日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
最初に見つけたのは、午前九時十二分だった。
「渋谷駅の近くに変な穴あるんだけど」
そんな一文と一緒に、SNSへ写真が上がっていた。
石造りの縁取り。その奥に、地下へ続く階段。工事現場にしては妙に古びていて、周囲には作業員どころかカラーコーンすらない。
御厨アキラはベッドの上で寝転んだまま、画像を拡大した。
まず疑ったのは加工である。次に生成AI。投稿者の過去ログ、画像の圧縮痕、周囲の看板、建物の位置関係まで確認して、少なくとも「渋谷付近で撮影された写真らしい」ところまでは十分ほどで辿り着いた。
ここでブラウザを閉じるのが、たぶん普通の人間である。
しかし残念ながら、アキラは普通の人間ではなかった。
効率厨、検証班、そして特定厨。その三つを兼任している男だった。
ゲームをすれば、ボスを倒すより先にダメージ計算式が気になる。
レアアイテムが落ちれば喜ぶ前にドロップ率を疑い、攻略Wikiに「たぶん」と書かれている項目を見ると、条件を切り分けたくて仕方がなくなる。
SNSに写真が流れてくれば、看板、電柱、影、ガードレール、遠景のマンションから撮影場所を当てることもある。
別に犯罪に使うわけじゃないし。
本人はそう言い訳している。犯罪に使わなくても、かなり犯罪的ではある。はっきり言って不審者だ。
そしてこの男は、知らないことや謎を目の前に提示されると、解かずにはいられない。
午前九時二十五分、札幌。
九時三十一分、大阪。
九時四十分、福岡。
同じような「穴」の投稿が増え始めたところで、アキラはスプレッドシートを開いた。
所在地。初出時刻。入口の形状。幅。階段の有無。警察による規制の有無。音。匂い。画像の信頼度。
大学四年の九月。就職活動はもう終わっている。卒論は、まあ、まだ時間がある。たぶん。
暇な検証厨に、正体不明の全国同時多発現象を与えてはいけない。
昼前には、地図上のピンが百を超えた。
ニュースサイトもようやく速報を出し始めた。
『全国各地で原因不明の地下空間 政府が情報収集』
事故か。テロか。自然現象か。
専門家が次々に呼ばれ、全員が「現時点では分からない」と答えていた。
アキラはそれを横目に、自分の収集データを眺める。
入口の形は完全には同じではない。ただし、どれも妙に「入口らしい」。道路が崩れて偶然できた穴ではなく、最初から人間が入ることを想定したような階段や通路がある。
「……ゲームならダンジョンなんだけどな」
独り言を漏らしてから、喉が渇いたことに気づいた。
飲み物を取りに一階へ降り、キッチンから庭を見る。
そこで止まった。
母が何度言っても何も植えない、ほぼ放置されている庭の隅に、朝まではなかったものがある。
石造りの縁。
その奥に続く階段。
アキラは無言でスマホを取り出し、窓越しに写真を撮った。
それからメジャーを持って庭へ出る。
入口幅、百四十八センチ。階段幅、百二十センチほど。
湿った土の匂い。風はほぼない。奥から音も聞こえない。
スプレッドシートに一行追加する。
所在地──自宅。
画像信頼度──最高。
「いや、最高じゃないんだよ」
さすがに警察へ電話した。
担当者からは、すでに同様の通報が殺到していることと、「絶対に中へ入らず、近づかないでください」と念を押された。
当然である。
崩落の可能性。ガス。未知の生物。感染症。そもそも構造が分からない。
入る理由がない。……ないのだが。
アキラは庭の縁側に座り、入口を見つめた。
……一段目までなら、別に探索じゃなくない?
十分後。
自転車用ヘルメット、作業用手袋、長袖長ズボン、懐中電灯、モバイルバッテリー、水、庭仕事用の金属製スコップ、厚底のスニーカー。入口にはロープも結んだ。
危険性を理解していないわけではない。
理解したうえで、かなり都合よく解釈しているだけである。
さらにスマホへ落下防止のストラップを付け、普段ほとんど使っていない配信アプリを立ち上げた。片手でスマホ、もう片手でスコップ。何かあればスマホは手放せるようにしてある。
タイトルは、
『【現地検証】庭に全国で出てる穴と同じやつがある』
配信開始時の視聴者は十一人だった。
『?????』
『お前んちなの』
『いや入るなよ』
『警察呼んだ?』
「呼んだ。待てって言われた」
『じゃあ待て』
非常に正しい。
アキラは懐中電灯を点け、階段へ足をかけた。
「一段目だけ」
『さきっぽだけだから』
『その理論で二段目行くやつ』
『画質上げられる?』
「上げると配信途切れる可能性あるし」
『そこだけ冷静なの何』
石段は十段ほどで、まっすぐな通路へ続いていた。
壁面は湿っているが、苔はない。外から見た印象より奥行きがある。
アキラが二歩進んだところで、コメントが急に流れた。
『右』
『右右右右』
『なんかいる』
光を向ける。
小柄な、人型の何かがいた。
緑がかった皮膚。子どもほどの背丈。手には、石を削ったような刃物。
「……え」
アキラの思考が止まった。
ゴブリン。
頭に浮かんだ単語はあまりにもベタで、だからこそ口に出すまでに一拍かかった。
『は?』
『なんかいる』
『3D?』
『いや待って動いた』
「ゴブ──」
最後まで言う暇はなかった。
それが走ってきた。
アキラは反射的にスマホを手放した。ストラップに吊られた端末が大きく揺れ、映像が一瞬めちゃくちゃになる。その間に両手でスコップを握り、横薙ぎに振った。
金属音と嫌な手応えが返り、相手がよろめく。
驚いていないわけではない。むしろ驚きすぎて、声が出ていなかった。
ただアキラには、ゲームの検証中に予想外の挙動へ遭遇したとき、とりあえず操作を続けながら状況を確認する癖がある。現実で役立つ日が来るとは本人も思っていなかっただろうし、できれば来てほしくなかった。
相手は止まらない。
刃物が腕をかすめ、長袖が裂けた。
「痛っ……!」
今度は突く。肩に当たる。思ったより軽い。
二度、三度ともみ合い、最後は壁際に追い込んで、スコップを振り下ろした。
人型の生物は動かなくなった。
アキラは数秒その場に立ち尽くした。
それから急に我に返り、スマホを掴んで入口まで走る。
庭へ出てロープの外まで下がった瞬間、戦っている間に詰まっていたものがまとめて出た。
「ええぇ……! 何今の! 今のなに!? ゴブリン!? 本当に!?」
『驚いてたんかい』
『淡々と対応するなぁと思ったらめちゃくちゃ動揺してて草』
『3Dにしてはリアルすぎ』
『いやこれガチ?』
『仕込みじゃないの?』
『腕切れてるの演出なら怖い』
「いや、俺が聞きたいんだけど……何だったんだよ今の……」
縁側に座り込む。息が荒い。腕も痛い。手も震えている。
ただ、その震えとは別に、おかしいことがあった。
三十秒ほどすると、呼吸が急速に整ってきた。
心拍も戻る。さっきまで重かったスコップが、妙に軽い。
『大丈夫?』
『病院行け』
『なんか顔色良くなってね?』
「……待って」
アキラは立ち上がり、物置へ向かった。
中から肥料の袋を引っ張り出す。二十キロ。昨日、母に頼まれて動かしたときには両手で持ち上げた。
片手で掴む。
上がった。
コメント欄が止まった。数秒後、一気に流れる。
『は?』
『怪力すぎん?』
『レベルアップした?』
『怪力』
『ステータス見ろ』
『ステータスオープンって言ってみろw』
アキラは肥料袋を下ろした。
「さすがに出るわけないだろ」
一拍置く。
それでも、試すだけなら一秒で済む。
試行コストがほぼゼロの仮説を、検証せずに捨てる理由はない。
「……ステータスオープン」