魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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 この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。

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(追記) 恭也さんはこんな人ではなくないか? と感じられる方もいらっしゃるでしょうが、次の話に説明がある(この話の中にも一応少しだけありますが)ので、そちらを待っていただければと思います。


魔法青年リリカル恭也Heart
第21話 それも甘えか


 眼下の光景は、ひどいものだった。

 浜辺から上がってくる、人型で三メートルほどの赤茶けたゴーレムが辺りを手当たり次第に壊し回っており、海沿いの街は崩壊状態。

 現地の住人達を守って管理局の武装局員達があちらこちらで奮戦しているようだが、戦況はいかにもよろしくない。

 到着早々、惨憺たる状況を目の当たりにさせられたわけだが、だからこそ自分が呼ばれたのだということは理解している。

 文句も泣き言も、零すつもりはなかった。

『こちら本局所属、特別武力制圧官の高町です。要請に従い支援に来ました。これより状況へ参加します』

 念話のチャンネルを管理局員汎用のものへ合わせ、そう宣言。

 上空、頑丈に作った足場に乗りながら、鋭く息を吸って恭也は相棒へと指示を出す。

「魅月、装填」

『装填』

 腰に下げた魅月の両の柄尻から空薬莢がそれぞれ二個ずつ、計四つ排出され、恭也の身体に魔力が漲る。

 右刀の鞘に左手を置き、右手を柄に。

 意識は下で暴れまわるゴーレム達に合わせる。気配を探ると、その数は九十四。左右合わせて全十二発のカートリッジを、全て空にしてぎりぎりの数だ。

 覚えたてと比べて倍に増えた現在の最大数である三十二体へ、その全てに照準を合わせ、抜刀。

 刀に籠められたエネルギーが、斬撃が、同時に標的達の下へと跳んだ。

 

 御神流斬式奥義之極 閃

 

 暴虐と言うには、あまりに清廉で鋭すぎる衝撃が場のあちらこちらでその威を振るう。

 その結果を見届けながらも、恭也は抜いた刀をもう一度納刀。魅月からは先ほどと同じように計四発の空薬莢が排出される。

 刀を振るえば、眼下、今度は先ほどまでとは別の三十二体へ斬撃が跳ぶ。

「……ぐ」

『主、ご無理は』

「いや、いける。やらねばならん」

 神速内で無茶をした時とはまた別の種類、内側から焼かれるような頭痛が恭也を襲うが、頭を振ってまたしても刀を納めた。

「魅月」

『……了解しました。装填』

 ロード、魔力供給、そして意識の中で残るゴーレム三十体へ照準を合わせる。

 息を鋭く吐き、抜刀。

 硬い物体を斬り裂く澄んだ音が、多重奏となって響き渡り。

 眼下からは驚愕の声を残し、怒号と悲鳴と戦闘音が消えてなくなった。

「……仕留め損なったのは、いないようだな」

『ええ、そのようです』

 一度で最大三十二の標的を斬る閃、その三連続で三桁に迫る数のゴーレムの大群は、一体残らず両断されて物言わぬ瓦礫と化していた。

「とは言え、まだ海から上がってくるだろうが……」

『他の局員達でも相手が出来るでしょう。それよりも』

「ああ、あいつだな」

 水平線の向こう、恭也が視線をやった先には、形としては先程まで街で蠢いていたものと同じ、しかし大きさが百倍以上の姿がある。

 あれが親玉、なのだろう。

「と、特武官殿でありますか!」

 空のマガジンを捨て、新しいものを両の魅月へ装填していると、近づいてくる気配と声。街の方角から一つの影がこちらへ向かっていた。

 恭也の傍まで飛翔魔法で飛んできたのは、彫りの深い壮年の男性局員だった。

「自分はっ……」

 彼はびしっと敬礼をした後、名前と所属を名乗る。どうやら、ここの局員達の総まとめらしかった。階級は三等陸尉。

 自身も前線で戦っていたようで、バリアジャケットにはいくつも損傷が入っている。

「本局所属、特別武力制圧官の高町です。要請に従い、支援に来ました」

「ご武名はかねがね! まさか来て頂けるとは……! 先ほどの攻撃は特武官殿が?」

「はい。すみません、許可も得ずに」

 特武官は派遣された時点で現場の最高指揮官から自己の判断に基づいた自由な行動を許可されるという事になっているので、これは厳密には間違った発言ではあるのだが、礼儀として恭也はそう言った。

 三尉は首を振る。

「いえ、助かりました、本当に。もう私も部下たちも限界でしたから……」

 

 海中の遺跡にあったらしいロストロギアが暴走、多数の小ゴーレムが海から上がり周辺の街で破壊活動を開始。

 倒しても倒しても増援が出現。

 大本の遺跡をなんとかしようにも、巨大ゴーレムが門番として立ちはだかっている。

 被害にあった海沿いの街は崩壊状態、住人の避難もまともに完了せず、急行した現地の武装隊も限界。

 

 恭也が事前に与えられた情報はおおよそこのようなものであり、口頭で確認してみると三尉は苦しげな顔で頷いた。

「ここを抜かれれば、次は内陸の街です。どれだけの被害が出るかわかりません。かと言って我々ではもうどうにもならず……駄目元で、と言っては失礼ですが、特武官のお噂を思い出し救援を要請させて頂いた次第です。どうか、お力を……」

「了解しました。全力を尽くします」

 頷いて、恭也はまた巨大ゴーレムを見据える。空戦が出来る魔導師が何人か攻撃を仕掛けているようだが、効果は上がっていないようだ。

「彼らを下げて街の防衛と怪我人の救助へ回して下さい。あいつは俺が片付けます」

「お、お一人でですか?」

「十分です」

「わ、わかりました!」

 言い切った恭也へ再度の敬礼をし、三尉はすぐに念話で指示を出したようで、空戦魔導師達が巨大ゴーレムから離れ、こちらへ戻ってくる。

「戦闘の煽りを受けないよう、終わるまで近づかないで頂けますか?」

「了解しました!」

「それでは」

 足場を蹴り、作って、また蹴って。

 一瞬とすら言えるような速さで恭也は巨大ゴーレムへと突撃する。

 図体に似合わず素早い反応速度を誇るようで、巨大ゴーレムはその右拳を突っ込んでくる恭也へと振り抜いた。

「まあまあ速いしそこそこ硬い、か」

『そのようですね』

 澄んだ音と共に拳の外側、向かって左半分が恭也の振るった刃に切り取られ海へと落ちる。

「――――――――――ッ!」

 こちらを脅威と認識したのか、巨大ゴーレムはここへ来て咆哮をあげる。そしてその背中から合計八本もの腕を生やした。

 それを猛然と振るい、恭也を仕留めにかかって来る。時には身体ごと腕を振り回す姿は、まるで竜巻のようだ。

『主、やはりコアがあるようですね。魔力の流れからすると、胸部中央です』

 躱しながら一本一本、腕を斬り落としていく恭也へ魅月の分析が届く。

「そうか」

 言われ、すぐさま恭也は巨大ゴーレムの胸元へ飛び込んだ。中央目掛けて斬りつけようとして、

「……!?」

「――――――――――ッ!」

 巨大ゴーレムがまた咆哮を上げた。しかも今度のそれは、物理的、魔力的両方の意味で衝撃を伴っている。

 コアを狙われた際の防御技らしい。

 顔の部分からだけでなく斬り落とされてない腕まで含め、身体中の全ての箇所から不可視の衝撃が響き、全方位から恭也を叩いてその動きを一瞬とは言え止める。

 そして、巨大ゴーレムの腕が右腕一本を残し、全てボロボロと崩れ去り。

 残された一本が黒く染め上げられる。大量の魔力が籠められていた。

『主!』

 音速を超えた巨大な拳はソニックブームを発生させて海面に大きな波を発生させながら、動きの止まった恭也の身体を捉える。

 ボキボキと、身体の各所で音がした。

 そのまま水面に叩きつけられ、海中に没する。

(なるほど、一撃に全力を籠めたわけか。強烈だ)

 だが、それでこちらを仕留め切れなかったのは失敗だなと、恭也は胸中で呟く。

「魅月」

『装填!』

 魅月が三発のカートリッジを水中でロードする。

 その内二発分の魔力を使い、恭也は身体全体へ特殊な強化の魔法を発動させる。それは通常のものとは違い、傷ついた組織を修復する機能の強化を主眼においたものであり。

 そのレベルはもはや、再生と言って良い。

 眩体・修。

 効果が発動するのは精々二秒程度、しかしそれで十分。その短い間で、発動したその魔法は恭也の身体を完全に治し切った。

 元々あった高い身体能力と身体強化魔法適正。それに加えて、特武官として常人では考えられないほどの数と濃度で命がけの戦いをごく短いスパンで繰り返した事により習得した、それは不死身に近い性能を恭也に与える魔法。

 一撃で頭を潰すかリンカーコアを破壊しない限り、カートリッジが残っている状態の恭也を殺すことはほぼ不可能だ。鋭い閃光を横薙ぎに喰らい頭と胴が一瞬離れた時さえも、咄嗟にこれを発動し繋ぎ直して、何もなかったかのように戦闘を継続出来た。

 この魔法の習得によって、恭也は一年ほど前に魔導師ランクを最高のSSSへと到達させている。

 一発分のカートリッジの魔力で、今度は通常の眩体を強化する。水中に作った足場を力強く蹴り、海面から視認できないほどの勢いで飛び出して、巨大ゴーレムの胸元に刃を突き立てた。

「――――――――――ッ!?」

 手応え、あり。魔力反応の強い所を狙ったが、ここで合っているらしい。

 衝撃を伴ったあの咆哮を上げる暇は与えない。

 刺した刀を引き抜き、SCL。

 得た魔力で晃刃を強化。超速の抜刀術を放つ。

 

 御神流奥義 虎切・絶

 

 巨大ゴーレムの身体が、真っ二つに断たれた。太刀筋に斜めへ角度が付いている事で上半分がずるりとズレていき、海へ落ちる。

 断面には綺麗に斜め半分が無くなった深い藍色のコアがあった。

『主、離れて下さい!』

「わかった」

 進言に従い距離を取ると、巨大ゴーレムはコアから爆散した。大きな水柱が天に向かって伸びる。

「助かった、魅月」

『いえ。……主、海中の反応も収まったようです。これで事態は解決でしょうか』

「みたいだな。このでかいのは小兵生産施設の門番で、ロストロギア全体のコアでもあったわけか」

 街の方へ視線を向ければ、恭也が巨大ゴーレムと戦っている間に出て来たらしい小型のゴーレムが、糸が切れたように動作を停止しているのが見える。これ以上、海中の遺跡からゴーレムが出て来る事もないだろう。

 ほどなくして、先ほどの男性局員が念話で状況終了と告げるのが聞こえた。息を吐き、恭也は魅月を鞘へと収めた。

 

 街へ降り立ってみると、遠目で見た感想の通りひどいものだった。あちらこちらから血の匂いがする。

 一体何人、死んだのだろう。

「……」

『主は、最善を尽くされました』

「……ありがとう、魅月」

 救助を待っている人間がいないか、建物が崩れている場所などの気配を探りながらしばらく練り歩き、やがて即席の避難所のような場所に着いた。

 半屋外、ドームのような建物だ。魔法がかけられているのか、風や寒さは感じない。

 中には一般人、局員合わせて沢山の人間たちの姿があった。怪我人は、かなりの割合にのぼっている。

 ついさっき知り合ったばかり、とは言え一応は見知った顔を見つける。彼もこちらに気づき、敬礼を向けてきた。

「特武官殿!」

 彫りの深い男性局員、この場の総まとめの三尉だ。

 ちなみに階級の事を言えば、現場での独立行動で困る事がないようにと、特武官には一佐相当の権限が与えられているため、恭也の方が上ではある。

 通過出来るわけもない難関筆記のある上級キャリア試験を受けてもいない自分が、そんな立場にいるというのはどうにも収まりが悪い気がするのだが、確かに訪れた現場で指揮を執る局員に対し意見を通す際、それが役に立つ事も多々あるので、文句は言うべきではないのだろう。

 敬礼を作る彼の姿を見て、慌てて周りの部下らしい局員達もそれに倣う。

「楽にして下さい。手を止める必要もありません」

 敬礼を返しながらそう告げると、彼らは一瞬逡巡した後、治療や何やらの作業に戻った。

「特武官殿、ありがとうございました……! まさか本当にあの化け物をお一人で……しかもあんなにお早く。おかげで多くの者が助かりました」

「……いえ」

「特武官殿?」

「三尉、……何人、犠牲になりましたか」

 恭也の問いに、三尉は目を伏せた後、答える。

「うちの隊では、八人です。民間人は……まだ全てを把握出来たわけではありませんが、我々が駆けつけた後では十五人。駆けつける前の事はまだ確認が取れていませんが、おそらく、三桁に登る数が」

「そう、ですか」

 街の惨状を見るに、それは予想出来た事だが。

(また、か……)

 鉛を飲み込んだような、重い気持ちが身体に溜まる。

「特武官殿、この規模の災害で全員を救う事は……いえ、これは私などがわざわざ言う事ではありませんか。特武官殿は、このような過酷な戦場を数多く渡り歩いていると聞き及んでおります」

 三尉の言うとおりだ。

 恭也は特武官として数限りないほど戦場を歩いてきた。恭也が呼ばれるのはその場の人員や通常の戦力だけではもうどうしようもなくなった状況であり、必然、そこは例外なく悲惨な色に染まっている。

 だから、わかっている。

 こういった現場で人死にが出ないわけがないと。

 わかってはいる、それはどうしたって仕方のない事だ。わかっている。

 ましてや、自分が送られるのは阿鼻叫喚と言っていい状況になってからなのだから、それ以前に起こった事は本当にどうしようもない。

 わかって、いるのだ。だが。

 何年か前の自分なら、割り切れていたはずだ。良い悪いは別として、そういう命の奪い合いの現場に出るものとして持つべきではある資質を、きちんと有していたはずであった。

 なのに、今はどうだ。

 情けなく、息を吐く。

「……すみません、三尉達の方こそお辛いでしょうに、無神経な事を聞きました」

「いえ。……特武官殿、あちらで少しお休み下さい。顔色がよくありません」

 心配そうに顔を歪め、三尉はそう言って救護スペースへ恭也を連れて行こうとして。

 その途中だった。

「……お、おい!」

 髪をぼさぼさに乱した中年の男が、恭也達へ……否、恭也へと声を向けてきた。

「きょ、きょ、局員に、き、聞いたぞ。あんたが、あんたがあの化け物を倒したってほんとか? 小さいのを一斉に真っ二つにして、でかいのまであっという間に仕留めたって……」

 その声は、何かを抑えるように細かく震えていた。

「はい、自分です」

 何を抑えていたのかは、すぐに明らかになった。

「――てんめええええええええええええええええッ!」

 近くに落ちていた瓦礫を手にして、男はそれを恭也へ投げつけた。

 こちらを見据える眼は、赤黒い怒りで染まっている。

「何をするか!」

 三尉が杖型のデバイスを素早く展開させ、魔法を使うまでもなく瓦礫を叩き落とした。

「うああああああああああッ!」

 男はこちらへ殴りかかろうとして、騒ぎに飛んできた周りの局員達に数人掛かりで抑え付けられた。

「この、は、離せ! 離せえええええ! お、俺はそいつを、そいつを! ぶん殴ってやるんだアアアッ!」

 涙を流し、咆哮を上げ、男は恭也へ憎しみの籠もった視線をぶつけ続ける。

「特武官殿?」

「三尉、……いいんです」

 庇ってくれていた三尉の背後から前に出て、彼の目の前へ。

「お前、お前えええええ!」

 正面から、その言葉を受ける。

「お前、なんで、なんで、―――なんでもっと早く来なかったッ!?」

「……すみません」

「あんなに強いんだろう!? 一瞬であんなに沢山の岩人形を倒して! あのでかいのだってものの数分だったって話じゃないか! お前が、お前が!」

「……」

「お前がもっと早く来てりゃあなあ! 来てれば、来てれば! ……来て、くれればぁ」

 男は、ずるりと地面へ崩れ落ちた。そして掠れる声で、全てを呪うように言う。

「俺の妻は、息子は、娘は、死なないですんだんじゃねえかよおおお……!」

 それからは、まともな言葉は投げつけられなかった。それよりも何倍も痛い、悲痛な泣き声だけが耳に届く。

「向こうで鎮静の魔法を掛けてやれ」

「は、はい」

 三尉の指示に、抱えるように局員達が男を連れて行った。

「三尉、庇って下さってありがとうございました。それから、先ほどの事は不問としておいて下さいますか」

「……張本人の特武官殿が、そう仰られるなら」

 局員を狙った暴行未遂。場合によっては重い罪になってしまう。今のケースでは叙情酌量の余地がかなりあるためにそう厳しい処置にはならないだろうが、罪は罪だ。

「やはり少し、お休み下さい。いかにお強いとは言え、疲れないはずがないのですから」

 三尉がそう言った時、またしても邪魔が入った。

 恭也が腕に巻いた連絡用端末の鳴らすアラートだ。危機感を否応なく煽る、それは特武官呼び出しのコール。

 画面を叩いて応答する。若い女性の声が流れて来た。

『高町特武官、緊急要請を受けました。そちらの案件は?』

「戦闘状況は終了した」

『では、次の現場へ向かって下さい。こちらの転送ポートに栄養剤とカートリッジを準備しておきます。説明はそこで』

「了解」

 通話が切れる。恭也はすぐさま、バリアジャケットの裏に仕込んである小型の管理本局直通一人用転送装置をスタンバイモードに。

「三尉、すみません。ここはもうお任せしてもよろしいでしょうか? 自分は、次の現場に行かねばならないので」

「……な」

 目を見開いて、一拍を置いて三尉は怒鳴り声を上げた。

「何を考えておられるんですか!? 貴方はたった今! ロストロギアの生み出したクリーチャーと戦ったばかりなんですよ!? それも、第一級危険指定の!」

 それは、上げてくれたと言うべき怒声だ。

「はい」

「はい、ではありません! 傷は負っていないようですが……そういう問題じゃない! 肉体の疲労だけでなく精神の摩耗がある! 魔導師ならばそれがどれだけ致命的かおわかりでしょう!?」

「大丈夫です、生半な事では死なない魔法を、自分は使えますから」

 微笑みを、浮かべる事が出来てはいると思う。

「そういう問題ではっ! 特武官殿!?」

「すみません」

 装置に魔力を籠めて、転送を開始する。足元に魔法陣が描き出され、恭也の身が光に包まれた。

 優しい三尉は、こちらを引き留めようと手を伸ばして。

 転送が終わる方が、彼の手が恭也に触れるよりも早かった。

 

 

 

 

 

『主……』

「なんだ?」

 本局の特武官専用転送ポートへ戻って来て早々、魅月が声を掛けてきた。

『やはり、お休みになられては……』

「大丈夫だ、俺は頑丈に出来ている。知っているだろう?」

 答えながら、ポート脇の机の上へ用意されているカートリッジを彼女へ素早く装填していると、何人かの局員達がぞろぞろとやって来る。

 彼らは医療班だ。その面子はどうもめまぐるしく変わるらしく、あまり同じ顔は見かけない。

 医療班と言っても、怪我を自分の魔法で治せる恭也に治療はあまり縁がない。担当してくれるのはもっぱら体調管理と栄養補給である。

 恭也とて、自分の身体にエネルギー源が供給されなければさすがに動く事は出来ない。

「特武官、失礼します」

 肩口に針のない注射器のような物が押し付けられる。少しの衝撃の後、身体に何かが染みこんでくる感覚。

 注入型の栄養剤だ。吸収効率がとてつもなく優れている。

 そう言えば、最後に普通の食事を摂ったのはいつだったろうか。

『主がいかに頑強とはいえ、何か不測の事態が起きないとも限りません』

「不測の事態なら、今現場で起きている。そのために行くんだ」

『主……』

「大丈夫さ。わかってくれるだろう、コールを受けて何もしない方が辛い」

『……はい』

『特武官、よろしいでしょうか』

 目の前に投影型のスクリーンが展開された。映っているのは、恭也担当のオペレーター。青を基調にした髪を肩口で切りそろえた、どこか無機質な印象のある女性だ。

 先程通信した相手である。

「ああ、頼む」

『では。本日一八三二、第四十五管理外世界において――』

 彼女は要点を絞って、恭也へ次の現場の状況を説明する。わかりやすく丁寧で簡潔だ。実に優秀なオペレーターだと恭也は思っている。

 付き合いは一年ほどになるだろうか。……そういえば、実際に会った事はない。いつも画面越しだ。

 それで特に何の問題があるわけでもないから構わないのだが。

 説明を聞き終え、その間に恭也の身体データを取っていた医療班の方を向くと、オーケーサインが出た。出撃しても問題ないようだ。

 さっき出たポートにまた足を踏み入れ、転送を待つ。一気に世界間を跳んでいく事になるため、開始までにはさすがに少し時間がかかる。

 魅月と話でもして待とう、そう思って口を開く。

「今度は巨大ワームだそうだ、魅月」

『ええ、ブレスも吐いてくるそうです。警戒しましょう、範囲攻撃は主の苦手の一つです』

「ああ、そうだな。気をつけよう」

 とは言え、一発で死ななければどれだけ焼かれても構わない。

 予め眩体・修の準備をして突っ込んでしまうのもありだろう。口のなかに飛び込めれば仕留めやすい。

 こんな事、魅月にはもちろん言わないが。

(回復という一つの技に頼り過ぎるのは、良くないのだが)

 思いはするものの、どうしても現場の緊急度が緊急度なため、結局は頼ってしまう。早く勝負を決めるには、防御を捨てて攻撃に専念するのが一番手っ取り早いからだ。

 恭也が呼ばれるような現場は、常に一刻を争う。時間を掛けて戦えればいいのだが、そういうわけにはいかないのだ。

「さっきのどでかい虎のように、素早さを一番の武器とする奴が俺としてはやりやすいんだがな」

『どれだけ速くとも、主よりは遅いですからね。……それはそれとして、主』

「なんだ?」

『先ほど戦ったのは、虎ではなく人型のゴーレムですよ』

「そうだったか? ……ああ、そうだ。そうだ、そうだな」

『……』

 さっきは巨大ゴーレム。虎というのは……。

 虎というのは。

 ……いつだったか。昨日か? 一昨日? それとも、三日くらい前だったろうか。

 わからない。

『主の仰っている虎は、おそらく二年ほど前の相手です』

「そうか、二年前か……。二年前……その頃戦った相手でめぼしいものと言うと、ええと、そうだ、イカ。クラーケンのような奴が船型の都市を襲って」

『それは一昨日の事ですよ、主』

「そうか? そうなのか」

 一昨日、か。クラーケンが一昨日で、虎が二年前。

 頭の中、時系列を組み直して、――すぐに崩れた。連続性が保てない。ぶつ切りのばらばらだ。

(……戦闘に支障はないから構わんだろう)

『ところで主、三日後に妹様達とお食事の予定がありますよ。覚えてらっしゃいますか?』

「三日後、だったか。ありがとう、覚えてはいたが日にちはわかっていなかった」

 三日後か。

 そもそも今日はいつだ? 思い出せない。

 三日後、三日後、……三日後。明日、いつから数えて三日後だったが覚えているだろうか。自信がなかった。

「魅月、忘れてしまっていたら教えてくれるか?」

『ええ、必ず』

「呼び出しがかからなければいいんだがな」

『来ないよう、祈っておきます』

「祈るって、大げさだな」

 まあ、自分に呼び出しがかからないというのはこの広い次元世界群のどこでも緊急事態が起きていないという事を意味しており、確かにそれは祈るに値するか。

 次元世界群、クロノなどは海と呼ぶそこはいつでも荒れている。だが、一応は周期というものが存在し、ひどい時とマシな時がある。

 今はどうも、すこぶるひどい時らしい。

 つまり、中々恭也の仕事は切れない。

(なのは達には悪いが、食事はまた後にして貰った方がいい気もするな)

 土壇場で不意にしてしまう可能性の高さを思えば、事前に言っておく方が迷惑はかからない。

 それに今の自分の状態、記憶力が怪しいところの所為でもしかしたら少し、心配をかけてしまうかもしれない。

『楽しみにしておられましたよ、妹様達は。久しぶりですからね』

「……そうか」

 断りの連絡を入れた方がいいかと口にしようとした矢先、そんな風に言われて、言葉を飲み込む。

 久しぶり、そうか、久しぶりなのか。

「どれぐらいぶりだったか」

『三ヶ月ですね』

「そんなになるか」

 毎日顔を合わせるという事はなかったが、何かと頻繁にフェイト、はやて達とは会っていた。なのはに至っては、一年ほど前までは同じ部屋に住んでいたくらいだ。

 なのに、三ヶ月か。それは確かに久しぶりだ。

「……俺の味覚が機能してない事は、まだ話していなかったか?」

『そうですね、でなければ妹様達もお食事をお誘いにはならないでしょう』

「そうだよな」

 恭也の舌は、今や甘いも辛いもさっぱりわからない。なにを食べてもなんの味もしないのだ。嗅覚は生きているから、幸い香りが強いものであれば少しは楽しめないでもないのだが。

 舌の生理的な問題でなく、精神的なものが原因だろうという診断がされている。

 五感の中で唯一、戦闘に関係のない感覚だから削れたんだろうなと自分では思っている。

(……誤魔化すか、余計な心配を掛ける事もない)

 見た目と香りでコメントすればそう外れる事もないだろう。

 そんな事を思っていると、身体が光に包まれた。転送が始まる。

 これで何度目の出撃なのかなんて、恭也にはもうわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごかったぜ! いやほんとに! まじで! 噂通り、いやいやいや、それ以上だった! 強いなんてもんじゃなかった!」

「いいよなあ、本物を見られたなんて。……ま、聞く限り相当やばい現場だったろうから、代わりたかったとは言わねえけど」

「まあなあ、やばかったのはまじでやばかったぜ、正直死んだと思ったね。特級危険指定の超大型ワームがよー、三体! こりゃ終わったなって、武装隊なんて入るんじゃなかったってな」

「でも、全部倒しちまったんだろ?」

「ああ、信じらんねえ光景だった。つい一昨日の事だけど、なんだか夢みたいだ。俺ら全員下がらせてさ、一人で三体同時に相手したんだぜ? 正直動きは速すぎて全然追えなかったんだけど、もう輪切りだ輪切り。すぱんすぱんと芋虫ヤローどもの体が叩っ斬られてよ。何やっても全然効きやしねえ硬い鱗に覆われてたはずなのに、なんで斬れるのかね」

「ワームの攻撃は喰らわなかったのか? えげつねえブレス撃ってくる種もいるだろ、確か」

「まさにそいつだよ。一回、喰らってたはずなんだけど、問題なく継戦してたな……火傷の一つもしてねえみたいで、防御力が高いのか?」

「どうなんだろうな……いや、なんかでも、すげえ回復魔法を使えるって話も聞いた事あるな……。即死しなきゃ大丈夫ってレベルだっつー噂もある」

「さすがに眉唾……とは言えねえな……」

「しかし、管理局で最高の単体戦闘能力保持者って評判、嘘じゃねえんだな。空戦SSSなんてランクが実際いるなんてなあ。―――無敵の特武官、か」

「とにかく助かったよ……。礼でも言いたいところだったんだけど、すぐにいなくなっちまって。なんでも、次の現場に備えるって」

「勤勉過ぎるだろ。いや、なんつうかもう、そこまでいくと化け物だな」

「ははっ、違いねえ! 怖いとか痛いとか、もうあのレベルになると感じねえんだろうなあ」

 

「……」

 なのはは、座るテーブル席に備え付けの遮音フィールド発生装置を作動させた。自分たちがこれからする話を周りに聞かれたくないというのもあったが、これ以上彼らの話を聞いていたくなかった。

「恭也さん、相変わらずかなり噂になってるね」

 対面、フェイトが呟いた言葉に頷く。

「うん。感謝か畏怖、基本はどっちか、あるいは両方。それで大抵、今みたいに化け物みたいな人がいるものだって話になるみたい」

「……その化け物みたいな人が、それでも自分たちと同じ人間だって、わかっているのかな」

「少なくとも、……上はわかっていない。いや、わかっててやってるのかな」

 なのはが口にした上とは、時空管理局の上層部、すなわち本局所属特別武力制圧官である高町恭也へ指令を下している者達を指している。

 どうしてこうなったのか、なのはは眉間に皺を寄せ、拳を握りしめた。

 特別武力制圧官。発生した事態に対し、その場の通常戦力ではどうしようもないと判断された現場へ、単独ゆえに可能な高速の長距離転移で赴き、その戦闘能力でもって状況を終了させる管理局の誇る最高戦力の一つ。

 四年近く前に作られてから現在に至るまで、その役職にはたった一人しか就任していない。

 高町恭也、なのはの兄でフェイトの師であるその人だけである。

「なのは、恭也さんとは最近……」

「話せてない。繋がらないの、いつかけても。フェイトちゃんは?」

「私も同じ。お部屋に会いに行っても、居たことは一度もない」

 恭也が特武官に就任した当初は、こんな状況ではなかった。ミッドチルダ臨海空港での大規模火災を初陣とした彼の出撃は、その後しばらくは月に一、二回程度。それも、最初は空港火災の時と同じような救助任務が主だった。

 しかし、そのあまりに突出した戦闘能力が発揮されるにつれ、そんな状況は徐々に変わり始めた。

 次元世界が荒れている時期だというのもあって救援要請はどんどん増えていき、彼はその度に力を示し続け、気づけばその役職と共に広く知られるようになっていった。

 恭也は、万能ではない。どんな状況でも絶対に何とか出来るわけでは決してない。そんな能力を有した存在ではない。

 しかし、事を単一戦闘に限るのであれば、その評価は絶対というものに限りなく近くなる。少なくとも、傍から見ればそういう印象をきっと、多くの人間が抱くだろう。

 防御を抜いて衝撃を通す、バリアジャケットを着込んだ魔導師にとって天敵とすら言える技術をも擁した飛び抜けた接近戦技術。

 強化魔法も相まって別格というべき域に達している身体能力。

 足場生成を利用した、場所を選ばない超高速の機動力。

 隙を消し去る気配察知。

 一方的な行動領域へ移行する特殊技能、それを利用した高度なカードリッジロード。

 必中の他目標同時攻撃。

 それらに加え、一年ほど前、およそ尋常では無い回復効果を発揮する技まで会得して。

 即死の攻撃さえ受けない限り死なないとすら言える回復能力を得た事で、いよいよ彼の総合的な戦闘能力は突き抜けた。

 決して使える魔法の種類は多彩ではない魔導師の高町恭也に、規定の課題行動を達成する能力で決定される魔導師ランクにおいて、管理局は空戦SSSの評価を下して。

 より多くの戦場が彼を求めるようになり、阿鼻叫喚の悲惨な現場の中で恭也は期待に応え続けた。

 一年目は月に一、二回、二年目では週に一回程度だった出撃が、三年目の終わりにSSSを取得してからは週に三、四回となり。

 そして、四年目の最後の季節に差し掛かった今現在では、さらに悪化している可能性があって。

「上層部は、頭がおかしい」

「……はやてちゃん」

 それは、遮音フィールド内へ入ってくるなりいら立ち混じりの声で言った彼女、八神はやてが調べてくれている事だった。

 その名を轟かす腕利きとは言え、なのはもフェイトも、管理局の内側に向けたアンテナは高くない。対し、そこでのし上がる事を決めたはやてはある意味その道のプロだ。

「……管理世界群は広大や、ましてや海が荒れとるこの時期、管理外世界も合わせたらいつでもどっかしらの世界で、何かしらのやばい事態は起きとると言うてもええ」

 フェイトの隣に腰掛けながら、不機嫌さを隠そうともせず彼女は続ける。

「せやけど、せやけどその尻拭いをたった一人に押し付け続けて何が管理局や……!」

 ダン、と。はやてが机を叩いた音は、周りに広がらず展開されたフィールドに吸収されて消えた。

「はやてちゃん……?」

「……なのはちゃん、フェイトちゃん。よう聞いてな」

 なのはの言葉を遮るはやての声は先ほどまでとは打って変わって暗く、硬いもので。

「状況は、思っとったよりすこぶる悪い」

「……それは、どれくらい」

 なのはの恐る恐るの問いに、はやては取り出した端末を操作、こちらのデバイスに資料を送る事で返してきた。

「閲覧制限かけて見てや」

 言われた通り、なのはとフェイトは持ち主以外には見えないようにプロテクトを掛け、資料を表示して。

「これが、洗い出せるだけ洗い出せた過去三ヶ月の恭也さんの出撃内容の詳細や」

 はやてのそんな言葉が、どこか遠かった。

「……なに、これ」

 画面をスクロールする指が震える。震えるけれど、見なければならないという焦燥感に突き動かされ、止まらない。

「………………これが、これで、過去、三ヶ月?」

 引いた血の気に、視界が白く染まりつつあるなのはの隣、聞き返すフェイトの声も慄きに揺れていた。彼女は愕然とした声のまま続ける。

「こんなの……、大規模なチームが交代交代、通常は年単位で、いや……間違いなく……十年単位でこなす量のはず……。…………だって、こんな高負荷な任務を、こんなペースで受けたら」

 高負荷な任務とは、危険度や現場環境の劣悪さ、そこで目にする事になる光景の悲惨さなどによる、心身にかかる負担が重いものを言う。

 高負荷な任務を受けた場合、その後はその重さに応じて身体や心を休める期間が通常は設けられている。

 それは、局員が潰されないようにという配慮であり、それがなされていないのであれば。

「シャマル曰く、普通やったら一月保たないそうや。身体もそうやけど、何より心が」

 くしゃりと、己の前髪を掴みながらのはやての言葉は、まるで吐き出すようだった。

 SSSを取った恭也に、荒れている次元世界のための依頼が殺到するのはわからない話ではない。恭也の能力が広域殲滅系のような状況を選ぶタイプであったのならそうもならなかったのだろうが、閃による選択的範囲攻撃も可能ながら、彼の本領は機動力・突破力の非常に高い単一戦闘である。活躍出来る機会は非常に多い。

 その上、どれだけ傷を負っても即死でなければ大丈夫というタフさまで兼ね備えているため、温存も極めてされにくい。

 だから一年近く前、恭也がSSSを取得した途端に一気に忙しくなったのは仕方のない事と思っていた。

 本局の特武官室に寝泊まりする環境を構えるからと、一年と半年の間二人で住んだミッドチルダの部屋から彼が出て行く時も、本音を言えば死ぬほど嫌だったけれど、それが兄の生き方なのだからと引き止めなかった。

 兄の生き方をよくわかっている自分だからこそ、引き止められなかったと言った方が正確だろうか。

 しかし、休日なんてないかのように絶えず戦場に出続けているという話を聞いて、さすがにそれはと疑念を抱き始めて。

 決定的だったのは、さらに半年近く立ったある日、久しぶりに会えた兄の様子がおかしかった事だった。

 どこが、と言われても少し困る。強いて言うのならば瞳、だろうか。眼の前にいてこちらを向いてはいても、どこか違うところを見ているような。それでいて、どこも見ていないような。

 きっと任務で何かあったのだろうと思ったけれど、だからこそ踏み込んでは聞けずに。

 しかしピリピリと奔る嫌な感覚に言い様のない不安を覚えていると、はやてが調査を買って出てくれた。六課の設立も大詰めで忙しい時期であるはずなのに、リインがいるから大丈夫やと、彼女は出来る限りで調べてくれていて。

「担当医療チームのメンバーはころころ変えられとった。固定したら、その内誰かがなんぼなんでもあかんと恭也さんに進言するかもしれへんからやろうな。……ごめん、せやからこんな状況を、掴むのがこんなに遅れた。半年も前から調べとったのに」

「……ううん、ありがとうはやてちゃん」

 なのはは礼を言って、はやてに微笑む。

「なのはちゃん……」

「ここからは、私の役割」

 腹は、もう決まっている。

「明日、おにいちゃんとちゃんと話す、場合によっては上にも殴り込みに行く」

 なのはとフェイトとはやて、三人は明日、三ヶ月ぶりに恭也と会って食事をする約束をしている。その席で状況をきちんと聞いて、兄に自分がどれだけおかしい環境に居るのかわかってもらって。

 そして言った通り場合によっては、上層部に弓を引く。

「どうにもならなかったらお母さんに頭下げて、翠屋を継がせてもらうよ。その時は、おにいちゃんも一緒」

「……なのはちゃん」

 管理局の仕事は、天職だと思っている。やりがいも充実感も、言うなら自信だってある。

 だけど、それでも。

 その全てを足したって、兄への想いには届かない。

 世界の平和より、高町なのはは、自分の大切な人をとりたかった。

「ねえなのは、翠屋、ウェイトレスとか募集してない?」

「あ、してないですー」

「……そ、そこを何とか」

「次期マスターのおにいちゃんに色目を使うような人はちょっと店内風紀を乱す恐れがあるので」

「じゃあまず真っ先になのはが駄目じゃない!」

「……私は妹なので」

「つ、都合が良い時だけ! そうやって!」

 不満気にパンパンと机を叩くフェイトが言いたい事はわかっている。彼女もまた、最悪の場合には築き上げた今の地位を捨てる覚悟があると言うことだ。

「……なのはちゃん、フェイトちゃん、私は」

「わかってる」

「はやてには、はやての道があるから。何も間違ってないよ」

「……ごめん」

 なのはとフェイトが管理局を辞めるというのはあくまで覚悟の話であって、実際にそこまで現実味があるわけではない。抗議をする事で上に多少なり煙たがられるようにはなるだろうが、大して痛くはない。

 しかし、顔を伏せる彼女、はやては違う。

 八神はやては春から新設部隊の稼働を控えている身だ。味方も多くいるが、それと同じくらいにレアスキル持ちの十代佐官という事で元々やっかみも多く受けているため、ここで騒動を起こせばその新設部隊の話は最悪、土壇場で飛びかねない。

 上層部に喧嘩を売るには、なのはやフェイトとは比べ物にならないくらいと言ってもいいほど、リスクが高い。

「おにいちゃんのためにも、って作ろうとしてくれている六課だもん、それは、私もやり遂げて欲しいって思う」

「……絶対、ええ部隊にする。例え、なのはちゃん達がおらんくても」

 特別捜査官として働いてきたはやては元々、大きい組織であるがゆえにフットワークの重い管理局のあり方に疑問を抱いていたらしい。

 そんな折、恭也が特別武力制圧官に就任し、実際に小回りの効く少数精鋭の高密度戦力がどれだけ重宝されるかというのを身をもって示す姿を見て、その思いを強め。

 そしてだからこそ、彼一人に負荷が集中しないよう、彼と同じように素早く事態に対応できる部隊を作ろうしている。

 他にもどうやら秘密の目的があるらしいが、とにかく理由の大きな一つに、恭也の現状があることは確かだ。

「……もっと早く作れていれば、そもそもこんな事にはなってなかったんやけど」

「でも、意味が無いなんて事は絶対にないよ。もし恭也さんが本当に管理局を辞める事態になったら、それこそはやての部隊は必要になるし、後任が出来る人達がいる、って事は恭也さんを説得する上でものすごく大きい」

「……うん」

 フェイトの言葉に、面を上げたはやては頷いて言う。

「とにかく、明日やな。明日、恭也さんを説得出来るかどうかや」

「我が兄ながら頑固だから難しいだろうけど、絶対わかってもらうよ」

「我が兄ながらっていうか、だからこそ当然ながらって感じだけど……うん、絶対わかってもらおう。今のペースで戦うのはもう止めてもらう事、管理局を辞める事も選択肢に入れてもらう事」

 明日、とにかく明日だ。

 なんて。

 どうしてそんなに悠長にしていられたのか。

 後に、なのははこの時すぐにでも兄の下へ向かわなかった事を、悔やむ事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 古代ベルカに作られたデバイス、魅月。彼女の主人は強く優しく清らかで、そして今、壊れている。

「次の任務は浮遊城の破壊か」

『はい。近くにいる者の精神を汚染する魔法を振りまいているとの事でしたね。突入して核を破壊しようにも、それより先に入ったものの心が砕ける目算が高いと』

「えげつないな。とにかく素早く入って手早く沈めるしかないか」

『……主、失礼ながらこの任務、降りられるわけにはいかないでしょうか?』

 魅月の問いに、特武官専用ポートの上で転送を待っている恭也は怪訝な顔をした。

「どれだけ危険なものかわかっているだろう、魅月。早くなんとかしなくてはならん」

『どれだけ危険なものかわかっているからです、主。これは、主でなくてはなりませんか? 突入せねばならないのはどうしても主ですか?』

「俺でなくてはならない、というわけではなかろうが……例えば、武装局員を千人単位で、もしくはなのはレベルの砲撃魔法の使い手を何人か集める事が出来れば、外から撃ち続けて核を破壊する事も出来るだろう。だが、刻一刻と汚染領域は広がっているらしい。であれば、それはどちらも現実的じゃない」

『それは、……そうですが』

「だろう、だったら次善の策だ。素早く突破力のある人間が全速力で城の内部へ突入、精神汚染を喰らう時間を最小限に抑えつつ、破壊。これしかない」

『……はい』

「現場に急行できる人間の内、俺よりも速く事が成せる者は、まあ多分いないだろう。だから、俺がやるべきだ」

『……』

 もし居たとしても、貴方は何だかんだと理由を付けて自分が危険を請け負うでしょうに。そんな言葉を、しかし魅月は飲み込んだ。言っても仕方がないからだ。彼はそれを認めはしないだろうし、かといって実際そうする事を止めようともしないだろう。

 魅月の誰よりも大切な主は、そんな人間だった。

 魅月は、別の言葉を口にする。

『主、覚えてらっしゃいますか? 妹様達との会食の約束を』

「ああ、覚えている。三日後だろう?」

『ええ、三日後です。前にお話した二日前では、三日後でしたね。つまり、明日です』

「……そうか、そうだったか」

 言い切っておいて恥ずかしいなと、恭也は苦笑する。

 笑えるものか。

 たった二日前の会話が、いつのものだったかも覚えていられないほどに壊れてしまっている心を見せられて。

 どうしてこんな事になってしまったのか、なんて言う資格はない。自分は、ずっと見てきた。

 度重なる悲惨な戦場での戦いに、どんどんと主の心がすり減っていく様を。

 そして半年ほど前、決定的に砕かれる様を。

 自分は結局、主を止められない。彼のためならどんな過酷な戦場だって共にしよう。だけど、戦場に赴くことそれ自体を止める役割は、魅月に与えられてはいなかった。

 だから、縋る。

(……お願い致します、なのは様、フェイト様、はやて様)

 彼女たちがどうか現状を把握し、主を止めてくれる事を魅月は祈り続けている。

 どうか、どうか。

 魅月は願う。

 沢山の人を護って、それゆえに壊れてしまった誰より優しいこの人を。

 どうか、救って欲しい。

「転送が始まるな。魅月、準備はいいか?」

『……はい』

 そして、また魅月の主は戦場へと赴き。

 それが管理局に伝説を作り続けた特武官の、最後の出撃となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お迎え、お迎え、お迎えっと」

 愛らしい容姿ながら仕事に際してはいつも凛としているなのはだが、私事になるとやはり生来の可愛らしさが表に出る。フェイトの隣、彼女は鼻歌交じりだ。

 とは言え、今のこの一見気軽そうな様子は、自らの気負いを誤魔化しているという感じだろうけど。

 もしくは、彼の状況が状況だからこそ、少しでも明るい自分で会おうとする、彼女らしい気遣いかもしれない。

「はやては、後から合流だったね」

「うん、……忙しいのに、説得のための資料をまとめてくれているみたい。八神家の皆も協力してくれてるって」

 なのはは言うまでもなく、自分や義兄も人の事は言えないが、やはり八神家の恭也への親愛は並ならぬものがある。ヴィータやシグナムはあまり言葉や態度に出さないが、その実、かなり熱烈であるし、穏やかなシャマルやザフィーラもそれは同様。そしてリインフォースのアインスとツヴァイは、控えめに表現しても親愛どころか信仰を捧げていると言ってもいい有り様だ。

 主の立場を思えば無茶は出来ないだろうが、最近の恭也の扱いには憤懣やるかたない事だろう。

「これだけはやて達が頑張ってくれてるんだ、あとは、私達だね」

「……うん」

 揺れない瞳で頷いたなのはと、管理本局内の廊下を歩く。特武官の執務室は、かなり奥まった位置にある。

「本当に、人がいないね」

「この棟のこの階、おにいちゃんくらいしか部屋を作っていないんだっけ」

 中枢部と遠いこの配置に、恭也への忌避を見て取るのは穿ち過ぎか。

 なんて考えながら道を進んで、最後の曲がり角が見えてきた。あそこを過ぎれば、特武官執務室のプレートも見えてくる。

 隣のなのはと揃って、少し速まったその足が。

 

『――ちついて下さい! どう……か、主!』

 

「今の……」

「魅月、さん?」

 一瞬だけ止まり、なのはと顔を見合わせて。

『主! 主! どうか!』

 機械たる彼女が絞りだす、そのあまりに切羽詰まった声音に二人は全速で駆け出した。

「なにがっ!?」

「わからない! でも魅月のあんな声、普通じゃない!」

 どうあってもやはりフェイトが速い、先に曲がり角を辿り着き、特武官室前の直線廊下の光景を目に映す。

「が、あああああああああああアアアアアア!」

「……――恭也さんッ!?」

 そこには血走らせた眼を見開き、膨大な魔力を発して今にも身体を内側から破裂させんとする、十年近く前の光景を思い出させる恭也の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は、少し遡り。

『主、いかがされましたか?』

「……いや、少し目眩が、大丈夫だ」

 恭也は現在、浮遊城相手の任務を終え、特武官執務室の奥に作られた自室へ戻ってきた所。自身の視界を襲った揺れに、少しだけ顔をしかめる。

『目眩……大丈夫、ではありません! 短時間とは言え、精神汚染レベルAの場所に居たのですよ……! きちんと信頼に足る医務官……出来れば、湖の騎士にっ』

「わざわざシャマルさんの手を煩わせる事はない。俺に付いてくれている医療チームに診てもらっただろう。問題ないさ」

『大有りです! 彼らのあれは戦闘能力に瑕疵が出るような不調がないかどうかだけをチェックしているものです。決して、健康を保証してはいません。どうか、一度診断の申請を、我が主』

「大げさだ」

 心配症な相棒の身体を一撫で、小指から外して専用スタンドの上へと丁寧に置く。

『主……』

「魅月、少し眠る」

『それならば、その装置はお使いにならないで下さい。常用する物ではないでしょう』

「そうなんだろうがな、これなら寝溜めが出来るだろう? 急な呼び出しがあるかもしれない事を考えると、これがベストだ」

 言いながら、恭也は流線型フォルムでところどころにステータスランプが設えられたヘルメットのような機械を装着する。継続睡眠装置と呼ばれる、深く特殊な眠りを装着者に与える代物だ。

 基本的には常用することは推奨されていない。だが、言った通り寝溜めが出来るという利点があるし、そもそも今の恭也はこれなしではまともに眠れないのだ。

 ヘルメットの中、目を閉じれば全身から力が抜けていく感覚。恭也を眠りが誘う。

 数分もしない内に、意識は闇に落ちた。

 

 

 

 足には、そこそこの自信がある。だのに、走っても走っても、距離は縮まらなかった。

 目線の先、赤い大きな鳥かごのような容れ物に囚われた女の子達が、柵の間から必死にこちらへ手を伸ばす。

 その顔は、救いが来た事に対する希望に満ち溢れていて――。

「……っ!」

 彼女たちはその顔のまま、内側から破裂してミンチになった。

「……あ、あ」

 そうすると、今まであれほど詰められなかった距離は簡単に零になって。

 鳥かごへ駆け寄った恭也の目の前にあるのは、血と肉片と、赤く染まった、元は真っ白なワンピースだけ。

 

 

 

「…………」

 静かに上半身を起き上がらせて、恭也は継続睡眠装置を外す。

 時計を見れば、眠りに入る前から14時間ほど経っていた。

『主、おはようございます』

「ああ、おはよう』

 時間的にはもう夕方のようだったが、ぐちゃぐちゃな時を生きている恭也にとっては時間帯はあまり意味のない概念だ。

「……っと」

 ベッドから降り、立ち上がると目眩いに視界を揺らされる。寝起きの立ちくらみだろうか、あまりそういったものとは縁がなかったのだが。

 どうやら、腑抜けた身には喝を入れなければならないか。

「魅月、呼び出しがかかるまでトレーニングルームを使いたい。申請を頼む」

『いえ、主。妹様達との会食のご準備をお願いします』

「ああ、三日後は今日なのか」

『はい』

 そうか、それなら仕方ない。フェイトは自制をするタイプだが、妹やはやては無茶をしがちな性格だ。会えるならば会って、体調でも崩していないか確認しておきたい。

「シャワーを浴びる時間はあるか?」

『ございます。どうぞごゆっくり』

「ありがとう、そうしよう」

 部屋には備え付けのバスルームがある。脱衣所で服を脱ぎ、真っ白なそこへ入ってシャワーを頭から浴びる。

 温度はかなり高めに設定してあるはずだが、身体の芯はどこか冷えたままだ。こんな感覚も、もういつからだろうか。

 水の流れる音を聞きながら、何とはなしに自らの身体を眺める。

 傷痕だらけである。傷痕だらけ、ではあるが。

 それらの多くは十年以上前にこしらえたものだ。特武官になってから作ったものもそれなりにはあるが、しかし一年ほど前に眩体・修を会得してからのものは一つもない。

 どれだけ身体を振り回し無茶を通しても、今や、その証は恭也の身体には残らない。

 傷跡が残らない方が痛いのだと言う事は、知らなかった。

「……それも甘えか」

 傷を受けた痕を寄りかかる足場としようなんて、唾棄すべき惰弱だろう。この虚しさは受け止めるべき苦しみのはずだ。

 目眩なんてものを許す身体に、こんな弱さを零す精神。

 どうも自分はたるんでいるようだ。もっともっと、心身共に引き締めなければ。

「……?」

 思った傍から、また目眩。不甲斐なさにため息を吐く。

 髪と身体を洗うのもそこそこに浴室を出た。タオルで水気を取りインナーを身につけ、髭を剃って髪を整える。シャツを羽織って黒地に赤のラインが設えられた特武官服を纏えば、いつもの格好の出来上がりだ。

 寝室に戻れば、スタンドの上で魅月が少々不満気に明滅した。

『その格好で行かれるのですか? 局内ではなく、市内のお店ですよ?』

「いつ呼び出しがかかるかわからんからな、この方が都合がいいだろう」

『しかし、たまには格好から休暇の気分を作るべきです。それでは休まるものも休まりません』

「わかる話だがなあ……っと」

(魅月の気遣いは嬉しいが、現実は厳しいものだな)

 苦笑して、恭也は足早に魅月の下へ。彼女を自らの左手小指に嵌める。

「魅月、残念ながら呼び出しだ。言ってる傍からこれだ」

『……主?』

 恭也の耳には、けたたましいコール音が聞こえている。それは腕輪型の端末が告げる、特武官の出撃要請。

「行くぞ、魅月」

 言うが早いか寝室を後にして、繋がっている執務室を通り廊下へ出る。相変わらず自分以外に人の気配はまるでなかった。

 転送ポートへ向けて、歩き出す。

「なのは達に連絡をしておかねばならんか」

『あ、主! 主、お待ちください!』

 魅月の口調は、なぜか妙に焦って聞こえた。たおやかな彼女には珍しいその様子に、思わず足が止まる。

「なんだ? なのは達に連絡をして何かまずいことでもあったか?」

『いえ、そうではなく……主、貴方は何を仰っているのですか?』

「なにをって、聞こえているだろうこのコール音……ああ、うるさいからとりあえず切るか……む」

 腕に巻きついた端末の細い画面をタップすれば、呼び出し音はひとまず止まる……はずなのだが。

「なんだ? なぜ止まらない?」

 押しても押しても、どうしてだろう、音は恭也の耳朶を叩き続けた。

「……なぜ」

『なぜも何も、主、貴方は何を……―――コール音なんてもの、私には聞こえません!』

「……は?」

 何を、言っている?

 こんなけたたましい音が、聞こえない?

『それに、通信端末と私はリンクをしています! そちらにコールが本当にあれば私にも信号が来ています! ご存知でしょう!?』

「あ、ああ……だが、現にこうしてコールが」

『ですから、そんなものは来ていません……!』

 魅月は、何を言っているんだろう。

 自分を戦場へと駆り立てる、無機質な呼び声。それはこんなにもはっきりと聞こえているのに。

『端末のスクリーンをよくご確認下さい! 通信が本当に来ていますかっ?』

「……どうなって」

 投影型のスクリーンを起動してみると、そこには平常状態を表す表示が中央に踊っていた。

 そんな馬鹿な、では故障だろうか?

 思った瞬間だった。恭也の視界の中、スクリーンの表示が切り替わった。現れた赤を基調にしたそれは、出動要請を表しているものだ。

「……ああ、そう、だよな。やはりそうだ。見ろ、魅月。こうして画面にも」

『本当に、主、貴方は何を……その青い画面のどこが出動要請だというのですか!』

 青い? そんなはずはない。

 画面はこんなに真っ赤で、それはまるで血のような。

『……主、どうか医務室……いえ、そのまま部屋へお帰りを。動かずに、安静に。そして妹様達をお待ちください』

「何を言って」

『間違いありません、やはり精神汚染の影響が……』

「いや、そんな。精神汚染なんて……ん?」

 ザザ、っと。まるで掠れるように、恭也の視界全体が切り替わった。

 切り替わった?

 いや、違う。

 これはもともとこうだったはず。

「……俺は、何を」

『主……?』

「魅月、展開だ!」

 叫んだキーワードに反応、バリアジャケットが翻り、魅月も小太刀二刀の戦闘状態へと移行する。

『主ッ!?』

「どうして、どうしてこんな戦場の只中で、刀も佩かずに突っ立っていたんだ、俺は……」

 鞘に収まった魅月の柄に手を添えつつ、周囲を警戒。

 禍々しい紫の装飾に彩られた廊下、ちらついた灯りと壁や床に入ったヒビが崩壊を予感させている。

「……目標は? 俺は、何と戦えばいいんだ?」

 慎重に廊下を歩きながら、現状を把握しようとするがどうも頭がうまく働かない。

『主、どうされたのです、主!』

「俺は、誰を護ればいいんだ……?」

 呟いた時だった。

 眼の前に、唐突に赤い巨大な鳥かごが現れた。

 中には、白いワンピースを来た女の子達。皆、悲痛な顔をしていて。

 っあ! と。恭也を見てその顔を輝かせた。

 助けに、来てくれたんですか? 最も恭也の近くにいた女の子がそう聞いてきて。

(そう、だ。俺は)

 頷いた恭也に、彼女は柵の隙間から手を伸ばす。導かれるように、恭也は彼女の指に触れようとして。

 瞬間。

 ぶちゅ、っと。生々しい音と匂いを振りまいて、女の子達は内側から破裂。

 ぐちゃぐちゃの肉片に変わった。

「な、……あ」

 呆然とする恭也の視界の中、顔の下半分と辛うじて認識できる肉片が、口だけ動かして言った。

 護ってくれるんじゃ、なかったの?

「あ、……あ」

 希望だけ、持たせて。

「……俺、が」

 貴方が、弱いから。

「――――――っ!!」

 両膝を地面に突いて上げたのは、声なき咆哮。

 そうか、俺が。

 

 俺が、弱いから。

 

「あ、あ……ぁ」

 だから人は死んでいく。どこへ行っても、死んでいく。

 どれだけ刀を振るっても、相手の命を散らすだけで、誰のことも護れやしない。

 足りないんだ、力が。

 俺は弱くて、だから。

 もっと強くならなくては。

 もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっと。

『主! お止め下さい!』

「が、あああああああああああああああああああああッ!」

 全力の眩体を自身の身体に掛ける。何度も何度も重ねがけをして、これでもまだ足りない。

「……まだ、まだだ!」

『主、いけません!』

 鞘に収まったままの魅月から空薬莢が一発排出されて、恭也の身体に膨大な魔力が漲る。

『主! 主ッ!』

「もっと、もっともっと……!」

 二発、三発とロードが続いて、恭也はその魔力を身体に注ぎ込む。

「…………もっとだ!」

 さらにロードは続く。四発、五発の魔力を取り入れた恭也の身体は急激な出力上昇に耐え切れず、ついに血の花を咲かせ始める。

『……主、いけ、ま、せん!』

「もっと、もっともっと力を……俺は、もっと、強くなければ……」

『ぐうううう……!』

 六発目のロードは、しかし途中で止まった。

『……もう、あの、ときの、ような、こと、は!』

 それだけでなく、少しずつではあるが恭也の身の内で暴れ回る強すぎる身体強化魔法が徐々に減衰していく。

『主、どうか……落ちついて、くださ』

「う、あああ、ああああ……おおおおおおお!」

『ぐっ!』

 魅月の抵抗を超え、六発目がロードされる。一際大きく血が舞った。

「強く強く強く強く強く! もっと、もっとだああアアアアアア!」

『落ちついて下さい! どう……か、主!』 

 

 

 

 

 

 

「フェイトちゃん!」

 追いつき、こちらの名を叫んだなのはの判断は苛烈で素早かった。フープバインドで恭也の四肢を縛り、動きを封じる。

 身を捩り、拘束を引きちぎろうとする恭也を視界に収めながら、フェイトは脳の回転数を一気に引き上げた。

 

 御神流 神速

 

 世界がモノクロに染まり、その動きを止める。ゼリーのように重い空気を割いて、フェイトは恭也の下へとひた走る。

 未だ、神速の領域内で動く事は緊急事態以外は師から許されていない。しかし、今はその師の緊急事態なのだ。この時に動かずに、いつ動く。

(……どういう、こと?)

 走りながら、恭也の無事を願う頭とは別に並列思考で違う考えが、疑念が廻る。

(あれだけの魔力で身体強化を発生させたら、いくらなのはのバインドと言えど引きちぎれるはず。ましてや、レストリクトロックじゃなくてフープバインドなんだから)

 あの量の魔力できちんと眩体が発動していれば、なのはが全力で抑えにかかっても動きを止めるのは不可能。であるはずなのに、確かになのはのフープバインドは恭也を止めている。

 疑念の答えは出ないまま、フェイトは恭也の背後へと回った。神速が解ける。

(ごめんなさい、恭也さん!)

 容赦無い電撃魔法をゼロ距離から放った。これは暴れる犯人を確保するための、ダメージを与えるのではなくとかくに意識を奪う事を主眼に作られた魔法だ。

 とは言え、身体強化のきちんとなされた恭也相手には、ほぼ効かないと言っていいはずなのだが。

 ぐらり、と。

 フェイトの目の前、恭也の身体は自身を固めるバインドに吊るされる形で脱力した。

「おにいちゃん!」

 廊下の端からなのはが駆けてくる。フェイトもすぐさま恭也の正面へ回り、跪いて状態を確認する。

 皮膚、筋肉の断裂、それに伴う出血はあるが。

「……前のような事には、なってない」

 軽症とは言わないがそこまで重症とも言えない。丁寧に回復すれば問題ない程度の傷だ。

 ひとまず安堵の溜め息を吐くものの、すぐにあの叫び声を上げていた姿が脳裏に蘇る。

 一体、何があったというか。少なくとも穏やかな事態じゃない。

「恭也さん……」

『お、でし、さま……』

 恭也の名を呟いたフェイトの耳に、かすれかすれのそんな声が聴こえて。

「……魅月!?」

 目を向ければ、そこにいたのは。

 恭也の腰元にあったのは。

 柄に鍔に鞘に、沢山のヒビを入れた魅月の姿。鞘に入った状態なので見えないが、恐らくは刀身も同じ有り様であろうことは簡単に察せられた。

「魅月、こんな、どうし…………あ、も、もしかして……」

『わ、たし、には、この、……よう、な、こと、し、か』

 ポロリポロリと、まるで涙をこぼすように魅月の身体からその欠片が崩れ落ちていく。

「あ、あ、み、魅月……」

 フェイトは、理解した。

 彼女が、その身を挺して主を護ったのだという事を。

 どうして恭也の身体強化魔法が正常に作動していなかったのか、その理由を。

『どう、か……』

 魅月というデバイスは基本的に、恭也の発動する特定の魔法の増幅を行う事に特化した存在である。

 そして増幅は、マイナスの方向で行えばマイナスの増幅を、すなわち減衰をさせる事が出来る。

 彼女は主の発動させた身体強化魔法にマイナス増幅を掛け、彼の身体が壊れないよう必死に護ったのだ。

『あ、るじ、を……どう、か』

 しかし、その代償は大きい。

 マイナス増幅なんて、それは出来ると言っても理論的にはと言った程度のものなのだ。そんな目的でデバイスは作られていないのだから。

 それをあんな大量の魔力で発動された魔法相手に行うというのは、例えるなら大量の水流に対して水車を無理やり逆回転させ、堰き止め押し戻すようなもので。

 当然と言っていいだろう、受ける事になるとてつもない負荷により回路は焼き切れ身体は壊れる。

「おにいちゃん! ……魅月さん!?」

『いも、うと、さま……おでし、さま……どう、か』

 駆け寄ってきたなのはと、見ているだけしか出来ないフェイトの前で、

『あるじを、わが、いと、しい、あ、るじを……』

 おすくいください、と。

 そんな言葉を残して、ついに魅月の身体は砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

「……くそがっ!!」

 投影型のスクリーンを叩き潰すように振り下ろした右手が、当然ながら空を切り特別捜査官執務室の机を叩いた。

「こんな、こんな……なんでこんな……」

 怨嗟の声を絞り出しながら、はやてはスクリーンに映しだされた情報を睨む。

 そこに書いてあるのは、特別武力制圧官専任オペーレーターについて、である。恭也の心が壊れるまで、否、壊れてもなお素知らぬ顔で任務を伝え続けた人物。

 正確に言えば、それは人物ではなかった。

「私達のような存在、という事でしょうか」

「……リイン達みたいに実体が存在するわけやないし、何よりおそらく自我もない。同じもんとは言いたかないな」

「ありがとうございます。ですが、造られた存在という点ではやはり同じかと」

「それは、……そやな」

「実体がないというのは残念でなりませんね。この手で殺してやる事が出来ません」

「それも、そやな」

 医療センターに担ぎ込まれ、意識を失ったまま。恭也がそんな状態になったことで、幸いになどと言いたくはないが状況は大きく動いた。今まで秘匿され続けてきた彼についての情報が、どうやら隠しきれなくなってきたようなのだ。

 特に、親類であるなのはの委任さえあればかなりの所まで触れられるようになった。

 とっかかりがあれば、あとは深く掘っていくだけだ。狸なんて呼ばれる腹芸も探りに役立つのなら使い倒す精神で調査を進め、なかなか掴むことの出来なかった情報達を得る事が出来ている。

 その結果の一つが、今目の前にある特武官専任オペーレーターの素性である。

 人間と同じように人間と会話をするプログラム、それが彼女の正体だった。

「どうしてこんなものを、などと言うのは愚問なのでしょうね」

「せや、な。恭也さんの任務状況はどう考えても常軌を逸しとる。普通のオペーレーターに任せたら、どっかで情が芽生えて何かされるかもわからんからな」

 言葉を区切り、一段と声を低くしてはやては言う。

「都合が悪いんやろ、上にとっては」

「……管理局上層部、ですか」

「わからんがな、どこが糸を引いとるんかは。……あるいは一番上、最高評議会かもしれん」

「それは、殴り甲斐のある相手でしょうか」

「そやなあ、年単位、十年単位で時間がかかるやろうな。攻略のし甲斐は、あるな」

 はやての言葉に、リインフォースは薄く笑った。

「主はやて」

「わかっとる、付き合ってくれるな? リイン」

「全力で以って」

 管理局が憎いわけじゃない。むしろ当然と言うべきだろうが、保護してもらった事にも、罪を償う機会を与えてくれた事にも、恩を感じている。

 だが、管理局の一部にはどうやら、それでもどうしたって許せそうにない思想の者達がいるようで。

「……なあリイン、四年ほど前にジェイル・スカリエッティとかいう阿呆、あいつが結局どうやって恭也さんの情報を掴んだのかって未だにわからないんやったな」

「ええ。……ああ、なるほど」

「いやいや、考え過ぎとは思うけど……ただ」

 立ち上がりつつ、怒気を吐きながら言う。

「この落とし前は、いずれきっちりつけさせたる。何年かかろうが、絶対に」

 

 

 

 

 

 

 時計の音が、耳に痛い。起きないこの人をこうして眺めるのは、実に四年ぶりの事で。

 もう二度と、そんな風には、こんな風にはさせないと誓ったはずなのに。

「……起きるよ、こいつはちゃんと。お前が待ってんだ、ちゃんと起きる」

「……う、ん」

 ヴィータの言葉に頷くと、溜まった涙が情けなく零れた。

 医療センターの一室、真っ白なそこに設えられたベッドの上で眠る兄を、椅子に座って眺め続けてもうどれくらいになるだろう。

 なのはの隣にはヴィータが、向かいにはフェイトとシグナムが並んでいる。フェイトの顔は真っ白で、きっと自分もああなんだろうなんて思った。

 パシュッと、小さな音を立ててドアが開いた。現れたのはザフィーラと、その頭上に座したリンツだ。

「……ザフィーラ、リンツ、どうだった?」

「芳しくは、ないな」

「基礎フレームにまで損傷が届いてしまっていて……。メインコアのデータは無事みたいなのですが、正直、稼動させられるくらいに復旧出来るかというと……」

 シグナムの問いに、深く低い声でザフィーラが答え、泣きそうに揺れる声でリンツが続く。

「管理局の技術部や整備部は、ミッドか近代ベルカの者達がほとんどだ。チューンならまだしも、純粋な古代ベルカの魅月をあそこまでの状態から元に戻すとなると、少々荷が勝つらしい……将?」

「……だったら、するべきは一つだ」

 ザフィーラの言葉に、おもむろに立ち上がったシグナムはフェイトの肩に手を置いた。

「テスタロッサ、私は私に出来る事しか出来ん。だから、精々出来る事をしよう。お前がきっと、そうするように」

「……シグナム?」

「聖王教会へ行ってくる。魅月を直せる人物がいないか探してこよう。なに、剣神と讃える男の愛機が砕けたと聞けば、一も二もなく手を貸してくれるはずだ」

「将、俺も行こう」

「助かる。リンツ、お前は引き続きシャーリーに付いて出来る範囲で修復に当たれ」

「はいですッ!」

 シグナムの命に、彼女なりの意気の籠もった声でリンツは答えた。

 シャーリーというのは、シャリオ・フィニーノという女性の愛称であり、彼女はフェイトの補佐官である。本業は有するデバイスマイスターの資格が示す通り、デバイスの作製・改造・修復だ。

「っと、シグナム、ザフィーラ?」

 シグナム達が出ようとしたそのタイミングで、ドアから白衣の人物が入ってくる。

「シャマル! ど、どうなんだ!」

 がたりと椅子を蹴るように立ち上がって聞いたヴィータに、シャマルは難しい顔をした。

「……そう、ね。なのはちゃん、皆にも一緒に説明してもいいかしら」

「はい、もちろん」

 そんなのは聞かれるまでもない事だが、医者の倫理観から問うてくれたのだと言うこともわかる。頷いて、言葉を待つ。

「まず、身体の事。こっちはそこまで深刻ではないわ。許容量をオーバーする膨大な魔力で身体強化魔法を行使したみたいだけど、魅月の尽力もあって致命的なレベルには達していない。回復魔法もかけてあるからじきに、いえ、そもそも恭也さんが起きて自分で……眩体・修だったわね、あれを使えばすぐにでも治るわ」

 そこで言葉を止めて、シャマルは眉間に皺を寄せる。鋭くなった目つきは、なのはが初めて見る剣呑さを有していた。

「……こっちはそこまで深刻じゃない、って、じゃあ……お、おいシャマル」

 慄いたヴィータに頷いて、シャマルは続けた。

「メンタルスキャン……リンカーコアの反応や脳波なんかを読み取って行う精神の健康診断みたいなもので、その結果が」

 シャマルの声音から表情から、続く言葉が凄惨なものであろう事は簡単に予想がついてしまって。

 

「……う、あ」

 

 心臓が凍ったかのような感覚の中、聞こえたのは小さなうめき声だった。

 全員が弾かれたように声の発生源であるベッドの上へ、すなわち恭也へと視線を向けた。

「…………ここ、は」

「おにいちゃんッ!」

「恭也さんッ!」

 なのはとフェイトは両側からすぐさま彼に縋って。

「……?」

 二人に肩を腕を掴まれながら、恭也は目を開いて上半身を起き上がらせた。

「おにいちゃん大丈夫っ!? おにいちゃん!」

「恭也さん、恭也さん!」

「キョーヤ、起きたんだな!? 生きてるよな!?」

 ベッドサイドに座った三人を筆頭に、場のほぼ全員がそれぞれ声を上げ、言葉を掛けて。

「……皆、落ち着いて。少し、静かにしていて」

 唯一、口を噤んでいたシャマルが、やがて発したひどく低い声は、病室に重く響いた。

「……シャマルさん?」

「ごめんなさい、お願いなのはちゃん、少しだけ私に時間を頂戴」

「わ、わかりました……」

 彼女の常ならぬその圧に、なのはは頷いた。礼を返したシャマルは、柔らかくゆっくりとした口調で始める。

「……恭也さん、高町恭也さん。ここがどこかわかりますか?」

 恭也はその問いに、普通のテンポから一拍遅れる反応で答えた。

「……ああ、自分、ですか? どこ、……すみません、わかりません」

(……、?)

 なん、だろう。

 彼のそんな返答には、声音には、口調には、どこかすさまじいまでの違和感があった。

「では、今がいつかはわかりますか?」

「……すみません、それも」

 確かに高町恭也のはずなのに、どうしてか。

 まるで、別人のような。

 そしてその答えは、すぐに判明する事となった。

「それでは、――――自分が誰か、わかりますか?」

 普通ならば聞くまでもないそんな質問に、

「…………いえ」

 兄は、首を振った。

 そして、ぼうっとした瞳を湛えた顔を片手で覆う。

「……わかり、ません」

 ずるり、と。兄の肩を掴んでいたなのはの手が下に落ちた。

「ここは、どこですか?」

 殴られたように、視界が揺れる。

「いまは、いつですか?」

 カチリカチリと、やはり時計の音はうるさくて。

「おれは、だれですか?」

 愛する人の愛しい声が、たまらなく、胸をかき乱す。




 新シリーズ、リリカル恭也Heartの開幕です。
 やっぱり重いなあと思うんですが、どうでしょう。絶対に書きたい話なので書いてるんですが。

 //追記
 恭也さんがやたらと自己犠牲的になってますが、冒頭の注釈の通り、次の話に説明があります。また一応、この話の中にもそれを匂わす文は入っています。
 //追記ここまで


 時期としては、新暦74年の冬です。Joker、Triangleに続いて今回も舞台は冬。なんかWHITE ALBUMみたいだ。


 時系列を整理すると、
 
 新暦65年冬 闇の書事件(恭也Joker冒頭)
 新暦70年12月 昏睡から目覚める(恭也Triangle冒頭)
 新暦71年1月 管理局へ。訓練校に入校
 新暦71年4月 特別武力制圧官に就任。
 新暦74年11月 特武官就任四年目の終わり頃(恭也Heart冒頭)

です。

 裏設定を少し書くと、特武官就任一年目は出撃ペースがかなり抑えめだったので戦闘漬けではなく、勤務時間中は基本的には鍛錬をしたり、二輪・四輪とヘリコプター、小型船舶の免許を取ったりしてました。ヘリと船はそんなに高級なライセンスではないです。

 二年目も三年目も、要請を出される現場が現場なので決して楽ではないんですが、それなりに余裕はありました。
 プライベートではなのはとイチャついたり、フェイトに修行をつけたり、八神家にもてなされたり、なのはとイチャついたり、皆で遊びに行ったり、ベルカ自治領区や聖王教会に顔を出したり、なのはとイチャついたり、あとは、大体なのはとイチャついたりしてました。
 おかしくなったのは三年目の終わりあたりから。

 海鳴の家を出たのは特武官就任二年目の頭。なのはが中学を卒業してミッドチルダへ移住する事になったときに、恭也さんもミッドチルダへ。
 色々あって同じ部屋で住む事にして(これを聞かされたフェイトがショックのあまり意識を手放したり、八神家女性陣の機嫌が非常に悪化してザフィーラが胃を痛めたりという微笑ましいエピソードがある)、本編でもそのような事が書かれてますが、一年と半年間、二人で暮らしました。



 全三話なんですが、最終話(今書いてます)が長くなりそうなので、場合によってはそれだけは前後編にするかも。

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