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この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。
「こんなに早く、事の全てを詳らかにされるとはな……クロノもとんだ助っ人を連れてきてくれたものだ」
グレアムは、苦笑を浮かべつつ言った。
「まさか、守護騎士三人に続いてロッテとアリアまで沈めるとはね」
「提督にしてみたら、都合の悪いイレギュラーでしたでしょうね」
「ああ、まったくだ」
クロノが本局で調査部隊からグレアムに対する嫌疑の報告を受けている間に、事態は急変していた。
捕らえた守護騎士の自閉モードが恭也の技で解除、続いたなのはの説得により、彼女は情報の提供を開始。
その間に、管理局近くの世界に保護生物を狙って、残る守護騎士が全員出現。
恭也が単身でこれを拿捕。
そこに仮面の男が襲撃をかけ、戦闘の末こちらも恭也相手に破れ倒れ伏し――その真の姿を現した。
これらにより明らかになった真実を、今、クロノはグレアムと彼の使い魔たちに突きつけ。
彼らはそれを認めるに至った。
「提督、ロッテ、アリア。わからないわけではないでしょう。あなたたちのやったことは、やろうとしていることは……違法だ」
「そのせいでっ!」
クロノの言葉に対しリーゼロッテは反駁の声を上げた。
「そんな決まりのせいで、悲劇が繰り返されてんだっ! クライド君だって! あんたの父さんだってそれでっ」
「……ロッテ」
「……っ」
グレアムの声にロッテははっとした表情を浮かべて押し止まった。
クロノはそれについては何も言わず、座っていたソファーから腰を上げると、ドアに向かって歩き出し、彼らに背を向けた。
「法以外にも……提督のプランには問題があります」
そのままの姿勢でクロノは続ける。
「凍結の解除は、そう難しくないはずです。どこに隠そうと、どんなに守ろうと、いつかは誰かが手にして使おうとする。怒りや悲しみ、欲望や切望、そんな願いが導いてしまう……封じられた力へと」
沈黙が、部屋を包んだ。
ロッテ、アリアは黙して俯き、グレアムも眼を瞑ったまま何も言わない。
そんな彼らに向き直り、クロノは頭を下げ、言う。
「拿捕した守護騎士たちと話をしなければいけませんし、主の事もありますので、すみません、一旦失礼します」
「……クロノ」
再度ドアへと歩き出したクロノに、立ち上がったグレアムが声をかけた。
「……はい」
「アリア、……デュランダルを彼に」
「父様……!?」
「そんな……!」
その言葉にアリアとロッテは反発を滲ませた声を上げるが、グレアムは諭すような口調で言う。
「私たちに、もうチャンスはないよ。持っていたって役に立たん」
「……っ」
俯いたアリアは、一瞬の逡巡の後、硬い表情でクロノにカードを差し出した。
それは銀に輝き、中央に青い石を持つ、デバイス。
グレアムが、言う。
「どう使うかは、君に任せる。氷結の杖、デュランダルだ」
「お待たせしました、恭也さん」
部屋を出たクロノは、そこで待っていた恭也に声をかけた。
「いや、気にしないでくれ」
言葉とともに手をかざしてそう返す彼は、万が一のために警護についていてくれたのだ。
二人は、廊下を歩き出す。
「提督は、全てを認めました」
「……そうか」
恭也には既に、クロノに分かる範囲での事情は全て伝えてある。騎士達を捕縛したのも、ロッテとアリアを止めたのも彼だ。一番の功労者に何を隠すこともない。
「恭也さん」
「なんだ?」
「今回の事は言わば、こともあろうに管理局の者が事態をかき回したようなものです。こちらからご協力をお願いしておいて、本当に申し訳ありません」
恭也には管理局から助力を頼み込んだ。それなのに、管理局員であるリーゼ達の妨害を二度に渡って受けさせてしまった。
それはどうとも言いつくろえない失態であり、どんな叱責であっても受けなければならない。
それがアースラスタッフとして、執務官として、この件を担当する自分の責任だと、クロノは思う。
本当に、彼には迷惑と苦労を掛けっぱなしだ。
「それに、恭也さんに騎士三人相手という悪条件で戦って頂くことになってしまったのも、見通しの甘かった僕の落ち度です」
グレアム達に感づかれぬよう、秘密裏に彼らの動向を探るという作業に気をとられるあまり、現場への配慮を怠った。結果、肝心なときに自分は出撃できない状態にあり、また駐屯地への警護も甘かったせいで結局は杞憂だったとは言えフェイトはそちらに付くこととなり、加えてなのはは守護騎士の説得中、よって恭也は一人で現場に向かうことになった。
結果として、彼は守護騎士三人の無力化ばかりか、仮面の男として暗躍していたアリアとロッテまで捕縛してくれたのだが、だからと言って彼にかけた負担がとてつもないものだったのは事実だ。
「この度は、何から何まで負担を強いてしまって……」
「クロノは、今回の事でグレアムさん達を責めるか?」
「……え?」
「答えてくれ」
唐突な問いに、呆けた声を上げてしまったものの、急かされてクロノは自らの胸にその答えを尋ねる。
自分は、グレアム達を。
「……いえ」
答えは、すぐに出た。
「今回の事は管理局員としては許されない行動でしたし、彼らのプランは……人としても決して褒められたものではない考えでしょう。……でも」
「でも?」
「……勝手な事を言うようですが、提督やロッテ、アリアも………………被害者、なんです。闇の書事件の。だから、……執務官としては罪を突きつけなければいけませんでしたが、僕個人としては、彼らを責めることは……できません」
直接的に傷を負ったわけではなくとも、それでも。
グレアム達は、被害者だ。
部下をその手で撃たなければならず、その無念から自ら局員として道を踏み外した被害者なのだ。
撃たれたその部下が、クロノの実の父であったとしても、それは変わらない。
「では、闇の書の……夜天の魔導書の事はどうだ? 書自身や、守護騎士達を恨んでいるか?」
「……それは」
恭也には、父の殉職した事情については話してある。
だからこれは、それも加味して、という問いだろう。
答えは、また、すぐに出た。
「恨んでは、いません」
それは、素直な気持ちだ。
「もともと、誰かを恨むようなことじゃなくて……仕方のない事情が、重なっただけなんだと、そう思います。魔導書だって、言ってしまえば無理矢理改悪された被害者なんです」
強いて言うなら、恨むとすれば改悪を行った過去の主たち、だろうか。だが、そちらについても一人一人は連鎖の一要因に過ぎない。
誰が今の事態を決定的に作り出した張本人というわけではないのだ。
「ただ、仕方なかったんです。それだけなんだと思います」
「だったら、クロノについても同じ事だ」
「……え?」
「仕方なかったことだろう。間が悪かっただけだ。クロノは必死に、一生懸命やっていたし、責められることはしていない。ただ少し、言ってしまえば間が悪かっただけだ。結果として多少なり俺のやるべきことが増えただけで、それは仕方のないことだ」
「でも……」
「それにそもそも俺はやりたくてこの件に協力しているんだぞ、自己責任だ。誰かに、少なくともクロノに文句を言うつもりなどない。俺は、クロノに対しては」
ぱん、と背中に感触。
それはまるで友にやるかのような気軽さと親しさを感じさせる、軽い平手打ち。
「すごい奴だと、そう思っているだけさ」
続く言葉は、笑みとともに向けられた。
「す、すごいって……いやそんな」
「十四だったか? その歳で、いや、歳のことを抜きにしたって、こんなに立派に職務を全うしてるんだ。なかなかできる事じゃない。すごいよ、クロノは」
「……あ、いや、……その」
うまく言葉が出てこなかった。
でも、自らの内にわき上がった感情は呆れるほどに明確で、それは、やっぱり。
……嬉しい。
その一言に尽きた。
送ってきたのは壮絶な半生。
常日頃から努力を惜しまず、その身に宿すのは確かな力と驚嘆すべき技、気高い精神。そして、愛する者のためならば、微塵も躊躇することなく死地に赴く度量。
どれをとっても、最上の敬意を払いたくなるそんな人に、こんなことを言われて、嬉しくないはずがない。
「それに、共感もあるしな」
「きょ、共感、ですか?」
恭也は続けて言った。
「ああ。遠い父の背中を追う者同士、だ」
「……恭也さんの、お父さんは」
たしか、いつか聞いた話では。
「仕事中に死んだよ。子供を護って」
「……っ」
「元々護衛の仕事ではあったとは言え、その子供の事は依頼には入ってなかったらしいんだけどな、放っておけなかったんだろう。……父が死んだことは悲しかったし、やりきれない思いもした。死んで欲しくなどなかった。だが……それでもやはり、父のした事は誇りに思ってる。クロノは、どうだ?」
「……僕は」
クロノが幼い時に、亡くなった父。
彼が死んでしまったことはとてもとても悲しかったけど、それでも、彼の最期に、クロノは敬意を払っている。
父は、クロノにとっては、憧れで誇りだ。
「僕も、そうです。父を誇りに思います」
「……そうか。お互い大変だな。父親が遠い」
「……はい」
「頑張らなきゃな」
恭也は、拳を突き出してきた。
クロノはそれに答えて、彼の拳に自らの拳を軽く当てる。
堅い感触が手に伝わった。
彼の意志のようだと、思った。
見上げれば、恭也の顔がある。
自然に、極自然に、この人のようになりたいと、そう思った。
クロノ・ハラオウンにとって、今日は、憧れの人が父以外に出来た、そんな日だった。
「……なんだよ。ただの………………馬鹿じゃねーか…………あたしら」
ヴィータの、苦渋を塗り込めたような暗い声が部屋にこだまする。
「そうだよ……なんか、なんか忘れてると思ってたんだ。でも、それがなんなのか思い出せなくて…………なんで……なんで思い出せなかったんだよ……こんな、こんな大事なこと!」
「ヴィータちゃん……」
気遣わしげななのはの声を振り払うように、ヴィータは強く叫ぶ。
「そうだよ! シャマルの言うとおりだよ! あたしらも! 書も! もう全部とっくの昔に壊れてんだよ! そんなの書の一部であるあたしらが一番よくわかってたんだ! 書を完成させたって……はやては……はやては……! 死んじまうだけだよっ!!」
「……っ、そう、その通り、よ」
シャマルは、ゆっくりと、泣きそうな顔で頷く。
「なんという……」
「……くそっ!」
ザフィーラの重々しい言葉に続いて、シグナムがやりきれないと言った風に声を漏らす。
「なにが騎士だっ! なにが……主のための……騎士だっ! 主にっ…………害なすだけじゃないか! くそっ!」
きつく拳を握りしめ、体を震わせながら堅く俯き、
「……家族だと」
シグナムは絞り出すように言った。
「家族だと……道具に過ぎない我らを、家族だと、そう言ってくれたのに……!」
事実が、書の真実が、いかばかりの痛みを、苦しみを、軋みを彼ら守護騎士の胸に与えているか、直接言葉と刃を交わしたなのはとフェイトにはよく分かる。
彼らは主を心から愛していて。
だから、現実が突き刺さる。
「…………テスタロッサ。我らは、これからどうなる?」
「……このまま管理局で身柄を拘束させてもらって、事件の状況が収束した後、裁判という事になるかと。正式な事は、もうすぐここにこの事件を担当している執務官が来ますから、その時に……」
「……そうか」
フェイトの返答に頷いた後、
「恥知らずだと罵ってくれ。厚かましいと誹ってくれ。その通りだから」
「シ、シグナムっ!?」
「シグナムさん!?」
シグナムは、フェイトとなのはの前に跪いた。
そして、深く頭を下げる。
「頼む。この身がどうなってもいい。どんな事でもする。実験体になれというのなら喜んでなる。死ねと言われたらその通りにする。だから、だから」
どうか、主を。
シグナムは、そう言った。
「主はなんの罪も犯していない。書の蒐集も我らの独断だ。主は何も知らない。ただ、ただ我らに取り憑かれた被害者であるだけなんだ。だからどうか、我らが頼めた義理ではないことは承知だが、その上で、どうか、頼む! このままでは主はそう時を待たずに命を落とされてしまう! 頼む、なんでもする、なんだってするから、主を救ってはもらえないか……!」
「頼むよ! ほんとに、なんだってするから!」
ヴィータも、そしてシャマルもザフィーラも、シグナムに習い、揃って頭を下げた。
「あたしらなんか消えちまったっていいから! 書を壊すしかないってんならそれでも全然構わないからっ! はやてだけは、はやてだけはっ!」
「お願い、お願いします……お願いします……!」
「頼む……どうか!」
もちろん、
「あ、え、えと……」
「と、とにかく、頭を上げて……」
なのはとフェイトとしては、彼らの願いを叶えてあげたいと思っている。
出会い方こそ不幸であったが、それでも、すべての事情を知った今、彼らとは、やはりきっと友になれるはずだと思う。
ゆえに、彼らの願いは、なのはとフェイトの願いだ。
まだ見ぬ、彼らが愛する主を、救いたいと強く思う。
だが、状況が状況であり、彼らの命がけの要請に対し、自分達が軽々に返答をするわけにはいかない。
どうしたものか、顔を見合わせたところに、
「……どうやら、なかなか込み入った状況みたいだな」
「そのようですね」
ドアが開く音、次いで、二人のよく見知った男性が入ってきた。
「お兄ちゃん! クロノ君!」
「待たせたな」
恭也はそう言って、クロノと共になのはとフェイトの隣に立つ。
「…………うう……」
「タカマチ……」
怯えた様子のヴィータの横で、シグナムはすまなそうな声を挙げる。
「……お前があのとき我らに言おうとしたのは、この事だったんだな」
「ああ、そうだ」
「…………すまない。要らぬ手間を掛けさせた」
「気にするな。俺がもしそっちの立場だったなら同じ判断をしているさ。とにかく、良いからみんな、まずは頭を上げてくれ。それでは話ができないだろう」
その言葉に、跪いた姿勢はそのままに、ゆっくりと守護騎士四人は伏せていた顔を上げた。
彼らに、クロノが厳正な声を放つ。
「僕は管理局執務官のクロノ・ハラオウンだ。書の守護騎士、シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル。魔導師及び保護魔法生物襲撃の罪で、君たちの身柄は預からせてもらう。何か弁明は?」
「いや……、なにもない。私たちは確かに罪を重ねたし、それについてはどんな罰であっても受ける覚悟だ」
「わかった。では次に、……君たちの主、八神はやてについてだ」
その言葉に、四人は自分達の罪状を告げられたときとは打って変わった、苦しげな表情を見せる。
シグナムが、強い口調で言う。
「書の蒐集は我らの独断だ、主は何も関与していない」
「……こちらが調べた限りでもそのような結論が出ている。八神はやては魔力資質こそ優れているが、現状、ただの、普通の子供だ。書の悪用など考えつきはしないだろう」
「では……!」
「だが、だからと言って彼女をこのまま放っておくわけにはいかない。彼女は、どうしたって、書の主なんだ。事件に無関係というわけにはいかない。悪いが、管理局で身柄を預からせてもらうことになる」
「っ!」
息をのむシグナム。
ヴィータが、必死に、叫ぶように言った。
「で、でも、ほんとに、書の蒐集は、あたしたちが勝手にやったことなんだ! はやてに言われてやったことじゃないんだ! 悪いのは全部あたしらだ! はやてはなにもしてねーんだっ!」
シャマル、シグナム、ザフィーラも同じように、強い口調で続ける。
「お願いです、信じてください! はやてちゃんは、ほんとに何も!」
「主は善良なお方で……悪人は我らだけだ! だから罰するのは我らだけにしてくれ! ただでさえもう体が限界に近いのに、これ以上負担がかかったら本当に……!」
「罪人が、言葉を信じろというのも厚かましいだろうが……頼む……!」
「お、おちついてくれ。それは分かってる、だから」
「……クロノ。厳正に表現を選んだんだろうが、あの言い方は少し悪かったかもしれんな」
四人の剣幕に押され、困ったような声をあげたクロノに、恭也が声を掛ける。
「あれでは、まるで彼女が留置されるようにとってしまうだろう」
「そ、そうですね。すみません」
訝しげな表情で、シグナムが問う。
「……どういうことだ? では管理局は何のために主を……」
クロノは、それに、ゆっくりと答えた。
「管理局は書の主、八神はやてを保護、及び治療する決定を下した」
「え……?」
「保護……? 治療……?」
呆けた声をあげるヴィータとシグナムに、クロノは続ける。
「ああ。侵食に対し対症療法で進行を送らせつつ、書の修復を試み根本的解決を図る。主と……そして書の、完治を目指そう」
誰も来ない。
ため息、一つ落として。
はやては病室のドアから視線を引き剥がした。
「…………せっかくの、クリスマスイブ、なんやけどなあ」
体調悪化に伴い入院となってしまったため、もちろん盛大にパーティなど出来るはずもないということはわかっていたが、……それでも家族と過ごす事くらいは、願っても、仕方ないんじゃないだろうか。
シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、そしてシャマル。
はやての家族達は、今日、この部屋を訪れず。
忙しいみたいだから……なんて思ってはみても、やはり、それは、…………馬鹿みたいに寂しかった。
面会時間はとうに過ぎ、夕食も食べ終えて、後は、寝るだけ。
眠ってしまえば、イブの夜は、終わりを告げる。
だからはやては、何をするでもないが、ベッドの上、体を起き上がらせている。
……まだ、眠りたくはない。もしかしたら、なんて思うから。
「……アホやな」
呟く。
……望みが極々薄いことくらいわかってはいるのだ。わかっては、いるのだけど。
「……はあ」
もう何度目かわからないけど、ため息を、また一つ。
吐いた時だった。
「……っ!?」
ガタン。
そんな音が、鳴った。
それはすぐに、カチャカチャと何かをいじるような響きに変わった。
発生源はどうやら、閉めてあるカーテンの向こう、…………窓からだ。
「……な、…………なに、なんや?」
カーテンには、手を伸ばせば届く。開けられる。しかし。
「か、勘弁してえや……」
そんな勇気、とてもじゃないがはやてにはない。
……夜、窓から物音。個室であるこの部屋には、自分一人。
普段は、誰にも心配をかけないようにと大抵の出来事には気丈に対処するはやてではあるが、それでも、未だ十に満たない女の子であり。
こんな状況で、自ら積極的に動けるほど豪胆ではなく。
シグナム達かも……なんて思いもするが、しかし、そんな自分に都合の良い予想よりは悪い考えの方が遥かに色濃く脳裏に浮かぶ。
音は、やがてガコ、ガコ、と、何かをずらずような響きに変わった。
いや、何か、じゃない。
……どう考えても、窓をずらす音だ。
病院の窓というのは、基本的に人が出られないような角度までしか開かない。
それを何やらずらしてくるというのは、つまり外からここに侵入しようとしているという事に他ならず。
(ナ、ナース……コール……!)
壁に設置してあるボタンに手を伸ばそうとするが、恐怖ですくんでしまい、思うように体が動かない。
(う、うそやろそんな。こ、こんな日に、ふほー侵入者さんに襲われて終わるとか……ちょお…………うそやろ? ……い、いやや! そんなんいやや!)
心の中、強くそう叫ぶが、声にはならず、相変わらず体は上手く動かない。
そして、短いようで、長いような、時間が過ぎ。
はやては結局、何もできないままで。
ガコン、と、窓が完全に外されたような音。
……ような、ではないことが、差し込んできた冷気からわかって。
「……ぅ、ぁ」
もう、駄目だ。終わった。
はやてがぎゅっと眼を瞑ろうとしたその寸前、風が、吹いた。
それはカーテンを揺らし、跳ね上げ、……外した窓を手に、窓枠に足掛けこちらを見やる、侵入者の姿を露にして。
「……………………………………………………………………………………はい?」
はやての口から出てきた言葉は、そんな間抜けなものだった。
でも。
しかし。
だって。
……こんなの。
呆気にとられるな、という方が無理な話だ。
「な、……な、なな……」
そこに居たのは、背後に広がる漆黒の夜空に溶ける、黒ずくめの衣装を着込んだ――。
「こんばんは、はやて。良い夜だな。良い子にしていたか?」
「……きょ」
見覚えのある、精悍な顔つきの、男性だった。
「きょうや、さん?」
彼――高町恭也は、はやての声に、笑みを浮かべて答えた。
「ああ。だけど、違う」
「え?」
「今日の俺は、……サンタクロースだ。良い子にしていたか、はやて。良い子にしていたよな、はやて。だから、プレゼントがあるぞ」
「君達は本来の状態ではないし、君達の行動も主の本意ではないだろう? もちろん、犯した罪は罪だから、それに対し償いはしてもらう。だが、それよりも先に、治療の必要があるはずだ」
「わ、我らはどうなってもいい! どんな罰でも受けよう! どんな償いだってしよう! 主を、主を助けてもらえるのなら!」
「……出来る限りの、事はする。約束しよう」
シグナムに、生真面目な表情で、嘘のない瞳で、クロノは言い切る。
……父の仇とすら言っていい相手に対し、迷いなく言い切った。
書を恨む気持ちはないと語っていた彼の言葉は、やはり疑いようもなく真実で。
(やっぱりお前は、すごい奴だよ)
横目で見ながら、恭也は心の中、賞賛を送った。
「すまない、すまない! なんと、なんと礼を言えばいいのか……!」
「あたしら……あんな事、したのに……っ」
「ありがとう……ございます……!」
「すまない……! この恩は、決して忘れん!」
「あ、い、いや、いいさ……頭を、上げてくれ。…………それで、八神はやては現在、海鳴病院に入院しているんだよな? ……調べた限りでは病状も深刻そうだ。今からすぐに迎えを出そう」
「……あ、…………あの、さ」
クロノの言葉に、歯切れ悪く、声を返したのはヴィータだった。
「その、迎え、ってさ。…………あたしらが、行くわけには……」
「……悪いが」
クロノは、これには苦い顔で首を振った。
「万が一の事を考えると、……それは流石に」
「……そ、そう、そうだよな…………わかってる。普通、そうだよな。……で、でも…………!」
「……ヴィータ」
「っ! だって!」
シグナムの嗜めるような声にも止まらず、ヴィータは、食い下がる。
「誰か知らないような奴がいきなり来たら、はやては……こ、怖がっちまうよ! ……それに、今日は、よくしらねーけど、クリスマスイブって奴なんだろ!? はやて、楽しみにしてたんだ! それなのに、私らは来なくて、来たと思ったら知らない奴で、突然どっか連れてかれるなんて言われたら、は、はやてが……そんなの……。もちろん悪いのは私らだってわかってるけど! でも!」
「……すまない、だが……それでも、こればかりは」
眼を伏せ、再度首を振るクロノ。
シグナム、ザフィーラ、シャマルも、悲痛な顔でうつむく。
(……口にこそしないものの、思いはヴィータと同じなのだろうな)
彼らの様子に、恭也は心の中一人ごちた。
彼らの主を思う気持ちは、痛いくらいに伝わってくる。
だから。
「……クロノ、その迎え、俺では駄目か?」
気がつけば、恭也はそう言っていた。
「恭也さんがですか? それは……特にこちらとしては問題ありませんが……」
しかしなぜ、という風な瞳を向けてくるクロノ。
「タカマチ? 何を……」
シグナム、そしてザフィーラも、同様の視線を向けてくる。
ヴィータに至っては。
「お、お前が……? な、何考えてんだよ? あ、あ、あれか!? まさかはやての事食べるのか!? そ、そんなんぜってーゆるさねーぞ!!」
「食べるって…………。お前は俺を何だと思っているんだ……」
恭也は思わず苦笑する。
「う、うううう……! お前こそ何のつもりなんだよ! 何考えて……」
「……八神はやて。身長はなのはと同じくらい。年齢は九歳。これもなのはと同じだな。髪は茶色がかったショートボブ。喋り口調は関西のものだ。電動式の車椅子を使用している。読書が趣味で、童話を好む。それと、料理が上手い。和、洋、中と満遍なく作れる。……こんな所かな」
《っ!?》
驚きを露にしたのは、ヴィータ達だけではなく。
「え、お、お兄ちゃん?」
「きょ、恭也さん、どうして、そんな……」
「管理局の調べでも、趣味や特技なんて…………なんで……」
なのは、フェイト、クロノも一様に眼を丸くし、恭也を見やった。
「すまない、特に重要だとも思わなかったから言わなかったんだが……」
「い、いえ、それは構いませんが……そういう事でなく……。な、なぜそんな……」
「シ、シグナムッ!!」
クロノの言葉を遮ったのは、ヴィータの悲鳴ともいえるような響きの叫びだった。
「だ、だめだ、やべえよ! ここから逃げよう! んで、はやてのとこに行って、はやても一緒に!」
「お、落ち着けヴィータ!」
「落ち着いてなんかいられっか! やべえよあいつ! 馬鹿みてえにつええだけじゃなくてっ、こっちの心の中まで読めるんだ! やべえよやべえよ! ほんとにやべえよ! やっぱ化け物なんだ! ここにいたらあたしら食われる! んで次はきっとはやてだ! だ、だからもうはやくここから逃げ……」
「……ヴィータちゃん?」
「ひっ!?」
ヴィータの涙交じりの台詞を止めたのは、なのはの……驚くほど冷えた声で。
(な、なのは?)
……正直、恭也も聞いたことのないような声音だった。
「ごめん、ちょっと、よく聞こえなかったんだけど、……今、お兄ちゃんの事、なんて?」
「あ、……あ、あ……いや……」
「なんて言ったの? もっかい、はっきり、言ってくれる?」
なのはの顔に浮かんでいるのは、笑顔と呼ぶべきものなのだろうが、しかし、朗らかな柔らかな優しげな、なんて言葉は決して結びつかないもので。
「ねえ、なんて、言ったの?」
「あ、そ……、その……」
「な、なのは、いい、いいから。……ありがとう、いいんだ、な?」
「……でも」
「ありがとうな。けど、ここは俺に任せてくれ」
「…………わかり、ました」
情けない事に内心おっかなびっくり、恭也が頭をなでると、ようやくなのはは引いてくれた。
(俺のために怒ってくれたというのは、もちろん嬉しいが……)
しかし、庇われたはずの恭也の背にまで冷や汗が浮かぶほど、なのはの見せた怒りは重く、低く、冷たく、そして強烈だった。
……やはり妹は着々と、いろんな意味で成長しつつあるらしい。
ともあれ、気をとりなおし。
「ヴィータ」
「な、なんだよ……」
恭也はヴィータに向き直った。
「……お前が、お前達が、俺の事をどう思っているか、正確にはわからんが……しかし、多分それは間違っている」
「え?」
「俺は、ただの人間だよ。つまり、脆弱な生き物だ」
「はあ!? だって! ………………………………………………え?」
反駁の声を上げるヴィータの前で、
「ちょ、お、え、え、え、な、なにしてんだよ!?」「タ、タカマチ!?」「恭也さん!?」「なにを……?」「え、そ、わわ、わわわわわ……!」「きょ、恭也さん?」
恭也は、上着、次いで、シャツまで脱いで。
上半身を露にした。
《……っ》
そこで、恭也の突然の行動に驚きの声をあげていたヴィータ、シグナム、シャマル、ザフィーラ、フェイト、クロノは、息を呑み。
唯一、恭也の行動の意図を悟っていたのだろう、なのはだけが、
「おにい、ちゃん……」
悲しげに、呟いた。
皆の前に晒した恭也の体。
そこには、無数の傷跡がある。
「無様だろう? それなりに力を持ってはいるが、しかしそれは幾度も己を愚かに、情けなく傷つけて、そしてどうにか手に入れたものなんだ。這い蹲って手に入れたものなんだ。俺は、ただのちっぽけな人間なんだよ。そんなに大層な存在じゃない」
「………………っ」
恭也の言葉を、伝えたかった想いを理解してか、ヴィータは、表情を揺らし、俯いてから。
「………………悪い」
そう言った。
「いいさ。……ああ、そうだ、はやてとは、図書館でたまたま知り合ったんだ。車椅子が故障したらしく、困っているようだったから、声をかけてな。それで家まで送っていったら、お礼にと昼食をご馳走してもらったんだ。別に、お前達の心が読めるわけじゃないぞ」
諸肌脱ぎにした衣服を着なおしながら、恭也はそんな風に、簡単にはやてとの出会いを語った。
「……だから」
「ん?」
「だから、……はやての事、迎えに行く、なんて言ってくれたのか?」
「まあ、もちろん、それもある」
頷いてから、しかし恭也は続けて言う。
「だが、……独善的かもしれんが、勝手な想いだろうが、お前達の力になりたいとも思ったんだ」
「……え? な、なんでだよ? だってあたしら、お前と……」
「確かに戦いはした。一時、敵ではあった。しかし、お前達は、俺とお前達は、……わかってくれるだろう?」
「タカマチ……。……それは」
恭也の言いたいことを察したのだろう、シグナムに笑みを向けてから、恭也は言う。
「お前達は、護る者だろう。大切なものを、護るべきものを、護る者だろう」
ぽん、ぽんと、やわらかくなのはとフェイトの頭に手を置いて、恭也は言う。
「誰かを護りたいという気持ちは、俺にも痛いほどわかるんだ。俺はお前達を……言ってしまえば、尊敬だってしている。だから、少しでも力になりたい、なんて思うんだ」
「おにいちゃん……」
「恭也さん……」
頬を赤く染めながら、見上げてくるなのはとフェイトに微笑を返し。
「……ヴィータ、シグナム、シャマル、ザフィーラ。お前達の主を、大切な人を、俺が迎えに行ってもいいか?」
問うた恭也に。
問われた四人は、頷きと、謝礼を返して――。
「プ、プレゼント……? なにゆうて……、いや、いやいやちゅうか……な、何から聞いたらええんかわからんけど、とりあえず……恭也さんここ、三階やで? ど、どうやって……」
「知らないのか? サンタは空を飛べるんだ」
「そ、そりに乗ってか?」
「最近はそり無しでもいける」
「サ、サンタにも時代におーじてそんな変化が……いやいやいやいや! そうやなくって!」
何がなんだかわからずに、何をするべきかもわからずに、意味もなくわたわたと手を振るはやてに、病室の床に降り立った恭也は言った。
「はやて、とりあえず、大事なものを持ってくれ」
「え、え、は、はあ……」
まったくもって状況はわからないが、とりあえず言われたままに体は反応、
(だ、大事なもの、ゆうたら……)
ベッドサイドに置いてあった書を手に取り、腕に抱いた。
「よし。じゃ、行くぞ」
「え、きゃっ!?」
すると、間髪居れずに……いつかと同じく、またしてもお姫様だっこの形で抱えられた。
「ちょ、ちょ、恭也さん!?」
「静かに。一応後々根回しするとはいえ、今は誰かに見つかると面倒だからな」
「は、はあ……。え、え、な、ど、どっかに行くん?」
「ああ。俺は、君をさらいに来たんだ」
至近距離、少し悪戯に微笑む恭也に、はやての心拍数と体温が一気に跳ね上がる。
(――さ、さらいに、て……)
殺し文句もいいところだ。
「サ、サンタさんがそんな事してええん?」
「俺は不良のサンタなんだ」
「……せやから、紅白やのうて黒ずくめなん?」
「……ふふ、ああ、そうさ。紅白衣装をもらえなかった」
またしても、悪戯にそう言う恭也。
……やはり、状況はわからない。なぜ彼が突然来て、こんな事を言って、どこかに自分を連れて行こうとするのか、全然わからない。
わからない。
……わからない、けど。
はやては、その腕を恭也の首筋に巻きつけた。
「……なあ、サンタさん、プレゼントはぁ?」
そして、おねだりをする。
何がなんだかわからないけど、……もう、それでもいい。
悪いサンタ、なんて言っていたけど、それでもやっぱり、……彼が自分にひどい事をするなんて微塵も思えない。
わからないことだらけだけど、だから、だったら、この素敵な状況を楽しんでしまおう。
はやては、もう、そう決めた。
「ああ。待ってろ、すぐにあげよう。断言するが、……はやては絶対に喜ぶぞ」
「ほんま? 何くれるん?」
「秘密だ」
「あー、いじわるサンタやぁ」
甘えるようにそう言うと、彼は頭を優しくなでてくれた。
(なんやもう、これだけでプレゼントやなあ)
思っていると、恭也ははやてを抱いたまま、窓枠に足をかけて、
「え、わわわわわわ……!」
宵闇に身を躍らせた。思わず彼にしがみつく手に力をこめ、ぎゅっと眼を瞑るが、
「……あれ?」
いつまで待っても、落下の感覚はこない。
恐る恐る眼を開けると、
「そ、空に、……たっとる?」
「サンタだからな」
恭也の足元、そこに何やら魔法陣のようなものが浮かんで、恭也はそこに足をつけ、空の中、平然と立っていた。
「サ、サンタっちゅうか、魔法使いみたいやな……」
「……鋭いな」
「え?」
「いや、なんでもない。……これでよしっと」
こんな会話をしている間に、彼はそれこそ魔法のような驚くほどの手際のよさで、外した窓を嵌め直して。
「それじゃあ行こう」
「え、うわ、うわわわわわ!」
空を、真上へ駆けていく。
月明かりがまぶしい。満月が、綺麗だった。
済んだ空気の中、まるで、夢みたいな光景。
でも、自分の内側から奔る熱、そして抱かれて感じる彼の熱は、驚くほどリアルで。
「はは」
気がつけば、はやての口からは、笑みがこぼれる。
「はは、はははははは! あははははははは! すごいなあ! なんやこれえ! はは! ははははははは!」
「気に入ったか?」
「うんっ!!」
程なくして、
「っと」
「おくじょー? あ、なんかある……」
はやてを抱いた恭也は、フェンスを外側から越えて、病院の屋上に降り立った。
そこには、さきほど恭也の足元に浮かんだものとは違うが、似たような雰囲気の、魔法陣のようなものが浮かんでいた。
「待ってろ、すぐにプレゼントをやろう」
「……うん。………………でもな、恭也さん」
「なんだ?」
魔法陣に歩み寄る恭也の腕の中、はやては少し眼を伏せて言う。
「……わたしなあ。プレゼント、なんて……………………――ほんまは、いらんよ」
「はやて……」
「何にもいらん、いらんのや。…………わたしは、わたしは……………………家族さえ、家族さえ傍にいてくれたら、それで、良かったんや」
「……そうか」
「ごめんな、我侭で……」
「……何も謝られることなどないさ」
「でも……」
魔法陣、その中心へと着いた。すると、恭也とはやての体が、光に包まれる。
「あ、な、なんや、何が……」
薄れていく夜の屋上の景色を呆然と見ながら、零したはやてに、恭也は優しく言った。
「はやて、前にも言ったろう、我侭を言っていいんだ」
「え?」
「だって……」
そして。
「君は、君達は、家族なんだから」
「………………………………え?」
「プレゼントだ、はやて。君が一番、欲しいものだろう?」
光が収まって、いつの間にか、はやては恭也と共に、見知らぬ白を貴重とした部屋の中に居て。
そこには。
「はやてっ!!」
「はやてちゃん……!」
「ああ……っ!」
「主……!」
「………………………………みん、な?」
赤い髪を三編みにした女の子。
金の髪を揺らす優しげな女性。
長い髪を一くくりにした精悍な女性。
たくましい体つきの大きな男性。
はやての、一番欲しいもの。
一番傍に居て欲しい人たちの姿が、あった。
「この度はほんまに、ご迷惑お掛けしまして……」
管理局の医療センター、そこに宛がわれた一室で、ベッドの上、はやては見舞いに来てくれた茶色がかった髪の、聞けば自分と同じ歳だという少女――なのはへ深く頭を下げた。
「そ、そんな! いいの、気にしていないから、ね?」
「で、でも……」
あれから一夜明けて。
事情は、全て聞いていた。
書の事や、自分の家族達がした事……それは、してくれた事と言いたい気持ちはもちろんあるが、周りに掛けた迷惑を思えば、してしまった事と言うべきで。
ただただ、頭を下げる他ない。
「いいの。ヴィータちゃん達にも事情があったんだし、仕方のない事で…………それに今、こうしていられるから、いいの」
「……すまんなあ」
なのはは、聞けば才ある魔導師らしく、その魔力を狙ったヴィータに襲撃されたという話。
申し訳がなさ過ぎるはやてとしては、そう言ってもらえるのは、……助かる。
なのはは争う中でも、ヴィータ達へ向かい対話を呼びかけていたらしく……また、今、自分にかけてくれた言葉や、向けてくれる笑顔からも、優しい心の持ち主であろうという事がよくわかった。
「改めて、あの……自己紹介。私、高町なのは。私立聖祥大学附属小学校三年生。よろしくね!」
「なのはちゃん、な。八神はやてです、よろしくお願いします」
「うん!」
弾けるような笑顔。花のようだった。つられてはやても笑顔を浮かべた。
「……あ、そや、なのはちゃんって、恭也さんの妹さんなんやってね?」
「うん、そうだよ。歳は結構、離れてるけど」
「そかー。……恭也さんにも、えらいことを……」
「お、お兄ちゃんも気にしてないだろうから大丈夫だよ!」
「……うう、ほんま、そう言ってもらえると助かるわあ……」
君の下へシャマルが帰ってこなかったのは自分が拿捕したせいだ、と、恭也は事情説明の後、済まなさそうに謝ってきたが。
とんでもない。
完全に、迷惑をかけたのはこちらである。
「お兄ちゃんとは、えっと、図書館で知り合ったん、だよね?」
自分の様子を見てか、意図的にだろうなのはは話を変えてくれた。やはり、優しい子だ。兄弟揃って、とても優しい。
「あ、うん。助けてくれたんや。それがまさかこんな風に繋がっとるとは思わんかったけど……。すごい偶然もあったもんちゅうか……」
「そうだねえ。それはお兄ちゃんも言ってた」
「……でも、ほんまに最初は固まってもうたわあ。あんなかっこええ人、雑誌とかテレビでしか見たことないから、もうどう反応してええかわからんくて。その上めっちゃ優しいし」
「あ、う、うん。それは、えへへへへへ」
「なのはちゃん、ええなあ。あんなお兄さんが居て……」
「そ、そう? えへ、えへへへへへへへへへ」
はやての素直な感想に、なのはは頬をほころばせた。兄を心から慕っているのであろうことが簡単に伺える。
(まあ、あんなお兄さんやったら、そうなるよなあ……)
優しいし、格好いいし、頼りになるし。
「あ、で、でもほら! シグナムさんも格好いいよね」
「ああ、確かに。シグナムもイケメンや」
そういえば、雰囲気や口調が、どことなく恭也と似てもいる。
「あ、シグナムと言えば……恭也さんも剣士なんやって?」
「うん。御神流っていう剣術のせんせーさん」
「そかあ。……なんか、あの二人気ぃ合いそうやなあ」
並んで立って、違和感がないというか。
「くっついてもおかしくないっちゅうかな」
(――あれ)
言ったとたん、胸に、痛みが走った。
……何故、だろうか。
本当に、二人はお似合いだと心から思うけども……なんだか、それが。
………………嫌、というか。
(恭也、さん……)
思い出すのは、あの温もり。
あれ。
あれ。
なんだろうか、この気持ちは。
少々混乱して、そして前を見て。
「――っ」
思わず、息を呑んだ。
「……くっついても、おかしくない、か。そうだね」
目の前の少女、なのはの顔に浮かんでいたのは。
複雑な。
それでいて、きっと、ひどく単純な。
表情で。感情で。
それは、直感だった。
(同じ、ちゅうか……)
自分が今、胸に感じた痛みと同種のものを、抱えている顔だと。
思った。
「なのは、ちゃん?」
「……え、………………あ、あ、ごめんね! ちょっとぼーっとしてた!」
「う、ううん、ええけど……」
さっきまでの雰囲気を打ち消し、また花のような笑顔を浮かべるなのはに、
「な、なあ、なのはちゃん……」
「ん、なあに?」
「あ、あの……」
(……恭也さんとは、兄妹、なんよね?)
そう聞こうとして、寸前で思いとどまる。
だって、それはついさっき確認したことで。今更、何を。
「いや、ご、ごめん。な、なんでもない、はは」
「……?」
……でも。
首をかしげるなのはに、誤魔化し笑いを浮かべながらも。
それでも、……しかし、はやては心の中、思ってしまう。
あんな顔を、……ただの"兄"を想って浮かべるだろうか、と。
「……あ、そうそう、そうだよ。はやてちゃん、体、大丈夫? 辛いところとか……」
「え、あ、うん! それは、今は特にはないで。ありがとうな。大丈夫や」
「本当? よかった。……早く良くなるといいね」
「クロノ君たちが、いろいろ調べてくれてるみたいや。ほんまにありがたいわあ」
無限書庫、というところで、シグナム達と共に頑張ってくれているらしい。
恭也も今は、そこにいるとの事で。
……やっぱり、彼を想うと、はやての胸は疼いた。
「おお……それで内容がわかるのか。すごいな、ユーノは」
無限書庫の中、積んだ本を次々と精査していくユーノに、恭也は感嘆の声をあげる。
「い、いえ。こういうのは、うちの一族の本領なので……」
「何照れてるんだ、気持ち悪いぞ」
「……クロノ、なんでお前ここにいるんだよ?」
「なんでって、……君の調査の結果を待ってるんだよ」
「わざわざここで、じゃなくてもいいだろう。……もしかして恭也さんに付いてきたいだけじゃ」
「馬鹿な事を言っていないで作業に集中したらどうだ?」
「吹っ掛けてきたのはそっちだろ!」
「……二人は、仲がいいんだな」
「よくないです!」「よくないです!」
揃って上げられた声に、恭也は思わず苦笑した。
「なあ、……あたしら、何かやることないか?」
そこに声を掛けてきたのは、ヴィータだった。
「ただ立っているだけ、というは心苦しいのだが……」
シグナムもそう続いた。
彼らの足元には緑色の魔法陣があり、それはユーノの下へと繋がっている。
「いえ、お二人にはそこで立っていてもらうのが一番です」
「むー……」
「そうか……」
じっとしているのが苦手らしいヴィータと、自分が休んでいるような状況が許せないのか生真面目らしいシグナムは、少々やりきれないような表情を浮かべた。
書の主と守護騎士達が協力的であり、さらに調べれば出てこない情報はないとまで言われる無限書庫の捜索能力に長けたユーノのような人材がいる状況は、かつてなかった事であり。
守護騎士たちの身体や魔力情報を元に、ユーノが書庫に検索を掛ければ、今まで見つからなかった夜天の魔導書についての情報が得られるかもしれない。
うまく元々の魔導書の構成プログラムを知ることができれば、書の誤り訂正が可能になる。そうすれば、……はやての命は助かるし、書の暴走もなくなる。
これが、現在、クロノ達管理局が立て、実施している方策である。
ちなみに、シャマルとザフィーラは医療センターで詳細な身体スキャンや、プログラム精査を行っている。守護騎士のプログラムから書の元々のプログラムや改悪された箇所を解析できれば、無限書庫からめぼしいものが見つからなかったときや、見つかっても不完全だったとき、役に立つだろうから、との事だ。フェイトもリンディやエイミィに付いて、今はその作業を手伝っている。
「な、なあ、……見つかりそうか?」
痺れを切らしたように、ヴィータが問う。
「いえ、今はまだ確定的なものは……。でも、僕一人で探していた時より、遥かに効率もよければヒット数も多い。手ごたえはあります」
「そうか……。すまない、よろしく頼む」
シグナムは、神妙にユーノに礼を告げると、恭也へ視線を向けた。
「……厚かましくて申し訳ないのだが、タカマチ、お前にも頼みが…………」
「遠慮はいらんぞ、なんだ?」
「……四六時中とはもちろん言わんが、……時間があるときに、主の下へ見舞いに行ってはもらえないだろうか。主は、タカマチが来れば喜ぶ」
「そうか? ああ、もちろんいいぞ。……というか、ここに俺が居ても特にやれる事はないだろうからな。今すぐにでも行ってこよう」
「済まないな、タカマチ……」
「いや、俺もはやての様子は気になるしな…………それはそうと、シグナム」
「なんだ?」
「……タカマチと言えば、俺の妹も、なのはもそうだ」
「……あ、ああ、そうか」
「そうだ。だから、名前で呼んでくれていい。もちろん、嫌なら無理にとは言わないが」
その言葉に、シグナムは少し慌てた様子で頭を振り、言った。
「い、嫌などという事はない……っ! ……そ、それでは、……――恭也、で、いいんだな?」
「ああ」
「……お前とは、いずれ、……その、よかったら、じっくり話してみたいと思っている」
少し頬を染めてのそんな台詞に、恭也は笑みを返す。
「俺もだよ。事態が落ち着いたら、うちにでもきてくれ。茶くらいだせるし、道場もあるからな、何なら打ち合える」
「そ、そうか。ああ、楽しみにしている」
シグナムの凛々しい顔に、……もしかしたら恭也は初めて見るかもしれない、笑顔が浮かんだ。
次いで、恭也はヴィータに視線を向ける。
「ヴィータも、よければ名前で呼んでくれ」
「……あ、ああ。キョ、キョーヤだな。わかった」
未だ苦手意識は持たれてしまっているようで、ヴィータはさっとシグナムの背後に隠れてしまったが、しかしそう言ってくれた。
「なのはとも、仲良くしてくれよ」
「……でも、あたしあいつに散々ひどい事……。それに、怒らせちまったし…………」
「引きずるような奴じゃない。それに元々、お前と話がしたいと言っていたんだ。大丈夫さ。……頼むよ」
「あ、う、ま、まあ、うん。わ、わかった」
「ありがとう。……それじゃあ、ユーノ、クロノ。俺ははやてのところへ行ってくる」
礼を言って、恭也はユーノとクロノに声を掛けた。
「わかりました」
「……ええ。……いえ、僕も連絡事項がありますから、折角なので一緒に行きます」
「クロノ……やっぱお前……」
「行きましょう、恭也さん」
「……? ああ」
急かすように行ったクロノと共に、恭也は書庫を出て。
訪れたはやての病室で、そこに居たなのは、後から来たフェイトらと一緒に、穏やかな時間を過ごした。
まとまりのない第8話。
場面がころころ変わるなー……。
空気を読まずになのはさんがぶち切れる所が今回のハイライト。
あと、クロノ君が恭也さんに懐いたでござるの巻。
クロノ君の事はやっぱり話に入れたかった。
だって切なすぎるよー。クロノ君切なすぎるよー。
本編中に彼はほとんど悲しみや弱みを見せないんですよねー。闇の書の闇との対決直前、グレアム達へ言った台詞の中にちらほら見えるくらいで、あとはもうずっと、毅然とした、泰然とした姿勢を崩さない。なんか逆にそれが切ない気がしてならない……。
恭也さんの変身シーンが見たいです。
直前の文がぶち壊しだよこういう事を言うと……。