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この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。
「……う、………………あれ」
「……よかった、気がついたね」
視界のほとんどが白い天井で、声のした方に顔を向ければそこには金髪の美女の姿。
「気分は悪くない? 大丈夫?」
穏やかな声の彼女を見つめながら上半身を起こし、問われた内容をぼうっと考える。
大丈夫? なにがだろう。
ぐるりと見渡せば、何回かお世話になった事のある六課内の医務室だとわかった。
自分はどうしてここにいる? どうしてこんな風に、ベッドで寝ているのだろう――。
「あ……」
ようやく働いてきたらしい頭は、やがて状況をすべて理解した。
自分、ティアナ・ランスターがいったい何をやらかしたのかを。
「…………フェイト、さん」
「……うん、なに?」
傍に寄り添っていてくれたらしい姉弟子に、言うべきことはたくさんあるはずだ。
あるはず、なのに。
「私を、最後に、気絶させたのは……」
ティアナの口からこぼれたのは、そんな確認だった。
「私だよ」
そして、返ってきた言葉に深い安堵を覚えたのは、言い訳のできない事実だった。
姉弟子が嫌な役目を担ってくれたというのに、自分の意識を落としたのが彼でなくてよかったなんて、そんな醜い安堵をしている。
凶弾を放たんとする自分から、彼が妹を護ったという、そんな構図にならなかった事を、安心しているのだ。
「……ごめんなさい」
いい加減、本当に馬鹿すぎる。
馬鹿の上塗り、重ね塗り。
「ティアナ……」
「ごめん、なさい……」
なにから謝ればいいのか、もうわからない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、……ごめんなさいぃぃ……!」
「うん」
視界ごと包む、暖かくて柔らかい感触。
頭を姉弟子に抱えられ、そのぬくもりの中にいながら、ティアナの顔に血の気はなかった。
「わ、わ、わかって、るんです……なのはさんは、なんにも、わるく、なんて、ないのに……!」
「……」
「わたしの、ことを、かんが、え、て、……ずっと、ずっと、いろんなこと、してくれたのに……!」
それなのに、自分が返した行為はなんだ。
「なのに、なのに、わたし、……あのひとがなんにもわるくないのが! あんなにかんぺきなのが! ゆ、ゆるせ、ゆるせなかったんです!」
口にしてみると、いかにも幼稚。
高町なのはは文句なしに完璧で、自分とは、まるで違う。
「それでっ、それで……!」
「うん」
喚く自分に、フェイトの声音は揺れず柔らか。子供をあやすその温度が、今はひどく甘い。
思わず縋って、本音を零す。
「あんなにかんぺきなのに! それなのに! ……ずるいって! お、おもって! だって! だって! あんなに! あんなにやさしくされて! まもられて! なんで、なんで! あんなに、かんぺきなのに! なんで!」
言葉の足りない自分に、フェイトは問い返す事をしない。代わりに、わかっているというように、背中を優しく三回叩いてくれる。
「ずるい! ずるい! ずるくなんかないってことくらいしってます! でも、でも、で、でも、でも!」
彼女を尊敬している。信頼している。好ましいという感情だった、たくさん持ってる。
だけど、妬ましい。煮詰まったその感情は、憎いという色合いに変わりさえしている。
「なんで、なんで……………………なんで、わだじ、こんなに、ばかなの?」
姉弟子の胸にうずまったままこぼした言葉は、その音色ごと自分で自分を引っ叩いてやりたいくらい甘ったれている。
それでも、どこか花に似た香りの女性は笑わず怒らず蔑まず、夜空にそっと寄り添う月のようにティアナを両腕で包みながら。
「……ティアナがね、確実に間違っているとしたなら、それは一つだけだよ」
そんな事を、言う。
「……え?」
「あのね、ティアナ。君は、……君だけじゃないけれど、ずっと勘違いをしているんだ。大きな大きな、思い違い」
フェイトの言葉は絵本を読み聞かせるような口調で紡がれながら、少しの苦味が乗っている。
「なのははね、完璧じゃないよ。これっぽっちも」
「……そんな、こと、だ、だって」
「私が実力的になのはと同じくらいだからとか、そういう事で言っているんじゃないの。純粋に、率直に、はっきり言って、親友としての贔屓目をどれだけ入れたって、間違ってもまともな人間だなんて言えない。それが、高町なのはなんだ」
その柔らかな胸から面を上げて、思わず彼女の顔を伺えば、そこには苦笑が浮かんでいる。
そして、彼女は言った。
「ちゃんと、知りにいこうか。話してくれる人がいるから」
「お相子だよ、ティア」
「……そんなわけ、ないじゃない!」
フェイトに連れられてティアナが入った部屋には、既に四人の人間がいた。
「私は、めちゃくちゃにしたのよ! あんたたちの努力を! あんなに勝手な事をして!」
その内三人は、合わせる顔のまったくないフォワードのチームメイト。
「うん、それはそう思う。ティアはすごく勝手だった」
「だったら!」
「それでも、やっぱりお相子なんだよ」
代表のように、スバルは再度そう言った。
「なんで、なにが、お相子だってのよ」
「ティアは、私達のリーダーだ。リーダーは、上に立って指示をしてくれる人で、つまり私達は、ちゃんとその人を下から支えなきゃならなかったはずなんだ」
「支えてくれてたわよ! あんたたちは、ちゃんと!」
ティアナの言葉は当然本音だ。本当に、自分のチームメイト達は最善を尽くしてくれたと思っている。だから、責は全部自分にあるはずだ。
「……だったら、ティアナさんがあんな風に泣くことはなかったはずです」
なのに、俯くキャロはぽつりと零した。
「私、ティアナさんがあんなに思いつめてるなんて、そんなの全然気が付きませんでした」
「それは、だって、そんなの……そんなの、あんたたちが悪いわけじゃ」
「もし僕たちがおんなじように苦しんでたら、ティアナさんは気づいてくれます。少なくとも、無茶する前にちゃんと怒って止めてくれます。それぐらいには僕たちを見てくれてるって知ってます」
キャロに継ぐようにしてティアナにそう言ったのは、悔しさを隠し切れない子供の顔と、言うべきことをきちんと言うのだという大人の顔を入り混じらせてこちらを見つめるエリオ・モンディアル。
「……買いかぶり過ぎよ。私は、そんなんじゃない」
「私たちはそう信じてる。だから、今回の事は私達も責任を感じなきゃいけないミスだって思ってる。ティアだけのミスじゃない、チームのミスだ。だから、責任云々を言うならお互い様のお相子だ」
「……スバル」
立ち尽くすティアナの肩に優しく手を置いたのはフェイト。
「うちのフォワード陣は、良いチームだよ。もちろん、ティアナを含めてね」
彼女のその言葉にはもう、どう返して良いのかティアナにはわからなかった。言葉の代わりにぽつりぽつりと、熱く透明で情けのない雫だけが落ちていく。
「さ、座ろう。座って、これからのための話を聞こう」
フェイトに促され、フォワード陣揃って長椅子につく。
自分たちとテーブルを挟んで対面にフェイトは回り、今までじっと黙していた人の隣に腰を掛けた。
「……ティアナ」
「……はい」
その人、高町恭也が口を開いたのは、ティアナがひとまず涙を抑えられてからの事だった。
やっぱり、この人にもどうしようなく顔を合わせられなくて、俯いたまま返答をする。
「二つ、質問がある。まず一つ目。君は、なのはの事を完璧な人間だと思っているか?」
「……はい」
そうではないとフェイトに言われたけれど、それでもやはりティアナは即断でそう答えた。
「……では二つ目の質問だ。俺となのは、歳の差はいくつだ?」
「……六つ、です。なのはさんが十九歳で、恭也さんが二十五歳、ですから」
いきなり妙な問いだが、極めて基本的なプロフィールに関する事だ、間違ってはいないはずである。
「そうか。一つ目も二つ目も、君の答えは間違いだ」
「……え?」
思わず顔を上げてその人の表情を伺えば、ひどくまっすぐにこちらを見ている。
「……どういう」
「これを知っている人間は、局の中でも極一部だ。というのも、機密扱いの事件に関係する事柄だからだ。四人とも、これから話す事は口外しないで欲しい」
フォワード陣が全員頷いたのを確認して、恭也は続きを口にする。
「十一、それが俺となのはの間にあった元々の歳の差だ」
「……十一? それに、元々の?」
どういう事だ。歳の差がズレ込むなんて事、カウントの関係で起こる一歳だけのはず。それが五つ?
片方がいきなり歳を取ったり、逆に片方が突然若くなったりなど、一時的な効果ならともかく恒久的な変化としては現実に起こるわけがないのだから……。
(……いや)
違う。
ありえる、相対的に見れば。
「わかったか?」
「……管理局や管理世界で通常使われる年齢は、細かく言えば主観年齢です。当人の上を『流れていない』とされる時間は省いてカウントします」
それは、儀式や治療、その他様々な理由で肉体の時が停まった人間の歳をそのままカウントすると、色々と問題が起きやすいからという実務的な理由によるものだ。
つまりは。
「恭也さんの時間が、五年間停まっていた。だから、恭也さんから見ればなのはさんがいきなり五歳、歳を取る形で年齢差がズレた、……ですか?」
「百点の回答だ」
結論を口にしたティアナに、恭也は頷いた。
そして少しだけ息を吐いてから、話を始める。
「その事件があったのは、今から十年ほど前の事になる。当時、俺となのははまだ局員ではなかったが、なのはは巻き込まれる形で、俺はそれを追う形でその渦中に入っていった。俺にとってはその事件が初めての魔法との出会いだった」
その事件が十年前で、現在に至るまでに途中で五年間加齢が停まっていたというのだから、ややこしいがつまりは当時の彼は二十歳。
魔法と出会う年齢としては、間違いなく遅いと言えるだろう。
「名前や顔は知っていたが、実際にフェイトと初めて会ったのもこの時だ。はやてやリインフォースたちと友人になったのも、同じく」
つまり、今は隣に座って似合いの二人に見えるフェイトとも元々は九歳と二十歳という十一歳差があったらしい。ちょうど、今のフェイトとエリオ・キャロの年齢差に近い。
(……だから、かな)
こんなに似合いに見える彼らが恋人という形になっていないのは、元々はそんな、大人と子供、保護者と非保護者のような立ち位置だったからという事もあるのだろうか。
「色々あったが、事件はやがて最終局面を迎え、俺になのはにフェイト、フェイトの使い魔のアルフ、はやてにヴォルケンリッター、それに当時は執務官だったハラオウン提督に、俺やなのはと同じく民間協力者だった無限書庫のスクライア司書長が各々やるべき事をやって、そして、それは本当に最後の最後だった」
(……あ)
ほんのわずか、恭也の隣に座るフェイトがその表情を硬くした事に気づく。
「端的に言えば、俺たちの前にどれだけ魔法を撃っても消し飛ばせない爆弾が現れた。威力はL級艦船搭載の魔導主砲、そのフルチャージショットと同等。起爆までの時間は二秒だ」
「……っ」
それは聞くだに、どう聞いても絶望的な状況。
「なんとかしようと思ってな、俺は少々無茶をやった。やらねばならんと思った時点で、命は端から諦めた」
そのあっさりとした口調が、だからこそ真実味を伝えてくる。
「結果、爆弾を処理する事には成功したが、俺は死を待つ身となった。その場で即死を免れただけで御の字くらいの有様だ」
「っで、でも、無事、だったんですよね、大丈夫、なんですよね? ……その、今でも、とか」
思わずという風にそう問うたエリオに、恭也は穏やかに微笑んだ。
「事件に関係していたとある人物の尽力のおかげで、なんとか命を繋げてな。念入りに治療をしてもらえた。おかげで、事件前よりも健康体になったくらいさ。後遺症なんかも残っていない」
「そ、そうですか、よかったです」
ほっとしたように言うエリオの隣、うんうんとキャロも首を縦に振っている。
「その念入りな治療、っていうのが……」
「ああ、冷凍睡眠を使った類だ。詳細はやはり言えないが、患者の時間を長期間停め、その間に治療を行う」
スバルの問いにそう答え、恭也は続ける。
「俺の場合、その期間が五年だった。起きた時には驚いたよ、てっきり死んだと思ったものだったから……まあ、その話はいい。今問題にしているのは、俺が無茶をやり死にかけて、長い期間眠りに着くという着地点に収まった事で、一体何が起こったかだ」
周囲と年齢がズレた、という単純な事実だけではないというのは、もう察せた。
「最初の話に戻ろう。年齢差が元々は違ったというのはわかってもらえたと思う。ではもう一つの方だ……頼む」
恭也の言葉に、頷いたフェイトがテーブル備え付けの端末を操作する。スクリーンが浮かび上がり、やがて映像が流れ始めた。
老齢の女性が、金髪の少女の近接攻撃を罠魔法やバインド魔法を使って老獪にやり過ごしている。
どうやら戦闘映像らしい。
「これ、……学長先生」
スバルが呟いたように、老齢女性の方は自分たちも世話になった第四陸士訓練校の学長、ファーン・コラードだった。
「と、……え、これ」「……もしかして」
「うん、私」
驚きに眼を開いて問うエリオとキャロに、フェイトは微笑んで頷いた。
(今のエリオとキャロくらい、かしら。九歳とか十歳?)
めまぐるしく動く戦闘の最中なのでじっとは見られないが、幼いその容姿の中には確かに今のフェイトの面影がある。
意外でも何でもない事だが、やはりとんでもない美少女だった。
そしてこれもやはりと言うべきだろう、凄まじい魔法の実力である。高度な中・遠距離魔法を高速で処理しつつ、身体強化を力強く振るってファーンを苦しめている。
とは言え、さすが訓練校学長。
ファーン・コラードと言えば元教導隊の技巧派魔導師、年老いてなおその技は健在だ。猛攻を掛けるフェイトを上手く捌いて弾き飛ばす事に成功し、
「っ!」
追撃の魔法を彼女が放たんとしたその刹那、場面を桜色の暴虐が覆った。思わず息を呑んだのはティアナだけではなく、フォワード陣全員だ。
なんだ、今のは。
「……集束、砲? とんでもない威力の、……え」
ティアナは言葉を切った。切らざるをえなかった。
桜色の奔流がようやく画面から消えたかと思った途端、また現れたのだ。そしてそれは驚くべきことにその後、三度続いた。
集束砲、五連発。
フォワード陣だれもが言葉を発せない中、やがて画面はズームしてそれを放った術者の姿を映し出す。
「……ひっ」
引き攣った悲鳴を上げたのは、キャロだった。ティアナは、声が喉から出てすらこなかった。
「もう一度聞くぞ、ティアナ」
そんなティアナに、恭也は静かに問い直す。
「これが、完璧な人間に見えるか?」
問われずとも。
問われずとも、そんなもの、答えは決まっていた。
「……だ」
気がつけば、
「だめ、でしょう」
ティアナはそう言って首を横に振るっている。
だって、そこに居た少女は、もう駄目だった。
ひと目見て、それがわかる。白いバリアジャケットをはためかす、九歳だか十歳だかの彼女は、――高町なのはは、もう駄目だった。
意味の分からない集束砲五連発という離れ業をやってのけ、漲る魔力は空気に吠えるかのような雄々しさ。魔導師としての実力、才覚は共に文句のつけようのないもので。
しかし、その愛らしいはずだろう面に浮かんだ表情は、それらを潰して余りあるほどの酷さだった。
のっぺりとした虚ろな顔の中、瞳だけが異様。ドロドロと煮立つ溶岩のように暗く重く熱い輝きを放っているそれは、覗き込んでいると底のない沼に沈められるような気持ちになってくる。
バリアジャケットの一部がバチンと弾け飛ぶ。おそらくは先ほどの魔法の反動だろう、しかしなのははその表情を小揺るぎ一つさせなかった。
駄目だ。
駄目だろう。
これは、もう、駄目だろう。
「なんで」
ティアナの口からは、ごく自然な問いが零れていった。
「なんで、……これで、生きてるんですか?」
映像の中の高町なのはからは、少しだって未来の匂いがしなかった。鼻につくのは、濃厚な自壊への予感。
べったりと落ちる、死の影だ。
どんな形にせ早晩、彼女が命を散らすだろうというのはもはや確定事項のようにさえ、思える。
「フェイトを含む、周囲の人達が護ってくれたからだ。実際、あいつはこの時までに一度、この先にもう一度、自殺を図っている」
驚きの声を上げた人間は、一人もいなかった。それはなんとも、この少女がするには自然な行為だろうから。
「……さっきの、集束砲連発魔法にしたってね」
静かな声で言うのはフェイトだ。
「まともなものじゃない。普通の集束砲と比べて持続時間が格段に短いっていう性能的な意味合いもあるけど、もっと本来的な……集束砲は長いチャージタイムが必要な代物のはずなのに、あんな風に連発なんて事が出来るって面でも」
「……なのはさんの、あれは、どういう」
問うたティアナに、フェイトはやはり静かに答える。
「暴発。無理矢理高速に魔力をかき集めて、わざと危険な高圧縮状態を作り出して爆発させてる。そこに指向性を付与しているから砲撃のように見えるけど、でも本質は暴発だ」
その言葉に、自分が新たに手にした魔法の事が頭をよぎった。
「……暴発を利用した魔法は、前にも組んだことがあるから、って、たしか、スティンガーショットが出来上がった時に、なのはさん」
「言ってた? そうだね、ティアナのスティンガーショットは似たような事をしてる。もっとも、きちんと安全な範囲で行ってるスティンガーショットと、失敗すれば重傷間違いなしのあれは、同じように語れるものじゃないけれど」
重傷間違いなしという言葉が大げさなものでもなんでもないだろうというのはわかる。自分の手元からあの規模、あの威力で魔力を暴発させているのだ、一つのミスでもしようものなら命に関わるだろう。
少し、自分が撃ったらどうだろうと想像してしまって、すぐに血の気が引く。
試すのだって絶対に嫌だ。
制御を誤れば、指はおろか腕はおろか、半身が吹き飛んだっておかしくない。
ましてや、実戦での使用なんて、それも連発。自分には無理だ。
それが出来るのは、技術云々の前に、その精神性は――。
「あんなものを思いついて、使えるように仕上げて、実際に使えてしまう。それはなのはの優秀さを示しているとも言える、だけどね、同じくらいに狂っている事も示してる」
「……」
端的なフェイトの表現に、首を横には振れなかった。
未だ続いている映像を見やれば、どうやら最終局面だ。高町なのはは捨て身の特攻をしかけ、カウンター魔法を何重にも起動してファーンが受けた。
叫び声すら、なのはは上げていない。ただただ、あののっぺりとした虚ろな表情で、しかし瞳だけが揺れない重さを有した顔で、待ち受ける魔法へと突っ込んでいく。
人としてのまともさが、そんな光景に欠片でもあるものか。
確かに。
確かに、彼女は、高町なのはは狂っていて。
「壊れてる」
フェイトが放った言葉は、力みがなく、自然な事実を語る音色だ。
「壊れてるんだ。壊れてたじゃない」
「え……」
「なのはの中にはまだ、ああいう部分が残ってる。それがいつかなくなってくれるのか、それすらわからない」
映像の中、ファーンとなのはは相討った。
揃って、空から地面へ堕ちて行く。
「あの集束砲連発魔法、禁止扱いなんだけど、なのははいざとなった時、使う事を躊躇わないと思う――今だって」
「……そん、で、でも、暴発を利用した魔法、今は、もう使ってないって、言ってましたっ」
「最後は五年前かな。確かにそれ以降、なのははあれを撃ってない。だけど、これからも使わないって保証はない」
フェイトの口調は、はっきりとしていて。
その内容はくっきりと、高町なのはという人間の真実を伝えてくる。
「歪な子だ」
ぽつりと落とすように言ったのは、恭也だった。
「俺が言えた事じゃない。それは、その原因の癖に何を、という意味でもだ。だが、それでも言わせてもらうなら、やはりあの子は歪なんだ」
どうか、わかってくれないか。
恭也が声をわずか、しかし確かに揺らして言った。
「完璧なんかじゃないんだ。そんなところで似なくていいのに俺と同じく馬鹿なあの子は、なにも、完璧なんかじゃない」
「隠すのが上手いだけなんだ。綺麗に表面取り繕って、だからなかなか気付けない。……これはなのはと言うよりも、私としては美由希さんを抜いた高町兄妹がって言いたいんですが」
顔を少しだけ俯かせていた恭也はフェイトのそんな、少々わざとらしくたしなめるような口調で放たれた言葉に、暗く染まりかけて見えた面を上げて苦笑する。
どれだけの密度で彼を見て入ればそんな事が出来るのかと言うくらい、それは素早く鮮やかで手抜かりのない、濃やかな気配りだった。
「……はは」
「ティアナ?」
突然笑みをこぼしたこちらにフェイトは不思議そうな顔をして、ティアナはそんな彼女に首を振って。
「いえ、……なんていうか、……あー、…………その、……――っ!」
自分の額を目の前のテーブルへ、思い切り打ち付けた。
「う、うわ、ティア!?」「ティアナさん!?」「あわわわわ……」
突然の奇行に慌てふためくフォワードのチームメンバーを尻目に、ティアナは勢いよく立ち上がる。
痛みと衝撃で視界が滲んで揺れているが、知ったことではなかった。
「どこに居ますか?」
「……訓練場、シミュレータのあたりだ」
恭也から聞いた答えに、ティアナは出入り口に向かって部屋から飛び出る。
どんな顔して会えばいいなんて、そんな怯えはもう、どこか彼方に行っていた。
「隣、いいですか?」
自分でも呆れるほどにそれは、あっさりとした声音。
でもどうか、今はこの勢いのままいかせて欲しい。きちんと、この人と向き合うために。
「……ティアナ。……うん」
頷いた彼女のほうがよほど、吐き出す音色は重いだろう。
海上に突き出る形で作られた陸戦用空間シュミレータ、その縁に腰掛けたなのはの隣へティアナは座る。
少しだけ吹いている海風が、鼻にからい。
「……ティアナ、私、」
「なのはさん」
遮って、言うことにした。ためらいが背中に伸し掛からないうちに。
「私、ここに来る前、なのはさんの事あんまり好きじゃなかったんです」
隣の気配はひるみもしない。隠すのが上手いだけ、そんなフェイトの言葉を思い出す。
「だって、いかにも順風満帆のエリートだし。すごい人だっていうのは知ってても、だからこそ、好きにはなれないだろうなって思えちゃって」
「……そっか」
「それで、実際ここに来て、教導を受け始めて、普通に嫌いになりました」
こんな風に言ってもなお、高町なのはは揺れなかった。どんな言葉を投げられてもじっと静かに自分の光を示し続けるその様は、海風に曝される灯台のようだと思った。
それが幻だと言う事は、もう知った。
「頼りになる上官で、親切熱心な教官で、ちょっと話すだけで『ああ、この人良い人なんだろうなあ』ってすぐにわかるくらいのお人好し、ついでに顔は可愛くて……嫌なところが一つもないから嫌いになるって事があるんだって知りました」
「……私は、」
「気分としては最悪ですよ。そんな貴女を好きになれない自分が何より嫌だった。仕事の上では実力不足も才能不足も突きつけられ続けるし、ここに来てから自己嫌悪まみれ」
苦い日々だ。とにかくのたうち回った、苦い苦い日々。
「そんな時、恭也さんと仲良くなれた」
「……っ」
ようやっと、その人が揺れた。
「別に、あの人の妹になりたいわけじゃなかった。私の兄と恭也さんは全然似てないし、当然違う人だし、だから、そういうわけじゃないんですけど、でも、……あったかさが同じだった」
それに縋りついたときに、自分はまだ求めていたのだと思い知らされた。
兄を喪った事を消化なんて出来ていなくて、だから、どこか似たぬくもりをくれるまったく違う人に縋りついてしまった。
「そしたらなんだかちょっと、穏やかになれてきて。感じてた焦りとかそういうの、どっかに行っちゃって。ああ、これならって思ったんです。これなら私もやっていけるかもって。……今日の模擬戦、これを乗り越えたらようやく、なのはさんと正面から話せる自分になるんだって、そう思って戦ったんです」
これはまだ、生傷だ。だからこうして空気に晒せばひどく痛む。じくじくと神経を蝕んで、声を揺らさずに保つのはとても難しい。
だけど、それを口を噤む理由にしない意地くらい、自分にもあるのだ。
「そしたら聞こえてきちゃって、恭也さんの声。私じゃなくて、なのはさんが心配で観に来たんだっていう恭也さんの声」
「……それで」
「はい。その後の事はよく覚えてません、なんて言いません。はっきり覚えてます。貴方が憎かった。だから」
だから、謝って下さい。
あまりにも、勝手に言う。日の落ちた、それでもなお確かに星明かりが照らす夜の空気を肺に吸い込み、言ってやる。
「……ティアナ、」
「謝って下さい! ――そんな風に騙されてた私にです!」
その人の声を遮って、はっきり顔を見てティアナは大音声を上げた。
「だってそうでしょう!? 完璧だって思ってたんです! 高町なのはは全方位完璧で! それでその上、あんな風にお兄ちゃんに護られて! 全部全部持ってて! だから憎かった! ……なのに!」
そう、なのに。
あの映像は、あの姿は、あの瞳は、もう脳に焼き付いた。
「なのはさんは! 全ッ然完璧じゃない!」
やっと気づいたその事実は、口にすれば当たり前過ぎる。
「ていうかまともですらない! スペックが馬鹿みたいに高いだけのポンコツじゃないですか!」
「……ポ、ポンコツ」
投げた言葉にその人はたじろいで、しかしティアナは続ける。
「ポンコツ! ずうっと騙されてた! 完全無欠のエースオブエースに! まさかあんな大穴空いてるなんて思わなかった!」
「……その、ティアナは……色々、聞いた、んだよね。私が」
「聞きましたよ! なんですかあれ! よく生きてますね! なんなんですか!」
「う、う、そ、そうだね、うん」
本来的に責める筋合いでもなんでもないこちらに言われて、なのはは小さくなる。
「……みんなが止めてくれなきゃ、私、もう死んじゃってたはずで」
「そりゃそうですよ二回も自殺未遂やってんでしょ!」
「う、うん……その、……うん」
ますます小さくなるなのはの姿に、もうティアナは幻を見なかった。
気づいてみればこの人は、小さく細い肩をした、一人の脆い人間だった。
「騙された! 騙された騙された! ……もおおおおおおおおおお!」
自分の髪を、ティアナはぐしゃぐしゃとかき混ぜて。
「だああああああああっ!」
「ティアナ!?」
足を投げ出して座る空間シュミレータの縁を、踵で思い切り蹴り飛ばす。当然、そうすれば身体は前方へ吹き飛んで、重力に従い落下する。
地面へ、ではなくて、闇夜に黒い海の中へ。
水しぶき、大きいんだか小さいんだかよくわからない落水音。
海中に沈んだティアナの身体はやがて、仰向けにぷかりと海面に浮き上がった。
「ティ、ティアナ、なにして……」
「ちょっと、頭冷やしてんですよ」
湧いていたのも煮立っていたのも、彼女のではなくこちらの頭。
頭から全身ずぶ濡れ、コールタールみたいな色をした夜の海に浮かびながらティアナは言う。
「ごめんなさい」
「……それは、私の言う事だよ」
「違います。謝って下さいって私は言いましたけど、でも、なのはさんが謝る事なんてないんです」
自分の主観からすれば彼女に非があるように見えなくもないかもしれないが、客観的に見ればそんなもの、微塵もないだろう。
「勝手でした、私はずっと」
「……」
「貴女は、なのはさんは、ずっとあんなに優しかったのに」
狙ったわけではなかったけれど、海に飛び込んでよかったと思う。身体を包む塩辛い水がほんの少しだけ増えた所で、きっと誰も気が付かないから。
「馬鹿な部下でごめんなさい、扱いづらい教え子でごめんなさい、嫉妬深い人間で、ごめんなさい」
くそう、揺れるなよ。そう声に願ってみても、都合よく言う事は聞いてくれなかった。
「ごめんなさい、なのはさん。ごめんなさい」
喉を締めるように震えを抑えつけて、それでもティアナは言葉を続ける。
続けなければいけない、じゃなくて。それもあるけれど、一番はそうじゃない。
「……ごめんなさい、でも」
続けたかった。続けて、言わせて欲しい事があるのだ。
「あの、……お願いです、なんて、言えないのはわかってます。でも、……でも、また」
私を。
そう続けたようとしたティアナの言葉は、上がったドパアンという音にかき消された。
驚いて首を上げて見てみれば、縁に腰掛けていたはずの彼女の姿がない。
視線を回せば、海中にわずか、栗色が踊っているのが見えた。
「ぷはっ……うう、足着かないね」
海面から顔を出したのは、こちらと同じく頭からずぶ濡れになった高町なのは。
「……着くわけないでしょう」
この空間シュミレータは大掛かりな装置で、まさか浅瀬に作ったわけではない。ここらへんは、それなりにしっかり水深がある。
「……浮くの難しいかも。ティアナそれどうやってるの?」
「どうって、力を抜けば自然に」
「ええー、うーん……っぶ、だめだ、波が顔に」
なんだその微妙な不器用さは。少々呆れていると、魔力の奔る気配がした。たちまち、なのはの身体が安定する。
「なのはさん、魔法使いましたね?」
「……あんまりこういうの、得意じゃなくて。かなり良くなったけど、根っこのところは運動音痴なんだよね」
「……知らなかった」
魔力の制御があまりに上手いからそんなの、知る機会なんてなかった。
「騙された、って言われると、言い返す言葉なんてないんだ」
「……言いがかりですよ、こっちの」
「ううん。……あのね、ティアナ」
彼女はずいぶん、不思議な顔した。穏やかに微笑んでいるようにも、泣き出す寸前のようにも見える。
「お兄ちゃんから私のおかしな所を聞いたと思うんだけど、それ、半分だよ」
「……え?」
「お兄ちゃんは、私の壊れているところの、半分しか知らない。……半分っていうか、大本かな?」
星々を頭上に頂きながら、彼女の口調は静かだった。
どこか、それは痛いくらいに。
「……なのは、さん?」
「あのね、ティアナ」
直感でわかった。
彼女が、己の臓腑を晒すつもりである事を。
「私は、あの人を愛してる」
叫ぶでもない彼女のその言葉は、はっきりと聞こえて、だけどうまく噛み砕けなかった。
「世界の誰より愛してる。どこの誰にも、絶対に負けない」
易易と噛み砕いてはいけないものが投げられているんだという事は、なんとか察せて。
「私は、愛してる。ずっと、ずっと」
最終的に、ティアナにそれを理解させたのは、彼女の言葉そのものではなかった。
「高町恭也を、愛してる」
炎だ。
炎なのだろう。
海の上、夜の中、高町なのはの瞳の内に、燃える燃えるこのとてつもないものは、きっと炎だ。
踊ることはあれど、揺らぐことなど決してないだろう、あまりに重厚で頑然とした焔。
「家族として、人として、女として。私の全部で、愛してる」
彼女は、それに焼かれながら生きているのだ。
ぞくりと、自分の背筋が震えたのがわかる。
同時、フェイトの言っていた事を本当の意味でようやく理解できた。
変わってないのだ、この人は。あの映像の中に見た瞳と、今目の前にあるものは、決定的なところが同じだ。本質は、変わっていない。
「……いつから」
「わかんない。……本当に、わかんない。ずっと昔から」
ティアナが零した問いに、なのはは少し自分に呆れるように返した。
兄が自分たちをかばって長い眠りに就いた。それは大きな大きなショックではあったのだろうが、この人が『普通の人』と比べて壊れてしまっている事の、原因というわけではなかったのだ。
あるいはもしかすれば。
この人は、高町なのはは、もしかすれば。
「好きなんだ、あの人が」
最初から。
「……私が完璧になんて見えたとしたら、それは多分、必死だからだ」
「……なのはさん」
「自分のおかしさは、わかってる。だけど、あの人にそれを知られるのが怖くて、だから、必死で取り繕ってる」
教導隊きっての魔導師、空のエースオブエース、高空の女王。
頼りになって優しくて、誰が見たって愛らしい容姿。
そんな彼女は嘘じゃないのだろうけれど、最も生な部分でもないのだろう。
「ねえティアナ、私は、こういう人間」
彼女の言いたいことはシンプルだ。
「それでもまだ、教わりたいって思うかな?」
「……」
問いを頭に巡らせて、ティアナは数秒目を閉じた。
どうしたい。
「……条件が、あります」
そんなこと、言えた立場じゃないのはわかった上で、言う。
「うん」
自分は、どうしたい。
「好きなんですよね、恭也さんのこと」
「……うん」
ここまで晒してくれた人に、どうしたい。
どう、なって欲しい?
答えはするりと出てきた。
「絶対に落として下さい。他の誰にも奪われないで、がっちり自分のものにして下さい」
「……………………………………え?」
完全に居を突かれたような声が返ってきて、構わずティアナは続けた。
「なのはさんですよ、くっつくべきなのは」
「……そ、……え、でも」
「なんですかその反応。そのつもりないんですかもしかして」
「な、ないわけない! ……けど、でも、なんで、ティアナがそんな」
もっともな問いに、ティアナは夜空のどこにも焦点を合わさずに答える。
「私のお兄ちゃん、すっごいかっこ良かったんですよ」
「え、あ、……うん。写真で見ただけだけど、うん」
急に舵を切り替えた話に彼女が付いて来てくれたのを確認し、ティアナは続ける。
「本当に我が兄ながらそれは爽やかなイケメンでした。めちゃくちゃ優しいし、魔導師としても優秀で……って言えば、わかるでしょう? もう入れ食いですよ入れ食い」
「あー……だろうね」
「で、寄ってくる女のやり口なんて皆いっしょ! まずは私からですよ! 私に懐いてもらおうってやつ!」
「……う」
なのはがその端正な顔を歪ませた。そこには実感と共感の匂いがある。
それはそうだろう、あんな兄を持っていれば彼女も絶対に同じ目に遭ってきたはずだ。
「でもお兄ちゃんは私を育てる事を一番に考えてくれてたから、なかなか誘いに乗らなくて。で、そうなってくると女どもの言い様なんてやっぱりみんな同じ! 『妹ちゃんにあんまりべったりすると後で辛いよ? この娘だってその内、どこかの男の子のところに行くんだから』って! ……お前に言われる事じゃないっつーの!!」
脳内に思い出された苛立ちに、右手を海面に思い切り叩きつける。力が入った事でティアナの身体は浮力を失い海中へと沈んだ。
その寸前にちらりと隣を見てみれば、なのはは思い切り渋い顔で頭痛に耐えるように眉間を抑えている。
どう見てもそれは同類の顔だった。
結局なのはのようにティアナも魔法を使って体勢を整え、彼女の隣にまた浮かぶ。
「私は別に、お兄ちゃんのことをなのはさんみたいに好きだったわけじゃないんです」
「……そう、なんだ」
「はい。大好きでした、当然今も大好きです。ものすごく小さな頃は『お兄ちゃんと結婚する』とか言ってたと思います。……でも、違います」
本当の意味で、自分は兄に恋をしていたわけではないのだ。
だが、思ったことはある。
「違います、違うんです。……ただ、だけど」
もし、自分が兄に恋をしていたなら、この状況は腸が煮えくり返ったに違いない。そんな風に思ったことはあった。
「だとしても、なんで妹だってだけで候補から除けられなきゃいけないんですか」
「……っ」
「ていうか、一番近くにいるわけですよ? 色々ちゃんと知ってるし、一番関係はしっかり築いてんですよ! それなのに勝手にありえない可能性にされるってめちゃくちゃ屈辱じゃないですか!? ――ぽっと出の女風情が何様だッ!」
バァンと壁を打ち壊すような音と共に上がった水飛沫は、ティアナの起こしたものではない。
「……そうだよ。こっちは」
そう叫ぶ、顔を伏せたなのはのダイナミックな左手の振り下ろしによる相槌だった。
「生まれた時からずっと一緒なんだ……、年季も……! 密度も濃度も違う!」
「……そうですよ! 一番兄の事をわかってるのなんて、妹に決まってんじゃないですか!」
「なのに! それをわかってない奴らが次から次に……!」
低く唸るように声を上げるなのはの顔は、実に迫力があり。
その瞳は、絶対を思わせる灼熱を有している。
(……そうよ)
ティアナはそれを見て、確信する。
これだ。
これなんだ。
「……渡すもんか」
なのはが血がにじむような声音を吐き出して。
「おにいちゃんは……」
ティアナはそこに、光を見つける。
「おにいちゃんは、私のだ……!」
この醜く愚かで頭のイカレた世間的には背徳的な、彼女の蓋のない欲望こそがきっと――世界で一番眩しくて。
誰を押しのけたって報われるべき想いなのだ。
「……渡すもんか、…………渡す、もんか」
だって、ティアナには生々しく想像が出来てしまう。
そんな絶望的な想いを思いを抱えて生きる事が、どんな辛いかを。
きっと彼女はまともな光に怯えるような朝も、暗い泥沼に沈むような夜も、何度も何度も味わってきたのだろう。
それでもなお、自身の想いに殉じている。高町なのはは、飛ぶことを止めない。
それは、なんて。
なんて、眩しいのだろう。
「なのはさん」
「……っ、あ、……えと」
手を取ると、彼女は正気に返ったようにはっとした。いや、正気に返ったというよりかは、なんとか常識を纏う姿に変わったというべきか。
彼女の正気はきっと、先ほどの姿こそだろうから。
「フェイトさん、めっちゃ美人ですよ」
「え、う、うん、そりゃそうだけど」
「体つきも色気を煮詰めたみたいだし、なにより性格めちゃくちゃ良いし。優しくて気配りで包容力抜群。その上、恭也さんとすごく近い」
「そ……そうだね」
そんな事、言われなくとも彼女の方がよくわかっているのだろう。
「八神部隊長は奥さんみたいに支えてる感ありますし、リインフォースさんはなんか熱量すごいし、シグナム副隊長はよく気が合うみたいだし、シャマルさんもいい雰囲気なところをなんだかんだ結構見ます」
「……うん」
「他の名前もちらほら聞きます。なのはさん」
「……」
ティアナの知るかぎりでも、信じられないくらいに強敵揃いだ。
だから。
「なぎ倒してくださいね」
はっきりと、ティアナは言った。
信頼と、憧れを籠めて言った。
「高町なのはなら、出来るはずです」
受けて、なのはは一瞬だけ目を閉じて。
「……――うん」
その頷きは、まっすぐに。まるで、彼女の砲撃のよう。
それがどれくらい強いかなんて、ティアナはよくよく知っている。
「あ、子どもが男の子だったら私、もらってもいいですか?」
「……っちょ、ちょっと待ってそれはどこから突っ込めばいいかわかんない!」
「だってもー、行く気なら行くとこまで行かなきゃ」
ぐっと握りこぶしを作ると、なのはの顔は真っ赤だった。
「いや、だって、それは、だって」
「……管理局本拠地のこのミッドチルダはその役割上、多様な文化の許容を掲げています。その理念は口先だけってわけじゃない。とは言え、さすがに決して一般的ではない話ですけれど」
「そ……れは」
「知ってるんじゃないですか、なのはさん。手順はかなり多くなりますけど、申請のやり方を考えれば」
昔、興味本位で調べた知識だが今だってそう変わりはないはずだ。
「し、知ってるけど! 知ってるけど!」
「法的な話だけじゃなく、技術だって色々あって」
「知ってるけど!」
「あ、やっぱりそういうのちゃんと調べたんですね。なんだ、ヤる気十分じゃないですか」
「~~っ!」
いよいよなのはは顔についた水気も蒸発させそうな勢いだ。もしかしてこの人、この手の話をするのは苦手なのだろうか。
「一緒の部屋に住んでるんですよね? そんなのもう毎日が大チャンスでしょう!」
「や、やめてよ……、意識しないように頑張ってるんだから!」
「はあああ!? 意識しないでどうするんですか!?」
「だ、だって! 絶対変になっちゃうし!」
「んなもんもうなってますよ!」
「そうだけど!」
何をわだかまっていたのだろうと思うくらい、ティアナの口からはぽんぽんと言葉が出てくる。
「ていうか意識させなきゃいけないんですよ! 恭也さんに、自分は女だってこと!」
「お、女だって、こと……そ、そうなんだけど」
真っ赤な顔を俯かせる彼女は、その童顔も相まってなんだか年下にさえ思える……なんていうのは、さすがに失礼だろうか。
「十分にわがままボディしてんですからそれとか使って! いっそお風呂とか一緒に入ったらいいんですよ! 背中を流すって言って!」
「それは、……私の方が、のぼせて倒れる可能性が高いので……鼻血とか出して」
「……むっつりへたれ」
「ティアナそれ結構ひどいこと言ってるからね!?」
その抗議の声を浴びて、ティアナは笑ってしまった。
それはもちろん、自分の馬鹿さ加減にだ。
こんな人の、どこが完璧か。こんなに泣きたいくらいに必死で、誰より健気なこの人が。
歪で異常でだから愛しい、彼女はどこにでもは絶対にいないけれど、しかし確かにここにいる、一人の恋する女性なのだ。
(……うん)
出来るかぎりを、しようと思った。
「……ま、安心して下さいなのはさん。このティアナ・ランスターがこれからはばっちり援護射撃してみせますから」
出来るかぎりで、実は臆病らしいこの人の背中を押そうと思った。
「え、……え? ほ、ほんと? ありがた……いけど……でも大丈夫それ……? めちゃくちゃな事けしかけたりしない? 本当にありがたい話なんだけど、なんかちょっとさっきの会話を思い出す限り不安が……」
「このままずっとまごまごしてたら裸にひん剥いて背中を蹴り飛ばして恭也さんと密室で二人きりにしますからね」
少し過激な物言いになったが、手段としては最終的にはありだと考えているティアナである。
「ちょっと待ってよちょっと! そんな風にやってきてないんだって! もうちょっと穏便に!」
「そんな生ぬるいこと言ってるようだからちっとも進展してないんでしょうが! 子どもはおろかキスですら先の先ですよそれじゃ!」
「……………………や、えと」
「……あれ、まさか」
「いや、……ええと、………………その」
黙って見つめていると、彼女の勝手な自供は続いた。
「……あれは大変、特殊な状況下で、ちょっとだから、頭が煮詰まっちゃったっていうか」
「よし、頭が煮詰まるような状況なら根性見せるんですね」
「ああああ待って待って今のなしいいい!」
なのはは悲鳴を上げるように叫びなからこちらに飛びかかってきて。
おかげで二人揃って魔法の制御範囲から外れ、浮力を失い海中に沈んでいく。
海の中から見る空の星は揺れて滲んでどこか頼りなく、それでもやはり美しかった。
「おかえり、ティア」
「……起きてたの?」
「うん、まあね」
ティアナの言葉に頷いて、ルームメイトは笑みを見せた。
あれからなのはとすったもんだやりながら話し合いらしきものを重ね、びしょ濡れの身体で寮のシャワールームに飛び込んで、着替えを持っていない事に気づいて備え付けの乾燥機で慌てて乾かして……なんてやっていたら、消灯時間はとっくに過ぎた。
もう寝ているだろうなというティアナの予想に反して、電気を消した部屋の中、スバルは二段ベッドの上でふりふりと手を振っている。
いや、正直なことを言えば、起きてるだろうなと思っていたかもしれない。
起きていてくれているだろうな、そう思っていたかもしれない。
「……その」
言葉を詰まらせたスバルは気遣わしげに伺うような表情で、彼女が何を言いたいのかなんてわからないわけがない。
「スバル、あんたこの六課の上官陣で一番好きな人、だれ?」
「え?」
「だれ?」
雰囲気を無視したこちらのいきなりの質問に、明らかにスバルは面食らった顔だ。
「いや、だれって、比べるような事でも……」
そう言っていたスバルだが、無言で見つめ続けると観念したように口を開いた。
「……そりゃまあ、……だれかって言うなら、元からファンだし、同じ隊だし、教導してもらってるし、なのはさんだけど」
「よし」
「よ、よしって何?」
「スバル、私たちはなのはさん派なわけよ。今後はそのように動いてくれることを期待しているわ……」
「待って待ってわかんないわかんない!」
二段ベッド上段からこちらを見下ろすスバルの顔がわかりやすい困惑に染まっているのは、証明の消えた薄暗闇の中でもわかった。
「……えと、ティア、……なのはさんとは」
「必要ならあの人の背中を蹴り飛ばす、私はそういう役目になったわ」
寝間着に着替えながらそう答えると、少しの笑い声が聞こえた。
「なによ」
「いや、全然話はわかんないけど……仲良くなったんだね」
「……うん」
支度を整えて、ティアナは自分の寝床に潜り込む。
「なーんか妬けちゃうなー、ティアにもなのはさんにも!」
上からは冗談めかした口調でそんな言葉が降ってくる。
「……ねえ、スバル」
あんな風に言うこの娘が、どれだけ自分の事で気を揉んでくれていたのかくらい、わかっている。
「なに?」
「私、運が良いんだと思う。六課にも入れたし、その前から、あんたと友達になれた」
「っ……ティア」
「ありがとう、スバル。おやすみ」
自分の身に不幸がなかったなんて絶対に言わない。だけど、幸運がなかったなんて事もないのだ。
その内の大きな一つにお礼を言うくらい良いだろう。気恥ずかしいかなと思ったけれど、案外と穏やかに言う事が出来た。
「……あの、ティア。……えと、私だって、そう思ってるよ。えへへ」
割とひどいことばかりしている自分にそんな風に返すこの娘は多分、相当に心が広いんだと思う。
「……もっともっと強くなろうね、ティア! 六課に恩返しが出来るように!」
「ええ」
そうだ、とにかくそれだ。
強くなるのだ、護れるように。強いけれど、その代わりに弱くもなってしまった人達を、護れるように。
(……なのはさん、…………それから)
目を閉じたティアナの頭の中に、なのはと並んでぼうっと像を結んだのはその人の姿。黒い衣装に身を包んだ男性。
上手くいくだろうかな。
上手くいけばいいと思う。
だってあんなにぴったりと寄り添って生きているんだ、引き剥がすなんて絶対におかしい。
二人にはずっと、幸せであって欲しいと思う。
「それじゃ~おやすみ、ティア」
「……うん」
「……ティア?」
スバルに返した声には、少しの揺れがあった。ティアナの目端は熱を帯びて、雫は顔の上を流れ、そっと枕を濡らしていく。
「なんでも、ない」
「……うん」
それ以上、何も聞いてこないのがやはり、スバルの優しいところだ。やがてほんの少し溢れ始めた嗚咽にも、彼女は何も言わなかった。
兄ではないけれど、どこか兄のように思っている。頼りになる人で、危なっかしさもあって、だから目を離せなくて。
自分が彼を見る感情は、色んなものが混ざっていて。
だけど、彼と結ばれるべきは、絶対に高町なのはだと思っていて。
だから、これはこれで良いのだ。
心にひび割れは起きて、そこからこうして涙が溢れ出てしまうくらいには、きっと悲しいのだろうけれど。
新しく得た暖かさの代わりに、広がったいつかは塞がるこの亀裂を、たぶん失恋と言うのだろう。淡くはあっても、でも確かに。
受け入れようと思った。受け止めようと思えた。
この悲しさははっきりと、ティアナ・ランスターだけのものだから。
(ねえ、お兄ちゃん)
いつか兄のもとへと行った時、自慢気に言おうと思う。
私の初恋は、結構素敵だったんだと。
ティアナちゃん編これにて終了!
長かった……文量的にも期間的にも……。
憧れ主体の甘酸っぱい感じの初恋&失恋という王道ルートを行ったティアナちゃん。
とても好きなキャラなので楽しかったのですが、重い話が多かったので筆も重くなった気もします。
や、こんなに更新遅くなったのはそれだけが原因ではないんですけれども。
なるたけ月一更新にしたいとか言った矢先にアホみたいに間隔空けてしまいまして申し訳ない。もう自分でも更新ペースは読めないので、いっそ不定期にします……。
更新出来る時に更新!
途中でほっぽり出す気だけはないです。
次回は一部からメインヒロインと呼んで頂ける事もある子の話になります。めっちゃ久しぶりの登場。