日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
世界同時発生から、二週間。
ネイサン・ウォーカー大尉は、人生でまさか自分が勤務時間中に「ステータス・オープン」と唱える日が来るとは思っていなかった。
しかも一度ではない。朝夕二回、記録係の前で言わされる。
「Status Open」
何もない空間に半透明の表示が浮かぶ。もう見慣れた──と言いたいところだったが、軍服姿の成人男性が真顔でこれをやっている光景には、いまだ若干の敗北感があった。
「LEVEL 2だ」
記録係が端末へ入力する。
向かいのモニターでは、欧州合同研究センターの研究主任がこちらを見ていた。
「次は別の言い方をお願いします」
ウォーカーは眉を寄せた。
「まだやるのか?」
「文言依存かどうかの確認です」
「世界を救う研究だと思えば聞こえはいいが、実際にやっていることは四十男に魔法の呪文を言わせる実験だな」
研究主任の口元がわずかに緩んだ。
「大尉、四十一歳では?」
「まだ四十歳と十一か月と五日と八時間だ」
「そこまで正確なデータはいりません」
隣にいた隊員が吹き出す。
次の隊員は「Show my stats」と口にし、問題なく表示を出した。
さらに別の隊員が、母国語で「自分の能力を表示しろ」という意味の言葉を試す。
これも成功。
研究主任は画面越しに頷いた。
「やはり“Status Open”そのものが条件ではなさそうですね。表示する意図を持って、それに近い意味を発声すればいい」
補佐官が軍向け暫定マニュアルを書き換える。
『推奨呼出語:Status Open
※正確な文言は必須ではない』
ウォーカーはその二行を見て、少しだけ嫌そうな顔をした。
「必須じゃないのに推奨するのか?」
「部隊ごとに好き勝手な言い方をされると記録が面倒です」
「ファンタジーを事務処理で統一されるとは……」
「軍隊とはそういうものでしょう?」
否定できなかった。
異世界小説みたいな言葉が正式文書に載った理由は、神秘でも魔術でもない。
帳票の都合だった。
現実とはだいたいそういうものである。
* * *
問題は、呼び出し方ではなかった。
「それで、主任」
一通りの確認を終えたウォーカーが椅子へ戻る。
「いつまで毎日これを報告すればいいんだ?」
「当面は一日二回です」
「良い知らせじゃないな」
「もっと悪い知らせがあります」
冗談めかして返そうとしたウォーカーは、研究主任の表情を見てやめた。
画面が切り替わる。
そこには、彼の部隊を含む複数の部隊の戦闘記録が並んでいた。
誰が、どのダンジョンへ入り、何体と交戦し、どの程度戦闘へ参加し、どれだけ負傷したか。
各国軍は世界同時発生の初日から、ほぼすべてを記録している。
日本発生時に一般人の自己申告が中心だったデータとは、精度が違う。
だからこそ、見えてしまった。
「第七部隊、昨日までの討伐参加数は?」
研究主任に促され、補佐官が答える。
「小型種三十一、中型種四です」
ウォーカーは軽く頷いた。
自分たちの戦果だ。負傷者は軽傷のみ。悪くない数字だった。
「LEVELは?」
「十二名中、LEVEL 2が九名。LEVEL 3が三名です」
「……それが?」
ウォーカーには、まだ何が問題なのか分からなかった。
二週間で二や三。
ゲームなら遅いのかもしれないが、これはゲームではない。そもそも比較対象がない。
研究主任が、もう一つの表を並べた。
日本側の公開データ。
発生初期、まだ一般人がスコップや角材で戦っていたころの記録である。
「同じ期間で比較すると、日本側の方が明らかに早いです」
ウォーカーは一度、画面を見た。
それから研究主任を見た。
もう一度、画面を見た。
「待ってください」
嫌な理解の仕方だった。
「つまり、訓練を受けた兵士が自動小銃で組織的に三十五体倒した結果より、日本の会社員がスコップ振り回してた時期の方が育ってる?」
「かなり乱暴な要約ですが」
「合ってます?」
「合っています」
ウォーカーは天井を見上げた。
「報告書にはその言い方で書かないでください」
「書きません」
「部下の士気に関わる」
横で補佐官が咳払いした。笑いを誤魔化している。
十二話の掲示板をウォーカーが見ていたわけではないが、似たようなことを考えた人間は世界中にいた。海外の方が戦果は大きく、装備も訓練も上なら、LEVELだって当然それに比例する──普通なら、そう考える。
だが、どうやらダンジョンにとっての「普通」は、こちらの常識とは少し違うらしい。
研究主任は別の資料を表示した。
「もちろん、日本側は自己申告が多い。条件も完全には揃っていません。ですから一国だけなら、データの偏りを疑います」
次に別の国。
さらに別の国。
同じ傾向。
国も部隊も装備も違うのに、まとめて見ると海外側の成長が鈍い。
ウォーカーの表情から、さっきまでの軽口が消えた。
「うちだけじゃない?」
「違います」
「測定ミスは?」
「ステータス表示は本人にしか見えないので自己申告ではあります。ただし、各国とも同じ手順で定時確認しています。軍人が全員そろってレベルを低く申告する理由もありません」
「戦い方の問題は?」
研究主任が日本側の経験値ページを開く。
『戦闘への有意な寄与が必要』
『トドメを刺す必要はない』
『攻撃ダメージは必須ではない可能性』
『寄与の判定範囲はまだ不明』
「日本側の仮説に合わせて再分類しています。攻撃、盾、拘束、救援。海外側も十分に“有意な寄与”をしています」
「じゃあ、何が違う?」
研究主任は答えなかった。
答えられないから調べている。
その沈黙だけで、ウォーカーにも分かった。
初めてだった。
世界同時発生から二週間、海外側の対処は驚くほど順調だった。日本の五か月分の情報があり、封鎖も避難も討伐も計画通りに進んだ。
それなのに、ここへ来て初めて。
戦果と結果が、噛み合わない。
「……現場では、何を変えれば?」
「まだ変えないでください」
研究主任は即答した。
「原因が分からない状態で、安全に機能している手順を崩す方が危険です。今まで通りで」
合理的だった。
そして、ウォーカーにはそれが少し気持ち悪かった。
何かがおかしいと分かっているのに、正体が分かるまでは同じことを続けるしかない。
「了解」
立ち上がりかけて、ウォーカーはもう一度画面を見た。
「原因が分かったら教えてください」
「もちろん」
「できれば、うちの部下がスコップを支給される前に」
今度は研究主任も笑った。
「最優先で」
* * *
通信を終えたあと、研究主任は椅子へ深く座った。
冗談で済ませられるうちに、原因を見つけたかった。
机上には各国から集めたデータが並んでいる。討伐数、交戦回数、武器、戦闘時間、負傷の有無、戦闘中の役割、そしてLEVEL。比較材料なら十分すぎるほど揃っていた。
それなのに、肝心の条件だけが一つ見えてこない。
「日本側の元データを、もう一度洗います」
補佐官が顔を上げた。
「公開分はかなり確認済みです」
「加工された表ではなく、その前です。動画、投稿時刻、装備、位置関係。取れるものは全部」
「位置関係も?」
「何が条件か分からない以上、切れる項目はありません」
補佐官が頷き、端末を操作する。
研究主任は例の非公式Wikiを開いた。
世界中の研究者や軍関係者が参照するようになった、日本の攻略情報集積サイト。
公式資料より読みやすく、公式資料にない失敗例まで載っている。
公的機関としては少々複雑な存在だったが、データはデータである。
意地を張っている場合ではない。
「Wiki側の元データも必要ですね」
「管理者に照会しますか?」
研究主任は数秒考えた。
公開ページだけでは、投稿時の細かい条件までは分からない。
そして今ほしいのは、まさにその細かい条件だった。
「連絡を入れます」
「こちらから直接?」
「まず研究機関名義で正式に。提供できる元データがあるか確認してください」
補佐官が了解、と返してメール作成画面を開く。
研究主任はもう一度、日本と海外の表を見比べた。相手にしている怪物も、ダンジョンの構造も、表示されるLEVELも大きくは変わらない。それなのに、積み上がった数字だけが明確に違っている。
違うなら、どこかの条件が違う。理屈だけなら腹立たしいほど単純だった。
問題は、その条件がまだ一つ、見えていないことだった。