彼女は聞き分けの良い子であったはず。その印象は、現在も変わっていなかったのだが。

「だからね、師匠。俺が今日言いに来たのが何かって言えば――諦めて下さいって事です」

「諦める?」

「ええ、絶対、直訴しに来ますよ、あの子は。一回や二回じゃなく、通じるまで何度でも。一日や二日じゃなく、叶えるまで何年でも」

 1月のキリキリと冷える空気の中、晶の言葉はいよいよ揺るがぬ確信に満ち満ちていて。

 恭也は遅まきながらに気がついた。気を抜きがちな自宅の敷地内で、さらに話に意識を取られているという状況だからといって、ここまで気が付かなかったのは恥ずべき事だ。

「……まて、まさか」

「だから、今日はその一回目です」

 晶のそんな言葉と同時、道場の扉が開いた。視線を慌ててそちらに向ければ、月明かりが眩しくて。

 それを背に、月と同じ色彩を髪に湛えた少女が立っていた。

 

 

 

 

 

「ま、後は二人でごゆっくり」

 そう言って、晶はぽんとフェイトの肩に手を置いた後、母屋へと帰っていった。

 後で、ちゃんとお礼を言わなければ。

 思いながらもとにかく今は、フェイトの瞳は意識は、恭也だけへと向く。

「……夜分に遅く、すみません」

「それは、構わないが……」

 恭也の表情はまさに当惑と言ったもので、迷惑をかけてしまっているのは誰の眼にも明らかだった。

「しかし、あまり君のような年頃の女の子が出歩く時間じゃない」

「申し訳ありません。ですが、すぐにでもお願いしたい事がありまして」

 深呼吸は、今更しない。気持ちも覚悟も、決めてきた。

「それは?」

「はい。晶さんにお聞きしたのですが、晶と恭也さんはかつて、晶さんが恭也さんを一度でも倒せば、御神流の弟子に取るという約束をしていらしたのですよね?」

「……ああ」

 恭也は、苦い顔を浮かべた。こちらの言葉の先が予想できたのだろう。

「どうか、私ともその取り決めを交わして頂きたいのです」

「……」

 恭也は大きなため息を零した。不躾な願いに呆れられてしまったろうか。失望されてしまったろうか。

 震えかける脚を叱咤し、そのまま踏みとどまる。

 だって私は、――良い子のお人形としてこの人の傍に居たいんじゃない。

 そう願うなら、恐怖に負けてはいられない。

 嫌われるかもしれないって、捨てられるかもしれないって、そんな恐怖に怯えてなんて、いられない。

「なあ、フェイト」

「はい」

「どうして、君は御神流の力を求める」

 切れ長の双眸の中、恭也の瞳は嘘を許さない鋭さを携えてこちらを射抜く。

 フェイトは、馬鹿みたいな正直さで答える。

「それが、貴方の力だからです」

「……俺の?」

 本気で意外だと、予想もしていなかった言葉だと、恭也の返答のトーンは語っていた。

「執務官として有用だから、とか、そういう事では……」

「違います。それもありますが、二の次です」

 我ながら身も蓋もない言い様だった。管理世界の秩序を司る執務官として実に如何なものかと思うが、本音なんだから仕方ない。

「恭也さんの仰る、御神流の黒さも理解しています。それでも、それも私にはどうでもいい事です」

「……フェイト?」

 恭也は完全な戸惑いを顔に浮かべた。それはそうだろう、失礼千万な物言いに不快感を出されなかっただけ、ありがたいというものだ。

「恭也さん、私は貴方の持つ力が自分の仕事に有用なものでもそうでなくとも、貴方の持つ力が清廉なものでもそうでなくとも、有り体に言わせて頂けば、どうでもいいんです。本音を、本当に言わせて頂けば、どうでも」

「……この前見せてもらった実力から、君が相当の鍛錬を積んできたという事はわかっている。なのに、それが役に立たなくてもいい、誇れるものでなくていいだなんて、君は本気で言っているのか」

「はい」

 間断なく頷いたこちらに、彼はますます当惑の色を濃く顔に表した。

「フェイト、君は、どうして」

「最初に言った通りです」

 そう、最初に言った通りだ。

「貴方の力が貴方の力だから、私は同じものが欲しいんです」

 突き詰めて言えば、ただそれだけなのだ。

 自分は、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、それくらいには馬鹿で単純な女なのだ。

「……わからない、言っている事はわかってきたが、言っている理由がわからない。俺の力なんて、そんなものが何だと」

「そんなもの、じゃないです。私にとってはそれだけのものなんです」

 どうか伝われと願いながら、フェイトは必死に言う。

「貴方が心を砕いて磨き上げてきたその力は、人の心を奪うのに十分なものなんです。少なくとも、私は、とっくに奪われています。貴方がそうして得た、貴方の力だからこそ」

「……趣味が悪いな」

「いいえ、それだけは良いと自信を持って言えます」

 笑顔でそう言い切って、フェイトは手の中のバルディッシュを握りしめた。

「ただ、頭は少し、悪いかもしれません――Set up」

 

 

 

 

 

「ただ、頭は少し、悪いかもしれません――Set up」

 紡いだ合図に、フェイトの足の下、四角形を基調とした魔法陣が展開された。続いて彼女の身を包んだ眩い金色の光が恭也の眼を焼く。

「何を……? なっ」

 

『Set up, Impulse Form』

 

 目の前、フェイトの服装が一変していた。

 すっきりとした、それでいて固い雰囲気の軍服じみたダブルのピーコートは、膝元まであるロングだが前面は大きく開いて腰から下を露わにしている。

 そこから見えるのは非常に丈の短いショートパンツ。

 膝上までソックスが伸びているため、露出しているのは太ももの一部だけだが、動きやすそうな印象で。

 

『and Pursue Mode』

 

 しかし、恭也に衝撃を与えたのはそれではない。

「それは……」

「計画も設計もずっと前からやっていたんです。ずっとずっと、こうしようって思っていたんです」

 フェイトの手に握られているのは、二本の剣。

 いや、細く、薄身で片刃のその姿は、刀と呼ぶのがふさわしいのだろうか。

 魔力刃でなく、黒い黒い実刃の刀。全体の長さは小太刀の背丈。

 幾何学的な文様が金色を帯びて浮かぶ刀身、戦斧の頃の面影が見える鍔やエンドが太くなっている柄に普通の刀との差異が強く現れている。

 鍔に嵌っているのは金色の光玉。それは間違いなく、この二刀がフェイトの相棒、寡黙な忠臣バルディッシュである証。

「こんな事をするのが、私なんです」

 その姿に。

 その確言に。

 ようやっと、恭也も理解する。

 飲み込む。

(……晶、なるほどお前の言うとおりのようだ)

"俺が今日言いに来たのが何かって言えば――諦めて下さいって事です"

 晶のそんな諫言が、脳裏でリフレインする。

 目の前、金色を揺らす少女が、揺れない紅い瞳でこちらを射抜きながら構えを取った。両足を軽く前後に開き、腰を落とした臨戦態勢。二刀の内、引いた片方は胸の辺りまで上げて、出した片方は腰付近まで下げている。

 それはきっと見よう見真似の、しかし基本に忠実な、二刀の姿勢。

「お願いします、どうか、愚かな挑戦をお許しくだ――」

「握りが、違う」

「……え?」

 今にも飛びかからんとするフェイトへ、力みもなく歩み寄り、恭也は前に突出された右の刀、それを携える右手を上から握る。

「親指と人差し指にはこんなに力を入れる必要はない。柔らかく、添えるようにだ。小指薬指で支えるつもりで握れ」

「あ、え、……こ、こうです、か?」

「もう少し、小指も薬指も力を抜いていい。力みがあれば柔軟性が落ちる。柔軟性が落ちれば速度も落ちる。速度が落ちれば、わかるだろう? 次に落ちるのは己の首だ。指の力加減一つで、自分の生死が決まると思え」

 彼女の右手から手を放しながら、その眼を見据えて恭也は言った。

「君がもし、剣士たらんとするならば、の話だがな」

 恭也の方からは、月明かりを背にしていた彼女の表情はなかなか見えにくかったのだが、この距離なら流石によくわかる。

 形の良い大きな瞳が、見開かれていた。

「い、いいん、ですか? 私、勝ってもいないのに……」

「諦めない人間に、そんな条件を付けても無駄だ」

 あれは、諦めさせるための条件。

 決して諦めない類の人間には、結局何の意味もない。時間を無駄にするだけだ。

「そして、良いかどうかはこちらが聞きたい。こんな剣が、本当に良いのか? こんな剣で、本当に良いのか?」

 恭也の中にある、御神流への意識が変わったわけではない。この剣の穢れは、否定出来ない。

 これを御神や不破の人間以外に触れさせる事への忌避は、未だにある。

「はい。それが貴方の剣ならば」

 だけど、この剣にどうやら輝く何かを見て取るらしい存在は、穢れと同じくらいにきちんと、認めなければならないのだろう。

「……全く、君がこんなに馬鹿だったとは思わなかった」

「ごめんなさい。私、結構馬鹿なんです」

「そのようだ……なあ、フェイト」

「はい」

「強くなったな。……よく頑張った」

「……あ」

 恭也のそんな言葉に、しばし呆然とした後、やがて目の前の少女が返した笑顔は、目端に涙の浮かんだその笑みは。

 宵闇にそっと寄り添うように、たおやかでひどく美しかった。




・恭也さんが右膝に完全に慣れれば、御神の剣士三人組の実力は五分かなと思います。誰に聞いても「自分が一番弱い」と言うじゃないすかね、この人達。

・爆弾発言in宴会。恭也さんが自分で思う、『自分と合うだろう女性』が美沙斗さん、という感じです。

・攻略講座、僕は攻略サイトとかそういうのを見てプレイしちゃう派なのであまりお世話になった事はないんですが、ありましたよねとらハ3に。

・なのはとフェイトの鍔迫り合い二回戦ですが、正確にはこれは三回戦。次で一回戦の話をします。

・Pursueモードについて
 オリジナルだよ、すまんな……。オリジナル設定を出すこの罪悪感な……。ライオットザンバー・スティンガーはリミットブレイクだから常時出すには向かないし、実刃じゃないし、という事でフェイトが御神流を振るうためのモードとして新しく登場しました。
 魔力を通すと刃が電撃を纏い、徹と合わせて二重に相手を痺れさせる斬撃を撃つことが可能。実刃の先に魔力刃を作って刀身を伸長させる事も出来る。とは言え、基本的には魅月ほどではないにせよ、身体強化・斬撃強化魔法の効力を増幅するためのモードです。
 Pursueは【追いかける】【追い求める】という意味です。

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