日本だけダンジョン発生中――政府が検討している間に世界最強になっていた 作:御影 智人
配信中だった。御厨アキラのもとへ、英語のメールが届いた。
その日はWikiの海外版リンクを整理していて、画面には各国の公的資料や掲示板へのリンクが並んでいた。世界中にダンジョンが出てからというもの、英語圏の情報まで追うだけで一日が終わる。アキラとしては楽しいので特に困ってはいない。
通知欄に出た差出人名を見て、アキラは眉を上げた。
「うお、詐欺メール来た。欧州合同研究センターだって」
『規模がでかい』
『もうちょい現実的なところ騙れ』
『遺産一億円よりは新しい』
「件名が『経験値獲得条件に関するデータ照会』。はいはい、俺のWikiをよくご存じで」
笑いながら本文を読み始めたアキラの声が、途中で止まった。
そこには、Wikiでも配信でも一度も公開していない本名と大学名が書かれていた。メール本文には、日本側の研究機関を通じて管理者情報を確認したともある。
本物なら筋は通る。だが、まだ本物だと確認できていない段階では、その説明ごと怖い。
「……ちょっと待て。なんで俺の本名と大学知ってんの?」
『怖』
『フィッシングの解像度が高い』
『踏むなよ』
「踏むわけない。ごめん、ちょっと調べさせて」
アキラは配信画面をWikiだけに固定し、メール本文や検索画面が映らないことを確認してから調査を始めた。
差出人のドメイン、研究機関の公式サイト、担当者名、部署名、公開されている電話番号。メールに含まれていたリンクは直接踏まず、自分で検索して公式サイトへ入り、そこから一つずつ照合する。途中で研究者の論文まで出てきた。
「差出人の論文、ちゃんと出てくるなぁ……」
コメント欄には『また特定始まった』と流れた。
「確認だよ」
『同じことでは』
「違う」
五分後。
アキラは無言で元のメールをもう一度開いた。
「……え、これ、ガチっぽいわ」
『は?』
『マジ?』
『詐欺師?』
「いや、本物っぽい。公式サイトに担当者いるし、部署も合ってる。連絡先も一致してる」
一度疑ってから本物だと分かると、今度は別の意味で怖い。
「海外の研究機関から、経験値データの元資料を見せてほしいって」
『世界デビュー』
『お前とうとう研究対象になった?』
「俺じゃなくてデータがな」
そこは大事だった。
* * *
翌日、オンライン会議の画面には研究者が四人映っていた。
会話は英語だったが、通訳は入っていない。
アキラは英語を普通に読み書きでき、会話にも困らない。ゲームの攻略情報や検証データは、日本語圏だけを見ていると普通に取りこぼす。海外版でしか報告されない仕様、先行アップデートの解析、英語圏フォーラムの検証ログ。そういうものを追い続けた結果、必要に迫られて覚えた英語だった。
発音にはかなり日本語訛りが残っている。
ただ本人は通じれば問題ないと思っているし、実際、通じている。発音矯正より一次情報へのアクセス速度を優先した結果である。実にアキラらしい学習順序だった。
最初に聞かれたのは、Wikiへ掲載している検証データの保存状況だった。
「元の回答は残っていますか?」
「一部を除いてあります。投稿者が削除を希望したものと、個人情報が混ざっていたものは除外してます」
「動画との紐付けは?」
「本人が許可したものだけです。投稿時刻とダンジョン地域は残してあります」
研究者の一人が、目に見えてほっとした。
「非常に助かります」
アキラは少しだけ姿勢を正した。
褒められたこと自体より、自分が集めてきたデータが本当に研究材料として使えると分かったことの方が嬉しい。この二つは本人の中ではかなり違うのだが、外から見ると同じような嬉しそうな顔をしていた。
「こちらでは、日本の発生初期と比べて、兵士のレベル上昇が遅い傾向が出ています」
共有された表を見た瞬間、アキラの目つきが変わった。
「……結構差ありますね」
「はい。戦果だけを見れば、こちらの部隊の方が多いのですが」
「寄与の判定はどうしてます?」
「あなたのWikiを基準に再分類しました。攻撃だけでなく、盾役、拘束、救助も含めています」
「トドメの有無は?」
「差を説明できませんでした」
「武器種は?」
「複数です。銃器だけの問題とも断定できません」
「部隊の人数は?」
「人数以外を変更し、複数条件で実験済みです」
アキラは返事をせず、そのまま表をスクロールした。部隊ごとの参加回数、討伐数、使用武器、戦闘時間、LEVELまで整理されていて、日本の発生初期に集めたデータとは比較にならないほど綺麗だった。
五か月前には、『たぶん二回くらい殴った』『何メートルかは分からない』『友達が倒した』みたいな回答を相手に条件を切り分けていたのである。
あの頃の自分に見せたら、たぶん泣く。
もちろん感動ではない。データ品質の差で。
「……これ、生データも見ていいですか?」
研究者が少し笑った。
「そのために連絡しました」
「ありがとうございます」
声がわずかに高くなった。顔もきっと笑顔になってしまってるんだろうなとアキラは思った。
良いデータに弱い。
こんなん、鼻先にぶら下げられたニンジンだ。
* * *
数時間後、アキラは日本の発生初期と海外部隊の戦闘映像を並べていた。
日本側では、スコップや角材、農具、短い槍といった、とても五か月後に世界各国の研究機関から参照されるとは思えない装備が並んでいる。一方の海外部隊は、自動小銃を使い、遮蔽物を取りながら安全な距離から射撃していた。
どちらも戦闘には参加している。
それなのに、レベルの伸び方が違う。
「武器の差でしょうか?」
研究者が聞いた。
「最初は俺もそう思ったんですけど、たぶん違います」
アキラは日本側の別の動画を開いた。すでにある程度レベルの上がった探索者が、通路の奥にいる小型魔物へ遠距離魔法を撃ち込んでいる。その人物は遠距離戦を始めたあとも普通にレベルが上がっていた。
ほかの動画では、パチンコで投げた石でゴブリンを倒している。ここでもレベルアップが確認されている。
「日本でも遠距離攻撃で経験値が入ってる報告はある。だから、銃そのものが駄目って線は弱いです」
「では、何が?」
アキラは答えず、今度は海外部隊の映像をいくつか切り替えた。
遠距離から射撃した記録では伸びが鈍い。だが同じ部隊でも、狭い通路で敵との距離が近くなった戦闘のあとだけ、LEVELが上がっている隊員がいる。
アキラの手が止まった。
動画を数秒戻し、もう一度再生する。
「……ここ」
「何です?」
「この人、他の戦闘より近い」
画面上に敵との位置関係を示す線を引いた。
日本の発生初期は、ほとんどの探索者が魔物のすぐ近くで戦っている。当たり前だ。スコップや角材で敵を倒すなら、嫌でもそこまで近づかなければならない。
対して海外部隊は、最初から可能な限り距離を取る。
こちらも当たり前だった。銃を持っているのに、わざわざ殴られる距離まで近づく理由はない。
「でも、日本にも弓や魔法の使用例はありますよね?」
「今はあります。でも最初はほとんどないんです」
アキラは五か月前から現在までの記録を時系列で並べ直した。
発生初期の探索者はほぼ全員が低レベルで、戦い方も近接中心だった。数か月が経って弓や魔法による遠距離戦が増えたころには、それを使う人間自身がすでにある程度育っている。
そこまで並べて、アキラは眉を寄せた。
「……レベルによって条件が変わってる可能性もあるな」
「どういう意味です?」
「たとえば、経験値を受け取れる範囲があるとして、その範囲自体がレベルで広がるとか。レベル1なら近くにいないと駄目だけど、レベル10ならもっと離れてても入る、とか」
研究者が少し身を乗り出した。
「根拠は?」
「まだないです」
即答だった。
ただ、アキラの目はもう次の検証条件を組み始めている。
「でも、距離を変えるだけなら安く試せます。同じ敵種、同じ参加人数、同じ役割で、討伐時の距離だけ変えればいい」
研究者が笑った。
「あなたのWikiに書いてある通りですね」
「何がです?」
「※要検証」
アキラは露骨に嫌そうな顔をした。
五か月前、自分で安全装置として付けた注意書きが、いまや海を越えてネットミームになっている。この真面目そうな研究者の口からすら出てくるとは。
画面には、日本と海外の初期戦闘が並んでいた。武器も装備も戦い方も違うが、その差を一つずつ削っていくと、最後まで残るものがある。
敵との距離だ。
アキラは位置関係を示す線を見つめた。
「……武器じゃない。距離か?」
まだ仮説でしかない。
だからこそ、次にやることは決まっていた。