魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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 この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。


第27話 ああいう人種がいるかいないか

 森林モードとなった六課陸戦シュミレーター内、拓けた空間で向かい合うのはスバル・ナカジマ二等陸士と高町恭也特導官。

 脇で観戦するティアナの拳にも、どうしようもなく力が入る。

「お願いします!」

「一番手はナカジマ二等陸士か、うん、それじゃあ始めるぞ、いいか?」

「はいっ!」

「高町教導官、カウントを頼む」

 二十メートルほど距離を置いたスバルを見つめながらの恭也の言葉に、ティアナたちとは少し離れた場所に立っているなのはがレイジングハートに指示を出す。

「了解しました。レイジングハート、お願い」

『alright. Count start, ……3, ……2』

 空中にも数字を浮かべながらのレイジングハートのカウントが減っていく。スバルは腰を落として膝を曲げ、見るからに力を溜めている。

 対する恭也は、一見ごく自然な、その実微塵の隙もない姿勢で立っている。

『……1, ……0. Battle start!』

 そして、カウントダウンは終わり告げ、状況が始まる。

「うっおりゃあああああああ!」

 スバルは迷いなく飛び出した。

 その方向はまっすぐ恭也へ向かうものでなく、斜めへの突進。ある程度まで行ったところで、今度は方向を転換する。

「ほう」

 呟いて焦りもせず様子を眺める恭也の周りを、彼女はグルグルと円を描いて回り始めた。

 円の半径はなめらかに、しかし着実にどんどん狭くなっていく。遠心力に逆らって加速していくスバルの身体には、高い運動エネルギーが宿る。

「だああああああああああああああああッ!」

 カートリッジが一発ロードされ、リボルバーナックルが空気を巻き込む高速回転を始めた。

 恭也の右斜め後ろ、彼女が攻撃をしかけたのはその位置からだった。

 左足の力強い踏み込みでスバルの身体はやや宙に浮く。のけぞるような姿勢から、肩の後ろへ回していた右拳を解き放ち相手を巻き込むような右フック。

 エネルギーのノリの乗ったその一撃、まともに喰らえば装甲車だって無事では済むまい。

 細かい制御に難があるだけで、パワーや突破力に関してなら彼女は本来Bランクになど甘んじている魔導師ではないだ。

 殺人的な風切り音が響いて、

「……え!?」

「スバルさん!?」

 エリオとキャロから漏れたのは、悲鳴のような声だった。

「スバル!」

 思わず、ティアナも叫んでしまう。

 だって、どうしてこんな光景が広がっている?

 ティアナ達の視線の先には、地面を猛烈な勢いで転がる人影。

「……がっ! ぐ……う」

「ス、スバル……」

 端の木に当たりようやく止まった彼女は、攻撃を仕掛けた側であるはずの、自分たちのチームメンバーだ。

「思い切りはよかったな」

 平然と声を掛ける、黒衣に身を包んだその人、高町恭也は先ほどまでとほぼほぼ同じ位置に立っていて。

「……あ、れ、…………あれ、あれ?」

「スバル、しっかりしなさい! スバル!」

 ティアナは必死に遠間から声をかけるが、上半身を背中の樹木に預け地面に尻をついているスバルの眼の焦点は、明らかに合っていない。

「く、そ、あ、……れ?」 

 彼女はなんとかという風に立ち上がって、しかし、やはり転ぶ。

「あ、あの頑丈なスバルさんが……そんな……」

「エ、エリオくん、何があったか見えた? 私全然……」

 キャロの問いに、苦い顔でエリオは首を振る。

「突っ込んだスバルさんの拳を、恭也さんが身体を逸らしながら半身になって躱したのまでは見えたんだけど……なんでスバルさんがあんな……」

「……信じたく、ないんだけど」

 答えるように言うティアナに、二人の視線が集まる。

「……信じたくないんだけど、見たままを言うなら、…………デコピンよ」

「「え?」」

「見なさい、スバルの額。赤いでしょ?」

「え、あ!?」

「ほ、本当です……!」

 ようやく眼の焦点のあってきたスバルの額には、不自然に赤みが付いている。

 ティアナの眼に見えたのは、スバルの攻撃を躱しざま、恭也が左手を雷光のような速度で伸ばし、その中指でもって彼女の額を叩く光景だった。

「でも、デコピン、って……だってスバルさん、バリアジャケットを着てるのに……」

「顔とか手とか、露出したところにも防護は発生するはず、なのになんでスバルさんは……」

 エリオとキャロが不可解極まりないと言った顔で呟いて。

「……スバルのお姉さんが、聞いた噂として言っていた事なんだけどね」

 ティアナは己の記憶の奥を漁って、それに答えた。

「"御神流を向こうに回せば、防護の硬さに意味はない"……って。それなりに流れている話らしくて、でも正直私は都市伝説、みたいなものだと思ってたんだけど」

 しかし、もしかしたらそれは都市伝説などではなくて。

「何をどうやっているのか知らないけど、あの人を相手に防御は……少なくともバリアジャケットは本当に意味がないってこと……なのかもしれない。……意味がまったくわからないんだけど、もしかしたら」

「そ、そんな……」

「ま、魔法も使ってないのに……? そんな事が……」

 呆然とするエリオ、キャロだが気持ちはもちろんティアナも一緒だ。

「二人はフェイトさんから御神流のこと、なにか聞いてないの?」

「フェイトさん、僕たちがこういう戦いの分野に進むことをもともと勧めていなかったので……」

「なるほど……っ立ったわ、スバル」

 身体の制御をなんとか取り戻したようで、スバルはその再び構えを作っている。

(ていうか、仮にバリアジャケットを無視できたとしてもただのデコピンでスバルがああなるのもおかしいわよね……? いくらなんでも、だってデコピンよ……? あんな脳が揺らされたみたいな有様になるなんて……)

 スバル・ナカジマの身体は文字通り特別製であり、極めてタフだ。彼女がああなるなんて、ティアナの記憶にもなかなかない姿である。

「続けるか?」

 追撃をかけるでもなく、立ち上がるスバルを眺めていた恭也はそう問うて、スバルは力強く返す。

「はい! お願いします!」

 彼女は大きく息を吸い、魔力を練り上げた。拳を地面に叩きつけながら、叫ぶ。

「ウイングロード!」

 叩かれた地面から、青い帯が空へと伸びる。スバルの先天的会得魔法である、進行方向の空中へ道を造るウイングロードだ。

「おおおおおおおおおおおおおおっ!」

 マッハキャリバーを唸らせ、造っていく帯の上を疾走。今度のスバルは恭也の周りを円ではなく半球を描くように走って行く。

 相変わらず恭也は超然と構えているが、傍目で見ている限り先程の円状の加速よりもスバルの身体にはより力が乗っている感はある。受けたダメージよりも、入れ直した気合の方が優っているという事だろう。それはあるいは、不屈のエースオブエースに憧れる、タフネス娘の面目躍如か。

 そして、円ではなく半球であるということはもう一つ、大きな利点がある。

「スバルさん、いった!」

「真上から!」

 エリオに続けてキャロが言った通り、背後と並んで人間の死角である真上からの攻撃が可能だという事である。恭也の真後ろから加速した身体を急転直下させ、彼女は真下へと飛び込んでいく。

「おああああああああああああああああああああああッ!」

 拳を肩の後ろへ大きく引いて、その咆哮は獣のよう。体全体が重く鋭く激しく熱い、今の彼女は一つの弾丸だ。

 まさか魔法も何も使っていない生身の人間が、これを捌けるものか。

 はたして恭也は、まともに上を見上げることすらしなかった。

(……―――っ!)

 全力で集中するティアナの目に、それはいくつかの写真のように写る。

 上から迫るスバルに対し、拳の落下位置から逃れるように恭也は一歩だけ横に身体を動かす。滑らかで、いっそゆったりとしたその動作は早すぎも遅すぎもしない絶妙なタイミング。

 そして、彼の動きはそれで終わりではなかった。スバルが振りかぶった拳をいよいよ放とうとする、おそらくはその寸前だ。

 閃いたのは、左の手。

 ブレてしか見えないスピードで、それはスバルの顎を横から叩いた。

「……スバルさん!?」

「なんで!?」

 その次の瞬間には、スバルは着地体勢をとることなく顔面から地面に突っ込み、何度かバウンドした後に動かなくなった。おそらく恭也の動きが見えなかったのだろうエリオとキャロの悲鳴は、落下の轟音の残響を切り裂くように上がった。

「ぐ、う……」

 呻きを最後にスバルは完全に動きを停止、地面へ転がったまま起き上がらない。

 バリアジャケットがあるから骨などは損傷していないだろうが、それでも意識は保てなかったようだ。

「なるほどな、うん」

 恭也は相変わらずの平然とした顔のまま、一つ頷く。

 魔法も使わずに魔導師を圧倒したその男の顔には、少しの揺れもない。当たり前の事を当たり前に為しただけ、そんな表情だ。

「……悪い夢、見てるみたい」

 唾を飲み込んで、思わずティアナは呟いた。

 六課フォワードの誇る突進力とタフネスの塊、スバル・ナカジマが本当に、魔法なしで簡単に制圧されるという現実が目の前にあった。

 まさしく、こんなのは魔導師からしてみれば悪夢そのものだった。

「教導官、頼む」

「はい」

 スバルの身体がふわりと宙に浮く。彼女の身体は淡くピンク色に輝いていて、その魔力光はなのはのもの。

 スバルはそのまま吸い寄せられるようになのはの下へと移動し、丁寧に地面に横たえられた。

「さ、次は誰だ?」

 恭也がこちらを眼で射抜きながら、そんな言葉を掛けてくる。

 正直、現実としてその異常さを見せつけられた後のため、ティアナの身体はスバルが行く前よりも萎縮してしまっていたが、そうも言っていられないだろう。

 次が誰かなんてそんなの、考えるまでもないことなのだ。

 スターズのスバルが行ったのだ。だったら、次は自分だろう。

(……なんとか、一矢報いるくらいはしてみせる!)

「……わたしがっ」

「僕が行きます!」

 ティアナの声を遮ったのは、それよりも大きな音量で張られたエリオの言葉だった。

「エリオ……?」

「すみません、ティアナさん。僕に行かせてください、……ティアナさんには、スバルさんも言っていましたが、よく見ていて欲しいんです」

 下からのまっすぐ伸びてくるエリオの視線は、強い。

「僕がどう戦ったのか、……僕がどうやられたのか。それを見ていて欲しいんです。チームが誰か一人でも、一発を入れるために」

「エリオ、あんた、でも、特導官にいいところ見せたいんじゃないの……?」

 後からの方がもちろん戦いやすい。その権利を彼はこちらに譲ると言っているわけで、言葉を選ばすに言えばそれは捨て駒だ。

 しかし、エリオは笑って首を横に降った。

「いいところは出来れば見せたいですけど……でも、僕が一番見てもらいたいのは、僕の全力なんです。だから、いいんです」

「……あんたは、本当に」

 なんとも、出来たお子様だ。

「あの! ならエリオくんの次は私が行きます!」

 その小さな身体を精いっぱい右手と共に伸ばし、キャロは力の篭った顔で主張してくる。

「キャロ、あんたまで……」

「私が最後に残っても、フリードがいるとは言えあの距離で差し向かいじゃあどうしたって難しいです。だから、ティアナさんにお願いしたいんです。私も、やれるだけやってなんとか役に立つ情報が得られるようにあがきますから!」

 主に同意するように、フリードも「キュイイッ」と勇ましい鳴き声を上げた。

(……お子様のくせに、……ううん、私なんかよりしっかりしてるわ、やっぱり)

 ここまで言われて突っぱねるのは、少なくともティアナには出来そうもなく、やりたくもない。

「……っもう! わかったわよ!」

 二人の頭を乱暴にぐしゃぐしゃとかき混ぜ、言う。

「しっかり見るわ、二人の頑張りに期待する。……任せときなさい。一発入れる役目はちゃんと私が果たすわ、だから」

 資質に溢れる二人の前で、精々格好を付ける。凡人でも一応年上だ、それくらいの権利はあるはずだ。

「やりたいように思いっきりぶつけてきなさいな。憧れの人に、あんたたちの全力」

「「……はい!」」

 二人の笑顔は眩しくて、ティアナにはどうにもまっすぐ見られなかった。

「特導官! 次は自分が行きます!」

 勇ましく言ってエリオは広場中央へ。駆け出すその身に纏ったコートがはためき、右手に携えたストラーダは陽光に煌めく。

「お願いします!」

「ああ、じゃあ始めよう」

 二人はスバルの時と同様、二十メートルほどの距離を置いて差し向かい、そこへレイジングハートのカウントがまた響く。

 やはり3から始まったそれは、やがて0を告げる。

「……っ!」

 エリオは、鋭く呼気を吐き出して飛び出した。まさに疾風のようなスピードだ。

 その軌道は一直線である。円軌道で力を溜めたスバルと対照的、彼は最短距離を最速で駆け、槍の切っ先を恭也へと届かせんとする。

 パワーで挑戦したスバルに対し、彼はスピードを最前面に押し出す事を選択したのだろう。

「ぜあッ!」

 恭也の至近、足を踏み込んで腰を素早く回し、放たれたストラーダの突きは雷のように閃いて。

「……昔のフェイトとそっくりだな」

「な、えっ!?」

 驚愕の声を漏らすエリオは、ストラーダを突き出した姿勢のまま固まっている。

「もう、なんていうかもう……」

「あれを、避けて、あんな……」

 ティアナとキャロも当然のように唖然としている。するしかない、だってこんなの意味がわからない。

 エリオの放った高速の突きを鮮やかに、かつ無駄なく跳んで回避した恭也は、なんとその穂先の上に立っていた。

 強化魔法も何も使っていないはずなのに、あれを見切ってあまつさえそんな。

 本当に意味がわからず、ティアナは無意識、首を振っていた。

「ほら、ぼうっとするな」

「っぐ!?」

 恭也のつま先が容赦なく、エリオの額へ襲いかかった。エリオはたまらずノックバック、二、三歩たたらを踏む。

 その瞳の焦点はスバル同様、少々怪しい。デコピンを喰らったスバルと同様の様子だ。

 悠々と着地する特武官は、突き放すようではないが決して甘くもない、鋭い声音で問う。

「どうする、続けるか?」

「……はい!」

 歯を食いしばったエリオは瞳の温度を下げず、その身に滾らせる身体強化魔法の出力を上げた。

「っ!」

 恭也へ踏み込み、突きを一発。あえなく躱されるが今度のそれはコンパクト、突き出された穂先は素早く引き戻される。

「りゃああああああああああ!!」

 そこから始まったのは連打に次ぐ連打。一撃の速度に賭けた先ほどと違い、今度は一発を打つ時間を短くする意味でスピードを活かしている。

「……ば、けもの」

 しかし恭也の身体に、それらはかすりもしなかった。傍で眺めるティアナは思わずそう落とす。

 身体をずらし、時折手で捌きながら、完全に躱しきっているその様に、危うさは微塵もない。

「……だぁっ!」

 さすがに焦ったのか、エリオのその一突きは速くはあったが振りが少々大きく。

「甘い」

「……あ」

 狙われたのは腕が完全に伸ばされた瞬間だ。予知していたかのように槍を躱した恭也は、エリオの槍と腕が一瞬だけ硬直する肘の伸びきった時を狙い打ち、払うように下から拳をストラーダに当てる。

 エリオの相棒が、持ち主の手を離れ宙を舞った。

「どこを見ている?」

「……ぅあああッ!?」

 ストラーダに意識を取られたエリオの身体を、恭也は容赦なく蹴り飛ばした。小柄な少年の肉体は後方へ大きく吹き飛ぶ。

「う……く……」

「……さて」

 転がって呻くエリオを見下ろしながら、恭也は宙にあったストラーダを掴みとった。

「槍ではないが、うちに棒術の達人がいてな。俺も少しばかり教えてもらった事がある」

 キュオンキュオンと、異様になめらかに振り回され、槍は鋭い唸りを上げる。あれのどこが少しばかりだと、ティアナは心中で思わず突っ込みを入れた。

 エリオが立ち上がるのを待って、踊らせていたストラーダを鮮やかに止め、両手で握って穂先を前に、少し腰を落とした基本の構えを作る恭也。

「……っく」

 エリオはそれに対し、身に滾らせる身体強化魔法の出力を上げ、見切らんとして。

「……え?」

 ティアナは、思わずそう声を漏らした。

 当のエリオは声さえ発せそうにない、呆気にとられにとられた顔をしている。

「これが速さだ、エリオ」

 いつの間にか。本当に、それはいつの間にか。

 エリオとの距離を詰め切っていた恭也は、少年の喉元に槍の穂先を突き付けていて。

「……ここで当ててしまうと、相棒との約束を破ることになってしまうな」

 言いながら、ゆっくりとそれを引く。

「……な、にが」

「ほれ」

 ようやっとという風に呟いたエリオに、恭也はストラーダを投げ返し。

「……え、っだ!?」

 両手で掴んだエリオの、無防備になった額に超高速のデコピンを叩き込んだ。

「終わりだとは、まだ言ってなかったぞ」

「……う、あ」

 焦点を怪しくしたエリオは、耐え切れなかったようでそのまま地面に崩れ落ちた。

「エ、エリオくん……! エリオくん! ティ、ティアナさん……さ、さっきの、恭也さんの動き……」

「見えないスピードじゃ……なかったわ」

 キャロへ答えた言葉は、嘘ではない。単純な速度で言うならおそらく、エリオの方が速いくらいのものだ。

「だけど、動き始めが全然読めなかった……」

 いつの間にか走っていて、いつの間にか距離を詰め切っていて。

 ティアナが認識できたのは、眼で捉えていた残像のようなものだ。恭也がエリオの喉元にストラーダを突き付ける、その光景を見てから脳がそれまでに受け取っていた映像を巻き戻して示してきたような、そんな代物。

 眼で追えない速度ではなかったはずなのに、リアルタイムではぼけっと見過ごしたに近い。動きの最初が掴めないと、こんなに意識から外れるものなのか。

 それこそまるで、魔法のようだった。

「さ、次だ」

 こちらが呆然としているうちに、エリオの身体はスバルと同じくなのはの下へと運ばれていたらしい。スバルと並んで横たわり、ピクリとも動かない。

 スピード型の天才、エリオ・モンディアルは、結局一撃を掠らせることさえ許されなかった。

 恭也は連戦の疲れなどまるでないような顔で、こちらを見ている。

「……ティアナさん、行ってきます!」

「……本当にいいのね? 先で」

「はい! 行こうフリード!」

 キャロが声をかければ、彼女の相方の白竜は鋭く嘶いた。

「……しっかり見てるわ! 頑張って!」

「はい!」

 キャロが広場中央へ駆けていく。その小さな背中にはやはり怯えの色も見えたが、それ以上にやる気も感じられる。

「キャロ、フリードを元の姿へ。君の一番の戦闘態勢をとってくれ。その状態から始めよう」

「わかりました!」

 恭也の言葉にうなずいて、キャロは詠唱を始める。陣が足元から広がって、やがてピンク色の魔力光が彼女と愛竜を包む。

 それが弾けた時には、フリードは本来の雄々しい姿を取り戻していた。キャロは手慣れた仕草でその背に飛び乗る。

(魔道士と竜のコンビに、バリアジャケット着ているとはいえ強化魔法もなしの、生身の素手で相対してるってすごい光景……)

 だが、それでももう彼が負ける姿は想像できない。キャロとフリードの才能も実力も頑張りも、知ってはいても。

 やはり二十メートルほど離れて、レイジングハートがカウント。

 三度目のそれが0になった時、さきに仕掛けたのはキャロだった。

「フリード!」

 主の声を受けたフリードは大きく跳躍、だけでなく翼をはためかせ一気に地上と距離をとりにいく。同時、さらに顔を大きく仰け反らせ、口の中にはオレンジの炎。

(いい手だわ……!)

 いかな高町恭也といえど、魔法もなしでは空戦は不可能。まずは相手の攻撃可能域から抜ける。

 さらに、フリードが撃とうとしているのはブラストフレアという炎系の範囲攻撃だ。素早く動く敵に対しては実に手堅く定石な、つまり効果的な手法。

 接近戦を挑んだ前の二人とは違い、遠距離戦を展開しようというキャロの考えは功を奏しそうに見えて。

「……う、わ」

 しかし、やはり相手は意味不明がそのまま人の形で動いているような存在だった。

 人って、生身であんなに跳ぶのか。

 それがまず抱く感想だ。

 空へ逃れんとするキャロ達に対し、恭也は疾駆してあっという間に距離を詰め、その勢いを殺さずそのまま跳躍、片手でフリードの脚を掴みにいっていた。

「よっと」

 軽い声をこぼしながら、本当にフリードの脚に手が届く。驚きにだろう、白竜から「グギャッ!?」っと悲鳴が漏れる。同時、口に貯めこんでいた炎が散っていくが、どの道この状況ではそれは使いみちがなかったろう。

 そしてここからの光景は、より意味がわからなかった。

 フリードの脚を片手で掴んだ恭也は、自分の身体を上へと思い切り引き上げ、こともなげに竜の背に足を掛ける。鮮やかにして滑らか、その動作は見事に一繋ぎであり、一瞬で完了している。

「あ、わ、わ……」

 固まるキャロをスルーして跳ぶように踏み込み、向かう先はフリードの頭。乗られた感触にだろう、ちょうど自分の背の方を振り向いた竜の顔を、彼は真正面から蹴り抜いた。

 竜の顔を、生身の人間が、である。

「フリード!? フリードオオオオオオオ!?」

 結果がどうなったかと言うと、キャロの悲鳴が物語っている。

 凄まじい勢いで頭部を弾かれ、一発であえなく気を失ったらしいフリードは、そのまま地面に墜落した。

「きゃあっ!」

 衝撃に、その背中からキャロが投げ出される。恭也の方はと言うと、脚を振り抜いた段階でフリードからは離れており、悠々と地面に降り立っている。

「……あ、え、えと」

 数メートル離れて自分を見下ろす恭也の姿に、慌ててキャロは立ち上がり。

「……っ」

 焦った顔で彼女は魔力を走らせ、恭也の足元に陣を展開。おそらくは鉄鎖を呼び出す召喚魔法を唱えんとして。

「君の課題は、はっきりしているな」

「……ぁ」

 しかし相手は高町恭也だ、やはり間に合うものではなかった。

 キャロが陣を展開しようとしたあたりで恭也はもう動いており、悠々と彼女との距離を詰め、その首筋に手刀を叩き込んでいた。

「…………―――」

 キャロはそのまま前のめりに崩れ落ち、恭也の腕の中に収まった。

 ふわりと浮いたキャロの身体が、恭也から離れてなのはの下へ移動。スバル、エリオと同じように横たえられる。

 竜を従えるなどという戦闘能力の権化のような希少能力保持者、キャロ・ル・ルシエは、しかしやはりというべきなのだろう、あっさりと無力化された。

(……本当に三人、魔法なしでやられた)

 フォワードメンバー、これでもう残りはティアナ一人である。

 しかも相手は、おそらくまったく全力ではない。いまさらながら本当に、自分が切った啖呵はなんと愚かだったのか。

「最後はランスター二等陸士だな」

「……はい!」

 恭也の待つ広場中央へ歩くティアナの頭は、しかし湧いても煮立ってもいなかった。

 ここまできたら、そしてチームメンバーがいいようにあしらわれたとは言え、頑張りを見せてくれたのなら。

 為すべきことも、そしてその方法も、もう自分の中にはある。

「いくわよ、クロスミラージュ……!」

『Yes,master』

 声を返してきた相方をぎゅっと握る。クロスミラージュはワンハンドモード、それがティアナの信じる今の最善だ。

「準備はいいな?」

「はい!」

 差し向かう位置にたどり着いたこちらに問う彼の瞳は、相変わらず鋭い。こうして向かい合うと、まるで彼そのものが一振りの刀のようだ。

『Count,3……2……』

 息を整え、一回ぎゅっと眼を瞑って頭を完全に切り替えた。

 あとはもう、やるだけだ。

『1……0,battle start!』

「……ふっ!」

 ティアナの口から自然に鋭く呼気が漏れ、身体は構えを素早く作っていた。一丁を両手でまっすぐ握るアソセレススタンス、一番基本の形。

 動くでもなくこちらを見ている恭也の、まずはその腹部めがけ一発。威力を抑えて、代わりに速度を引き上げる。

(……当たんないわよね)

 身体を半身にする形で無駄なく射撃を躱した恭也は、その動きのままにこちらへ歩を進め始める。

(次、膝!)

 歩行の最中、体重が乗った瞬間の脚は一瞬とは言え動きが固まる。その要である膝は一番顕著だ。

 相棒に魔力を注いで弾丸を生成、狙い撃つ。

 冷静に、丁寧に。

 パワーで勝負に行っても捌かれる。かといって、スピードを上げてもラッシュで攻めても見切られる。遠距離から広い攻撃に出ようとしても、その時間は与えられない。

 スバル、エリオ、キャロの戦いが教えてくれたそんな情報から、ティアナが選んだ戦法の一つ目は"相手の観察"だった。

 ティアナが思う他のフォワードメンバーたちの敗戦の理由は、自分の戦いをしようとするあまり恭也の動きに合わせにいかなかった事だ。

 それは、そんな戦い方が最善となるほどに突出した才能に恵まれている証拠なんだろうが、状況に対する最適解とは限らないはず。

 少なくとも大した技も武器も持ち合わせていない自分が今やるべきなのは、だからこそ撃つべき位置を、撃つべきタイミングを、撃つべき弾を間違わない事だと信じる。

(ま、それで当たれば苦労はないんだけど!)

 ティアナの放つ、膝を狙った自分としてはそれなりに鋭いはずの弾ははしかし、あっさりと躱された。

 魔力弾が射出された時にはもう、彼の身体は射線からずれていたのだ。

(引き金を引くときには既にもう、その先にはいない。まず、弾を見て避けてるわけじゃないわよね。じゃあ銃口の動きか?)

 近づいてくる恭也の膝や体幹に大きく派手な弾を撃ち込みながら、

(これならどうかしら……!)

 自分の身体から三メートルほど左あたりに、小さく、目立たない弾を素早く練り上げる。銃口に生成する場合と比べ、自分の意識の上でもやりにくいし、デバイスの補助も受けづらくなる。だがそれでも、今は威力や規模なんてものは大していらないのだ。

 とにかく、一発当てる。

 それが目標であり、達するためなら格好悪くても泥臭くても、卑怯でも何でも構うものか。

 遠くに作った弾を撃ち込むタイミングで、先に銃口から放っておいた炸裂弾が恭也の下で弾ける。

 範囲は広めだが弾速は遅いあれが、当たるだなんて思っていないが意識は引けるはず。

 密かに放った三メートル左方からの弾が、飛びのいて炸裂弾の爆発を避けた恭也へ、速く静かに迫り。

「……くっ!」

 そしてそれはそのまま、何にも当たらず後方へ抜けた。思わず呻いて歯噛みしてしまうほど、相手方の体捌きは見透かしたようだった。

(駄目、か……掠りもしないなんてね)

 彼はまるで弾丸に視線なんて向けなかった。しかし、それでも確実に身体を捻って回避してみせた。

(銃口から外した位置に弾を作っても完璧に読まれた。だったら、他に取るべき手は……ッ!?)

 頭の回転を緩めず、手を尽くそうとあがくティアナの背中に、何かが奔った。

 一瞬で筋肉が硬直して、引き金を引く指が固まる。

 

「……うん、いいな」

 

「……っ」

 視界が狭まる感覚、呼吸が荒くなっていく。

(……なに!? なんなの!?)

「いい判断だ、鋭く早く、なにより強かだ」

「……ぅ、く」

 言いながら、こちらを射抜く彼の瞳。普段は吸い込まれそうだなんて思った精悍なそれが、今は何より真正面から見たくない光を放っているように思えてしかたない。

(こ、れは……!)

 殺気、とでも言うのだろうか。

 濃密な空気がティアナの身体を覆っていた。まるでいきなり違う場所に転移させられたかのようだ。

 恭也の目は、こちらを射抜き続けている。

 それはまるで、試すように。

(……じょ、…………上等よッ!)

 ここで退いてなるものか。

 怯えて竦んでなるものか。

「……ふッ」

 心の強張りを追い出すように息を吐きながら、十メートルほどの位置まで来た恭也へ続けざまに三発浴びせかける。普通に撃っただけのそれらが当たるとは思わないが、ほんのすこしの時間は出来る。

 やはり外れた弾丸を視界の隅で捉えながら、稼いだ時間でティアナは呼吸を整えた。

 ビビるな、考えて実行しろ、そう自分に言い聞かせながら。

(発射位置でのフェイントも駄目だった、なら……視線か? 私の目から狙いを読んでる?)

 ならばそれでフェイントだ。相手の踏み出した左脚を見ながら、撃つのは右肩。もう一発、脇腹に向かって放ちながら、その実、曲弾として顔面を狙う。

 しかしそんなあがきも、そして開始当初と比べて近くなった距離もものともせず、やはりと言うべきなのだろうか、恭也は軽く躱してきた。

 それでもティアナは引き金を引き続ける。

 精神で敗北を喫したのなら、その時、本当に自分には何もなくなってしまう。それだけは、絶対に嫌だった。

 頬を伝った汗が、顎から滴るのがわかる。

(……いいわ、それで)

 ティアナは、自分の身体に願った。

(せいぜい、怯えて焦る無様な様子をあの人に見せてよね。……都合がいい)

 勇ましいなんて、思ってもらわなくて構わない。

 追い詰められた表情を、姿を、見せつけるのが今のティアナ・ランスターの最善だ。

 弾種にタイミング、位置に目線。使えるものは全てを使って多彩な攻めを掛け続け、しかし一発も当たらずに、恭也の身体がこちらと五メートルの位置を切る。

 さらに濃くなった黒い雰囲気に、ティアナの呼吸は荒くなっていく。

(落ち着け、落ち着け、これでいい……)

 整えるより、このままの方がもうきっといい。

 だって、より無様に見えるはずから。

 右に寄っていく曲弾が外れ、残りは四メートル。決着の時が近づく。

 速度を限界まで上げた直進弾があえなく後方へ抜け、残りは三メートル。汗で額に髪が張り付いているのがわかる。

 タタタンと、小刻みな三連射を恭也が躱し、踏み込んで。

 残りは二メートル。ほぼ、捕まったも同然の距離。

(……―――この瞬間を待ってたわッ!)

 絶体絶命の状況。

 だからこそティアナは、今まで射撃の裏で練り続けてきた魔力を解放した。

 ティアナが組んだ戦術は二つ。一つ目は相手の動きを観察し、それに合わせる事。そして二つ目は、こちらの動きに合わせてくる相手を惑わす事だ。

 恭也と至近距離、発動した魔法は幻影を作り出すミッドチルダ式幻術魔法、フェイク・シルエット。

 まさか誇れるなどとは言えないが、それでも自分が頼るカードの一枚。

 作った幻影は自分と同じ姿かたちのものが四体。つまり自分本体と合わせて計五体。

 真ん中に一人突っ立ったまま、残りがその身体から分離するように大きく、身体を投げ出す姿勢で横っ飛びを切る。

 右に二人、左に二人、真ん中に一人。恭也に大してやや扇型に広がった五人全員、銃口は彼に向けている。

(これならどうかしら!?)

 その全員から、弾丸が放たれた。

 この距離で広角から同時に放たれる五発の弾丸が、全て避けられるものとも思えない。だとすれば、本体がどれか賭けをして動くしかないはずだ。

 そしていかな高町恭也といえど、身体は一つだ。そして魔法を使わず道具もなしというのならば、潰せるのはせいぜい一度に一人か二人だけだろう。

(正解を当てられる可能性は20から40パーセント!)

 つまりこの賭けは、確率的には自分に分がいい。

 後は運試し、絶対に勝てる状況を作るなんて贅沢を、この相手を向こうにして言うつもりは最初から毛頭なかった。

 追い詰められた顔をして、もう手がないようなフリをして。

 最後の最後、互角以上を作り、そこに勝負を賭ける。

 結局、ティアナの本命は最初からこれ一つである。これまでの射撃だなんだは当たれば儲けもの程度にしか考えていない、言ってしまえばそれだけしかカードがないようなフリをするための道具でしかない。

 幻影ではないティアナ本体が跳んだのは一番右奥。一応、今までの射撃は恭也の向かって左半身狙いをやや多めに撃ってある。微々たる小細工だろうが、やらないよりはマシだろう。

(これで、勝ってみせ…………)

 集中した頭が見せるいつもよりどこか遅い景色の中、そしてティアナはそれを見る。

 

 まっすぐ、幻影などには目もくれず、こちらをその鋭い瞳で見やる高町恭也の姿を。

 

「……なん」

 本体である自分が撃った本物の弾を躱し、彼がこちらへその左手を伸ばす。

 なんで、迷いもしないの?

 言いかけながら、ティアナの意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

「あ、ティア起きた!」

 五割ほどに青空、残り五割に同室に住む同僚の顔。ティアナの視界はそんな割合だった。

「……えっと」

「大丈夫、ティア?」

「え、ええ……」

 寝そべっていたらしい体の上半身を起こしながら、そもそもこの状況はなんだと記憶を探り、森林の緑の中、こちらを見やる教官陣にフォワードメンバー、そして、

「最後の一人が起きたな」

 特導官の姿を認め、ティアナは事態を掴んだ。

「スバル、エリオ、キャロ……。…………ごめん、私」

 自然、顔が俯いていく。

「結局、全然駄目だった……」

 一発入れるという彼らからの期待に、応えることが、まるで出来なかった。

 口の中は、馬鹿みたいに苦い。

「ううん! すごかったよティア!」

「そうですよ! 僕たち、ちょっと先に起きたのでさっきまで模擬戦の映像を見ていたんですけど、ティアナさんすごかったです!」

「あの恭也さんを相手に、あんなに冷静に……私、あんなの出来ないです……!」

 三人は口々にそう言ってくれるが、胸がズシンと重い。

 こういった無力感との付き合いは長いが、いつ味わっても嫌なものだった。

「ランスター二等陸士、大丈夫そうなら全員分の講評を始めたいと思うのだが」

「あ、は、はい! お願いします」

 恭也の言葉にティアナが立ち上がると、スバルたちも少々心配そうな顔ながら隣に並んでいく。

 その前に立った恭也が、全員を見渡した後、まずはスバルに視線を固定した。

「ではまず、ナカジマ二等陸士から」

「はい! お願いします!」

「君はな、もう少しものを考えろ」

「は、はい……」

 大真面目な顔で投げられた言葉に、目に見えてスバルの意気が沈む。

「当たった後の事について、君はきっと才覚にも恵まれているし努力も怠らなかったのだろう。しかし、当てるという事そのものについてあまりに意識が薄すぎる」

「はい……」

「当てない空振りにも、戦術的にはもちろん意味がある。だが、それを活かして最終的に当てていかなければダメージレース的には無価値でしかない。当てるための努力は色々やろうとすれば出来る。バインドやらで相手の動きを止める、フェイントを混ぜる、軌道を変える、攻撃を隠して不意を打つ、まだまだ色々あるだろう。単純に、細かく速く小さく打っていったっていい。怯んだ相手にその後、改めて大振りを叩き込めばいいんだ」

 普通に言われても、なかなかスバルのスタイル的に取り入れづらい文言だろうが、さすがに魔法なしであれだけ鮮やかに無駄なく捌かれた後だと響きそうな言葉だ。

 ちらりとティアナが隣を伺うと、スバルは実に真剣な顔で聞いていた。

「いいか、ナカジマ二等陸士。力を貯めて爆発させる技術も、迷わず恐れず向かっていくハートも、君は飛び抜けたものを持っている。問題は、まっすぐ過ぎることだ」

「まっすぐ、過ぎる……」

 噛みしめるように復唱したスバルに、恭也は頷いて続ける。

「そうだ、まっすぐ過ぎる。それは今日、俺がやったように捌き方を心得たものには簡単に振り回されてしまう危うさがある。だから、そのまっすぐな拳を叩き込むための、前段階としての絡め手を覚えろ。それは技としてもそうだし、心構えとしてもだ」

「はい!」

「うん、えげつなさを身につけてくれ。そうすれば、大概の敵ならば挽き肉に出来るだろう」

 なかなかそれこそえげつない表現だが、確かにスバルの破壊力に巧さが加われば脅威である。

「上達を期待している。なのはやヴィータと相談しつつ、身につけていってくれ」

「はい、ありがとうございます!」

「君の上達具合によっては、俺が指導させてもらう事も考えている。その時を楽しみにしている」

「は、はい! 頑張ります!」

 スバルはびしっと敬礼をして、恭也の言葉に答えた。そんな彼女に一つ頷いて、恭也は今度はエリオの方を見やる。

「さて、次はエリオだ」

「はい!」

「エリオ、やっている最中にも言ったが、お前は昔のフェイトとそっくりだ」

 ティアナがちらりと伺うと、名を挙げられたフェイトは苦笑を零していた。

「お前は速い。動作は機敏で思考も鋭敏だ。だからこそ、やはり惜しいんだ。エリオ、俺の突き、お前のそれと比べて速度で言えばどうだった?」

「……恭也さんの突きの方が、遅かったと思います」

「そうだろう、その通りだ。だがどうだ、反応出来たか?」

「いいえ……いつの間にか、喉元に穂先を突きつけられていました」

 それは外から見ていたティアナの眼からしても、奇妙な光景ではあった。それこそ魔法のようだとすら思ったものだ。

「覚えておけ、戦闘における速さとは、単純な速度と決してイコールではない。お前のように速度に秀でていると、逆にそこには気づきづらいんだがな。だが、ずっと気づかないままでは上達は見込めん」

「はいっ」

「俺のあの突きで言えば、あれは出鼻を隠したがゆえにお前が認識できない速さを有するに至った。『これから打つぞ』というモーションを伏せて、逆に『まだ打たない』という騙しまで乗せて、その上で放った。すると、速度としてはそこまでのものでなくとも、ああいう認識されない速さを持てる」

 気構えの隙を突く、ようなものなのだろうか。いや、意図的に隙を作っていると言ったほうが正しいのかもしれない。

 ティアナは専門ではないから詳しくは言えないが、そういった武術的駆け引きは、魔法による身体強化やエネルギー付与をどう高出力で行うかを第一に考える現代近接魔法戦闘では、正直あまり重視されないらしい。

 しかしその近接戦闘分野において間違いなく頂点に君臨している人間が、それとは完全に逆行した論理を持っているというのは、なかなか興味深い事実なのかもしれない。

「全ての動作は繋がっている。前の動作を利用して、次の動作を速度という意味の上でなく加速するというのは、スピードを武器とする俺たちのような人間にとってはひどく重要なスキルだ。エリオにはこれから、それをよく学んでいって欲しい。体も頭も思い切り使うことになるが、覚悟はいいか?」

「はいっ!」

「うん、良い返事だ。それもフェイトと同じだな」

 言いながら、恭也はワシャワシャとエリオの髪を撫で回す。

「基本的にはそのフェイトから教わってもらうが、スバル同様、上達具合によっては俺が教える事もある」

「絶対、強くなります!」

「ああ、期待している」

 頷きながらエリオの頭から手を離した恭也が向いたのは、今度はキャロの方である。

「キャロ、エリオに単純な速度が重要なのではないというような話をした矢先になんだが、君の場合、それを身につける事が必要だ」

「も、もっと速く動かなきゃって事でしょうか?」

 拳をぎゅっと握って意気込むキャロに、しかし恭也は首を振る。

「少し違う。君自身が速く動く必要というのは、あまりない。少なくとも訓練をする優先度は低いだろう。問題は攻撃の出足だ。素早く撃てる攻撃が君には必要なんだ」

「素早く撃てる、攻撃……」

「君の技の数々は強力で大規模なものが多いだろうがその分、出が鈍い。技を出す前に首を掻き切られては遅いんだ」

「っは、はい!」

 容赦のない物言いに一瞬怯んだキャロだが、しかし気丈に恭也と眼を合わせ続ける。

「一つでもいい、とにかく素早く撃てて相手の足を止められる何かを持てば、戦闘は一気に多角的になる。サポートにおいてもそうだ。即座に届く援護というのは、これがなかなか心強いものだぞ」

「な、なるほど! わかりました!」

 確かにティアナから見ても、キャロの技は出足の速度に優れない。召喚魔法やフリードの範囲攻撃は、遅めのテンポで撃たれるものだ。

 それはフルバックという役割としては特に問題ないものと思っていたが、恭也の眼からすると少々物足りないという事だろうか。

「キャロに俺が教える、ということはなかなかスタイル的にないだろうから、やはりなのはとフェイトに師事してくれ。あるいは、多彩さという点においてはリインフォースも頼りになるだろう」

「はい!」

「フリードも、しっかりキャロと動きを合わせてカバーし合うんだ、出来るな?」

 ティアナが意識を失っている間に小竜モードに戻っていたらしいフリードが、威勢よく恭也の言葉に嘶きを返した。

「よし。さて、それじゃあ最後だ。ランスター二等陸士」

「……はい、お願いします!」

 こちらへ向き直った端正な顔に、せいぜい背筋を伸ばして答える。

 どんな辛辣な事を言われるかわかったものではないが、受け止めて糧にしなくてはならない。自分はチームメンバーの天才たちとは違うのだから、より貪欲でなくてはいけないのだ。

 ティアナの瞳をまっすぐに射抜きながら、そして恭也は言った。

「君は、自分に足りないものが何か、理解しているか?」

「……それは」

 問われ、考える。自分に足りないもの。

 状況を決めうる攻撃力、主導権を離さない速さ、特別な役割を持てるスキル。

 その他、数え切れないほど浮かんで。

 正直、たくさんあり過ぎてどれを口にしたらいいのかもわからなかった。

「……え、と」

「思い浮かび過ぎるか?」

「……はい」

 見透かされ、情けなさに歯噛みして。

「ランスター二等陸士、君に一番足りないのはつまり、そういうところに現れている」

「……ええと」

 意味を掴みかねたティアナに、恭也は真剣な顔のまま告げた。

「君に一番足りないのは、自信だ」

「…………いえ、そんな」

 言われたことの意味がいよいよ本当にわからず、呟くように返したティアナに、恭也は続ける。

「今日、間違いなく俺をもっとも追い詰めたのは君だ。その事実を、まずはわかってくれ」

「……え、や、で、ですが、それはだって、私は一番最後で、特導官の動きをそれまで見ていましたから」

「そういう要素を差し引いてもだ。そもそも人の戦いを横で観察し、それをいざ自分の番がきたときの糧に出来るというのも、そんなに簡単なことじゃない。少なくとも、誰にでも自在に出来るスキルではない、君の誇るべき能力の内だ。観察できるほどの眼の良さと、それを活かす頭がなくてはああはいかん」

 これはもしかして、褒められているのだろうか。

 まさかもしかして、評価されているのだろうか。

 ティアナにはなんだか、よくわからない。

「君の戦い方は見事だった。その場の最善を常に探り、一手一手考え抜いて撃ってきていたな。俺の動きを誘導して、状況を自分の有利に整えようという意思もあった。魔導師というのはどうも、その有り余る力頼みになりがちなんだが、君にはその甘えがない。これは得難い宝と知っておくといい」

(……得難い、宝?)

 次元世界の英雄は飾り気のない口調で、なんにも持っていないはずの凡人の自分が宝なんてものを持っていると言う。

 ティアナは、自分の頭がどこかふわふわしている気がしてならなかった。

「それから、君には特に途中からそれなりの殺気を当てたんだがそれでも折れず、奮い立ってきただろう。あれもいい。身を削り合い、命を奪い合う戦場において、結局一番最後に俺たちを護ってくれるのは、そういう心の強さだ」

 だってこんなの、決して自分が自分に付けてこなかった評価だ。

「あの、でも、私は、そんな……」

「自信を持て、己を誇れ、胸を張れ、ランスター二等陸士。少なくともこのフォワードメンバーの中で、俺が一番やり合いたくないのは間違いなく君だ」

「え、と……」

「最後、というか最初からあれが君の狙いだったんだろうが、あの戦法なんか特によかったぞ。渋いな」

 大真面目な顔をしていた恭也は、そこでふっと表情を緩めた。

「自分を褒めてやれ。君の成長は、まずはそこからだ」

「……………………は、……はい」

「うん、よし」

 恭也は一つ頷いて、ティアナから視線を外した。

 彼の言葉を飲み込み切れず、ティアナの頭は未だ、微妙にぼうっとしたままだ。

(自分を、……褒める、って)

 こんな環境で自分を褒められるような要素なんて、ないはずで。

 だけど特導官に言わせれば、それはどうやらあるようで。

(わかんない、わよ、そんなの……)

 あまりに予期しなかった展開に、途方に暮れる。

 叱られた方がきっと、何倍もすんなり飲み込めただろう。

「場合によっては俺も教えようかとは思うが、まずは何よりなのはだな。彼女からしっかり教えを受けてくれ。……さて、フォワード陣。それではこれからも、君たちが訓練に励んでくれることを期待している」

 そう言ってまとめた恭也に、スバル達と共に返答しながら、それでもティアナの胸はやはり、戸惑い一色で染まっていた。

 

 

 

 

 

 

「ずいぶんな拾いものをしたな」

「ティアナですか?」

「ああ。まあ彼女に限らず全員、才能豊かだとは思うがな」

 隣を歩くフェイトに言った恭也の言葉は、丸ごと本音だ。

 なのは、ヴィータと共に通常の訓練に戻ったフォワード陣と別れ、隊舎に戻る途中の道をフェイトと行きながら、しみじみと言う。

「ナカジマ二等陸士なんかはわかりやすく強力な能力があるから、そんなに見出すのは難しくないだろうが、ランスター二等陸士を引っ張ってこれたというのは、これはなかなか尋常じゃない」

「それら辺は、さすがはなのは、ですね」

「そうだな、いい眼をしている」

 砲撃手として、とはまた別のところでも、どうやらあの妹は優れた眼を持っているらしい。

「……多分、ああいう人種がいるかいないかだ」

 落とすように、言いながら。

 思い返すのは特武官としての記憶。

「限界状態の現場において、自分の力を拠り所にしてきた人間というのは、それが及ばなかったとき、どうしても折れてしまう。折れて、終わってしまう」

「……はい」

「だが、精神をこそ柱とするものは、そこで抗う。抗うことが出来る。そして、そういう人間が一人でもいてくれると、周りのものも諦めないという事を思いつけるようになる。……俺が呼ばれて行った時に、完全に崩れた現場になっているか、それともギリギリで持ちこたえている戦場であるかの違いは、おそらくその一点だったように思う」

 もちろん様々な要因はあったろうが、結局そこに集約するような気がする。少なくとも、それが恭也の視点から見た時の結論だった。

「ランスター二等陸士は本質的に、後者の人間だ。力で及ばない事が、精神で屈する事と決してイコールにならない、そんなタイプだ。人材としてはこの上なく、貴重だろう」

 殺気を当てられ追いつめられてなお、彼女の瞳は力を失わなかった。どころか、彼女は自分が追いつめられる状況を待ってすらいたのだ。

 それは、誰もが持っているというわけでは決してない、ティアナ・ランスターのギフトだ。

「とはいえ、難しい娘ではあると思うがな。どうも卑屈に過ぎる気がする」

「ですね。……ちょっと意固地になってしまうところもあるので、余計にでしょうか」

「だな」

 そこも併せて、なのはが導いてくれればと思っている。

 だが、教導官としてはそれなりのキャリアを持つ彼女は、しかし長期間見る事になる教え子を持ったのは今回が初めてだ。教導官の教導は短期間の特別訓練という形が基本だからである。

 そういった意味で、少々不安に思ってしまうのは妹に対して過保護が過ぎるだろうか。

「俺も気をつけて見ていようとは思うが、まあ、あまり俺たちが気を揉んでいても仕方ないか」

「はい……私たちは、私たちに出来ることをしましょう」

「ああ」

 陸戦用空間シミュレーターの作った森を抜けると、景色は一変する。それなりに規模の大きい隊舎等々が視界で大きな割合を占めた。

 舗装された道を歩きながら、恭也はフェイトに問いかける。

「しかし、大丈夫なのか? ……君はずいぶん、本当に忙しいだろうに、俺の方を手伝ってくれて」

「もちろんですっ。私は恭也さんの弟子ですから。それに、シグナムやリインフォースと仕事を分担し合えていますので」

「すまんな、……正直、かなり助かっている。俺一人では到底無理だ」

 特導官に任官されてからこれまで、恭也にはずっと、フェイトと共に取り組んできた仕事がある。

「いえ、私もこんなお仕事に関われて光栄です。仕上げていきましょう、御神式」

「ああ」

 金色を揺らす彼女の、整いに整ったかんばせを見返しながら恭也は頷いた。

 御神式。

 それが恭也がフェイトと共に今、創り上げようと力を注いでいるものの名である。

 御神式は言わば、汎用化し、簡易化された御神流だ。

 特導官として局員たちに教導を行うと決めたときに、それは創り出すべきとして自然と行き着いたものではあった。

 しかし、当然問題はあった。

 御神流の技術は、そのどれもが長く過酷な修行の果てに得られる非常に高練度まで鍛え上げられた肉体で振るう事を前提としている。

 そうでなければ、使いようがない技ばかりなのだ。

 よって、まさか長期に大人数の弟子を取るわけにもいかないため、局員たちには授けることが、そのままでは出来ないのである。

 そこで眼をつけたのは、当然のように魔法だった。

 魔法によって補助する事で本来の御神流剣士レベルまでの身体でなくとも、コツを掴めば御神の技術をある程度まで扱う事が出来るのではないかという考えに基いて、御神式は練り上げられつつある。

 とは言え、御神流でより重要なのはむしろ単なる肉体の練度ではなく、その練度まで持っていく過程で得た、肉体及びそれを動かすという事についての深く実践的な理解であるため、単に魔法で補助をしても、技を扱うのはなかなか難しい。

 よって御神式では欲張らず、当人に最も適性のあるだろう技術一つに狙いを定め、その習得だけを目指して鍛錬を行わせる事を基本としてる。

 流と言えるほどに包括的で体系的な技術でなく、予め定められた技のみを振るう事が出来るようになるという代物であるので、御神流ではなく御神式という名称としている。

「というか、正直なところ御神式に関しては君の方が間違いなく俺よりも功績が大きいな」

「いえ、そんなことは」

「いやいや、本当だ」

 恭也は、自分の使用する眩体や晃刃についての感覚的な理解と運用には自信があるものの、基本的には魔法に対して知識が乏しく、また扱う術式も真正ベルカという使用者の極めて少ないものである。

 よって、理論と汎用性の重要な御神式の構築においては、少なくとも恭也からすれば圧倒的にフェイトの功績こそが大きく思える。

「御神式というか、御神・テスタロッサ・ハラオウン式とでも呼ぶべきじゃあないかと思うんだが」

 これは冗談ではなく、本当に考えている事である。もしも御神式が後々まで残ってくれるものとなった時、そこに彼女の名が入っていないというのはどうなのかと思うのだ。

「い、いえ…………その、えと、………………で、でしたらですね」

「うん、なんだ?」

「でしたら、私としては、御神高町式という方が、いいかなあと……」

「……謙虚だな、相変わらず」

 師匠を立てる、実に出来た弟子だった。

「まあ名称のことは置いておいて……重ねて言うようだが、すまん、フェイト」

「え、何がですか?」

「いや……なんというかな、以前、君に御神流を教える事をあれだけ渋った癖をして、今こうして御神式なんてものを局員向けに創り始めているというのは、本当に申し訳ない」

「……恭也さん」

 恭也の言葉にフェイトは柔らかく、本当に柔らかく、抱きとめるように優しい笑顔を浮かべて言った。

「私は、嬉しいです。とっても、嬉しいんです。貴方が、貴方の事や貴方の力をちゃんと褒めてあげられるようになった今が」

「……手のかかる師匠ですまんな、本当に」

 自分の事を、認めてやれるようになって。

 恭也の中では色々なものが変化を遂げたが、その内の一つには御神流への認識があった。

 大元が穢れに染まった代物だという想いは未だにあるし、それが変わることはこれからもないとは思うが、それでも使い方次第だとも考えられるようになった。

 救えた人たちがたくさんいたし、きっと、たくさんいる。

 だったら、少し形を変えたそれならば、御神や不破でない人間に授けるのも悪くないんじゃないかと、今は思えるのだ。

「まさか。それなら私だって手のかかる弟子ですよ」

「君が手のかかる弟子だったら、君の姉弟子の立場はないも同然になってしまう。やめてやってくれ」

「そ、そんな事ないですよ! 立派に恭也さんと並んで流派の御頭首じゃないですか」

「そうなんだがな。……まあ、あいつが御神正統の頭首だというのは微塵の文句もない。ただ」

 恭也は頭を掻きつつ、言う。

「俺が美沙斗さんを差し置いて、不破の師範というのはどうなんだろうな」

「私はとても良い事かと思います。美沙斗さんも、そこは譲りませんでしたし」

 フェイトの言う通り、控えめな気性の美沙斗はしかし、御神不破の師範を正式に恭也とする事に関しては頑と譲らなかった。

 結局今は、表である正統の頭首が美由希、裏である不破の頭首が恭也となっている。

「美沙斗さんも、ああいうところはなかなか意思が硬い」

「恭也さんと言い、美沙斗さんと言い、美由希さんと言い、なのはと言い、不破の血筋の方は皆、頑固揃いです。……ま、まあ私もそれなりなので、なかなか言いづらいんですが」

「かもしれんな」

 苦笑しながら、恭也は頷く。フェイトも確かに、これで頑固者なのだ。

(ランスター二等陸士の事を意固地だと言う資格なんて、俺たちにはないのかもしれんな)

 同じく相当に意思を曲げなさそうに見えたその女の子を想いながら、恭也はそんな風に自嘲した。

 後に。

 恭也は件の彼女、ティアナ・ランスターが御神式の最初の教え子となった時、御神には頑固者が集まるのかもしれないと思う事になる。

 

 

 

 

 

 

 たくさん、人が死にました。でも、貴方がもっと。

 たくさん、人が死にました。もし、貴方がもっと。

 たくさん、人が死にました。ああ、貴方がもっと。

 貴方がもっと。

 貴方がもっと。

 貴方がもっと……そうすれば。

 私の友人も、部下も、上官も、妻も、夫も、息子も、娘も。

 誰も彼も。

 死ななかったかもしれません。

 ねえ、特武官。

 貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと。貴方がもっと―――だから。

 あんなに人が死んだのは、つまり貴方の所為ですよ。

 ……それとも、もしかして。

 貴方からしたら所詮、虫けらみたいな私達の事なんて、気にも留めていませんでしたか?

 

「…………」

 瞼を開くと、薄暗い室内。カーテンの隙間から僅かな星明かりが漏れている。

 ベッドの上、ゆっくりと身体を起こしながら壁にかかった時計を見れば、真夜中を少し回ったところ。

 三時間くらいは、寝られたろうか。

 起こした上半身を立てた膝に預けながら深呼吸、恭也は乱れていた息を落ち着かせた。

 これでも一応、少しはマシになったのだ。

 継続睡眠装置なしでは寝つけすらしなかった頃と比べれば、良くなってはいるのだ。

「…………」

 一際深く吸った息を、吐き出す。嫌な汗を掻いていた背が、少し冷たい。

(……虫けら。ああ、そうか、あの娘の言葉か)

"失礼ながら、……特導官からしてみれば自分たちなど問題にもならない戦力かもしれませんが…………虫けらのような存在かもしれませんが"

"虫けらにだって、それくらいの力はあります! お強い特導官には私達のことなんておわかりにならないかもしれないですがっ"

 それは今日、鮮やかなオレンジの髪の女の子に投げられた言葉で。

 そんなつもりでは、決してなかったのだ。なかったの、だけれど。

 そして彼女にもきっと、こちらをそこまで突き刺すつもりはなかったのだろうけれど。

 それでもやはり、彼女のような立ち位置の人間から投げられると、ひどく刺さる声だった。

 わかってはいる。

 自分が勝手に作り出した幻想に、自分で追い込まれているという事くらい。

 自分で自分を責め立てたって、勝手な自虐で俯いたって、なんにもならない事くらい。

 わかっては、いる。

 だから、普段はもう、それなりに普通に過ごせるようになった。

 だけど、夢の中だけはうまくいかない。

 目を開いて感じる暗闇は、御神不破である自分にとっては一番の棲家だ。

 しかし今、目を閉じて包まれる暗闇が怖い。覗く自分の内側から響く声が恐ろしい。

 笑ってしまうくらいに、情けのない話で。

 それでも、どうしようもなく自分の抱える現実だった。

 また少し、息が乱れて。

 なんとか、整えようとした時だった。

「おにいちゃん」

 シーツの上、無造作に置いておいた左手に熱が触れる。

 これもまた、情けのない話なのかもしれないが。

「……すまん、起こしたか」

「なんで謝るの」

 感じる暖かさと、その蕩けるような笑顔は、恭也の中にわだかまる怯えを圧倒的な火力でもって、いとも簡単に蹴散らしていく。

 まるで眩い星のよう。

 彼女の光はいつも、恭也にとっては救い以外の何でもない。

「昔、私が何回こうしてもらったと思ってるの?」

「……」

 同じベッドの上、するりと身体をこちらへ寄せた彼女の胸に、気がつけば頭を抱かれている。

 その暖かさと柔らかさが、脳に染みこんでいく。

 果たして。

「……悪い、情けのない兄貴だ」

「ううん」

 果たして、この光の中、生き残れる闇の一片だってあるものか。

「なんか……可愛くっていいと思うよ」

「……」

 忸怩たる思いはもちろんあるが、しかしこんな格好で言い返す言葉なんてまさか、持っていない。

「……情けなくたって、いいよ」

 彼女の声が吐息ごと、優しさを熱に換えて降ってくる。

「ずっと格好いい、いつも隙のない、誰にも頼られるおにいちゃんじゃなくて、いい」

「……すまん」

「もう、謝るの禁止するよ」

 ぎゅっと、彼女の腕の力が強まって。

 甘い匂いが、心まで満たす。

「おにいちゃん、髪伸びたよね」

「……そうだな、そろそろ切らなくては」

 正直な、事を言えば。

「私が切ったげよっか?」

「丸坊主にする度胸はないぞ」

「失礼な! 手先は器用なつもりです!」

 恭也は、思い出せない。

「そう言えば、昔はかーさんに切ってもらっていたな」

「じゃあ今度はなのはに任せましょう、そうしましょう」

「どうするかな」

「ええー、大丈夫だよ? ほんとだよ?」

 この娘に、こうして。

 こうしてもたれかかってしまう幸福を知らずにいた頃、どうやって生きていたのか、よく思い出せない。

 ずっとそうして生きてきたはずなのに、不思議なくらい思い出せない。

「まあ髪の事は置いておいて、諦めないけど置いておいて……おにいちゃん、寝られそう?」

「……ああ」

「そっか、じゃ、寝ちゃおう」

 ぽすんと。

 彼女はこちらの頭を抱えたまま、起こしていた上半身をベッドに投げ出す。

「なのは、……もうそんなに抱いていてくれなくても平気だ」

「なのははすでに眠ってしまっていますので聴こえません……おやすみなさい……」

「眠ってしまっているならおやすみなさいはおかしいだろう」

 がっちりと、彼女の細い腕は恭也を離しそうにない。

「さっきのもこれも寝言です……ぐぅー……」

「腹が鳴ってる」

「寝息! お腹じゃないよ!」

 彼女の愛らしい抗議を受け流しながら。

 包んでくれる熱の中、閉じた瞼の内の闇が、今は少しも恐ろしくない。

 元は十と一つも歳の離れていた妹に、高町なのはというその女性に、もたれてしまうのが高町恭也の今であり。

 やっぱり情けないと思いながら、どうしても。

 抜け出せる気がしないというのも、嘘偽りのない現実だった。




情愛や絶望、欲望にトラウマと色々な要因で原作よりも歪んでいるがゆえに、原作よりも人の弱さに対してこのなのはさんは(対恭也さんに限らず)共感と理解があり、包容力を持っています。
じゃあティアナに対してはどうなのってのはこれからもにょもにょ。

ちなみに一応補足としてこちらも書いておくと、前にフェイトがあんなにティアナを脅しつけたのは、こういう風に恭也さんが彼女の言葉で深くダメージを受けるという事をわかっていたからです。人を叱るのも人に怒るのも苦手だけど、斬られてしまう人がいるのがわかっているならやる事はやらなあかん的な。
ティアナに対するスタンスは、やっぱりこれからもにょもにょ。


ところでちょっと意味のわからないことを言うと、第25話からこの第27話までって元々は、第25話に丸ごと収まる予定だったんですよ。
いざ書いてみたら、収まらん収まらんの連続で、いつの間にか三話分に膨らんでいました。
だから一話の長さは今までと変わらないのに、展開が異様に遅かったというわけなんです。

キャラがいっぱい出てきてより色々な視点から話を語れるとなると、バラエティに富むけどその分、話の進みはゆっくりになるなあという感じ。

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