魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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第23話 認めてあげて | 許してあげて (前編)

「ごめんなさい! 本当に、本当にごめんなさい! 私が、私が……っ、離れたりなんて……っ、本当に、ごめんなさいっ!」

「事が終わればこの腹、かっさばいて詫びさせてくれ」

「いえ、お二人の判断は間違っていなかったと思います。多分、私がその場にいても同じ事をしていました」

 床にへばり付くように頭を下げる二人に、なのははそう返す。

「おにいちゃんの事を思って、精一杯をしてくださったってわかっていますから。ありがとうございます、シャマルさん、ザフィーラさん」

「……なのはちゃん」

「……すまん」

 顔を上げたシャマルとザフィーラに微笑んで、なのははベッドに眠る兄に目を移した。彼の手を握ったまま、クロノに問う。

「おにいちゃんの、記憶は……」

「僕が確認した限り、確かに戻っていた。ロッテとアリアの話によると、彼らが魔法を放つより前に、敵方の一人には誰かしらから攻撃を喰らった痕があったらしい。状況から考えてそれは恭也さんしかいないだろう。つまりおそらく、奴らと交戦して、それをきっかけに。……あとは、受けたという精神汚染波が過去の記憶を刺激したか」

「……もともと、記憶を取り戻しそうな気配はあったし、それ自体は時間の問題でもあったと思うわ」

 気遣わしげにそう言ったシャマルの言葉通り、確かになのはの感覚でも、時折兄の声に表情に、変化の兆しはあった。

 だが、どう間違ってもこんな形で戻ってなんて、欲しくなかった。

「殺す、ぜってえ殺す……。次に奴らを見たら、全員殺す……。やり過ぎてムショにぶち込まれても構うもんか……」

 恭也の傍で顔を伏せているヴィータから、低い怒声が聞こえてきた。

 恭也が襲撃を受けたという連絡は、昨日の夜、クロノからもたらされた。現場に急行してみれば、事態は一応の収束を見せていて。

 リーゼロッテとリーゼアリア、闇の書事件の際に一時、敵に回っていた二人がクロノの要請で秘密裏に恭也を警護をしていてくれたおかげで、最悪の事態だけは防げた。

 シャマル達の方はかなり多勢に無勢だったようで、防戦が精一杯でこちらも賊を捕らえる事は出来なかったらしい。激戦だったようで、書の騎士という特殊性がなければ間違いなく病院送りになっていただろうくらいの傷が、手練の二人にはあった。

「一番警戒すべきは姿を変えるらしい敵か。厄介ではあるな」

 シグナムが低く言う通り、どうやら敵方には自在にその見た目を変化させる事の出来る者がいるらしい。

 シャマル・ザフィーラから恭也を任されたはずの女性は、眠らされた状態で医療センターの清掃用具入れの中から発見された。目覚めた彼女に話を聞いてみれば、昨日の夕方ごろ、何者かに襲われたらしい。

 眠らされていた彼女がシャマル達の前に現れるはずがない。だとすればそれは、彼女の姿をした別人。

 そしてそいつは、入れ替わったらしい夕方以降に会った彼女の同僚たちにも、そしてシャマルにも、全く不審感を抱かせなかったという。さらに、あの医療センターの中には本当の職員かどうか、生体反応でチェックする認証装置が幾つも設えられているというのに、それらも問題なくスルーしている。

 相当に高度な変身技能と言っていい。

「この場にいる人間は、少なくとも本物のはずだよな?」

「だな、あれだけの腕前は本人だけだ」

 ヴィータの言葉にシグナムが頷いた。

 変身技能を持つ相手方の対策になのは達が行ったのは、人格と知識によるチェックに加え、戦闘能力の確認だった。

 いくら変身が出来ようと、能力やスキルまでコピーされるとは極めて考えにくい。ましてや動きのクセは、たとえ完全に身体をコピーしたとしても写されるものではない。

 模擬戦と言うには短時間だが全員がいくつかの異なる組み合わせで戦闘を行い、間違いなく本人だと確認し合っている。

 なお、その模擬戦の最中は、クロノとリーゼ姉妹が誰一人として恭也の傍には近づかせなかった。

「後は、この場所の警備だけど……」

 

「出来うる限りの厳戒態勢を取らせて頂いております。聖王教会の威信にかけて、卑劣な簒奪者など決して通しません」

 

 なのはの言葉に答えたのは、上品な作りのドアを開けて入ってきた、長い金髪と聖王教会の特徴的な服装が印象的な女性。

「貴女は……」

「聖王教会騎士、カリム・グラシアと申します。一応、管理局にも籍を置かせて頂いておりますわ」

「私がようようお世話になっとる、お姉ちゃんみたいな人や。恭也さんとも面識あるし、間違いなく信頼出来る」

 後ろから現れたはやての言葉に、なのははあからさまにではないが作ってしまっていた警戒を解き、席を立って敬礼。

「管理局教導隊所属一等空尉、高町なのはであります」

「ご武名はかねがね。どうか、楽になさって下さい」

 言葉に従い敬礼を解くと、彼女は穏やかな顔で微笑んだ後、恭也へと視線を向けた。

「ご存知かどうかはわかりませんが、ここ聖王教会、ひいてはベルカ自治領においてお兄さん、高町恭也さんの名前というのは非常に特別で重要な意味を持ちます」

 それは、いつかはやてやリインフォースから聞いた事のある話だった。

「結構な人気、というお話は耳にした事があります」

「結構、では済まないかもしれません。拝み倒して一度だけ講演会に出て頂いた時には、パニックになって四時間ほど開始が遅れましたわ」

 こと戦いとなれば苛烈だが、基本的には穏やかな気質のベルカの民達が、そんな風になるのはひどく珍しいだろう。確かにそれは、結構では済まない人気だ。

 高町恭也がベルカ自治領や聖王教会においてそれだけの人気を博しているという要因は、なのはの知るかぎり三つある。

 まず一つは、彼が古代ベルカ式の術者である事。古代ベルカの魔法を使える者は次元世界群においても自治領においても少なく、使えるというだけで聖王教会においては基本的にV.I.P.の扱いを受ける。同じように古代ベルカ式の使い手であるはやても、聖王教会では結構な顔だ。

 二つ目は、ミッド式が天下を取っている現代、その膝元であるミッドチルダ本国に地上本部を構える管理局において、古代ベルカ式の彼が最高のSSSランクと共に最強の単体戦闘能力保持者の評価を受けている事だ。

 最高ランクに見合う実力を数限りない戦場で披露してきた特武官は、少なくとも肉眼での目視距離内において一対一でやり合ったなら誰も勝てない強さであるというのが局員の中で定説として根付いており。

 ミッド式が天下を取って久しい昨今、近代ベルカという形で蘇りはしたもののどこか寂しい思いを抱いていたベルカの民達は、それを聞いて大いに励まされたらしい。

 また、それだけ強いという事自体も、高い実力を持つものには深い敬意を表するベルカの民達にとって、とてつもなく眩しいものに映ったという。

 そして三つ目は、ベルカ自治領で発生した緊急事態において、彼が非常に大きな功績を打ち立てた事だ。

 一年半ほど前、ミッドチルダ北部に属するベルカ自治領のさらに北、最北端の山の麓にて大混乱が発生した。

 竜族のごく一部、特に巨大で強大な力を持つものを真竜と呼ぶが、その内の一頭、真っ赤な鱗の轟炎を操る竜が人間にその威を振るったのである。

 原因は密猟者による保護生物、植物の違法乱獲。聖域と呼ばれ、ベルカの民達が決して無闇に足を踏み入れなかった領域へ愚かにも踏み入った彼らは、当然のようにそこの主たる真竜の怒りを買った。

 常であればそれでも、竜が攻撃の対象とするのは密猟者達だけであったのだが、問題はその一団の中に、彼らを手引きしたベルカの民の者が何人かいた事だった。

 清廉なベルカの民と言えど、全員が全員、決して蛇の道をいかないわけではない。ないがしかし、お互いに敬意を払い合い、決して敵対行動は取らないと大昔に硬い約定を誓い合った真竜への背徳はいかにもまず過ぎた。

 特に深い知と理を持つ真竜は、何より誠実さと誇りをこそ大事にするものだが、その一件は両方へと爪を立て、結果、ベルカの民という民族そのものへ竜は攻撃を開始。

 こと戦闘においては真竜の中でも恐らく最上位、桁外れの力を持つと恐れられていた獄炎王と呼ばれるその竜は、伝承の通り、途方も無い力でベルカ自治領を北から破壊していった。

 聖王教会の騎士団や、近くに駐在していた管理局の局員達が応戦するも、防戦が精々。

 戦線は見る間に下がり、多くの人びとが暮らし歴史ある建物も数多くある、大きな市街区にあと少しまで迫った頃、管理局は他の任務から上がってきた特武官に出撃を要請。

 現場に転送で到着した恭也は、騎士団員や局員たちに一般人の救助と治療を頼み、挑発して人のいない荒野まで引き付けた上で、単身で獄炎王と戦闘を開始。

 援軍は竜の撒き散らす灼熱の炎と衝撃波で立ち入れず、また、恭也が一対一の方が良いとそれを断ったため、結局入る事はなく。

 曲の観測班や多くのベルカの民達がサーチャーの遠隔映像越しに見守る中、繰り広げられた死闘はおよそ二日間に渡った。

 眩体により自己修復力を上げる事は可能だったが、この時はまだ完全に近い再生力を発揮する眩体・修を会得していなかった恭也はそれなりに満身創痍、その身にいくつも斬り傷を刻まれ吐き出す炎も勢いのなくなってきた獄炎王も同じく、いつ倒れてもおかしくない有り様で。

 結局、一人と一頭は、お互いに引き分けを提案。

 自分と引き分けた恭也の事を気に入ったらしく、時折彼が顔を見せに来る事を条件に、今回ベルカの民が犯した背信行為を許し、獄炎王は山へと帰っていった。

 ベルカの民の間ではこの話は現代の英雄譚として語られており、なのはもリインフォースに見せてもらったのだが、既に絵本が出来ていた。

「真竜を相手取り、武を以って和を成した黒衣の剣神。私達ベルカの民は彼に深い感謝と尊敬を抱いていますわ。故に、協力は微塵も惜しみません。むしろ、こうして私達を頼って下さった事に感謝をしたいくらいです」

 現在、恭也が身を預けているのは管理局の医療センターではない。ベルカ自治領に立てられた聖王教会の附属医療施設、聖王医療院だ。

 入院していた管理局の医療センターは、爆発騒ぎが昨日の今日であるために今だ騒がしく、また、一度賊の侵入を許しているという点において少々信用が出来ず。

 ではどうするか、いっそクロノのアースラになどと迷っていた時、以前から恭也の状況をはやてから聞き是非来て欲しいと話をくれていた聖王教会が、今度こそうちにと大きく声をあげてくれたので、厄介になる事にしたのだ。

「現在、リインフォースさんやフェイトさんと共に周囲の警戒にあたっている者達も、そしてこの医療院で恭也さんに関わる事を許された者達も、身体だけでなく人格や知識、技能で本人だと念入りに確認を取ってあります。チェックは日に三回、交代制で万全に。これで当面は大丈夫でしょうか、なのはさん」

「はい、ありがとうございます」

 厳戒態勢に加えそこまで徹底した管理がなされていれば、いかな姿を変える手合いと言えど潜入は非常に難しいはずだ。

「もし至らぬ点にお気づきになれば仰って下さい、すぐに対応させて頂きます。それから、皆様方。もし私達の中に怪しい動きを見せるものがあれば、躊躇わずにお斬り下さい。警護と看護に参加している全員が、誤解で素っ首刎ねられたとしても文句はないと誓約書にサインをしております。もちろん、この私も」

「わかりました。ではその時は遠慮無く、斬らせて頂きます」

 苛烈なカリムの言葉にシグナムが間断なく応じた。どこか、ベルカの人達は兄と似ているような気がする。

「本当に、ありがとうございます。そこまでして頂いて……」

 なのはの言葉に、カリムは憂いのある顔で首を振った。

「……いえ、受けた恩に比べれば本当に、なんという事も。むしろ、大してお力になれず、申し訳ないくらいです」

「そんな事は」

 カリムが口にしたチェック体勢は、すさまじい労力とひどく重い覚悟の上に成り立っている。彼らの誠意は、痛いくらいに伝わってくる。

「いいえ、こんなもの、本当に……。恭也さんは謙虚な方で、以前の真竜騒ぎの時もなにも受け取って頂けなくて……。なんでも一つ、聖王教会がその力の及ぶ範囲でなら願いを叶えるとも誓わせて頂いたんですが、それも一向に使って頂ける気配はなくて……だから、いつも私達は恩を返す機会を伺っているんです」

 困ったように、そう言ってカリムは苦笑をした。

「謙虚、ですか」

「はい、あれほど控えめな方はそれを美徳とするベルカにもなかなかおりませんわ」

「……兄はベルカでも、沢山の人を救ったんですよね」

「え? ええ、それはもう」

「…………他の仕事でも、たくさん。他の世界でも、たくさん、たくさん。兄は、命を救ってきたんです。人を助けてきたんです。誰かを、護ってきたんです」

 兄の顔を見ながら、なのはの口はどこか、堰を切ったように動き始める。

「剣を振るって身を盾にして、そんな風に、生きてきたんです」

 なのはが物心ついたときにはもうとうに、兄の恭也はそういう人間だった。

 そんな兄が、誇らしくって。

 そんな姿が、愛おしくって。

 だけど、すぐにわかった。

「でも、どれだけ救っても、どれだけ助けても、どれだけ護っても、兄は、気づけないんです。それだけの事をしても、どれだけの事をしても、自分は自分を誇っていい人間なんだって、そんな事に、この人はずっとずっと、気づけないままなんです」

「なのはさん……」

「わかってるんです、ずっと前からわかっていたんです、この人は、この人は、……もうはるか昔に、この人を諦めちゃったんだって事を」

 高町恭也が唯一この世で決して護らない人間がいるとしたなら、それは、高町恭也自身だろう。

「カリムさん、だから、少し、違うんです。兄は、謙虚ではあるんですけど、でも、……それより何よりこの人は、自分の事が好きになれなくて、自分の幸せを願うことが出来なくて、だから何も貰おうとしないんです。出来ないんです」

 一番近くで見てきたなのはだから、はっきりと言える。

 彼の幸せの勘定に、彼自身は一度だって入った事がない。

 誰かを護る彼の剣は、彼自身を護るためには決して振るわれてこなかった。

「ちゃんと、伝えなきゃいけなかった。もっと、伝えなきゃいけなかった。この人がどうか、この人を好きになれるように。この人がどうか、この人を愛せるように。この人に護られた私が、きっと、絶対、世界で一番この人に護ってもらってきた私が、誰より伝えなきゃいけなかった……」

 自分が生まれてきた、その意味を。

 わかっているつもりだったのに。

「……なのはさん、でも、私はありますよ」

「……カリムさん?」

 美しいその美貌に似合いの澄んだ声で言ったカリムに聞き返すと、彼女は微笑んで続けた。

「仰るように、恭也さんはとても……正直に言えば確かに、危ういくらいに自分を顧みない方ですが、でも、彼が誇らしそうにしている姿を、私は見た事があります」

「……え?」

「器量も良ければ気立ても良くて、職場では誰もが認める空のエース・オブ・エース。プライベートでは少し寝起きが悪いけれど、誰よりも可愛らしいって」

「……そ、れ」

 交わした言葉を思い出すような、少し眇めた眼のカリムはなのはに頷いた。

「出来た妹だって、なにより自慢だって、そんな風に言っていました。ベルカでは聞かない名前の響きが可愛らしくって、由来を聞いたら、花なんだって教えてくれました。小さくて、でも色鮮やかで、明るい気持ちにさせてくれる花だって」

「……っ」

「なのはさんの仰った事は、きっと間違っていません。それは、貴女の役割なんだと思います。大して貴女がたの事を知らない私ですが、そんな私だから勝手な事を言わせてもらうと、きっと」

「……――――」

 浮いた涙を強く拭って、息を一つ吐き一つ吸う。

『Master, Does your flame still blaze?』

「ちょっと、情けなく揺れてたかも。でも、消えたりなんてしてないし、しない」

 問うてきた愛機に答えた通り、だ。

 例えこの身の全てが一片残らず焼け落ちたとしても、だったら炎そのものになってやる。

「……次に兄が起きて、私の名前を呼んでくれた、その時は」

 なのはは、強く言葉にして誓いを立てた。

「持っている限りの光と熱で、この人を照らします。私の、全部を懸けて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルカの空は、高い。

 清廉な大気が空の青を鮮やかに、それでいて深く見せているのだろう。冬に差し掛かったこの季節、寒くはあるがそれだけに、身の引き締まる気持ちよさがある。

(こういう空は、好きだろうな)

 聖王医療院、その中心に建てられた入院棟の正面入口を固めながら、そんな事を思う。

 フェイトの愛するその人は、時折空を見上げる癖があった。晴れでも雨でも曇りでも、たまにぼんやりと視線を高空へと投げる。

 だけどやはり、よく晴れた日の空が一番、彼の視線を長く惹き付けるように思う。

 そんな横顔を見るのが、フェイトは好きだった。

 常に凛としている彼が、その時ばかりは少しだけ油断しているようで―――可愛くて。

 一体、いつ頃からだったろうか。

 優しくて、頼りになって、誠実で、大人で、格好良くて。

 そんな彼が、しかしたまらなく可愛く見えるようにもなったのは。

 年上の男性で、自分の剣の師匠で、なのにそれでもやっぱり、胸にぎゅっと抱きしめて、あらん限りで包んであげたい気持ちが溢れてくる、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンにとって高町恭也はそんな人にもなっていた。

 だって、時折見せる顔が、たまらないのだ。

 うちに抱え込んだ不安や寂しさを、仕方ないものと割り切って飲み込んで、それを誰にも気づかれていないと信じ切っている顔で、何でもないように自分自身を突き放し続けるその姿が、たまらない。

 たまらなく、温もりを伝えたくなる。

 この世界に確かに存在する暖かさを、その受け取り方がわからないまま途方もなく強くなってしまったあの人に、届けてあげたい。

 きっと誰よりもあの人の強さを知っている自分だから、あの人の誰にも見せたがらない弱さを、そのままで良いと言ってあげたい。

 

"君はちゃんと、人に甘えることを覚えるべきだ"

 

 それはかつて、彼から言われた言葉。

 自分はもうこんな自分を変えられないけれど、君はこうなったらいけないと。これから君は、人に甘えられる君になるんだと。

 そんな風に、彼は言ってくれた。

 あの時の自分は小さな子どもで、引きずっていた影を看破されて、その上でそれを払ってもらって、優しく抱きとめてもらったその事で、頭と心がいっぱいで。

 言われた事を、もらった熱を、馬鹿みたいに抱きしめるだけしか出来なかったけれど。

 今は、もう違う。

 貴方だってと、そう言える。

 言われた事をそっくりそのまま、あの人に返す事が出来る。

 そうしたら、世界中の誰よりも自分が彼を甘やかすんだ。辛かったねって手を握り、頑張ったねって頭を撫でて、泣いてもいいよと胸に抱くんだ。

 もう、躊躇わない。いままでずっとまごまごとやってきた事の結果が今なら、もう一瞬だって躊躇うものか。

「……ん」

 滾る精神が、どうやら気配察知の調子を良くしている。ここからは見えない、聖王医療院全体の正面入口付近で何やらやっていた人物が、作業を終えてこちらへ来るのがわかった。

「……万全は、期さなきゃね」

 その人物は気配察知範囲から外れた事もあったので、フェイトにしてみれば入れ替わった可能性がないとは言えない。

『リインフォース』

『本人だ、入れ替わるタイミングはなかった』

 上空にて待機し、俯瞰で観察してるリインフォースに念話で確認を取ると、すぐにそんな返答。

 息を吐いて、引き上げていた警戒のレベルを元に戻した。

 そのまま待っていると、その人物はすぐにこちらへやってくる。

「フェイト、お疲れ様」

「ユーノも」

 色素の薄い長い髪を後ろで縛った眼鏡の男性、ユーノ・スクライアはフェイトの眼前三メートルほどで一旦足を止める。

「確認は?」

「ずっと見ていたリインフォースに聞いたから、大丈夫」

「そっか」

 微笑んで、彼はもう少し傍まで来た。

「それで、報告だけど、登録されていないリンカーコアもしくは生体反応を持つものが触れた時に、その侵入を妨害する結界を作っておいた。皆へ警告の連絡を付けるシステムを組み込んだから、その時はフェイトにもバルディッシュに向けてアラートが行くよ。侵入妨害結界は魔力専用層、物理専用層の後ろに複合層、さらにその裏に転移妨害の層も付けた。転移妨害層はキーさえ知っていれば素通り出来るようにもしてある、それは僕達の中の転移を使える人間だけに教える事にするよ。それから、第一の結界が破られた際には自動で、残るありったけの魔力を使ってこの入院棟を囲むように第二の結界が構築されるようにもしてある。ああ、結界への魔力供給だけど、これはユニバーサル規格にしてあるから登録済みの人間であれば誰でも出来る。その方が常に潤沢な防護が維持できるからね。攻撃を受けたら適宜魔力を注ぎ込んでさらに硬くも出来る。陣の構造はフェイトを含む主要メンバーに送っておいたから後で確認しておいてくれ……あ、ごめん、一気にしゃべり過ぎたかな」

「……いや、そうじゃなくて」

 それがないかと言えば嘘にはなるかもしれないが、フェイトがあっけに取られているのはそこではない。

「そこまで多機能な結界システムをもう組んだの……? 効果範囲だってこんなに広いのに、昨日の今日で……」

「なのはやフェイト、はやて達みたいな攻撃の力はないけれど、結界は数少ない得意分野の一つだから、これくらいはね」

 苦笑しながらユーノはそんな風に言うが、彼がこなしたのはこれくらいなどという表現で収まる仕事の量でも質でもない。

「さすが、なのはの先生」

「や、やめてくれよ……それは、ほんの一時のことだ。なのははすぐに自分の力で飛び始めたよ」

 少し懐かしそうな顔をして、ユーノはそう言った後、表情を曇らせる。

「それに、僕のこの結界は結局、例の姿を偽る敵には最悪、スルーされる可能性がある。完璧とは、とてもじゃないけど」

「それでも、そいつ以外は足止め出来る。ありがとう、ユーノ」

「……いや」

 暗い表情のまま、彼は首を振った。そして、表情に似合いの、影を引きずる声音で落とす。

「ずっと、……ずっと、いつか謝らなきゃいけないって、思っていたんだ」

「……ユーノ?」

「あの日、僕が助けを呼んだから、なのはは普通の女の子じゃなくなった。それを追うようにして、恭也さんも」

 彼の視線は、恭也が眠る一室の方角を向いている。

「僕がああしていなければ今頃どうなっていたかなんて、そんな事はわからないけれど、少なくとも、こんな事にはなっていなかったはずなんだ。……馬鹿な事言ってる、詮のない事を言ってる、わかって、いるんだけど」

 自嘲気味に呟いて、彼は頭を振った。

 言っている事も、その気持ちも、フェイトにはよくわかる。

 わかる、けれど。

「……ごめんね、ユーノ。勝手な事を言うけど、私はすごくユーノには感謝しているんだ」

「……フェイト」

「だって、そうだよ。だって私、あの時なのはがいなければ、今こうしていない……っていうか、多分、ううん、絶対、死んじゃっているはずだから」

 どのタイミングで、かはわからないけれど。どこかのタイミングで、確実にそうなっていただろう。

 なのはと出会えなかった自分だったらもうとっくの昔に間違いなく、生を手放していたはずだ。

「私はきっとその筆頭なんだけど、この場に集まってる皆って、なのはと恭也さんがいなければ、今こうしていない人間ばっかり。皆、信じられないくらいおせっかいなあの二人に、救われてきた」

「そう、だね。うん、……その通りだ」

 パン、と。ユーノは自らの顔をその両手で挟むように叩いた。

「あの時こうしていれば、いなければじゃないよね。過去を振り返るのは僕の専門だけで十分だ。重要なのは、これからどうするか、そのはずだ」

「……うん」

 もちろん、今と未来で努力する事で過去の全てが許されるわけじゃないけれど。

 それでもそれが、救われてきた自分たちが示すべき誠意のはずだ。

「ごめんフェイト、馬鹿な話に付き合わせて。……ああ、そうだ、有益な話題があるんだった」

 ユーノはそう言うと上着のポケットをごそごそと探って、やがて小型の記憶媒体を取り出した。

「それは?」

「有益と言うか、いいニュースと言うか。クロノと一緒になって無限書庫を漁りに漁った成果が出た。魅月の開発データだ」

「―――本当ッ!?」

 思わず前のめりになったこちらへ、ユーノはしっかりと頷いた。

「ああ、間違いない。設計図まで残ってた。これさえあれば、時間をかければ彼女の身体を復元する事が可能なはずだ」

「……よか、……った!」

 脚がへなへなとへたり込みそうになる。安堵の息が、大きく漏れた。

「恭也さんの顔を見て、なのは達にさっきの結界の説明をしたら、管理局へ行ってシャーリーとマリエル技師に渡してくる。……無限書庫からの生データでね、色々整理してないから通信だと不安があるんだ」

「うん、わかった。どうかお願いって伝えておいて」

「間違いなく」

 頷いた彼を見ながら。

 やはりつくづく、ユーノ・スクライアという人物は頼りになるなとわかりきっていた事を、改めて実感した。

 

 

 

 

 

 

 

「……申し訳、ありませんでした、ドクター」

「元の任務にお戻り。駄目だったものは仕方ない」

「……はい。失礼します」

 造り出した娘たちの上から二番目、高町恭也奪取の任を与えていた内の一人、ドゥーエは頭を下げてからスカリエッティの研究室から出て行った。

「……あー」

 眼を瞑り、ガリガリと頭を掻く。数秒の後、スカリエッティの手は目の前のコンソールを苛立ちそのままに引っ叩いていた。

「っ……あと少しで! あれが手に入るはずだった!」

「ドクター……」

 娘たちの一番上、秘書役をやらせているウーノが気遣わしげに声を掛けてくるが、スカリエッティの苛立ちは晴れないままだ。

「……感情をそこまで露わにされるのは、あまりらしくありません、ドクター」

「らしくない? 私はね、【無限の欲望】なんて開発コードで造られたんだよ? 欲しいものが手に入らないというのは、身を裂かれるよりなお辛い。それが極上となれば、筆舌に尽くしがたいものがある」

「……最強の生物兵器の素材、そう仰られていましたね」

「ああ。私の持つ全ての技術を使って、最強のNo.13を造るはずだった」

 もう随分と前から目をつけているが、あれほどの素材は、本当にいない。

「手に入っていたら、花火の上げ方も随分違ってきたんだが……」

 ベルカ王朝時代に造られたロストロギアであるゆりかごを軸にした、大きな大きな花火。

 その打ち上げは、もうそろそろなのだ。

「とは言え、もう狙うタイミングはさすがにないかと。……調べた限り、現在の入院先の防護は人員による徹底的な警護体制、そして組まれた異様に念入りな結界合わせて、強固という言葉ではとても足りないくらいのものです。攻めるには、こちらも本当に本腰を入れる必要があるかと」

「…………」

「今回にしても危ない橋だったのですから、そんな事をしてもしもの事があれば、最悪、打ち上げ前にここを抑えられる可能性すらあります」

「……だろうね、潮時か」

 無限の欲望を持つ自分だからこそ、一番の願いを見誤ってはいけない。

「仕方ない。完成度は落ちるが、違うアプローチでいこう」

 溜息を吐いて、スカリエッティは頭の中に展開してあったプランの舵を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うー」

「主はやて、少々、無理が過ぎるのでは?」

「せやなあ……わかっとるんやけど、今が踏ん張りどきな気ぃしてな。……ふわぁ」

 リインフォースに答えながらも、はやての口からはあくびが漏れた。

 恭也が聖王医療院に運ばれてきてから、今日で三日目。

 抱えている案件が多すぎて、そして一つひとつが重すぎて、結果、はやての生活において何が削られているかと言えば睡眠時間だ。

「とは言え、これで一つはなんとかなった。マリーさんにはほんまに感謝や」

「こんな急なチューンを、本当によくやって頂きました。……主の負担は、やはり大きいですが」

「それを言うたらリインもやろ? お互い様や」

 二人揃って少々ふらふらとしながら、聖王医療院の中庭を歩いて行く。時刻は真夜中だが、そこかしこに人の気配が感じられる。

 警戒態勢は、しっかりと機能しているようだ。

「カリムを通して教会のお偉いさん方との話も詰めていけとるし、……ほんまに、上手く行けばええんやけど」

「……ですね。あとはタイミングでしょうか」

「せやな。とりあえず、あれの事を二人に説明して、それで相談や。……まあ、ちゅうても、恭也さんの状態がほんまにわからへんから、中々難しいんやけど」

「……」

 ピタリと、隣を歩くリインフォースの脚が止まった。はやても止まり、振り返って顔を見れば、美人が泣きそうな顔をしている。

「リイン?」

「主はやて。騎士恭也がああなってしまう事を……私は、ずっと前からわかっていた気がするのです」

「……それは」

「かつて、彼のリンカーコアを喰らったその時に、彼の心身をこの身の内に収めたその時に、私は、理解しました。そのすさまじいまでに硬く強い信念で輝く心の光が、しかし彼自身を、彼の行く道を決して照らしていない事を」

 歪で、危うくて、そして何より寂しい心だったと。

 項垂れて、リインフォースはそう零す。

「労りも、慈しみも、愛しい想いも、その全てが外側に向いた輝き方は、取りも直さず、内側は一片の光もない虚無の闇である事を示します。私の眼には確かに、彼の心は真っ暗に見えました。それは、わかっていたんです。……でも」

 リインフォースは、揺れる声で続ける。

「それでも彼は、そんな自分を理解してなお、そのままであり続ける事を選択した。護りたいものたちさえ照らされていれば、それでいいんだと言い切った。……私はそこに、美しさと尊さ、気高さを感じました。だから、彼はきっとこれでいいのだと、そう思っていたのです……愚かにも」

「……それは、私も同罪や」

 惜しみなく周りに想いを注いで、その手で護り続けるその姿は、言ってしまえば八神はやてにとって目標だった。

「私も、あれは素晴らしいもんなんやって、そんな風に阿呆みたいに何も考えんと憧れとった」

 性別も性格も、戦い方や適正だって何もかもが違うけれど、自分もいつかああなりたいと、ああならねばならないと、そんな風にすら思っていた。

 そこには何の疑いもなくて、こんな事になって初めてその在り方の問題をようやく、本当の意味で理解した。

「駄目なんや、それじゃあ、あかんねん……。護って護って護り続けて、それでああなったら、それは結局、悲劇が一箇所にまとまったに過ぎん。護った側も救われて初めて、世界の針はプラスの方向に振れるんや」

 どうにもならない悲しみの這いずり回るこの世界を、少しでも優しくしていきたいと願って、はやては管理局に身を置いている。

 であれば、負担の全てを身に引き取って最後に崩れるあのやり方は、憧れてはいけなかったのだ。

 自分だって、自分の護りたい世界の一部であるのだから。

「気付くのが、遅いよなあ」

「……はい」

「せやけど、……落ち込んでいつまでも立ち止まったらあかんねん。ずっと泣いてたらあかんように、な」

「……そう、でしたね」

 息を吐いて、リインフォースは不器用に、しかし確かに微笑みを浮かべる。

 地面に縫い付けていた足を動かし始めた彼女が隣に追いつくまで待って、はやても歩みを再開する。

 上品な庭を過ぎて入院棟正面入口へ入る寸前、空を見上げればそこには桜色と金色の光が見えた。

「今日の外警備はあの二人やったな、万全や」

「あそこを突破できる人間など、それこそ騎士恭也くらいのものでしょう」

 そんな会話を躱しながら入院棟の中へ。魔法の適正があるからかどうかはわからないが、はやてはベルカの文化が好きだ。上品な調度と落ち着いた色合いが、心を穏やかにしてくれる気がする。

 歩ける程度に、足元にだけほんの少し灯りの付いた廊下を、リインフォースと二人、行く。

「恭也さんの顔だけ、とりあえず見てこ」

「……穏やかに眠っていれば、いいのですけれど」

「……たまにうなされてるもんな」

 眠る彼から時折漏れる言葉は大抵が謝罪と自己否定で、どんな夢をみているかなんて簡単に察せる。

「早く起きて欲しい、……けど、ほんまに勝手な事を言えばまだタイミングが早くもある」

「ですね……」

「この後ほんのちょっと寝たら明日、眠気のとれた頭で動作チェックを万全に行って、問題なければその後二人にちゃんと説明や。それで準備を整えてもらって、……それからがベストはベストや」

 なかなかこの世界とは大抵、そう万全な構えでは事にあたらせてくれないというのがはやてのこれまでの経験則ではあるのだが、願う願わないはそれでも別だ。

「……なんや今日は、あれやな、月明かりが目を惹くなあ」

「暗い室内に入ると、途端にそう感じますね」

 外を歩いていた時は大して意識しなかったのだが、リインフォースの言う通り室内にいると、窓から差し込んでくる光の存在感に気付く。

 押し付けがましくはないが、しかし確かに輝く銀色の月は、どこか魅惑的で。

 主想いの彼女を、思い出させる。

「……はよう直ってくれるとええな」

「我が友は、タフな女です。必ずや自分の主の元へと帰ります」

 リインフォースの確信に満ちた言葉が頼もしい。

 とは言え、ユーノとクロノが設計データを見つけ出してくれたおかげで目処は立ったが、魅月の修復にはまだまだ時間がかかる。年単位とは言わないが、半年は見る必要があるかもしれない。

 それほどまでに、彼女の傷は深かった。逆を言えば、彼女がそうまでしなければ、本当に最悪の結果になっていた可能性があったという事だ。

 現状は綱渡りだが、彼女のおかげでそれでも出来る事があり、求められる望みがある。

(だから、精一杯をせな、な)

 そんな、はやての改めての決意は。

 

「……はやてか。すまんが、聞きたい事がある」

 

 角を曲がり、恭也の眠る病室の前へ差し掛かって、すぐに試される事となった。

「……こんばんわ、ええ夜やね」

「そうだな。良い月だ」

「ほんまになあ、綺麗なもんや」

 自分でも呆れるくらいに、平然とした声が出ている。

 こういう時に、自分の腹芸への適正を感じるものだ。たまに嫌になる事もあるそれに、しかし今は感謝したい。

「き、騎士、きょ……っ」

 突然の事態に慄くリインフォースを、目線で落ち着かせ、黙っていてもらう事にする。

 今は、不用意な発言の一つも許されない。

「……なあ、いないんだ、魅月が」

 自らの病室の前、暗い廊下の窓際に立って月を見上げる彼、高町恭也はどうも、クロノの言う通り記憶を取り戻しているようで。

「本局との連絡端末もない。これでは、俺は、護りに行けない」

「こんな穏やかな夜や。お部屋でゆっくりしててええんやで、恭也さん」

「ここは穏やかでも、どこかは戦火に包まれて、きっと誰かが泣いている。俺は、行かなくてはいけないんだ」

 こちらを見やった彼の瞳には、しかし正気の影はない。

 どこかぼうっと虚ろな、それでいて強い想いを湛えた、狂気と言っていい色がそこには鎮座ましましている。

(最初に気付いたんが私らだったって言うのは、……幸運か)

 彼の意識が戻れば看護師が駆けつけてくるようにはなっているし、すぐ近くに警護の人員もいる。

 彼らが気付いてここに来るまでの間に空いた僅かなタイミングに、自分達が来たという事だろう。

 懸命にやってくれている彼らにはもちろん心から感謝しているが、自分たちよりもうまく対処出来るとは流石に思えない。

「そう、そうなんだ。行かなくては、俺は、俺は、それしか、出来ないんだ……」

 ゆらりと、彼がその身を窓際から離し、こちらへ一歩踏み出してくる。

「行かなくては、行かなくては、俺は、俺は……俺は」

 月明かりを反射して、彼の瞳は乾いたまま、しかしどこか決定的に泣いているように見えた。

 流せない涙がきっと、内側に溜まり彼を溺れさせんとしていて。

 輝く月が切ない光で、それをはやてに教えてくれていて。

 だから、覚悟なんて当たり前に決まった。

『リイン、やるで』

『……はい!』

 彼と彼女たちの安全性は幾重にもチェックしてある。確認しなければならなかったのは主に自分の負担だったが、この際、無茶は仕方ない。

 こういう思考を改めなければならないと話したばかりに何だが、それでもそうしなければならない瞬間というのはどうしてもあるんだろう。

 あるいは、これまでそういう風に生きてきた事の報いだろうか。

『ユニゾン・イン!』

『ユニゾン・イン!』

 心の中、はやてとリインフォースの声が重なり、そして眩い光とともにその身体もまた一つになる。

「恭也さん、すみませんが、行かせるわけにはいかないんです」

「……どいてくれ」

 銀色となったショートボブの髪を揺らして杖を構えたはやてを向こうに、しかし恭也には全く動じた様子はない。

 得意は遠距離の広域系ではあるが、リインフォースとユニゾンした今、魔力の圧力で言ったら相当なものなのだが、さすがは歴戦の特武官か。

 真正面からこの距離でやり合って、魅月がいないとは言え、はやてはどうやっても恭也には敵わない。

「俺はっ」

 それどころか、相手にまともに戦う気はない。こちらが塞いでいる道を突破する、彼の目的はそれだけであり、それは普通に戦って勝利するよりも簡単だ。

 彼は当然のようにこちらの側面を抜けるコースで駆け出す。

 通常であれば、はやてには彼を止める事はまず不可能で。

 

「……悪いなあ、恭也さん」

 

「っ!?」

 そう、通常であれば。

 恭也の身が途中で阻まれ、弾かれた。

「な、に……」

「恭也さんがいつもどおり、まともな判断力を持ってたら、こんな手は喰うてくれへんかったんやろうけど」

「……こ、れ、…………は」

「かつて、一度喰らったこんな手に、引っかかってなんてくれなかったんやろうけど。せやけど、こっちとしたら期待通り、かな」

 そう言葉をこぼすはやての視線の先、恭也の身体は眩い光りに包まれて。

「な、……あ、……」

 すうっと、その姿は薄くなっていく。彼の前には、ルートを読んで仕掛けておいた罠が浮いている。

 

 それは書という名の、彼を捕らえて囚える夜天の箱庭への入り口。

 

「……おやすみな、恭也さん」

「あ、……あ、あ」

「―――全ては安らかな、眠りの内に」

 その言葉が最後の合図、書は恭也の身を光に溶かし、己の中へと収めた。

 

 

 

 

 

 

 

「はやてちゃん!」

「はやて!」

「おお、よう来たなあ二人とも。流石に早い」

 緊急事態との報を受け、空の警備を他の者へ任せてフェイトと共に飛び込むようにして恭也の病室前へと駆け付けたなのはを、連絡をくれた張本人であるはやては、穏やかな口調でそう迎えた。

「はやてちゃん……それ」

 彼女のその身はユニゾン状態、しかも、何らかの魔法を展開中と思しき魔力の流れまで感じる。

「ああ、うん。ちょっと緊急でなあ、土壇場になってもうた。今な、書の中に恭也さんがおる」

「っ……どういう、そもそも、恭也さんは眠ってたはずじゃ」

「……私が言うと胡散臭いんやけど、ほんまに偶然でな。リインフォースと一緒に顔だけ見よ思うて来たら、起きてて、そんで」

「……行こうと、したんだね」

「せや、どこに行けばええかなんてわかっていなかったろうに、でも、どこかに行かなあかんって。記憶は戻ってた。でも、だから、心は砕けたまんまや」

 悲惨な事実を、淡々と口にする彼女の口調にはどこか揺るぎないものを感じる。それは、腹を決めた人間に特有のものだ。

「本当ならちゃんと説明して相談して、それからにしよう思ってたんやけど、そうもいかなくなった。だから、勝手をさせてもらった」

「はやて、……何を、するつもりなの?」

「するのは、私やない。出来るのも、私やない。多分世界では、二人だけなんちゃうかなって、私としては思うところ」

 そう言って、彼女はなのはとフェイトの前へ、金色に輝く書を広げた。

 膨大な魔力の注ぎ込まれたそれを見て、直感で悟る。

「……入り口が」

「そう、まだ開いとる。入れる余裕は、あと二人ほど」

 なのはの言葉に頷いて、はやてはそう告げた。

「私達を、ってこと……? ま、待って、でも、恭也さんになのはと私なんて……いくらなんでも同時に入れたら、だって、許容魔力量が……」

 リインフォースが昔言っていた事だが、夜天の書に収めるあの魔法における負荷は、収める相手の総魔力量に比例するらしい。

 恭也だけでもかなりのもののはずで、それから自分とフェイトを入れれば、いかなはやてと言えど厳しすぎるようになのはにも思えた。

「マリーさんに頼んでな、特別にチューンしてもらっとる。この魔法に特化させて徹底的に最適化、おかげで理論的には三人収めてもなんとかなるくらいにはなった」

「……はやてちゃん、そんなのいつの間に」

「裏でこそこそは私の癖や、知っとるやろ? ……ちゃんと仕上がるかどうかもわからんかったから、出来上がってから説明しよ思ってて、ごめんな」

 悪戯がばれたかのような顔ではやては笑って軽く言うが、彼女が他に抱えているはずのタスクの重さを考えると、それは尋常なものではない。

「さ、時間がもったいない。二人とも、……もちろん強制なんてせえへん、でも、もし私を信じてくれるのなら、そして、自分を信じているのなら、入って欲しい」

 はやての足下から白い魔法陣が、なのはとフェイトの下まで広がる。

「理想の世界は、今のこの書は作ってない。広がってるんは、ただただ恭也さんの心が浮き彫りになるような、そんな世界。せやから本当に、折れて砕けて壊れたあの人の心は今、剥き出しと言うてええ。傷だらけのそれに触れて、引き戻して引き上げる自信があるんなら、私が責任をもって二人を恭也さんのところへ送る。―――さあ、どうする?」

 問うてくる彼女の視線は、穏やかで温和で、どこか飄々としている常のものとはまるで違った色をしている。

 まっすぐ、射抜くような容赦のない瞳。

 躊躇いも誤魔化しも虚栄も、彼女は決して許さないだろう。

「この世に生まれたその意味を、今日まで生きたその価値を、私は、私の全部で示してみせる」

 だから、なのははそう返して。

「もらった暖かさを、返さなきゃじゃなくて、返したいって思う。あの人を想う事でなら、私は私を誰よりも信じてる」

 フェイトも迷いの見えない口調で言い切り。

 二人は揃って前へ進んで、同時、輝く書へ触れる。

 その人の待つ箱庭の入り口に、手を掛ける。

「……いってらっしゃい、二人とも」

 身体は光に包まれて、意識はこの世界から遠くなっていく。

「帰って来るときは、三人でな」

 その言葉へ頷いたのが最後、なのははフェイトと共に、書の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ、が、……きっついなあ」

 額に脂汗が浮いているのが、自分でもわかる。眉間にしわを寄せ、はやては呻いた。

『主……』

「大丈夫、大丈夫。なんとかいける。三人が帰ってくるまで、これなら保つやろ」

 手足の先どころか全身の至る所を焼きごてで熱されているような感覚だが、魔法の制御を解く気はさらさらない。

「ええんや、これで。これで、ええ」

 これが、自分の役割だ。

『……よろしかったのですか?』

「何がや?」

『主はやてだって、騎士恭也を強く深く、想っております。であれば……』

「それは、リインかて同じやろ?」

『……騎士恭也の傍にいるべきなのは、私ではないと、そう思ってしまいます』

「似たものコンビやなあうちら。息ぴったりと言うべきかな」

 リインフォースの零した言葉は、はやての心情そのものだ。

「せやから、これでええんや。こういう裏で影で縁の下で、さり気なく支えるのがきっと、私らの示せる愛情なんかなあって、思うから」

 だから、そう、これでいいのだ。

 頬に生温い感覚があるのはきっと、魔力過負荷で全身に奔る痛みの所為のはずだから。




後編に続きます。

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