夏の暑さもすっかり消え、衣替えも近づいてきた9月下旬。セイカに突然の報告が訪れた。
「えっ!迎え来るの!?」
料理中だったセイカはIHコンロを切り、クロワに駆け寄る。しかし唐突の報告に戸惑っていたのか、おたまを持ったままだった。
「もう帰っちゃうの?」
「これ以上世話になるわけにいかないからな。と言っても来るのは午後だからもう少しだけお世話になるぞ」
「えぇーこのまま住んでもらってもよかったのに」
セイカのそれは本心だった。家事をしてくれるという打算もあるにはあったが、住人が出ていくというのは寂しいものだとセイカは知っていた。
「せめてたまには顔出しに来てね?ここは貴女の第2……いや第3?くらいの故郷なんだから」
「そうだな。気軽に……とは言えないが、会いには来るさ。私だって君たちにめっぽう愛着が湧いているからな」
ぎゅっとクロワを抱きしめるセイカ。それは子供の旅立ちを見送る母のようだった。クロワは困った笑みで今にも泣き出しそうなセイカの頭を優しく撫でる。
湿っぽいムードで満たされたボイロ荘だったが、ひとつのシャッター音でそれは消え失せた。
「あらあら〜」
「ちょっ!何撮ってんのさそらちゃん!」
「いいものが見れたわ〜。さっそく共有しなきゃね」
「ちょい待てぇい!」
セイカが走り出した時にはもう遅く、2階から同時にピコンと通知音が聞こえてきた。恐る恐る自身のスマホを確認すると、先程撮影された写真とともに『別れを惜しむ親子の図』という不要な解説までおまけで付いていた。
「そらちゃーん?何か言う事はー?」
「んー……ごめんなさいとか?」
今度はボイロ荘にペチンと音が鳴り響いた。
「えー、クロワさんもう行っちゃうんだ」
写真とペチンという音に釣られた一同は、クロワが帰るということを聞いた。寂しげなマキを見たクロワはただ笑顔を見せるしかなかった。
「だからセイカさんが泣いてたんですね。ぷぷっ、泣くとか」
沈みきった空気をぶち壊すかのようにセイカを嘲笑うゆかり。しかし彼女の目尻にも大きな雫があった。
「そういうゆかりちゃんも涙目じゃん」
「そりゃ仲いい人との別れは泣くに決まってるでしょうが」
「あっダム決壊した」
だばーっと涙を流すゆかりを他所にあかりがぐいっと上体を乗り出し、クロワの眼前に迫る。
「クロワさん、私たちのこと忘れないでくださいね!」
「忘れるわけないだろう?ここまで関わった人間たちは久しぶりなんだからな!」
「まるで人間以外とは関わってるみたいな言い方ねぇ」
少し離れたところに1人で佇むそらが言葉を零す。我慢ならずにマキはそらに尋ねた。
「そらさん、なんで立ってんの?」
「お尻叩かれすぎて座ると痛いのよぉ〜」
「すっごい情けない理由だった……」
そのやり取りにセイカは「今回はそらちゃんが悪い!」と頬を赤くしていた。
ゆかり達を見ていたクロワは、思わず吹き出した。
「ふははっ、ほんとに良い所だな、ここは!」
「……でしょ?私の自慢のシェアハウスなんだ」
褒められた嬉しさからセイカはニンマリと笑う。その様子にゆかりたちも顔を綻ばせた。
時刻は12時。クロワが帰るまであと数時間。名残惜しさもあるが、どうせならパーッとやろうと考えたセイカは、再び割烹着を着用し、作りかけだった料理を再開する。
「何作ってるんですか?」
あかりが目を輝かせながらキッチンにやってくる。セイカはアクを取りながら「カレーだよー」と答えた。
「話を聞く限り、クロワちゃんを迎えに来る子……リリンちゃんもカレー好きらしいからね。どうせなら食べて帰ってもらうかなって」
「最高ですね!私のおかわりの分も用意しておいてください!」
「心配しなくてもあるよー」
「わーい!ところでなんでカレーなのに割烹着なんですか?よごれませんか?それ」
「細かいことは気にしなくていいのよ」
その後も数十分煮込み、途中でカレールウを投入し、また煮込む。そうしているとリビングの方からゲームの音に混ざって着信音が聞こえてきた。
「……!そろそろリリンが着くそうだ」
空気が一段と重くなる。ゆかりもあかりもゲームの手を止め、クロワを見つめていた。
「ほら、辛気臭すぎるぞ貴様ら!また会えるんだぞ!」
「それはそうなんですけど、やっぱり寂しいですよ」
「ですです!」
「くっ……いい奴だったよ、クロワさん……!」
「勝手に殺すな!」
メッセージが届いてほどなくして、ピンポーンとインターホンが鳴った。セイカが玄関に向かい、それをクロワが慌てて追いかける。
「……珍しいですね、マキさんがボケるだなんて」
「ま、そんくらい私も悲しいと思ってるってわけよ」
「お、素直」
「うっさい」
「はじめまして、黒朱乃宮・ティンティナーブルム・リリンと言います。この度はうちのクロワが大変お世話になりました」
丁寧にお辞儀をしながらリリンと名乗った女性を見て、一同は困惑した。見た目が完全に幼女なのだ。きりたんとそう大差ない年齢に見えるが、しかし車で迎えに来たというのだから不思議にもほどがある。
「これ、つまらないものですが……」
ゆかりは思わず「菓子折りと幼女似合わないですね」と言いそうになったが心の内に留めた。
各々が挨拶を済ませ、セイカがカレーを食べていくよう誘うとリリンは申し訳なさそうに承諾した。
「リリンさんっておいくつなんですか?」
「えー私?いくつに見えるー?」
「んー、11歳くらい?」
「あはは!よく言われるー」
先程の大人びた態度は何処やら。リリンはすっかり打ち解けており、マキと談笑していた。横目で見るクロワは不満げに頬を膨らませた。
「んー?どうしたのクロワちゃん」
「別に……なんでもないさ」
「あ、もしかしてリリンに嫉妬してた?それともマキちゃんに嫉妬してた?」
「う、うるさいなぁ!」
ニヤニヤとイタズラな笑みで詰め寄るリリン。たじたじになりつつクロワは1歩、2歩と下がっていく。
「あらあら〜」
「こらそこ喜ばない。あとゆかりんは早くこっち来て?」
思わぬ流れ弾に被弾したのは、毛布に包まりリビングの隅っこで三角座りをしているゆかりだった。ゆかりは青ざめたまま答えた。
「さすがにこの人数は無理です」
「ほとんど顔見知りでしょーが」
一刀両断。ゆかりは泣く泣く毛布を脱ぎ捨て移動を始める。
「ってなんで四足歩行なのさ!」
「うう、外界怖い……複数人が集まったとき特有の疎外感半端ない……」
「こりゃだめだな」
マキが諦めかけたその時、2人の少女がゆかりに手を差し伸べた。
「無理は良くないけど、でもいつかはやらなきゃいけないときが来るの。だから、こういう時くらいは私に頼っていいんだよ」
「リリンさん……!」
「いやこういう時って言ってるけど貴女初対面では?」
マキの冷静なツッコミには誰も反応せず、もう1人の少女も語った。
「ゆかりさん、私がいつまでもずっと支えてあげますからね」
「あかりさん……!」
「ただのプロポーズじゃねぇか」
もちろんこのツッコミも反応されなかったが、同じくその場面を見ていたそらも同じ感想を抱いていた。
その後ワイワイとカレーを食べ、遊び、日も傾き、気付けば時刻は17時を回っていた。
「カレー美味しかったです、ありがとうございました」
「いいっていいって。それよりリリンさん、イケる口?」
「まぁそうですね、ワインとかなら」
「おひょー!今度一緒にどう?」
「えっ、いいの?じゃあ予定合わせよ!」
「「いぇーい!」」
午前中の感動的な別れはどこに行ったのか、リリンとセイカは酒の話題で盛り上がっていた。
一方、高校生組は助手席に乗るクロワに別れを告げていた。
「いつでも来てくださいね、なんなら明日でもいいですからね」
「喫茶の方に来てくれてもいいからね?」
「お弁当美味しかったです、ありがとうございました」
「これ、クロワさんが好きそうな本。あ、ここで開けちゃだーめっ♡」
「お、おお……みんなありがとうな。こんな私には勿体ない友だ」
リリンと話を終えたセイカも、ゆかりたちに合流した。それは別れが近い証拠でもあった。
「クロワちゃん、言っとくけどボイロ荘から卒業したとは認めないからね!」
「えっ卒業とかあるんですかこれ」
「ゆかりん、しっ!多分いい事言おうとしてるんだから」
「あ、これは失敬」
「……あんたらねぇ」
青筋を立てながらわなわなと震えるセイカ。クロワは変わらない皆を見て微笑む。
「ま、てわけだから。クロワちゃんが来たいときに来な!なんてったってクロワちゃんはうちの住人なんだから!」
とびっきりの笑顔を見せるセイカ。声も震えていて、夕日に照らされた水滴がきらきらと飛ぶ。
リリンは黙ってエンジンをかけた。
「行ってきます、セイカさん」
「行ってらっしゃい、クロワちゃん」
こうして。
1ヶ月ほど続いたクロワとの同居生活は幕を閉じたのだった。
「セイカさんいい人だったわね」
「……ああ、母みたいな人だった」
「へー、母性感じてたんだぁ。あのドMのクロワがねぇ」
「……うるさい、それとこれとは別だ」
「あはは、声ヨレヨレじゃん。……心配したんだからね、こっちも」
「……すまなかった」
「帰ったらお仕置きしてやるから」
「それはまた違うくないか!?」
「容赦しないからね。少し妬いちゃったんだもん、私も」
「……そ、そうか」
「照れんなバカ」