魔法青年リリカル恭也Joker   作:アルミ袴

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 この作品には原作設定の拡大・独自解釈も含まれます。申し訳有りませんが、原作設定の絶対的な遵守をお求めの方、ご自分の解釈を非常に大切にされている方のご要望にはお応えしかねる場合があります。該当される方はご自身の責任における判断で閲覧されるかどうかお決め下さい。よろしくお願い致します。


第9話 わたしでも、わたしだけど、わたしだって

『はい、どなたでしょうか?』

「恭也です、……フェイトに、少し用がありまして」

 インターフォンから響いてきたリンディの声に、恭也は答えた。

 ここは、元海鳴市駐屯地、アースラの改修が終わった今はフェイトやリンディ達がただ住んでいるだけの普通のマンションの一室、そのドアの前だ。

 言ったとおり、フェイトに用があってきた。

『あらあら、恭也さん。どうぞどうぞ』

「……すいません、こんな時間に」

 時刻はもう午後七時過ぎ。夕飯時と言ってもいい。あまり人様の家へ出向くような時間ではない。

 もう少し早く来るつもりではあったのだ。しかし、いつもの、というか、久しぶりの治療を受けるか、と、海鳴病院のフィリス先生の下へ寄ってからにしたところ、酷使しすぎだと叱られ、念入りなマッサージを受ける事となり、結果、予定より大分遅くなってしまった。

 がちゃりと音がして、目の前のドアが開き、リンディが穏やかな笑みを浮かべて顔を出す。

「こんばんは、恭也さん」

「こんばんは。……すいません、すぐに帰りますので」

「そんな、折角来て頂いたんですから、ああ、そうですわ。よかったらお夕飯、一緒に如何ですか? ちょうどもうすぐ出来るところです」

「いえ、お構いなく」

 こんな時間に訪れれば、こういう話にもなるわけで。

 しかし、家族……ではまだないが、きっとこれから家族になるのであろう人達の、折角の団欒を邪魔するのはあまりに無粋だろう。恭也は首を振った。

 が。

「よかったですわ、多めに用意しておいて。……エイミィさーん! 食器、もう一セット追加してちょうだーい!」

「……いえ、あの」

 如何ですか、と、聞いておいて、リンディはしかしこちらの返答は全く意に介していなかった。

 ……この若さで提督に上り詰めるだけはある押しの強さ、というか。

「フェイトさんとクロノが喜びます。ささ、上がってください」

「いえ、ですから……」

「寒かったでしょう? お鍋ですから、暖まりますわ」

 リンディはあくまでニコニコと、恭也の遠慮には耳を貸さず。

「ね?」

 断り切れる気なんて、微塵もせず。

「……ご馳走になります」

 結局恭也は、そう答えていた。

 

「恭也さん、どうぞ、お茶です」

「ああ、すまない。ありがとう、クロノ」

「いえいえ」

 リビングに通され、席についた恭也の前に湯のみを置いて、クロノは対面に腰掛けた。

「今日はどうされたんですか?」

「少し、フェイトに用があってな」

 そのフェイトは、すぐに嬉しそうに挨拶に来てくれたが、料理の途中だったらしく、ほどなくしてキッチンへ引っ込んでしまった。

「……すまないな。折角の団欒に」

「そんな! 母さんもエイミィもフェイトも喜んでますし、……その、僕も嬉しいです」

「そうか?」

 クロノとは最近、一緒にいる事が多い。親しくなれたということだろうか。

 恭也はクロノに笑いかけてから、出されたお茶に口をつけ、一息ついた。

 キッチンからは、実に美味しそうな香りが漂ってくる。

「……アルフは寝ているようだが、フェイトは、なんだ、結構料理を手伝ったりするのか?」

「ええ。母さんとエイミィに教わっているみたいです。……僕は大抵調理中のキッチンから追い出されますから、様子はあまり見られてはいませんが。エイミィ曰く、男子厨房に入るべからずとの事で」

「はは、意外にというか、エイミィはずいぶん古風なんだな……いや、いい嫁さんになるだろう」

「もらってくれる奇特な男がいればいいんですが」

 はあ、と、クロノはため息を吐いた。

「む、……てっきりクロノとエイミィはそういう関係だと思っていたが、違うのか?」

「違います。ただの腐れ縁ですよ」

「そうなのか……」

「ええ。そ、そうだ。そんな事より……」

 と、ここでクロノは急に声を小さくして、一旦キッチンの様子を伺ってから、

「丁度良かったと言いますか……実は、折り入って、恭也さんにご相談があるんですが……」

気持ち前かがみで、そんな事を言った。

「ん、なんだ? 俺で力になれるのなら……」

 合わせるように声のボリュームを絞った恭也に、礼を言ってからクロノは切り出した。

「その…………まだ少し気が早いとは思うのですが、恭也さんに…………兄としての心構えを教えて頂きたくて」

「……む、それは」

「まだ正式に返答をもらったわけではありませんが、フェイトが……その、僕の妹となってくれた時のために……」

「……なるほどな」

 それは、几帳面で生真面目で気配りの利く、クロノらしい相談だった。

 しかし。

「……兄としての心構え、か」

「美由希さん……でしたか、もう一人の妹さんにはお会いできていませんので何とも言えませんが、でも、なのははあれだけ恭也さんを慕っていますし、もちろん僕が恭也さんと同じように出来るとは思いませんが、ご助言を頂ければ、と……」

「ううむ……。いや、もちろんそれは構わないんだが」

 恭也は、渋面を作る。

「…………悪いが、クロノ、俺はお前にあまり実のある事を言ってやれない」

「え?」

「……俺は、お世辞にも、いい兄ではないからな」

「………………え? いえ、いえいえいえ、そんなはずが」

「本当だよ」

 ふう、と、ため息を落とし、眼を伏せて、恭也は言う。

「……特にあいつには、なのはには、寂しい思いをさせてばかりだ。自分の事にかまけて、十分にあいつに構ってやれていない。兄としては、落第もいいところだ」

「そんな……っ。で、でも、なのははあれだけ恭也さんを慕っているじゃないですかっ」

「それはあいつが優しくて、……いい妹だからさ。俺がいい兄だからじゃない」

「……守護騎士になのはが襲われた時、恭也さんは生身で、命がけで立ち向かいました。それでも、ですか?」

「それは兄として至極当然の事だ。何も誇るような事じゃない」

 恭也にとって、愛する家族であるなのはの命は、何よりも重い。

 それを護るためならば、軽い自分の命程度、何時だって何処だって何度だって賭けよう。

 そんな事は、呼吸くらいに当然の事だ。

「で、でも……」

 納得がいかない様子のクロノに苦笑してから、言う。

「……まあそれでも、…………そんな俺でも、強いて兄の心構え、なんてものを口にするとすれば……そうだな、――泣いている事にちゃんと気づく事、だな」

「……それは」

「声をあげず、涙も流さず、それでも人は泣く事がある。……フェイトのような抱え込むタイプは、特にな。ちゃんとそれに、気づいてやるといい」

 なのはも、そういうタイプだ。

 笑いながら、裏で泣く。

 辛い涙こそ、人に、家族にさえ、見せない。……恭也自身もきっと、情けないことに全部に気づいてやれてはいない。

 だが、だからこそ、少なくとも、そう言う意識を持つことだけは怠ってはならない。

「大丈夫、こんな風に俺に相談までするクロノなら、気づけるさ。……お前は、いい兄になるよ」

「……ありがとう、ございます。でも、……恭也さん以上になれるとは思いません。だって、僕には、やっぱり恭也さんはとてもいいお兄さんであるとしか……」

「そんな事はないさ」

「……恭也さんは、もっと…………」

「ん?」

「……いえ」

 何かを言いかけたらしいクロノは、しかし飲み込んだらしい。

 何だったのだろうか、思いながら、恭也はまた湯のみに口をつけた。

 

 

 

「んー、何話してるのかな。最近クロノくん、よく恭也さんと一緒にいますよね。懐いてるっていうか、弟みたい」

 キッチンで食事の準備をしながら、リビングで話し込む恭也とクロノの様子をちらりと見たエイミィがそう言った。

「そうねえ……。クライドさんが早くに逝っちゃったから、余計、そういう部分があるのかもしれないわね」

「あー……なるほど。……確かに、恭也さんはなんか、包容力というか、そういうのありますもんね。父性と言うか」

「うんうん。……近くにいると、すごく安心する」

 エイミィの言葉に、皿を用意しながら、フェイトは頷いた。

「恭也さんって確か、二十歳だっけ?」

「うん、そうだよ」

「その歳でよくあの境地に……」

「なのはさんのお父さん代わりもしていらしたみたいだから、それで、かしらね」

「んー、凄いですよねえ」

 エイミィが心底関心したように言った。

 凄いというのは、確かにフェイトももちろん同感だ。

 ……ただ。

(恭也さんは、自己評価が低すぎる、よね…………)

 いつかも思ったこと、いや、彼と過ごすたび、いつも思うことだ。

 彼は、彼を誇らない。それは徹底的に、とすら言えるほどで。

 フェイトにはそれが、……歯がゆくて、仕方がなかった。

 そっとため息一つ零して、棚に並ぶ皿に手を伸ばし、掴んで持って、

「いやでも、ほんと、兄弟みたいだねえ。…………あ、そっか、フェイトちゃんと恭也さんが結婚すれば義兄弟になるか」

「っ!?」

危うく落としかけた。……というか、一回完全に手の内から滑らせてしまったが、床に落ちるよりも先に掴み直した。……恭也との鍛錬の成果、と言えるかもしれない。

「な、なななななな、エ、エイミィ、何言って……!」

「あらあらあら、でも、そうねえ。フェイトさんが私達の家族になってくれて、それで恭也さんと結婚すれば、そうなるわね。ふふ、あららら、楽しみだわ」

「リ、リンディ提督まで……! わ、私は……!」

 結婚。

 自分が、恭也と。

 考えただけで、フェイトの顔はこれでもかというくらいに朱に染まった。

「あれ、だって、フェイトちゃんっててっきり恭也さんの事好きなんだとばかり思ってたんだけど、違うの?」

「す、好きだけど! それは、その……。そ、そういうのとは……」

 違う、と。

 言おうとして、しかし。

(――……違う、の、かな?)

 疑問が胸の中、首をもたげた。

 思い出すのは、あの、シャマルの自閉モード解除の際の騒動だ。

 ……あの時、自分の心には耐え切れない痛みが奔って、気がつけば抑える間もなく涙が溢れて。

 はっきり、嫌だと思ったのだ。

 彼の隣に誰かが立って、彼がその人を愛して、なんて。

 ……ああ、そうだ。

 あまりに身の程知らずな考えで。

 知らず、押し込めてきたけれど。

 誰か、なんて、

(私、は……)

……自分以外、なんて、嫌だと思ったのだ。

「そういうのとは、違うの?」

 エイミィの問いに、フェイトは答えた。

「………………ちが、………………わ……ない」

 そうだ。 

 自分は。

 自分は、彼を、どうしようもなく……――そういう意味で、好いているんだ。

 フェイトは結局、あっさりと、極自然に自覚した。

「やっぱり!」

 エイミィは、フェイトの返答に、にんまりと笑みを浮かべた。

「で、でも…………私なんかじゃ……恭也さんには絶対、全然、釣り合わないし、…………いや、何よりそもそも子供だし…………」

 複雑な事情が絡むので正確な事を言えば多少揺れるのだが、外見・肉体的には自分は九歳。

 子供もいいところであり、

「あー、歳の差はあるかもねえ」

「うん…………」

二十歳の恭也とは十一歳差もある。それは、フェイトには途方もない差に、隔たりに思えてならない。

 だからといって自分の中にある気持ちが消える事はないが、しかし叶う事もないだろうと、思えてしまう。

「そうかしらねえ。フェイトさんが例えば、今の恭也さんくらいに……、いえ、そこまでいかなくてもいいわ。今のエイミィさんくらいになれば、もう歳の差なんて大した問題じゃなくなるわよ」

「そ、そう、ですか?」

「ええ」

 そう、なんだろうか。

 リンディは、にっこりと頷いてくれたが……。

 しかし、フェイトには信じられない。自分が彼に、女性として愛される可能性、なんて。

 彼への想いを自覚した今となっては、心から願う事ではあるが。

「でも……もし、歳の差とかを抜きにしたって、……私じゃ恭也さんには……釣り合いません」

 眼を伏せながら、フェイトは言った。

 嘘偽りのない本音だ。

 あんなにも素敵な彼に愛してもらえるような何かが、自分にあるとは思えない。

「そんな事ないわ。フェイトさんはとっても魅力的よ。もっと自信を、自覚を持つべきだわ」

「……いえ、そんな事は」

「…………そういう所、恭也さんと似ているわね」

 苦笑しながらリンディは言った。

「んー、しかし、フェイトちゃんが私くらいの歳になる頃には、恭也さんは二十代後半、かあ」

「そうねえ。……私の勝手な予想だけど、いえ、でも断言したっていいけれど、……多分恭也さんって、それくらいからがむしろ本領よね」

「え?」「本領って……?」

 疑問の声を上げたフェイトとエイミィに、リンディは続ける。

「男性はそのくらいからどんどん色気が出てくるの。恭也さんみたいなタイプは特にね。だから、恭也さんは今でももちろん十分に素敵な男性だけど、多分、これからもっともっと素敵になるはずよ」

「い、色気、ですか?」

 フェイトにはあまり、ピンとこない話だった。

 というか、現段階でこの上なく素敵に思える彼の、どこがどうなったら、これ以上になるのか、わからない。

 しかし、エイミィは多少なりか得心がいったようで、

「……色気、かあ。なるほど…………」

そんな風に呟いていた。

「でも、そうなると……、周りの女性はますます放っておかないわよねえ」

「あ、そうですよね。……そういえば、恭也さんって、今、恋人とかいるの?」

「それは、……いない、はず。この前、ちらっとなのはがそんな事を」

 彼についての情報でなのはが間違えるはずがないので、確実だろう。

「そっかあ。もてるだろうにねえ」

「……恭也さん、でも、そういう事には凄く鈍いらしくて…………」

「あら、そうなの?」

「はい。これもなのはが言っていました」

 ……それはやはり、あの自己評価の低さがその一要因と言うか、主要因だろうと思う。

「まあ、でも、そうでもなきゃあのルックスにあの性格でフリーなんて事があるはずないか。局内でも、結構話題になってるもんね」

「え、そ、そうなの!?」

「あ、うん。ほら、訓練とか、魅月の使用状況確認とかメンテとか、あともちろん闇の書事件についてとかで、時々恭也さん本局に来るじゃない? その度、結構色んなとこの女子局員に見られてるらしくて」

「そういえばこの前、他の隊や管轄の女の子達から色々聞かれたわね」

「あー、艦長のところにまで……。となると、アースラスタッフはほとんど全員聞かれてるんですね……。私なんか、紹介してくれって頼み込まれましたよ」

「え、え、しょ、紹介、しちゃっ、た、の?」

 顔から血の気を引かせたフェイトに、エイミィは笑いながら答える。

「ううん、してないよん。いや、だから私的にはフェイトちゃんが恭也さんの事好きだろうから、止めとこうと思って」

「エ、エイミィ……」

「それにそんな事したらなのはちゃんに本気で恨まれそうだし!」

「……そ、それは、そうかもね…………」

「でしょ?」

「うん……。で、でも、ありがとう、エイミィ」

「いいっていいって! だから、頑張ってね!」

 エイミィはぐっと握りこぶしを突き出して、そう言った。

「………………あの」

「ん?」

「が、頑張る…………って、……その、どう、やって……何を、すればいいの、かな……? そういうの……、わかんなくて……」

 フェイトにとってはこれが所謂、初恋というもので。

 そもそもがそういう話とは無縁の人生を歩んできたという事もあり、何をどうしたらいいものか、皆目検討もつかない。

「……あ、も、もちろん、…………私が、その……恭也さんと…………なんて、本気で思ってるわけじゃないっていうか、無理だってちゃんとわかってるけど、…………でも、その、……せめて努力くらいは……」

「いやいやいや、まあ流石に今すぐどうこう、っていうのは無理だろうけど、でも艦長が言った通り、フェイトちゃんがもうちょっと大きくなれば十分、ううん、十二分に可能性はあると思うよ」

「そうよ、フェイトさん。自信を持って!」

「実際、相性はいいと思うし。二人とも、どことなく似た雰囲気あるじゃない?」

「そ、そう、なの……?」

「うん。あと、一緒にいると絵になる、非常に。金髪美少女と黒髪美青年。写真集作ったら売れそうなくらいだよ」

「きょ、恭也さんの写真集だったら私も欲しいけど……」

 自分は完全に余計だろうと思う。フェイトは自分が美少女だなんて、露ほども思っていない。

「あー、話が逸れた。それで、何をすればいいか、だっけか。……んー、そうだねえ」

 エイミィは人差し指を自らの顎に当て、考え込む仕草。

 すると、リンディが言った。

「やっぱり、地道に着々と絆を深めていくのが一番じゃないかしら?」

「絆、を……」

「ええ。結びつきを強く、距離を近くに。恭也さんの中でフェイトさんという存在を自然に、でも確かに大きくしていくの。そうすれば、今は無理だとしても、これから何年か経った後、フェイトさんが女性として見てもらえるような年齢になったときに、一気に惹きつける事が出来るわ」

 リンディは、さらに続けた。

「具体的には、そうね、単純だけど、一緒に過ごす時間をとにかく多くしていく事ね。無理に女性として見てもらおうとする必要は今はないから、とにかく、少しでも多くの時間を一緒に過ごすの。きっとフェイトさんと恭也さんは、今までとても濃密な時間を過ごせてはいるのでしょうけど、でも、それでもまだまだ過ごした時間自体は短い。時の長さがそのままそっくり絆の深さになるわけでは決してないけれど、それでもそれはとても重要な要因の一つではあるから」

「おお…………」

「な、なるほど……」

 淀みなく紡がれたリンディのそんな言葉に、エイミィと、そしてフェイトは知らず感嘆の声を零す。

「幸い、鍛錬の事もあるわけだし、口実……なんて言い方はするべきじゃないけど、機会は設けることが出来る。大丈夫、先は明るいわ、フェイトさん」

「リンディ提督……」

 リンディの勇気付けるような、そして包み込むような暖かい笑顔に、フェイトは思わず涙ぐむ。

 そして、気づく。

 それは、フェイトのみならず、三人同時に。

「……あれ、なんか、焦げ臭くないですか?」

 エイミィの言葉通り。

 何かが、焦げたような匂いが、辺りに立ち込めていた。

「あらららららららら……」

「お、お鍋が!」

 何か、なんて、それは言うまでもなく。

 喋るのに思わず夢中になっていたせいで意識から外れていた、火に掛けっぱなしの料理からだった。

 

 

 

 

 

「あの……それで、恭也さん。私に用って……?」

「……む、すまん、そうだったな」

 振舞われた夕食をご馳走になり(調理中のキッチンから焦げ臭い匂いがしたときは若干心配になったが、出てきた料理は結局非常に美味だった)、他愛もないが穏やかな空気の中雑談に興じて、……当初の目的を忘れていた。

 恭也は懐から一冊の、厚めのノートを取り出し、それを自らの隣に座るフェイトに差し出した。

「フェイト、これを」

「は、はい。えっと……?」

 受け取るものの、何なのかわからずだろう疑問を浮かべるフェイトに、恭也はノートを開くように促した。

「………………わ。こ、これ…………恭也さんが?」

「ああ、そうだ。フェイトの身体能力や適正を鑑みた上での、最適な鍛錬方法を記しておいた」

 恭也がフェイトに渡したのは、直筆の、鍛錬指導書とでも言うべきものだ。フェイトに指南を始めた当初から作成に取り掛かっていたのだが、細かく丁寧に丹念に書き記していた事もあって、ようやく完成したのは昨日だ。

「わ、私、の、ために……?」

「ああ、もちろん。貰ってくれ」

 フェイトはノートに視線を落とし、それから顔を上げて恭也を見て、もう一度ノートに眼をやり、

「……あ、ありがとう、ございます……! 私、私、大事にします……!」

愛おしそうに、ぎゅっとそれを抱き締めた。

「ああ。……いや、ぼろぼろになるくらいに使ってくれたほうが嬉しいな」

「は、はい! それはもちろん………………いえ! やっぱりこれは大事に、大切にとっておきます! スキャンして複製を作って、それを使いますっ」

「い、いや、そこまでしなくても……」

「いえ! 折角の原典に傷や汚れをつけたくありませんから……。恐れ多くて書き込みも出来ませんし」

 原典、恐れ多い……なんて、大層なものではないんだがなあ、と、恭也は苦笑を浮かべた。

「まあ、なんにせ、喜んでもらえて何よりだ。……遅くなったが、クリスマスプレゼントとでも思っておいてくれ」

 今日は12月26日。クリスマスはもう過ぎてはいるが。

「クリスマス……プレゼント……。……ほ、本当に、ありがとうございますっ!」

「良かったな、フェイト」

「フェイト、アタシにも後で見せておくれ」

「恭也さんが自ら作ってくださったものですもの、何より心の篭った贈り物ですわね」

「恭也さんの教えが書かれたノート…………言っちゃあなんですけど、教導隊が欲しがりそうな代物ですね」

「……本当に、そんなに大層なものではありませんが…………。まあ、とにかく」

 リンディ達の言葉に照れつつ、恭也は言った。

「これで、俺がいなくてもフェイトは鍛錬を積めるだろう」

 

『え』

 

 ピタリ、と。

 恭也以外の五人が、その動きを止めた。

「……?」

 恭也が首を傾げた、一瞬後。

「そ、それ、それって…………わ、私にはもう…………教えて…………くださらな…………っ!」

「あ、いや、違う! フェイト、違う……! そういう事じゃないんだ!」

 みるみるうちに瞳に涙を浮かべ、フェイトは決壊寸前の表情。

(言葉が足りなかったな……)

 反省しつつ、恭也は説明を追加する。

「そういう事ではなくてな。ほら、フェイトは、……執務官、だったか、それを目指して、色々勉強しなくてはならないんだろう?」

「……え、は、はい」

 これはフェイトの口から聞いたものだ。管理本局所属の執務官、クロノと同じような道を行くつもりだと。

「俺も、この闇の書事件が終わったら流石にきちんと大学にも行かねばならんし、護衛の仕事の方も本格的に再開する。つまり、お互いに忙しくなる」

「あ……、それじゃあ」

「そう。だからそれを渡しておこうと思ったんだ。もちろん可能な限り都合はつける気だが、それでも、今までのように頻繁には会えないだろうからな」

 そんな中でもフェイトが鍛錬を続けられるように。

 そして、それと同じくらいに。

「……それとフェイト、これだけは言っておく」

「は、はいっ」

「身体鍛錬に関しては、そこに記してある以上の量は絶対にやるな。下限に関してはフェイトが自分で決めていい。だが、上限に関しては必ず守ってくれ。……もし、それを破るようなら、俺は君を殴り飛ばさなくてはいけなくなる」

 これだけは、どうかわかって欲しくて。

「っ!」

 恭也から見て、フェイトは非常に生真面目で、根気強く、熱意がある。

 だからこそ、心配だった。

 無茶をして、無理をして、無謀をして、壊れてしまわないか。……自分のように。

 厳格な声音に、フェイトは息を呑んだ後、一瞬だけ眼を瞑り、そして開いて、

「誓います」

恭也の眼をしっかりと見て言った。

「必ず守ります。絶対に破りません。お約束します、マスター」

「……ああ、信じている」

 恭也は満足げに頷き、微笑んで、フェイトの柔らかな髪をくしゃりとなでた。

 眼を細め、嬉しそうにそれを受け入れていたフェイトはやがて、

「……あ、あの。…………でも、恭也さん」

「ん?」

おずおずと遠慮がちな様子で、しかし……何かしらの決意が篭っているような瞳で、恭也を再度見据えた。

 それから、エイミィとリンディをちらりと見て、頷く二人に頷き返して、

「もちろん、恭也さんがお忙しいときは、無理にとは言いません。で、でも、私の方の都合なら、その……最優先で空けますからっ、だから、出来れば、やっぱり私は……、恭也さんに、……会いたいです。一緒に、過ごしたいです」

顔を真っ赤に染めながら、そう言った。

「……ああ。俺も、もちろん君の成長を自分の眼で見ていたい。出来うる限りは、会いに来よう」

 恭也のそんな返答に、フェイトがうれしそうに微笑んだ時だった。

 ピピピピ、と、味気のない、甲高い音が部屋に響いた。

「あららら、ちょっとごめんなさいね」

 音はリンディの持つ携帯端末かららしく、リンディはそれを片手に席を立つ。

「何だろ、アースラからかな?」

「どうだろうな。……まさか、急な仕事が出来たとかじゃあないだろうな」

「うわあ……、ありえるねそれ」

 そして、エイミィとクロノのそんな予想は、

「……ごめんなさい、クロノ、エイミィさん。ランディからの連絡で、アルカンシェルの整備の件で、私たち三人、今から本局に来てくれ、って」

ほどなくして戻ってきたリンディの言葉によれば、どうやら的中したらしかった。

「アルカンシェル絡みかあ。まあゴタゴタしてたし仕方ないっちゃ仕方ないですよね。でも……」

「ああ。僕達はいいが、……そうなると」

「……ごめんなさい、フェイトさん。今日は皆、家にいられるって話だったのに…………」

「いえ! お仕事なら仕方ないですからっ」

 申し訳なさそうな顔のリンディ達の言葉に、フェイトは首を振った。

「アルフも居ますし」

「……そう? ……いえ、でも…………うーん」

 フェイトを残していく事が忍びないらしく、憂いの表情を浮かべうなっていたリンディはやがて、

「……あ」

「……なにか?」

恭也の顔に視線を向けた。

 次いで、

「恭也さん、この後何かご予定はありますか?」

そんな事を聞いてくる。

 予定、と言われても特にないので、恭也は正直に首を振る。

「いえ、ありませんが」

「そうですか! じゃあ恭也さん、今日はここに泊まっていきませんか?」

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

「ミッドチルダの繁栄には、こういった要因がありまして……」

「ふんふん」

 スクリーンに浮かぶ映像を見ながら、恭也は相槌を打ちつつ頷く。

 魔法の体系、最先端のデバイス技術に次いで、現在の講義内容はミッドチルダの歴史、だった。

 アルフもいるとは言え、残していくのは心配だから……と、リンディに頼み込まれ。

 まあ確かに、しっかりしているとは言え未だ幼いと言ってもいいフェイトに留守番させるのもどうかと思い。

 何より、一瞬確かに見せたとても嬉しそうな笑顔を抑え、でもそんなのは迷惑だから……と遠慮するフェイトの姿が、胸に刺さって。

 結局、恭也は今晩、泊まっていくことにした。

 今は、三人が出て行った後ふとしたはずみに始まった、魔法使いの常識や基礎知識についての話をしている。フェイトが先生で恭也が生徒、いつもとは逆の形だ。

「……つまり、管理局というのも、こんな背景があって出来上がったものなんです。今では、もう次元世界になくてはならない組織ですね」

「なるほどな」

 ちなみにアルフは、途中までは一緒に聞いていたのだが、難しい話は嫌いだと言って今はソファーの隅で寝ている。

「フェイトももう、管理局に正式に所属しているんだったか?」

「いえ、嘱託ですから、半分正式と言いますか」

「ああ、そうなのか」

「はい。ですからこれから、訓練校に入ってちゃんと局員としての基礎を学んで、その後に正式に入局と言う形になりますね。……出来ればその時には、執務官候補生になれていればなと思います」

「……そう言えば聞いていなかったな。どうしてフェイトは執務官を目指そうと思ったんだ?」

 目標があるのはもちろんいい事だし、恭也も出来る限りの支援・応援はしようと思っているが、しかしフェイトの動機を聞いていなかったので、せっかくの機会とばかりに恭也はそう尋ねてみた。

「それは………………母さんみたいな人とか、今回みたいな事を、少しでも早く止められるように、って」

「……そうか」

「はい……。こんな私での力でも、出来る事がきっとあるって、思ったんです。ま、まあ、私に出来る事なんて高が知れてるとは思いますけど……」

 照れたようにそう言うフェイトに、恭也は苦笑し、首を振る。

「そんな事はないさ。……いい考えだよ、フェイト。君の力は、想いは、優しさは、きっと多くの人の救いになるだろう」

 この強くて優しい少女なら、きっと沢山の人を救える。

 恭也には自然と、そう思える。

「そ、そうでしょうか……。えっと、その……が、頑張りますっ」

「ああ。ただ、無理だけはしないようにな」

 頬を染めて言うフェイトの頭をぽんぽんと柔らかく叩いて、恭也は微笑んだ。

 そして流れた少しの沈黙を破って、

「あの……恭也さんは、どうして護衛のお仕事を? やっぱり、お父さんの後を……」

今度はフェイトがそう問うてきた。

「……いや、まあそういう気持ちがないと言えば嘘にはなるが、一番は違う」

「えっと、じゃあ?」

「単純な欲求さ。自分が大切に想う人達の行き先を切り開いて、進むその背を守りたい。突き詰めれば、それだけなんだ」

 知らず、恭也は自分の手を見つめる。

「立派な大儀があるわけじゃないし、……この手だって血に塗れている。決して少なくない数の人を斬り、少なくない数の人を殺めた。真っ当な、人に褒められる、人に誇れる生き方じゃない。……だが」

 それでも。

「俺みたいな奴が、この世の中には必要な事もある。必要としている人がいる。そしてその人を護りたいと思えた時に、俺はそうするだけなんだ」

 勝手だろう、と、恭也は最後にそう結んで。

 手を、包まれた。

 暖かい手に、だ。

「……恭也さんに護られた人は、きっと自分を誇りに思います」

 手の持ち主、フェイトは、静かな声で言った。

「貴方に護られた事を、貴方に護られた自分を、誇りに思います。だって、こんなに素敵な人に護りたいって思って貰える事は、やっぱり素敵な事だから。誇れる事だから」

 それは、誠実さのにじむ、彼女の口調。

 一言一言、優しく重ねて、包むような声音。

「……ありがとう」

 零すように、自然に、恭也は礼を口にしていた。

「…………そうだったら、嬉しいよ」

「絶対、そうです」

 力強い言葉。迷いのない断言。

 心のどこかを、抱きしめられたような、そんな気持ちになった。

「……君と結ばれる男は、幸せだろうな」

「……え? ………………え、え、あ、……………………え!?」

「ああ、すまん。急に変なことを言ってしまったな」

 だが、事実、そう思ったのだ。

 こんなにも暖かい言葉を、暖かい手を、暖かい想いを、この少女から一番に与えられる男は、とても幸せだろうと、思ったのだ。

 そして、何より。

 その男の隣で、何より、……この娘が幸せであってほしい。

「あ、あの……わ、私…………」

 真っ赤な顔で混乱したような様子のフェイトに苦笑してから、恭也は尋ねる。

「フェイト、今の生活は楽しいか? ……幸せか?」

「え…………えっと、それは…………」

 突然の問いに、フェイトは少し驚いたようだが、しかし、すぐに、

「……はい。色々ありますけど、でも……とても、とっても、楽しくて…………幸せ、です」

はにかんで、そんな風に、答えた。

「そうか」

 どうかそれがこれからも続き。

 願わくばもっともっと良きものになって欲しい、と。

 恭也は、心からのそんな想いを籠めて、フェイトの柔らかな髪をそっと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえフェイト、貴方はお人形よ。あの娘にはならなかった、あの娘の代わりにもならなかった、ただのお人形」

(ごめんなさい、母さん……)

「失敗作よ。不用品よ」

(ごめんなさい……)

「ずっとずっと、私は貴方が大嫌いだったわ」

(ごめん、なさい…………)

「お人形、失敗作、いらない子。ねえ、わかっている?」

(……わたし、は…………)

「そんな貴方が誰かに愛される事なんて、あるはずないって」

(……それ、は…………)

「ねえ、ちゃんとわかっているの? 貴方を作った私すら、貴方を愛する事なんてとてもじゃないけどできやしなかった。なのに……」

(……………………わた、し……)

「それでもまだ誰かに愛してもらえるなんて、本気で思っているの?」

(…………でもっ)

「ねえ、わかっているんでしょう?」

(…………っ)

「今は傍にいる人間達も、時が経てばいずれ離れていくわ」

(……う、ああ)

「だって彼らは、――人間だもの。お人形の貴方とは違って」

(…………うううっ)

「貴方は、お人形として遊んではもらえても」

(う、ううう、うううう……っ!)

「人間として愛される事なんてないわ」

 

「―――――――――っ!!」

 声無き絶叫を上げて。

 フェイトは体を、跳ねるように起き上がらせた。

「はっ……はっ…………あ、う、うああ……」

 周りは暗闇。自分の身は、白いベッドの上にある。

 時計を見れば、その針は真夜中を指していた。

 混濁した頭で記憶を探り、数時間前にこの自室に戻って就寝したんだと思い出す。

「あ、…………う、あ…………」

 背中が冷たい。こんな季節に不釣合いなくらい、ひどい寝汗。

「……っ」

 フェイトはベッドから這い蹲るようにして抜け出し、部屋を出て、廊下を走り、キッチンにたどり着く。

「……………………はっ、はっ」

 銀のシンクに手を突いて、荒い息を吐く。

「はっ………………はっ……………………う、ううううう……!」

 夢。

 さっきまでの、母との会話は、夢で。

 でも。

 夢でも……母が言っていた言葉はすべて、真実ではないか?

 だって。

 だって……。

 自分は、いらない人形で……。

「……はっ…………はっ……はっ…………」

 息を吐いて、吐いて、吐いて。

 視界が揺れて、やっと吸って。

 でも、すぐに吐き出してしまって。

 手が馬鹿みたいに震える。

「う、あ、うううううううううう……」

 がちがちと歯が鳴って。

 肩に、熱が触れた。

「フェイト」

 次いで、声。

 振り向けば。

「…………きょ、うや、さん」

「ああ。……どうした、フェイト」

 いつの間にかそこに居た彼は、屈んで自分と視線を合わせ、

「怖い夢でも見てしまったか?」

そう、微笑んで問いかけてくれて。

「わ……たしっ、…………う、あ」

 彼の胸に飛びついてしまいたい衝動と。

 先の夢を見た事で、どうしても浮かんできてしまうはね除けられるかもしれないという恐怖との、板ばさみになる。

「……あ、あの…………わ、たし……きょうやさん、おこしちゃっ……」

 そして口から出てきたのはそんな言葉。

 だって、彼はリビングに布団を敷いて寝ていて。そこと半分繋がったこのキッチンに自分が来たから……。

 彼を起こしてしまった。

 眠りを妨げてしまった。

 迷惑を掛けてしまった。

「ごめ、ん、なさ、……い…………わたし、わたし……」

 そんな風に現状を理解して、恐怖が打ち勝つ。

 彼にはね除けられる恐怖。

 彼に嫌われる恐怖。

 そんな、そんなのは。

「フェイト」

「……っ」

 静かな呼びかけに、しかしフェイトの体はびくりと跳ねる。

 怖い。

 拒絶の言葉を放たれるのが、何より怖くて、でも、何もできなくて。

「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………!」

 ただただ震えて謝罪を口にして。

「フェイト、……言ったはずだ。教えたはずだ。約束したはずだぞ」

 そんなフェイトを、まっすぐに見据えて恭也は言う。

「辛いか? 切ないか? 寂しいか? なら、そういう時はどうするんだった? 君が下手くそで、不器用で、やり方を知らなくて、でも、やらなきゃいけない事があったろう?」

 ただそう言って、恭也は押し黙って。

 じっと、フェイトの瞳を見つめ続けて。

 一瞬か、一秒か、十秒か、もっとか。

 どれくらいそのままだったのかは、わからない。

 気がつけば、フェイトは、

「………………っ!」

「……良く出来たな」

恭也の胸に飛び込んでいた。

「う…………うう、……うううっ!」

 あらん限りの力でもって、彼の体を抱き締める。

 自分の身を押し付けて、彼の熱を感じ取ろうとする。

 恭也はそれに応えるように、優しくフェイトを抱き上げた。

「わたし…………わた、し…………っ……っ」

 何かを言いたくて。伝えたくて。

「……っ、…………っ!」

 でも、うまく言葉にできず、フェイトの口から漏れるのは嗚咽。

 瞳からは、涙が零れる。止められない。

 恭也は、そんなフェイトを抱き上げたまま、

「いい子だ」

背を柔らかく、トン、トン、と、あやすように叩く。

「甘えんぼで、泣き虫で、怖がりで、――とびきりいい子だ」

 恭也はそのまま少し歩いて、リビングのソファーの上に座る。

 彼の左手は相変わらず、フェイトの背を優しく叩き続ける。

 安心する、眠くなる、心臓と同じリズム。

 フェイトは、恭也の腕の中、目を閉じた。

「………………わ、たし……母さんに、愛してもらえ、なく、って……」

「…………」

「他の誰にも、愛してもらえないって、言われ、て……」

「…………」

「お人形、だから……、あ、遊んでは、もらえても………………人間として……っ、愛してなんかもらえないって…………っ」

「…………」

 恭也は何も言わず、ただただ優しく背を叩き、時折髪を撫でてくれる。

 だからフェイトは、心から溢れるままに、想いを言葉にする。

 意味が通じているかどうかすら、自分ではよくわかっていない。彼からしてみたら、いきなりなんの話をしているのかわからないかもしれない。

 それでも。

 それでも。

 あんまりに、彼の手が優しくて、胸が暖かで、熱が心地良いから、フェイトは続ける。

「でも…………あれは、母さんが言ったこと、だけど、…………それだけじゃ、なく、て…………っ」

 そうだ、あれは。

「私、がっ、私に……っ。……私、わたし…………っ!」

 自分の弱音であり、そして、紛れもない本音だった。

「わたし、みんなと……ちがって……! ちゃんと、したっ、人間じゃ…………ない、から……!」

 今は幸せだけど、いずれそれには終焉が訪れるんじゃないか、なんて考えて。

 そんな恐怖を裏打ちする要因を、自分は内に抱えていて。

 自分の持つ、周りとの違い。

 異質な生まれ、愛なき育ち。

 それはやがて、周囲の人たちと自分の間に、深い溝を生み、高い壁をつくり。

 決定的に道を分かつ、なんて。

 そんな風に思ってしまう。

 時折、疼くのだ。

 お前は幸せにはなれないと、愛されやしないと。だって、まともな人間では、存在ではないからと。

 胸の内、疼いて呻いて唸って蠢く、否定したいけれど、しかし決して否定し切れない思い。

 フェイト・テスタロッサのコンプレックスにして、どうしようないアイデンティティ。

「だってわたしまともじゃなくておかしくてちがってて! だからそのうち、みんな離れていっちゃうってっ!」

 吐き出すように、フェイトは言葉を連ねていく。

「わたしがわたしに言うんですっ! おまえは幸せになんかなれないってっ! だってわたしだからって! わたしは愛されやしないって! だっておまえだからって! そんな存在じゃないからって!」

 自分を包む温もりに、必死にしがみつきながら、言う。

「でもっ! でもっ! わたし、わたしっ、わたしっ! …………――そんなのやだよおっ!!」

 願いを、口にする。

「やだ、やだやだやだやだやだっ! いやだっ! いやだ!! わたしでも、わたしだけど、わたしだって!!」

 心からの願いを、フェイトは口にした。

「愛して、ほしいよおっ!!」

 乾いた心は潤いを欲し。

 冷えた体は熱を探して。

 孤独な魂は、愛を求める。

「うあああああああああああああっ! うああああああんっ!!」

 枯れるほど叫んで、痛みを晒す。

「うううううううううううううううううううっ!!」

 だって。

 そうだ、だって。

「…………」

 ただただ静かに、背を叩き髪を撫でるこの手はこの腕は、自分を包むこの人は。

「うああああああああああああああああああああああああんっ!!」

 ――受け止めてくれるって、わかっているから。

 ……ああ。

 そうか。 

 これが。

「きょうやさんっ、きょうやさんきょうやさんきょうやさああんんんっ!!」

「……ああ」

 この、いくら泣いても、悲しくても、それでも寂しくない心地よさが。

 人に甘えるって事の喜びで。

 人に甘えるって、事で。

「うああああああああああああああんっ!! きょうやさああああああんっ!!」

「ああ」

「わたし、わたし……!! あああ、うあああああああああああああああああっ!!」

「ああ、……いいんだよ、フェイト。それでいいんだ」

「うあああああああああああああああああああああああああああっ…………!!」

 

 叫んで叫んで。咽び泣いて。

 

「フェイト。きっと、……自分を完全に肯定できる奴なんていないさ」

 

 意識はぼやけ。現実は薄く。

 

「誰もが自分自身の中に、嫌な自分、認めたくない自分、いなくなって欲しい自分を抱えてる」

 

 ゆめ、うつつ。

 

「でも、フェイト、わかってくれ。だから人は、誰かと手を繋ぐんだ」

 

 ふわふわとした浮遊感。

 

「自分が肯定できない自分を、それでも否定もし切れない自分を、誰かに認めて欲しくて、それでいいんだと言って欲しくて」

 

 それでも確かな安心感に包まれて。

 

「人に甘えて、人に頼って、人に縋って、――それが、人と手を繋ぐことなんだ。……なあ、フェイト」

 

 フェイトは。

 

「まともじゃなくてもおかしくてもちがっていても、いいさ。それがフェイトなら俺はいい」

 

 やがて。

 

「愛しいよ、フェイト」

 

 安らかな、柔らかい、優しい眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

(……眠った、か)

 腕の中、穏やかな寝息をたて始めたフェイトを、恭也は静かに見つめる。

 孤独に塗れ、愛を求めて涙を流した、少女を見つめる。

「…………」

 起こさないよう細心の注意を払いながら、絹のような手触りの髪を撫で、

「……っ」

恭也は、唇をかみ締めた。

 こんなにも痛みを抱えたこの娘に、自分は何が出来たろうか。……何か、出来たろうか。

 フェイトの、その幼くも美しい顔には、涙の痕が残る。

 どうかこの涙が、彼女の笑顔に繋がることを、恭也は祈る。

 どうか、どうか。

"愛して、ほしいよおっ!!"

「……大丈夫さ、フェイト」

 そう呟いたときだ。

「…………キョウヤ」

 足音と気配が、声とともに暗いリビングに入ってきた。

 アルフだ。

「ごめん、ごめんよ、キョウヤ……。アタシも、途中から来ちゃいたんだけど……キョウヤに任せたほうがいいって、思ってさ……」

 見やれば人型をしているアルフは、すまなそうにそう言って、恭也の正面、ソファーの前の床に座り込んだ。

「いや……」

 アルフが来ていた事には、もちろん恭也も気づいてはいた。自分がキッチンでフェイトを抱き上げたあたりから、ずっと彼女はこちらを見ていた。

「……いいさ。やりたくてやった事だ」

 アルフがどれだけフェイトを慕い、大切に思っているか、そんな事は言うまでもない。

 それでも、彼女はフェイトのために、今は恭也が一人でフェイトを包んだ方がいいと判断し、出てこなかった。フェイトの傍に駆け寄りたいであろう衝動を抑え切ったのだ。

 それはやはり、アルフの、フェイトへの愛に他ならず。

「……ありがとう。ありがとうねえ、キョウヤ…………!」

「…………アルフは、フェイトが大好きなんだな」

「……ああっ。……フェイトは、群れから見放された私を助けてくれてさ、ご主人様になってくれて、……温もりをくれたんだ」

「そうか……」

「ああ……。…………あの、さ、キョウヤ」

「ん?」

「……今日は、フェイトはさ、ちょっと、その……」

 アルフは床を見つめるように一旦顔を伏せ、

「こんなに……こんな風に、なっちゃったけど、さ。………………でも!」

しかし、すぐに勢いよく面を上げ、恭也を見つめる。

「でも、ほ、ほんとに、最近、フェイトは明るくなったんだよ! よく笑うようになったし、自分の言いたい事も言ってくれるようになった! ほんとだよ! フェイトは、フェイトは……ちゃんと、前を見てて…………今日は、こんな風になっちゃったけどさ! フェイトは、フェイトは!」

「……ああ、わかっている。わかっているよ」

 今日は、今夜は、こんな風に弱音を吐いて、過去に怯えたけれども。

 それだけじゃないんだと、前に進もうとしているんだと、どうかそれをわかってくれと、必死に言い募るアルフに、恭也はうなずく。

「ちゃんとフェイトは前を見てるさ、歩き出してるさ、わかっているよ。……今日、こんな風になってしまったのは、ある意味、きっと、だからこそなんだ」

「え?」

「揺れ戻し、みたいなものだな。前を見て、先に進んだからこそ、後ろに、過去に引かれた。ただその場に立ち止まっていればそんな事にはならないけれど、でも、この娘はちゃんと進んで、だから、今夜はこうなってしまったんだろう」

 デトックス、とも言えるかもしれない。

「大丈夫、抱えた痛みをこれだけちゃんと吐き出して、抱えた願いもあそこまで正直に叫んだんだ。この娘は、先に行けるさ」

「……キョウヤ」

 ぽとり、ぽとり、と。

 小さな音が、暗闇のなか、響く。

「アルフ……」

 こぼれる涙をしかしぬぐわず、アルフは床に手をついて、恭也へ頭を下げた。

「ありがとうっ、……ありがとねえ、キョウヤ……! ア、アタシは、ほんとに、リンディやクロノ、エイミィ達、何よりやっぱり、なのはとキョウヤには、ほんとに、感謝、してるんだよぉ……!」

 震える肩、そして声。アルフは続ける。

「なのはが手を掴んでくれてさ……! キョウヤが胸で包んでくれてさ……! だからフェイトは続いてるんだ……っ! 生きて、笑って生きてくれているんだよ…………!」

「アルフ……」

「アタシは、フェイトの母親のことが、大っ嫌いだけどさあ! フェイトは、きっと、好きで! 好きになって、欲しくて! でもアイツはそれに応えなかった……! フェイトを、鞭でぶつんだよっ! 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もっ!」

「……っ!」

 その言葉に、思わず恭也はフェイトを抱く力を強める。

「なんでだ、って思った……! なんでこんな、って! ふざけんなって! なんでフェイトがこんな目にあわなきゃなんないんだって! こんなに優しいフェイトに、なんでこんなって! …………………………でもっ」

 ――でも、やっとだ。

 アルフはそう言った。

「やっと、やっと、やっと……! フェイトをわかって、愛してくれる人達が、やっと……! やっと……っ! …………なあ、お願いだよキョウヤ……! これからも、フェイトの傍に居ておくれよぉ……!」

「……ああ」

「フェイトはさあっ! ほんとに、ほんとにキョウヤが大好きなんだっ! キョウヤの話を、ほんとによく、何より嬉しそうにするんだよぉ……っ! ……こんな、こんな言い方するのは、間違ってるのかも知れないけどっ、お願いだっ……! アタシに出来ることなら何だってするからっ! フェイトを、フェイトを、………………撥ね除けたりしないでおくれよぉ……! 見捨てたりしないでおくれよ……っ!」

 撥ね除ける。見捨てる。

 それはきっと、……いや、きっとじゃない。実際に、過去にあったことなんだ。

 フェイトは、……フェイトの愛は、ずっと、撥ね除けられてきて。最後の最後、結局は捨てられて。

 今、自分が腕に抱くこの華奢な体の少女は、そんな風にして生きてきたんだ。

「キョウヤにそうされたらっ、もしそうされたら……っ、…………フェイトは、フェイトはもう……っ、ほんとに、ほんとにっ、駄目になっちまうよぉ……! アタシにはわかるよ! フェイトにとって、キョウヤはもうそういう存在なんだ……! 会ってまだ、一月くらいだけどさあっ! それでも、それでもキョウヤがフェイトにしてくれた事は、それだけの事なんだ! キョウヤは、フェイトがずっと欲しかったものをくれたんだよ!」

 涙を零し、嗚咽をあげ、それでもアルフは言葉を紡ぎ続ける。 

「フェイトが、さ……っ。言ってたんだ、言ってたんだよ、キョウヤァ……。なのはと友達になれて、キョウヤに抱き締めてもらえたから、……生まれてきて良かったって! う、生まれてきちゃいけなかったのかもしれないけど、……でも、生まれてきて良かったってっ!」

「――っ!」

「あんな目にあってきたフェイトが、そんな事言ったんだ……! 言えたんだ……! 言ってくれたんだよぉ……! アタシはっ、それが、それがっ、嬉しくて、さあ……っ!」

 なんて。

 なんて、言えばいい?

 アルフが懸命に語ったフェイトの言葉は、想いは、……あまりにも。

 あまりにも、――愛しくて。

「なあ、アルフ」

 だから、恭也は口を開いた。

「俺は、……この娘が、フェイトが、可哀想だからこの腕に抱いているんじゃないんだ」

「キョウヤ……」

「ただただ、……愛しいから。愛しいから、抱いているんだ。だってそうだろう? こんなにいい娘を、愛しい娘を、抱き締めない腕があるものか。……その、フェイトの母親がどうだったのかは、俺は詳しい事は知らないが、でも、少なくとも、俺の腕は、この腕は、この娘を抱きたいと言っているよ」

 抱いて。抱き締めて。

 こんな自分でよければ。こんな自分の、愛でよければ。

 いくらだって、君に。

 そんな想いを籠めて、恭也はフェイトを抱き続ける。

「大丈夫さ、アルフ。こんな娘を愛さない世界があるか? こんな娘が愛されない未来があるか? ……あるはずが、ない。ありえない。絶対に、ありえないさ」

「そう、そうだ……っ、そうだよねぇ……! そうだよねぇ、キョウヤァ……!」

「ああ、そうさ。……大丈夫、大丈夫だ。あと一年もしないうちに、この娘は確かな家族の繋がりを得るだろう。あと二年もしないうちに、この娘は多くの友に囲まれるだろう。あと三年もしないうちに、この娘は大勢の人たちの救いになるだろう。あと四年もしないうちに、この娘は沢山の尊敬と憧れの眼で見つめられるだろう。あと五年もしないうちに、……そうさ、この娘をきっと、周りの男達は放っておかないだろう」

 心から想う。

 君に幸あれ、と。

「……この娘は今、俺を必要としてくれている。でもな、多分、それは一過性のものだ。俺なんかいなくたって、今にこの娘は、すぐにこの娘は、温もりに包まれる。暖かな世界がこの娘を待ってる。そんな事は、決まりきっている。大丈夫、大丈夫だよ。……フェイトが俺に求めているのは父親の愛、みたいなものだろうが、それはずっと必要なものじゃない」

「…………父、親?」

「ああ。父親だ、父親の愛。高い空に飛び立つために、翼を広げるその時まで、支えてくれる地面のようなものだ。今は必要なんだろうが、一度空に飛び立てば、もう大丈夫。懐かしむことはあっても、無くて困るものじゃない。いいのさ、それでいいんだ。そういうものだ。もちろんいられるかぎりは傍にいるが、しかし、例え俺がいなくったって、この娘は……………………アルフ?」

「…………父親、ねえ」

 正確に言えたかどうかはあまり自信がないが、しかし正直に語った恭也に、アルフはあまり納得のいっていなさそうな顔だった。

「どうした?」

「……うーん。いや、キョウヤが言ってくれたことはその通りだと思うよ。……うん、フェイトは確かに、キョウヤにそういうのも求めちゃいるんだろうけど…………うーん……、でも、…………うーん、それだけなのかなぁ……?」

「……いや、だと思うが…………」

「うーん……。父親、父親、ねえ…………。なあキョウヤ、父親ってのは、ずっと一緒にいてくれるものかい?」

「いや、そういうものじゃない。一番の男を、相手を見つけるまで代わりに傍にいて、護るもので、つまりあくまで代役だろうからな、ずっと一緒にはいない」

「じゃあ違うよ」

 驚くほどはっきりと、あっさりとアルフは言った。

「違う。それじゃ違うよ、キョウヤ。だってフェイトはきっと、いや、絶対だ。キョウヤにずっと傍にいて欲しいって思っているよ。アタシにはわかるよ、絶対だ」

 それは確かに、自分などよりはアルフの方が、よっぽどフェイトをわかっているとは思う。

 しかし。

「……いや、それは」

「なあ、キョウヤ。父親じゃなくって、その、代わりじゃなくって、ずっと一緒にいられる関係は、相手はなんだい?」

「まあ……愛する男、添い遂げる人、結婚相手、とかだろうな」

「そうかっ、じゃあ簡単じゃないかっ! なあキョウヤ、フェイトとケッコンしておくれよ!」

 嬉しそうに、さっきまでの泣き顔とは打って変わっての明るい笑顔を浮かべて、アルフはそんな事を言って。

「……はは」

 つられるように、恭也も笑って。

「なあ、アルフ。駄目だ、アルフ。それは間違っているよ、アルフ」

 アルフに答える。

「俺はフェイトとは、結婚できない」

「どうしてだいっ? フェイトじゃ駄目かい? フェイトは本当にいい娘だよ?」

「知ってるさ。……だからさ。だから、駄目だ」

 恭也は、ゆっくりと腕の中、眠るフェイトの髪を梳くように撫でる。

「結婚できるくらいに大きくなれば、この娘は本当に、誰もが放っておかないだろう、魅力的な女性になる。誰もが振り返り、手を伸ばし、愛を欲しがる、そんな素敵な女性になる。そんな事はわかり切っていて、そんなフェイトと俺じゃ、とてもじゃないが釣り合わないさ。……まあ、そもそも、歳だって十以上離れているしな」

 釣り合わないし、結ばれない。結ばれるべきじゃないだろう。

 間違っても、こんな男とは。

「そんな事ないよっ! キョウヤはいい男じゃないか! 優しいし、強いし、フェイトとお似合いだよ! それに歳なんて関係ないよぉ!」

「……いや」

 実際、歳の事を抜いたところで。

 傷を負って。

 血に塗れて。

 中途半端で。

 欠陥品の。

 そんな自分なんかは、こんなにも素敵なこの娘の傍に、ずっと居るべき者じゃあない。

「まあ、アルフも、……フェイトも、いずれわかるさ。俺なんかよりもいい男が、この世にはごまんといるって事をな」

「……そうかねえ? いや、そんな事は…………」

「そうさ。……さ、いつまでもこうして話しているのもなんだ、そろそろ寝よう」

 そう言って、恭也はフェイトを抱いたまま立ち上がった。

「あ、う、うん……」

「フェイトは、……部屋に連れていかなくてはな。案内してくれるか?」

 フェイトが本来眠っていたであろう自室の位置を知らないので、恭也はアルフに尋ねたのだが、

「……いや」

アルフは首を振った。続けて言う。

「なあ、キョウヤはここで寝るんだろう?」

「ああ、そこに敷いてある布団で……」

「じゃ、じゃあさ、……フェイトもここで、一緒に寝かしちゃくれないか?」

「……む」

「だ、だってさあっ」

 アルフは、弾かれたように立ち上がり、恭也の腕の中、眠るフェイトの顔を覗き込んで、

「……そうだ。やっぱりそうだよ。…………こんなに気持ちよさそうに寝てるじゃないか」

嬉しそうな笑顔を見せる。

「こんな風に眠るフェイトを……アタシは滅多に見た事ないよ。……フェイトはさ、よくうなされるんだ。苦しそうな顔で、悲しそうな声で、ごめんなさい、ごめんなさい母さん、ってさ……」

「……そう、なのか」

「ああ。……でも、でも今日は、今夜は、キョウヤの傍なら、……見ておくれよ、こんなに気持ちよさそうだ……。なあ、頼むよキョウヤ……」

「……うーん」

 どうするべきか、悩む恭也にアルフはさらに言い募る。

「それに、ほ、ほら、こんなにがっちりシャツを掴んでいるじゃないかっ、無理やり外そうとしたら、起こしちゃうかもしれないし……」

 確かに、フェイトの両手は恭也のシャツを、その生地が伸びるくらいに強く掴んでいる。

 まあ、生地の事はどうでもいいが、たしかに、外そうとすれば起こしてしまうかもしれない。

 ……それは、忍びないか。

「わかった。そうだな、……折角だ、一緒に寝るか」

「本当かいっ!?」

「ああ」

「ありがとうねえキョウヤ……! やっぱりキョウヤはいい男だよぉ!」

 特徴的な犬歯を見せつつ、気持ちのいい笑顔で言うアルフに、恭也は苦笑を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 完璧に、夢だと思った。

 次いで。

 完璧な、夢だと思った。

 だって。

(睫毛、長いなあ……)

 目の前には、目を閉じた恭也の端正な顔があって。自分の身は、彼の温もりに包まれている。

 ……都合が良すぎる。

 つまり、夢。

 なるほど、であれば。

「…………んんっ」

 フェイトは思い切り、恭也の胸に顔を押し付けて、その熱と匂いを堪能する。

 一秒でも長く、この夢が続きますようにと願いながら、

「……んんー、きょーやさんん…………」

大好きな、その名を呼んで。

「……ああ、起きたか、フェイト」

「………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?」

 返答に、がばっと顔を上げれば、そこには眼を開き、こちらを見やる恭也がいた。

「…………ん、………………え? ……………………………………え?」

「……なんだ、寝ぼけているのか?」

 そう言って恭也は、フェイトの頬に手を伸ばし、柔らかく触れた。

 その感触は、やっぱり、いまさらだけど、あまりにリアルで。

「…………夢じゃないんですか?」

「ああ」

 周りを改めて見渡せば、光の差し込むリビングの光景があって。

「……朝ですか?」

「ああ」

 自分は、彼と、白い掛け布団に包まれていて。自分の記憶が確かなら、これは。

「あの、ここ、どこですか?」

「俺の布団の中……いやまあ、俺のために用意してもらった布団の中、だな」

「………………ああー」

 そうか。

 なるほど。

 フェイトは胸の内、納得の声をあげて。

「…………………………ごめんなさああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいっ!!」

 自らの身を、後方へ、布団の外へ、跳ね飛ばした。

 恭也との鍛錬で敏捷性の上がった体は勢いよくそのまま床の上を転がり、

「……ぁうっ!」

柔らかい何かに当たって止まった。

「いたたたたたた……」

 ぶつけた頭をさすりながら振り返れば、そこにあったのはソファーで。

 ソファー?

「……あ」

 思い、出した。そして、推測して理解した。

 ――夜の記憶と、この、朝の理由を。

「大丈夫か? 朝から元気だな……。……まあ、いいことか。っと」

 視線を前に戻せば、そこには腕を伸ばし、なにやらストレッチのようなものしている恭也がいて。

「……ともあれ」

「あ、あの……わたし……」

「おはよう、フェイト」

「……っ」

 お礼とか、謝罪とか、その他沢山伝えたいことはあったけど。

 閉じられたカーテンからこぼれる、眩しい朝の日差しの中、微笑んだ彼の顔があまりにも。

 あまりにも、――愛しくて。

「……お」

「ん?」

「お、おは、よう、ござい、ます……」

 結局、なんとか口に出来たのは、たどたどしい朝の挨拶だけ。

「ああ」

「……っ」

 それでも彼は、やっぱり優しい笑みを浮かべてくれて。

 痛いくらい高鳴る心臓に、これが夢ではないという実感がようやく沸いてきた。

 

 

 トントントントン、と、小気味のいいリズムで、音が響く。

 火に掛けれた鍋からは、いい香りが漂ってきて。

「……恭也さんって、お料理、上手なんですね」

 台所に立つ恭也の傍で、彼の美しい包丁さばきを見ながら、フェイトは思わず感嘆の声を漏らす。

「……まあ、嗜む程度さ。晶やレン、それこそ一応はプロの高町母にはとてもじゃないがかなわん。勝っているのは……そうだな、こういう切断技術くらいだ」

 よどみなく振り下ろされる彼の包丁は、まな板の上、にんじん、たまねぎ、ピーマンと、そんな食材たちを瞬く間に細かく、それでいて均等に刻んでいく。

「リビングで待っていてくれてもいいんだぞ? 手伝いが欲しくなった呼ぶから」

「……いえ、…………あの、見ていたいんです。……あ、お、お邪魔ですか?」

「いや、そんな事はない。フェイトがそうしたいなら、好きにしてくれていいさ」

 雑談を交わすうちに、朝の時間はあっと言う間に過ぎていって、現在の時刻は十一時半。

 リンディ達はまだ帰ってきておらず。

 恭也が作ってくれているのは、言うまでも無く昼食。

「……しかし、そう言えば初めて聞いたな」

 リクエストはあるか?

 そう、恭也に聞かれて、フェイトが答えたのは。

「オムライスだったんだな、フェイトの好物」

「…………はい」

「なんというか、……うん、似合うな」

「そ、そうですか?」

「ああ、外見にぴったりだ」

 そうだろうか。

(……髪の毛と、色が同じだからかな?)

 自分の髪を一房つまみ上げながら、そんな風に思う。

「……よしっ、と」

 どうやら食材を必要な分だけ刻み終えたらしい恭也は、手際よく、今度はフライパンを使っての炒めの作業に入った。

 ジュウジュウと、食欲を誘う音。香りも、隣で煮込まれるスープのものと混じりつつ、辺りに広がる。

「…………おおおおおっ、いい匂いだねえ……」

「あ、アルフ」

 すると、眠そうに目をこすりながら、アルフがキッチンに入ってきた。

「おはよう、フェイト。美味しそうな匂いがするから起きてきたよ」

「も、もうおはようって時間じゃないけど……、うん、きっと、とっても美味しいご飯だよ」

「すぐに出来るから、待っていてくれ」

「おお、おはようキョウヤっ。楽しみにしているよ! ……そうか、キョウヤは料理も出来るのか」

 そう言うと、なぜだかアルフはうんうんとうなずく。

「……? どうしたの、アルフ?」

「なあフェイト、キョウヤはいい男だよねえ?」

「え、うん」

 突然の問いだったが、フェイトは迷わずに答える。

 フェイトにしてみれば、それはあまりに当たり前の事だ。彼がいい男でなくて、誰がいい男だと言うんだ。

「そうだよねえ。ほら、聞いたかい、キョウヤ」

「料理が出来る男なんて、それこそごまんといるぞ」

「……?」

 にんまりとした笑顔のアルフと、苦笑の恭也。

 フェイトには、よくわからない会話だった。

 

 

「ごちそうさまでした。とっても、とっても美味しかったですっ」

「うんうん、美味しかったよっ、キョウヤ!」

「そうか、それは良かった。お粗末様だ」

 フェイトのリクエストどおり恭也が作ってくれたオムライスは、お世辞抜きに非常に美味だった。

「……恭也さん、あの」

「ん?」

「き、昨日の、あの、……その、夜の、こと…………なんですけど」

 他愛のない朝の雑談を経て、穏やかな昼の時間を終え、なんとか決意を固めたフェイトは、テーブルを挟み対面の椅子に腰掛ける恭也へそう切り出した。

 今更だと言う気もするが、しかし、あそこまで物の見事に彼に甘えてしまって。

 やっぱり、自らその話題を口にするのはかなり気力が要ったが。

 でも、それでも、伝えなければいけない言葉があるから、と。

「あの……!」

「お礼ならいらないし、謝罪ならもっといらない」

「……………………え? で、でも…………」

 意を決して伏せがちだった顔を上げ、言い掛けたところへそんな言葉を当てられ固まったフェイトに、恭也は続けた。

「いいんだよフェイト、いいんだ。いくらでも泣いてくれていい。俺でよければ、いくらだって泣きついてくれていい。いいんだよ、いいんだ。……代わりに」

 そこで一旦言葉を切って、恭也は目を細め、まるで、――慈しむようにこちらを見つめ。

「泣いた分より少しでも多く、君が笑ってくれたなら、俺はそれでいい」

「……ぁ」

 やばい、と思った。

 撃ち抜かれたと、そう思った。

「…………あ、……う、…………あ……」

「どうした?」

「……い、いえ、あの、その」

 彼の目を、顔を、とてもじゃないがまっすぐに見られない。

 恋をしていると、昨日、やっと自覚して。

 恋をしていると、今日、強く強く実感する。

 体中にもどかしさが満ち充ちる。

 今すぐに、目の前に座る彼の胸に飛び込んで、その熱と匂いと愛しさとその他言葉に出来ない沢山のものたちを、貪って。

 思いの丈を、ぶちまけて。

 全存在を懸けて、伝えたくなる。

 好きです、と。恋しています、と。

 愛しています、と。

「…………っ」

 でも、流石にそれは出来なくて。

 彼を困らせてしまうだろうし、……それに。

 今、それをしても、自分が望むものは得られない気がして。

「が、が、頑張りますっ! わ、私、じゃあ、頑張って笑います……!」

 必死に決死に衝動を抑え込んで、搾り出すように言うフェイトに、

「……いや、頑張らなくていい。頑張らないでくれ。頑張って笑われるよりは、……そうだな、頑張らないで泣いてくれた方がいい」

苦笑した恭也はそう返して。

「――っ!」

 ああ、わからない。

 どうやってこの気持ちを抑えつければいい?

 彼が好きで。

 彼が好きで。

 彼が大好きで。

 身が焦げるほどに、愛してる!

「もちろん、だから、一番はやっぱり、頑張らないで笑ってくれればいい。自然に笑ってくれればいい。俺は、フェイトのそんな笑顔が愛しいよ」

「う、あ……………………!」

 死にそうだ。

 素直にそう思った。

 なんでこのひとはこんなに。

 こんなに。

 こんなにも。

 いっそおかしいくらいに、優しくて、暖かくて、格好良くて、頼りになって、傍に居たくて……………………ああ、止めよう。

 いくら挙げてもきりが無い。

「ううぅ…………」

 きっと自分の顔はこれ以上ないくらい、真っ赤に染まっているだろうと、思いはするもののどうにもならない。

「……? どうした、フェイト?」

「そ、その……」

 世の中の、恋をしている皆さんは、一体全体どうしているんだろう。

 心の底から、そんな疑問が沸いてくる。

 こんな、ものすごい気持ちを内に秘め、普通に生活を送っているのだろうか?

 すごすぎる。

 そう思って、しかし、……いやでも。

 でも、あれか。彼ほど素敵な男性なんて世の中にそうはいなくていや一人もいなくて絶対いなくてだからだから。

 盲目と言われればその通りなのかもしれないけど、みんながみんなこんな気持ちを抱えているわけじゃないのかな、なんて、そんな風に思い直して。

 そう、つまり、だから。

 こんな思いを抱える事になるのは、同じように彼に恋した人だけかな、なんて思って。

 それは例えば。

 例えば。

「……あ」

「……? フェイト?」

「い、いえ、な、なんでもないです……!」

 彼にそう言いつつも。

 心の中、かっちりと、……パズルのピースが嵌ったような感覚を得る。

 そうだ。

 そうなんだ。

(なの、は…………)

 ずっと、疑問ではあった。

 あんなにも暖かい家族に囲まれて、それこそ、こんなにも素敵な彼の傍に居て。

 なのに。

 それなのに、驚くほどはっきりと。慄くほどくっきりと。

 なのはの顔に時折浮かぶ、深く暗くあまりに濃い影。

 疑問だった。どうして、と思っていた。

 そんなものを抱える要因が、いったいどこに、なんて思っていた。

 不意に浮かんではしかし、すぐに消え去るそんな表情について、今までなのはに問えた事はなかったけど。

 結局、もうその必要はないようだ。

 わかったから。

 今、わかったから。

 彼女の抱える絶望が、何か、わかったから。

(……そう、だよね。それは、そんなの、…………絶望だよ)

 自分が恋してやっとわかった。気づいた。そうだ、そうなんだ。

 少なくとも、なのはと恭也の住むこの国では、兄妹同士の婚姻は許されない。

 あれだけ愛されていても結ばれることはなく。

 あれだけ愛していても報われることはない。

 兄妹の枠を越えた想いを、彼女は兄に抱いてしまって。

 しかしそれは、許されないもので。

 それが、彼女の、高町なのはの抱える絶望。

(……でも)

 でも。

 それでもきっと、そう、手に取るようにわかる。

 それでも彼女は、希望を捨てる事なんて出来なくて。

 だからあんなに悲しげな瞳の中には、それでも決して消えそうに無い眩い光があるのだろう。

 熱があるのだろう。

 炎が、あるのだろう。

 それはきっと、永遠の炎。

 高町なのはが高町なのはである限り、決して消える事のない、永遠の炎。

 やっとわかった。

 わかった。

(わかったよ、なのは。……だから、私は君と)

 友になりたいと思ったんだ。

 その懸命さに振り向いて。その優しさに惹き寄せられて。

 そして決定的に、その炎に焦がされた。

 焦がれ、憧れを抱いた。

 儚くも力強い、美しく壮麗なその炎に、鮮明に憧れを抱いた。

 だから、友に。

 そして、共に。

 自分は彼女と同じものに、手を伸ばした。

 でも。

 でも、違うんだ。

 わかってほしい。

 これだけは、確信を持って言える。

 彼女の炎に焦がされて、その輝きが焼きついたけど、でも。

 燃え移ったわけではないんだ。

 自分が結局彼女と同じものに…………同じ人に手を伸ばしたのは、彼女の炎が燃え移ったからじゃないんだ。

 これは、自分の炎なんだ。フェイト・テスタロッサの炎なんだ。

 これを宿すのはこの瞳で、これを燃やすのはこの心で、これが輝くのはこの胸で、これを生んだのはこの魂。

 だからこれは、紛れもなく、自分の炎。自分自身から湧き出た炎。

 フェイト・テスタロッサの炎で。

 自分が自分である限り、決して消える事のない、永遠の炎。

「大丈夫か? ……ほんとに、どうしたんだフェイト?」

「……いえ」

 瞳に、心に、胸に、魂に。

 誇るように灯る、愛の炎。

 彼を想う、永遠にして無敵な、――私の炎。

「なんでもないです……」

 少しでもこの熱が伝わるように、と。

「……――恭也さんっ」

 フェイトは、彼が愛しいと言ってくれた自然な笑顔で、大好きなその名を呼んだ。




 贅沢に一話丸々フェイトさんのお話でした。
 この話は、リリカル恭也Jokerを構想した初期も初期から、是非とも書きたいと思っていたものです。
 実際書いてみたらどんどんと長くなって、こんな風に一話独立という形に。
 

 フェイトさんには本当に、胸いっぱいに幸せを掴んでほしいと思う次第です。
 
 彼女の弱さや闇、脆さ、痛みやら、強さ、優しさ、清廉さ、純粋さなんてものを見て、やっぱり、恭也さんとはかなり上手く嵌まり合うんじゃないかなと思います。忍と恭也さんが上手く嵌まり合う理由と似た方向と言いますか。
 同じように影を引き摺る二人だからこそ分かり合える訳が、気付き合える傷があると、そんな風に思います。それにもちろん、性格的な面でもきっとすごく相性がいいんじゃないかなあ、とも。

 真面目な後書き。


 次話から最終局面に入ります。

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