少し遡り時刻は10時。つむぎ達が尾行を始めるちょっと前。ゆかりは今日も今日とて熱心に切り抜き編集をしていた。
「配信頻度落とすわけにもいかないし、動画も結構再生されるからなぁ……」
長時間の作業に飽き飽きしているのか、不機嫌そうにぼやく。
「まぁやるって決めたのは私だし、やるしかないよね」
気持ちを落ち着かせるために、用意しておいたココアを飲もうとマグカップへ手を伸ばす。そのまま口に運ぼうとしたとき、持ち手部分にピキピキとヒビが入り、本体と持ち手が分かれてしまった。
「え」
ゆかりが反応する間もなく、コップは机上に衝突し割れた。豪快な音と飛び散る破片を見たゆかりは、思わず腕で顔を覆った。
「危なっ!子供の頃からのお気に入りだったのになぁ……」
気分を沈ませる暇も与えないと言わんばかりに、ゆかりへさらなる不幸が舞い降りる。コップに注がれていたココアが滴り、キーボードやマウスだけでなく、デスクトップPCの本体にもかかってしまっていた。
「あ、ああ……!くそぉ……!」
以前もコーラをぶちまけるという過ちを犯していたゆかりは対処法を知っていた。まずPCの電源を落とす、それこそが必要な工程である。編集内容もこまめにバックアップを取っており、編集のやり直しになったとしても作業量は僅かだった。
だが、長時間の作業の末ようやくゴールが見えてきていたゆかりにとってそれは、地獄のような仕打ちだった。
「壊れるよりはマシだから、うん……仕方ないよね、ええ」
震える声で自分に言い聞かせつつ、電源を落とす。純粋な水ではなくココアなので、早めに片付ける必要があるのは理解していたが、心労が激しく呆けることしかできなかった。
「あのー、結月さん。さっきすごい音聞こえましたけど大丈夫ですか?」
ノック音とあかりの声が聞こえてきた。心配しに来てくれたと理解し少し元気が出たゆかりは、扉を開きあかりを招き入れる。
惨状を目の当たりにしたあかりは「うわぁ……」とゆかりに哀れみの目を向けた。
「雑巾取ってきますので、紲星さんはゆっくりしといてください」
「いやいや!私も手伝いますよ!」
優しさが胸に染みる。ゆかりは涙をぐっと堪えてその申し出を受け入れた。
30分後、割れたコップの破片の回収やキーボードの隙間の掃除を終わらせ、ようやく一息つけると言った様子で床に伏した。
「色々と疲れました。今日は編集辞めにします」
「さすがに仕方ないと思います。どうします?ゲームで遊びますか?」
「んー……そうですね、気分転換に」
嫌なことを考えさせまいとあかりは提案した。変に思考の隙があると、ああいう時はどんどんネガティブになっていくものだ。
リビングで据え置きのゲーム機を起動し、慣れた手つきで格闘ゲームを開く。2人はキャラクターを悩む素振りすら見せず即座に選んだ。
「いつも通り3先(3本先取)で」
「今日こそ勝ちますよー!」
口では勝つと言っているが、あかりにそんな気は毛頭ない。傷心中のゆかりに対して勝ってしまうと、より傷つけると考えたからである。
(手を抜きすぎてもバレるからなぁ。ま、いつも通りのプレイでもいつも通り負けるでしょ)
あかりは考えが甘かった。格闘ゲームというのは1対1の戦い。戦略性や瞬時の思考が大事になっていく。
気が落ち込んでいるゆかりの脳の稼働率は、普段の20%ほどだった。
「わ、たしの勝ちですね……」
「……」
カウンターで待つあかりに攻撃、安直にジャンプして上から攻めようとする、コンボの入力間違い。普段しないようなミスをゆかりは何度もしていた。
ゆかり自身も理解していた。メンタルがやられまくっていて思うようにプレイできないと。そして、あかりも後半は手を抜いていたことも。ゆかりは負けた事実よりも、優しさからあかりに手を抜かれてしまったことに傷ついた。
「うっ……うぅ……」
「ゆ、結月さん!?」
結果、傍から見ればしょうもなく映る小さな不運達によって、ゆかりの精神は崩壊した。
「ただいまー」
玄関で靴を脱ぐマキとそら。普段おかえりと返すセイカやあかりの声がしないことから、不在だと推測した。
夏の日差しに照らされながら帰宅したマキ達は、喉が渇いたためキッチンへと向かった。リビングの扉を開けると、そこにこれまで見たことの無い光景が広がっていた。
「……何やってるの?2人共」
「あらあら?」
「まっ、マキさんとそらさん!?こ、これは違うんです!」
ゆかりがあかりの太ももに蹲っていたのだ。困惑と不信感、興味を含んだ視線で見つめていると、慌ててあかりが説明を始める。
「ゆかりさん、嫌なことが色々あって限界迎えちゃって……私が慰めてるんです」
「その方法が『これ』ってわけか、なるほど」
事情を聴いたマキは顎に手を当て考える。彼女には現在のゆかりに思い当たる節があった。思考も纏まらない内に「あのさ」と口を開いた。
「ゆかりん、泣いてた?」
「え?あ、はい」
「その後は?」
「えっと……『膝枕しろ!』って強引に言われちゃって、でも断る理由ないしなーって今こうなってます」
断る理由ならいくらでもあるだろ、と思ったが口に出さないマキ。
「普通断るわよ〜?」
「あ、言っちゃった」
そらとあかりが話し込んでいる内に、マキは改めて今聞いた内容から推測する。可能性だったものが確信に変わる。最終確認としてマキはゆかりに気さくに話しかけた。
「へいゆかりん、大丈夫かい?」
「黙れおっぱい星人。布団が吹っ飛んだって言うぞ」
「結月さん!?」「あらまぁ、怖い」
「あー、こりゃだめだね」
マキは苦笑いする。あかりは何か事情を知っていそうなマキに説明するよう頼んだ。
「今のゆかりんはストレスで我慢してたものが爆発した状態……言わば暴走状態だね。そんな風に甘えてきたり、今みたいにキツく当たってきたり、傍若無人なのが特徴。子供みたいでしょ」
「そうだったんですね……てことは前も同じことが?」
「かれこれ2回くらいかな。ここまで酷くなかったけど」
「ゆかりちゃんは私より後に来たわけだから、ここに来る前かしらね」
「そうだね、うん」
普段比較的温厚なゆかりが、話しかけるだけで攻撃的な回答をしてくるのは、マキにとっても初めての事だった。それだけ溜め込んでいたのだと察したマキは、ゆかりの頭を撫で労う。
「んふぅ……」
「ほんとに子供みたいですね。なんだか可愛い」
「ええーほんとに?もっと酷くなるよ?」
「それは困りました。結月さんの我儘だったら私、何でも答えちゃいそうです!」
「あ、そういう意味での困る?」
サラッと惚気るあかりに、マキは苦笑いするしかなかった。
「さて、どうしたものかねー」
各々が思案すると、玄関が開く音と「ただいま」という声が聞こえてきた。セイカが帰宅したらしい。セイカなら巻き込んでも大丈夫だろうと判断したマキは、そのままきてもらうことにした。のだが。
「おまえら……これは一体どういう状況だ?」
「あ!知ってる!それリヴァ◯兵長のセリフ!」
セイカの後ろから顔を覗かせる見知らぬ少女を見て、マキは心底後悔するのだった。