魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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 この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。


第19話 世界で一番

「おししょ、何されてるんですか? ……パンフレット?」

「管理局の資料だよ、入局案内だ」

 恭也が居間のテーブルに広げた冊子、それはレンに告げた通り、以前リンディにもらった管理局の入局案内だ。

「はえー、何ですか、じゃあおししょ、管理局入られるんですか?」

「いや、わからん。とりあえず選択肢の一つとしてな。早く決めなければならないから、考えようと思って」

「早くって、なんでですか? 将来の事なんですから慎重にゆっくり決めたらええと思いますけど」

「……そういうわけにもいかんだろう」

 恭也はため息を吐く。

「母も妹達も揃ってしっかり働くか学校に行っているというのに、俺一人がいつまでもぷらぷらとしているわけにはな」

 桃子は翠屋、美由希は香港警備隊、レンと晶は海鳴大学、なのはに至っては中学校に通いながら管理局で働いてもいる。

 それに比べて、なんと自分の情けない事か。

「……美沙斗さんとの修行も、一応終わった事だしな」

 その瞬間は実にあっけなく訪れたものだった。

 

『うん、やはり大して教える事はなかったね。本当に調整くらいだ。しかしともあれ、――これで君はもう文句なく、完成された御神の剣士だよ、恭也』

 

 二週間ほどの修行を終え、そう言って美沙斗は太鼓判を押してくれた。

 御神の剣士としての完成。

 まさか、その日が来るとは思っていなかった。

 ぼろぼろと涙をこぼし始めた美由希を見て、ようやく実感が湧いたものだ。

「おししょがおっしゃる事もわかりますけど、せやけどなあ」

 ううんと、レンは腕を組み難しい顔をする。

「ちょお考え方を変えてみてくださいよ、おししょはね、五年間の昏睡からやっと目覚めてまだ一ヶ月も経ってないんですよ?」

「……ん、まあ、それはそうだが」

「普通なら社会復帰なんてまだまだ先の話でしょう」

「そうか? 二週間三週間も休めば十分だろう、身体は健康そのものなんだし」

「タフ過ぎますよ、その感覚」

 呆れた顔でレンは苦笑する。緑がかった艶やかな長い髪が、仕草とともに美しく揺れた。

「無理に働かんでも、なんやったらうちが養ったりますよ」

「学生のうちからヒモを飼う気か、お前は」

「おししょなら大歓迎です」

 まさか本気ではないだろうが、ころころと笑う彼女が変な男に騙されない事を祈る恭也だった。

「……ん、誰か来たな」

「おししょがおると玄関チャイムがお払い箱やなあ、うちが行きます」

 恭也の言葉に3秒ほど遅れてチャイムが鳴るが、そのときには既にレンは玄関へ歩き出していた。腰を浮かせていた恭也だが、言葉に甘えて座り直す。

(……管理局、か)

 パンフレットの説明に意識をまた移して、ううんと一つ唸る。

 その業務内容は非常に多岐に渡っている。全体を観れば、管理世界の秩序を守るという文言に集約するのだろうが、国や世界間の調停、環境や生態系の保護、犯罪者の摘発から犯罪組織への対策などなど、本当に多種多様だ。

 リンディは万年人手不足と言うが、それはまあそうなるだろう。

 とは言え、自分が果たして雇ってもらえるかどうかはわからないのだが。

「どうだろうなあ」

 荒事には慣れているし、一応魔導師ランクも高いものを貰ってはいるが、とは言え魔法世界群に対しての知識が浅すぎる。

 常識がないという事で、落とされるかもしれない。

「おししょー、お客さんですよー」

「お邪魔してますー、恭也さん」

 考えこんでいると、リビングへレンと新たな人影がやってきた。

 二人が並ぶと、恭也としては新旧鳳蓮飛と呼びたくなる組み合わせ、つまりやってきたのははやてだった。

「恭也さん、今、なんか変な事考えてませんでした?」

「いや」

 鋭い指摘を何喰わぬ顔で躱す。レンも訝しむような目をしている。

 話題を逸そう。

「どうしたんだ、はやて。なのはなら今日は管理局だぞ」

「ええ、知ってます。桃子さんにお土産をと思って」

 はやての両手には白い紙袋が下がっていた。そこそこかさばっているようだが、重くはないらしく、彼女は軽々と掲げてみせる。

「私、任務や何かで色んな世界に行くことがあるんですけど、そのときに名物のお菓子があったらいつも買って来ているんです」

「そうだったのか、それは済まないな……」

「いえいえ、自分の分と一緒ですから」

 それは確かに桃子の喜びそうなお土産である。はやては気が利くなと、感謝と感心しきりの恭也だったが、レンはなぜか「したたかやな……!」という感想を漏らしていた。

「というわけで、これ、よろしかったら」

「ああ、ありがとう」

「うちが仕舞っときます。お茶出すからはやてちゃん座っててな」

 レンがはやてから紙袋を受け取り、台所へ。ついでに給仕もしてくれるらしい。レンのそんな気遣いぶりは、5年前となんら変わっていない。

 お構いなく、いえいえと日本人的なやりとりをレンと交わしながら、はやては恭也の対面に腰掛けた。

「あれ、恭也さんこれ」

「ああ、管理局の入局案内だ」

「……いやいや」

 はやては、冊子を見るなり渋い顔。

「どうした?」

「いえ、これ、……ああ、もしかして5年前にもらったものですか?」

「そうだ」

「道理で。間違っているわけじゃないんですけど、いろいろ古かったので」

「……古い、そうか、そうだな」

 5年、それは致命的な違いが出るほどではなかろうが、しかし新設や解体となった部署があってもおかしくない年月だ。

「ちょっと待って下さいね、最新版を」

 はやては端末を取り出すと、空中にスクリーンを投影し、何やら素早く操作し始めた。

「何度見てもSFやなあ、それ」

 お茶を淹れてきたくれたレンが、湯のみを各々に配りながらそんな風に零す。

「すまんな、レン」

「ありがとうございます、レンさん」

「いえいえ。それ、料理するときに便利そうやなあ。スクリーン浮いてくれてたら、レシピ見やすくて」

 恭也の隣に腰掛けながらの彼女の感想は、実にらしかった。

「そうそうそうなんです、結構重宝してますよ。……あったあった。ローカルに落として、表示っと」

 恭也達にも見やすいようにだろう、机に広がるように画面が映しだされた。時空管理局入局案内の文字が書かれた表紙が、テーブルの木目の上で存在を主張している。

「これが最新版です。あとで紙媒体のも持ってきますね」

「すまんな、助かる。やっぱり、こういった形で見るのが今は主流なのか?」

「ええ、これなら動画データも映せますしね」

「なるほど……」

 確かに、それは紙媒体では無理な話である。

「折角ですから色々見てみましょ。恭也さんが入りそうな部署というと……まずはここですね、航空武装隊」

 はやてが手元のコンソールを操作し、ページをめくる。青空を駆ける魔導師達の映像が流れ始めた。

「実戦レベルで空を飛べる魔導師は割りと少ない上に危険な任務も多いので、少数精鋭の隊です。武装、なんて言うだけあって、任務は専ら戦闘系ですね」

「飛べる魔導師は少ないのか?」

「ええ、少ないですよ。先天的な資質がある人間がまず少ないですし、後天的に飛べるようにするのも大変ですから」

 魔導師と言えば、恭也にとってはなのはやフェイト、クロノ達なので、それはかなり意外な事実だった。

「おししょは、じゃあ飛べるんですか?」

「ああ、一応な」

「まあ恭也さんは飛ぶっていうか、足場作って跳んだ方がはるかに早いですもんね」

「脚には自信があるからな」

 恭也の言葉に、「そういうレベルでは最早ないです」とはやては苦笑を返した。

「ともあれ、結構狭き門の部隊ですけど恭也さんなら余裕でしょう。私達の周りではシグナムとヴィータが入ってます。特にシグナムはここの首都航空隊っていう、航空武装隊の中で一番責任が重くて、一番精鋭が集まるところに。そこで分隊副隊長やってます」

「流石はシグナムだ」

 感心のままに一つ頷く。彼女ならば納得だ。

「私としては、結構ここは恭也さんの気質に合うんじゃないかなあ思うんですけど、ただ、戦闘スタイルを見るともしかしたらちょお微妙かもわからないですね」

「微妙、とは?」

「ここは少数精鋭とは言え、それでもやっぱり部隊全員で連携を取って一丸となって戦うようなスタイルでして、それは隊として当然なんですけど、恭也さんの最たる強みの一つって、私としては単独の戦闘能力だと思うんですね。問答無用に一人で強い、反則レベルの個っちゅうか。それがここだとなかなか活かされないかなあと」

「……なるほど」

 はやての評価はさて置くとしても、確かに御神流剣士の戦闘方針は大人数で組んで戦う事を主眼においていない。基本的には一族だけしか使わない、使えない剣術であるが故に当然の事だ。

 あくまで個で護り、個で討つ。頼れるのは己のみ。

 それが基本理念だ。

「そう言われれば確かに、集団相手の戦闘は得意だが、逆に集団となっての戦闘は不得手だな」

「そうですよね、そういう観点で言うと……」

 はやてがまた、手元のコンソールを操作。ページがめくられた。

 遺跡へと慎重に突入する局員の映像が流れる。

「古代遺物管理部、なんていいかもしれません。ロストロギア対策の部署です」

「ロストロギア、夜天の書のような」

「そうです。なのはちゃんが魔法に初めて関わる事になったPT事件のジュエルシードもそうですね。ああいった超常の力を持った古代文明の遺産、それには危険なものも少なくありません。……恭也さんに私が今更言う事ではありませんが」

 言いながら、はやては目を伏せた。

「言ったぞ、気に病むなと。はやて、それでその古代遺物管理部は俺に合っているのか?」

 強引に話を進めた恭也に、はやては申し訳なさそうに微笑んで、質問に答える。

「ええ。ここは戦闘が主任務なわけやないですけど、取り扱うものが取り扱うものなんで危険が多いんです。ですから、強い人間はいつでも欲しい。特級の危険物であるロストロギアに、それを狙う危険人物の相手もしなければなりませんから」

「ああ、なるほど」

 ロストロギアだけでなく、それを狙う者の対処まで管轄内となると、なるほど確かにそれは戦闘能力も必要になるだろう。

「その上、大人数がまとまって事に当たる性質ではありません。現場に出て戦闘をこなせる種類の人間がどうしても武装隊と比べて圧倒的に少ないっちゅうのがまずありますし、どんな事態を引き起こすかわからず、迅速に対処しなければならないロストロギア相手には、1の力を持った1000人よりも、1000の力を持った1人が必要とされる事が多いですから」

「事態が一人ひとりの手に負える規模から大きく逸脱してしまえば、どれだけ1の力を持つ人間の数が多くても意味はない。加えて1000人全員を事態が発生した現場へ臨戦態勢ですぐに揃えるというのがそもそもなかなか現実的じゃない、という事か」

「そういう事です」

 確かに、夜天の書の事件でも武装隊は力を貸してはくれていたが、状況を左右する一瞬で力を発揮したのは、なのはやフェイト、クロノや、おこがましい事を言わせてもらうならば、自分だった。

「それから、ロストロギアがどんな事態を引き起こすか中々予想し切れませんので、現場では高い対応力が必要になってきます。恭也さんは使える魔法の種類こそ多彩ではありませんけど、神速やSCLがありますから、突発的な事態にはめっぽうお強いです。そういった所も、ニーズと非常に合致するかと」

「なるほど……」

 古代遺物管理部、確かにそこは話を聞く限り自分に合っているように思えた。有力な候補の一つ、としておきたい。

「誰か、ここに入っているものは?」

「所属は周りにはいませんね。ただ、リインがたびたび任務を手伝っています。あの子は自身がロストロギアですから、その縁で。私とユニゾンした時こそ広域特化ですが、普段は器用なオールラウンダーで魔力量も多く、身体も強靭ですからね。活躍しているみたいです」

「そうか、流石だ」

 リインフォースなら確かに、多少の事態であれば顔色一つ変える事なく対処出来るだろう。適役だ。

「あとは単独での戦闘能力が重要というと、何を置いても執務官なんですが……」

「それは無理だ」

 即答の恭也にはやては苦笑。レンが首をかしげた。

「執務官って、フェイトちゃんや前にクロノ君が就いてた役職ですよね? なんでおししょあかんのですか?」

「その二人から前に仕事の内容を聞いた事があるのだが、管理世界関連の法律、法令の知識が山と必要らしいんだ。そもそも執務官試験自体も、難関筆記があるみたいだしな」

「な、なるほど。司法資格みたいなもんなんですね……」

「法に則って状況を解決するのがお仕事ですから、どうしてもそうなっちゃうんです」

 恭也としては、海鳴大学の入学で一杯一杯レベルな自分がまず試験に受かるとは思えない。これは一番ありえない可能性だろう。

「他には、戦闘能力とはちょお違うんですけど、頑強さや突破力、状況把握の能力が大切になってくる特別救助隊っていうのもあります。災害地域なんかに飛び込んで人命救助に当たる部隊です」

「そうか、そういう部隊もあるんだな」

「はい。これは私達の周りで誰が入ってるというわけではないですし、私も詳しくは知らないんですが……こんな感じですね」

 机の上のスクリーンに、どうやら大規模な都市火災が発生したらしい現場の映像が流れる。獣のように暴れまわる炎の中を突っ切って行く局員の姿が見えた。

「おお、かっこええな! おししょ、これ似合うんと違います?」

「救助隊という柄か? 俺が」

「柄ですって」

「いや、ううん」

 唸りはするが、しかしなかなかこれもいい案な気はする。

 単独での突撃や突破は、得意な分野だ。

「航空武装隊に古代遺物管理部、特別救助隊か。さて、どこを希望したものか」

「ああ、待って下さい、一番のお薦めがまだです」

 てっきり選択肢は出揃ったものとして思索を始めた恭也に慌ててそう言って、はやてがコンソールをまた操作した。

 スクリーンへ訓練に励む局員達の姿が映る。だがこの映像の主役はどうやら彼らではない。

「これは、教導隊、だったか? なのはが所属している」

 彼らに指導を付けている教官達こそがメインだ。

「ええ、そうです。航空戦技教導隊、教育隊とはまた別に組織された、掛け値なしのトップエース達、エースオブエースが集う部隊です。5年前、リンディさんが恭也さんへ一番にお薦めしたのもここやったんとちゃいます?」

「ああ、確かそうだったな」

「やっぱり。恭也さんにはぴったりやと思いますよ」

「はやてちゃん、教導隊って結局何してるとこなん? 教育隊とは何が違うん?」

「新人達へ訓練を付けるのが教育隊で、第一線で戦っている隊員達をさらに高いレベルへ引っ張り上げるのが教導隊です。ゆえに、当然ながら非常に実践的な高い能力が必要とされます」

「ほほー、なるほど」

「だからエースオブエースの隊、なんだな」

 つまり、こちらの世界でいうところのトップガンだろう。 

「はい。演習での仮想敵役や局員達への技能指導の他にも、装備や戦闘技法、戦術に戦略のテスト・研究も行っています。戦闘のスペシャリスト集団ですね。任務の際にはもちろん、最前線で最重要な役割に就くことが多いです。飛び抜けて優れているが故に、他の隊員と一丸となるよりも、単独で状況を切り開く力が求められます」

「なんや、ほんまにおししょにぴったりですやん。おししょ、教えるの上手いですし、魔導師としてもアホほどお強いっちゅう話ですし」

「私もそう思います。指導力に単独での戦闘能力、その2つをあんなレベルで揃えている人間はそうはいません。隊切っての名教導官になれると思いますよ」

「買いかぶり過ぎだとは思うが……しかし、そうだな、気性には合っている」

 美由希の師を長年やってきた事で後天的にそうなったのか、それとも先天的にそうだったのか、それはわからないが、人に教えるのは好きだ。

「……いい仕事、だな。俺にはもったいないくらいだが。……やはり、入局の方向で考えてみるか」

「おししょー、うちのヒモになってくれるんと違うんですかぁ」

「……頼むから変な男に引っかかるんじゃないぞ、レン」

「だいじょぶです、男の趣味はええですから」

 悪戯に笑うレン。昔なら、恭也の感覚ではついこの間まではそんな彼女の頭を軽く小突いていたものだが、今の大人びたレンにそれをするのは憚られた。

「……いいんですか?」

 お茶で喉を湿し、手続きはどこですればいいのかなどと考えていると唐突にはやてが問うてきた。

「ん、何がだ?」

「本当に、これは本当に私が言えた事ではないんですが、……魔法と関わった事で恭也さんは5年間を失う事になりました。またそんな事が起きたらって、怖くはならないんですか?」

 それは真摯な瞳の問いだった。まっすぐに射抜くような、おためごかしを許さない言葉。

 湯のみを置いて、彼女を見つめ返す。

「怖いさ」

「……っ」

「だが、怖い事だとわかっていればいい、覚悟が出来るからな。安全だと思って、安心だと思って足元が崩れるよりは、きっとよっぽどいいだろう」

「……相変わらず、お強いですね」

「図太いのさ」

 危険な仕事だと言うのは、わかっている。もちろん管理局の仕事の全てが危険なわけではないだろうが、自分の希望する場所は、そして自惚れた言い方をするなら自分を希望してくれる場所も、安全とは程遠いはずだ。

 しかし言ってしまえば、そんな生活は恭也にとってあまりに身近だ。

「それに、俺の元々の仕事場はミスを犯せば達人だろうが一撃死がありうる世界だ。そこと比べればバリアジャケットにシールド魔法、回復魔法に非殺傷設定なんてものも場合によってはあるんだ、温いとは言わんが、悪い条件じゃない」

「……はい」

「それから、はやて。俺は5年間を失ったとは思っていない。身体は老化していないという話だし、寝ていた間に逃したものはこれから取り返せばいい」

「……」

「生きているんだ、それだけで望外さ。嫌味じゃないぞ」

「……はい」

 微笑みを見せてくれた彼女の顔には、それでもやり切れない色が乗っている。

 全部吹っ切れてくれなんて、やはりそれは望み過ぎなんだろう。

「それからまあ、なんだ、……俺に何かあったら、君たち八神家が助けてくれるんだろう?」

 だけど、少しでもその罪の意識は軽くして欲しい。それくらいは、願ってもいいはずだ。

「は、はい! それは、必ず!」

「だったら何を不安に思う事もない。頼りにしている」

「……はい!」

 今度の笑顔は、さっきよりも明るかった。

「しかしあれですな、教導隊に入るとしたらおししょ、なのちゃんの同僚になるんですね。喜ぶやろうなあ」

 レンが少し重くなった空気を払うように言った。

「そうだな、というか後輩か」

「なのはちゃんなら嬉しそうに手取り足取りべったりと教えてくれますよ。目に浮かぶようです」

「……べったり、か」

 はやての言葉に、少し唸る。

「おししょ? どうしました?」

「いや、そのなのはの事なんだが……やはり、寂しい思いをさせてしまっていたのだなと思ってな。べったりと言うのが適切かどうかはわからんが、昔よりもずっとスキンシップが激しくなったろう」

「あ、あー……」

「そ、そうですね……」

 レンとはやて、二人から返ってきたのは微妙な反応だった。

「どうした?」

「いえ、おししょ、あれをそういう風に捉えているんだと思って」

「それ以外に何がある?」

「いえいえ、ええんですけど」

 ずっと寂しくさせていた反動だろう、近頃のなのはは驚くほど距離を詰めてくる。

 しかしその片鱗は思えば5年前、あの事件の渦中で見えていたと言えるだろう。

 それこそ、驚きの『触れ合い』をしてきたものだ。

 状況が状況だっただけに、いろいろと爆発してしまった結果なんだろうとは思うが、しかし、大人びていると思っていた末妹が、感情が高ぶると過度なスキンシップを取る性質だというのは正直、知らない一面だった。

「しかしなのちゃん、最初こそあれでしたけど、本当におししょが帰ってきて幸せ満開ですよね。感無量ですよ」

「……やはり、寂しくしていたのか? 俺が寝ている間」

「寂しく、っていうか……」

 レンはそこで言いよどんだ。そして少しばかり考えた後、こんな事を言い出した。

「ねえおししょ、三年くらい前にあった話、知っています?」

「三年前? ……何かあったのか?」

「あー、……やっぱり誰も話してないんやね」

 レンのその言葉は独り言のようで、はやてに向けた言葉のようでもあった。それを受けて、はやてが言う。

「いい機会やし、お話しておいた方がいいかもしれませんね」

「……何か、あったんだな?」

「はい。私は結局、何も出来ずに見ているだけでしたけど」

 はやてが自嘲気味に零す。レンも「うちも同じです」と続いた。

「……あの、恭也さん。先にこんな事を言うのはあれですけど、どうかなのはちゃんを怒らないであげてくれますか」

「なのはを?」

「はい。それくらい、追い詰められていたんです。……追い詰めていたんです、自分自身を」

 言葉から、声のトーンから、ただ事ではない何かがあったのだと悟った恭也に、はやてはそれを告げた。

「なのはちゃんは自殺未遂をしているんです、今までに、二回」

 

 

 

「なのはちゃんは自殺未遂をしているんです、今までに、二回」

 表情をあまり面に出さない彼の顔がはやての目の前、わかりやすいほど驚きに染まった。

 慄いたと、そう表現したっていいんだろう。

「自殺、未遂……それも、二回だと?」

「はい。一回目は、恭也さんが書の闇のコアを破壊した直後、グレアムおじさん達が冷凍睡眠による治療法という選択肢を持ってきてくれる前です。恭也さんの命が絶望的だとわかって、恭也さんの遺した言葉を聴き終えて、それで」

「……」

 顔色を失くして、絶句する恭也。

「『私も一緒にいく』、そう言っていました。それから砲撃魔法で自分の頭を撃ち抜こうと」

 降りた長い沈黙の後、絞り出すように彼は呟く。

「……なんて、馬鹿を」

 テーブルの上に置かれた手は、真っ白に握りしめられていた。

「誰か、止めてくれたんだな?」

「リンディさんとユーノくんです。飛びついて、身体を抑えてレイジングハートをむしり取りました」

「……礼を、言いに行く。それで……それが一回目? 二回目も、あるんだな?」

「……はい」

 痛みに耐えるような彼の口調に、この話はするべきでなかったかと思って、しかしその考えはすぐに捨てた。

 誰かがきっと、あの日のなのはの苦しみと選択を彼に伝えねばならず、それはせめて、リンディやユーノ、そしてフェイトのように動けなかった自分が請け負うべき事だと思う。

「二回目は、先ほどレンさんが仰っていたように、今から三年ほど前の話になります」

 恭也へあの日の事を正確に告げるために、はやては自らの記憶へ潜る。

 三年前、白い廊下がその起点だった。

 

「ヴィータは!? ヴィータは大丈夫なん!?」

 本局の医療センター、そこへはやてが駆けつけた時にはすでに処置室でヴィータの治療は始まっていた。書の管制担当であるリインフォースと治療担当であるシャマルも中へ入り、彼女の修復へ尽力しているとの話だった。

「主はやて、我ら守護騎士は頑丈に出来ております。ご心配なく」

「主を残して一人去るような不届き者は、我らの中にはおりません」

 血の気の引いた顔で、処置室の扉の前、固まっていたはやてに声をかけて来たのはシグナムとザフィーラだった。

「……で、でもヴィータ、大怪我やったって」

「主はやて」

 すっと、シグナムが床に片膝を突いてはやてと目線を合わせる。

「詳しい状況はまだ私も知りませんが、任務の最中、出現したアンノウン機の攻撃からヴィータはなのはを庇って負傷したようです。つまりあいつにとって――我らにとって、それはこの上なく本望な傷です」

 家族の危機にみっともなく煮立っていた頭が、その言葉でクリアになった事を、よく覚えている。

「我らが今、こうして主に仕えていられるのは、なのはやテスタロッサ、当時のアースラクルーの面々、そして誰よりあの騎士が、あの日救ってくれたからです。その恩に少しでも報いる事が出来るのなら、たとえ腹に風穴が空いたとして、それが一体何でしょう。首と胴が離れても、きっと我らは後悔しません」

「シグナム……」

「ヴィータとは長く共に戦ってきました。あいつの気持ちは、私にはよくわかります。すぐに元気な顔で今の私と同じ事を言うはずです。ですからどうかその時まで、お待ちください、我が主よ」

「……うん」

 あまりに清廉なその声音に、言葉に、はやては迷わず頷いた。

 なのはを庇った。それはきっと、シグナムの言うとおりヴィータとしては本望のはずだ。自分がその場にいても、同じ事を迷わずしていると言い切れる。ヴィータほど上手くは出来ないだろうけど。

 彼女は強く、そしてシグナムの言葉を借りるならとびきり頑丈だ。夜天の書が完全な形でその機能を発揮している限り、普通の人間とは比べ物にならない頑強さを誇る。

 大丈夫、大丈夫だ。

 深呼吸、一つ。

 震える手を足を、視界を安定させた、その時だった。

 

「ヴィータ、ちゃん……」

 

 背後から、幽鬼のような声がした。

 揺れて、かすれて、それでもなおはっきりと聞こえる濃さを有した、そんな音色がはやての背を粟立たせる。

「……なのはちゃん? だ、駄目やろ、検査はどうしたん?」

 よろよろとこちらへ歩み寄ってくるなのはは、目立った傷こそないが消耗し切っているはずなのは確かで。

 どう考えても、普通はベッドで横になっていなければならないはずで。

 そして、そんな体調云々を抜きにしたって。

「ヴィータちゃん、ヴィータ、ちゃん……」

「……なのはちゃん、落ち着いて」

 安静にさせなければならないと、彼女が浮かべている表情はそう思わせるに十分なくらい危険な色をしていた。

「ヴィータは大丈夫やから、な?」

 自らの声音を出来うる限り安定させて、なのはに呼びかける。対応を誤ってはならないと、はやての頭には大音声で警鐘が鳴り響いていた。

 彼女の、なのはの表情は崩れそうな壊れそうな、いや。

「わ、たし、だ」

 壊れ切ったようなと、そんな表現がもしかしたら適切なのかもしれない。

「わたし、だ。また、わたしだ」

 だって、今日のこの事を抜きにしても、高町なのはは誰の目から見たって、もういつ限界を迎えてもおかしくなかったのだ。

「なんでわたし、また、また、わたしが」

 自分を追い込むだけ追い込んで、自爆技のような秘技まで身につけて、彼女は彼女を磨き上げている。その研磨は、削っていると言ってもいい荒々しさであり、何が削られていたのかといえば、

「あ、あああ……」

 それは取りも直さず、彼女の精神。

「あああ……あああああああっ」

「なのはちゃんっ! ……くうぅ!」

「なのは、落ち着け!」

 吹き荒れる魔力による暴風。荒ぶった感情が時折起こす事のある、強い魔力を持つものゆえの現象。

 なのはが、その場に崩れるように両膝を落とした。風をかき分けてなんとか駆け寄ろうとするはやての頭に、一つの最悪な予想が生まれる。

 おそらくは持って生まれた頑強さと要領の良さでこれまで破綻せずにやってきたが、しかし。

 ギリギリの所で保たれていた彼女の心のバランスを、今回の件は奈落の方向へと傾けてしまったのではないか――なんて、そんな。

「……はやく」

「なのはちゃん?」

「だめだ、やっぱりだめだ。だめなんだ。はやく、はやく」

 そんな予想は、多分大当たりだった。なのはの下まであと三歩、四歩、そんな距離で。

「わたしがしなないと」

 なのはは左手の人差し指を自分のこめかみに向けた。その先端には桜色の光が灯っている。

 宿る光、感じる魔力から察するに、それは細く小さいが砲撃魔法で。

 この至近距離、バリアジャケットも展開していない人間の頭一つくらい吹き飛ばすのにはあまりにも十分。

「あかんっ! なのはちゃん!」

 到達威力が高く、その代わりに立ち上がりが最高に遅い自分の魔法適正が今、とてつもなく恨めしかった。

 強引に突破しようにも魔法で妨害しようにも、自分の速度ではあの光の炸裂に間に合わない。

「なのは! 止めろッ!」

 後ろのシグナムも、はやてほどではないが初速には優れないタイプ。足に魔力を纏わせて踏み込みの準備をしてはいるが、遅きに失するであろうことは明らかで。

「ディバイン、バスター」

 二人はなのはの指先から光が放たれるのを、見ているだけしか出来なくて。

 そのまま、なのはの頭が飛ぶのを見過ごす事に、

「……?」

 ならなかった。

「……あ、れは」

「……テスタロッサ!」

 なのはの頭と指先の間、奔った桜色を遮ったのは金色の膜。

 気配もなかった所から驚くほど早く発動された魔法、そしてその魔力光の色。発動者は、シグナムの叫び通りの人物だった。

「病室から居なくなったっていうから、探しに来て正解だった」

「……フェイトちゃん!」

 はやての声の先、なのはの向こう側に居たのは、肩を上下させながらこちらへ手を翳した金髪の少女。

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンだった。

「ここかなと思って追いかけてきたけど、やっぱりだったね」

「……フェイトちゃん? なんで?」

 振り返りながらフェイトへ向けたなのはの声は、背筋が寒くなるくらいに素朴だった。どうして邪魔をしたのか、ただただそれを問うているだけの声。彼女の凪を表すように、吹き荒れていた魔力風も止んでいる。

「なんで? ……か」

 そんななのはの下へフェイトは無表情で歩み寄って。

 

 彼女の方へ身体ごと向き直っていたなのはの顔面を、握りしめた右拳で思い切り殴り付けた。

 

「うわ、わわわ……」

 肉が肉を、骨が骨が撃つ鈍い音。自分の口からは情けのない声が漏れた。

 フック気味のその一撃はなのはの身体を横の壁際へと吹き飛ばして。

「なんでは、こっちの台詞だ」

 壁を背に、そのままずるずると座り込んだなのはへ殺気すら感じる凄みを織り込んだ声でフェイトは言った。

「今、何をした」

「……わたしがいたら、また誰かがきずつく。だから」

「へえ」

 先ほど殴った方とは今度は逆サイド、またしても強烈な一撃を見舞うフェイト。

 そしてそんな拳を喰らっても、

「……叩くのは、いいけど。でも、じゃまをしないで」

 なのはの眼はただただ虚ろだった。怒りも憤りも、何も感じていないのだろう。

「よく見ていろ。私は二発、君を殴った。だから」

 そんな彼女に淡々とした、しかし内に激情を湛えた声でそう言うフェイトは、一つの光球を作り出した。そして、

「……え」

「……っ」

 拳大のそれを高速で飛ばし、自分の顔面を殴りつけた。

「フェ、フェイトちゃ」

 戸惑うなのはに構わず、もう一発。躊躇なくフェイトは自分の魔法で自分を殴る。拳大のそれには、おそらく彼女得意の電撃等は付与されていないように見えるが、それゆえに純粋な物理衝撃は相当なものだろう。

「いいか、なのは」

「フェイトちゃん、なにを……っ!?」

 止めようとするなのはをバインドで拘束し、また殴り付けるフェイト。

「フェイトちゃん! やめて!」

 そしてすぐさま、自分の顔面を同じように、もしくはそれ以上の威力でもって光球で殴打する。

「やめて? そんなの、聞くと思うか」

 それからは、もう数えるのも嫌になるくらい鈍い音が鳴り響いた。

 フェイトがなのはを殴る音、フェイトが自身を殴る音だ。

 床に壁に、血が飛んで目に鮮やかな赤を散らしていく。

「こ、これ以上はあかんやろ! 止めなっ」

「……お待ち下さい」

 二人の間に割って入ろうとしたはやてを止めたのはシグナムだった。

「シグナム?」

「主はやて、どうかテスタロッサの好きにさせてやって下さい」

「で、でも、あんな事続けてたら!」

「大丈夫です、あいつらはそんなに柔な女ではありません」

 はっきりと揺れない口調のシグナムは、凛とした眼で二人を見つめている。その落ち着き払った態度に、結局はやては従う事を選んだ。

「……フェイト、ちゃん」

「……くそ、こっちじゃなかったか」

 フェイトの拳が目の前にいるはずのなのはの横を通り、壁を殴りつけた。

「光球が顎に当たった事で軽い脳震盪を起こしているんでしょう。おそらく、今のテスタロッサにはなのはが二、三人見えていると思います」

 シグナムが冷静に、そんな解説をくれた。

「フェ、フェイトちゃん、お願いだから、もう、もうやめて」

「……」

「なんでフェイトちゃんが、フェイトちゃんを殴る必要があるの……? 私だけなら、いくらだって殴っていいから……っ」

 今度の拳は、無事と言っていいのかどうかわからないが、なのはの頬を捉えた。

「やめるわけ、ないだろ」

「フェイトちゃん……お願い」

「うるさい」

 鋭い拳が、また閃く。欠かさず続けているらしい鍛錬の成果だろう、脳が揺れていてもなお、鋭く奔っている。

「フェイド、ぢゃ……」

「痛いか?」

 怒気満ち満ちる声で、フェイトは言う。

「痛いか? ……友達が目の前で傷ついてるのを見るのは、痛いか」

「い、痛いよ……!」

「……そうか、痛いか」

「っ!」

 もう何度目か、なのはを殴り、自身を殴るフェイト。

「理解しろ。君はさっき、その最上級をやろうとしたんだ……!」

 血を吐くような口調には、マグマのような熱が篭っていた。

「ふざけるな! 何が、何が自分がいたら周りが傷つくだ! それで君が自分で死んだら、それこそ! これ以上なく私達は傷つくぞ!」

「……あ」

「なんで、なんでそんな事、なんで言われなきゃわかんないんだよ!」

 怒号と共に打撃が飛ぶ。「拳にも、多分そろそろヒビが入っているでしょう」とシグナムが呟いた。

「……それに! それに!」

「う、……うう」

「それに! そんな事、もしそんな事になったら! ――あの人はどうなる!」

「……っ!」

 咆哮というべきその声は、びりびりと空気を震わせる。

「生命を賭けて私達を守ってくれたあの人の、あの日の事を、無駄にするつもりか!?」

「……うう、あ」

「それで、それで!」

 フェイトは、大きく腕を振りかぶる。

「それであの人が起きたその時に! どんな気持ちになると思ってるんだ!」

 ブオンと音を鳴らして振るわれた拳は、空を切った。フックの軌道だったからだろう、壁にも当たらず横に抜ける。

 そのままフェイトは体勢を崩した。床に膝を突く。

「……テスタロッサ、もういいだろう」

 そんな彼女に、シグナムが寄り添った。肩に手をやり、優しく声をかける。

「なのはも、お前の言うことをわかったろう」

「……まだです」

 顔を腫らして、眼の焦点は怪しく、膝は笑っているけれど、それでもフェイトは立ち上がった。

「テスタロッサ……」

「フェ、フェイトちゃん」

 シグナムとはやてには目もくれず、フェイトは再度、なのはの前へと立った。彼女の胸ぐらを掴む。

「……この、大馬鹿」

「…………う、あ」

「わかれよ……」

 フェイトの肩の震えは、どうやら怒りだけではなく。

「わかれよ、わかれよ、わかれよぉ……!」

「う、うう……」

「それぐらい! それぐらいわかれよぉ! なんでわかんないんだよぉ! 君が一番! 世界で一番!」

 

 あの人に愛されているくせに。

 

 血を吐くように発されたその言葉は、今日で一番悲痛な色をしていた。

 ぽたりと床に降りたのは、フェイトが眦から溢した雫で。

「あ、……あああああああああ」

 なのはが抑えきれずに落とした感情の塊。

 彼が遺したあの言葉を聞いてから、今までどんな傷を負ったって堰き止めていた禁断の雫。

「……泣きたいなら、そうやって素直に泣けばよかったんだ」

「で、でも、でも、わだし、な、ないちゃだめ、だって」

「恭也さんが言ったのは、そんな事じゃないだろ……」

 顔をぼこぼこに腫らして、涙をぼろぼろと流す彼女達の姿はあまりに凄然で。

「泣くのを我慢して笑ったって、あの人は喜ばない……! そんな笑顔、あの人が願った笑顔じゃない……!」

 だからこそ、生々しい熱に満ちていて。

「笑えないなら、ちゃんと泣いて、その後に、ちゃんと笑え……。……私だって、私達だって、っなのはの笑顔が好きなんだよぉ」

「……っ、う、ううううう、ううううううううっ」

 最後の言葉が堤防を壊したのだろう。

「あああああああっ、ああああああああああああ!」

 堰き止められ、胸の内で勢いのまま荒れ狂っていたはずのその激流は、ようやっと世界に溢れる事を許された。

「……行くぞ」

「……うううう、ああああああっ」

 そんな彼女の手を引いて、フェイトは突然歩き出した。空いている手で端末を操作、コンソールを表示させ、音声通信回線開いた。

「こちら、本局執務官テスタロッサ・ハラオウンです。転送ポートの使用許可を」

『かしこまりました。5番をお使い下さい』

「ありがとうございます」

「フェ、フェイトちゃん!」

「テスタロッサ、どこへ行くんだ!」

 はやて達を置き去りに、すたすたとフェイトはなのはを連行と言っていいだろう態で引きずっていく。

「二人とも、待って! あ、で、でも」

「主、将。ここには俺が残ろう。行ってくるといい」

 迷っていると、今まで静かに状況を見守っていたザフィーラがそう言ってくれた。一瞬の逡巡の後、シグナムと視線を合わせて頷き合って、はやてはフェイト達を追って駆け出した。

「テスタロッサ、どこへ?」

「高町家です」

 短く返したフェイトは言葉通り、訪れた無人の転送ポートで高町家へと繋がる座標を入力。

 はやてとシグナムもポートの上へ乗り、四人はすぐさま光に包まれる。

 たどり着いたのは上品で静かな庭先。夕焼けで赤い色に染まっている。

 フェイトはずんずんとなのはを引きずるように進み、戸を開け放ち玄関へ入る。はやてとシグナムもそれに続いて。

「お、フェイトちゃんいらっしゃああああああああああああああ!?」

 玄関先の廊下の上、ちょうど居たらしいレンが尻もちをついて悲鳴を上げた。

「うるっせえぞ亀! 近所迷惑だってわかあああああああああああ!?」

 レンの声を聞いてやってきたらしい晶もほぼ同じリアクションを返す。

「救急箱! 救急箱! 救急箱! 晶君救急箱!」

「ばかやろそんなもんでどうにかなる怪我じゃねえだろああこれ、ああもうこれもうこんなこれ!」

 おろおろおろおろと、うろたえる二人を前に、フェイトは上がり框の上へ放るようになのはを投げた。

 晶が慌てて受け止める。

「フェ、フェイトちゃん?」

「私がやりました」

 それは躊躇いのない、清廉な声音だった。

「フェイトちゃんが……? これ、二人が喧嘩したって事?」

「いえ。私が一方的に……腹がたったので一方的に」

「い、一方的にって、フェイトちゃんもごっつい怪我しとるけど……」

「これも私が勝手にやりました」

 事態が把握できないとばかりに、晶とレンははやてとシグナムに助けを求めるような視線を向けてきた。

 はやてがご説明しますと言うよりも先に、フェイトがまた言葉を発する。

「馬鹿だから」

「え?」「え?」

「この娘が馬鹿だから殴りました」

「……フェイドぢゃ」

 晶の腕の中、涙でぐしゃぐしゃな顔でなのはが呻く。

「馬鹿だから、馬鹿だから、何にもわかっていない馬鹿だから」

 フェイト・T・ハラオウンという少女は、はやての知る限り人を滅多に悪く言わない少女だ。使う言葉も柔らかいものを好んで選ぶ。

「馬鹿だから、……馬鹿だから」

 その彼女が、まっすぐにこんな言葉を発している。唇を噛み締め、肩を震わせ涙を零し、馬鹿だからと言い続ける。

 その姿に、ただならぬものを感じたのか晶とレンは神妙な顔で黙りこみ。

「とりあえず、みんなお部屋に上がってちょうだい」

 そう言ったのは、いつのまにかレンと晶の後ろに立っていた桃子だった。

 

 

 

「はい、これでひとまずは大丈夫よ。でも、何日かは絶対に私のところへ通うようにしてもらうからね? 綺麗な顔に痕でも残ったら大変だもの」

「……ありがとう、シャマル」

「ううん、でも、まったく。拳にあんなヒビまで入れて」

 呆れたように、シャマルは優しく彼女らしい笑みを浮かべながらフェイトの手を撫でる。はやての目に、素直にされるがままのフェイトはどこか小さな子供のようにも見えた。

 医療担当としてヴィータに施せる全てを終えたらしいシャマルが、管制担当として仕事の残っているリインフォースよりも先に治療室を出たのが、ちょうどはやて達がフェイトとなのはを追って行った直後だったらしい。状況をザフィーラから彼女に伝えられた彼女は押っ取り刀で駆けつけてくれて。

 その惨状に大いに顔を厳しくした後(悲鳴をあげなかったのは、さすが普段から怪我を見慣れているだけある)、なのはとフェイトの負傷を全力で持って癒やしてくれた。

「ありがとうね、シャマルさん。それから、ごめんなさい。せっかく治してもらったのに何なんだけど」

「え?」

 桃子はすまなそうに言うと、何について謝られたのか疑問を浮かべたシャマルを置いてけぼりにして。

 スパァンと、それはもう音高く。

 彼女はなのはの治療されたばかりの頬を張った。

「も、桃子さっ」

「ひ、ひぇぇ」

 晶はおろおろと所在なげに手を動かし、レンは桃子の発する刃物のような怒気に身を縮こませた。

「ふざけた真似をしてくれたわね、なのは」

「……ごめん、なさい」

「……っあんたねぇ!」

 正面、正座で俯いたなのはの胸ぐらをひっつかみ、上を向かせて桃子は吠える。はやての見たことのない、それはそれは険しい顔で。

「あんたねえっ!」

 心の底から怒っているような、

「あんた、あんたねえっ、なのは! あなたねえ!」

「おかあ、さん……」

 魂全部で泣き叫んでいるような、そんな顔で。

「どうしろって言うのよぉ!」

「……おかあ、さん」

「どうしろって言うの!? あなたが、あなたが、――あなたまで!」

「ごめんっ、なさい……!」

「あなたまで……あなたまで私を置いて行っちゃったらぁ!」

 桃子は崩れ落ちるように、掴んだなのはの胸に顔を埋めた。

「どうしろっていうのよぉ……!」

 震えるその背中は、あまりに小さい。

「……もうあんな想いはたくさんよ、嫌よ、勘弁してよぉ」

「ご、ごめん、な、さいぃ!」

「許さないわ、許さないわよ……私より先に死んだりしたら許さないんだから!」

 リビングの隅、飾られた遺影が目に入る。そこに映っているのは、彼女の最愛の人だ。

 そしてそれによく似た人もまた、永遠に、ではないにせ、今ここにはいなくて。

「例えどんな事したって、私はあなたの味方よ……! 例えどんな事したって、私だけはあなたを絶対抱きしめたげるわよ……! だって、私の子供だもの! ……だからさぁ!」

 くぐもった声が、静寂のリビングに響く。夕焼けの赤はそろそろ、夜の宵闇に出番を渡す頃合いだ。

「だから、だから、親より長く生きるって、私より先に逝かないって、それくらいの義務は果たしてよぉ!」

「ごめなざいいいいっ、おかあさぁんんん……っ!」

 二人の母娘は、わんわんと。

 声が枯れるまで泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……おにいちゃん? どしたの?」

「いや」

 真冬の凍えるような縁側でお茶を楽しんでいる恭也の隣、妹が自身をみつめる視線に疑問の声をあげた。

「……その、な」

 恭也がはやて達に五年前の事、そして三年前の事を聞いたのは昨日。

 今に至るまで結局、恭也はなのはにその話を出来ないでいた。

「寒くないのか? こんな所にいて」

「寒いよ、でもくっついていれば暖かいから」

 その身体を恭也にべたりとつけて、なのはは柔らかい笑みを浮かべる。

(なのは、か)

 なんて、愛おしいのだろう。

 そんな事は今更確認するまでもない。

 この娘は生まれた時から、否、生まれる前から、恭也にとっては自分の愛を際限なく注ぐ相手だ。

 だから、感謝しかない。

 今ここにある現実に、感謝しか出来ない。

「えっへへへ……」

 こうして幸せそうにしている今に、暖かい体温と鼓動を伴って笑っている事に、ただただ感謝をするしか、ない。

「……なあ、なのは」

「ん、なあに?」

「……昨日、聞いたんだ。五年前と、三年前の事を」

「……っ」

 妹の身体の強張りは、ぴったりとくっついているが故にダイレクトに伝わってくる。

「今更、俺が引っ叩こうとは、思わん。フェイトと母さんがしっかりやってくれたみたいだしな」

「……はい」

「だが、なのは。覚えておけ、なのは」

 なのはの眼を真正面から見据え、恭也は告げる。

「もし、今度また死にたくなったら俺に言え。俺がお前を殺してやる。そしてもし、俺に言わずに自分で死んでみろ。あの世まで追いかけて、俺が手ずから殺し直してやる」

 脅しではない事を示すように、今の恭也はなのはに対し、純粋な殺気を向けている。

 大切な大切な存在に、純粋な命を奪う意思表示を向けている。

(……悪い、父さん)

 これが、こんなものが、自分に出来る今一番の愛情表現なのだ。

 もっと上手い言葉が、もっと暖かい行動が、出来る誰かも居るのだろう。だが恭也には、こういう言い方しか、やり方しか、出来なかった。

「わかったな?」

 受けて、なのはの浮かべた表情は。

「……――はいっ」

 笑顔というには、目端が濡れて。泣き顔というには、どこか穏やかで。

 それでもやはり、どうあっても結局、恭也の愛する妹で。

「……っおにい、ちゃん?」

 なのはの背中へ片手を回し、こちらへ引き寄せ胸に掻き抱く。

「なあ、なのは。お前は俺の宝なんだ。お前より大切なものなんか、お前が生まれてこの方、俺には一つだってないんだ」

「……本当、ですか?」

「ああ。俺の剣と、それこそ命を賭けたっていい」

 気持ちを示すように、胸の中の愛しい塊を抱く力を強めると、彼女の熱がより伝わってきて。

 その温度は、暖かいという範疇に収まらない。

「おにいちゃん……嬉しくて、ごめんなさい、死んじゃいそう……」

「そうしたら、俺も追いかけてやる」

「っ、も、本当に、死んじゃうからぁ……! やめてくださいぃ……っ」

 小さな手が恭也の背中へと回り、硬く握りしめてきた。

 "ねえ、恭也"

 なのはの熱を、感じながら。

 "あなたが眠っていた間、色んな事があったわ"

 恭也の脳裏にはなんとなく、桃子の言葉が蘇る。

 "色んなあの娘を見たわ。それでね、私はこう思ってる"

 至極当たり前の事を言うような口調だった事を覚えている。上に投げたものは落ちるとか、それくらい当たり前の事を言う口調だった事を、よく覚えている。

 "この世で一番あなたを愛しているのは、きっとあの娘だって"

(愛している、か)

「おにい、ちゃん……!」

「ああ、俺はここに居る」

 わかっている。

 いつかは、そういつかは。

 この娘も誰かを好きになって、いずれは嫁に行くのだろう。この腕の中で育ったこの娘は、この胸の中からいつか巣立っていくのだ。

 だけど、せめてそれまでは。

 だから、せめてそれまでは。

「お前が望んでくれる内は、いつまでだってここに居る」

 出来うる限り、この娘の傍に居たかった。




 それから兄妹はいつまでも二人仲良く暮らしましたとさ。男女の仲になったかどうかは、皆さんのご想像にお任せ。
 なのはさん大勝利。リリカル恭也シリーズ完結です。
 みたいに言ってもええんじゃないかと書いてるうちにちょっと思った。
 なんだかんだ、一番ナチュラルにイチャコラするのはやっぱりこの組み合わせなんじゃないかな。
 
 関係ないけど、なのはのたまに敬語になるっていう癖、最高に可愛いと思う。


 書き貯め分がこれにて終了になりますので、更新速度はがくっと落ちます。

 あと、次でリリカル恭也Triangle最終回です。

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